
・自動車メーカーの歴史は、一部の例外を除いて「いつかは倒産」と言いたくなるほど次々と姿を消していく。戦前の日本で高級車の代表だった「パッカード」もその例外ではなかった。「ジェームス・パッカード」「ウイリアム・パッカード」の兄弟と、「ジョージ・ルイス・ワイス」の3人で、1899年オハイオ州ウォーレンで「パッカード&ワイス」と言う社名で設立された。設立の経緯は当時ベストセラーだった「ウイントン」を購入したパッカードが、エンジニアとしての自身の経験から幾つかの改良点を社主の「アレクサンダー・ウイントン」に指摘するも、相手にされず「自分で造ったら」と言われたのがきっかけとされている。因みに設立時のパートナー「ワイス」は「ウイントン社」の大株主だった。
(写真00-0)1898 Winton Motor Carrige
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パッカードが最初に買った車と同型車
(写真00-1abc)1899 Packard Model A 4-Passenger (1999-08 カリフォルニア/ペブルビーチ)



パッカードが最初に造った「A型」で、外見は「ウイントン」と似たようなものだが、1900年前後の黎明期は、まだ自動車としての定型的なレイアウトは完成しておらず、模索中の時代だ。エンジンは水平1気筒、2336cc 9hp/800rpmだった。特に「レプリカ」とは書かれていなかったから「オリジナル」の可能性もある。
(写真01-1ab)1901 Packard Model C 4-Passenger (1999-08 カリフォルニア/ペブルビーチ)


「C型」ではリア・エンジンになったせいでリア・シートが異常に高くなった。
(写真03-1abc)1903 Packard Model F Touring (1971-03 ハーラーズ・コレクション/幕張メッセ)



(写真03-2ab)1903 Packard model F Old Pacific (1998-08 ブルックス・オークション/ カリフォルニア)


「F型」では「フロント・エンジン」「リア・ドライブ」となり全体にも現代の自動車に近づいてきた。1903年からエンジンは直列4気筒となり3959cc 22hp/900rpmとなった。 .
(参考04-1a) 1904 Packard Model L Touring

(写真05-1ab)1905 Packard Model N Touring (1999-08 カリフォルニア/ペブルビーチ)


(写真06-1ab)1906 Packard Model S or 24 Runabout (1999-08 カリフォルニア/ペブルビーチ)


1904年になるとフロントに「ラジエター」が独立した。その形は1957年まで「パッカード」の象徴として54年間連綿として続くことになるモチーフの始まりだった。
(写真10-1abc 1910 Packard Model 30 Runabout (1999-08 カリフォルニア/ペブルビーチ)



モデル名は「A」から始まって1906年の「S」まで来たが、「S」は主に別名「24」と呼ばれ、以後アルファベットは廃止され「数字」に変わった。1907~12年は Model「30」、Model「18」の2種があり、それぞれ馬力を示している。
(写真14-1abc)1914 Packard 3-48 7-Passenger Touting (1999-08 カリフォルニア/ペブルビーチ)



(写真15-1a~d)1915 Packard 3-38 Runabout (1998-08 カリフォルニア/ペブルビーチ)




1912年からは「モデル名」に「シリーズ名」が加わり、新たに「シリーズ1-48」が誕生した。翌1913年には「1-38」、「2-48」の2種となり、14年は「2-38」、「3-48」、「4-48」、15年は「3-38」、「5-48」と続いた。「38」「48」の根拠が何処にあるのかは確認できなかった。エンジンは1913年から6気筒が登場した。
(写真16-1ab)1916 Packard 1-25 Twin-Six Limousine (1999-08 カリフォルニア/ペブルビーチ)


(写真20-1ab)1920 Packard 3-35 Twin-Six Freetwood Town-Cabriolet (1995-08 クリスティ・オークション)


1916年遂にパッカードに「12気筒」が誕生した。60°V12 6947cc 88hp/2600rpmのこのエンジンは、1923年まで殆ど変わらず最上位のシリーズに使用された。
(写真20-2A~d)1920 Packard 3-35 Twin-Six Phaeton (2011-11 トヨタ・クラシックカーフェスタ/神宮)




