第115回 M項-6 「MG・1」(戦前)

2023年1月27日

・新しい年を迎えました。本年4月には小生は89才になります。今のところまだ死にそうな気配はありませんが、かといって残された余命は無限ではありません。このままのペースでは到底最後まで完結出来そうに無いで、今後有名メーカーに的を絞り先に進めたいと方針を変更しました。そんな訳で、先月の予告を変更し「MG」を取り上げました。

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・「M.G.」という車名が「モーリス・ガレージ」の頭文字という事はよく知られた事だが、この車の歴史を語るには先ず「ウイリアム・リチャード・モーリス」(後のナッフィールド子爵)から始めなければならない。「W.R.モーリス」は1877年生まれで、「モーリス・ガレージ」は1910年彼の手で「モーターサイクル製造販売&自動車デーラー」として誕生したが、1913年には自動車の製造を始め「モーリス・オックスフォード」(通称ブル・ノーズ)を完成させた。といっても既存メーカーの部品を寄せ集めこれらを組み合わせて完成車として販売するという、「組み立て工場」からスタートした。その後しばらくは第1次世界大戦のため軍需工場となっていたが、戦後自動車の製造を再開するにあたってメーカー部門は「モーリス・モータース」となり、「モーリス・ガレージ」はそのまま販売部門として継続された。1921年この会社に入社し翌22年に総支配人となったのが「MG」の生みの親「セシル・キムバー」でこの時33歳だった。それまでは高級車「シンプレックス」で働いていたが、1921年会社が倒産すると、それまでの企画力・組織力を買われ、スカウトされて「モーリス・ガレージ」に入社した。当時の営業内容は当然「モーリス」の新車、中古車の販売が中心だが、モーリスのシャシーを使って独自のデザインのボディを載せた「チャミー」と呼ばれる4座トゥアラーも併売し好評を得ていた。ところが1924年になると親会社の「モーリス社」がこれとそっくりの車を「チャミー」より低価格で売りだしたので、それに対抗するため独自の車を開発したのが「MG」誕生のきっかけだった。

・戦前の「MG」は30以上の各種モデルが造られているが、性格別に分ければ①創成期、②小型軽量「ミゼット・シリーズ」、③中型「マグナ/マグネット・シリーズ」、④レーシング・モデル」の4つに分けられるので、それぞれを年代順に紹介する。

《 創世記 》

(01)<14/28 M.G. スーパー スポーツ モーリス オックスフォード> 1924~27

(参考01-1a)1924 14/28 M.G. Super Sports Morris Oxford

「MG」のベースとなった「モーリス・オックスフォード」は、1913年にモーリス初の4輪自動車として誕生し、以来戦後も、モーリスの中心銘柄として1971年まで58年間造られた名車だ。最初の「MG」となったのは第2世代(1919~26)の「オックスフォード14/28ブルノーズ」 で、「見た目」だけでなく性能で勝負するため「エンジン」「シャシー」を強化しアルミ製の軽いボディを載せた4座トゥアラーを2台試作した。このうちの1台が各地のレースで好成績を上げ脚光を浴びたので、市販を前提に少量のシリーズ生産を始めた。1924「14/28 M.G. Super Sports Morris Oxford」がそれで、これが「MG」の市販車第1号となった。エンジンは水冷 直立 4気筒 サイドバルブ 1802cc 35hp/4000rpmで、アルミのボディは磨き出しで塗装は無い。

(参考01-1b)1924~26 初期のブルノーズ型のラジエターに付いていた「エンブレム」で、まだ主役は「モーリス・オックスフォード」の感じが強い。

(参考01-1c)1925 14/28 M.G. Super Sports Morris Oxford

1925~26年になるとボディのバリエーションが増え、「4座トゥアラー」のほかに「2座ロードスター」「サルーン」が追加され、ボディには上半分に塗装が施され「真紅」か「スモーク・ブルー」が選べた。

(参考1-2ab)1927 14/28 M.G. Morris Oxford

ベースは依然として「モーリス・オックスフォード」だからモーリスのモデルチェンジに合わせて「M.G.」もラジエター・グリルが「ブルノーズ」から「角型」になった。未塗装のアルミ・ボディには時計の裏蓋にあるような、と言われても最近では自分で開けた人は皆無だろうが、「青海波」のように半円が連続した模様が施されている。(多分「きさげ加工」と言ったように記憶しているが、現物はブガッティのダッシュボードを参考に添付した)

