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第127回 私のクルマ人生における忘れがたき人々 大橋孝至さん
2021.5.27

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車評オンラインを立ち上げたのが2008年初頭、この間体調が理由で短期間休止した以外は今日まで継続できたことを大変うれしく思う。一方で昨今はコロナウィルス問題で新型車の発表会はオンライン化、試乗会などはほとんど開催されず、車評オンラインに関して三樹書房と今後の進め方をご相談したところ、小林社長から向こう1年程度は「私のクルマ人生における忘れがたき人々」というテーマで書いてみてはどうか、というご提案をいただき賛同した。ご登場いただく方の選択や順序など悩ましい点もあるが、順不同とすること、ご紹介できない方々にはお許しいただくことを前提に本稿を進めることにしたい。今年がマツダによるル・マン制覇の30周年となることと、ご本人が2009年に日本自動車殿堂(JAHFA)入りされていることはあまり広く認知されていないと思うので、第1回はル・マン優勝時のマツダスピード監督「大橋孝至氏」にご登場いただくことにした。

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Copyright : MZRacing

JAHFAの大橋氏の紹介ページ
http://www.jahfa.jp/wp/wp-content/uploads/2017/02/2009-ohashi.pdf

大橋孝至さんは2009年3月に病気のため逝去されており、2009年11月に日本自動車殿堂入りされた折にはご本人が出席できなかったのが非常に残念だ。以下が同年7月の小口泰平会長(当時)の殿堂入りの要請書、選考理由などだ。

『この度日本自動車殿堂は定款に基づき研究・選考会議、および理事会の議を経て衷心よりの敬意をもってご貴殿の殿堂入りをここに謹んでお願い申し上げる次第です。日本における自動車産業・学術・文化の発展に貢献されたご貴殿の偉業は、自動車社会の誇りであります。「その心と知と技」を次代の若人に伝え長く伝承して参る所存です。』
選考理由:マツダRE車の飽くなき挑戦とル・マン制覇

ちなみに2001年に立ちあがった日本自動車殿堂で、マツダとご縁のある方でこれまでに殿堂入りされた方々は以下の通りだ。
2003年:松田恒次氏
2007年:山本健一氏
2009年:大橋孝至氏
2019年:小杉二郎氏
2020年:平井敏彦氏
またモータースポーツ関連で殿堂入りされた方は、高橋国光氏についで二人目だ。

REによるモータースポーツへの挑戦
マツダがドイツのNSU・Wankel(ヴァンケル)と特許契約を結び、RE(ロータリーエンジン)の開発に着手したのが1961年、1963年には山本健一氏をトップとしたRE研究部が発足、幾多の技術課題を解決しながら1967年に導入されたのがコスモスポーツだ。1974年に始まったマツダの18年間にわたるル・マンへの挑戦の中心となったのは大橋氏をはじめとするマツダスピードだが、REによる1968~1970年の欧州レースへの挑戦が原点となったことは間違いなく、ご関心ある方には是非2020年4月に三樹書房から発刊された『マツダ欧州レースの記録 1968-1970』をご覧いただきたい。

マツダ欧州レースの記録
http://www.mikipress.com/books/2020/03/post-316.html

以下は本書出版に際して貴重な資料を提供いただくとともに、本書の監修をしていただいたマツダモータースポーツの生みの親の一人ともいえる山本紘氏の巻頭言から抜粋したものだ。

『1967年5月30日、待ちに待ったマツダ10Aロータリーエンジン搭載のコスモスポーツ(L10A)が発表、発売となった。NSU社からREのライセンスを受けた多くの企業の開発が挫折する中での発表だっただけに世界中が注目、とりわけ自動車用エンジンとしての適合性、信頼耐久性に強い関心が集まることとなった。それに応えるためRE育ての親・山本健一氏から「大衆の面前で、ライバルがいる同じ土俵で・・・すなわち実践レースで、この新エンジンの信頼、耐久性を立証することが、REを本物に育て上げることになる。」との強い要請が出されたのだ。

早速検討を開始、先ず頭に浮かんだのが世界に名高いル・マン24時間レースだったが、出場するためには大幅改造が必要でル・マン参戦は断念、ニュルブルクリンク84時間レースにターゲットを絞った。ベルギーのリエージュをスタート、一般道でアイフェル山地を越えてニュルブルクリングサーキットに入り、そこで84時間の連続走行距離を競い、再びリエージュまで自力走破して"完走"が認められるというイベントだ。

"初陣でREを絶対に壊すわけにはいかない"と強く決意した私は先ず二つの試みをした。一つめはマツダ得意のコンピューターを活用して走行シミュレーション情報を得るべく標高を含むコース図を入手し、L10Aでのニュルブルクリンク全力走行エンジン回転履歴を想定すること。二つ目はホンダS500で参戦体験のある古我信生氏の存在を知り、1967年もホンダS500で参戦予定のところをマツダファミリア1000クーペへの乗り換えをお願いし、トランクルームに84時間のエンジン回転記録可能なレコーダーを装着、このデータからL10Aへの換算により走行シミュレーションの精度向上を試みた。厳しいベンチ耐久テストと三次テストコースでの84時間のプログラム走行を重ね10Aエンジンを鍛え上げ、シャシーも鈴鹿テスト等から走行安定性向上のため発売1年も経たぬ車両のホイールベースを150㎜伸ばすという大改造を施したL10Bが導入され、万全の準備を整えることが出来た。

