第132回 サンビーム タイガー

2023年8月27日

 サンビーム タイガーの開発は、1964年のニューヨーク国際オートショーに登場する直前まで、「サンダーボルト(Thunderbolt)」プロジェクトとして進められてきた。量産の最終承認を与える段階で、1926年に製作されたサンビーム タイガー V12 レーシング/レコードカーにインスパイアされた、ルーツグループの総師ルーツ卿によって「タイガー」に変更されたのである。

 アメリカ市場では4気筒のサンビーム アルパインのレースでの非力さが指摘されていたが、1962年にキャロル・シェルビーが開発したAC Cobraが登場したのを見て、ルーツモータースのアメリカ西海岸地域代表イアン・ギャラッド(Ian Garrad)(ルーツグループのコンペティションマネージャーNorman Garradの息子)は、ACの代わりに、Sunbeam AlpineをベースにフォードV8を積んだ「Sunbeam Thunderbolt」ができないか、シェルビーアメリカン社を訪ね、キャロル・シェルビーとフォードからの派遣者にプロトタイプの製作とフォードV8エンジン供給の可能性を打診した。1963年2月のことであった。

 1963年3月にはシェルビーアメリカンとプロトタイプ製作の契約を締結。コストは1万ドル、製作期間はわずか8週間であった。同年4月にはプロトタイプの試験走行を開始している。

 つぎに、どこで造るかについては、シェルビーが乗り気で、第1ロットとしてサンビーム アルパイン100台を購入して、V8のサンビーム サンダーボルトにコンバートするという提案が出された。AC Cobraの生産を行っていたが、ベースとなるAC車の生産が少なく、シェルビーアメリカンとしては量産が見込めるサンビームに期待したのである。しかし、この頃シェルビーはフォードモーター社との関係が密になりつつあり、極秘の開発業務なども委託されることなどから、契約には至らなかった。もちろん、シェルビーにはロイヤルティーが支払われたであろう。アメリカ国内でシェルビー以外の拠点についても検討されたが見つからなかった。

 最終的に、英国のジェンセンカーズ社(Jensen Cars Ltd.)に委託することに決定した。当時、ジェンセンではオースチン・ヒーレー3000のボディー組み立てを行っていたが、ボルボP1800の生産は1963年3月に契約終了しており、ジェンセンにとっても好都合であった。

 1963年11月にはジェンセン製プロトタイプが完成。1964年4月、ニューヨーク国際オートショーでサンビーム タイガー名で発表。1964年6月、生産開始した。

カナダ向けサンビーム タイガーV8のカタログ2点

1964年にRootes Motors(Canada) Ltd.から発行されたサンビームの総合カタログのタイガーのページ。表紙には「賢い人が飼っているペットたち!」とあり、タイガーのページには「タイガーを想像するだけでよい」のコピーと「古いイギリス映画か、それともビキニ姿のブロンド美女がペットのタイガーを連れてリビングルームを走り回る姿、あなたはどちらを見たいか? ビキニ姿の金髪美女がペットのタイガーを連れているのを見るチャンスは、そうそうない。タイガーがサンビーム社製であることを彼女は知っている。(タイガーを操ることが簡単なことだとは思わないでほしい。傷の数を数えてみてください。)」に続いて、V8の強烈なパワーを訴求している。

1965年にRootes Motors Overseas Ltd.から発行されたカナダ向けサンビーム総合カタログのタイガーのページ。フォードの260cid(4261cc)軽量V8 164hp/4400rpmエンジンを積み、巡航速度115mph(185km/h)、最高速度125mph(201km/h)。「タイガーはエンスージアストのクルマだ。」とある。レースの戦績について、完全優勝、クラス優勝などが列記されている。

右ハンドル仕様タイガーのカタログ

サンビーム タイガーの販売は北米を優先したため、英国向けなどの右ハンドル仕様の発売は1965年3月であった。エンジンはフォード製260cid(4261cc)(ボア×ストローク:96.5×73mm)V型8気筒OHV、圧縮比8.8:1、フォード製ツインチョークキャブレター、164hp/4400rpm+フォード製4速フルシンクロMTを積む(間に合わなかったため、ごく初期のクルマにはボルグワーナー製が積まれていた)。エンジンはフル装備重量約200kgと軽量であった。サイズもアルパインの4気筒より長さが89mm長く、51mm高い程度のコンパクトなエンジンであった。いろいろなエンジンを検討したがこのエンジン以外は搭載不可能であったという。エンジンにも修正が加えられており、ウォーターポンプ、クランクシャフトプーリー、発電機ブラケットの変更、機械式燃料ポンプ取り外し、オイルフィルターの位置変更、排気マニフォールドの形状変更などがある。

