第133回 キャディラックのコンパニオンカー「ラサール」の広告

2023年9月27日

 今回は高島鎮雄さんから頂戴したスクラップブックの中から、キャディラックのコンパニオンカー(姉妹車)であったラサールの1927年、および1928年に発行された広告を紹介する。一連の広告は「THE SATURDAY EVENING POST」誌に、アメリカのイラストレーター、エドワード・ウイルソン(Edward Arthur Wilson)のすばらしいアート作品として展開されており、いまから96~95年前の貴重な広告史料を楽しんでほしい。

 ラサール(LaSalle)はキャディラックの最も安価なモデル2995ドル(1927年型)とビュイックの最も高価なモデル1995ドル(1927年型)のギャップを埋めるために、1927年3月、キャディラックのシルバー・アニバーサリーを記念してキャディラック・モーターカー社から発売された。ハンサムなスタイルと廉価(2495~2685ドル)なことから、大衆に熱狂的に迎えられた。

 ラサールをデザインしたのはハーリー・アール(Harley J. Earl)で、彼はカリフォルニア州最大のキャディラック・ディストリビューターのカスタムカー・ディビジョンであったドン・リー・スタジオ(Don Lee Studio)のデザイナーであり、多くのキャディラックそのほか高級車のカスタムボディーのデザインを手掛けていた。彼のデザインセンスが評価され、キャディラックの新しいコンパニオンカーであるラサールのデザインを依頼されたのである。

 その後、1927年6月にGM最初のデザイン部門「アート&カラー セクション」が設定され、最初のボスとしてハーリー・アールが就任し、1958年にリタイアするまでの31年間GMデザインを率いた。1927年型ラサールは彼がGMのためにデザインした最初の量産車で、GMに入社する前にコンサルタントとして完成させたものであり、彼のお気に入りであったイスパノ・スイザの影響が色濃く表れている。

 1940年9月、ハーリー・アールはGMのデザイン担当副社長に就任した。この発表はライバルの自動車メーカーに驚きをもって受け止められた。アメリカの大手自動車メーカーで、デザイナーにこれほど高い地位を与えたのは初めてのことであった。噂では、ハーリーの妻スー(Sue)・アールとエドセルの妻エレノア(Eleanor)・フォードはカードゲームのブリッジを一緒に楽しむ友達であり、ハーリー・アールをフォードに引き抜かれることを危惧したための措置ではないかと言われていた。

これは1927年5月14日号に掲載された広告。「ロンドンに向けて」と題されたイラストには、4人乗りのラサール シリーズ303 フェートン(価格2495ドル)と1919年に初飛行し、1921年に発表された英国のハンドレページW.8(Handley Page W.8)旅客機が描かれている。コピーは「卓越したスマートさとパフォーマンスの輝きにおいて、ラサールは今朝の太陽のように新しいが、上質で揺るぎないサービスの保証においては、キャディラック自身の25年にわたる名声と責任と同じくらい古い。」「ラサールは、キャディラックが過去14年間、25万台の8気筒90度V型車を製造するなかで磨き続け、改良してきたエンジニアリングの原理と正確な手法の幸運な受益車である。」とある。そして価格は2495~2685ドルf.o.b.デトロイトとあり、フェートンはロードスターより30ドルも安い、最も安価なモデルであった。ホイールベース125in(3175mm)のシャシーに、303cid(4965cc)V型8気筒75馬力エンジンを積む。

これは1927年5月28日号に掲載された広告。このクルマはホイールベース134in(3404mm)の特別シャシーに架装された限定モデルで、7人乗りセダン(価格2795ドル)。ほかにパーティション付きの5人乗りインペリアルセダン(2795ドル)および7人乗りインペリアルセダン(2895ドル)の3モデルが134inホイールベースシャシーに架装された。いずれもボディーはフィッシャー製。

 この広告では分割払いのプランが紹介されており「中古車(下取り車)の査定額を現金に換えることができるため、少額の頭金で、ゼネラルモーターズ・アクセプタンス・コーポレーションの自由な期間支払いプラン、有名なG.M.A.C.プランでラサールを所有することができます。」とある。

これは1927年6月17日号に掲載された広告。「パリの中心」と題するイラストはバンドーム広場が描かれ、クルマはコンバーティブルクーペで価格は2635ドル。

これは1927年6月25日号に掲載された広告。イラストのタイトルは「ピレネー山脈」?? クルマはビクトリアで価格は2635ドル。

これは1927年7月2日号に掲載された広告。どうやら道を尋ねている様子だが、分からないようだ。「わかるか?」のタイトルが付いたイラストのクルマは2人乗りクーペ(2585ドル)。ランブルシートの人と会話ができるようリアウインドーはロールダウンできた。カラーコンビネーションにも注目してほしい。