(参考1-2c)1927年の「14/28」にのみ使われた「エンブレム」で、その後「MG」のシンボルとなる「オクタゴン」(八角形)が初めて登場したが、まだ「モーリス・オックスフォード」が主役だ。これ以降のモデルは「八角で囲まれたMGのみ」の現代と同じマークとなった。

(02) <M.G. Old Number One 1925 (1台)

(参考02-1a)1926 Morris Oxford

ベースとなった「モーリス・オックスフォード」

(参考02-1bc)1925 M.G. Old Number One

この車は「セシル・キンバー」が自分で楽しむため造らせたプライベート・スペシャルだ。ベースとなったのは1919年から26年まで造られた第2世代のモーリス・オックスフォード」で、「ブルノーズ」と言われるタイプだ。この車が造られたのは長い間「1923年」と信じられ、この車こそ「MG」の第1号と言われてきたが、近年の研究で「1925年3月」に完成したことが判明し、名誉ある第1号は1924年の「14/28 M.G. Super Sports Morris Oxford」に与えられる事になった。この車は1930年代に一度スクラップされかかったが助け出され、戦後レストアされたので現役時代とレストア後の2枚を掲載した。

(03)<14/40 M.G. MkⅣ> 1927~29 (約700台)

(参考3-1abc)1927 14/40 M.G. MkⅣ

1927年「14/28」の改良型「14/40 MkⅣ」が登場する。エンジンは排気量、出力とも変わりなく、シャシーが強化されロードホールディングと制動性能が向上している。「14/28」の最初の後継車だから「MkⅡ」の筈だが、なぜか「MkⅣ」となっている。このモデルからエンブレムが「八角形の中にMG」のみの、現代に続くデザインとなった。

(04)< 18/80 M.G. MkⅠ~Ⅱ> 1929~32

(参考04-1a)1929 M.G. Six 18/80 Mk1

1929年登場した「MG 18/80」は、「MG」の歴史上重要なモデルだ。これまでの「M.G.」はモーリスをベースにした「改造車」の域を脱していなかったが、この車からは「MG」のため最初から設計された「純MG」となった。ラジエターグリルも戦後の「TC」「TD」に通じる「M」をイメージしたものとなりお馴染みの顔となった。エンジンは「モーリス・アイシス」用の6気筒OHC 2468ccをチューンしたものが使われた。戦前日本にも1台輸入されていた。

(参考4-1bc)1930 M.G. Six 18/80 MkⅡ

「18/80 Mk1」では3速だったギアボックスを4速に改良して「18/80 MkⅡ」となった。

《 ミゼット・シリーズ 》

「MG」と聞いてイメージするのは「小型スポーツカー」だ。そのイメージを植え付けたのは1930年代から活躍した「ミゼット・シリーズ」だ。「ミゼット」とは「極小型」の事で、排気量は746cc~933ccだったから、現代の軽自動車に近い。「MG」には「K3」に代表される「レーシング・バージョン」も存在するが、ワークスによるレース活動よりも、プライベート・ドライバーやアマチュア向けにレース用のスポーツカーを低価格で提供する姿勢が「ミゼット・シリーズ」からも見て取れる。

 (05)< M タイプ > 8/33 (1929~32) 、12/12 (1930~32)

(参考05-0a)1928 8/33 M.G, M-type Midget

「MG」ミゼット・シリーズの最初の車は、1928年10月ロンドンで開催された「オリンピア・ショー」に展示されたこの車だ。市販されたのは1929年からだからプロトタイプで市販車とは「テールの形」が異なる。

(参考5-0b)1929 8/33 M.G. M-type Midget

このイラストは「Mタイプ・ミゼット」が発売された当時の1929年10月7日雑誌に掲載された広告だから、車は1929年型の特徴を備えている。29年型のボディは「木骨・ベニヤ板・ファブリック(羽布)張り」で、ドアは後ろヒンジだった。エンジンは直列4気筒 SOHC 847cc 20hp/4000rpm、販売価格は破格の175ポンドだったがそのためには「モーリス・マイナー」のパーツが多く利用された。

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(写真5-1abc)1930 8/33 M.G. M-type Midget    (2001-08 河口博物館)

 河口湖博物館の入り口を入って直ぐ目に入って来るのがこの車で、当時国内で最も古い「MG」だった。後期型でボディは鋼板製となり、ドアは前ヒンジに変わった。

(写真05-2a~d)1930 8/33 M.G. M-type Midget    (2007-06  英国国立自動車博物館/ビューリー)

