第150回 P項-3「ポルシェ・1(356プロトタイプ~A)」(独)

2026年1月27日

・この絵は僕が描いたものだが、何時、何を見て描いたが全く思い出せない。今回色々探してみたが判らなかった。もしかして僕のオリジナルではなく、どなたかの出版物から真似たものだったらまずいなと心配だ。

・車の「ポルシェ」を我々が知ったのは1949年のジュネーブ・ショーでデビューした「356シリーズ」が最初だった。そしてそれは段階的に「356」「356A」「356B」「356C」と進化していった。設計者の「フェルディナント・ポルシェ」はメルセデス「SSシリーズ」の設計者として1920年代には既に頂点を極めていたが、1875年生まれだから「356」が誕生した1948年には73歳で、3年後には亡くなっている。ドイツ人の「フェルナンド・ポルシェ」は戦犯として連合国に幽閉され、解放後も健康を害していたから、実際の設計は息子の「フェーリー・ポルシェ」と「カール・ラーベ」が行い、「フェルディナント」は細かい点を助言して計画に参加した程度というのが定説となっている。しかし、彼が設計した 「VW」から生まれた「ポルシェ」には「フェルディナント」の設計理念は脈々と受け継がれていることは間違えない。

<前史>

フェルディナント・ポルシェは、「高性能レーシングカー」で実績をあげながらも、「小型大衆車」にも強い関心を持っていた。1920年代初期、第1次大戦の敗戦国となったオーストリアは窮乏の中にあった。当時「オーストロ・ダイムラー」の設計者だった彼は、小型大衆車こそが今必要とされている車であると何度も進言したが、大型豪華車に固執する経営者には容れられなかった。そんな中1923年レースで死亡事故が発生したが、その責任の全てを設計者に負わせ、以後レース活動を禁止されたポルシェは、激怒して辞表を叩きつけて去った。その後「ダイムラー・モートレンAG」に主任設計者として迎えられ、1926年にはこの会社が「ベンツ」と合併し「メルセデス・ベンツ」となった。この会社でも高性能スポーツカー「SSシリーズ」を送り出す傍ら、1927年には1リッターの小型試作車を完成したが、ここでも経営陣の理解が得られず、この計画の中止を通告され、再び経営陣と衝突して退職する。1929年1月にはオーストリアの「シュタイア」の主任設計者として迎えられた。しかし僅か2年足らずでこの会社の経営が行き詰まり、なんと「オーストロ・ダイムラー」社に併合される事になってしまった。かつて喧嘩別れした経営陣の下で働くことを潔(いさぎよし)とせず「シュタイア」を辞して独立することを決意した。1930年シュツットガルトのクローネ街14番地に「名誉工学博士フェルディナント・ポルシェ」というデザイン会社を興した。あくまでも注文主の依頼によって設計するだけで、メーカーでは無かった。最初の依頼人は「ヴァンダラー」社で2リッターのカブリオレだった。ポルシェの「Type」ナンバーはこの時から始まった。ただしこの車に付けられたのは「Type7」だった。それは既に6台の実績があるように見せたらしい.

(参考32-1a)1932 Zundapp Prototype (Potsche Type 12)

1932年「ツンダップ・プロトタイプ」として3台が試作された中の1台のクーペが「VW」の始祖といえそうだが、「Type12」となるこの車は1931年ポルシェ自身の構想で作られていたものを各社に売り込んで、「ツンダップ社」でやっと実現したものだ。軌道に乗るまではポルシェも中々苦労した様だ。

(参考33-1a)1933 NSU Volksauto (Porsche Type 32)

次に実現したのは「NSU」の依頼で造られた3台のプロトタイプで、より「VW」に近付いた。完成度は高かったが、当時の「NSU」は「フィアット」の小型車をライセンス生産しており、契約上それと競合する小型車は造れないことが判り生産化はされなかった。

(写真36-1a~e)1936 Porsche Prototype Type60 V3  (2008-01 VWミュージアム/ドイツ)

