第144 回 O項-2「オスカ」(伊)

2025年7月27日

イタリアのスポーツカーと言えば「フェラーリ」と「マセラティ」が双壁だ。その一つ「マセラティ」は1914年マセラティ家の4男「アルフィエーリ」、6男「エットーレ」、7男「エルネスト」の3兄弟がボローニャで起こした会社からスタートしたが、1937年には資金難でモデナの実業家「アドルフォ・オルシ」に経営権を譲渡し、「オルシの息子」が社長となった。マセラティ兄弟は「10年間はマセラティで働く事」と言う契約を交わしていたが、兄弟はきっちり約束を果たした10年後の1947年になると、「オルシ」の下を離れ、自分たちの思い通りの車造りをするための「OSCA」と言うレーシングカー・メーカーを作った。だから「OSCA」は「マセラティ」そのものだが、「マセラティ」と言うブランドは「オルシ」に譲渡してしまったので使う事が出来ず、「Officine Specialzzate Costruzione Automobili」(マセラティー兄弟特殊自動車製作所)通称「OSCA」となった訳だ。だから、丸いOSCA のバッジには下にFratelli Maseratiと入っている。

< MT 4 >

「OSCA」が最初に造ったのは「MT 4」と名付けられたレーシング・スポーツカーで、1948年から56年までレーシングカーとしては異例の長期間にわたって製造され続けた。実際は多くのエンジンと、シャシーが用意されて複数の車種が造られたが、元々「MT 4」は「Maseati Tipo 4cilindri」の略で、4気筒車すべてに共通した名前だった。当初、排気量は1092cc(SOHC)で始まり、1949年1349cc、1950年からは「2AD」(DOHC)となり1092cc、1342cc、1953年からは1453cc 、1954年からは1491ccとなった。だから「MT 4」には多くの兄弟があった。

(写真01-1a~h)1949 OSCA MT4 1100     (2008-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮、幕張)

最初のモデルは1939年オルシ時代に手掛けた「マセラティ4CL」シングルシーターのレーシングカーを想定してモダン化した「2シーター・レーシング・スポーツカー」だ。写真の車は最小限度の安全基準を満たし、ナンバーを取得しているから、こんな見た目だが公道の走行が可能だ。

(写真01-2a~e)1949 OSCA MT4 1100   (2009-10ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

このタイプが「オスカ」の標準的なボディだ。ほとんど同じボディに色々なエンジンを搭載しでいるので見分けが難しいがラジエターのスリットが10個で初期の「1100」だ。

(写真01-3a~e)1952 OSCA MT4 1100 Spider     (2015-04 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)

この車も前項と全く同じ「1100」だ。本人申告が「2AD」とはなっていないので、1952年型だが初期型のSOHC 1100と思われる。

(写真01-4abc)1952 OSCA MT4-2AD 1100 Spider           (2004-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)

この車はボンネットが開いており、エンジン・ヘッドが二つ見えるのでツインカム・エンジンの新型エンジン付き「MT4-2AD」だ。排気量については何処にも表記されていないので「1100」としたが、「1350」も存在した。

(写真01-5ab)1952 OSCA MT4-2AD 1350 Spider       (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

この車はプログラムに排気量1342ccとあったので「1350」と確認できた。

(写真01-6abc)1952 OSCA T4-2AD 1100    (2000-05、2001-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)

この車はミッレ・ミリアで2年続けて撮影しているが2回とも車検以前で番号が付いておらず、プログラムからも特定できなかった。フェンダーに名前らしきものが見えるが該当するものは無かった。従って「年式」「型式」については推定である。

(写真02-1abc)1952 OSCA 1350 Vignale     (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)

写真だけ見せられたら「OSCA」とは判らない顔をしているが、紛れもなく「OSCA」だ。ビニアーレ製のこの車もキャビンを持つ「クーペ」だ。

(写真02-2-abc)1953 OSCA MT4 1500  (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

イギリスのイベントで見つけたこの車にはMEXICOの文字と52番の入ったプレートが貼ってあった。それを見てピンときた。そこでとっておきの資料「Carrela Panamericana “Mexico”」と言う分厚い本(25,000円もした)をめくった。そして遂に見つけたのが3枚目の写真だ。1954年のレースに参戦し、途中まではクラス4位の記録が残っていたが、最終結果は10位以内には見当たらなかった。

(写真02-3ab)1954 OSCA MT4       (1994-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)

初めてイタリアに行った時撮影したもので、この通りを左右から車検を受ける車がやってきて、ここで曲がって50米程先を右折すると車検場がある。ものすごく渋滞しているので写真を撮るには絶好の場所だが、ゼッケンを受ける前なので後で車の特定には苦労する。

(写真02-4abc)1954 OSCA MT4 Morelli   (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

