三樹書房
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第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」
2021.2.27

      (00)11-10-29_516 1930 New Era (くろがね) - コピー.JPG
      1930 New Era(くろがね)オート3輪 トラック

(01) <カイザー> (米) (1945~70)
「カイザー」という車は「カイザー・フレイザー社」で「フレイザー」の弟分として造られ、創立者の一人「ヘンリーJ・カイザー」の名前から命名された。ヘンリー・カイザーは、砂利セメント業界で財を成し、フーバー・ダム(貯水量の400億立方米は、一つで日本中のダムの2倍近い大きなダム、琵琶湖の約2倍の貯水量)建設に際してはその責任者を務めた程の土木建築界の大物だが、一般には「造船王カイザー」として知られている。しかし一方でカリフォルニアに自動車の研究所を作るなど、自動車に強い関心を持っていたのは、企業としての可能性を探っていたのだろう。おりしも、1943年までは「ウイリス・オーバーランド社」の社長を務め自動車業界に詳しい「ジョセフW・フレーザー」と出会い、急転直下新しい自動車メーカーを立ち上げる話がまとまり、第2次大戦が終戦を迎える直前の1945年7月新会社が設立された。というのは、相手のフレイザー側もハワード・ダーリン等の設計で既に基本計画が出来ていたため、お互いのタイミングがぴったり合ったという事だろう。最初はカリフォルニアで計画していた前輪駆動車を廉価版の「カイザー」とし、ダーリン設計のオーソドックスタイプを上級モデル「フレーザー」とする予定だったが、この計画は試作のみで終り、市販された「カイザー」は「フレーザー」と基本的には全く変わらない双子の誕生となった。最初の車は1947年から発売され、4ドアセダンしか無かったにもかかわらず47年14万5千台、48年18万1千台と、かなり好調の滑り出しを見せた。この理由の一つはハワード・ダーリンがデザインしたスタイリングにあった。フォードが1949年発表して話題となった、ボディの側面が平らな「フラッシュサイド」は、47年のこの車には既に採用されていたから、戦前の42年型のままのライバル達に較べればずっとモダンで格好良く見えた。しかし1949年になって大メーカーが一斉に戦後型を発表すると、売り上げは一気に10万台を切ってしまった。「カイザー・フレイザー」社は1953年「カイザー・モータース」となって「ウイリス」を買収したが、1970年には「AMC」と合併し、1987年には「クライスラー」に吸収された。

(写真01-1ab)1947-48reKaiser Special 4dr Sedan         (1959年 清水市内にて)
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(01-1b)(018-15) 1948 Kaiser Special 4dr Sedan.jpg
シリーズは下から「スペシャル」「カスタム」の2種で、ボディータイプは4ドア・セダンのみ、47年と48年の相違点は殆ど見つからない。シリーズ名はグリル中央の太めの縦バーに「Special」と入っている。この車は撮影当時車齢10年を過ぎたばかりだが、かなり老朽化が進んでおり既にナンバーは無く、グリルの一部も欠落している。道は未舗装だが、幹線道路から一歩入れば殆どがこんな状態で、これが地方の一般道路の標準だった。

(写真01-2ab) 1949 Kaiser Special 4dr Sedan       (1958年 静岡市内 札ノ辻付近)
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(01-2b)003-15b 1949 Kaiser (2).jpg
僕が静岡に住んでいたのは1959年秋までだが,当時存在していたアメリカ車で、静岡市内で見なかったのは「パッカード」「コルベット」「サンダーバード」「エドセル」位で、「ハドソン」「スチュードベーカー」「ジープスター」「クロスレイ」「フレーザー」「カイザー」など珍しい部類の車も撮影している。静岡は地方都市としては金回りが良かったのだろうか。僕にとっては有難い事だった。場所は市内の2大商店街「呉服町通り」と「七間町通り」が交差する「札ノ辻」付近だ。

