第113回 M項-4「マセラティ・3」(レーシング・スポーツ)(伊) 300S、150S、200S 、250S 、450S、/バードケージ

2022年11月27日

1955 Maserati 300S

  <「A6GCS」の後継車たち>

マセラティは伝統的に「グランプリ・マシン」で成功をおさめ、それをベースに2シーターに改造した「レーシング・スポーツカー」を作ってきた。F1マシン「250F」のエンジンを流用して造られたレーシング・スポーツが次の4シリーズだ。

1955-58  300S 直6気筒 84×90 2991cc (34台)

1955-57  150S 直4気筒 81×72 1484cc (27台)

1956-58  200S 直4気筒 92×75 1993cc (33台)

1958-58  250S 直4気筒 96×86 2489cc (4台)

*1956-59  450S V8気筒 93.8×81 4478cc (10台) このシリーズの最後は新設計の「V8」エンジンを持つ

・1958年からスポーツカーレースのワールド・チャンピオンシップは3ℓ以下となり、マセラティは1957年限りでワークスとしての活動を中止した。

<300S

最初に登場したのが1954年2月完成した「300S」で、DOHC 6気筒エンジンのボア84ミリはそのまま、ストロークを18ミリも伸ばした90ミリのロングストロークで、トルクを重視した設定といわれる。排気量は2991cc、260hp/6500rpm、最高速度は280km/hとされている。エンジンばかりでなく、フレーム、サスペンション、ギアボックスに至るまで、殆どが「250F」から引き継いだものだった。

(写真01-1a~g)1955 Maserati 300S  (1980-11 SCCJミーティング/富士スピードウェイ)

「林コレクション」に新たに加わり、S.C.C.J.25周年イベントに登場したこの車は、マセラティのレーシング・スポーツカーとしては日本に上陸した第1号だ。マセラティと名が付く車を初めて発見したのは、1966年、道ですれ違った「3500GT」(次回登場)だったが、その後70年代にかけて「クアトロポルテ」「メキシコ」「インディ」「カムジン」と、次々と乗用車のニューモデルが輸入されモーターショーで展示された。しかし「300S」はこれらの車とは全く次元の違う「マセラティ」が誇るレーシング・スポーツの中でも傑作と言われる名車だ。初期型としては標準的なボディで「ファントッツイ」のデザインと思われる。

(写真01-2a~e)1955 Maserati 300S Fantuzzi      (1995-08  ペブルビーチ/カリフォルニア)

この車も前項と同じ1955年製の初期型で、ボディ全体は同じプレスだがこちらのほうがよりレース仕様に仕上げられている。グリル横とボンネット、リアフェンダーの通気孔、リアトランクの穴はガソリンとオイルキャップを直接開けるためのものだ。グリルについてはそれぞれ個体差があるようだ。

(写真01-3abc)1956 Maserati 300S  (1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

最初に登場して車に似ているが、口先が少し尖っているところが異なる。偶々、ドアが開いているが申し訳程度に小さいのはフレームとの関係からだ。

(写真01-4ab)1956 Maserati 300S    (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

(写真01-5abc)1957 Maserati 300S  (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

この2台も前出と同じように見えるが、細かく見ると違いがあり別の車だ。(違いを見つけてください)

(写真01-6a)1957 Maserati 300S    (2001-05 ミッレミリア/サンマリノ・グランドホテル前)

ミッレミリア・ツアーの初日はブレシアで10時頃までスタートを見てからバスでサンマリノへ向かい、午前2時ごろホテル・チェックインという強行軍だ。しかしレ-ス参加車より先行しているので朝はゆっくり起きて各自思い思いの場所で参加車の到着を待つ。300番台の車が通過するとそろそろ集合して次のポイントへ向かう。この写真は昨夜宿まった「グランドホテル」前で、集合場所に戻ってきた際撮影したものだ。

(写真01-7ab)1957 Maserati 300S   (1994-05 ミッレミリア/ブレシア)

僕がフィルムで撮影したデータはスキャナーを介してパソコンに取り入れて管理している。ネガフィルムもすべて「ポジ」に変換して保存しており必要に応じて、デジタル修正機能を利用して画像修正を行っている。引伸し機を使って印画紙に焼き付けていた時代(白黒)には、調整の手段としては「露光時間」「印画紙の種類(硬調・軟調)」「現像時間」の組み合わせで行っていたが、デジタルではそれを上回る修正効果が得られ大変助かっている。ところが一つだけ手に負えないパターンがある。それが「露出不足のカラー・ポジ・フィルム」だ。それがこの写真で「黒」がこれ以上明るくできなかった。