1934年ヒットラーのお声がかりで「VW」計画が本格化した。案内板には「ポルシェ試作車“Typ E60 V3”」とあったが、この車の企画の発注者は「RDA」(ドイツ帝国自動車産業連盟)というドイツ中の自動車メーカーが政府の命令で結成させられた団体によるもので、「VW」という「車名」も「会社」もまだ生まれていない。だからこの車が完成した時の正式名称は「1936 RDA V3 Porsche Type60」だった筈だ。1934年契約を結び、1935年プロトタイプが2台「V1」「V2」、翌1936年3台の「V3」が完成した。写真の車は試作3号車に当たりポルシェ設計番号は「Type60」が付けられた。

<Type356(グミュント時代)> (1948~50)

・49~49年までにグミュントの仮工場で生産が始まり、アルミ製のクーペ・ボディはハンドメイドで叩き出され、50台が造られた。ほかにスイスの「ボイトラー社」でカブリオレが6台造られている。この時期に造られた車の特徴は「三角窓」が付いていた。

(写真48-1a)1948 Porsche 356 Prototype (No.1) Roadster  (1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

「K45-286」のナンバーを持つこの車は試作第1号車で、次の試作車製作資金を得るためスイスに売却されていたが現在は「ポルシェ博物館」に買い戻されている。シャシーは特製だが、その他のエンジン、サスペンション、ブレーキ、ステアリング周りなどは「VW」から転用された。エンジンは1131ccで 2基のソレックスで40馬力を得ていた。この車の最大の特徴は後年の生産型とは異なり、エンジンが「ミッドシップ」に搭載されていた事だ。

(参考48-1b)1948 Porsche 356 Prototype (No.2) Coupe

試作第2号車は、生産車に近く実質の「プロトタイプ」といえる。エンジンはリア・アクスルの後ろに移され、「リア・エンジン」となった。ロードテストは主にこの車で行われた。従来の英国タイプのアンダー・ステアのスポーツカーと違って、リア・ヘビーのポルシェは極端な「オーバー・ステア」だった。

(写真48-3a~d)1948 Porsche 356 SL Gmund Coupe   (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

グミュントで造られたアルミ製ボディを持つ50台の初期市販車で、フロントスクリーンにセンター・ピラーがあり、ドアに三角窓がある。

(写真48-4a~d)1948 Porsche 356 SK Gmund Coupe (1998-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

この車は1948年グミュントで造られたアルミ・ボディの軽量車で、1951年の「ルマン」に参戦し、クラス優勝(総合20位)した。1086ccのエンジンは40hpから46hp迄強化されていた。

(写真49-1a~d)1949 Porsche 356 SL Gmund Roadster (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

プログラムによると1949年製、シャシーNo.356/2-063、排気量1500cc とあった。グミュント時代は試作1号車の他には「ロードスター」は造られていないので後年改造されたものと推定される。

(写真49-2ab)1949 Porsche 356 Gmund Coupe   (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

プログラムによると1949年製、シャシーNo.356-057、排気量1300ccとあった。1300ccのエンジンは1951年登場するので後年載せ替えたものと推定される。

<Type356(シュツットガルト時代)> (1950~55)

・1950年春、シュツットガルト郊外、ツッフェンハウゼンのロイター・ボディ工場の一隅500m²を間借りして本格的な生産が開始された。第1期(1950~55)この期間に造られた只(ただ)の「356」は、そのままだと後年造られた「356 A・B・C」と区別がつきにくいので、後年は「356A」の前という事で「プレ356A」と呼ばれることが多い。

・この期間の造られたモデルは「クーペ」「カブリオレ」は1100、1300、1300 Super、1500、1500 Super、「スピードスター」は1500、1500 Superと、全部で12種があった。

(写真50-1ab)1950 Porsche 356 1100 Coupe (Type369)  (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

1950年1100cc1種で量産が始まった。ボディはアルミから「鋼製」に変わりエンジンは1086cc 40hpだった。ポルシェの「形式名」は1番(実際は7番) から始まる「設計番号」が当てられる。「356」は試作1号車が356番目だったことを示している。しかしその後次々とニューモデルが誕生し、それぞれに「設計番号」が付けられていくが、同系列の「形式名」は最初の「356」で統一されている。この車の「設計番号」は「369」で既に13番進んでいることが判る。設計番号は1発でその車を特定できる固有番号だから「356-369」とすれば判りやすいが、「356」ではそのような使われ方はなかったようだ。

