第123回 M項-14「メルセデス・ベンツ・3」(独)合併後その2(1930~42)

2023年9月27日

メルセデス・ベンツのように歴史が長く、車種の多い場合の作業手順は、まず文献、資料によって年代順に「車名」を一覧にする。(今回の場合はその他に「W」記号の順番も配慮した)次に手持ち写真リストから該当する車を選び、貼り付ける。該当する写真が無い場合、特に車種の変遷上必要と思われるものについては「外部資料」による。この手順で今回第一次作業を終わった段階で張り付けた写真はほぼ2回分に相当する248コマもあった。そのまま2回に分ける手もあったが、先を急ぐため思い切って約100コマを削除し1回にまとめた。

(参考01-1a)1928~33Mercvedrs Benz 18/80 PS Nurburg 460 Limousine (W08)

1930年発売された「ニュルブルグ460」はV8 SV 4622cc 80ps/3400rpmのエンジンを持つ高級車で、初めてV8エンジンが採用された当時の最高級車だ。

(写真02-01ab)1931~32 19/100 PS Nurburg 500 Tourenwagen(W08) (2008-01 ジンスハイム科学技術館)

「460」の発展型として1931年「ニュルブルグ500」が誕生し併売された。エンジンは4918cc 100ps/3100rpmと強力になったがボディは「460」と変わらない。最高速度は100km/hから110km/hに上がっている。

   < 770 “グローサー”(W07)>

(写真04-1a~f)1932/34 Mercedes Benz 770 “Grosser Mercedes” Pullman-Limousine (W07)

この車は皇室の御料車で、正面の写真は1983年サンケイ新聞が日本橋三越で開いたイベントに展示された1932年型。もう1台は宮内庁が寄贈し1971年からはベンツ博物館に展示されている1934年型。(こちらには正面の菊のご紋章が付いていない)

・グローサー・メルセデスは1930年から38年までの9年間で117台しかが造られなかったが、御料車として1932年4台、34年 3台、計7台をお買い上げになったから、 總生産台数の7%を日本で購入した事になる。こんなに纏めて購入した上得意は他に類を見ないだろう。そのうち1台は戦災で焼失、戦後 後部を幌型に改造された2台のランドレーは、他の4台のための部品取りで現役引退、僕が関心を持っていた当時は4台が残っていた。御料車としてのナンバーは「皇1,2,3,5」が与えられていた。この内32年型の1台は1970年代初期に解体され、71年に「ベンツ博物館」に1台送ったので国内に現存するのは2台となった。今から10何年か前その1台が立川の「昭和記念館」に展示されていることを知って電話したところ撮影禁止とのことで、どうしてもと言うなら宮内庁の許可が必要と言われて撮影を諦めた。

・この車の最後の晴れ舞台は1960年3月10日、昭和天皇の第五皇女、「おスタちゃん」こと清宮(すがのみや)貴子さまが島津家に御降嫁された際、結婚式場の「高輪迎賓館」へ向かう際の使用された事だろう。実はその車を僕は勤務先の2階から見ている。ところがどうした事かこの日に限って写真を撮っていない。次の日の新聞に僕が見たのと同じ角度の写真が載っていたので大切に保存しておいたが、今回どうしても見つからなかった。最近記憶力の衰えが気になり始めている。                                                                                           

・エンジンは直列8気筒 OHV 95×135mm 7665cc 150ps/2800rpm(「グローサー」にはスーパーチャージャーの付いた(W07K)もあるが、7台の御料車は全て「ノーマル」仕様だった)ボディは「ジンデルフィンゲン」製のプルマン・リムジンで、後部シートは特注の「西陣織」が使われている。

(写真04-2abc)1932 Mercedes Benz 770 “Grosser Mercedes” Cabriolet F (W07) (2008-01 ベンツ博物館)

この車は元ドイツ皇帝「ヴィルヘルム2世」のものだ。第1次世界大戦の責任を問われオランダに亡命中だったが寛大な扱いを受け、死ぬまでの23年間、貴族のような生活を続けたと言われる。その証拠にこんな豪華な車をオランダまで取り寄せている。ボディはカブリオレの中で最も大きい「Fタイプ」で王族や元首がパレードで使う車だ。ボンネットの先端には、スリー・ポインテッド・スターではなく縁(ゆかり) のホーエンツォレルン(Hohenzollern)家の紋章が付けられている。

