三樹書房
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第52回 D項-5 デ・トマゾ
2017.3.27

.........................(00) デトマソのエンブレム - コピー.jpg

「デ・トマゾ」と言う車はイタリア製の車であることは間違えない。しかしこの車を造ったのは「アレッサンドロ・デ・トマゾ」と言う名のアルゼンチン人だ。と言っても彼の祖父母はイタリアからの移民だったからイタリア系アルゼンチン人で、体の中にはイタリア人の血が流れていた。1928年ブエノスアイレスの生まれで、父は次期社会党党首と目される有能な政治家だったがアレッサンドロが20才の時暗殺され、アルゼンチンは独裁者「ペロン政権下に置かれた。デ・トマゾ家は財産を剥奪され苦境に立たされるが、元々オートバイ好きだったアレッサンドロは、アルゼンチンでレーシング・ドライバーとして頭角を現す。アルゼンチンはペロン大統領が車好きだったこともあってか「ブルー&イエロー」の「ナショナル・レーシング・カラー」を持つほど自動車レースが普及していた。しかし、ペロン政権の独裁に対して1951年と55年クーデター未遂騒ぎが起き、そのどちらかに関わったようで、アレッサンドロは国外へ脱出することになった。この当時同じオートバイ好きの仲間にキューバの革命家「チェ・ゲバラ」がおり思想的な影響を受けた可能性がある。祖父母の国イタリアに渡ったアレッサンドロはモデナの「マセラティ」にメカニックとして採用されたが、アルゼンチンでの経験を買われドライバーとしてもレースに参加している。「マセラティ」の他「オスカ」でもスポーツカー・レースに出ていたようだが特に活躍したという記録は見つからなかった。F1のドライバーとしては1957年アルゼンチンGPで9位、1959年アメリカGPで予選14位、決勝リタイアと言う結果が残っている。この間にアメリカの女性ドライバー「エリザベス・ハスケル」(後年イザベルと改名)と出会い1957年結婚した。彼女はニュージャージーの大富豪の娘で、1960年にはその後ろ盾があってモデナに「デ・トマゾ社」を設立し、「ドライバー」から「コンストラクター」に転身した。元々ミッドシップ・エンジンに強いこだわりを持っており、又ビギナーのための「安価」なレーシングカー造りを目指していたから、手始めに造られたのはフィアット製の1.1リッターエンジンを積んだ「アイシス」と名付けられたフォミュラー・ジュニアのマシンだった。その後「F2」「F1」と発展したが、エンジンはコストを抑えるために既存の4気筒OHC 1.5リッター「オスカ」か、1.3リッターのアルファ・ロメオ ジュリエッタ用をボア・アップして使われた。しかしエンジンの非力は目に見えているからこれを買ってF1に挑戦するものは殆どいなかった。最終的には1970年「ウイリアムズ」チームが「デ・トマゾのシャシー/ボディ」に「コスワースDFVエンジン」+「ヒューランド・ギアボックス」で戦闘力を強化し「デ・トマゾ505フォード」として参戦したが、第5戦「オランダGP」でドライバーが死亡する大事故を起こし、「デ・トマゾ」のフォミュラー・カーはこれが最後となった。
*(DeTomasoの日本語読みは「デ・トマソ」と濁らないのが多いが、イタリア語の「S」は後ろに母音がある場合は濁るとどこかで聞いたような気がするし、事実僕はイタリアでは「ミスター・アザイ」と呼ばれたので、本項では「デ・トマゾ」と表記した)