(写真51-1abc)1951 Porsche 356 1300 Coupe (Type506)  (2012-04 トヨタ自動車博物館/名古屋)

1951年になるとエンジンに1300(1286cc)と1500(1488cc)が加わった。グミュント時代にあったドアの三角窓は無くなっている。この車の設計番号は「506」となっているが、1年間で137も進んでおり、細かい部品も含めてだろうが設計部の仕事ぶりが判る。

(写真51-2ab)1951 Porsche 356 1300 Coupe (Type506)  (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

バンパーを外してレース仕様にしているが、「プレA」の特徴を備えている。1951年からはホイールに放熱孔が開けられた。

(写真51-3a~e)1951 Porsche 356 1500 Special    (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

「年式」「1500」はプログラムで確認。カタログモデルモデルにはない「スペシャル」で、数々のレース歴がボディに書き込まれている。

(写真53-1a~h)1953 Porsche 356 1300 Cabriolet    (1960-01 永代通り/呉服橋付近)

「ポルシェ」が日本人向けに初めて輸入されたのは1953年「三和自動車」によるものだった。カーグラフィック1971年8月号の裏表紙に輸入元の「三和自動車」の広告(参照)があり、それによると「53年春」となっているが、NEKO出版の「心に残る名車シリーズ・13/ポルシェ1980」(P-87) では、当時のメカニック吉岡晶氏は最初の2台は「7月」、続いて「10月」にも2台が上陸したはずと語っている。写真の車はその最初の2台の内赤のカブリオレだ。(もう1台は緑のクーペ)広告に掲載されていた写真の車のナンバーが「5-7626」で、この車と一致したのだ。1953年輸入時(ルビー・レッド)→1960年撮影時(白・前後の茶色は塗装下塗りと思われる)→1979年・京ナンバー(ルビー・レッド)でオリジナルカラーに戻っている。

(写真53-2ab)1953 Porsche 356 1300 Cabriolet       (1962-04 東京駅・八重洲口)

前項の輸入1号車とそっくり同じなので2台の内のもう1台かと思っていたが、2台目が「クーペ」と判ったので見込み違いだった。10月更に2台が追加輸入されたが2台ともクーペだった。1953年、54年で「8台」が輸入されたという資料があったから、その時の物だろう。以後外貨事情が影響して61年までは日本人向けの外車の輸入は制限されてしまった。

(写真53-3abc)1953 Porsce 356 1500 Cabriolet (1958年 銀座6丁目/ソニー通り)

僕が最初に見たポルシェがこれだ。ナンバーから日本人が所有している車だから当時10台程しかなかった希少車に出会えて幸運だった。米軍人からの転売ものでなければ、この車も初期輸入車の1台の可能性はある。「地面にぺったり」というイメージを与えた車だ。

(写真53-4ab)1953 Porsche 356 1500 Coupe  (1959-12 銀座周辺)

出会った2台目がこの車だ。最初に輸入されたのは「1300」で「1500」が何時から入って来たかは僕には判らないが、1951年から造られていたから初期に輸入された筈だ。この車を見た時の印象は「黒いスポーツカーも中々格好良いな」だった。この車も「地面にぺったり」だ。

(写真53-5abc)1953 Porsche 356 1500 Super Coupe    (2017-12 トヨタMeg Web/お台場)

トヨタがコレクションしている車なので、もしかしたらごく初期に日本に入った車の1台ではないかと思ったが外国のナンバーが付いているので見込み違いのようだ。(1953年日本に最初の輸入された2台の内1台は緑のクーペだったが)

(写真53-6a~d)1953 Porsche 356 1300 Coupe  (2009-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

前年の1952年外見に大きな変化があった。フロントスクリーンのセンター・ピラーが無くなったが、ガラスは中央で折れている、バンパーが新しくなった.