(写真04-3a~e)1937 Mercedes Benz 770K “Grosser Mercedes” Offener Tourenwagen (W07K) 

ベンツ博物館の3台目は最強力のスーパーチャージャー付き「770K」の登場だ。案内板に「最高出力は200ps」とあった。堂々たる風格を備えながらも、カブリオレ程 格式ばっていないから、日常使用には最適だ。この車は1930年代ドイツで最大鉄鋼メーカーのオ-ナーだった「オットー・ウオルフ」が所有していた。

(写真04-4ab)1930 Mercedes Benz 770 Grosser Mercedes Cabriolet D  (1991-03 ワールド・ヴィンテージカー/幕張)

グローサー・メルセデスが最初に造られたのは1930年で、この年僅かに4台しか作られなかったが、その中で生き残っているのはこの車だけなので、現存する一番古いのがこの車だ。製造直後アメリカに渡り、1950年代に5年かけてフル・レストア―されている。

   < 小型車 >

(写真05-1abc)1931 Type 170 Limousine (W15)        (2008-01 ベンツ博物館/シュトットガルト)

このモデルは量産車としては初めて前後独立サスペンションを採用した画期的なモデルだ。そのお陰で安全なハンドリングと乗り心地を実現した。その上小型車なのに6気筒エンジンで、それにも拘らず価格は手頃で経済的だったから、大ヒット商品となり、1930年代の経済危機の最中もダイムラー・ベンツを支える力となった。独立サスペンションが採用された背景には、社会情勢が変わり購買層が小型車を必要とした事にある。小さく軽い小型車は乗り心地を著しく低下させるが、それを改善するためにはバネ下荷重を減らしてロードホールディングを良くする事で、それを実現したのが「独立サスペンション」だった。

(写真05-2ab)1934 Mercedes Benz Type 170 Cabriolet B (W15)  (2008-01 ドイツ博物館)

メルセデスのベーシック・モデルとはいっても、大ヒットした人気車だからバリエーションは多く、標準の「4ドア・リムジン」をはじめ「2ドア・リムジン」、「カブリオレA/B/C」、「ロードスター」などがあった。

・エンジンは直列6気筒 65×85cc 1692cc 32ps/3200rpm 最高速度90km/h 総生産台数13,775台

(参考06-1a)1936~42 Type170V Limousine (W136)

初代「170」の大ヒットを受けて、1935年同じコンセプトでより近代的になった「170V」が誕生した。エンジンは4気筒73.5×100mm 1685cc 38ps/3400rpm となったが、ボディには流線型が取り入れられた。「170V」はまたまた大ヒットで、このボディは1953年まで18年もの長い間使われたが戦後も特別古くささは感じなかった。戦前の1942年までの総生産台数は71,973台となっている。記号「V」はドイツ語「vier (4)」の略で4気筒を示している。4ドアセダンの価格は1932年「170」4400RMに対して、1935年「170V」は3850RMと大幅に引き下げられ、4気筒に変更した効果は表れている。

(写真06-2abc)1937 Mercedes Benz 170 V Cabriolet B (W136)  (1961-03 中野区 昭和通り3丁目)

「170V」は戦後の1947~50年にも造られてはいるが、この時期には外国から車を輸入できるような社会情勢ではないので戦前の生き残りと判定した。この当時中野駅の北側を通る「早稲田通り」を1つ裏に入ったところに独身寮があり、この場所は毎日通っていたがこの車を見たのはこのとき1度だけだった。僕には「掃き溜めに鶴」の光景だった。残念なことにこの車のランドウ・ジョイントは左右が逆に取り付けられている。

・1960年から2000ccまでが小型車となったから車は「5」ナンバーだ。

(写真06-3a~d)1937 Mercedes Benz 170 V Cabriolet B (W136)(1970-04 C.C.C.Jコンクール/東京プリンス)

