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第68回 1949年型アメリカ車 –クライスラー編
2018.3.27

 1949年型アメリカ車の生産台数は約524万台に達し、前年比約152%と大躍進した。このような活況の中でクライスラー社も過去最高の100万台近くを生産したが、伸びは前年比113%と低調で、4つのブランド、プリムス、ダッジ、デソートおよびクライスラーのいずれもが、前年のシェアをキープできず大きく割り込んでしまっている。原因としては、いち早く戦後型モデルを売り出した独立系メーカーに加え、GM、フォードも戦後型モデルを発売したのに対し、クライスラーは戦前型から大きな変化がない1946年型を、変更せずに1948年型まで売り、1949年型も当初は変更せず発売した(後に1949年型First Seriesと称する)。戦後初めてフルモデルチェンジした1949年型Second Series を発売したのは1949年1月から7月と大幅に遅れてしまったのが影響している。
 今回は、フルモデルチェンジした1949年型Second Seriesについて紹介する。

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●プリムス

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1949年型プリムスのカタログ表紙に踊るキャッチコピーは「The Great New PLYMOUTH」。そして右側には低価格車の中でプリムスが最初に採用した数々の仕掛けが列挙されている。プリムスのSecond Series 1949年型がショールームに届いたのは1949年4月で、フルモデルチェンジと言っても角張っていて背が高く、旧型と代り映えしないのは、当時の社長K. T. ケラー(Keller)の嗜好だと言われる。発売初期のモデルは設計値より車高が高く、フロントはコイルスプリングを短く、リアはリーフスプリングを平らにして、フロントを1in(25.4mm)リアを1.5in(38mm)低くしたという。なお、1950年代に斬新なモデルを生み出すことになるバージル M. エクスナー(Virgil M. Exner)がGM、スチュードベーカーを経てクライスラーに入社したのはこの年である。

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1949年型プリムスのモデルバリエーション。ホイールベース111in(2819mm)のP-17シリーズ、上の絵のデラックスモデルのうち、上から2段目の3台(左から2ドアセダン1492ドル、サバーバン1840ドル、クラブクーペ1371ドル)、ホイールベース118.5in(3010mm)のP-18シリーズ(デラックス最上段の3パッセンジャークーペ1519ドル、4ドアセダン1551ドルおよびスペシャルデラックス、クラブクーペ1603ドル~ステーションワゴン2372ドル)の2シリーズ、9モデルがラインアップされていた。右下の絵に注目すると、プリムスのコンバーティブルにはじめてクオーターウインドーが採用されたのが分かる。ステーションワゴンの市場投入は2カ月遅れの1949年6月であり、デラックスサバーバン(ステーションワゴン)にはじめてオールスチールボディーが採用された。また、標準タイヤは15インチであったが、不整地仕様として18インチも用意されていた。

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1949年型プリムスの内装。この当時はまだ高い着座姿勢で、ソファのような平らで分厚いクッションが採用されていた。

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1949年6月に登場したスペシャルデラックス ステーションワゴン。スペアタイヤをリアゲートの外側に背負っており、荷物積載時でも何ら干渉されることなく容易に脱着できた。3列シートで8人が乗車できた。ウッディボディーの架装はU.S. Body and Forging Co.が担当した。生産台数は3443台。

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上の4点は「美しさ」「快適性」「経済性」「安全性」に対するプリムスの取り組みについて紹介している。エンジンは217.8cid(3569cc)直列6気筒Lヘッドで前年と変わらないが、圧縮比を6.6:1⇒7.0:1に上げて2馬力アップの97ps/3600rpmとしている。トピックはブレーキシューにライニングを固定する方法が、従来のリベットから接着方式に変更されている。クライスラー社では1947年頃から一部のモデルで試験的に採用していたが、1949年型から本格的に採用した。一時期ブレーキシューにアルミ材を使用したが、これは鉄材が手に入らなかったための窮余の一策であった。

●ダッジ

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「大胆な新しいダッジのニュース」のキャッチコピーと「低い外側、高い内側! 短い外側、長い内側! 狭い外側、広い内側!」のサブコピーと共に登場した1949年型ダッジ。発売は1949年2月であった。