(写真01-3a~e) 1949 Kaiser Traveler 4dr Sedan           (1962-03 港区内にて)
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(01-3e)(089-34+35) 1949 Kaiser Traveler(合成) b.jpg
 上の2枚を張り合わせて修正したのがこれだ
(01-3f)1949 Kaiser Traveler.jpg
(参考)リアトランクはこんな具合で開く
「トラベラー」は現代なら5ドアだが、この当時はまだその言葉は無く4ドア・セダンに分類されていた。この車はハッチバックの元祖ともいえるスタイルで、外見はセダンのままでありながら、トランクは下に、リアパネルはウインドーごと上に、ぱっくりと口を開くものだった。遠目ではセダンと全く区別が付かないが、傍でよく見るとトランクの把手の位置が違う。上開きのセダンは下にあるのに対して、下開きのこの車は上側に付いており、リアウインドウの周りには切れ目が入っている。この車の狙いは大きな荷物が積める便利さと、乗用車と変わらないスタイルの両立にあり、積載重視のステーションワゴンや、スタイル重視のクライスラー・タウン&カントリーなどとは一味違った方向を目指していたようだ。当時のキャッチコピーに「日曜はミーティングに、月曜はお仕事に使える車」とあるのがその証拠だ。写真は後一杯に駐車していて、肝心の後ろ姿が入らないので、ぎりぎりで撮った2枚をつなぎ合わせた苦心の作だ。

(写真01-4ab) 1952 Kaiser Manhattan 4dr Sedan (1957年 静岡市追手町/県庁正面玄関にて)
     (01-4a)023-04 1952 Kaiser Manhattan.jpg

(01-4b)(01-4b)023-05) 1952 Kaiser Manhattan 4dr Sedan.jpg
静岡県庁の正面玄関に停まっているこの車は、官公庁用の「た」ナンバーで県庁の車だ。県庁の車庫にはいろいろなアメリカ車が入っており、この「カイザー」の他に「リンカーン」「マーキュリー」「フォード」「キャディラック」「ビュイック」「シボレー」「クライスラー」「デソート」「ダッジ」「プリムス」「ハドソン」「スチュードベーカー」「フレーザー」「ジープ・ステーションワゴン」など百花繚乱だった。台数に較べて車種が多いのは役所の「偉いさん」の中に車好きの方がいたのでは?と疑いたくなる。姉妹車「フレーザー」が前年で打ち切られ。52年からは「カイザー」1本になった。そのお陰でそれまでフレーザーが使っていた「マンハッタン」のネーミングをカイザーが使える事になった。フロントガラスの上縁が猿の額の様に曲線になっているのはデザイナー・ハワード・ダーリンのセンスで、ザガートの「ダブル・バブル」に似て一寸格好がいい。

(写真01-5ab) 1952 Kaiser DeLuxe 4dr Sedan               (1958年静岡市内にて)
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(01-5b)025-06 1952 Kaiser DeLuxe 4dr Sedan.jpg
静岡市内にはまだ他の「カイザー」が居た。「3-400」というナンバーから民間用普通乗用車と判る。(当時「3」は普通乗用車、「1~」から始まるのは民間用で、30,000台は在日外国人用、40,000台は官公庁用だった) 52年と53年型の相違点はヘッドライトのクロームの幅が広く、左右に突起があれば53年型だが、この車にはそれが無いので52年型だ。

(写真01-6a) 1953 Kaiser Manhattan 4dr Sedanm         (1961-03 港区内 麻布にて)
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こちらは53年型なのでヘッドライトのクロームの幅が広く、左右に突起があるのがはっきり判る。それ以外は52年型の「マンハッタン」と全く変わらない。

