第108回 L項-9 「ロータス・2」(市販車/レーシング・スポーツカー)

2022年6月20日

(00)2007 Lotus 2-eleven

<コルチナ・ロータス Mk1> (Type28)   1965-66

(写真28-1abc) 1964Ford ConsulCortina-Lotus 4dr Racing Saloon

1962年ロータスの主力スポーツカーとなる「エラン」(Type26) が登場したが、そのエンジンは「フォード106E」をベースにDOHC化したもので、フォードではそのエンジンを市販車「コンサル・コルチナ」に搭載した「スポーツ・スペシャル」を1000台生産しホモロゲーションを取得した。1964年からは「コルチナ・ロータス」とし、「Type28」のナンバーを持つ「ロータス」の車として市販を開始し、他社の車をベースにした市販車にタイプ・ナンバーを付与した唯一の車となった。写真の車は前期型でパーキングランプがグリルの外にある。2台並んだ後ろ姿は.の右は、同じコンサルの「コルチナGT」で、左が「コルチナ・ロータス」だ。レーシング・グリーンの帯を巻いた後ろ姿は追い越されて初めて「コルチナ・ロータス」と知らされることになる。

(写真28-2ab) 1965 Ford Consul Cortina -Lotus

こちらは後期型でパーキングランプがグリルの中に取り込まれた。

  <ヨーロッパ> Type 46、47、54、74、  

(参考)46-0ab) ヨーロッパ図面

(写真46-1ab) 1968 Lotus Europa Sr.1  Coupe (1967-11 東京オーショー/晴海)

1966年12月発表された「ロータス・ヨーロッパ」は、初めてミッドシップ・エンジン車を実用化した車で、目的はヨーロッパ各国に安価な「GT」を売り込むことだった。エンジンは高価な「ロータス」製のDOHCに変えて、技術提携先だった「ルノー」のOHVを採用しコストダウンを図った。フロントのディスク・ブレーキはトライアンフGT6から、バンパーは前は「アングリア」、後ろは「コルチナ」から転用している。発表の4か月後、1967年3月、フランス国内の「ロータス・ディーラー」から発売が開始されたが、フランス国内では「ポルシェ」の半額、「エラン」の3分の2の価格は好評だった。しかしイギリス国内では「シリーズ2」が発売される1969年7月迄待たなければなら無かった。エンジンはルノー16用1470cc で、標準の58,5hpから78hp迄強化されており、この改造は出荷前ルノー行われている。最高時速は190キロった。写真の車は日本に最初に輸入された「ヨーロッパ」で、左ハンドルの初期型だ。熱心に見学している3人の少学生は、55年経った現在すでに還暦を超えている筈で、遠い昔の話だ。

(写真47-1a~e) 1968 Lotus 47GT (1986-03 TACSミーティング/筑波サーキット)

外見は「ヨーロッパ」その儘だが、グループ4のためヨーロッパをベースに造られたレーシング・スポーツカーだからタイプ名の「47」が正式名で愛称は付かない。ボディは軽量化され、サスペンションも当時のF1 並の物に変えられ、市販の「ヨーロッパ」とは全く別物だ。

(写真54-1ab) 1969 Lotus Europa S2  (1980-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

1968年最低限度の居住性だった前モデルを少し改善した「シリーズ2」が発表された。窓は電動式となり、シートはアジャストが可能となり、ラジオも付いた。右ハンドル車の製造

が始まり、69年からは英国内での販売が開始された。写真の車はその右ハンドル仕様車だ。

(写真54-2a) 1969 Lotus Europa S2   973-08 銀座4.5丁目/交詢社通り)

街中を走り抜ける「ヨーロッパ」を銀座で捉えた写真だ。この車の第一印象は、「もの凄く背が低い車」の一言だったが、それもその筈で高さは1070mmしかないから、左側のお嬢さんの腰までしかない。それにしても当時のスカート丈の短かったこと。

(写真74-1a~f) 1972 Lotus Europa Twincam (2018-11 トヨタクラシックカーフェスタ/神宮絵画館前)