・1924年パッカードに「8気筒」が初めて登場し、Eight「1st」シリーズが誕生した。同時に「6気筒」もSix「1st」シリーズとなり、この後年式の表示はずっとこのスタイルが続けられた。
(写真25-1a)1925 Packard Six 3rd 326 Phaeton (1983-02 インペリアルパレス・コレクション/晴海)
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写真の車はカジノの展示車で、車そのものよりも「○○の・・・」と車のエピソードを主体に集められたもので、この車は「アル・カポネ」のギャング団が使用していた車と説明されていた。
(写真28-1a)1928 Packard Eight 4th Custom 443 Rollston All Weather Cabriolet (1999-08 カリフォルニア)

Eightの新シリーズは1925-26年の「2nd」以降、27年には「3rd」、28年は「4 th」と順調に回を進めている。パッカードでは「ロールストン」を含む8つのコーチビルダーが用意されており好みのボディ注文する事が出来た。写真の車のランドウ・ジョイントは飾りで屋根は開かない。運転席に屋根を付ければ完全な全天候仕様となり、既に完成したスタイルだ。
(写真29-1ab)1929 Packard Eight 6th Standard 633 Coupe (2008-01 シュパイヤー科学技術館/ドイツ)



1929年のEightシリーズは順番から行けば「5th」の筈だが、なぜか「6th」シリーズとなっている。28年のSixシリーズが「5th」だが、まさかこれをカウントする事は無いとは思うが、統一性が無くて頭が痛い・・。
<1930年代・最盛期>
マスコットが最初に登場したのは1925年の「スピードの女神」と言われる「A」だった。比較的よく見たのは「スワン」とよばれる「B」だった。「C」は推定だが「アドニス」と言われたギリシャ神話の美少年だろうか。「D」は抽象的で呼び名があったか不明。




1930年は全てが8気筒のみで、6気筒は1928年以降無くなった。Eightは7thシリーズとなり、グレードは「スタンダード(726、733)」、「スピードスター(734)」、「カスタム740」、「デラックス745」」の4つが用意された。
(写真30-1a)1930 Packard Eight 7th Standard 733 Phaeton (1995-08 ホテル・オークション/カリフォルニア)

毎年8月クラシックカー・イベントを見るためモントレーに宿泊するのだが、昼間のイベントのほかに、夕方から近くでオークションが開かれる。写真の車は会場に登場する前、裏庭で待機中の車だ.
(写真30-2a~e)1930 Packard Eight 7th Speedster 734 Runabout] (1971-03 ハーラーズ・コレクション/晴海)





1973年アメリカから大量のクラシックカーがやってきて幕張・メッセで展示会が開かれた。このコレクションは専用のレストア設備と職人を擁する信頼できるものだった。初めて見る本物のクラシックカーの前から中々離れられなかった。
(写真30-3ab)1930 Packard Eight 7th Speedster 734 Phaeton (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)


(写真30-4abc)1930 Packard Eight 7th Speedster 734 Phaeton (1990-01 JCCA汐留ミーティング)



「スピードスター」というのは本来はボディの種類として使われる言葉だが、この場合はパッカードの「グレード」を示しており、ボディの種類は「フェートン」だ。
(写真30-5ab)1930 Packard Eight 7th Deluxe 745 Conbvertible Victria by Dietrich (1998-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)


写真の車は最上位の「デラックス」で、ボディは「カロセリア・デートリッヒ」による特別仕様だ。
・1931年も8気筒のみで、Eightは8thシリーズとなった。グレードは「スタンダード」(826)(833)、「デラックス」(840)、「カスタム」(845)の3種だった。
(写真31-1a~d)1931 Packard Eight 8th Standard 833 Sedan-Limousune (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンスホテル)




パッカードが多く輸入されたのは1930年代後期だが、20年代後半から30年代前半にも何台か輸入された記録が残っている。写真の車はおそらく戦前からの生き残りと思われるが、ヘッドライトはシールドビームを埋め込んで走行を可能にしてある。バンパーはオリジナルとは異なる。
(写真31-2a~e)1931 Packard Eight 8th Deluxe 840 Convertible Sedan (1971-03 ハーラーズ・コレクション/晴海)