(写真01-7ab) 1954-55 Kaiser Manhattan 4dr Sedan        (1960-01 JR田町駅前)
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(01-7b)(075-34) 1954 Kaiser Manhattan 4dr Sedan.jpg
1953年「カイザー・フレーザー」は「ウイリス・モーター」を買収して「カイザー・ウイリス・コーポレーション」となっていたが、1954-55年型のこのモデルを最後に乗用車部門から撤退した。 4灯のヘッドライトになる過程の段階でパーキングライトを抱き込んだ縦長の造形は、ビュイックなどとも共通のアイデアだ。この車には「スーパーチャージャー」が付けられており、「スーパーチャージャーが付けられるとその車はおしまいになる」というジンクスを忠実に守って1955年を最後に姿を消した。(ジンクスにはそれなりの理由があって、新しいエンジンを開発するだけの余力が無い経営不安定なメーカーが、馬力向上の為スーパーチャージャーに頼るからだ。) 場所はJR田町駅前で、僕もこの群集の一人として毎日通勤した懐かしい場所だ。
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(写真01-8a~d) 1968 Kaiser Jeep               (2018-11 旧車天国/お台場)
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(01-8b)18-11-18_663 1968 Kiser Jeep M715(ファイブ・クオーター).JPG

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1955年限りで乗用車から撤退したカイザーは、手を組んだウイリスの得意分野「ジープ」を主力商品に方針を変えていた。民需用に開発された「グラディエーター」を軍用モデルに変身させたのがこの車だ。1960年頃から75年まで続いた「ベトナム戦争」の特需を狙ったもので、この車の正式名は「1¼ ton 4×4 Kiser Jeep M715」だ。
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(02) <カイザー・ダーリン> (米) (1954)
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(写真02-1a~e)1954 Kaiser-Darrin 161 Roadster (1998-08 ブルックス・オークションのテント)
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(参考)ドアはボンネット・サイドに滑り込ませるユニークな方法だ

「カイザー・ダーリン」という車は会社の方針で造られたものではなく、専属デザイナー「ハワードA・ダーリン」の個人的なアイデアを実現するため自己資金を投じて造られたものだ。彼は1897年ニュージャージーの生まれで、若い時は飛行士だった経験を持ち、発明家でもあったが、戦前から自動車のデザインを手掛けており、初期には「ミネルバ」「ロールスロイス 20/25」、30年代からは主に「パッカード」に作品を残している。戦後は元ウイリス・オーバーランドの社長だったジョセフW・フレーザーの下で新しい車を計画していたが、フレーザーがカイザーと組んで新会社を作ったので、そのまま横滑りでカイザー社のデザイナーとなった。この車は、当時「カイザー社」で造っていたコンパクトカー「ヘンリーJ」のシャシーを使って造られたスポーツカーで、アメリカ初となるFRP製のボディを持ち、量産型のエンジンはウイリスから転用した直列6気筒 F-head 2638cc(161cub-in) 90hp/4200rpm だった。カイザー社への売り込みが成功し生産が決まった「カイザー・ダーリン」だったが、カイザー社が55年で自乗用車の生産から撤退してしまったので1954年1年限りの寿命で、生産台数は435台と記録されている。
・特異なスタイルで知名度の高い車だが、国内で実物に出会う機会は全くなかった。この写真は8月のカリフォルニアで開かれる3大イベントの一つ、ペブルビーチのコンール・デレガンスの観客を目当てに開かれる有名なオークション「ブルックス」のテントで捉えたものだ。
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(03) <ケンワース> (米) (1912~2021)
広い国土を持つアメリカには日本では想像もつかないほど巨大な「トラック+トレーラー」がハイウエイを走っている。「ケンワース」の他に「GMC」「フォード」「インターナショナル」「フレイトライナー」「ホワイト」「オシュコシュ」「ピータービルト」など多くのメーカーがあるが、これらの車は、乗用車と違って日本国内では一度も見る機会は無かった。当然国内の道路では使いこなせないからだろう。トラックは毎年モデルチェンジをしないし、ケンワースの車には型式の表示が見当たらない。残念ながら僕の持っている資料からは年式も型式も確認できなかった。

(写真03-1a~e)Kenworth Truck & Trailer (2004-08 ラグナセカ・レースウエイ/カリフォルニア)
(03-1a)(04-72-29) (右)Kenworth Truck.jpg
 後ろの壁のように見えるのはこの車が引てきたトレーラーだ
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(写真03-2abc) Kenworth Truck & Trailer (2004-08 ラグナセカ・レースウエイ/カリフォルニア)
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  (03-2a)04-59D-120 Kenworth.JPG