このタイプの車が1930年の「ブルックランズ・ダブルトウエルブ・レース」に3台出走し、すべてが完走してチーム賞を得た快挙?を記念し、軽くチューニングしたモデルを「12/12 M.G.Mタイプ」として誕生させた。

(参考05-3a)1930 12/12 M.G. M-type Midget Sports

ボディはサイドカットが深くなった以外は8/33とほとんど変わらず、「フィッシュテール」と呼ばれる特徴あるマフラーやボンネットを締める「革バンド」などでスポーティさを演出しているが、エンジンは圧縮比を高め20hpから27hpまで 強化されている。

(06)< Jタイプ > (1932~34)

順番から行けば「Mタイプ」の次は「Cタイプ」だが、これは「レーシング・モデル」として別項で取り上げるので、一つ飛んで「Jタイプ」となる。「Jタイプ」は「J1」4シーター・スポーツ/サロネット、「J2」2シーター・スポーツ、「J3」2シーター・スーパースポーツ(スーパーチャージャー付)、「J4」レーシング・モデルも4タイプがある。

(参考06-0a)1932 MG J2 Midget 2seater Roadster

(参考06-0b)1933年型の雑誌広告(1932年10月掲載)

(写真06-1a~d)1932 MG J2 Midget 2seater Sports   (2011-10 ジャパン・クラシック・オートモービル/日本橋)

この車は「TC」だと言われれば、疑いなく信じてしまうほど似ている。というよりは戦後に続く「MG」のスタイルがこの時点で既に完成され、以後連綿と「TC」まで継承されてきたという事だ。

(写真06-2abc)1933 MG J2 Midget 2seater Sports   (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

「ミゼット」は「極小型」と訳されるが、この写真で見ると如何に小さいかが実感される。

(写真06-3a~d)1934 MG J2 Midget Special       (1986-11 モンテミリア/神戸ポートアイランド)

「J2」に「スーパーチャージャー」を付けたのが「J3」だが、その際「750ccクラス」に対応するため排気量を「746cc」に縮小した。この車は「847cc」のままなので「J2」にスーパーチャージャー付けた「J3」仕様の改造車のようだ。

(07)< Pタイプ > (1934~36)

(参考07-0a)1934 MG PA Midget 2seater Sports

「ミゼット」のエンジンは最初の「Mタイプ」から「Jタイプ」まで4気筒SOHC 847ccで基本的変更はなかったが、1934年登場した「Pタイプ」からは、従来の「2ベアリング」に「センター・ベアリング」が加えられ「3ベアリング」となった。「PA」の排気量は847ccと変わりないが、「Mタイプ」では1981mmだったホイールベースが「Pタイプ」では2218mmまで延ばされ、大きく、重くなったハンデを取り戻すための対策として1935年から排気量を939ccに増やし43hpとなったエンジンを搭載した「PB」が登場した。ボディは「2シータ-」「4シーター」のほかに「エアライン・クーペ」もカタログモデルとして登場した。「Pシリーズ」からラジエターにシャッターが付いたとされているが、付いていないものもある。

(写真07-1a~f)1934 MG PA Midget 4seater Sports   (1980-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

前項で述べたように、「PA」にはラジエターにシャッターが付いた筈だがこの車には付いていない。「Pシリーズ」にはこの車のような「4シーター・スポーツ」も存在した。

(写真07-2a~e)1934 MG PA Midget 2-seater  (2014-04 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)

正面から見ると多くのカーバッジがありにぎやかな車だ。ラジエターの前に突起物が見えるので多分スーパーチャージャーが入っているのだろう。

(参考7-3ab) 1934 MG PA Midget Airline Coupe

「ミゼット」は小型、軽量が持ち味だから基本的にはオープン・ボディだが、例外的に1930年「Mタイプ」で箱型のクーペが存在した。それ以来のクローズド・ボディで中々可愛い。

(写真07-4a~e) 1935 MG PB Midget Special (2018-04 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)

この車が「Pシリーズ」後期型の939ccとなった「PB」だ。案内板にも「スペシャル」とあるように「スーパーチャージャー」が付いているようだ。「K3」に憧れたこの改造は構造上、比較的簡単に出来たのだろうか、他にも多く見られた。ボディも「ボートテイル」や「フィッシュテイル・マフラー」など「K3」に似せた改造がなされている。