信頼できる案内板にモデル名まで入っているので面倒がかからなくて有難い。パッカードの特定には多くの資料を参考にかなり手間がかかるからだ。
(写真31-3abc)1931 Packard Eight 8th Custom 845 Convertiblr Victria by Waterhouse (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)



(写真31-4abc)1931 Packard Eight 8th Custom 845 Convertibke Coupe by LeBaron (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)



(写真31-5ab)1931 Packard Eight 8th Custom 845 Convertible Coupe by Derham (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)


この3台は一番上級グレードの「845」で、いずれもカロセリアによる特注ボディが架装されている。
(写真32-1abc)1932 Packard 9th Twin Six 906 Sport Phaeton by Dietrich (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)



クルマの下をのぞき込んでいるのはコンクール査員だ。
(写真32-2abc)1932 Packard 9th Twin Six 906 Convertible Vivtoria (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)



1932年パッカードに新たな「12気筒」が誕生し(905)(906)の型番が与えられ、以後フラッグシップとして「高級車メーカー」の顔となった。「8気筒」は「ライト・エイト」(900)、「スタンダード・エイト」((901)(902)、「デラックス・エイト」(903)(904)で、量販部門を担当した。
(写真34-1ab)1934 Packard 11th Super Eight 1104 Coupe (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)


1934年のモデル名は「イレブン」となった。8気筒は「エイト」(1100)(1101)(1102)、「スーパー・エイト」(1103)(1104)(1105)の番号が与えられた。12気筒との差がどこにあるのかは判らない。
(写真34-2abc)1934 Packard 11th Twelve 1106 Sport Coupe by LeBaron (1998-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)



12気筒には (1106)(1107)(1108) の番号が与えられた。(1106) の番号は「スーパー・エイト」と同じホイールベースの135インチのシャシーにのせられた「クーペ」に付けられた。写真の車は初めて登場したモダンなファスト・バック・クーペで、完成度は高く1950年代でも通用しそうだ。
(写真34-3abc)1934 Packard 11th Twelve 1107 Phaeton (1991-01 友禅自動車資料館/幕張)



案内板に「1170」とあるのは誤記入で「1107」が正しい。W/Bは142インチで写真の「フェートン」の他、各種ボディーが架装された。
(写真34-4ab)1934 Packard 11th Twelve 1108 Sport Phaeton by LeBaron(1995-08 ホテル・オークション/カリフォルニア)


147インチの長いシャシーに架装されており、4ドア、4シーターで、後席用にもスクリーンを備えているにもかかわらず軽やかに仕上げられているのは、「スポーツ・フェートン」の名前通りだ。
(写真34-5ab)1934 Packard 11th Twelve 1108 Speedster by LeBaron (1995-08 ホテル・オークション/カリフォルニア)


前項とほぼ同じコンセプトで造られたものだが、こちらは2ドア、2シーターの純粋な「スピード・スター」だ。(1108) はスペシャル・ボディに与えられる番号のようだ
(写真35-1a~d)1935 Packard 12th Eight 120 Sedan (1960年 港区内)




(写真35-2abc)1935 Packard 12th Eight 120 Touring Sedan (1966-02 なんでも100年/駒沢公園)



1930年代後半から多くの車が日本に入って来た。手頃な価格の8気筒ながら高級感を持った「120」が大ヒットし、10か月で2万5千台も売れてパッカードの財政を安定させたが、その影響もあったのだろう。政財界、皇族・華族、官公庁などに広く購入された。日本に入って来たのはオーソドックスな「セダン型」のみで、「クーペ」や「オープン・タイプ」はなかった様だと思っていたが、1937年型パッカード・エイト・フェートンが先導車として宮内庁に存在していた。写真の2台とも戦前の生き残りと思われるが、マスコットは無く、官公庁の車だろう。
(写真36-1ab)1936 Packard 14th Sper Eight 1403 Sedan (1965-09 大英 博覧会/晴海)