 < ヴァレルンガ > 1964~68 生産台数53台
1960 年代の初め、フォミュラー・マシンで低迷している頃、妻イザベルの人脈で当時フォード社の副社長だった「リー・アイアコッカ」と出会う。アイアコッカはルマンを制した「フォードGT40」のレプリカを、デ・トマゾはミッドシップの高性能スポーツカーをと、それぞれが共通した構想を持っていたから量産ミッドシップ・スポーツカーの開発に合意した。その結果誕生したのが「ヴァレルンガ」で、車名の由来はローマにあるサーキットから採ったもの。エンジンは英フォード116Eがベースで、OHV 直列4気筒 1498cc 、キャブレターはダブルチョーク・ウエーバー40DCOE×2 出力は標準仕様が圧縮比9.8で102hp/rpm、最高速度は208km/h(フル.・チューンで135hp,230km/h)だった。「ヴァレルンガ」はミッドシップの市販車としてはフランスの「ルネ・ボネ・ジェット」に次ぐ2台目で、デ・トマゾとしては最初の市販車である。オリジナル・デザインはイタリアの「フィッソーレ」でアルミ製だったが、市販車はFRPとなり、「カロッセリア・ギア」で造られた。
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(写真65-1a~d)1965 De Tomaso Vallelunga (1988-11 モンテ・ミリア/神戸)
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精悍で見るからに速そうだ。巨大なリア・ウインドから中を覗くと剥き出しのエンジンが座席のすぐ後ろに大きなスペイスを占めており、スポーツカーと言うよりはレーシングカーだ。

(写真65-2ab)1967 De Tomaso Vallelunga (1989-11 モンテ・ミリア/神戸)
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このイベントには僅か53台しか造られなかった「ヴァレルンガ」が2台揃って参加していた。

(写真65-3ab)1966 De Tomaso Vallelunga (2010-07 東京コンクールデレガンス/お台場)
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この車は比較的最近撮影したものだが、同じ赤でも年式が違うので最初の車とは別のようだ。

< マングスタ > 1967~71 生産台数 約400台
前作の「ヴァレルンガ」が余りにもマニアックでスポーツカーと言うよりは殆どレーシングカーだった事から、より普遍性の高いスポーツカー(スーパーカー)の線を狙ったのが「マングスタ」で、シャシーは「ヴァレルンガ」を忠実に拡大したものが使われ、エンジンは米フォードのOHV V8 4728cc(289cubic inch)、キャブレターはフォード4バレル、出力は圧縮比10.5 で305hp/6200rpmが載せられ, 最高速度は250km/hだった。「マングスタ」の名前の由来は、イタリア語で「マングース」の事で、御存じのように、「マングース」は「コブラ」の天敵、という事は、キャロル・シェルビーが手掛ける同じフォード・エンジンの「A.Cコブラ」を意識した命名と勘繰りたい。(因みにこの車のエンジンは4728ccだが、これはアメリカ風に言えば「289Cubic inch」で、ライバル「AC289」と同じエンジンだ) この車もいわゆる「アングロ・アメリカン」と呼ばれる、ヨーロッパ製のシャシーにアメリカ製の大排気量エンジンを載せた「高性能」で「扱いやすく」、フェラーリやランボルギーニなどに較べれば「格安な」車だから、精密なスポーツカー・エンジンに拘らない人にとっては、見た目もよく絶好のアイテムと言えよう。ボディのデザインは「ジョルジェット・ジウジアーロ」で、「カロッセリア・ギア」で造られた。


(写真67-1abc)1967 De Tomaso Mangusta (1987-01 27th TACSミーティング/明治公園)
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1970代半ばには日本にも正規輸入されていた。写真は1987年1月明治公園で開かれた恒例のミーティングに参加した車を撮影したもの。

(写真67-2ab)1967 De Tomaso Mangusta(2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
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こちらはカリフォルニアで毎年8月に開かれるイタリア車の祭典「コンコルソ・イタリアーナ」に参加していた車で、外見からはフォード・エンジンで走る車とは想像もつかない。

(写真67-3abc)1969 De Tomaso Mangusta (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
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この車の最も特徴的なのはガル・ウイング式に開くリアのカバーで、これならエンジンのメンテナンスもやり易そうだ。