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1949年型ダッジのシリーズ名は従来のデラックス、スペシャルなどではなく、名前が付けられた。115in(2921mm)ホイールベースのウェイファーラー(Wayfarer)3モデル(1611~1738ドル)、123.5in(3137mm)ホイールベースのメドウブルック(Meadowbrook)4ドアセダン(1848ドル)、123.5inホイールベースのコロネット(Coronet)6モデル(1914~2865ドル)の3シリーズがラインアップされた。コロネットの8パッセンジャーセダン(2635ドル)はホイールベース137.5in(3492mm)のシャシーに架装されている。1930年代を懐かしんで登場したウェイファーラーの3パッセンジャーロードスターは、一人で簡単に上げ下げできるソフトトップとプラスチック製の脱着式サイドウインドー(外した時にはシート後方に収納する)を備え、価格は1727ドルで、若者を中心に5420台売れた。

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表紙にあったサブコピー「低い外側、高い内側! 短い外側、長い内側! 狭い外側、広い内側!」の3つの逆説を説明するためのデモンストレーションが左頁に載る。ヘッドルームは前より余裕が出たのに車高は低くなった。フロントシートは6in(152mm)広く、リアシートは8in(203mm)近く広くなったのに車幅は3in(76mm)程狭くなっている。インストゥルメントパネルが4in(102mm)前方に移動したため室内長とレッグルームが長くなり、コロネットとメドウブルックシリーズのホイールベースは4in延長されたが、全長は逆に1in短くなった。旧型の230cid(3769cc)直列6気筒Lヘッド103馬力エンジン+フルードカップリング+3速MTを積む。コロネットシリーズには「Gyro-matic」3速セミATがオプション設定されていた。

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買ってよかったと思える、かつてなかったほど多くの仕掛けを紹介している。中でも注目したいのは、従来のスターターボタンを廃し、イグニッションとスタータースイッチを一体化したのはこの年からであった。また、他のクライスラー系モデル同様、ブレーキシューにライニングを固定する方法が、従来のリベットから接着方式に変更されている。

●デソート

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「あなたを思ってデザインされたクルマ」のキャチコピーと共に、1949年3月になって登場したSecond Series 1949年型デソート。モデルバリエーションはホイールベース125.5in(3188mm)のデラックスモデル4モデルとカスタムシリーズ3モデル。および139.5in(3543mm)のロングホイールベースシャシーに架装されたカスタムモデル2モデルの合計9モデルがラインアップされていた。エンジンは236.7cid(3867cc)直列6気筒Lヘッド112馬力を積む。
 デソートにはほかに輸出用としてプリムスをベースに、デソートのグリルなどを付けたディプロマットシリーズが存在するが、ここでは割愛する。

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デソートのカタログモデルとしてははじめてのデラックスステーションワゴン。スチールボディーにホワイトアッシュのフレームと木目調のパネルを貼ったボディーはインディアナ州のクライスラー社エバンスビル工場で架装された。3列シート9人乗りで、セカンドシートは図のように2分割され、サードシートへの乗降がしやすいよう折りたたむことができた。登場したのは1949年7月と遅く、価格は2959ドルで販売台数は850台であった。

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上の2点は1949年型のラインアップに新しく加わったデラックスモデルのキャリーオールセダン。6人乗りの後席を折りたたむと、トランクと一体となった約8ft(2438mm)のカーゴフロアが出現するユニークな仕掛けであった。同じ年にカイザーからもトラベラー/バガボンドの名前で同様のモデルが発売されたが、カイザーではリアウインドーもトランクリッドの前半分と一体で上に開き使い勝手は良かったであろう。このモデルも発売は遅く、2191ドルのプライスタグをつけ2690台売れた。デラックスモデルにはほかに4ドアセダン(1986ドル)と2ドアクラブクーペ(1976ドル)がラインアップされていた。

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これは上級グレードの1949年型デソート カスタム4ドアセダン。価格2174ドル。デソートのベストセラーモデルで約4万8600台売れた。

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これはカスタム2ドアクラブクーペで価格は2156ドル。

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これはカスタムコンバーティブルで価格2578ドル、販売台数3385台。