「オスカ」のボディは多くのカロセリアが手掛けており、「モレッリ」もその一つだ。この車はレーシング仕様でフロントにはヘッドライト以外は何も付いていないからのっぺりしたように見える。リアトランクにはレース用の大型給油口が見える。

(写真02-5a~e)1955 OSCA MT4-2AD 1350  (2010-07 東京コンクール・デレガンス/お台場・潮風公園)

1955年になると従来の丸を縦に区切った伝統的なグリルから、流行の横に長い楕円のグリルを付けたモデルが現れた。ボディにはどこにもカロセリアのマークが見あたらないのでファクトリー・ボディだろうか。

(写真03-1a~d)1956 OSCA 1500 TN Morelli    (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

型式の「TN」は「Tipo Nuovo」(新型)を表す。125hpの新型エンジンは「MT4」のシャシーにとっては強力すぎ、それに対応するため造られたのが「1500 TN」で、速いが壊れやすく殆ど完走できなかった。1955~56年で数台しか造られなかった。

  187S  (750)

このシリーズは初期の「750」「1100」「1500」の3本柱の最小部門を受け持った「レーシング・スポーツ」で、1950年代後半活躍した。

(写真04-1a~e)1958 OSCA 750 Sport LeMans Special (1979-TACSミーティング/東京プリンスホテル)

カーグラフィック1979年4月号の表紙を飾ったこの車に最初に出会ったのは46年前、随分昔の事だ。多分戦後の本格的な「レーシング・スポーツカー」を見たのはこれが初めてだったと思う。今まで見てきた数多くの「市販スポーツカー」とは全く違った凄みを持った雰囲気を感じた。その時は「車止め」をかましてあったのを見て「レーシングカーにはパーキング・ブレーキが無いんだ」と勝手に感心した記憶があるが、当時のレーシングカーに対する知識はこの程度だった。運転席をよく見ればサイドブレーキのレバーは付いている。

・この車は1958年の「ルマン24時間レース」に「オスカ」から2台出走した内の1台で、ラローシュ/ラディック」の操縦で「クラス4位」(総合13位)に入っている。イベントでは「750」と紹介されているが、正式名は「187S」である。

(写真04-2a~h)1957 OSCA 187 S   (2018-03 コンコルソ・デレガンツァ/京都・二条城)

(写真04-3a~g)1957 OSCA 187 S   (2019-04 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)

この2組は同じ車で、京都で展示された後、東京の日本橋でもお披露目された。型式名の「187」は1気筒当たりの排気量を示しており、4気筒のこの車は「187×4=748cc」(750)となる。よく知られる「フェラーリ」の場合は166×12=1992cc」、「250×12=3000cc」だが、これと同じ発想だ。最高速度は185km/hと言われる。この車は「ルマン24時間」には出ていないようだが、数々の戦歴を持っている。

(写真04-4ab)1956 OSCA 187 S (2000-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)

「187S」の登場は1956年と言われるので、この車は紹介順は最後となったが3台の中では最も古い初期の車だ。ヘッドライトの位置がずっと低いのは年式の差なのかボディメーカーの違いかは不明。「187S」は全部で19台造られた。

< 低迷期 >

(写真05-1a~e)1961 OSCA 1600 GT Touring (2007-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

レース志向の「OSCA」だったが、マセラティ兄弟の影響は薄く、ツーリング製の「ベルリネッタ」(2ドア・小型セダン) は珍しく乗用車タイプで、レーシングカー以外にも販路を求めた結果だろう。

(写真05-2a~e)1965 OSCA 1600 GT Zagato  (1989-10 モンテミリア/神戸・ポートアイランド)

「1600GT」シリーズは「フィアット」のツインカム・エンジンがベースで、128台の内98台がザガートで造られた。「OSCA」は殆どが「スパイダー」で、写真のザガート製の「GTクーペ」は数少ないキャビンを持った車だ。

 < 終 焉 >

マセラティ兄弟の「オスカ」は1963年の末、有名なモーターサイクル・メーカー「MVアグスタ」に吸収され、名ばかりの「オスカ」となってしまい、しばらくはブランドとして名前は残ったが1965年の「1700」を最後に「オスカ」の名は消えた。

  < 再生 >

(写真06-1a~f)1998 OSCA Dromos Touring  (2017-08 オートモビル・カウンシル/幕張メッセ)

「オスカ」の名を惜しむ声は多く、1998年日本人実業家 藤田尚三によって、名門コーチビルダーを加えた新生「OSCA Touring」が設立され、ニューモデル「ドロモス」が開発・発売された。エンジンはスバル製の水平対向4気筒2.5リッター187ps/6000rpm をミッドシップに搭載、ボディデザインは元ザガートのチーフデザイナー「エルコーレ・スパーダ」が担当し、ツーリングで架装された。

―― 次回は「オールズモビル」の予定です ――

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