「ヨーロッパ」のコンセプトは安価なスポーツカーを提供する事が第1目標だったから、非力なエンジンについては不満があり、チューン・アップやツインカム・エンジンに換装する例が多く見られた。1971年10月、遂に高価な「エラン」のツインカム・エンジンを搭載した「ヨーロッパ」が「ロータス」自身によって完成した。そのエンジンは水冷直列4気筒DOHC 1588cc 105ps/6000rpmで、最高速度は193km/hと向上した。外見に大きな変化があり、後ろに伸びるサイドのフィンの上部に大きく切り欠きが入り、後方視界が改善された。写真の車の外観は塗装も含め次期モデルの「スペシャル」仕様のブラックにゴールド・ストライプ入りとなっている。

(写真74-2abc) 1972 Lotus Europa Special (1980-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

「ヨーロッパ」最後のモデルとなる「スペシャル」シリーズは1972年9月登場した。強力モデルに方針を変えた「ヨーロッパ」は遂に「エラン・スプリント」と同じ最強エンジン、通称「ビッグ・バルブ」と呼ばれる1588ccながら圧縮比を10.3まで上げて126ps/6500rpmとなったエンジンが搭載された。その結果最高速度は201km/h迄上がった。

<エリートⅡ> (Type75,82)  1974~82

(写真75-1ab) 1974-80 Lotus EliteⅡS1 Sport Hachback  (1981-01 TACSミーティング/神宮絵画館前)

1974年3月発表された「エリート」と名付けられた2代目のこの車は、1959年から64年まで造られた「初代エリ-ト」がすべて曲線で構成されていたのと対象的に、直線と平面を上手に生かしたデザインとなった。「ロータス」としては初のフル4シーターで、前年生産終了した「エラン2+2」の後継車として登場したが、この車はこの後の「ロータス」の方針を示唆するものだった。それまではスパルタンなスポーツカーを造ってきたが、この車からは居住性を重視した「グラン・ツリスモ」が主力となり、「ポルシェ」や「アストンマーチン」などをライバルとする市場が対象となった。ハッチバックのこの車は高級車がよく使う「シューティング・ブレーク」(後部に猟犬を乗せるスペースを持った狩猟用)と呼ばれる。                                                                                                                                                                                                                      

  <エクラ> (Typr76) 1976~

(参考76-1a) 1976 Lotus Ecla-Exel

1975年登場した「エクラ」は「エリートⅡ」をベースに造られた「2+2クーペ」で、前半分は変わらず、後半をファストバックに変更したものだ。「シューティング・ブレーク」に馴染めない「ロータス愛好家」のための救済措置と言えなくもない。

  <エクラ・エクセル→エクセル> (Type89) 1982~92

(参考89-1ab)1985 Lotus Excel

1982年「エクラ」の部品をトヨタから導入することになり車名を「エクラ・エクセル」と変えたが1983年からは単に「エクセル」となった。1992年までに2159台が造られた。

  <エスプリ> (Type 79,82,85 ) 1976~2004

(写真79-1abc) 1976 Lotus Esprit S1  (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

1976年登場した「エスプリ」は2リッター・エンジンをミッドシップに搭載し、「エリートⅡ」「エクラ」「エクセル」と続くラグジュアリー志向の「GTカー」に対して、「ヨーロッパ」の後継車となるスポーツカーとして誕生し併売された。

(写真79-2ab) 1977 Lotus Esprit Submarine Car (007) (2010-07 英国自動車博物館)

1977年公開された映画「007私を愛したスパイ」にボンドカーとして早速登場した。全部で8台が用途に合わせて改造され、写真の車は「潜水艇」となって水中でも活躍した車で、英国の博物館に展示されていた。

(写真79-3abc) 1977 Lotus Esaprit S1 (2010-04 日本橋・日銀付近)

日本国内で偶然見つけたこの車のナンバーは「PPW 306R」で、前項に登場した「潜水艇・ボンドカー」と同じだ。もしかすると8台造られた内の1台かもしれない。しかし後部トランク右側にあるプレートには「1978年ワールド・チャンピオン」とあり、79年以降の物だから1977年の映画公開とは辻褄が合わないが、後から付けた物だろうか。