< パンテーラ > 1970~94
フォードは1960年代にフェラーリの買収に失敗したがそれに代わる何かを探っていた。それに対してデ・トマソはマングスタの後継モデルのクレーモデルで売り込みに成功し、その結果1970年ニューヨーク・ショーに登場したのが「パンテーラ」だった。「デ・トマゾ」は 初代「ヴァレルンガ」、その発展型2代目「マングスタ」共に、そのシャシーはバックボーン・フレームに、フォミュラ式の凝ったサスペンションを持つ手のかかるものだったが、3代目の「パンテーラ」は フォードの意向を重視し、生産性とコストを抑えるため、フレーム・フロア・ユニットを主とするモノコックを採用し、後輪懸架もダブルウイッシュボーンとなった。その結果この手の「スーパーカー」としては異例の「大量生産」が可能となり、1万ドルを切り9千ドルと言う破格の低価格で発売された。年間4000台の販売目標を掲げたが、アメリカではまだ「デ・トマゾ」の知名度は低く、フォードのマーキュリー系デーラーを通じて販売することとなった。(因みにマーキュリーにはスポーツバージョンに「クーガー」があり、「パンテーラ(パンサー)」と共にネコ科の猛獣と言う共通点がある) このパンテーラは1970年から94年まで長期にわたって生産された為、その間「パンテーラ」「L」「GTS」「GT4」「GT5」「GT5S」「SI」のモデルが造られた。
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デ・トマゾの大群が集う会場(コンコルソ・イタリアーノ/カルフォルニア)


<パンテーラ(初代)>
(写真70-1ab)1973 De Tomaso Pantera (2004-08 コンコルシ・イタリアーノ/アメリカ)
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この車は車内に提示されていた資料によると1973年製となっているが、1971年にデビューした初代「パンテーラ」に対して最もオリジナリティが高いので最初に取り上げた。メッキのバンパー、ホイール、サイドマーカなどすべてが初期形のままだが、この車の他にもかなりの数の車がワイパー・アームを付けていないのは全く雨の降らない「カリフォルニア仕様」だろうか。エンジンはフォード゙V8 OHV 5796cc圧縮比10.0 330hp/5400rpmで、最高速度は 265km/hだった。

(写真70-2ab)1971 De Tomaso Pantera(2004-08コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
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1971年製のこの車もレース・ナンバーを付け2トーンに塗り分けているが、マフラーを除いては前項の車と同じくオリジナルを保った最初期のタイプだ。

(写真70-3ab)1970 De Tomaso Pantera (2004-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)
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この車もリベットで止めたチン・スポイラーとテールにウイングを持って居るが、ボディは初期型で、ホイールがフェラーリに似た5本足に変えられている。

(写真70-4ab)1972 De Tomaso Pantera (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/カリフォルニア)
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ボディに72とナンバーが入っているが本人の申請も1972年型だった。フロント・ボンネットの窪みと、リアにマフラー冷却等のベンチレーションが開けられている以外は、ホイールも含め、オリジナルだ。

(写真70-5ab)1971 De Tomaso Pantera (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/カリフォルニア)
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前後のバンパーが取り除かれ、ボンネットにエア取り入れ口を付けているが、1971年製の初期形である。

<パンテーラ L>
(写真72-1a~d)1974 De Tomaso Pantera L (2004-08 コンコルソ・イタリアーナ/アメリカ)
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1972年の途中で登場したのがデラックス版「パンテーラ L (Lusso)」だが、「贅沢」と言う割には 扱い易くするため出力を約20%落とし、衝撃吸収バンパーの装着などで100kgも重量が増えてしまったから、内装は別として、性能に関しては贅沢と言うのは苦しい。エンジンはフォード゙V8 OHV 5796cc 圧縮比8.5 268hp /5400rpm(75年からは300hp迄戻す)で、最高速度はは230km/hだった。

<パンテーラ GTS>
(写真73-1ab) 1970 De Tomaso Pantera GTS (1995-0-8 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
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まろやかになってしまった「パンテーラ L」に対して、1973年より戦闘力のあるハイ・パフォーマンス・モデルの「パンテーラ GTS」が登場した。アメリカ仕様とヨーロッパ仕様があり最強モデルは350馬力、最高速度は290km/hとなった。このパワーに対応してタイヤが太くなったため、リベットで止めたオーバーフェンダーが付けられ、猛々しい外観から、いかにも速そうと思わせることに成功した。ボディの下半分が黒で塗装され、強い印象を与える。 