(08)<TA/TBタイプ > (1936~39/39)

(参考80-0a) 1936 MG TA

(写真08-1abc))1937 MG TA Midget 2seater Sports (2012-04 トヨタ自動車博物館/名古屋)

「MG社」は「モーリス社」の創立者「W.R.モーリス」個人が所有する独立した企業だったが、1935年「モーリス社」に譲渡されその傘下に組み込まれた。早速、生産合理化が図られ「ミゼット」専用のOHC 939cc 43hpのエンジンは生産台数が少なくコスト高のため、量産車「モーリス・テン」から転用した直列水冷4気筒プッシュロッドOHV 1294cc に手を加え50hp/4500rpmまで強化して使用されることになった。「Mタイプ」より可成り大きくなった「Pタイプ」だったが、「TA」のホイールベースはさらに170mmも伸ばされ、2388mmは数年前の中型車「マグナ・シリーズ」と同じになった。この「TA」は、戦後のスポーツカーを代表する「MG TD」に続く「Tシリーズ」の初代で、この車はオリジナルのスタイルがしっかり保たれている。

(写真08-2ab)1939 MG TA Midget 2seater Sports (2009-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

プログラムに「TA」とあったのでそれに従った。フェンダーを取り外してレース気分満々だ。ヘッドライトの位置が可成り下げられているので印象が大きく変わって見える。

(写真08-3a~e)1936-39 MG TA Midget Drop Head Coupe by Park Ward (2000-05 ミッレミリア/ブレシア)

ミッレ・ミリアでブレシアのドーモ広場に停まっていたお洒落な「MG」を見つけた。スポーティが売りの「MG」にしては珍しく「上品さ」と「居住性」が重視された車だ。大会の参加車ではないのでずっと詳細不明だったが、インターネットで見つけたのが(参考)で添付した写真の車だ。2004年オランダの「ヘットルー・パレス」で開催されたコンクール・デレガンスに参加した車で、有名なコーチビルダー「パークウォード」製とわかった。(「パークウォード」は1930年代「ロールス・ロイス」のボディの大半を手掛けている)特徴は似ているが「グリルが全く違う」、「後輪のスパッツが無い」などで別の車と思っていたが、登録番号が同じ事に気づいた。ジャガー風に改造されてしまったようだが、僕はオリジナルのほうが好きだ。

(写真08-4ab) 1939 MG TB Midget Drop Head Coupe By Salmon (2001-05 ミッレミリア/フータ峠)

1939年、「TA」のエンジンを改良した「TB」が発表された。改良の目的は高回転を得るためで、ボア・ストロークが63.5×102mmから66.5×90mmとショートストロークになり、排気量も少し減って1250ccとなったが、逆に馬力は50hp/4500rpmから54.4hp/5200rpmと上がっている。このエンジンは戦後の「MG TD」まで継続された。

(写真08-5ab)1939 MG TB Midget Drop Head Coupe by Salmson (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

前項とまったく同じランド―ジョイント付きのドロップ・ヘッド・クーペだ。普通の幌と違って、金属のアームを収納してもサイズ窓枠と水平になるよう一段低く切れ込んでいる。「TA」「TB」はエンジンがOHCからプッシュロッドに堕落?したにも拘らず手頃な価格のお陰で、3400台と大量に生産された。

                                                                                                                                                                                                                                                                                     

マグナ/マグネット・シリーズ

「ミゼット」と並行して少し大きい「マグナ」「マグネット」シリーズが1931年から製造された。ホイールベースは「F1」の2387nnから「K1」の2743mmまであり、「M」の1981mmに比べ大きくなっている。エンジンは全て6気筒で1087ccから1286ccまであった。「ライトシックス」と呼ばれる小型車の6気筒化は1930年代初期の英国で各社がこぞって発表した一種の流行だった。実用での必然性は低いが、どこかのメーカーがセールスポイントとして「6気筒のスムースさ」を売りにすれば、他社でも黙っていられないわけだ。発生順に並べると1930「ウーズレー・ホーネット」、1931「MG・Fマグナ」、「オースチン・ライト12/6」、「トライアンフ・12/6スコーピオン」1932「シンガー・12/6」、「ローバー・パイロット」、1933「スタンダード・トゥエルブ」、「ヴォクスホール・ライトシックス」、1934 モーリス・10/6」となる。

(09)< Fタイプ (1931~33)