何の表示もないパッカードの年式・型式を特定する難度は、数あるメーカーの中でも最高だ。変化のある個所は「ドア・ハンドル」「フェンダー」「バンパー」くらいしか無く、しかも必ず毎年変わる訳ではないから、それらを組合わせて、参考資料の写真と較べ判定することになるのだが、前年と変わっていない場合もあるので間違えもありうる。世代(年式)を表す「14th」シリーズと、型式(グレード)を表す(1403)で車種を特定し、そのほかに「ボディ・ナンバー943」で「5人乗りセダン」と判る。
(写真36-2abc)1936 Packard 14th Super Eight 1405 Convertible Sedan (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)



(写真36-3a~d)1936 Packard 14th Twelve 1407 Sedanca de Ville (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)




アメリカでクラシックカーとして保存されているのは、日本では絶対見られなかったお洒落なスペシャル・コーチワークの物が多いようだ。イベントで展示される車には情報が記入された表示があるので、面倒がかからなくて有難い。
(写真37-1ab)1937 Packard 15th Super Eight 1502 Touring Sedan (1962-01東京オートショー/千駄ヶ谷)


この車は「早稲田大学自動車部」が所有していた車と推定される。
(写真37-2abc)1937 Packard 15th Super Eight 1502 Touring Sedan (1966年立川市内)



「ドア・ハンドル」が前後とも中央にある「観音開き」で、「裾を引くフェンダー」、「バンパーガードが2個」あるので1937年と判定した。この年代は「宮内庁」や「警視庁」で多く所有していたから、戦火を逃れた車が戦後多く見られた。
(写真37-3abc)1937 Packard 15th Super Eight 1501 Touring Sedan (1982-11 TACSミーティング/神宮絵画館)




この車を見た時、一瞬「宮内庁から払い下げ?」と目を疑った。赤・黒の塗分けだが、この赤は「溜色(ためいろ)」と言われる天皇陛下の御料車専用の色だったからだ。しかし「パッカード」はあくまで「供奉車(ぐぶしゃ)」であって「御料車」としては存在しないので、御料車に似せて塗ったものだろう。(本物の御料車を参考に添付した)
(写真37-4abc)1937 Packard 15th Super Eight 1501 Touring Sedan (2015-04 クラシック・オートモビル/日本橋)




確かではないが、この車はもしかすると、前項の車そのものかもしれない。塗装以外違いが見つからない。
(写真38-1ab)1938 Packard 16th Super Eight 1604 Coupe by Mayfar (1999-08 カリフォルニア/ペブルビーチ)


日本で見た「パッカード」はお役所向けの無難な「箱型セダン」ばかりだったから、それが「パッカード」のイメージとして刷り込まれていたが、それはほんの一部で、海外ではこんなお洒落なパーソナル・カーに数多く出会った。
(写真39-1a~d)1939 Packard 17th Twelve 1707 Convertible Victria(1998-08ブルックス・オークション/カリフォルニア)




1938年から「ラジエターグリル」のデザインが変わった。37年までは上下は細かいラインで仕切られていたが、新型では全面がグリルとなり、シャッターの本数は16本から10本に減った。
(写真39-2a~d)1939 Packard 17th Twelve 1707 Coupe (1990-01 JCCA汐留ミーティング)




(写真39-3a~d)1939 Packard 17th Twelve 1708 Allweather Cabriolet Brougham (2007-04 トヨタ自動車博物館)




1939年以降、公式の「大統領専用車」が制定され「リンカーン」が1948年まで独占した。従って展示車「パッカード」はルーズベルト個人の専用車だったと思われる。
(写真41-1ab)1941 Packard 19th Super Eight One-Eighty 1906 Convertible Victoria by Darrin (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)


1940-41年のグリルは以前よりも細いものに戻り、両脇にサブ・グリルが付いた。全体のモダン化が進んでいる。ボンネット横には「OneEighty」とグレードが示されている。
(参考42-1a)1942 Packard Special Eight Clipper Club Sedan

戦前最後のモデルは、国内でも海外でも一度も出逢う事が無かったが、戦後に繋がる重要なモデルなので資料から転用した1946年型は殆どこのままで登場することになる。
・今回の「パッカード」は見た目に変化が乏しく、関心の無い方には退屈極まりない回だったと思いますが、微妙な変化で年式を特定した資料として参考にしていただければ幸いです。
―― 次回はパッカード・戦後編です ――