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(写真03-3ab) Kenworth Truck  (1999-08 ラグナセカ・レースウエイ/カリフォルニア)
(03-3a)(99-27-01) Kenworth  Kenworth.jpg

(03-3b)(99-27-02) Kenworth.jpg


(写真03-4ab) Kenworth Truck & Trailer (2004-08 ラグナセカ・レースウエイ/カリフォルニア)
(03-4a)(04-77-15) 2003 Kenworth T2000 Truck(巨大なトレーラー).jpg

(03-4b)(04-77-16) 2003 Kenworth T2000 Truck( 巨大なトレーラー).jpg
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(04) <キーフト> >(英)
(写真04-1a~e) 1953 Kieft Sport CS         (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)
(04-1a)(97-43-22) 1953 Kieft Sport CS.jpg

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(04-1c)(97-43-24) 1953 Kieft Sport CS.jpg

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(04-1f)(97-43-09) 1953 Kieft Sport CS.jpg
「シリル・キーフト」の車造りは1950年の「フォーミュラ3」から始まった。この「F-3」をベースのいろいろなレーシングカーやスポーツカーを造っており、写真の車もそれから続く一連のスポーツカーで、横から見た感じは「ヒーレー・スプライト」にも似ている。この車の特徴は「センター・シート」でハンドルが真ん中にあり、しかもハンドルの半分以上がボディより上に見えるくらい高い位置にあり、ドライバーは背筋を真っ直ぐ立てた姿勢で運転している。
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(05) <ナイト> (英)
(写真05-1abc) 1895 Knight           (2007-06 英国国立自動車博物館/ビューリー)
(05-1a)07-06-25-1186  1895 ナイト/イギリス初のガソリン・エンジン車.JPG

(05-1b)07-06-25-1187.JPG

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この車はイギリスで公道を走った最初の「ガソリン・エンジン車」と言われている。造ったのはサリー州、ファーナムの「ジョン・ヘンリー・ナイト」だが、1895年10月公道を走った際、「運転免許証不携帯」(無免許?)と「前方案内人不在」で5シリングの罰金を取られた、とある。当時のイギリスには歴史的悪法と言われた「赤旗法」という車両の通行に関する法律があった。目的は機械で動く自動車は危険物であり、騒音を発することで馬車の馬が驚いて暴れることを未然に防ぐ事にあったといわれる。その内容は市街地での最高速度時速3.2キロ、運転手、メカニック、赤い旗を持って車の前方60ヤード(55m)を歩く者、の3名で運用する事。と決められていた。しかし人の歩く速度より遅い乗り物がそんなに危険とは思われないし、法律が出来た頃の自動車は、まだスチーム・エンジンだから音に関しては問題ないはずだ。騒音を発する初期のガソリンエンジンは大部分が「赤旗法」廃止後の産物だから、この法律を造らせたのは馬車業者が圧力をかけた「嫌がらせ」だろう。
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( 06) <コマツ製作所> (日) (1960~62)
(写真06-1a) 1960 農民車コマツ             (2017-10 日本自動車博物館/小松市)
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(06-1b)17-10-11_1166 1960 Komatsu (Unica LT1200)?.JPG
イエローのボディに「KOMATSU」のネームが入った小松製品は、ブルドーザーから大型の建設機械まで、世界中で活躍しているには周知の事実だ。その小松製作所が、今から60年以上前に農民の生活向上のため開発したのが赤く塗られたこの車だ。「歩く農業」から「車のある農業」への転換を図ったもので、農作業の他に街乗りにも利用でき、名前も「農民車」と名付けられた。街乗りも視野に入れたからには、「耕運機」よりは見た目が良くなければと、著名な工業デザイナー「剣持勇」を起用し直線を主体にしたボディをデザインした。無駄を省いたシンプルな構造で、乗車定員は3名となっており、ドライバーの左右に座ることが出来た。排気量は280ccで、最高速度は14.4k/hだから、これは耕運機とあまり変わらない。1960~61年の2年間で4,300台しか造られなかったのは、軽自動車の先駆者「スバル360」が発売されて2年しか経っておらず、自家用車?を所有するには、まだ時期尚早だったのだろう。
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(08) < 紅旗 > (中)  (1958~2020)

