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2025年12月24日

第6回『F1グランプリ ホンダF1と共に 1963-1968』ニュース

『F1グランプリ ホンダF1と共に 1963-1968』の編集製作の状況をお伝えするようになって早くも6回になりました。しかし、12月になって2026年初頭に復刻刊行することになった『浮谷東次郎』の作業と共に、トヨペット・レーサーが誕生して75周年という節目の年を迎えるにあたって『トヨタ モータースポーツ前史』の記念版の製作を私が急遽担当することになりました。本書の刊行をお待ちになっているファンの方々には大変申し訳ないのですが、12月はそちらの2点の新刊の製作作業に専念せざるを得なくなり、『F1グランプリ ホンダF1と共に 1963-1968』の製作作業は、ジャパンモビリティショー出店による中断に続いて、再び中断することになりました。
この場を借りてお詫びいたします。
しかし、この期間中に、大変うれしいことがありました。それは、本書『F1グランプリ ホンダF1と共に 1963-1968』でホンダがF1GPで転戦中に重要な役割を果たしている方のご家族から、編集部に直接連絡をいただいたことでした。お名前などは、後日ご本人のご了解をいただいてから紹介させていただくつもりですが、当時の関係者の方とは連絡がとれなくなってきている実情の中で、個人的にはとてもうれしいことでした。私から連絡をとって、本の完成時には一部献本をさせていただくつもりです。
今回は、本書に収録している中村良夫先生によるイラストを適所にレイアウトしています。その中でご存じの方もいらっしゃると思いますが、以下のイラストに関して生前に中村先生からお聞きした開発当時のことを少し記しておきたいと思います。
このイラストは、ホンダにおける自動車開発の初期の状況を表しています。三輪自動車を中心に製作していた自動車メーカーであった「くろがね」からホンダに移籍した中村先生が四輪車開発のトップとなり、同時にホンダに入社した何人かの同僚によってホンダの「四輪部隊」が形成されたとおっしゃっていました。イラストにあるように当時は二輪車メーカーであったホンダが四輪市場に進出するためにトラックのT360をはじめ、ホンダスポーツの設計・開発のさなかに、未知のマシンというべきF1の設計・開発にとどまらず、エンジンを含めて車体までもつくることになり、多忙を極めていたと話され、特にホンダスポーツはボディのデザインが次々と変わるので、中村先生としては“どんなボディでも載せることができる”フレーム構造を採用したとおっしゃっていました。フレーム構造のために結果として車重は想定よりも重くなってしまったのですが、モノコックのボディ自体でも強度があり、さらにフレームに載せたためにホンダスポーツは、当時としては強固なボディ剛性が確保され、様々なグランプリレースでも活躍できた要因のひとつになったと教えてくださいました。

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