第8回 各社が差別化をめざすも装備面は大同小異

2022年6月20日

 乗用車ならびにトラックメーカーとして、特にトヨタvs日産の激戦はワンボックスの世界でも顕著だった。初期には両社ともにトラックの名称を持たせたライトバンを発展させた乗用バン型だったのを、あえてボディやシャシー系を「乗用バン」として評価されるように独立させた。

 フルサイズ車はハイエースvsキャラバン&ホーミーの対決がみられ、日産の人気もなかなかのものだった。だがミドルサイズ以下はトヨタがタウンエース→ライトエース→ミニエースとボディの大きさで差別化をはかったのに対し、日産はバネットのみで販売的に苦しい立場を続けていた。

 そこでボディを幅90mm大型化して追加させたのがバネットラルゴだった。ライバルとなるべくタウンエースの全幅1670mmに対しバネットラルゴは1690mmと、なんとキャラバン&ホーミーと同寸にした小型車規格最大値を与えてのデビューとなった。

 トヨタは唖然としたであろうが、そこはトップメーカー。販売チャンネル面で手が空いていたトヨタ店専用車として、かつて扱っていた往年のトヨペットマスターラインの名称を与えた感のマスターエースを投入し、スタイリングと装備面をグレードアップして対抗させることになったのである。トヨタ店はセンチュリーなどの富豪の顧客も多く、そうした関係に販売を絞ってのデビューだった。

 またトヨタの販売戦略も旧来は単に「ワゴン」という呼称に固執した感があったが、遂に一般的な表現に合わせるようになり、日産バネットラルゴの「ワンボックス・サルーン」という表現に対して、1ヵ月後に登場したトヨタのマスターエースでは「ワンボックスサルーン」、さらに2ヵ月後登場の3代目ハイエースでは表現をかえて「1BOX」と、ほぼ同じ表現になって、全メーカーとも「ワンボックス」車のジャンルを認め、ほぼ統一するに至ったのである。

 そして新型になるほど装備面も充実してゆき、ターボ、オートマチック、パワーステアリング、対座シート、個別ELRシートベルト、集中ドアロック、カリフォルニアミラー、パワーウインドーなどが標準化、オプションはブロンズガラス、エアコンやアルミホイール程度になってゆき、各社の設計陣が力を入れるほど、盛り込める差別化のためアイテムが減少傾向になりつつあった。

 デザイン面もキープコンセプトがいいか……大きく変身させるか。各車担当のデザイナー達も迷うことも多かったのではなかったのか……と考えさせてくれる1980年代前半のワンボックス達の存在でもあった。

 日産ホーミーの2代目、E23系の1982年5月のカタログ、キープコンセプトではあるが、RV時代の到来をアピール。バックにオンタリオフィッシングクラブの看板があるが、パネル画像のスタジオ撮影であろう。

 ワンボックス独特の“分厚い”リムジンシートが特徴。へッドレスト数は6個だが、3列目シートがベンチタイプなので乗車定員は7名。右下は2−3列ベンチシートなので定員8名ということになっていた。

 1980年の登場時と外観はほぼ変わらないが、装備面ではより充実したのをアピール。メーター内の警告インジケーター、集中一体式スイッチ、集中ドアロックなどはじめ、ハロゲンヘッドライトもグレードにより標準装備された。

 ホーミーのラインナップ。グレードによってステアリング、シート、装備面が異なるのが把握できるようになっている。 助手席側のフロントドアの左折時視界窓は日産らしく、運転時に助けとなる設計と言える。

 ホーミーはカタログ表紙に「リムジン・コーチ」を強調しているのに対して、キャラバンは単に「キャラバンコーチ」として登場した1982年5月のカタログ。電動サンルーフ、ディーゼルターボ車など揃えて燃料の高騰化に対応させていた。またアルミホイール装着車を掲載して、マニア心をくすぐる演出がされていた。

 キャラバンは最高級SGLシルクロード(リムジン仕様車)の豪華さをアピール。価格的にディーゼルターボ+サンルーフ仕様で216.6万円の価格はスカイラインGTガソリンターボの4ドアセダンを凌ぐものになって、ワンボックスの王者的存在になった。

 キャラバンはスポーティさを狙っての3速ながらもフロアAT、パワーステアリングで女性にも軽快に運転できるとした。そして日産と同じ芙蓉グループ=安田財閥、浅野財閥、大倉財閥等の系譜を引く富士銀行(現みずほ)系企業である日立製作所の高級オーディオLo-D=ローディを、オプションのオーディオ音源としたことでマニアックな仕様としていた。