<パンテーラ GT4>
(写真74-1abc)1974 De Tomaso Pantera GT4 (2010-07フェスティバル・オブ・スピード)
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前項の「GTS」をグループ4 仕様のレースカーに仕立てたのが「パンテーラ GT4」で、そのエンジンは通常の「パンテーラ」の倍近い500馬力までチューン・アップされ、より太いタイヤとオーバー・フェンダーが用意された。右ウインドウ後部にレース仕様の給油キャップが付いているのがレースカーの証だ。最高速度は331km/h。1974年レース仕様の車が6台だけ市販された。


<パンテーラ GT5>
(写真80-1ab)1983 De Tomaso Pantera GT-5 (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
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車に貼ってあった年式は1973年となっていてが、この車が誕生したのは1980年なので83年の誤りだろう。「CT4」がワイルドを売りにしたレーシング仕様だったのに対して、「パンテーラGT5」は街乗りを想定したマイルドな外見に仕上げられた。リベット止めが売りだったオーバー・フェンダーはFRPの一体成型でずっとスマートになった。大きな特徴はリアにカウンタック風の大きなウイングが付いたことで見分けやすい。公道での取り扱い易さを重視し出力は330馬力に抑えられているが、それでも最高速度は281キロと十分の速さを持って居る。

<パンテーラ GT5 S>
(写真84-1a~d)1986 De Tomaso Pantera GT-5S  (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ)
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「GT5」のマイナー・チェンジ版が「パンテーラGT5S」で1984年登場した。主な変更点は前後フェンダーの間につながっていたサイドスカートが取り去られたことで、よりすっきりした。パンテーラは1972年以降、アメリカ仕様には衝撃吸収バンパーの装着が義務づけられたが、どのモデルもあまり気にならないよううまくデザインされている。

(写真84-2abc) 1987 De Tomaso Pantera GT-5S (2004-06 フェスティバル・オブスピード)
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同じ「パンテーラGT5S」でもこちらは「ヨーロッパ仕様」だから、衝撃吸収バンパーが付かないオリジナルのスタイルだ。やっぱり余計なものが付かない方が良いことは確かだ。黒いスポーツカーと言うのも精悍でなかなか良いものだ。エンジンには300/350馬力と2種類のチューニングがあった。


< ドーヴィル > 1971~85 総生産台数244台
車名はフランスのリゾート地「ドーヴィル」から採ったもので、1970年トリノ・ショーでデビューし翌71年から市販された。スーパーカーとしては数少ない4ドア5人乗りのセダンでフロント・エンジン/リア・ドライブのオーソドクスな実用性を重視したタイプだ。エンジンは「パンテーラ」と同じフォード製OHV V8 5763cc (531cubic inch)が使用され、330hp/5400rpmで、最高速度は230km/hとされていた。このシャシーはホイールベース縮小し2ドアクーペとして次期モデルの「ロンシャン」にも利用され、1976年以降は傘下に収めた「マセラティ」のV8エンジンを載せて「ジウジアーロ」のボディを被せたものを、「マセラティ・クアトロポルテⅢ」として売り出し、それから後は「ドーヴィル」は受注生産となったから、ますます生産台数はすくなくなり、15年間で僅かに244台しか造られなかった。「ドーヴィル」のボディ・デザインはトム・ジャーダでカロセリア・ギアが製造を担当した。
                         

(写真76-1a~d)1972 De Tomaso Deauville (2010-06 フェスティバル・オブ・スピード)
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デザインはカロセリア・ギアのチーフ・デザイナー「トム・ジャーダ」の手になるものだが、1968年彼が手掛けた「ジャガーXJシリーズⅠ」とよく似ていると言われるだけあって、スーパーカーながら街中で見かけても違和感を感じない、癖のないスタイルだ。主にヨーロッパを対象に販売され、日本には輸入されなかった。


< ロンシャン > 1972~89 総生産台数409台
車名はパリの「ロンシャン競馬場」から採ったもので、1972年デビューしたが、前のモデル「ドーヴィル」が4ドア 5人乗りセダンと言うオーソドックスなものだったので、ホイールベースを詰め2+2のスポーティなクーペにしたのがこの車だ。「ドーヴィル」と並行して長期間販売され、わが国にも正規輸入されたようだが、残念ながら僕のカメラでは捉えていないのでここでお見せする事が出来ない。


