2025年5月26日
マツダは10回目を迎えるオートモビルカウンシル2025に、これまで一度しか一般公開されなかったデザインスタディモデル、S8Pを出展しました。その様子とS8Pの成り立ちについて紹介します(レポート・写真:内田俊一 写真:内田千鶴子・マツダ)
マツダは10回目を迎えるオートモビルカウンシル2025に、これまで一度しか一般公開されなかったデザインスタディモデル、S8Pを出展。カロッツェリア・ベルトーネ時代にジョルジェット・ジュジャーロがデザインしたモデルで、のちの初代ルーチェにつながるものである。ここでは、マツダ広報チームの協力のもと、S8Pの成り立ちについて解き明かしてみたい。




◆S8P誕生前夜
マツダ(当時の東洋工業)は、それまで三輪、四輪トラックなどの商用車メーカーであったが、1960年頃にフルラインナップメーカーを目指しピラミッドビジョンを策定。ピラミッドの一番広い土台となる部分は軽自動車を、そこから頂点に行くにしたがって車格が上がり、サイズや価格もそれに伴って上昇するという考えを表したものである。まずはマツダR360クーペやキャロルなどを市場に投入し、続いてファミリアをデビューさせる。そしてその時代の頂点としてルーチェがデビューすることになる。
さて、当時のマツダは小杉二郎氏にデザインを依頼していた。小杉氏は日本のインダストリアルデザイン界の草分け的存在で、1950年に発売されたマツダ三輪トラックのデザインを依頼される。それ以降1953年にはマツダと嘱託契約を結ぶ。そしてマツダは1958年に社内デザイナーの採用を開始するとともに、翌1959年には設計部門にデザインを専門に行う機構造型課造型係を新設し、小杉氏の指導のもとマツダのデザイン部門が本格的にスタートしたのである。
このようにマツダがデザインに力を入れていたころ、日産はピニンファリーナ、いすゞはカロッツェリア・ギア、プリンスはアレマーノ、ダイハツはビニャーレといったカロッツェリアにデザインを依頼する潮流があった。そこで、マツダとしても最上級車のデザインをイタリアのカロッツェリアに依頼することで、デザインを学ぶ方針をとった。そこで選ばれたのがカロッツェリア・ベルトーネだった。1962年3月27日、乗用車のデザイン技術に関する技術援助契約を締結。5~6人乗りの本格的小型乗用車のデザインを依頼し、1963年秋に開催された第10回全日本自動車ショーにルーチェ1000・1500として出品されたのがそのモデルである。



しかし、マツダが考えていた以上に市場におけるボディサイズの拡大は大きかったようで、このルーチェのサイズ(全長3960mm、全幅1480mm、全高1385mm、ホイールベース2305mm)では足りないとの結論から、よりサイズアップした案をベルトーネに求め、その回答が1964年に提案されたS8Pなのである。
◆当初はFFロータリーを目指す
S8Pはロータリーエンジンを縦置きに搭載する前輪駆動車として計画されていた。その証拠はいくつもある。まず、フロントノーズが通常のレシプロエンジンでは搭載できない高さである点だけでなく、マツダのロータリーエンジンを表すエンブレムからもそれと知れる。

しかし、当時のマツダにとってまだロータリーは市販化前であり、かつ、前輪駆動の経験がないことからこのパワートレインは見送られ、通常の1.5リッターガソリンエンジンを搭載するフロントエンジン後輪駆動のルーチェが1966年8月に登場。このデザインはS8Pをベースとしながらも、マツダ社内のデザイナーが手腕を振るったものである。

そうはいってもマツダとしては、S8Pの当初のコンセプトによる製品化を諦められなかったようで、1967年にマツダとして初めてロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツがデビューして以降、1968年にはファミリアロータリークーペと続き、1969年にはFFのルーチェロータリークーペが登場。まさにS8Pがあったからこそルーチェロータリークーペが実現できたのである。特にフロントノーズの低さから始まり、サイドのボディラインの流れ方はまさにS8Pで、ロータリーエンジン搭載のメリットが大きくいかされ、また、フロントフェイスもかなり近い印象を受ける。


◆セダンにもロータリーエンジン搭載の計画があったのか?
さて、S8Pはベルトーネから送られてきたのち、一般公開されることなく倉庫にしまわれ長くほこりにまみれるに任せていた。しかし、2011年に広島市交通博物館(現ヌマジ交通ミュージアム)の企画展に修復された姿で出展するも、再び倉庫にしまわれてしまう。そして今回、再度日の目を見ることになったのである。

実はそのオートモビルカウンシルの会場に興味深い写真が飾られていた。そこには3台のクルマが写っており、まさにテスト風景の様相だ。後ろ2台は初代ルーチェセダン。そして先頭はちょっと様子が違い、初代ルーチェセダンのプロトタイプのように見える。その写真を眺めていてふと気づいたのは、グリルにあるエンブレムである。そこにはロータリーエンジンを示すエンブレムが配されている。そこで改めて写真を見ると、明らかにフロントノーズは低い。
後日マツダ広報よりもたらされた情報によると、これはS10Pと呼ばれるモデルで、S8PとS10Pの数字の意味は排気量を指しているとのこと。具体的には、S8Pではコスモスポーツの試作車、L402Aに搭載されていた399㏄×2ローターのL8A型ロータリーエンジンで企画されており、そこからコスモスポーツの市販車に搭載された491cc×2ローターの10A型を使うべく仕様変更されたのがS10Pということになる。つまり、1964年にベルトーネから送られてきたS8Pをもとに10A型エンジンを搭載したS10Pを作ったのである。ここからは写真を眺めながらの想像なのだが、ロータリーエンジンとレシプロエンジン搭載の2案を並行して開発していたのではないだろうか。その結果としてレシプロエンジンのルーチェセダンが1966年に登場するのである。現段階で後年発売されるルーチェロータリークーペとS8PやS10Pとの関係性は明らかではないが、このときの開発で得たノウハウなどは、1969年にデビューするルーチェロータリークーペにいかされたのではないかと考えるのも面白いではないか。
通常S8Pのようなプロトタイプは役目が終わると廃棄されるのが常であろう。しかし、理由はどうあれよく残っていたものだと感心する。しかもそれを見られる状態にまで修復しイベントに展示するという、歴史をおもんばかるメーカーの姿勢には頭が下がる思いである。このモデルに搭載されている分厚いシートやヴェリアを使ったメーター回りなどには当時のイタリアの香りが漂っている。ぜひ今後も今の状態で長く保存してほしいと願わずにはいられない。
レポート・写真:内田俊一 写真:内田千鶴子・マツダ