(参考09-0a)1931 MG F1 Magna 4seater Tourer

6気筒シリーズの先頭を切ったのは、1931年「Fシリーズ」だ。この車は「Mタイプ・ミゼット」のシャシーを延長して転用したもので、エンジンは同じ「モーリス」傘下ですでに6気筒を市場に出していた「ウーズレー・ホーネット」の1271ccに手を加えて搭載している。

(写真09-1abc)1933 MG F2 Magna 2seater   (1981-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

「Fシリーズ」は1932年後半になってブレーキドラムを8インチから12インチに強化した「F2/3」が出現したがブレーキ以外は「F1」と変わらない。写真の車には「スーパーチャージャー」が付けられているようだが、このシリーズには無いものなので改造されたものだ。オリジナルのボディは前項を参照されたい。

(10)< Lタイプ (1933~34)

(写真10-1a~e)1933 MG Ltype Magna 2seater (2011-10 ジャパンクラシックオートモビル/日本橋)

1931年の「F」から33年までの僅か2年の間に、アルファベットは「L」まで6つ進んだ。途中に「K」シリーズが入るが「F」の後継車は「L」となっているので順序を入れ替えて先に「L」タイプを取り上げる。シャシーは「F」より僅か16分の3インチ(約5ミリ)長くなったが殆んど変りなく、ボディもまったく同じだが、外見での相違点は左右のヘッドライトをつなぐ横バーが無くなったことだけだ。ただエンジンは57×83mm 1271cc 37.2hpから、57×71mm 1087cc 41hpに強化されたが、時系列的にみると、前年完成していた「K1」のエンジンを「F」に搭載して「L」と名付けただけのような気もする。

(11)<K1/K2タイプ> (1933)

(参考11-0a)1932 MG K1 Magnet Sports 4seater

(参考11-0b) 1932 MG K1 Magnette 4de Saloon

戦前・戦後を通じて「MG」で最も有名なのは「K3」だろう。「K3」の陰にかくれて目立たないが「K」シリーズには「K1」「K2」も存在する。「F」「L」が「ライトシックス」ブームに対応するため4気筒「ミゼット」を改良し6気筒エンジンを載せた、いわば応急処置だったのに対して、「K」シリーズは最初から4気筒より上級のクラスを目標に設計されたもので、「K1」はロング・ホイールベースで「サルーン」「4座ツアラー」、「K2」はショートシャシーで、2座スポーツ、「K3」は「K2」にスーパーチャージャー付きの高性能エンジンを積んだ純レーシング・モデルだ。

(写真11-1abc)1933 MG Magna K 2seater (2010-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

この車はプログラムの記載に従ったが、幾つか納得のいかない点がある。まず「K」シリーズは「マグネット」で「マグナ」ではない。本物なら「K3」を名乗るはずなので本物ではない。1933年の「マグナ」という事なので「F2/3」か「L」のどちらかをベースにスーパーチャージャーを付けて「K3」風に改造し、単純に「K」としたのではないかと推定した。

(12)< Nタイプ (1934~35)

(参考12-0ab)1934 MG NA Magnet Sports 4seater /2seater  

「K」シリーズの後継車として1934年「N」シリーズが登場した。主な変更点は従来のスパルタンで硬性の低いシャシーに大幅に手を加え、静粛な乗り心地を確保することにあった。エンジンは「F」シリーズとほぼ同じ57×84mm 1286cc(56hp)で、「マグナ/マグネット」シリーズ中最大、最強となり、そのお陰で1トンを超える重量増にもかかわらず、性能は維持された。

(参考12-0c)1934 MG N-type 雑誌広告

外部資料からの転載が多く恐縮だが、現代に生き残っている車の多くが改造を受けてオリジナリティを失っているので、極力発売当初の姿をお伝えしたいと今回はあえて外部資料に頼った。

(写真12-1a~d)1934 MG N-type Magna   (1982-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

この車はプログラムによれがエンジンは1087ccとなっている。という事は「K3」と同じ仕様だ。ボディも助手席のドアは潰されており、背中にガソリンタンクを背負っているのもノン・オリジナルだ。

(写真12-2abc)1935 MG N-type Magna  (2010-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

プログラムに従って「Nタイプ」としたが1935年だと「NB」の可能性はある。「NB」はドアが「前ヒンジ」となり、ボディサイドに「腕木式方向指示器」が埋め込まれたが、改造ボディ為確認できなかった。この車もスーパーチャージャー付きですっかり「K3」気分だ。