京都から遥々イベントに参加したこの車は新車以上の完璧なコンディションで、クリームと黒の2トーンもとても魅力的だ。厚い内張りを持った「カブリオレ」は、幌を畳んでもすんなり収納は出来ないのが悩みの種で、この車の場合もう一寸は畳めそうだが、後方視界はゼロだ。

(写真06-4ab)1937 Mercedes Benz 170 V Cabriolet A (W136)   (2002-02 フランス国立自動車博物館)

カブリオレには「A」「B」「C」「D」「F」の5種があるが、小型車の「170」シリーズには「D」「F」はない。1番小さいのが写真の2シーター「カブリオレA」だが、写真の写りが悪いので参考資料も添付した。

(参考07-1a)1933 Mercedes Benz Type 200 Pullman Limousine (W21) 

(参考07-1b)1934 Mercedes Benz Type 200 Cabriolet A (W21)

1933年になるとボアを5ミリ広げ(70×85mm) 排気量1961ccとなった「タイプ200」が誕生し「タイプ170」の兄貴分として併売された。ホイールベースも100ミリ延ばされたのでキャビンも広くなった。

   < 中型車 >

ベンツの生産車は大別して小型(2リッター以下)、中型(2~3リッタークラス)、大型(4リッター以上)に分ける事が出来る。写真の「230」は戦後の中型車の主力となった「220」シリーズの先祖となる車で、初期型の「W143」は「170V」の拡大版に6気筒エンジンを搭載したものだった。

(写真18-1a~d)1937 Mercedes Benz Type 230 Cabreiolet D (W143) (1965-09 大英博覧会/晴海)

戦争を生き延びた戦前の車については何回も雑誌で紹介されて、あらかた名前だけは承知していたが、この車については初見参だった。

(写真09-1ab)1939 Mercedes Benz Type 230 Cabriolet A (W153) (2008-01 シュパイター科学技術館)

同じ「230」だが1938年誕生したニュー・モデルには「W153」の型式番号が与えられ、初期型とは別ものと認識されている。

(写真10-1abc)1938 Mercedes Benz Type 260 D Pullman-Limousine (W138)   (2008-01 ベンツ博物館)

1936年のベルリン・ショーでデビューした「260D」は世界初のディーゼル乗用車として注目を集めた。直列4気筒 90×100mm 2572cc 45ps/3000rpm 予熱燃焼式ディーゼル・エンジンを、「230」(W143)に搭載したものなので外見は「230」と変わらない。タクシーや商用車を対象に開発されたが、メーカーの目論見とは異なり、プライベート・カーとして普及していった。昨今ディーゼル乗用車が普及しているが、ヨーロッパでのディーゼルの歴史は長い。

(写真11-1abc)1936 Mercedes Benz Type 290 Roadster (W18)   (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

1933-37年に造られた「290」は「230」の兄貴分としてほぼ同じ時期に併売された。6気筒 78×100mm 2867cc 60ps/3200rpm のエンジンは、4気筒の「170V」と同じ100mmのストロークなので、ボアを広げ6気筒にしたその発展型だろう。箱型の「リムジン」は1世代前の「マンハイム」からの転用と言われ古さが目立ったが、写真の「ロードスター」は素晴らしいスタイルだ。

(写真11b-1abc) 1933 Mercedes Benz 15/80 PS Type Mannheim 380 Cabriolet B (2003-02フランス国立自動車博物館)

「380」は「290」の6気筒エンジンを2気筒増やして8気筒にしたもので、ボア、ストロークは変わらない。

(写真12-1ab)1937 Mercedes Benz 320 Cabriolet B (W142) (2001-08 河口湖自動車博物館)

この車は戦前から日本にあった車で戦火を生き延びた車の1台だ。1950年代は自動車関係の出版物は殆どなく、僕自身はある時期から「モーターマガジン」を定期購読していたが、この車は戦前の車を紙上で網羅した特集に掲載されていたので存在を知っていた。(根上退助氏所蔵とあった) 博物館の写真は角度が悪く判りにくいので、昔見たモーターマガジンから写真を転載させていただいた。

