第149回 P項-2「パッカード・戦中/戦後」(米)

2025年12月27日

1950 Packard Super Deluxe Eight

   戦時中

(参考43-1a)Curtis P-40 Warhawk

(参考43-1b)Avro Lancaster Dambuster(GB)

戦前型は1942年で生産を終了し、1943年からは戦時体制に入った。生産設備を持つ工場はどこも戦争に使われるものを造らされたが、「パッカード」は戦闘機「カーチスP40 ワーホーク」を主に生産した。「P40」は平凡な機種だったが「パッカード」製はロールスロイス・マリーン・エンジンを搭載した高性能版だった。勿論エンジンもパッカード製だったが、このエンジンは英国を代表する爆撃機「アブロ・ランカスター」にも提供されていた。

< 戦後 >

・パカードの最盛期は「1930年代」だったという説には誰も異論はないだろう。高級車を受け入れる市場があったという時代背景があったから、他にも少数生産の独立メーカーが存在し得た。しかし戦後になると大量生産の「ビッグ・スリー」は大衆車のシンボルとして高級車「キャディラック」「リンカーン」「クライスラー」を存続させたが、大衆車を持たないパッカードは高級車としてのイメージが徐々に失われていったように思われる。

(参考46-0a)1942 packard Special Eight 2001 Clipper Club Sedan

(写真46-1a)1946 Packard 2100 Clipper Six Touring Sedan    (1954-04 銀座)

戦後はいち早く1946年には復活したが、それは戦前最後の1942年型そのものだったのは他社もみな同じだった。参考に戦前最後の1942年型の写真を添付した。

(写真46-2ab)1946 Packard 2100 Clipper Six Touring Sedan (1960年 桜田通り/三田・慶応付近)

下の横長グリルが正面のみなのは46年型の6気筒のみ。(サイドに回り込んでいるのは46年型では8気筒)

(写真47-1a)1947 Packard 2103 Super Clipper Eight 4dr Sedan  (1982-06 河口湖自動車博物館)

1947年からは6気筒、8気筒共グリルがサイドまで回り込むタイプに変更された。

  <1948、49、50年>

殆どの資料では1948、49、50年は変化なしで処理されているが、今回アメリカ版「パッカード年度別写真集」を詳細に確認しその違いを確認した。一部前年から引き継いで変化のないものもあったがややこしいので今回は無視した。この3年間エンジンは「タクシー向け」「輸出向け」の6気筒を除きカタログモデルは全て8気筒だった。「スタンダード」「デラックス」「スーパー」「スーパー・デラックス」の4つは同じグリルで、上級の「カスタム」だけは別の顔を持っていた。

(写真48-1ab)1948 Packard 2202 Standard Eight 4dr Sedan      (1959-08 羽田空港) 

戦前のイメージを残しつつ、丸みを帯びた50年代のスタイルに変身した。この年から「純・戦後型」が登場した訳だが、戦後型として画期的な「フラッシュサイド」と呼ばれる、前後のフェンダーが繋がってサイドがすっきりしたスタイルとなった。世間一般では翌年登場した「1949年型フォード」で広く知られることになるのだが、先鞭をつけたのは「パッカード」だった。

(写真48-2a)1948 Packard 2202 Standard Eight 4dr Sedan    (1961-03 桜田通り/三田・慶応付近)

48年型の特徴がはっきり判る。この写真は勤務先の2階から撮影したもので、当時はまだ都電が通っており、左へ100米ほど行けば「慶応義塾」の停留所があった。

(写真48-3abc)1948 Packard 2202 Standard Eight Station Sedan  (1991-01 JCCA汐留ミーティング)

趣味の対象として後年輸入されたものだが、グリルは「48年型」の特徴がはっきりわかる。本来のステーション・ワゴンのトリミングはこの写真のように「木製」だったが、後年は量産しやすいプラスチックから、プリントの貼り付けと面白味が無くなっていった。