《 乗用車タイプ 》

  (13)<VA 1.5リッター> (1937~39)

(写真13-1a)1938 MG VA 1.5 litre 4seater Tourer (2010-06 ビューリー/イギリス)

ホイールベースは2743mmもあり、エンジンは直列水冷4気筒OHV 1548cc 55hp/4400rpmで、大きさや排気量では6気筒の「マグナ」「マグネット」クラスと同等だ。最初から4シーターとして余裕をもったサイズで企画されており、2シーター・スポーツを卒業したヤング・ファミリーを対象とした車だ。ボディは「ツアラー」「ドロップ・ヘッド・クーペ」「サルーン」の3種があった。

・この珍しい車は「ビューリー」の博物館を訪れた際、近くの中古車販売店で見つけた。フロント・フェンダーが深く、バンパーも付いているので実用車のイメージが強い。-

(14)< SAタイプ (1936-39)

写真14-0a) 1936 MG SA 4seater Tourer

やや乗用車志向に乗り心地を改善した「N」シリーズは1936年で生産が終了し、「SA」が完全に乗用車の形でデビューしその後を引き継いだ。ホイールベースは123インチ(3124ミリ)もあり過去最大で、一クラス上を狙ったものだ。エンジンはプロトタイプでは2062ccだったが、1936年の市販車は2288ccとなり、38年にはさらにボアを広げて2322ccとなったが、馬力は78.5hpと排気量の割には低かった。ライバルは「SSジャガー」と言われるが、当時のジャガーは見た目が立派な割に低価格が売りだったから、同じ低価格が売りの「MG」とは似た者同士だった。生産台数は約700台。

(写真14-1abc)1936 MG SA Salmson & Sons Drophead Coupe  (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

「SA」には「サルーン」「ドロップヘッド・クーペ」「4ドアープントゥアラー」の3種のボディが用意されていた。堂々たる貫禄で、洒落たオープン・トップは写真のように半分だけ巻上げる事が出来る。このスタイルを「ド・ビル」という。高級車のほゞ半額で買えるとはとても思えない。

(参考14-2a)1936 MG SA 4dr Saloon

「SA」のサルーンは数台が日本にも輸入されており、戦後まで生き残った4ドア・サルーンが写真の車で、昭和28年頃東京で撮影されている。残念ながらフロント・バンパーは別物で、オリジナルは前項,前々項を参照されたい。この車の価格は375ポンドで、同クラスの高級車「アルビス・スピード20」は850ポンドもしたから半分以下だったが、「ジャガーSS」はそれよりも安い350ポンドだった。

(15)< WAタイプ> (1938-39)

(写真15-1ab)1938-MG WA 2.6-litre Drophead Coupe      (2003-02 レトロモビル/パリ)

戦前の「MG」では最大の排気量を持つ「WA」が戦前最後のモデルとして1938年登場した。シャシーを強化し重量は更に重くなり、新たに搭載されたエンジンも直6 OHV 73×102mm 2561cc 95.5hp/4400rpmと馬力も強化されたが、この排気量は「ウーズレー」にも「モーリス」にも存在しないので、「SA」エンジンのボアを69mmから73mmに広げた「MG」独自のものだ。写真の車は「ドロップヘッド・クーペ」だが、他に「4ドア・サルーン」があり、「SA」にあった「トゥアラー」は造られなかった。

(参考15-2a)1938 MG SA 4dr Saloon

オリジナルの姿を確認するため添付した資料だ。このタイプの価格は442ポンドと「SA」よりも67ポンド(約18%)も高く、「SA」と併売したが市場はライバルの「ジャガー」が優勢で、2年間で約470台が造られただけだった。大きくなりすぎた「SA」「WA」は、もはや「MG」本来の軽スポーツカーではなかった。

《 レーシング・モデル 》 

〈16〉< Cタイプ・ミゼット > (1931~32)

(参考16-0a)1930 MG EX120 Speed Breaker

「MG」はスポーツカー・メーカーとしては、他のメーカーに比べると「ファクトリー」としてレースに挑戦する執念はあまり強くなかったようだが、「国際クラス」のスピード記録への応戦は意欲的だった。最初の挑戦は1930年で、当時発売中だった「Mタイプ・ミゼット」をベースにスーパーチャージャーを付け、空気抵抗を減らすためのカウルを付けた。「国際クラスH級」(750cc)に挑戦するため、エンジンはストロークを縮め746ccとした。結果このクラスでは初めて平均時速100マイルを超える記録を残した。  

