■ヒーローはバイクに乗ってやってくる!
我らがヒーローの仮面ライダー1号の本郷猛、人造人間キカイダーのジロー、マジンガーZの兜甲児、デビルマンの不動明…… 筆者の子供の頃のヒーローは必ずバイクに乗って格好良く登場してきました。

当然筆者も影響を受け、ヒーローが乗っているバイクをイメージして愛車である自転車(ブリヂストンYW5B)を必死に漕いで“風”を感じていました。雨の日は自転車に乗れないので、バイクのミニカーが欲しくなりました。当時から筆者の思考の終着点は、結局ミニカーになってしまうようです。
なぜ、日本のヒーローは自動車ではなくバイクに乗って登場するのでしょうか?
アメリカのヒーローであるバットマンは“バットモービル”(オープンカー)で登場しました。スーパーマンは空を飛んでやってきました。
日本独自のこの文化のルーツは、時代劇ヒーローが“馬に乗ってくる!”というのがバイクを使う理由なのではないかと筆者は思っています。馬に乗って颯爽とやってくる時代劇ヒーローは鞍馬天狗です。
これは、アメリカ西部劇ではお約束の定型ですが、ジョン・ウェイン演じる孤独の早撃ちガンマンが馬に乗ってきて、悪党に乗っ取られた街で活躍して去って行くというパターンに影響されたのではないでしょうか? 特に有名なのはアラン・ラッド主演の映画『シェーン』です。
日本の時代劇のヒーローにはひたすら歩く水戸黄門や木枯し紋次郎などもいましたが、 やはり活劇=アクションは“スピード!が命”なので、ヒーローは馬で登場させて悪党とのハラハラドキドキの追いかけっこが必要です。
ヒーローが格好良いバイクで登場して、アクションをするのは本当にハラハラドキドキで、愉しめました。そしてなぜか皆、首にマフラーを巻いていました。走っているときの“風”を映像で表現するためでしょうか? 調べてみると、実は鞍馬天狗も巻いていました。顔半分を隠すための布が長いので黒いマフラーのように見えます。もしかしてこれがルーツなのでは? と筆者は考えました。

■キカイダーのバイクは、コンセプトカーだった!
筆者が幼少期、特に感動したバイクアクションは、人造人間キカイダーとハカイダーのバイクバトルでした。キカイダーのサイドカー(劇中ではサイドマシンと呼ばれた)がとにかく格好良かったのです。
劇中、派手なアクションを繰り広げ、低重心で右へ左へとクルクル旋回する黄色の鮮やかなサイドマシンは、スタントの高度なテクニックと相まって、筆者はブラウン管の画面にくぎ付けでした。
このサイドカーには、アクションだけでなくその斬新な造形に惹かれていました。それもそのはず、このサイドカーは、川崎重工が1970年の東京モーターショーでコンセプトカー「カワサキ・マッハIII・500・GTスペシャルサイドカー」として出展したサイドカーなのです! デザインが悪いわけがありません。
筆者と同年代の皆さんは、このサイドカーを覚えているでしょうか?


右下のキカイダーのミニカーはバンダイの食玩プラモデル。となりのサイドカーはダイヤペット。後ろのカードはアマダのキカイダーカードのジローとバイク。これもライダーカードと一緒に集めていた。キカイダーカードはライダーカードより一回り小さい。ハカイダーのバイクは当時のカワサキの最強モデル「マッハⅣ 750SS」。右上のスクリーンショットは、1975年にヘルメットの義務付けがされる前のものなので、サイドカーに乗っている少年はヘルメットを被っていない。
キカイダーは、数多のヒーローを生み出した漫画家の石ノ森章太郎先生が「自作のキャラクターで一番好き」とも語っていたようです。
キカイダーは人造人間=ロボットなのですが“良心回路”を持っていて善と悪の心の葛藤がそのデザインに出ています。右半身の青が“善”、赤とメカがむき出しになった左半身が“悪”の左右非対称のデザインが採用されています。これが当時の筆者にはとてつもなくショッキングでした。それまで、シンメトリーデザインがとにかく好きだったからです。これにより、筆者は、漫画やアニメや実写化した番組などで色々なデザイン概念があることに気づかされました。TV番組は1972~73年に放送されました。
この左右非対称なキカイダーが操るのも左右非対称のサイドカーで、左右非対称関連しています。
当時は同じ石ノ森章太郎先生の大ヒット作である仮面ライダーが大人気でTV番組もスタートしていました。仮面ライダーが操るのは単車。これに対してキカイダーはサイドカーを操っていました。
この未来的なカタチのサイドカーですが、前述のカワサキのコンセプトカーを借りて撮影していたとのことです。1970年、東京モーターショーでお披露目されたサイドカーは白い色でしたが、このコンセプトカーを借りた東映スタッフは、黄色に塗り替え、ボートにスポイラーを取り付けて、キカイダーの象徴の青と赤の半々の円マークを貼り付けてキカイダーのサイドマシンとしました。劇中も派手なアクションで筆者を含む、多くの視聴者を愉しませてくれた後、最後はボロボロになったサイドカーをカワサキに返却したとのことで、返却されたカワサキはショックだったと当時の記事に書かれていました。