これは1927年7月16日号に掲載された広告。骨董屋の古い建物の前を通り過ぎる最新型(1927年型)ラサール・ロードスター(2525ドル)。イラストのタイトルは「新しいものと古いもの」。

これは1927年7月30日号に掲載された広告。道端でカゴに入ったトマト?カキ?を売る女性と価格交渉をする男女。イラストのタイトルは「これで決まりだ」。路肩に止めた4人乗りフェートン(2495ドル)に残った3人の視線の先では5人が川で洗濯をしている。それにしても、4人乗りフェートンの絵に大人5人を描いて雑誌に載せるなんて今では考えられない。しかし、2人は車外にいるので5人乗りをした証拠にはならない。一人は歩いてきたのかも? あるいは、大人5人でも楽ちんに乗れますよということを訴求しているのかも?

 広告には物語が織り込まれており、想像力を鍛えるには格好の代物です。想像力をフルに働かせて楽しんでください。

これは1927年8月13日号に掲載された広告。「到着」のタイトルで描かれたイラストの主役は、ホイールベース134in(3404mm)の特別シャシーに架装された限定モデルで、7人乗りセダン(価格2795ドル)。

 コピーは「ラサールの需要が伸びる、そして伸びる理由」のタイトルで「昨年春、キャディラックの新しいコンパニオンカーがデビューしたとき、その新鮮な気品と美しさは瞬く間に受け入れられた。世界中の聡明なモータリストたちが一目でこの車を購入した。しかし、どの地域でもラサールの売れ行きが伸びているのは、性能の高さによるところが大きい。魔法のようなハンドリングのしやすさ、まれに見るギアシフトのスムーズさ、ステアリングを握ったときの新鮮で楽しい感触、これらはラサールの特徴であり、パイオニアである購入者たちの抑えきれない熱意によって、何千人もの人々がラサールを所有するようになったのである。もちろん、ラサールは決して実験車ではない。キャディラックを祖先とするこの車は、90度V型8気筒エンジンを搭載するという点でキャディラックと共通している。」とある。

これは1927年8月27日号に掲載された広告。「ル・ムーラン」のタイトルが付いたイラストには4人乗りビクトリア(2635ドル)。リアクォーターにランドージョイントを配するなどカスタム風の演出に注目。

これは1927年9月10日号に掲載された広告。「美しさと実用性」と題するイラストにはコンバーティブルクーペ(2635ドル)が描かれている。

 コピーは「自動車運転の新しい楽しみ」と題し、「自動車を運転することは、単に旅行の単調な必要性を達成するためではなく、運転することの純粋な楽しみのためであり、ラサールによってまったく新しい刺激と興味を与えられた。ラサールの完璧な身のこなしと扱いやすさは、それ自体が喜びであり、ハンドルを握る者は無意識のうちに、クルマの生命力と浮揚感から精神を吸収する。キャディラックで生まれ、キャディラックで育ち、キャディラックで作られたラサールは、90度V型8気筒エンジンを搭載し、男女を問わずモータリングへの欲求を再び掻き立てる。」とある。

これは1927年11月5日号に掲載された広告。「新着情報」と題するイラストと「どこのスマートサークルでもお気に入り」のキャッチコピー。新しいラサールを買ったという噂を聞いて、近所の人たちが興味津々? クルマは4人乗りビクトリア(2635ドル)。オプションのソリッドディスクホイールを履いている。

これは1927年12月3日号に掲載された広告。クルマはホイールベース134inのシャシーにフィッシャー製ボディーが架装された、1928年型ラサール 7人乗りスタンダードセダン(2775ドル)。1928年型ではインペリアルセダンは廃止され、7人乗りファミリーセダン(2575ドル)がラインアップされた。1928年型はフードサイドのルーバーの数が1927年型の12本から28本に増えたので容易に識別できた。

これは1927年12月3日号に掲載されたフィッシャー・フリートウッドの広告。このイラストはマクレランド・バークレイ(MaClelland Barclay)の作品。クルマはフリートウッドでボディー架装をおこなったカスタムトランスフォーマブル タウンカブリオレでホイールベース125inが4700ドル、134inは4900ドルで、ラサールのなかで最も高価なモデルであった。コピーは「アメリカの自動車愛好家にとって、フィッシャーとフリートウッドほど幸福で有益な名前と組織の組み合わせはないだろう。この2つの有名なボディービルダーは、その芸術性と卓越した職人技を融合させ、今日、アメリカの目の肥えた大衆に提供される最高級のカスタムボディーを作り出している。その結果は、ラサールという素晴らしい自動車と、フィッシャー・フリートウッドのエンブレムを冠したキャディラックという非常に優れた豪華な自動車から生まれた、フィッシャー・フリートウッド社のカスタムボディーの光り輝く美しさと豪華な装飾を見れば一目瞭然である。」とある。

