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2023年8月18日

【編集部より】『プリンス自動車工業の歴史 日本の自動車史に大きな足跡を残したメーカー』刊行までの経過をご説明します。

本書は、『プリンス―日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』として2008年に初版を刊行した当時は、おかげさまで多くの反響をいただくことができました。プリンス自動車工業というメーカーは、日本の自動車史においても歴史に残る会社であるとの認識を持っていましたが、なかなか書籍としてその歴史をまとめる機会を持てずにいました。そのような中で、元プリンス自動車工業出身で歴史考証家の当摩節夫氏も、歴史をまとめておきたいとお考えになっていることを知り、意気投合して執筆をお願いすることなりました。

資料収集に当たっては、当摩氏ご自身の資料のほか、プリンス自動車工業の前身である「たま電気自動車」の草創期から在籍され、当時の商品写真などを大量にお持ちだった田中次郎先生のご自宅を当摩氏と共に訪ね、貴重な資料のご協力や、お話をうかがうことができ、序文まで頂戴したことは、大変光栄に思っています。

プリンス自動車工業出身の方々にお話をうかがうと、当時の職場の雰囲気はとても良いものであったとおっしゃる方が大変多く、R32スカイライン主管を務め、プリンス自動車工業出身である伊藤修令氏が“プリンス”の社風について「技術論争に職位の階段なし」とおっしゃっていたことが強く印象にのこっています。まさに、このような社風のなかで数々の先駆的な名車が生まれてきたのだと実感しています。

その後2014年に、『プリンス自動車―日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』と改題して、第二訂版を製作しました。この版も短期間で品切れ、このたび、『プリンス自動車工業の歴史』として増補三訂版を編集するにあたり、プリンス自動車工業という会社は、乗用車だけでなく、進取の精神に富む、技術的にも優れた商用車もつくっており、今回の改訂の際には、前回の版では収録できなかった商用車を網羅的に収録して、内容を補完することで“決定版”にしたいという思いがありました。さらに資料性をもたせるために巻末には、商用車の主要モデルの一覧(スペック)なども新たに載せることにしました。

また、プリンス自動車工業の大切な成果のひとつである、日本初の御料車のプリンスロイヤルについてもこれまで以上に充実できました。今回収録できた資料によって、プリンスロイヤルは、量産には向かない砂型のクランクケースのエンジンは当然ですが、手づくりの車だと言われていました。実際にシャシーもボディもすべて図面を引いて量産と同様と思われるコストをかけながら、製作はハンドメイドであることが紹介できたと考えています。またこのような製作の記録を克明に残していたことは、やはり航空技術者らしいと思いました。

個人的なことで恐縮ですが、私(小林)は荻窪病院というプリンス自動車工業に隣接する総合病院で産まれました。プリンス自動車工業の前身は中島飛行機の発動機工場ですから、同級生の父親には中島飛行機に勤務していた人や、プリンス自動車工業の社員の方など、関係者が数多くいました。

幼いときにプリンス自動車工業の工場見学もしましたし、日産との合併の時には、社員の人に「これから会社は大きくなるよ」と言われたのは小学生の時で、さらなる成長を期待していましたが、今では“プリンス”の名称はほぼ消滅してしまいました。

しかし、もしプリンス自動車工業が残っていたら、SUBARUのような個性的な自動車メーカーであったのではないか? と考えています。

生前、田中次郎先生にお会いした際に「君の生まれた荻窪病院は、戦時中は中島飛行機のためにつくった軍人病院であり、戦後はプリンス自動車の作業員中のけが等でお世話になった病院なんだよ……」と言われたこともあって、プリンス自動車工業の足跡に関する書籍をまとめられたことに「強い縁」を感じています。

本書は、今では無くなってしまった自動車会社の歴史ですから、販売部数はもちろん多くはありません。しかし、短期間でこれだけの実績を残したプリンス自動車工業について、この増補三訂版をご覧いただき、ファンの方はもちろん、若い読者の方たちにも日本にこのような先鋭の技術をもって、優れた乗用車や先進的な商用車を生んだ自動車メーカーがあったことを知っていただければ幸いです。

小林謙一

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