主人公のジローがキカイダーに変身する前のサイドカーは、番組の前期ではカワサキ 500SSマッハIIIがベース車両で、後期はカワサキ 350SSマッハIIがベースです。後期の車両はキカイダー01のダブルマシーンに改造されたため「キカイダー01」にジローが登場した際には、変形前のサイドマシンに乗るシーンを撮影することができなくなったので、キカイダー時のサイドカーに乗っていました。
このキカイダーのサイドマシンは、今は無きサイドカー専門ショップ、太陸モータースの太田政良氏が、四輪に押されて衰退する一方のサイドカー認識度向上のため、カワサキオートバイ販売(現・カワサキモータースジャパン)からの依頼を受けて東京モーターショーに出品するためだけに製作したGTサイドカーがベースになっています。ですので、実際にはカワサキ製ではなく太陸モータース社製です。
ベース車両は白色でした。エンジン、フレームの一部、ホイールなど純正部品は単品でカワサキから供給を受けたということですが、その他、車体や側車(船)、ボディコンポーネンツのデザイン、製作、加工はすべて太田氏自らが行ったとのこと。素晴らしいモチベーションです。
レースでの使用の計画はなく、公道での使用(量産も視野に入っていた?)が目的だったため、ヘッドライト、ウインカー、スピードメーターなどの保安部品がきちんと装備されており、実際に高速道路を含む公道走行の試走記録があるということで、本気度合いがわかります。
この熱い想いの取り組みが無ければ、キカイダーのサイドカーは生まれてこなかったわけで、大変楽しませてもらいました。
■閑話休題(単車の語源)
バイクのことを“単車”と呼称しますが、これは“サイドカー”に対して側車(船)が無く単独で走るという意味で単車と呼ばれるようになったのです。昔はサイドカーが一般的だったのです。
その他の理由はエンジンが単気筒だった、とか、タンタンというエンジン音から由来しているという説もあります。日本での正式名称は、“自動二輪車”です。
欧州では、“バイク”は自転車という意味の言葉で、“モーターサイクル”とか“MOTO”が二輪車の意味になります。オートバイも、アメリカで言われた“オートバイク”から生まれた“日本での造語”になります。今回、このブログではあえて“バイク”と呼称させていただいています。
■『AKIRA』“金田のバイク”のルーツはシド・ミードデザイン
斬新なスクーターといえば、大友克洋先生の大ヒット漫画『AKIRA』の金田が操るバイクです!
このバイクには名前が無く、“金田のバイク”で通っています。こんなに有名で人気なのに不思議です。
大友克洋先生はインタビューで、「最初にインスピレーションを受けたのは、ディズニー映画 『トロン』(原題:Tron)に出てくる“ライトサイクル”というバイク。それと映画『イージー・ライダー』のチョッパーハンドルをカウルで包むアイデアを自分なりに解釈してデザインした」と語っています。
Tronのライトサイクルはシド・ミード氏のデザインで大変斬新でした。
この映画は当時のハイテク・デジタルを駆使してつくられていて、デザインを学ぶ学生だった筆者も大変刺激されて映画館に観に行きました。映画『ブレードランナー』をはじめ、当時のSF映画は皆シド・ミード氏が絡んでいました。彼の“未来視”がとてつもなく素晴らしいからです。