(写真12-2abc)1937 Mercedes Benz 320 Cabriolet D (W142)  (1995-08 (ペブルビーチ/アメリカ)

1937年登場した「320」は、この年で生産を中止した「290」の後継モデルだ。ホイールベースは2880mmで変わらないが、全長では330mm 大きくなり、エンジンも6気筒 SV 82.5×100mm 3208cc 78ps/4000rpmと回転数も上がっている。中型車としては手頃の大きさではないか。

 

(写真12-3a~e)1939 Type 320 Streamlined Limousime (W142V)    (2008-01 ベンツ博物館)

「320」には後期型として(W142V)の記号を与えられたモデルがある。エンジンはボアを.2.5mm広げ85mmとしたから排気量は3405ccとなったが、モデル名は「340」とはならなかった。

・写真の車は見事な「ファストバック」のストリーム・リムジンで、一番安いリムジンは8,950 RMだったが、この車は14,500 RMもした。

   < 特殊車 >

(写真13-1a~f)1935 Mercedes Benz 130 H Limousine (W23) (1970-04 C.C.C.Jコンクール/東京プリンス)

1934年誕生した「130H」はメルセデス・ベンツの歴史上、2つの記録を残した。その一つは「1.3リッター」という最小エンジンの市販車だった事。もう一つは最初の「リアエンジン」車だった事だ。両方とも「商品」としては成功作とはならず、一連の「150」「170H」シリーズの後は2度とリアエンジン車を造っていない。

・「H」はドイツ語の「Heckmotor」(リアエンジン)を示している。エンジンは水冷 直列 4気筒SV 70×85mm 1308cc 26ps/3400rpmで、クラッチと共に後車軸の後ろに完全にオーバーハングしていた。シャシーは1本の太いバックボーンによるセミモノコックで、その後端が2つに分かれてエンジンが収まっていた。  

・「1.3リッター/リアエンジン」で連想するのは「VWビートル」だが、基本構想に多くの共通点がある。しかし「VW」の試作車が完成したのは1935年で、「130H」は1934年ベルリン・ショーで既にデビューしているから、順序から言えば「VW」が「130H」を参考にしたか、という事になる。ここで「フェルディナンド・ポルシェ」との係わりが気になる。ただ「VW」の生みの親「ポルシェ」はダイムラー社を1928年には退社しており「130H」とは直接は関わっていない筈だ。唯一結びつけるとすれば、「ポルシェ」がダイムラー社在籍中にすでに基本構想を得ており何らかの資料が残されていたかもしれない、という事だ。

・この車は戦前三井家によって輸入され、1960年代の初めまで使用されていた。

               

(参考14-1abc)1935~36 Mercedes Benz Type150 Sportwagen (W130)

リアエンジン「130H」を発売した次の年、一回り大きいスポーツタイプの「150」が登場した。エンジンは「130H」の拡大版かと思ったが、72×92mm 1498cc 55ps/4500rpmと「ボア」も「ストローク」も全く別物だった。この車のエンジンは後車軸より前に搭載されており、「リアエンジン」ではなく「ミッドシップ・エンジン」だが、「130H」と「170H」の間に挟まれているため同類と感違いされている例が多く 「150H」とされている物も見られるが、本家ドイツ版の資料には「H」は付いていない。ミッドシップを示すドイツ語「Mittelmotor」の「M」をつけておけばこうした間違えは起きなかった筈だ。

・ミッドシップのレーシングカーは現代では常識だが、その元祖は戦前のグランプリで活躍した「アウト・ウニオンPヴァーゲン」として知られている。この車も「フェルディナンド・ポルシェ」の設計によるもので、ほぼ同じ時期に完成しており偶然とは言えない何かを感じてしまう。

(写真15-1abc)1937 Mercedes Benz Type 170 H Cabrio Limousine (W28) (1962-01 東京オートショー/千駄ヶ谷)

1936年「170」が4気筒の「170V」に進化すると、そのエンジンを使った「130H」の拡大版「170H」が誕生した。エンジンの仕様は「170V」と全く同じで、シャシーは「130H」のホイールベースを100mm伸ばし2600mmとし、やや丸みを持ったボディは、まだ誕生していない「VWビートル」にそっくりだ。しかし1938年から発売された「VW」も、1935年にはそっくりのプロトタイプが完成しているので、何らかの影響があったのかもしれない。

