三樹書房
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第1回 日本車
2018.11.12

わが国のモータースポーツの夜明けは、1963年新設された鈴鹿サーキットを舞台に第1回日本グランプリが開催されたときからはじまったといえるだろう。2日間で20万人の観衆を集め国内の自動車メーカーすべてが参加した。
ライセンス発行の不手際やレギュレーションの解釈の違いから各車に性能差が生じるなど大混乱のうちに行われた。しかし第2回大会には規則も整い、各メーカーも市販車そのままからレース対応バージョンが登場し、ドライバーも英国やイタリアのレーシングスクールで学び急速にモータースポーツが発展していった。'66年には鈴鹿、船橋、富士と3サーキットが揃いこの年46レースが開催されるまでになった。
60年代後半、ワークスのプロトタイプの争いが過熱するが、中でも身近で日常よく目にするツーリングカーの姿をしていながら中身はスポーツカーの性能をもった、羊の皮を被った狼と呼ぶ車のバトルはひときわ人気が高かったのである。


■海外遠征で鍛えた マツダ・ワークス・ロータリー

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1969年9月、ベルギー・スパの森に世界ではじめてロータリーサウンドを轟かせたのはマツダR100である。ロータリーエンジンの耐久性を実証するため'69、'70年海外の長距離レースに挑戦。市販車のエンジンは491cc×2ローター、100hp(サイドポート)0-400m加速16.4秒、最高速180km/hと驚くべき1Lカーであった。レース用(ペリフェラルポート型)は240hpを発生した。'69年春シンガポールGPでテスト的に走らせ地元エントラントを寄せ付けず、夏にヨーロッパへ遠征した。この年スパ24hとマラソン・デ・ラ・ルートに出場、'70年も3戦出場、同クラスは相手とせず大排気量車とバトルを終始し"ウルトラ・コンペティティブ"と恐れられた。イラストは'69年スパに出場した片山/武智のR100、5位に入賞した。ボンネットに虫除けスクリーン、バンパーをとり外しムキ出しになった取付け金具など細部にこの車の特徴がある。200hp以上をもつレーシング・クーペであるが、初期のホイールはまだ4.5Jでオーバーフェンダーはなく外観は市販のファミリア・ロータリー・クーペとなんら変わらなかった。


■レースが生んだ車 プリンス・スカイラインGT

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'64年5月、第2回日本グランプリでポルシェと互角のバトルを演じた2000GTと、常套句になるほどこの車は今日でもよく知られている。プリンス自工は第1回大会後、櫻井眞一郎をチーフとして設立したレース車開発チームがレースに特化してつくったモデルである。4気筒エンジン搭載のスカイライン1500のボディを200mm延ばして6気筒を積み、SOHC1988cc、トリプル・ウェバーで125hp、最高速度180km/h、最速のセダンを生み出した。また本格生産に備えてイタリア・ウェバー社に3000個を発注し、翌'65年エラボレート・モデルGTB(赤バッジ)とウェバー1基に減らしたストリート用GTA(青バッジ)を市販。'64~68年までレースで栄光の座を不動のものとした。
式場壮吉のポルシェ904と戦い一時トップに立ったのはベージュ色ボディの生沢徹車であったが結果は3位で終り、イラストはワークス勢で成績が最も高く2位となった砂子義一車を採用した。GT規定台数をつくったホモロゲーション・モデルでロング・ノーズがこの車の特徴である。


■日本で最初にGTと名乗った車 いすゞ・ベレット

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64年4月、いすゞは国内初のGTと名づけた2ドア・2+2クーペを発表。直4・OHV、1584cc・90hp、最高速160km/h、0-400m加速18.3秒と当時ヨーロッパの1.6L級ツーリング・スポーツに匹敵する性能は大きな反響を呼んだ。さらに英国流ボルトオン・チューニングに倣い豊富なキットを市販しアマチュア・クラブマンをバックアップした。またレースでも英国のシステムを導入しISCC(いすゞスポーツカークラブ)を設立しワークスの争いが過熱する頃でもワークス1600GTの中身はキット装着のクラブマン・レベルで戦い好成績を得ていた。
イラストは、66年5月、第3回日本グランプリTS(特殊ツーリングカー)レースで総合2位となった浅岡重輝車。1600GTは車高がセダンより40mm低く設定されている、そのうえこの車はフルレース用ステージⅢサスペンションを装着しておりさらに低くなっている。このプロポーションを美しく描くことに留意した。ホイールも当時は特別なものでマグネシウム製を履いている。