これは1928年1月7日号に掲載された広告。ロンドンのスレッドニードル ストリートにあるイングランド銀行の前に駐車しているのは、5人乗りタウンセダン(2495ドル)。ウッドホイール、ホワイトサイドウォールタイヤなどはオプション。

これは1928年1月28日号に掲載された広告。95年前のサンモリッツで二人のスキーヤーをけん引するのは、フィッシャーボディーの2人乗りクーペ(2350ドル)。

これは1928年2月25日号に掲載された広告。134inホイールベースのシャシーにフィッシャー製ボディーを架装した7人乗りセダンで、スタンダードセダン(2775ドル)とファミリーセダン(2575ドル)が設定されていた。

これは1928年3月24日号に掲載された広告。クルマは4人乗りフェートン(2485ドル)。ほかにグレードの高いスポーツフェートン(2975ドル)が設定されていた。フォールディング・トランクラックはオプション。

これは1928年5月19日号に掲載された広告。95年前のフランス、ニースのプロムナード・デ・ザングレで一息ついているのは、1928年型ラサール ロードスター(2485ドル)。

 コピーに目をやると「ラサールがどこにあろうとも、またどのような装いであろうとも、人々の目を惹きつけてやまないのは必然なのかもしれない……高級車を愛する人々は、ラサールの新鮮さ、鮮やかさ、ライン、カラーリング、アポイントメントの自発性を模倣しようとしても、混乱することはないのだから….. 1年前のラサールは、高級車の分野で最も歴史があり、最も優れた企業がスポンサーを務めていたにもかかわらず、新しい名前だった。ラサールは今日でも、登場した当時と同じように、自動車のデザイン、服装、性能における新しい明日を象徴している。」とあり、下段に小さく、

 「ラサールの全ラインアップが大幅に値下げされたことで、ラサールの卓越性、威信、比類のないラグジュアリーな自動車が、キャディラック製自動車を所有したいというほぼすべての人々の憧れを満たすことができる価格で入手できるようになりました。2350~2875ドル、デトロイト渡し。5人乗りファミリー・セダンを含む5つの新モデル。収入から購入したい場合、ゼネラルモーターズ・プランは非常に自由である。愛車の査定額が現金として認められる。」とあり、コピーの内容が以前とは違ってきている。

これは1928年6月16日号に掲載された広告。漁港にやってきたのは1928年型ラサール タウンセダン(2650ドル)。ワイヤホイール、スペアタイヤのサイドマウント、フォールディング・トランクラックなどはオプションであった。

これは1928年8月11日号に掲載された広告。「静寂」のなかを静かに進むのは2+2人乗りロードスター。ランブルシートにもひとり乗った珍しいシーン。ランブルシートへの乗り降りは右側のリアフェンダーについた足を掛けるステップを使っておこなった。左側にはステップは無い。犬が重そうな荷車をひいているのは驚きだ。

これは1928年9月22日号に掲載された広告。95年前に描かれたベルギーの「ブルッヘの鐘楼」と題するイラストの主役になったのは、1929年型ラサール シリーズ328の7人乗りセダン(2775ドル)。1929年型はエンジンを303cid V8、75馬力から328cid(5375cc)V8、85馬力に強化し、ホイールベースもロードスターとフェートンを除いて134in(3404mm)を採用(フリートウッド製ボディーを架装したタウンカブリオレに125inが残っていた)。

1927年型ラサール ロードスター。ステアリングを握るのはハーリー・アール。(photo:GM)

上の2点は筆者がGMヘリティッジセンター訪問時に撮影した、1927年型ラサール コンバーティブルクーペ。

 キャディラックのコンパニオンカーとしてのラサールは、発売当初は順調に見えたが、1929年の大恐慌を機に苦戦を強いられる。モデルバリエーションの整理と低い価格設定で頑張るが、最も悩ましいのは高級車としてのネームバリューであったようだ。キャディラックの工場で造っているといくら訴求しても、ラサールはラサールであったようだ。解決策として打ち出されたのがキャディラックの名前で廉価版を出すことであった。そして登場したのが1940年に発売されたキャディラック シリーズ62であり、ラサールの生産を中止した1941年に登場したシリーズ61であった。ラサールの一生を想像する資料として、歴代ラサールとキャディラック62および61登場時の価格帯と生産台数を表にまとめてみた。

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