<150S> 1955~57 27台

「150S」はマセラティが得意としていた「ミッレ・ミリア」や「タルガ・フローリオ」などのロードレース用として開発されたもので、1955年8月からレースに参戦している。「250F」のエンジンから2気筒を減らした4気筒で、ストロークの72mmはそのまま、ボアを84から81mmに縮小して排気量を1484ccに収めている。シャシーやボディは「300S」をそっくり縮小したもので外見からは見分けがつかないほどだが、寸法的には一回り小さい。135hp/8000rpmのエンジンで最高時速は230km/hとされている。

(写真02-1ab)1955 Maserati 150S   (2001-05 ミッレミリア/ブレシア)

車検場はブレシアの「ビットリア広場」で、奥に見えるアーチ型の入り口は郵便局の建物は、1927年ミッレミリアが始まった時とほとんど変わっていない。

(写真02-2ab) 1955 Maserati 150S    (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)

車検の終わった車は夜のスタートを待つ間,街中の広場、道路のいたるところに駐車しているので、昼飯はビール1杯で、写真を撮りまくることになる。

(写真02-3a) 1955 Maserati 150S       (2000-05 ミッレミリア/アッシジ)

2日目午後はウンブリア州アッシジを通過する。集落は縦に細長く縦断する主な道路は2本しかないので、参加車は上の道から街に入り、途中の噴水でUターンし下の道に入り再び街を縦断して一般道へ戻る。

(写真02-4a~d)1956 Maserati 150S  (2009-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)

「150S」のロングノーズ・バージョンがこれだ。標準型との変化は「300S」の場合と全く同じだ。

(写真02-5ab)1956 Maserati 150S  (2001-05 ミッレ・ミリア/ブレシア、サンマリノ)

そろそろ夕方が近づきスタート地点へ向かう参加車だが、この日は突然豪雨に見舞われた。2枚目はサンマリノで撮影した同じ車で、後方の広場はサンマリノのチェックポイントで、チェックを済ませるとお土産屋の並ぶ道をまっしぐらに駆け下りていく。

(写真02-6a~d)1956 Maserati 150S  (2001-05 ミッレ・ミリア/サンマリノ、ブレシア)

赤い車が続く中で珍しく「イエロー/ブルー」の車が登場した。スポンサー・カラーが当たり前の現代と違い、かつてのレーシングカーは国を背負って戦っていたから、それぞれナショナル・カラーに塗られていた。レッド(イタリア)、グリーン(イギリス)、シルバー(ドイツ)などがよく知られているが、イエローは(ベルギー)が持つナショナル・カラーだ。だがエントリーは予想に反してドイツ人だった。この車もロングノーズ・タイプだ。

(写真02-7abc)1957 Parson Maserati 1500 Sport  (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)

この車は「150S」をベースにした車と推定されるが、一切情報がなく詳細は不明。フロントフェンダーを大きく切り欠いているのが特徴だ。

200S/200S I > 

4気筒シリーズはFIAのレギュレーションに合わせた、2リッタークラスが1956年から58年までに33台造られた。エンジンは92×75mm 1993cc 186hp/7500rpm で最高時速は250km/hだった。途中でレギュレーションの変更に合わせ2座席分のウインドシールドや幌、ワイパーを装備した後期型「200SI」に変化した。「200S/200SI」は  排気量以外、駆動系、サスペンション、フレーム、ボディなどすべてが「150S」と殆ど同じだった。国内では好成績を残したが、国際レースでこのクラスには「ポルシェ」「ロータス」「クーパー」など強豪が待ち構えており華々しい結果は残せなかった。

(写真03-0a~d)1956 Maserati 150/200S Fiandri Sports Racer (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)

元々「150S」だった車に「2リッター」のエンジンを載せ替えたスペシャルだろう。同じ2リッターでも、ボンネットに大きなバルジ(ふくらみ)を持っているところから、オリジナルとは異なる強力なチューンが施されてものと思われる。

(写真03-1a~e) 1956 Maserati 200SI  (1997-05 ミッレミリア/フータ峠)

ミッレミリア3日目のハイライトは山道を駆け上がって通過する「フータ峠」だ。イタリアの地図で言えば長靴のひざ下辺りにあたるトスカーナ州のアペニン山脈を越える峠で、標高903メートル、ボローニャまで61キロの標識があった。フィレンツエを通過し、フータ峠を経て、ボローニャ、モデナ、ベローナから、ゴールのブレシアへと向かう。