(写真53-7ab)1953 Porsche 356 1500 Coupe    (1977-04 TACSミーティング/筑波サーキット)

(写真54-1a~f)1954 Porsche 356 1300 Coupe  (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/トウキョウプリンスホテル)

年式は本人申告のプレートに従った。外見上はテールランプが「水滴型」に変っている。「1300」は推定だが、この年「1100」は無く、他のモデル「1300S」「1500」「1500S」の場合は表示がある筈と推定した結果だ。

(写真54-3a~d)1954 Porsche 356 1500 Speedster  (2009-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

この年から「スピードスター」が登場した。特徴は「356A」を示しているが本人の申告に従って1954「356」とした。

  <Type356A> (1956~59)

1955年10月モデルチェンジした「356A」が1956年型として登場したが、年内販売されてものは「55年型」として扱われている様だ。ウインドシールドは曲面となり、フロント・ボンネットのクロームの先端にポルシェのバッジが組み込まれた。

・ポルシェの正規輸入は1953、54年の8台だけで、以後外貨不足を理由にポルシェを含め外国車の輸入は禁止されており、1961年再開されて時ポルシェは「356B」になっていた。だから「356A」については、2年落ちの米軍々人からの払下げか、後年中古車として輸入されたものが多い。

<356A・前期型>(1955~56)

前期型は「テールランプが丸型4灯」「照明灯はナンバープレートの上にある」のが識別点となる。

(写真55-1a~d)1955-56 Porsche 356A 1500 Super Speedster         (1961年 赤坂見附)

ポルシェの輸入元「三和自動車」は地下鉄銀座線「赤坂見附駅」のすぐ裏にあった。路上駐車OKに時代だからこのように道路にポルシェがゴロゴロ駐車していた良き時代だった。(時代はすでに「356B」に入っていたが、あえて「356A」を正規輸入していたようだ。)

(写真55-2ab)1955-Poesche 356A 1500 Super Speedster   (1989-10 モンテ・ミリア/神戸)

(写真55-3a~d)1955 Porsche 356A 1600 Super Speedster    (1989-10 モンテ・ミリア/神戸)

(写真55-4a~d)1955 Porsche 356A 1600 Super Speedster    (1984-04 筑波サーキット)

(写真55-5abc)1955 Porsche 356A Speedster   (2009-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

(写真55-6abc)1955 Porsche 356A Speedster   (2010-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

(写真55-8a~d)1956 Porsche 356A 1600 Speedster (2010-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

イベントで多くのポルシェ撮影する機会に恵まれたが圧倒的に「スピードスター」が多かったのはご覧の通り。「地面を這うような」と形容されるスタイルの中でも最も低い姿勢だから、魅かれる気持ちは良く判る。

(写真55-9ab)1955 Porsche 356A 1500 Super Speedster  (2001-05 ドゥオーモ広場/ミッレミリア)

(写真55-10ab)1956 Porsche 356A 1500 Speedster    (2001-05 ヴィットリア広場/ミッレミリア)

意外なことに海外では「スピードスター」にあまり出逢わなかった。

(写真55-11a~e)1956 Porsche 356A 1600 Coupe     (1961-11 草月会館/青山通り)

無駄なものが付いていないこれぞ「356A」といえる極めてコンディションの良い車だ。場所は赤坂から渋谷に向かう青山通りを800m程走ったところで、向かえ側は「青山御所」だ。

(写真55-13a~e)1956 Porsche 356A 1600 Cabriolet  (2009-10 ラフェスタ・ミッレ・ミリア/明治神宮)

前期型のカブリオレには「三角窓」がないのも後期型との識別点となる。

<356A・後期型> (1957~59)

(写真57-1ab)1957 Porsche 356A 1600 Super Coupe     (1960-01 霞が関/桜田通り)

この写真は車を探して官庁街をうろついていた時、突然走って来た大珍車「ポルシェ」をとっさに捉えた傑作だ。当時街を歩くときは常に首からカメラを提げ、何時でもシャッタ―が切れる体制でいたことは確かだが、今考えると可成り変な人に見えていたかもしれない。この時は細かいことは判らなく、「3ナンバー」だから多分「1600」と見当を付けていた。(当時「5ナンバー」は1500cc迄だったから)しかし後年雑誌で見つけた記事で同じナンバーと気付きポルシェ・クラブ会長の車だったことが判り、1957年の「356A 1600 スーパー」と確認できた。

(写真57-2a~e)1957 Porsche 356A 1600 Coupe (1965-11 東京オートショー・駐車場/晴海)

前から見たところでは「前期型」と「後期型」では全く変わらないが、後ろは大きく変わった。テールランプが「丸型4灯」から「水滴型」となり、「照明灯はナンバープレートの下に移った」のが識別点だ。