 3ページを費やしてキャラバンの豪華なシートアレンジを展開。特にセカンドシートはアームレスト一体型の回転式、シート間隙600mmはクラス最大で自慢の装備であったことがわかる。時代的にようやくデジタル時計が普及をみせる頃でもあった。

 日産ワンボックス系自慢のターボパワーはSOHCのディーゼルエンジンLD20T型で、81psながら発生トルク値はZ20型(105ps)と同値の16.5kg-mを発生しつつ発生回転数は800rpmも低い2400rpmで乗りやすく、強力であった。

 ラインナップはホーミーとほとんど同じで、日産店、日産プリンス店での取り扱い差異がなきように工夫されていた。もっとも、ホーミーが3ページ展開なのに対して、キャラバンは遠慮してか、見開き2ページでみせていた。

 バネット系にワイドボディのラルゴ系が加えられた1982年9月発表時から1ヵ月後に発行されたカタログより。日産店系はダットサンバネットラルゴ、サニー店系のサニーバネットラルゴ、プリンス店系列のチェリーバネットラルゴがラインナップされた。バネット系の開発と生産は傘下となった愛知機械工業が担当した。

「バネットの豪華ワイド版—<ラルゴ>誕生」とあるが、全幅を90mm広げて、なんとキャラバンやホーミーと同寸の1690mmを確保。上級モデルの搭載エンジンもキャラバンと同じというスーパーワンボックスとなった。正面から見た場合、ウインドー右にLARGO、ボディ左に「NISSAN」、ボディ中央に「DATSUN・VANETTE」といったエンブレムが置かれ、車名をどう読んだらよいか迷わせた。

「男の夢を描く“ラルゴ”ライフ。」と定義づけられ……なんとも“男臭い”イメージを持たされた感があった。それでも日産車としては当時の最新モデルであり、最高峰のグランドサルーンの装備はキャラバンやホーミーと同等といえる豪華さだった。

 ラルゴの運転席まわり。1980年代から各社がワンボックス車にタコメーターを標準装備しはじめた。回転センサーをつけやすいSOHCエンジン搭載の増加が要因で、乗用車のセダンではあたりまえの装備をワンボックスにも装備しないと販売競争に勝てなくなった時代に突入したといえよう。ただしチルトステアリングなども含めて、日産では最高級グレード車のみの装備にとどまった。

 キャラバンやホーミーでおなじみのリムジンシートを持つ2000グランドサルーン。エンジンも装備もほぼ同装備になり、その違いはボディのみになった感があった。キャラバンやホーミーはライトバンユーザーが多かったが、大は小を兼ねるという感じもありラルゴのバンはマニア向け的存在であったという。

 アイデアが光ったのがグランドサルーンのみに採用されたガラスハッチであろう。「……小さく開けるだけですむ時はガラスハッチと、2通りの使い方ができます」とある。フォグランプ、リヤアンダーミラー、ボディの後側部の「TURBO」ステッカー、アルミホイールなどはオプション設定。

 バネットならびにラルゴ系のラインナップ。ボディサイズの異なる車両を同じカタログ内に収めて、新型ラルゴの良さをアピールした感があった。ラルゴの最高グレードとキャラバン/ホーミー系最高級グレードとの価格差は少なく、講入時に迷うことも少なくなかったといわれる。

 トヨタのワンボックス系はボディサイズのすみ分けが明確で、1979年10月登場の2代目ライトエースもサイズ的にはキープコンセプト。これは1982年10月時のマイナーチェンジ車のカタログで内容の充実に邁進してゆく。ルーフ前後部に設置されたツインムーンルーフが新型のゆえんだが、それ以外に外観上で大きく変わったことがない印象であった。

 ライトエースの室内。ツインエアコン、サンルーフなどの装備を充実させている。1982年1月にRV志向の2段ベッドと電動カーテン付きのキャンプ車のモンタナパッケージ、4月にはツインムーンルーフ車を加えた。画像はデュアル回転対座シートの豪華さを強調した場面。

 1982年10月から旧来の13T-U、1770cc、92psを、新型ながらコストを抑えた同じOHV系のレーザー2Y、1812cc、95psに換装。ならびにSOHCの新型ディーゼル1C、1839cc、63psも加え登場。バネット系廉価車よりはハイパワーではあった。

 トヨタ独特のツインムーンルーフを持ち1982年11月登場のマスターエースサーフ。ベースは同時デビューの2代目タウンエースで、スタイリッシュなボディフォルムが特徴。フロントバンバーの前後長を170mmも伸ばしたために独特のフォルムを持っての登場となった。