(写真03-2ab)1957 Maserati 200SI  (1994-05 ミッレミリア/ブレシア)

(写真03-3a)1957 Maserati 200SI (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真03-4ab)1957 Maserati 200SI (1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真03-5ab) 1957 Maserati 200SI (2008-10 ラフェスタ・ニッレミリア/明治神宮)

ここに登場した4台はプログラムの登録に従って「200SI」としたが、2座分のウインドシールは  備えているものの、ワイパーは見当たらず、幌も確認できなかった。雨中走行の車も幌は上げていない。

(写真03-6ab)1957 Maserati 200SI  (2001-05 ミッレミリア/ブレシア、サンマリノ)

(写真03-7ab)1957 Maserati 200SI     (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)

この2台は右側のみワイパーが確認できた。走行中の写真を見ると、ドライバーの視野はウインドシールドより上にあり、ワイパーの必要性あまり感じられない。

<250S

(写真04-1abc)1958 Maserati 250S  (2000-05 ミッレミリア/ブレシア、アッシジ)

「250S」は1958年特定レースの為4台のみ造られたスペシャルだ。1枚目の写真は車検前の姿で、(367)のナンバーは去年のものだが、帰国後ナンバーで整理をする際混乱を招きやすく厄介だ。自動車しか目に入らない僕としては珍しく美人を捉えた写真だ。

<450S>

「450S」はマセラティの長い歴史の中でフロント・エンジンのレーシング・スポーツカーの頂点に立った車だ。唯一の「V8」エンジンと4478ccと最大の排気量を持ち、打倒「フェラーリ」「ジャガー」を目指して造られた。はじめは「300S」を改良強化したシャシーを使用したが、ブレーキやサスペンションが400hpのパワーには対応できず、56年中には新しいシャシーに変えられた。実戦には1957年シーズンから参戦し、無類の速さを示してどのレースでもトップを走ったが、細かいトラブルが多発し、結局「ミッレミリア」も「ルマン」も優勝できず、優勝は「セブリング12時間」と「スエーデンGP」だけだった。マセラティは「450S」が意外と不振だったうえ、翌年からはチャンピオン・シップが3ℓ 以下に変更されることを踏まえ、経済的理由もあって、1957年限りでレースから撤退した。しかし未完の大物「450S」はこのまま姿を消してしまったわけではなく、この「V8」エンジンは1959年登場した「5000GT」に生かされてよみがえっている。

(写真05-1abc)1957 Maserati 450S Spider  (2000-05 ミッレミリア/ブレシア)

この車のオーナーはマセラティ唯一の「V8」エンジンを見せたくてボンネットをオープンにしていたのだろう。ただ、この時点での僕はこの車の希少性に気が付いていなかったので、写真は3枚しか撮影していなかった。周りを囲んでいる人数が多くて横から撮影できるチャンスが無かったせいもあるが、次々と目に入ってくる珍しい車が気にかかり、ゆっくりこの場所に留まっていられなかったのも事実だ。

(写真05-2a~d)1956 (Maserati 450S Costin-Zagato Coupe (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

10台造られたといわれる「450S」はレーシング・スポーツとしての基本形はスパイダーだったが、僕は「コスティン・ザガート」と呼ばれるクーペ仕様の車を2台撮影している。

(写真05-3a~j)1957 Maserati 450S Costin-Zagato Coupe (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

この車は「マーコス」の創立者の一人で、空力の権威としても知られ「フランク・コスティン」がデザインを行い、「カロセリア・ザガート」によってハンドメイドされた。デザインを依頼したのは「スターリング・モス」と言われるので「ル・マン24時間」や「セブリング12時間」を想定したものだろう。コスティンのオリジナルデザインは、ザガートの手が加えられ魅力的なクーペとして完成した。もはや「レーシングカー」よりも「グランド・ツーリングカー」と呼びたい完成度で、この後の「市販GTカー」(スーパーカー)への橋渡しとして大きな影響を与えている。

< Tipo 60/Tipo 61> (1959年「バードケージ」で再びレースへ復帰)