■著名デザイナー、ハンス・ムートがデザインしたバイク!
SUZUKIカタナは、発売後40年以上過ぎた現代でも古くならない素晴らしいデザインです。ドイツ人デザイナーのハンス・ムート氏がデザインしました。モチーフとして採用した“日本刀”の切れ味ある緊張感をバイクのデザインとして実現させました。筆者は、このSUZUKIカタナはジャーマンシルバーが良く似合うと感じています。さすがドイツ的なカチッとしたデザインになっています。特にカウルまわり~ガソリンタンクの切れ上がった鋭角なエッジデザインにモチーフの刀の鋭さを感じます。シートのカラーリングも秀逸で、当時は未来から来たバイクのデザインだと思いました。今日でも人気で、実車は高額になってしまいました。
カタナは、人気の漫画『バリバリ伝説』で、主人公、巨摩郡(こま・ぐん)のライバルの秀吉が乗っていました。

カタナが出てくる漫画は『バリバリ伝説』や東本昌平(はるもと・しょうへい)先生の『キリン』がある(東本先生は先日天国に旅立たれました・・・…合掌)。
■戦後、一世を風靡したスクーター
「ウーヤーター」の声で敵を倒す“少年ジェット”の愛機はスクーターでした。
このスクーターは富士重工業(現SUBARU)の最初の量産プロダクト“ラビット”です。
戦後、まだ自動車は高嶺の花で、庶民にはバイクが精いっぱいでした。当時サイドカーが一般的だったのも人や荷物を単車ではなく側車(船)があることで多く積めるためでした。そんな時、スクーターが登場します。女性もスカートで気軽に乗ることができ、お洒落だったので爆発的にヒットしました。ラビットを詳しく調べると分かるのですが、多くの種類が出ていました。
そんな大人気のラビットには“幻の兄弟車”があったのをご存知でしょうか?
その名は「ポニー」です。当初、富士重工が企画していた時点では、群馬県の太田工場製を「ラビット:ウサギ」、東京三鷹工場製を「ポニー:小さな馬」として発表する予定で、宣伝用のポスターもラビット版とポニー版の2タイプを用意していたのです。しかし、ポニーという名前が登録商標上使用できなかったために、結局、両車ともラビットとして発売されたのでした。
ラビットについてのトリビアをもうひとつご紹介すると、試作車には戦争で活躍したプロペラ機の余っていた“リヤタイヤ”が使われたと言われています。もちろん量産車はきちんと新しいタイヤが用意されました。



■ローマの休日の“ベスパ”の魅力
スクーターが出てくる印象的な映画といえばオードリー・ヘプバーン主演の『ローマの休日』です。彼女をトップスターにした作品といっても過言ではありません。印象的なのは、グレゴリー・ペックとベスパに二人乗りしてローマの街を観光するシーンです。映画を観た時にこのシーンには憧れました。一度は彼女を乗せてやってみたいと男性諸君は妄想したのではないでしょうか?

ローマの休日でベスパを知った人たちは多いのではないでしょうか。
ベスパはイタリアの航空機メーカーのピアッジオ社が戦後民需に転換する中で製造販売したスクーターで“スズメバチ”という意味です。これは、2ストロークエンジンの甲高いエンジン音がスズメバチの羽音を想起するという理由からです。
1946年に登場し、従来のスクーターとは全く異なるスチールモノコックでボディは設計されています。航空機と同じボディ構造です。さらにはゼンリン片持ちサスペンションでタイヤ交換を容易にしています。さすが、航空機メーカーです。航空機メーカーがスクーターを製造するのは、戦後、中島飛行機から富士重工業になりラビットをつくる歴史に酷似しています。
日本でも、ベスパを印象付けたドラマがありました。1979年に放送された『探偵物語』です。主演の松田優作さんがベスパに乗って登場します。先日Yahooニュースの記事を読んでいたら、松田優作さんの自宅にはまだこの撮影で使ったベスパがガレージにあるそうです。ドラマの中では乱暴に使われていたので、傷だらけのようですが、幸せなベスパだと思います。
次回もご期待ください!


