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2014年9月19日

『人力車の研究』が「サライ」(小学館)10月号の〈著者に会いたい〉で大きく取り上げられたほか、「週刊文春」(文藝春秋)9月18日発売号 鹿島茂氏の〈私の読書日記〉でも紹介されました! そこで、著者の齊藤俊彦さんに執筆のきっかけなどを教えていただきました。

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 本書は1979年に上梓した『人力車』の復刻版です。当時も、なぜ今ごろ人力車を調べるのかとよくおたずねを受けました。じつは友人が人力車の車夫を主人公にした映画『無法松の一生』を作るために資料を探していて、当時、NHK福岡放送局に勤務していた私に相談してきたのがきっかけです。ところが、調べてもいっこうに車夫生活の資料は見つからず、心残りでした。その後東京に転勤して間もなくドラマ「開化探偵帳」の資料を担当したあとで、本格的に資料探しが始まりました。
 以来、いつか人力車の歴史年表、資料集をつくりたいと新聞や雑誌の記事を片っ端から閲覧し、製造業者や車夫の経験者を探してお話を聞きにあちこちお訪ねしました。通勤往復、休日を使ってこつこつと調べて20年、その成果が本書です。
 今では自動車に取って代わられ、交通機関としての人力車はもうすでにありません。しかし、調べていくと人力車が担った役割はとても大きく、人々の生活に浸透していたのかがわかります。
 人力車の発明諸説のうち、最も早い公的記録は明治3年です。最初は客がつかずに苦労しましたが、またたく間に急増し、同6年頃には全国の主要都市に普及、同29年には最高の21万台に達しました。
 爆発的に増加した要因のひとつは、移動の迅速さが近代化を進める社会の要請に合っていたこと。もうひとつは、車夫という職業が社会の底辺の人たちの暮らしを支える役割を果たしたからです。この頃は下級武士や武家の奉公人、刀職人や籠屋など、職を奪われた失業者が溢れていました。車夫は体が丈夫であれば誰にでもでき、元手がかからず、しかも日銭が稼げる。失業者にとって、大変ありがたい職業でもありました。
 人力車は次々と改良・工夫され、車体を漆で塗ったり、蒔絵で模様を描くことも流行しました。早くから輸出され、現在もアジアでは人力車や輪タクが活躍している地域があり、バングラディシュではリキシャと呼ばれ、装飾は工芸品並みです。明治初めから大正期にかけて活躍した人力車は、次の自動車時代へ繋ぐ橋渡しの役割をアジア諸地域でも果たしていることがわかります。
 なお、小説や落語などには、人力車が描かれているものが多くあります。今後は、これらを通しての人力車文化も探りたいと思っています。
 今も資料収集は続行中です。あちこちに散らばっている資料を丹念に集めて残し、それを次世代の人が活用してくれることを願ってやみません。

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