漢字で「紅旗」と書いて、日本語では「こうき」(Kouki)、中国語では「ホンチー」(Honggi)と読み、英語では「Red Flag」となる。本国の発音に従えば「H」項だが、日本で一般に使われている「こうき」と読んで「K」項とした。「紅旗」の1号車が誕生したのは1958年8月だったが、当時の自動車生産能力に関しては「発展途上」というよりは「後進国」に近かっただろう。未知の物に挑戦する時、最も手っ取り早いのは何かをお手本にすることだが、この車の場合のお手本は「1955 Chrysler C69」というのが定説のようである。しかし外見はあまり似ているようには思えないが、参考にしたのは、シャシー、エンジン回りだったのか。もう一つ、ソ連の「ジル」を参考にしたという説もあるが、当時のソ連の高級車はアメリカの旧型「パッカード」や1948年「キャディラック」のそっくりさんだから、デザインに関しては参考にはならなかっただろう。「CA71」の試作車を経て「CA72」が量産型として1958年から生産が始まり、63年モデルチェンジして「CA770・リムジン」、「CA770-J・オープン仕様」、「CA771・セダン」となり、69年には「CA772・防弾仕様」が追加された。

(08-0a) 1958 紅旗72 Limousine.jpg
(参考) 1958 紅旗72 Limousine      グリルの「扇型」が特徴。

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(参考 1955 Chrysler 69      「紅旗」が参考にしてとされる車。

(写真08-1a~f) 1968 紅旗(Honggi) Limousine (2012-04 トヨタ自動車博物館/名古屋)
(08-1a)12-04-21_222 1968 紅旗(Honggi) (中国) - コピー.JPG

(08-1b)12-04-21_223 1968 紅旗(Honggi).JPG

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トヨタの博物館は展示車の他に、バックヤードに未公開のストックをたくさん持っている。博物館で小生の「写真展」が開催された際、ご厚意で特別撮影をさせていただいたのがこの写真である。ホイールベースが3,720ミリあり、ベンツ600リムジンにも負けていない。運転席の写真からシートにも高級な織物が使われているように見えるが、迂闊なことにVIPが座る後部座席の写真を撮り忘れている。

(写真08-2a~f) 1967 紅旗(Honggi) Limousine   (2017-10 日本自動車博物館/小松市)
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(08-2b)17-10-11_647 1967 Hongqi(紅旗) CA770 Limousine.JPG

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この手の高級車は毎年モデルチェンジはしないから、年式による違いは殆どない。さすがは漢字発祥の国だけあって、後ろには漢字で「紅旗」と、でかでかと入っている。これだけは日本でも見たことが無い、完全に中国オリジナルだ。
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(09) <くろがね(日本内燃機)> (日) (1932~62)

(写真09-1a~f) 1930 New Era 500  (2011-10 ジャパン・オートモビル・クラシック/日本橋)
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(09-1c)11-10-29_526 1930 New Era (くろがね).JPG

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 (博物館に展示してあったときは幌を付けていた)

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この会社のルーツは、業界のパイオニアともいえる「蒔田鉄司」にたどり着く。1917年には「秀工舎」を立ち上げ自動車やオートバイの部品製造を始めたが、1918年からは白楊社の主任技師となり、そこで1924年から日本初の量産車「オートモ号」を300台近く生産している。1926年白楊社を退社して再び秀工舎に戻り、1927年(昭和2)オート3輪を完成させ、昭和となった新しい年号に因んで「ニュー・エラ」(新時代)と名付けた。1928年実績を買われた蒔田は、大倉財閥系の大手自動車販売業者「日本自動車」に常務取締役として迎えられ、同社の大森工場でオート3輪の製造を始めた。ここで製造された車は「JAC NEW-ERA」と名付けられた。(「JAC」は日本自動車の略称)写真の車は「日本自動車」になってからのモデルだが、タンクの右サイドは左から右に→「CAJ ARE-WEN」と英語のルールを無視して反対に書いてある。(←右から読んでください)