(写真79-4ab) 1978 Lotus Esprit S2  (2018-11 旧車天国/お台場)

1978年にはマイナーチェンジが行われ「シリーズ2」となった。外見上の変化で一番目立つのはリアクオーターにエアインテークが追加されたことで、その他フロントにスポイラーが付き、リアのランプ類が大型化した。動力系に変更はなく「タイプ79」も変わらない。

(写真85-1ab) 1990 Lotus Esprit Turbo SE   (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

1980年3月のジュネーブ・ショーで「ターボ」が発表され、1981年4月から量産車の市販が始まった。エンジンは「S1」「S2」の1971cc(907型)に対して、一回り大きい2173cc(910型)が与えられ「タイプ82」と変わった。ボディの高さを少しあげたことで アメリカのバンパーの基準をクリアーしたとあり、かつて「地を這うような」と言われた「ポルシェ356A」が、この基準をクリアーするためヘッドライトを高めに改良した「356B」を発表した時のことを思い出した。

(写真85-2ab) 1996 Lotus Esprit V8 SE  (2001-05 モンツァ・サーキット/イタリア)    

前項の1990年「Turbo SE」の後1992年「Sport 300」、1993年「S4」と続いたが、これらは撮影して居ない。その後が写真の「V8」で、外見は「S4」と変わらないが、3.5リッターV8 ツインターボ搭載しており、出力は350馬力迄強化された。

  <エトナ>

(写真96-1a~f)1984 Lotus Etna     (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

1984年のバーミンガム・ショーでデビューした「エトナ」は、「エスプリ」の流れを汲んだ重量級のミッドシップ2シーターで、直線的なボディ・デザインは「ジウジアーロ」が手掛けた。エンジンは自社製の水冷90度V8 3946cc 335hp/5500rpmで、最高速度は293km/hとされていた。このエンジンはターボ化すれば600hpが可能と言われる。市販を予定して計画された「エトナ」だったが、ショーで発表されただけに終わったのは、2年前「コーリン・チャップマン」が亡くなり、経営難から1986年には「GM」の傘下に入るという会社が不安定で最悪の時期の当たったのは不運だった。

  <エランⅡ> (1990~95)

(写真100-1abc) 1990 Lotus ElanⅡ   (2005-11 千葉市・稲毛区)

初代「エラン」は1960年代から70年代初めにかけて大ヒットし、「ロータス」の屋台骨を支えたばかりでなく、イギリスを代表するスポーツカーとして世界中に知られた名車だ。「エランⅡ」は、初代エランのとの根本的な違いは「前輪駆動」という事だが、ロータス車が、大型化、豪華志向の中で唯一のライトウエイト・スポーツカーは「初代エラン」のスピリットを受け継いだ2代目と言える。写真では小さく見えるが、WBも全長も初代より120mm長い。エンジンは4気筒DOHC 16バルブ 1588cc 130ps (ターボ付き160ps/4200rpm) この車が不運だったのは、外見に特徴が無く印象が平凡だったこと、横置き前輪駆動のスポーツカーが理解されなかったことだ。                                                                                                                                  

  <エリーゼ> (Type111)

(写真111-1ab) 1996 Lotus Elise Sr.1 (2000-05 ミッレ・ミリア/アッシジ)

1996年登場した「エリーゼ」は1.8ℓ DOHCエンジンをミッドシップに横置で搭載し、後輪を駆動した。「ジュリアン・トンプソン」がデザインしたボディは従来とはガラッと変わり、新時代を感じさせる派手なメリハリを持った。ボディはロールバーを持った「タルガトップ」で、幌屋根は枠ごと脱着され、折りたたむことは出来ない。誕生当初はアルミのシャシーにFRPのボディと言う軽量の特性を生かすためエアコン、パワーステアリング、ブレーキ・ブースターなどは省略され、「エランⅡ」を継ぐライトウエイト・スポーツとしての特性が重視された。

(写真111-2abc) 1996 Lotus Elise Sr.1   (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