 車両としての主な変更点は、ラジエータの大型化と前方への移動、ステアリングシステムをリサーキュレーティングボール式からラックアンドピニオン式に変更、リアサスにパナールロッド追加、スペアタイヤとバッテリー搭載位置の変更、これらの変更に伴うボディーの修正など。

欧州向け左ハンドル仕様のカタログ

北米、英国向け以外の地域向けには「Sunbeam Alpine V8」あるいはエンジン排気量から「Sunbeam Alpine 260」の呼称が使われていた。サイズは全長3960mm、全幅1540mm、全高1310mm(幌を上げた状態)、ホイールベース2180mm。車両重量1007kg。左右リアフェンダー内にあるのは燃料タンク。

サンビーム タイガーのプレスフォト

V8エンジンはバルクヘッドぎりぎりに収められている。トランク内右奥のでっぱりはバッテリーカバー。スピードメータのフルスケールは140mph(225km/h)(4気筒車は120mph(193km/h)であった)タコメーターのフルスケールは5500rpm(4気筒車は6000rpm)。

1964年ルマン24時間レース参戦車

 1964年のルマンに参戦するためサンビーム タイガーをベースにしたファーストバッククーペが3台製作された。エンジンはシェルビーチューンのフォード260cid(4261cc)V型8気筒OHV、4バレルFord-Carterキャブレター280hp(ネット)+ボルグワーナー製4速フルシンクロMTを積む。ボディーの架装は英国の著名なレーシングカービルダーであったブライアン・リスター(Brian Lister)のリスターモーター社で行われた、スチールモノコック構造であった。出場した2台は、8号車(登録No. ADU 179B)が37周/4時間、9号車(登録No. ADU 180B)が118周/10時間でリタイア。いずれもエンジントラブルであった。写真の登録No. 7734 KVはテスト車両でルマンレースには参戦していない。

 この年のルマンは打倒フェラーリを掲げてフォードGT40が大挙して挑戦したが、ことごとくリタイアして惨敗であった。悲願達成したのは1966年でフォードGT40 MkⅡが1位から3位を独占している。

サンビーム タイガーV8プロトタイプの脇に立つのは、ルーツグループ・コンペティションズマネージャー、マーカス・チャンバース(Marcus Chambers)とレーシングドライバー、ケイス・バリサット(Keith Ballisat)。

サンビーム タイガー MkⅡ(1967年)

 フォードは1966年型から260cid V8に代えて新型289cid V8を採用したため、サンビーム タイガーも289cid(4736cc)V8エンジンに変更してタイガー MkⅡとなった。下に載せたカタログは欧州向け独語版だが、「Sunbeam Alpine V8 MkⅡ」と名乗り、表紙のイラストはMkⅠを修正して使用している。ただ、タイガーMKⅡが販売されたのは北米のみとの説もある。

 ルーツグループの経営権はすでに米国のクライスラー社に移っており、利益を生まないサンビーム タイガーの生産を続ける意思はなく、1966年12月に生産開始し、1967年6月には生産終了と短命であった。

Sunbeam Alpine V8 MkⅡのエンジンは289cid(4736cc)(ボア×ストローク:101.6×73mm)V型8気筒OHV、圧縮比9.3:1、フォード製ツインチョークキャブレター、202ps/4400rpm+フォード製4速フルシンクロMTを積む。車両重量は1167kg。MkⅠとの外観上の違いは格子状グリル、海外ではエッグクレート(卵の木枠)グリルと称する、の採用と空力性能向上のためヘッドランプカウルが廃止されている。

サンビーム タイガー MkⅡのプレスフォト。ハードトップはオプション。米国での販売価格は3842ドルであった。

 サンビーム タイガーの生産台数は、

 サンビーム タイガーの販売が低調だった最大の原因は、1964年4月に登場したマスタングの存在が考えられる。タイガーMkⅡが発売されたとき、1967年型マスタングコンバーティブルの200cid(3277cc)直列6気筒エンジン搭載ベースモデルの価格は2698ドル(ハードトップは2461ドル)であり、これにオプションでタイガーと同じ289cid V8エンジンの200psバージョンが106ドル、225psバージョンが158ドル、271psバージョン+GT仕様が434ドルを追加するだけで手にすることができた。

サンビーム タイガーのレース、ラリーシーン

詳細は不明だが、レースで疾走するサンビーム タイガー。

サンビーム タイガーは多くのラリーに参戦しているが、これは1965年1月に開催された第34回モンテカルロラリーに参加したタイガー。イアン・ホール(Ian Hall、右ドアサイド)/ピーター・ハーパー(Peter/Harper、左ドアサイド)組で、GTクラス2500cc以上でクラス優勝、総合4位を獲得した。

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