(写真09-2abc) 1936 Kurogane KD-6          (2017-10日本自動車博物館/小松市)
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1932年9月「日本自動車大森工場」は独立し、「日本内燃機(株)」が設立された。この時期、蒔田の設計した「空冷V型2気筒エンジン」はこの会社を代表するエンジンとして長期にわたって製造された。ところで「NEW ERA」という英語名は、今ほど英語が普及していなかった昭和の初期には、一般には馴染が薄いだけでなく、「ニュー・エラー」新しい失敗と揶揄(やゆ)されるなど、イメージとして好ましく無い事から、1937年1月には新しい名前「くろがね」に変更された。「くろがね」という言葉は日本古来の表現で「鉄」の事をあらわし、「軍艦マーチ」にも「守るも攻めるもくろがねの」とあるように、頑丈というイメージを持っている。加えて、設計者蒔田鉄司の名前から「鉄」の一字も引用されている。「くろがね」ブランドのオート3輪は1930年第後半は「マツダ」「ダイハツ」と並ぶ3大メーカーだった。
・いろいろな資料で「くろがね」の名称は1937年から変更されたとあるが、あの「くろがね4起」と呼ばれる車は1935年製である。このずれの理由は、「4起」の正式名称は「95式小型乗用車」で当時は「くろがね」とは名乗っておらず、「くろがね4起」の通称は、後年オート3輪が「くろがね」になってから付けられたものと推定した。


(写真09-3ab) 1957 Kurogane KP           (2017-10 日本自動車博物館/小松市)
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戦時中は軍需優先でオート3輪の製造は中断されていたが、戦後、耐乏生活の中でオート3輪は主役となり、新たなメーカーも加わって激戦となった。1950年代前半までは、くろがねのエンジンは他社に抜きん出た性能を誇っていたが、朝鮮戦争の特需が終わった後の不況に対する経営陣の見通しの悪さから経営不振に陥り、有力技術者の流出から開発能力も低下し、OHVエンジン、鋼製キャビン、2灯式ヘッドランプ、丸ハンドルなど近代化の波に乗り遅れ、1954年には4輪トラック「トヨエース」の出現により益々経営は悪化していった。

(写真09-4a) 1959 Kurogane KY         (1961-12 桜田通り・慶應義塾大学前/港区三田)
(09-4a)(081-01) 1959 Kurogane(くろがね) Type KY/1960 Datsun Bluebird/1957 Austin A50.jpg
昭和30年代にはまだオート3輪は現役として普通に街中で活躍していた。その証拠がこの写真で、場所は三田の慶應義塾大学正門前の桜田通りだ。警察官に取り締まられているかのように見えるが、実はこのあと宮内庁差し回しの御料車「デムラー」が羽田から戻ってくるので、一時的に通行止めにあっている風景だ。

(写真09-5abc) 1960 Kurogane Baby 360    (1959-11 第6回 東京モーターショー/晴海)
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(09-5d)(09-10)1958 Yannmar KT Truck.jpg
(参考)1958 Yannmar KT Truck