・写真の車は「ヤナセ」の子会社「ウエスタン自動車」が所有している。この車のヒストリーについては説明されておらず、戦前から住み着いていたかは不明だが、ウエスタン自動車はヤナセの輸入部門を担当する会社なので、この車が最近輸入された可能性もありそうだ。

(写真15-2a)1937 Mercedes Benz 170 H Cabrio Limousine (W28)(2003-02 フランス国立自動車博物館)

(写真15-3a)1938 Mercedes Benz 170 H Cabrio Limousine (W28)(2008-01 シュパイヤー科学技術館)

この異端児は博物館の展示物としては興味深いアイテムだから、2か所で見つける事が出来た。VWにそっくりなことも興味の対象だ。

  

   < 大型者 >

(写真16-1abc)1937 Mercedes Benz 500 N Pullman Limousine (W108) (1961-01 東京オートショー/千駄ヶ谷)

この車はベンツの大型モデル「ニュルブルグ500」の後継車で、車名に「N」が入るのはその名残だ。1936-39年に造られたが、年代のわりにメカニズムが旧式なのは「グローサ-」などの高級車と共通するものだ。

・直列8気筒 SV 82.5×115mm 4918cc 110ps/3300rpm ホイールベース3670mm 最高速度123km/h

・この車は昭和12年、右翼テロに備え三井財閥が購入した防弾仕様の特注車で、戦時中万一空襲で天皇陛下が避難される場合目立たないこの車をお使い下さいと、三井家から皇室へ献上されていたもの。実際に使用される機会はなく戦後は「ウエスタン自動車」が管理している。

   <500K/540K

(写真17-1a~d)1934 Mercedes Benz 500 K Special Roadster (W29) (1991-03 ワールド・ヴィンテージカー幕張/1999-08 ペブルビーチ)

1920年代を代表するスターは「S」「SS」「SSK」「SSKL」と続いた「Sシリーズ」だったが、30年代は「500K/540K」が最も華やかなモデルだった。同時進行のリムジン系の「500」とは全く別物で、外見からも判るように、純粋のスポーツカーではなく、豪華な高性能ツアラーは現代の「GTカー」に相当する。エンジンは直列8気筒 OHV 86×108mm 5018cc 100ps,160ps/3400rpm(スーパーチャージャー付き) 最高速度160km/h

・写真の車は1991年に幕張で撮影したが、8年後の1999年にペブルビーチで再会した。この年は1日早く現地に乗り込んだので、コンクールの前日行われるパレードも撮影することが出来た。

    博物館の500K/540K

(写真17-2ab)1935 Mercedes Benz 500 K Cabriolet B (W29)      (2007-04 トヨタ自動車博物館)

トヨタ博物館の車はこのシリーズの中では比較的おとなしいデザインで、フロント・フェンダーの前縁の切り込みも少なく、全体の印象は落ち着いた乗用車だ。

(写真17-3a~d)1936 Mercedes Benz 500 K Special Roadster (W29)    (2008-02 ベンツ博物館)

ベンツ博物館には典型的な1台が展示されていた。軽快な「スペシャル・ロードスター」だ。ところが、これとそっくりの絵が付いた箱が我が家の棚から出てきた。僕のプラモデル歴は長く、いつか造ろうと買い集めた珍しいデッドストックが山のようにある。この箱はフランスの「エレール」(Heller) 社のもので、上級者向けだ。何故上級者向けかと言うと、珍しいアイテムが多く有難いのだが、組み上げてから最後に細かい修正が必要で、かなりの覚悟を持って取り掛かる必要があり、そんなわけでこの箱は未開封のままだ。

(写真18-1a~j) 1938 Merceders Benz 540K Special Roadster (W129) (2008-01 ジンスハイム科学技術)

「540K」と言う高価で、華麗な車は大切に管理され、そう簡単に廃車にはされなかったはずだ。全体で約550台造られたが、現存する数は可成り多そうで、僕のアルバムには17台が保存されている。