 デラックスを除いて運転席部分は無理やり3人掛けとせず、セパレートのバケットシートを配置、センター部のフロアシフトの4ATまたは5MTが選択できた。オーバーヘッドデュアルエアコン装着車にはセンターコンソール部にアイスメーカー付きの冷温蔵庫を設置でき、製氷から冷蔵~温蔵まで切り替え使用が、一応は可能だったようだ。

 最高級車グランドサルーンゆえにフロアカーペットも吟味した……というカタログ。マスターエースサーフの定員は2+2+3=7名乗り、2+3+3=8名乗りに加えて、コラムシフトで前席を増やした3+3+3=9名乗りが廉価グレードのデラックスにのみ設定されていた。

 全4ページにわたるフルラインナップ紹介の、最初と最後のページを紹介する。左がグランドサルーン、右がツーリング・デラックスの紹介ページ。3列シートのデラックスもシンプルで好ましい。グランドサルーンのツインムーンルーフ仕様は192.7万円。デラックスは117.5万円だった。

 カタログラインナップの中央ページ。スーパーツーリングの8名乗り、ツインムーンルーフ車は154.3万円、ライトエース同様に2段ベッドになるモデルを「カタリナパッケージ」と命名したツインムーンルーフ車は155.6万円でラインナップした。

 英国向け輸出仕様のタウンエース、名称は「MODEL F」または「スペースクルーザー」でボディやステアリング位置を変更しても拡販は見込めないとの判断で制作されたモデルと思われる。ボディ構造も日本国内向けと変わったものでないことがわかる。1983年から左ハンドル仕様も生産されたようで海外のインターネットサイトで発見できる。

 1982年12月の3代目ハイエース誕生に合わせて開発が進められたトヨタ救急車。最長ホイ−ルベースのコミューター・スーパーロングLH70BをベースにしたYH71VB-JRが正式名称。ワンボックスならではの構造で、有効スペースをフルに活用していた。

 モデルチェンジの成果が広い室内といえ、全長3.3m、全幅1.53m、室内高1.59m、後部開口部高1.49mでストレッチャーの収納も腰をかがめずにできるようになったのが特徴。ハイエースならではのデュアルエアコン、パワーステアリングはオプションだが、こうした装備で快適性をアピールしていた。

 搭載エンジンはコミューター用ディーゼルでなく、ハイエースワゴン用のレーザー3Y、1998cc、105psのOHVガソリンエンジンで振動も少なく、軽量化と静粛性を求めての結果といえようか。各種オプションも用意されていたようだ。

 1982年12月の3代目ハイエースワゴン系のデザインは、ワゴン系の4眼角型ヘッドランプに特徴がみられた。ツインムーンルーフは新たに「サン&ムーンルーフ」となり、広報資料によると「スタイルをよりファッショナブルなものへ一新した」と述べられていた。

 全席をフルリクライニングさせることにより、フロントシートから最後列シートバックまで全く平らな広いスペースが得られる、日本初のオールフラットシートをカスタムおよびスーパーカスタムに新採用した……と広報資料は語るが、そのためにはシート形状を考慮する必要があり、意外にこうしたフルフラット化が困難であることは、知られていなかったことだった。

 前輪を50mm後退させ、フロントドアの開口部を広げて乗降性の向上をはかったという。偶然にもステアリングホイ−ルのデザインは日産のラルゴ系と似通った形状になったことに驚かされるが、メーターダッシュはさすがに近代的なデザインと技術が投入されていた。

 スーパーカスタムのサン&ムーンルーフ付きのモデルのみに電子グラフィック式タコメーター+デジタルスピードメーターが採用され、他のモデルはアナログ式のメーターになる。まだ“パワー”のつくステアリングもウインドーもオプションが主流の時代であり、技術の進化はすさまじいものがみられたわけだ。

 時代性を感じさせるのが……当時のトヨタでさえガソリン&キャブレター仕様のOHVエンジンを搭載していたことであろうか。後に触れるであろうOHC+EFIの4代目、DOHCの5代目ハイエースの、ダントツの人気度はこのような変化によるものかもしれない。

 スタイリッシュになったハイエースの、角目4灯ヘッドランプからリアエンドへの流れは、ボックスフォルムそのものと言えるが、当時は無機質な感じが漂い、タウン&マスターエースの流麗さと比べると、同じトヨタ車であることが不思議なぐらいだった。

^