同じ車でも、塗装によって印象ががらりと変わる。

(写真111-3ab) 2004 Lotus EliseS Sr.2   (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド) 

2001年から外観が変化し「シリーズ2」となった。ボディサイドのエア・インテークが大きくなったのが目立つ。エアバック、パワー・ウインドウ、ブレーキ・ブースター、ABSが装備されエアコンもオプションで可能となり、重量は増えたが居住性は向上した。2004年からはトヨタ製のエンジンが搭載された。

(写真111-4abc) 2012 Lotus Elise Sr.3 CR SPS   (2011-11 東京モーターショー/東京ビッグサイト)

2011年ウインカーがヘッドライト・ユニットに組み込まれ「シリーズ3」になった。エンジンはトヨタ製「1ZR-FAE」直列4気筒OHC 16バルブDual VVT-I 1598cc 136ps/6800rpmが搭載され、最高速度は234km/hとなった。

 .(写真111-5ab) 2020 Lotus Elise Sport 220Ⅱ (2020-01 東京オートサロン)

1996年デビューした「エリーゼ」シリーズはロータスの主力商品として長寿を保ち、26年後の2020年のオートサロンにも昔と殆ど同じイメージのまま登場している。しかも古臭く感じないのは基本デザインが時代を先取りしていたからだろう。

<エリーゼGT> (Type115) 1997~98

(写真111-6abc) 1998 Lotus Elise 340R (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

1998年登場したこの車はシリーズ1をベースにした純レース・バージョンで、屋根も扉もなく、細身のボディにサイクル・フェンダーを持ち、イメージとしては「ロータス7」の発展型とも言える。始めて見た時は「化け物」みたいな顔付きに度肝を抜かれた記憶がある。余計な物は一切載せておらず、500㎏の車重の170hpのエンジンを搭載することで「1トン当たり340馬力」となる事から「340」と命名され340台の限定生産とされた。

  <エキシージ>

(写真112-1abc) 2006 Lotus Exige S    (2008-11 横浜/山下公園付近)

「エキシージ」はワンメーク・レース用に開発された「スポーツ・エリーゼ」の「クーペ・バージョン」で、車名は変わったが外見は「エリーゼ」とほぼ同じだ。ある日横浜の「港の見える丘公園」から谷戸坂へ下ってきて突然この車に出会った。最近では街中ではあまりドッキリするような車と出っくわさないが、この時は突然目の前に現れたので、久々にドッキリした。ボディサイドのエア・インテークが大型になっているので「エリーゼ」がシリーズ2になってからの2006~07年の「エキシージS」と推定した。 .

(写真112-2a~d) 2009 Lotus Exige S Stealth(2009-10 東京モーター・ショー)

2009年の東京モーターショーに登場した「エキシージ」は、艶消しのブラックで塗装された「ステルス」と名付けられたモデルだった。何処にも光り物が見えない完全装備だが、敵情視察にでも使う軍用車ならいざ知らず、街中を走るにはいささか認知性に欠け、安全面で不安だ。因みにVWビートルが派手な原色を使うのは相手から認識され易いからと聞いた覚えがある。

(写真112-3a~d) 2010 Lotus Exige 260  (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

イギリスで撮影したこの車もシリーズ2のバリエーションで、2009~11年の「エキシージ260」だが、殆ど外見に変化はなく「260」の命名の由来も不明だ。

 <レーシング・スポーツカー>

「ロータス」車の性格を大雑把に分類すれば①「アマチュア向けスポーツカー」、②「レーシング・スポーツ」、③「フォミュラーカー」の3つに分けられる。「マーク1」から「マーク6」までは、コーリン・チャップマンが手造りした草レース用のスポーツカーで「マーク7」は「マーク6」を量産化した市販スポーツカーだった。その後「マーク8」から「イレブン」までは初期の2シーター「レーシング・スポーツカー」で、その後同時に発表された3台は「12」(F2)、「13」(市販セブン)、「14」(市販エリート)だった。そのあとは今回の「15」に続く。因みにレーシング・スポーツについては「11」(イレブン)以降は型式番号のみで呼ばれ、「マーク」も「タイプ」付かず、「愛称」もない。