・「540K」の殆どはカタログ・モデルとして 「ジンデルフィンゲン」のファクトリー・ボディが架装された。カタログで用意されたボディは

   ①Spesial-Roadster、② Roadster/Convertuble-Coupe、③ Tourer、④ CabrioletA、

   ⑤ CabrioletB、 ⑥ CabrioletC、⑦ Limousine、⑧ Coupe、の8種があった。

①スペシャル・ロードスター

②ロードスター/コンバーチブル・クーペ

③ツアラー

④カブリオレ A

⑤カブリオレ B

⑥カブリオレ C

⑦リムジン/セダン

⑧ク-ペ

(写真18-2 1ab)1936 Mercedes Benz 540 K Mayfair Special Roadster (W29)(1995-08 ペブルビーチ)

・ペブルビーチのコンクールで撮影したこの車は、イギリスのコーチビルダー「メイファー」製で、写真ではあまり目立たないが、ベンチレーション用の突起の全てにクローム・ラインを入れたオーバー・デコレーションで、あまり趣味が良くない印象を受けた。

(写真18-3a)1938 Mercedes Benz 540 K Drop-Head Coupe (W29) (2003-02 フランス国立自動車博物館)

この車の説明には「ドロップヘッド・クーペ」となっていたがカタログにそのタイプはない。ファクトリー・ボディーのドアの上縁は全て直線だが、優雅な曲線を持ち、リアフェンダーにスパッツを履いているこの車はドイツの老舗「エルドマン&ロッシ」の特注ボディだ。カタログに当てはめれば「ロードスター」だろう。

(写真18-4ab)1938 Mercedes Benz 540K Cabrioket A   (2003-02 フランス国立自動車博物館)

この車の説明にも「ドロップヘッド・クーペ」とあったが、ランドウ・ジョイントの付いたこのタイプは、キャビンの大きさから標準型カタログ・モデル「カブリオレA」と判定した。

(写真18-4cd)1936 Mercedes Benz 540 K Cabriolet B (W29)(2002-01 フランス国立自動車博物館)

この博物館の生みの親シュルンプ兄弟は、世界中の「ブガッティ」を買いあさり、貨物列車でまとめて搬入した写真が残っているが、ベンツは「540K」だけでも3台所有していた。説明では「カブリオレ」としかなかったが、窓の大きさから「カブリオレB」と判定した。

(写真18-5a~d)1937 Mercedes Benz 540 K Cabriolet B (W29)   (2008-01 ベンツ博物館)

ベンツ博物館の展示車は余計な改造とかはしてないから「オリジナル」の姿を確認」するためには絶対必要だ。

(写真18-6a)1937 Mercedes Benz 540 K Cabriolet B (1982-06 河口湖自動車博物館/ハラダ・コレクション)

「540K」は憧れの車だから各地の博物館でも多くが看板として所有している。日本でも「河口湖自動車博物館」に収まっていた。「ロールス・ロイス」「パッカード」と3台並んで展示されていたが色が地味なせいか割と目立たない存在だった。この車のヒストリーについては特に説明がなかったので、最近購入されたものだろう。

(写真18-7ab)1937 Mercedes Benz 540 K Cabriolet C (W29)(1990-07 有禅自動車資料館/幕張)

幕張にある「千葉運転免許センター」と「国道357」に挟まれた場所に、こじんまりとした自動車のコレクションがあった。名前から推測して京都の「友禅」と関係が有りそうだとずっと思っていたが、今回誤りに気付いた。「友禅」ではなく「有禅」で、美術商「有禅(株)」の所有だったことが判った。車に関しては8台と数は少ないが、いずれも逸品ぞろいでセンスの良さが伺える。「540K」の他には「ロールス・ロイス」2台、「パッカード」「イスパノ・スイザ」「ベントレー」の他珍しい「リッケンバッカー」と、チューリップ・ボディの「ラゴンダV12」があったが、残念ながらいつの間にか姿を消してしまった。