< グアラ > 1993~2004
デ・トマゾの名が付く最後の車が、1993年ジュネーブ・ショーでデビューした「グアラ」で、スポーツカーとしては「パンテーラ」の後継車となる。デザインはシンセシス・デザイン社の「カルロス・ガイノ」で、1991年彼がデザインした「マセラティ・バルケッタ」をベースにしている。1993年から10年以上にわたって造られ、1998年まではBMW製のV8 3000cc 276hpのエンジンが使われたが、1998年マイナー・チェンジ以降はフォード製のV8 4600cc 320hpに変わった。3種のバリエーションがあり、1993年デビューした「クーペ」は40~50台、94年から発売された「スクリーン・レス・バルケッタ」が10~12台、「スモールトップ付スパイダー」5台が造られ、日本にもバルケッタが輸入されている。


(写真94-1abc)1994 De Tomaso Guara Barchetta (1995-08 コンノルソ・イタリアーノ)
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「バルケッタ」と言うボディ・タイプは初期の「フェラーリ」やイタリアの小型車に多く見られるかたちで、「小さなボート」と言う意味だが、ウインド・スクリーンや幌が一切ないこの車こそぴったりの名前だ。初めて見た時ウインド・スクリーンの無いその姿には衝撃を受けた。レーシングカーは別として、スポーツカーでは速く走ったら風が大変だろうなと余計な心配をした記憶がある。

(写真94-2abc)1999 De Tomaso Guara Spider (2010-08 コンコルソ・イタリアーノ)
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こちらはウインドスクリーンと小さいながら幌を持つスパイダー・コンバーチブルで、僅か5台しか造られなかった希少モデルだ。

<イノチェンティ・ミニ・デトマゾ> 1982~93
最後にデ・トマゾが関わった「イノチェンティ・ミニ」に触れておきたい。世界的に大ヒットとなった「ミニ」には幾つかの派生モデルが造られた。その代表はイギリスの「クーパー」仕様だが、その他「ロブ・ウオーカー」や「ミニ・マーコス」などのレーシング仕様も知られている。「イノチェンティ」は1960年代初めからBMCの傘下に入り、オースチンA40などを造っていたが60年代中ごろからは本国仕様と同じ「ミニ」を造り始め、1969年性能をアップした独自のモデル「イノチェンティ1000/1001」の生産を始めた。1974年には「ベルトーネ」の手で本国仕様とは別の新しいボディを持った「イノチェンティ・ミニ90L/120L」が誕生したが、1年後BMCが経営破綻し、1976年5月「デ・トマゾ」の傘下に入った。1976年のトリノショーでこの「新イノチェンティ・ミニ」に「デトマゾ」が手を加えた「by DeTomaso」バージョンがデビューした。このモデルは1980年「ミッレ」モデルを経て1982年まで造られたが、BLからのエンジン供給が止まり、1982年4月以降は「ダイハツ」の3気筒エンジンが採用され、「トレ・チリンドレ(3気筒)」と呼ばれた。1983年12月にはこのエンジンにターボ・チャージャーを付けた72hpの高性能版が「ターボ・デトマゾ」として発表され,翌月からイタリアで販売されたが、1990年「イノチェンティ」がフィアットに買収され、このモデルは廃止された。

(写真99-1ab)1976-80 Innocenti Mini De Tomaso (1982-05 筑波サーキット)
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同じ「ミニ」でも「デ・トマゾ」と名が付けばなんとなく速く走りそうな気がする。見た目も下半分がブラックで赤との2トーン塗り分けは「GTS」風で、しかもボンネットには、派手なエア・インテークまで付いているからやる気満々だ。

(写真99-2ab)1978 Innocenti Mini De Tomaso (1985-08 筑波サーキット)
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こちらは赤1色で、サイドマーカーの型が一寸違うだけでそれ以外は前項の車と殆ど同じだが、これが年式の違いかどうかは資料不足で確認できなかった。街中で撮影した車は50年代のアメリカ車などと違って年式を特定するのは至難の業だ。3ドア・ハチバックのこの車はオリジナルの「ミニ」に較べるとずっと使い勝手が良さそうだ。

― 次回はアメリカ車「デソート」「ダッジ」の予定です -

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第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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