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これは139.5inのロングホイールベースシャシーに架装されたサバーバン。3列シート9人乗りで、サードシートを折りたたみ、セカンドシートを前方へスライドさせると約80cu.ft.(2265ℓ=2.27㎥)の荷室空間が得られた。ルーフには荷物を載せるため木製のスラットと固定用のクロームのレールが標準装備されていた。価格は1949年型デソートで最も高価な3179ドル。生産台数はわずか129台。

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これもホイールベース139.5inのカスタム8パッセンジャーセダン。価格2863ドル、生産台数342台。

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上の2点は1949年型デソート カスタムの運転席周りと、ウインドシールドの面積は24%、ワイパーの払拭面積は44%アップしたと訴求するなど、セールスポイントとなる部位を紹介している。

●クライスラー
 クライスラーにとって1949年は、1924年にマクスウエル・チャルマーズ社(Maxwell-Chalmers Corp.)からクライスラーのブランド名のクルマを発売して25周年の記念すべき年であった。そして、1925年6月、マクスウエル・チャルマーズ社はクライスラー社(Chrysler Corp.)となった。
 1949年型クライスラーのモデルバリエーションは、6気筒エンジンを積むC-45シリーズと8気筒エンジンを積むC-46シリーズおよびC-47シリーズ(クラウンインペリアル)の3つのメインシリーズがあり。サブシリーズとしてホイールベース:WB 125.5in(3188mm)/139.5in(3543mm)のC-45シリーズにはロイヤルおよびウインザーシリーズ、WB 131.5in(3340mm)のC-46シリーズにはサラトガ、ニューヨーカーおよびタウン&カントリーシリーズがラインアップされていた。

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「SILVER ANNIVERSARY MODELS」と書かれた1949年型クライスラーのカタログから、これは4ドアセダンで価格はロイヤル2134ドル、ウインザー2329ドル、サラトガ2610ドル、ニューヨーカー2726ドルで、ベストセラーはウインザーで約5万6000台売れている。この絵はサラトガ。

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上段のコンバーティブルはウインザー2741ドル、ニューヨーカー3206ドルで、生産台数はそれぞれ3234台、1137台。下段のクラブクーペはロイヤル2114ドル、ウインザー2308ドル、サラトガ2585ドル、ニューヨーカー2700ドルで、ベストセラーはウインザーの約1万8000台。絵はいずれもニューヨーカー。

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上段左は1942年型を最後に途絶えていたステーションワゴンが復活した。ウインザーシリーズのみで9人乗り。ボディーはオールスチール製でホワイトアッシュのフレームを取り付けたもので価格は3121ドル、生産台数850台。上段右はタウン&カントリーコンバーティブルで、クライスラー最後のウッディーコンバーティブルとなった。価格は3970ドル、生産台数1000台(993台とする史料もある)。
 下段右はタウン&カントリーニューポート称するハードトップモデルだが、クライスラーは1946年からハードトップをカタログに載せてきたが、1949年型も生産されることは無かった。下段左はWB 139.5inのシャシーに架装された8パッセンジャーセダンでロイヤル2823ドル、生産台数185台、ウインザー3017ドル、373台、ウインザーリムジン3144ドル、73台であった。絵はウインザーで、リムジンはフロントシート後ろにガラスのパーティションが装備される。

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エンジンは250.6cid(4107cc)直列6気筒116馬力および323.5cid(5301cc)直列8気筒135馬力。トランスミッションは11年前から使われてきた「PRESTOMATIC」3速セミATを積む。

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上の2点は1949年型クライスラー クラウンインペリアル8パッセンジャー リムジン/セダン。ホイールベース145.5in(3696mm)のシャシーに架装され、全長229.5in(5829mm)、リムジンの車両重量は5295lb(2402kg)という巨体。価格と生産台数はリムジンが5334ドルで45台、セダンは5229ドルで40台であった。

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これはニューヨーカーをベースに、内装をインペリアルと同じものに換装し、ルーフにはハーツ社(Haartz Corp.)製の幌用生地を貼った特別モデルで、架装はペンシルベニア州ローズモントのダーハム社(Derham Body Co.)が担当した。ボディーには「New Yorker」のネームプレートが付いているが、「クライスラー インペリアル エイト セダン」と呼ばれている。価格は4665ドルで、生産台数は50台という超希少車である。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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