1957年、この経営危機に瀕しているメーカーに目を付けたのが東急グループの「後藤慶太」で、同じように倒産寸前だった戦前からの名門「オオタ自動車工業」を吸収合併させ、技術面の強化を図った。東急グループの一員となり、日本交通の創業者川鍋秋蔵を社長に迎え「日本自動車工業」が発足した。しかしオート3輪の開発に関しては新技術の導入が進まず、他社との競争力は下がり見通しは暗かった。一方で、1959年オオタ系の流れで開発されたのが小型4輪トラック「くろがねノーバ」だったが、まだ殆ど実用化されていなかった「エア・サスペンション」付きで、4灯、ツートーン塗分けと、トラックのオーナーが望む「実用的」とは真逆なところに力を入れた仕上がりは、この会社の方針の不適切さを現している。この年、社名が「東急くろがね工業」と変わり、軽4輪でキャブオーバータイプのトラック「くろがねベビー」が秋のモーターショーで発表された。この車の設計者はオオタ自動車の創業者太田祐雄の3男「太田祐茂」で、1946年戦後まもなく父親の元を離れ、自身は「オオタ商会」を設立し自動車の修理を手掛けていたが、1951年以降は父親の「オオタ自動車工業」の下請けとなっていたから、低迷を続ける親会社からの依頼を受け設計したものだ。この車は荷台が後ろにあるトラックとしては異例の「リアエンジン」で、後年ヒットした「スバル・サンバー」よりも2年先行している。構想のベースとなったのは1957年「ヤンマー・ジーゼル」から依頼を受けて造った「ヤンマーKTトラッツク」で、たまたま僕のコレクションにこの車が写っていたので参考に添付した。確かに基本構造は良く似ている。

(写真09-6abc) 1961 Kurogane Baby KB360      (2018-05 消防自動車博物館・千葉御宿)
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キャブオーバーの場合は運転席が前に出た分、荷室が広く取れる利点がある。しかしこの車の場合、荷台の3分の1がエンジンルームで占められている。このエンジンは水冷4気筒の既存のエンジンの半分を使って造られた直列2気筒エンジンが積まれている。(薄型の水平対向2気筒で床下に収めるという事は考えられていない)透視図で見る通りかなり背が高いから、後ろからの積み下ろしは出来ず、トラックとしては致命的な弱点だ。

(写真09-7abc) 1962 Kurogane Baby KB360V Lightvan  (2017-10 日本自動車博物館/小松市)
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裸の荷台「キャリャー」をベースに、荷台に幌を付けたC「コマーシャル」、幌の中(荷台)にシートを置き4人乗りにしたW「キャンバス・ワゴン」、全鋼製4人乗りのV「ライトバン」と4種のバリエーションが用意されていた。発売初年度の1960年には16,497台と好調な滑り出しだったが、ライバルのダイハツからは「ハイゼット」が、スバルからは「サンバー」が、スズキからは「スズライト・キャリー」がと次々「くろがねベビー」を超えたニューモデルが登場して来た。性能だけでなく販売に関しても「東急くろがね自動車販売」の販売網は弱体で売り上げは急速に減少し、1962年1月には会社更生法の適用を申請し生産は終わった。

―「K」項は1回でおしまい。次回から「L」項「ラゴンダ」「ランチェスター」ほかの予定です ―

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第106回 L項-7 「リンカーン・2」(米)

第105回 L項-6 「リンカーン・1」

第104回 L項-5 「ランチャ・2」

第103回 L項-4 「ランチャ・1」

第102回 L項-3 「ランボルギーニ」

第101回 L項-2 「ランチェスター」「ラサール」「リー・フランシス」「レオン・ボレー」「ラ・セード」「ロイト」「ロコモービル」「ローラ」「ロレーヌ・デートリッヒ」

第100回 L項-1  「ラゴンダ」

第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」

第98回 J項-5 「ジープ」「ジェンセン」「ジョウエット」「ジュリアン」

第97回 J項-4 「ジャガー・4」(大型サルーン、中型サルーン)

第96回 J項-3 「ジャガー・3」 (E-type、レーシング・モデル)

第95回 J項-2 「ジャガ-・2」(XK120、XK140、XK150、C-type、D-type、XKSS)

第94回 J項-1  「ジャガー・1」(スワロー・サイドカー、SS-1、SS-2、SS-90、SS-100)

第93回 I項-2 「イターラ」「イソ」「いすゞ」

第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

第86回 H項-3 「ホールデン」「ホープスター」「ホルヒ」「オチキス」「ハドソン」「ハンバー」

第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

第71回 F項-15 Ferrari・2

第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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