第3回 いすゞアッソ・デ・フィオーリ

2025年11月27日

いすゞ自動車(以下、いすゞ)は、10回目を迎えるオートモビルカウンシル2025に、ジョルジェット・ジュジャーロ氏(主催者表記)が来日するのを機に、氏が手掛けたコンセプトカー、『アッソ・デ・フィオーリ』を展示した。そこでいすゞ広報部からの情報をもとにアッソ・デ・フィオーリについて振り返ってみたい。

オートモビルカウンシル2025にて展示されたアッソ・デ・フィオーリ

■ジュジャーロ氏からの提案とともに

1968年、いすゞは『117クーペ』をデビューさせた。デザインはカロッツェリア・ギアに当時在籍していたジョルジェット・ジュジャーロ氏である。ジュジャーロ氏はフィアットのデザインセンターで仕事をスタートしたのち、カロッツェリア・ベルトーネを経て、カロッツェリア・ギアへ仕事の場を移し、いすゞ117クーペなどを手掛ける。そしてイタルスタイリング(のちのイタルデザイン)を宮川秀之氏とともに立ち上げたのだ。

1968年発売のいすゞ117クーペ

実はイタルデザインを立ち上げた後も、ジュジャーロ氏といすゞとの関係は続いており、117クーペの後継車の提案やデザインスタディなどが行われていたという。その案の中に“コンパクトで実用性が高く、しかもスーパーカーとしてのディグニティ(品格)を持ち得るクルマ”というSSC(Small Super Car)構想があり、当時のいすゞ首脳部がそのSSC構想に興味を示したことがきっかけで、アッソ・デ・フィオーリの企画がスタートする。

そこで、いすゞからジュジャーロ氏に対して、「既存のコンポーネンツを使いつつ、話題となるような良いスタイリングで、2+2+αの居住性や実用性が高く、ラゲッジルームの使いやすさのアイデアが欲しい」という条件が出された。
この条件に対しジュジャーロ氏からは、

・エンジン位置が高くボンネットに制限があることもあり、良いスタイルにするのは難しいが、努力する。
・バンパーは、US仕様のポルシェ風(ボディ同色の灯火類ビルトイン樹脂バンパー)とする。
・1978年9月末にレンダリング完成。
・翌1979年3月のジュネーブショーは、このプロトタイプのみ出展。

という回答およびスケジュールの提案があり、それをもとに開発がスタートした。

■アッソ・シリーズの1台として

イメージスケッチ
レンダリング

筆者に届いたいすゞ広報から文書での情報によると、『宣伝会議 別冊』1982年12月号「いすゞ自動車『ピアッツァ』のスタイルがいすゞデザインの証」において、当時のいすゞデザイン部長が「ジュジャーロ氏から送られてきた最初のアイデア・レンダリングは、当時ジュジャーロ氏が主題としていた一連の『アッソ・シリーズ』のスケッチだった。それは、彼が永年追求してきたデザインテーマ、“快適な居住空間と優れた空力的造詣の融合”を試みたもので、鋭いウエッジシェイプとフラッシュサーフェースのボディスタイルを持っていた。そこに当時のいすゞデザインのデザインフィロソフィ“カプセルシェイプ”を加えたものが最終レンダリングとなり、最終決定は1978年10月だった」とコメントしている。

このアッソ・シリーズというのは、優れた空力と快適な居住性と実用性を備え、スタイリッシュなボディを持つというコンセプトをもとに、アウディ80をベースに1973年のフランクフルトショーに出展されたアッソ・デ・ピッケ(スペードのエース)、1976年のトリノショーに登場したBMW320をベースのアッソ・デ・クワドリ(ダイヤのエース)、そしてアッソ・デ・フィオーリ(クラブのエース)と続き、いずれも鋭いウエッジシェイプとフラッシュサ―フェースのボディスタイルを持つコンセプトモデル3連作だった。

そして1979年1月、ランニングプロトタイプの製作を開始。3月のジュネーブモーターショーに間に合わせるように完成させたのである。

1979年に撮影されたアッソ・デ・フィオーリ
アッソ・デ・フィオーリのインストルパネル全景

ショーでの評判は上々で、5月に行われた1979年イタリアローマ・ペガソ・アウォードを受賞。これも生産化に向けての後押しになった。ちなみにこの賞は1966年に117クーペも受賞している。

1979年、イタリアローマ・ペガソ・アウォードを受賞。下の写真は受賞の盾

ジュネーブショー会場では、イタルデザインブースに展示されたアッソ・デ・フィオーリだが、そこにはいすゞの名前も併記されていた。関係者からは「大幅な変更なく生産化は可能」というコメントが出たこともあり、市販化に大きな期待が持たれたとのこと。さらにいすゞ社内での評価も高かったこともあり、いすゞは量産化を決定。1981年5月13日、ピアッツァとしてデビューしたのである。

1981年にデビューしたいすゞピアッツア

(文・写真:内田俊一 写真:内田千鶴子 いすゞ自動車)

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