こうして1968年8月20日13:00にスタート、ニュルブルクリンクサーキットへの公道セッションを終え、翌早朝1:00に84時間連続走行のスタートが切られた。三日半後の24日13:00に1台のL10Bが9760㎞を走破して4位でゴールに飛び込み、リエージュへの公道走行も難なくクリア、ショーフォンテーヌ王宮広場で祝福を受けた。世界中の名だたるクルマが72台も参加した中での成績であり、REによる挑戦の第一歩の足跡を残すことが出来た。帰国後分解された10Aエンジンは新品同様だったことを付記しておきたい。』

ル・マンへの飽くなき挑戦
1974年に始まった18年に及ぶ飽くなき挑戦の末、1991年に達成することが出来た日本車初のル・マン優勝だが、ル・マン24時間レースへの挑戦に関しては、車評オンライン 論評12、13、14、15をご覧いただければ幸いだ。

論評12:http://www.mikipress.com/shahyo-online/ronpyo12.html
論評13:http://www.mikipress.com/shahyo-online/ronpyo13.html
論評14:http://www.mikipress.com/shahyo-online/ronpyo14.htmlショ
論評15:http://www.mikipress.com/shahyo-online/ronpyo15.html

マツダスピードの生みの親兼育ての親の大橋孝至氏、当初から同氏とともにマツダスピードのル・マンへの挑戦を支えてきた寺田陽次郎氏、そしてマツダスピードの人たちのル・マンに対する情熱なくしてはマツダがこのような栄誉を手にすることはなかったと断言できよう。

優勝までの18年間は決して豊富な予算を駆使しての挑戦ではなく、1991年の年ル・マン予算ですら近年のF1年間予算の数%にも満たない額だったが、「貧乏チーム」マツダスピードは「ル・マン村」の村人としル・マンンに受け入れられた。

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1992年のル・マンで。左が大橋さん、中央がジャッキー・イクスさん、右がオレカの代表 ユーグ・ドゥショナックさん
Copyright : MZRacing

また大橋氏、寺田氏の長年の経験と国際的なネットワークにより、車両開発、チーム編成、レース運営などを常に適切、かつ戦略的に行なうことが出来、国際モータースポーツ界における発言権も確保してきたことを忘れることはできない。ジャッキー・イクス氏を1990年からコンサルティングチームマネージャーとして起用したのも大橋氏だ。イクス氏は、ル・マン優勝6回の記録を持つル・マンの神様的存在だが、多くの貴重なアドバイスを与えてくれた。

さらに優勝チームのF1ドライバートリオ、長年ドライバーとしてマツダでル・マンに挑戦し続けてくれた片山義美氏、従野孝司氏、ピエール・デュドネ氏、デイビッド・ケネディー氏、757から787Bに至る車両の設計を担当してくれたナイジェル・シュトラウド氏、マツダスピードの挑戦を現地でサポートしてくれたイギリスのレーシングチーム、アラン・ドッキング氏、同じくフランスのオレカ、そしてマツダスピードやマツダにおいて、勝てるマシン、エンジンの開発に寝食を忘れて頑張ってくれた人たちなどの貢献も決して忘れることは出来ない。

今回の原稿を締めくくるにあたり、マツダスピードの広報担当として長年にわたりル・マンにも深く関わってこれれた三浦正人氏に『大橋孝至さんの思い出(三浦正人)』を書いていただいた。大橋さんのレース以外の面も伝わってくる内容なので是非ごらんいただきたい。

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1987年のル・マンで。中央がポール・フレールさん、右が三浦さん
Copyright : MZRacing

■大橋孝至さんの思い出(三浦正人)
http://www.mikipress.com/m-base/pdf/miura.pdf

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執筆者プロフィール

1941年(昭和16年)東京生まれ。東洋工業(現マツダ)入社後、8年間ロータリーエンジンの開発に携わる。1970年代は米国に駐在し、輸出を開始したロータリー車の技術課題の解決にあたる。帰国後は海外広報、RX-7担当主査として2代目RX-7の育成と3代目の開発を担当する傍らモータースポーツ業務を兼務し、1991年のルマン優勝を達成。その後、広報、デザイン部門統括を経て、北米マツダ デザイン・商品開発担当副社長を務める。退職後はモータージャーナリストに。共著に『マツダRX-7』『車評50』『車評 軽自動車編』、編者として『マツダ/ユーノスロードスター』、『ポルシェ911 空冷ナローボディーの時代 1963-1973』(いずれも三樹書房)では翻訳と監修を担当。そのほか寄稿多数。また2008年より三樹書房ホームページ上で「車評オンライン」を執筆。

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