(写真15-1ab) 1958 Lotus 15 (1995-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)

初期のレーシング・スポーツカーの傑作「イレブン」の後継車は、1958年ルマン用の「15」で、2 ℓクラス1台と、1.5 ℓクラス1台の2台が造られた。(この年の「ルマン」には1.1ℓクラスと750ccクラスにも参加しているが、こちらは「11」のシャシーが使用されている。)

(写真15-2ab) 1958 Lotus 15

シャシーNo.607(1.5 ℓ)の㉟は、J・チェンバレン/P・ラブリーのアメリカ・チームだったが37位だった8時間目に事故でリタイアした。シャシーNo.608(2 ℓ)の㉖は、グレアム・ヒル/クリフ・アリソンのロータス・チームで53位だった2時間目にラジエターの故障でリタイアだった。

(写真17-1abc) 1959 Lotus 17   (2009-10 モンテ・ミリア/明治神宮)

1959年登場した「17」は、メキメキ頭角を現してきた「ローラ1100」に対抗するため造られたもので、「11」「15」よりも小型で、「マーク9」の後継車と言える。エンジンはクライマックスの1098ccと742ccが用意された。

(写真19-1abc) 1960 Lotus 19 (2006-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

1960年登場するのが「18」(F1)と「19」(レーシング・スポーツカー)で、両車に共通するのはロータスとしては初の「ミッドシップ・エンジン」を採用したことだ。「マーク8」から始まって「9」「10」「11」「15」「17」と続いた「フロント・エンジン」の時代が終わった。シャシーはフォミュラーカー「18」の横幅を広げたものでほぼ共通している。

(写真23-1a~d) 1963 Lotus 23B   (1963-05 第1回日本・グランプリ/鈴鹿サーキット)

(写真23-2abc) 1963 Lotus 23B

1962年登場した「23」は翌63年には我が国にやって来た。鈴鹿サーキットで開かれた日本初の本格的レース「第1回日本グランプリ」で我々の度肝を抜く、とてつもない速さを見せた。同時に走った「フェラーリ250GT SWB」「アストンマーチンDB4 GTZ」「ジャガーDタイプ」など、僕らが知っている超怒級の大型スポーツカーが遅く見える程の速さで、ヘアピンカーブでもレールの上を走っているようにローリングもドリフトの無く、ぴたっと地面に吸い付いたように軽々廻って行った。この車としては当然のことで、大型車は「スポーツカー」だが「ロータス23」は「レーシングカー」と言う全く別の目的で造られた車だった、という事を観客の大部分が知らなかっただけの事だったのだが。「日本グランプリ」のプログラムも、当時の雑誌の記事もこの車は「23」と紹介されているが、排気量から1963年「23B」と判定した。

(写真23-3ab) 1962 Lotus 23             (1984-07 富士スピードウエイ)

「23」は1962-63年で131台が造られた。1962年当初は750cc~1300ccの小型エンジンを積んだ「23」だった。

(写真23-4abc) 1963 Lotus 23B    (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

1963年には1500cc~1600ccのエンジンが搭載できる強化型シャシーを持った「23B」となった。

(写真30-1ab) 1964 Lotus-Ford 30  (1968-03 第1回東京レーシングカー・ショー/晴海) 

次のモデルは1964年で僅か2年の間に「23」から「30」まで一気に進んだ。「24」から「29」までは「フォミュラーカー」4台と「エラン」と「コルチナ」が入る。33台製造された「30」はロータスとしては初めての大型レーシングカーで、フォードV8 OHV 4.7 ℓ エンジンを搭載していた。(フォードGT40と同じ) .この車の最大の欠点はフレームの強度不足で、大型車に対する経験不足だったのか失敗作となった。

(写真30-2ab) 1965 Lotus-Ford 30 Sr.2  (1998-08 ブルックス・オークション/カリフォルニア)

最後は同じ「30」のシリーズ2で8月のカリフォルニアで開催された「ブルックス・オークション」に出展され、$90,500.で落札された。

    ―― 次回は葉巻型フォミュラーカー特集の予定です ――

  

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