  ・蛇足:チューリップ・ボディーは「イスパノ」が本家で、それをコピーしたものだ。

   「チューリップ・ウッド」の薄い木片をボディ全体に貼り付け、細かく打った「リベット」

   がアクセントとなっている。(写真参考)

  <ペブルビーチの540K >

「ペブルビーチ」のコンクールは格式が高く審査の厳しい事で知られるが、展示場所は何回も全米オープンを開催した名門ゴルフコース「ザ・ロッジ」が使われる。(写真参照)実際に使われるのは写真に写っているこの辺りで、右上がクラブハウスだ。 

(写真18-8abc) 1938 Mercedes Benz 540 K Cabriolet B(W29) (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)  

写真の車はクラブハウスの正面に停車している。車の横に「ブラックホーク・コレクション」とあったので手元のカタログで調べてこの車の素性が判った。完全なオリジナルにレストアされており入手可能なこのタイプの中では最も優れた車とあった。(宣伝文句ではある) 数少ない右ハンドル仕様で、元はインディアナ州サウスベンドの「ホーマー・フィッターリング・コレクション」が所有していた。

(写真18-9abc)1937 Mercedes Benz 540 K Special Roadster (W29) (1995-08 ペブルビーチ)

華やかな「540K」の中でも「スペシャル・ロードスター」がその頂点にあった。カタログ・モデルの価格は一律22,000RMだったが、ロードスターだけは28,000RMと一段高かった。因みに1936年の「ベンツ170V」(3,750RM) なら7.5台、一番安い「オペルP4」(1,190RM) なら23台も買える価格だ。

・なんといってもこのタイプの最も魅力的な角度は「後ろ姿」だ。この車の場合はステップが見えるので、後ろに「ランブル・シート」を備えている。

(写真18-10abc)1939 Mercedes Benz 540 K Special Roadster  (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

「ロードスター」は「カブリオレ」と違って、基本的にオープンで使用される。幌は緊急用として備えている程度の役割だから帆布1枚で、収納すれば殆どボディ内に収まってしまう。

・前項の「ロードスター」と比較するとこちらの方が控えめで、全体に落ち着いた感じだ。フロント・フェンダーの前縁の切れ上がりはなく、リアも極端に長くはなく普通のトランクだ。手元のプログラムで調べたところ、カロセリア製には表記があるが、前項の車ともに表記はなく「ジンデルフィンゲン」製のカタログ・ボディなのだろうか。

(写真18-11abc)1938 Mercedes Benz 540 K Cabriolet A (W29) (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

「540K」のカブリオレは「A」「B」「C」の3タイプが用意されたが、見た目がスタイリッシュなのはなんといってもキャビンが小さい「カブリオレA」だ。写真の車は幌に皴(しわ)があり、キャンバス製とわかる。

(写真18-12abc)1938 Mercedes Benz 540 K Cabriolet A (W29) (1998-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

ボディの形状は前項の車と全く同じだが、この車のトップには皴(しわ)はまったく見られず、ランドウジョイントが写り込むほど艶があり曲線部分さえあるので、とても布とは思えない。実は金属の屋根にレザーを張って「カブリオレ風」に見えるが、オープンには出来ない「フォー・カブリオレ」(見せかけの/偽の)と言う種類もある。その疑いは「リア・ウインド」で、解放感を味わいたいときは窓を全開にし、リア・ウインドは外枠から外(はず)せるように2段造りになっているのではないかと推定した。

(写真18-13ab) 1939 Mercedes Benz 540 K Special Cabriolet  (1998-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

一見「カブリオレA」にも見えるがプログラムに従って「スペシャル・カブリオレ」とした。確かにフロントグラスも標準より低いように見える。特にフロント・フェンダーの前縁の切れ込みは大きくスポーティで、その処理にも工夫がみられる。スペアタイヤは、フロントフェンダーではなくトランクに収納されているようだ。

(写真18-14abc)1936 Mercedes Benz 540 K Special Cabriolet C (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