(参考16-0b)1931 MG C-type Monthery Midget

「EX120」をベースにした生産型が「Cタイプ」で、レースの「750cc」クラスに合わせて排気量は746ccとした。市販車ではスーパーチャージャーは50ポンド追加すればオプションで選択できた。

(写真16-1a~e)1932 C-type Monthery Midget  (2001-05 ミッレミリア/ブレシア)

70年近く前の車だがオリジナリティが非常によく保たれた1台だ。発売当初の公式写真と寸分も違いが無い。この車には「S/C」が付いていないので295ポンドで買えた。

(写真6-2a~d)1931 MG C-type Monthery Midget (2007-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

目立つスタイルなので「Cタイプ」と聞けばカウル付を想定するが、カウルのない普通のグリルを持った「Cタイプ」もある。というか、カウルが後付け可能なら、付ける前は皆この形だったのかもしれない。この車には「S/C」が付いているので価格は345ポンドだった。

〈17〉< K3タイプ・マグネット > (1933~34)

(写真17-0a~d)1933 MG K3 Magnette Prototype       (1982-06/ 河口湖博物館)

遂に「MG」を代表する大スター「K3」に順番が回ってきた。「MG K3」が戦前から日本にあって、小早川男爵のドライブで多摩川スピードウエイのレースで活躍していた事は一部の車好きには知られていたが、戦災を受け火を被ってしまった。しかし幸いにもボディ以外の機械部分の損傷は修復が可能で1950年頃苦心の末元の姿に生まれ変わった。この車は1933年1月に2台完成したプロトタイプの1号車で、モンテカルロ・ラリーを完走している。(2号車はミッレ・ミリアのコースを試走した )ホイールベースは2286mm(90インチ)で生産型に比べると、106mmほど短い。

・この車は修復された後、しばらくは船橋オートレース場などでの活躍していたが、小早川氏がレース活動を中止した後は長年車庫に入ったままだった。しかし「河口湖自動車博物館」(原田コレクション)の開館にあたって目玉の1台として展示車の仲間入りをして一般公開された。僕は会館間もない1982年と2001年の2回同館を訪問しているが、最近は年間を通して8月のみ開館されているようで、現在も健在なのかは不明だ。

(参考17-1a)1933 MG K3 Magnette

前項はプロトタイプで市販車とは細部が異なるので、参考に発売当初のオリジナルの姿をご覧いただきたい。市販「K」シリーズの「K1」は4シーター用のロングホイールベースだったが、ショートシャシーの「K2」にスーパーチャージャーを付けたのが「K3」だ。ホイールベースは2392ミリで市販車より350ミリも短縮されている。エンジンは直列6気筒SOHC 57×71mm 1087cc 120hp/6500rpm (S/C付)で、「K1/K2」がベースとなっている。1933年型のこのボディは背中にスラブタンクとスペアタイヤを背負うクラシカルタイプだ。この年のミッレ・ミリアには3台出走し、一台が最初からぶっ飛ばしてライバル「マセラティ」を潰すことに成功し、残りの2台が1100ccクラスで「優勝/2位」となりチーム賞も獲得している。年間を通しては名手「ヌヴォラーリ」が「アルスターTT」で優勝したのをはじめ、幾つかの優勝を含め大活躍し、1100ccクラスだけでなく、1500ccクラスでも存分に戦った。価格は695ポンドで約30台造られた。

(参考17-1bc)1934 MG K3 Magnette

 1934年型はボディに変化がありレーシングカーらしい「ポインテッド・テール」となった。

(写真17-2a~d)1934 MG K3 Magnette          (1975-05 TACSミーティング/筑波サーキット)

(写真17-3a~d)1934 MG K3 Magnette          (1984-07 TACSミーティング/富士スピードウェイ)

(写真17-4a~d)1934 MG K3 Magnette          (1987-11/1989-11 モンテミリア/神戸ポートアイランド)

(写真17-5ab) 1934 MG K3 Magnette          (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真17-6abc)1934 MG K3 Magnette     (2003-02 レトロモビル/パリ)

30台ほど造られたと言われる「K3」を僕は5台撮影している。そのうち国内で撮影した3台は70~80年代のバブルで日本が好景気に沸いた時期に輸入されたものだ。「MG」に限らず、当時は本で見て知っていた名車が続々日本に輸入された時代だった。「K3」に関しては全ての「MG」オーナーの憧れであり、目標だから「K3」風に改造された例は数限りが無いが、改造の仕上がりは千差万別だった。しかし流石本物はいずれもバランスが取れて美しく仕上がっている。

