第134回 よみがえったプリンス1900スプリント

2023年10月17日

 2023年10月12日(木)、自宅から約2時間半かけて横浜の日産本社ショールームにたどり着いた。コロナで外出の機会がほとんど無くなったせいか、歳のせいか、運動不足のせいか、足回りにガタがきて歩行がつらく、訪問をあきらめていたのだが、プロジェクトにも参画され、シェークダウンにも立ち会われたという、近くに住む友人の日置和夫さんから電話があり、話を聞いているうちに、この機会を逃すともう会えないかもしれないと思い、重い腰を上げたのであった。想像以上の完成度の高さであり、出かけてよかったと満足している。

 お目当てのクルマは、プリンス自動車工業が1963(昭和38)年10月に東京・晴海で開催された第10回全日本自動車ショーに出展したコンセプトカー「プリンス1900スプリント」を再現したレプリカ。熱烈なプリンス愛好家の田中裕司さんが私財を投じて製作したもので、10月24日(火)まで日産本社ショールームに、ベースとなった2代目スカイライン(S50)、スカイラインスポーツ(BLRA-3)とともに展示されている。プリンス・日産の遺産継承、歴史伝承に心を砕いていただいた田中さんに感謝します。

 以下に、実車の写真と解説スライドショーの一部を紹介する。

レプリカ製作の経緯と作業内容

 2020年9月、田中さんから日産アーカイブズへ、レプリカ製作に必要な図面・情報等の提供依頼の電話から、このプロジェクトが始まり、日産および関連会社のデザイン部門も協力しつつ製作が進み、2023年5月、鈴鹿サーキットでシェークダウンがおこなわれ、正式に発表された。

オリジナルとレプリカの比較

 左側がオリジナル、右側が今回製作されたレプリカ。

プリンス1900スプリント(オリジナル)誕生の経緯

 1955年に通産省が打ち出した「国民車構想」に基づいて、プリンス自動車工業が1959年に、FG2D型601cc空冷水平対向2気筒24馬力を積んだ、全長×全幅が3180×1360mmの小型リアエンジン車(DPSK)を開発。1960年にエンジンをFG4C型599cc空冷水平対向4気筒38馬力に換装したCPSKを完成した。

 そして、このCPSKをベースに、イタリアの著名なデザイナー、フランコ・スカリオーネ(Franco Scaglione)とプリンス意匠設計課の井上猛が協業でデザインしたのが、1961年の2ドア4人乗りのコンセプト(CPRB)で、1900スプリントのスタイリングの原案であった。CPRBはイタリアでコンプリートせず、線図、木型、ホワイトボディーを1組購入し、プリンス社内でコンプリートカーに仕上げている。

 ところが、CPRBはベース車CPSKの開発中止で発表の機会を失ったことから、代わりに2代目スカイライン1500(S50)をベースにしたスポーツカー製作計画が浮上、再度スカリオーネに依頼すべくコンタクトを試みたが、その頃スカリオーネとはコンタクトがとれず、井上猛がスカリオーネの事務所で研修を受けながら働いていた際に、紙に写し取ってきた曲線をもとに、試作課で木製のカーブ定規を作り、井上一人でオリジナルの持つ雰囲気を壊さぬようスケールアップした線図を作成した。この線図に従ってイタリアから購入したCPRB用木型を1900スプリント(R52)用に改造。この木型をもとに1900スプリントのボディーが製作された。エンジンは1.5Lからスカイラインスポーツと同型のGB4型1862cc水冷直列4気筒が積まれた。

このレンダリングには「F. Scaglione、T. Inoue、 1963」のサインがある。

上の2点は木型の改造とボディー製作。

上の5点はオリジナルのプリンス1900スプリント。

1963年10月に東京・晴海で開催された第10回全日本自動車ショーに出展したプリンス1900スプリント。

第10回全日本自動車ショーで2代目スカイライン1500デラックス(S50D)2台とともに、ターンテーブル上で熱い視線を浴びるプリンス1900スプリント。

プリンス社報 1963年12月号の表紙を飾るプリンス1900スプリント。後方のクルマはスカイラインスポーツ。

プリンス1900スプリント(オリジナル)のカラーショット。

上の2点は同時に展示されていたスカイラインスポーツ(BLRA-3)。

 プリンス1900スプリントの日産本社での展示は10月30日(月)までの予定であり、プリンスファンには一見の価値ありと思いますので、情報提供のためM-BASEへのアップロードを早めました。

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