1957年ジュネーブショーでデビューした市販スポーツカー「3500GT」(次回登場)の成功で経営がやや安定すると、こんどは「ワークス」としてではなく、販売を目的としたレーシングカーを造り、これでモーター・スポーツ界に戻ってきた。それが「ティーポ60/61」通称「バードケージ」と呼ばれる車で、活躍したのが1959~61年なので「60」の進化したのが「61」と勘違いされやすいが、両車は同時に誕生し「60」は2ℓ、「61」は3ℓと排気量で分けられている。いずれも「200S」「250S」の4気筒エンジンがベースとなっている。大きな特徴は10~15mmの極端に細いクロモリ鋼管を無数に組み合わせたスペース・フレームで重量は僅か30kg、総重量は「ティーポ60」で570kgだった。最高速度はそれぞれ270km/h、300kn/hと言われている。1959年月のデビュー戦でスターリング・モスがいきなり優勝し幸先の良いスタートを切り、この年「2ℓスポーツカー」と「ヒルクライム」部門のチャンピオンとなる。翌1960年も続けて両タイトルを獲得するという見事な結果を残した。(「ティーポ62」の番号は船舶用エンジンに付けられたのでバードケージの次のモデルは「ティーポ63」となる)

(写真06-1a~d)1959 Maserati Tipo60  (2007-06 英国国立自動車博物館/ビューリー)

「バードケージ」(鳥かご)と呼ばれるこのシリーズは、名の通り細い骨組みが外から見えるのが最大の特徴で他に類を見ない。この車は1989ccのエンジン付きなので「ティーポ60」だ。

(写真07-1a~h)1959 Maserati Tiop61  (1995-05 ラグナセカ/カリフォルニア)

(写真07-3abc)1960 Maserati Tipo61   (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)

(写真7-3a~i) 1960 Maserati Tipo61 (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド

こちらは3リッター仕様の「ティーポ61」だが、エンジン以外は共通だから外見では区別がつかない。運転席周りは細いパイプだらけだ。

< Tipo 63  (ミッドシップに改造した「バードケージ」は活躍の場なし)

・(前期型)1959~60年と続けて大活躍したマセラティだったが、レーシングカーの世界は「クーパー」や「ロータス」の出現でミッドシップ・エンジンの時代に変わりつつあった。その中でマセラティは1961年シーズン用として60/61と同じ構造でミッドシップ用のシャシーを組み、これにティーポ61用の4気筒2890ccエンジンを載せた「ティーポ63」で対応したが、デビュー戦で結果は残せなかった。重量配分の改善と、空気抵抗に低減を狙ったが、短いノーズは高速で浮き上がるなど操縦性に問題があった。

(参考08-1a)1961 Masereti Tipo 63(前期型・ショートノーズ)

・(後期型)そこでロングノーズに変更し、さらにV12気筒 2989cc 320hpのエンジンに換装した結果、タルガフローリオでは4,5位、ルマンでは4位を獲得したが、年間を通して信頼性に欠け、多くのレースはリタイアに終わった。

(参考08-2ab)1961 Maserathi Tipo 63(後期型・ロングノーズ)

< Tipo 64

(写真09-1a~d)1962 Maserati Tipo 64 (カニンガム仕様)(1998-08 ブルックスオークション/カリフォルニア)

1962年はミッドシップのまま運転席とエンジンを前方に移動し重量配分を改善、リア・サスペンションを変更するなど改良を加えた「ティーポ64」を登場させたが、殆どリタイアに終わり成績を残せなかった。

< Typo 65

(参考10-1a) 1965 Maserati Tipo65

1965年の「ルマン」のために造られた大排気量の「バードケージ」がティーポ65で、ルマン用には1962年V8 4ℓの「ティーポ51」、64年にはエンジンを5ℓにした「151/1」というクーペ・ボディの車が造られたが、その後継車として「151/1」用のV8 5046ccエンジンを「ティーポ64」に載せたのがこの車だ。 

(バードケージ75th

(写真11-1a~e)2005 Maserati Birdcage 75th (2005-10 東京モーターショー/幕張メッセ)

最後は番外のおまけです。2005年東京モーターショーに突如出現し、僅か2日展示されただけで姿を消してしまった「幻」の車だ。だから22(土)、23(日)以外の日に行った人は、この場所にあったこの車のベースとなった「マセラティMC-12」を見た筈だ。マセラティにとって長年重要なパートナーである「ピニンファリナ」が創立75周年を迎えるにあたって造られたコンセプトカーで、バードケージと名乗っているが、実際は鋼管スペースではなく、運転席周りの細いパイプは見せかけのダミーで、立派なシャシーを持っているのは、ベースとなったのが「MC-12」だからだ。

・この車を見たのはついこの間と思っていたが、数えれば17年も経っている。この年生まれた子供は高校2年生になっている筈だ。光陰矢の如し。時間は大切に使おう。  

  ――次回はマセラティ最終回でスーパ-カーと呼ばれた時代の予定です――

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