こちらもプログラムに「スペシャル・カブリオレ」とあったが、タイプは「C」と指定があった。確かに何処から見ても「メルセデス」の面影はないスペシャルだ。一寸詳しい人なら34年型の「フォード」?と思うかもしれない。このハート形のグリルは一時世界的な大ブームで、ダットサン(14型)も影響を受けた中の1台だ。あの超高級車「デューセンバーグ」にも、全くそれと見えない顔を持った車を見たことが有るが、この位の車のオーナーともなると、「高級車」を見せびらかしたい貧乏人と違って、何気なく目立たない使い方が好みなのだろう。

(写真18-15ab) 1936 Mercedes Benz 540 K Cabriolet B (W29) (1995-08 モントレー・オークション)

8月のカリフォルニアは車好きにとっては見逃せない3大イベントが連日開催される。「ラグナセカ」「コンコルソ・イタリアーノ」「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」だ。その拠点としてホテルは「モントレー」と決めているが、期間中は市内の「カンファレンスセンター・ホール」で車のオークションが開かれるのだ。セリを待つ車はロビーで待機しているので写真は撮り放題だ。

(写真18-16abc)1939 Mercedes Benz 540 K Cabriolet B     (1991-01 JCCA 汐留ミーティング)

1990年7月、幕張で「アメリカン・ドリームカー・フェア」と題打った展示会が開かれた。1930年代から50年代にかけての貴重な興味深いアメリカ車が約100台展示されたが、その他に何台かヨーロッパ車があり、「ベンツ540K」もその1台だった。主催者は「鼓舞自動車㈱)」と言う僕の知らない名前だったが、去年までの「バブル」に便乗して投機目的で買い集めた車たちだろうか。とはいっても、ラインアップも、個別車種の選択も非常にいいセンスで集められており、このまま「博物館」にしたいくらいだった。

・1991年の初めに行われたクラシックカー・フェスティバルは「KOB AUTOニューイヤー・ミーティング」のタイトルで、鼓舞自動車後援で開かれ、前回幕張に展示された車の中から30台が展示された。写真の車は正面から見ると「770グローサー」かとも見える顔付きに仕上がっている。

(写真19-1abc)1933-39 Mercedes Benz 500 G4 (W31)      (2008-01 ジンスハイム科学技術館)

ドイツの「ヒトラー総統」やイタリアの「ムッソリーニ首相」など高官が使用したクロスカントリー車だ。エンジンは「500K」の8気筒5018cc からスーパチャージャーを取り除いた物が使われている。1933-39年で57台造られた。

   後期 770 K“グローサー・メルセデス”(W150)

(写真20-1ab)1939 Mercedes Benz 770 K “Grosser Mercedes” Cabriolet F (W150) (1983-08 インペリアルパレス・コレクション/幕張)

1983年幕張で開催されたのがラスベガスのカジノに付属している「インペリアルパレス・オート・コレクション」の展示会だ。コレクションの総数は約350台と言われ、その中から26台が選ばれて来日した。コレクターの主はカジノのオーナー「ラルフ・エンゲルシュタット」で、個人の趣味から始まり、次第にのめり込んでしまったようだが、目玉は「誰それが乗っていた車」と冠の付いた車で、コレクションの対象が純粋に車に対したものから、次第に客寄せ目的の「冠」ありきに変わっていったようだ。

・この車は後期型の“グローサー”で、「ヒトラー総統」のものとされている。

(写真20-2ab)1938 Mercedes Benz 770 K “Grosser Mercedes” Limousine (W150)(2008-01 ジンスハイム科学技術館)

この車の窓は厚く重い防弾ガラス仕様に改造されていると説明されていた。6窓のフルボディーが多い“グローサー“にしては珍しく4窓で小ぶりのキャビンは軽快な印象だ。

(写真20-3abc)1938 Mercedes Benz 770 K “Grosser Mercedes” Cabriolet F (2008-01 ジンスハイム科学技術館)

これぞ“グローサー”と呼ぶに相応しいメルセデス・ベンツで一番長い「カブリオレF」がこの車だ。この車のヒストリーについては説明が無く不明だが、前に飾られている写真には「ヒトラー」が写っており、88台しか作られなかった後期「770」(W150)の大半は、ナチス高官用に回されたのだろう。

―― 次回から第2次大戦後に入ります ――                                         

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