〈18〉<NEタイプ・マグネット> (1934)

(参考18-0a)1934 MG NE Magnette

(写真18-1a)1934 MG NE Magnette  (1995-08  ラグナセカ/カリフォルニア)

少々ピンボケです。

「NE」は「K3」の次に登場したレーシング・モデルだが、「K3」の発展型ではなく、やむを得ない事情で急遽市販車「NA」を精一杯強化しレース車に仕立てたものだ。その事情というのは1934年の「アルスターTTレース」のレギュレーションが変更され、スーパーチャージャーの使用が全面的に禁止された事だ。「MG」は1931年「Cタイプ」、1933年「K3」でこのレースを勝ってきたから、このまま引き下がる訳にはいかなかったのだ。「自然吸気」と「過給機付き」のハンデについては、1966~86年のF1規定では「自然吸気」3ℓ、「過給機付き」1.5ℓとはっきり差をつけているが、1930年台初期はチューンアップ手法の一種とみられ、「付けた者勝ち」だったから、これで良いのかという疑問が出てきた結果だ。スーパーチャージャー付きの「K3」は1ℓ 級だが、少なくとも1.5 ℓ並みの戦闘力を持っていた。しかしそれ無しでは重い車重のためレースでの勝ち目は無かった。新しいレースカーは当然排気量が大きいものになった。エンジンは市販「NA」から転用され、直列6気筒SOHC 57×84 1287ccは変わらないが、圧縮比を6.1から9.5まで上げ、カムを変更しバルブのオーバーラップを35°から50°に変えた。キャブレターも効率の良いものに変更した結果、56hp/5500rpmから74.3hp/6500rpmまで強化し何とか間に合わせた。一方、オリジナルのボディは幅が広く重いものだったので、レース基準ぎりぎりに合わせた幅狭いアルミ製の2シーターボディを造り、軽量化で戦闘力の増加を図った。9月に開催された「アルスターTTレース」には「NE」6台が出走し、「ベントレー」「ラゴンダ」を相手に辛うじて3度目の勝利を得た。勿論排気量によるハンデ・レースに結果だ。「NE」はこのレースだけのため開発された車で6台造られただけだった。(因みにこのレース以外は「K3」で戦ったのは言うまでもない。)

(19)<Qタイプ・ミゼット> (1934)

(参考19-1a) 1934 MG Qtype Midget

「ミゼット」クラスのレーシング・モデルは「C2」「J4」に続いて、1934年新しく「Qタイプ」が誕生した。シャシーは「K3」から転用され、エンジンの排気量は「J4」と同じ746ccだが、3ベアリングとなり、新たに開発されたヴェーン型ス-パーチャージャーによって、なんと113hp/7200rpmという驚異的な出力を得ている。(リッター当たり151馬力とは約90年も前の話とは思えない)初陣のドニントン・パーク・ミーティングでは3レースに出走し「優勝」「2位×2回」と完勝した。またブルックランズでは「SS 1マイル」と「SS 1キロ」のコースレコードを樹立している。ただこの車の泣き所は有り余るパワーで、それに見合う「シャシー」「サスペンション」「タイヤ」が用意出来なかったため、100%の実力が発揮できなかった恨みが残る。

( 20)<Rタイプ・ミゼット)(1935)

(参考20-1a) 1935 MG R-type Midget Monopost

1935年シーズンを目指して全く新しく登場したのが「Rタイプ」で、「MG」としては最初の「全輪独立懸架」を備えた車であり、「戦前最後のレーシング・モデル」となった車でもある。「Qタイプ」の欠点を踏まえ、強靭な「音叉型」のシャシーにウイシュボーンのサスペンション付きとなった。シングル・シーターの軽量ボディは重量が725㎏に抑えられた。ロードホールディングは期待通りだったが、ドライバーにとっては初体験で十分乗りこなせないうちに、重大事態が出来した。1935年8月、「MG」社は「ナッフィールド・オーガニゼーション(モーリス)」に売却され」、同時にワークスとしてのレース活動は中止されたから「Rタイプ」の開発は不完全燃焼のまま終了した。

  —― 次回は戦後・1/ TC~TF,Y,マグネットの予定です ———

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