(写真57-3abc)1958 Porsche 356A 1600 Coupe  (1987-01 TACSミーティング/明治公園)

「後期型」の特徴の一つとして「マフラーがリアバンパーのオーバーライダーから出ている」となっており、この車はきちんとオリジナルを保っているが、以下に登場する車たちは守られていない。

(写真57-4ab)1957 Porsche 356A 1600 Coupe (1977-04 TACSミーティング/筑波サーキット

(写真57-5ab)1957 Porsche 356A 1600 Super Coupe7-05 ミッレミリア車検場

(写真57-6ab)1957 Porsche 356A 1600 Super Coupe  (2010-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真57-7a~d)1957 Porsche 356A Carrera Coupe  (2010-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

(写真57-8abc)1958 Porsche 356A Carrera Coupe  (1989-10 モンテ・ミリア/神戸ポートアイランド)

「カレラ」には元々オーバーライダーが付いていなかったら、この決まりには当てはまらないのだが、有無については確認できなかった。

(写真57-9a~g)1956 Porsche 356A 1600 Super Cabriolet (1980-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

「高倉健の車」として知られている「2316」のナンバーを持つこの車は「1980、81,82,88,91」とイベントで5回も撮影している。この時既に所有者は現在と同じだったから、かなり昔譲渡が行われていたようだ。現在は1958年型と称しているが、この当時は年式を1956年としてプログラムに登録している。ずっと誤りかと思っていたが、今回このカラクリに気が付いた。1956年製造された車を2年間保管し、1958年になって登録したのではないかと推定した。だからこの車は本当は1956年型という事だ。

・後期型のカブリオレには「三角窓」が付いたので横から見た際の識別点となる。

(写真57-10a~f)1958 Porsche 356A 1600 Super Cabriolet (2010-10 ジャパン・クラシック・オートモビル日本橋)

この車は大好きな「高倉健さん」が所有していた車として2010年僕の前に登場したが、このナンバーの車はマイ・コレクションでは1980年には既に撮影していた。初代オーナーとなった「健さん」は、この車をどういう経路で手に入れたかは謎だ。というのは初年度登録「1958」年とされているこの時期は輸入禁止期間だから正規デーラー物とは思えない。米軍々人の転売物とすれば、「356A」の後期型は1957年型(56年中には生産開始)として誕生しているから、転売据え置き期間2年はギリギリクリアできたのだろうか。

(写真57-11ab)1958 Porsche 356A 1600 Super (1995-08 コンコルソ・イタリアーノ/カリフォルニア)

アメリカ仕様ではバンパーにステーが付いた。

(写真57-12abc)1957 Porsche 356A 1600 Super Speedster (2008-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

(写真57-13abc)1957 Porsche 356A 1600 Super Speedster      (1962年 港区一之橋付近)

(写真57-14abc)1957 Porsche 356A 1600 Super Speedster (2015-10 アメリカン・ピクニック/お台場)

(写真57-15abc)1957 Porsche 356A 1600 Super Speedster      (1984-07 富士スピードウェイ)

(写真57-16ab)1957 Porsche 356A 1600 Speedster    (1981-01 TACSミーティング/神宮絵画館)

(写真57-17a~d)1958 Porsche 356A 1600 Speedster    (2009-11 ホンダ・コレクションホール)

全ての「スピードスター」だけが持っていた特徴はボディサイドの「クロームライン」だ。他のモデルより低く見えたのは中央で2つに区切ったので、眼の錯覚で背が低く見えたのかもしれない。日本人が大好き?だった「スピードスター」は1958年で姿を消し、新しく「カブリオレD」にバトンタッチした。

(写真58-1ab)1959 Porsche 356A 1600 Super Cabriolet D        (1984-07 富士スピードウエイ) 

(写真58-2ab)1959 Porsche 356A 1600 Super Cabriolet D    (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

「カブリオレD」になって変った所はフロントウインドウの窓枠が少し頑丈になった、そのお陰で巻き上げ式窓ガラスが付いた、実用性の高い幌に変わり少し量が増えた。(コンバーチブルDの「D」はコーチビルダー「Drauz」の略)

   ―― 次回は「ポルシェ356 B/C の予定です ――

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