(参考48-4a)1948 Pachard Custom Eight Sedan

(参考49-0a)1949 Packard Custom Eight 2dr Cabriolet

上級モデルには手の込んだグリルが用意された。

(写真49-1a)1949 Packard 2301 Standard Eight 4dr Sedan   (1960年 桜田通り/三田・慶応付近)

(写真49-2a)1949 Packard 2301 Standard Eight 4dr Sedan    (1959-08 羽田空港)

「49年型」としてサイドモールがボディ中央にあり、サイドマーカーが小さいところが確認ポイントとなった。

(写真49-3ab)1950 Packard 2301 Standard Eight 4dr Sedan     (1961-12 虎ノ門病院付近)

これだけ酷い状態の車は日本では車検が通らないから街で見かけたことは無いが、ここはアメリカ大使館の近くなので多分「外車ナンバー」の車だろう。アメリカでは車の管理は個人の責任という考えから「車検制度」は無いと聞いた記憶がある。(あまり可哀そうなので、一寸お化粧直しをしてみた)

(写真51-1abc)1951 Packard 2401 200 Deluxe 4dr Sedan     (1962-04 立川市内)

1951年戦後型の2代目が登場した。グリルは流行に合わせて横長になったが、上縁には旧来の曲線を残し「パッカード」であることを示した。

(写真51-2ab)1951 Packard 2401 200 4dr Sedan         (1959年 静岡県庁付近)

撮影場所は静岡県庁の前で、以前にも書いたが静岡県庁にはアメリカ車が殆ど揃っていた。このグリルに変ったことで、一般のアメリカ車と同じ見た目となり、徐々に「高級車」としてのイメージが失われていったような気がする。

(写真52-1abc)1952 Packard 2531 250 Mayfar 4dr Sedan      (1959-08 銀座)

基本的には「51年型」と変わりなく正面ボンネットの「PACKARD」の文字が消えたのが識別点。グリル内の変化は、グレードの違いで年式による変化ではない。今から66年前の「海外旅行」の目的には「国際結婚」「移民」などとあり、人生を左右する理由がなければ海外には行けなかった時代だった。

(写真52-2abc)1952 Packard Pan American Henney Convertible   (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

詳細は不明だがカスタム・メイドされたスペシャルカーだ。

(写真53-1abc)1953 Packard 2601 Clipper Special 4dr Sedan  (1982-01TACSミーティング/神宮外苑・絵画館)   

(写真53-2a~d)1953 Packard 2611 Clipper Deluxe 4dr Sedan   (1958-08 静岡市内)

2~3年毎にモデル・チェンジをするのが普通のアメリカ車だが、「パッカード」には既にその力が無かったのか51~54年にかけては「マイナー・チェンジ」でお茶を濁している。だから新鮮味に欠け、売れ行きも伸びない、という「負の連鎖」で益々経営は圧迫されていく。グリルの印象が強いため51年から54年まで素人では見分けが付かないという弱点もある。

(写真55-1abc)1955 Packard 5540 Clipper Super 4dr Sedan   (1961-01 港区・三田)

(写真55-2abc)1955 Packard 5560 Clipper Custom 4dr Sedan   (1962-03 港区・一の橋)

1955年顔付きが大きく変わったが、よく見るとボディは以前の物と変わっておらず、フルモデル・チェンジではないようだ。ヘッドライト・フードと新しいグリルでイメージ・チェンジを図ったが、何処まで効果があったかは疑問だ。

(写真56-1abc)1956 Packard 5660 Clipper Custom 4dr Sedan  (1962-04 立川市内)

この年もモールの変化のみでお茶を濁している。

(参考58-1ab)1958 Packard 58L 2dr Hardtop Sports Coupe

最後のモデルがどの程度売れたかは知らないが、街中でも、イベントでも出会う事が無かったので、参考に資料から画像を引用した。

      ―― 次回は「ポルシェ」の予定です ――

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