■ビッグワークスの目覚め トヨタ1600GTツインカム

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1968年、トヨタ1600GTは圧倒的な強さを誇っていたスカイラインを破り、68年度の王座を奪う鮮烈なデビューを果した。先だつ2年前、市販のコロナ・ハードトップの車体にヤマハとコラボで開発したDOHC1.6Lエンジンを積んだプロトタイプ"RTX"を'66、'67年の2年間にわずか2レースを走らせ、後に市販されたのだ。
1587cc、DOHC、ツインソレックスで110hp、ヘッドカバーは美しい結晶塗装で最高175km/hの速度をマーク、外見はコロナ・ハードトップと似ているが、中身は別物でトヨタ2000GTの廉価版と位置づけられた。イラストは'66年3月富士のクラブマンレースに初出場したプロトタイプRTX。細谷四方洋がスポーツカー部門で優勝。市販型よりフロント・ホイールアーチ大きくくられ、ボンネットとフェンダーサイドにアウトレットが仮設、ボディサイドのイエローテープは、本来付いているクロームのトリムを外した跡を隠している。こうした特別なディテールがドキュメントの面白さだ。


■プアマンズ・ミニクーパー N360

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1966年、東京モーターショーで発表されたN360はスペースユーティリティを軽の規格最大限に生かした2ボックス車体に最強の空冷SOHC2気筒31hpエンジン、さらに前輪駆動と、若者たちの目には当時ヨーロッパのレースを席巻していたミニクーパーのように映った。そのためクーパーもどきにチューニング・アップが流行、それに呼応して街のスピードショップもさまざまなコンバージョン・キットを販売した。やがて競合各社も一斉にスポーツタイプを登場させ、'60年代後半には鈴鹿や富士で本格的なミニカーレースに発展するが、その起爆剤となったのがN360である。イラストは'69年富士500kmレースで2位となった安川ひろし車。RSC(ホンダレーシングサービス)チューンで497cc60hp/なんと10000rpm!150km/hの最高速度をもつ。ボディは68年製でSのバッジがつく、ホイールはマグネシウム製。後サイドに貼ってあるRSCのステッカーの資料入手に苦労した。イラスト制作時の30年も前のモデルであったから......。


■R380の心臓を移植した スカイラインGT-R

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無敵のスカイラインGTも'68年シーズン新鋭トヨタ1600GTツインカムに王座を奪われ、その年の秋、雪辱を期しタイトルを狙うマシーン、GT-Rを発表。2年前プリンス自工と日産が合併しており日産ブランドでデビューした。エンジンはプロトタイプR380直系のS20型DOHC、1989cc、市販車はソレックス3連キャブで160hp、レース用グループ5仕様はウェバーに換えて230hp、'70年には250hpとR380を上回るパワーに進化、デビュー戦'69年5月JAFグランプリでのT.N対決はメインイベントのフォーミュラ・リブレより観衆の興味を沸かした。ここで勝利したGT-Rは排気量の差か、徐々に優位に立ち王座を奪回した。イラストはロングホイールベース4ドア型でワークス村山チューン車、篠原孝道がトヨタ1600GTを下してデビュー戦で優勝。4ドア型は'69-70年の2年間に36勝を記録し'71年からハードトップ型にバトンを渡し、ツーリングカーのチャンピオンの座に君臨するのであった。

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執筆者プロフィール

1938年、大阪生まれ。広告代理店、チーフ・クリエイティブ・ディレクターを経て、1990年からフリーランスのイラストレーターとなる。車関係の著作に『羊の皮を被った狼たち』(二玄社)、『サーキットを駆ける狼たち』(二玄社)、『栄光に彩られたスポーツカーたち』『アルファロメオ レーシング ストーリー』(三樹書房)、自動車を題材にした 児童絵本に『出動119番』(講談社)、『ブルブルさんのあかいじどうしゃ』(福音館書店)、『のびるじどうしゃ』(福音館書店)などがある。東京都在住。

関連書籍
アルファロメオ レーシング ストーリー
栄光に彩られたスポーツカーたち
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