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第124回 日本自動車殿堂入りされた伊藤修令氏とR32スカイラインGT-R
2021.2.27

今回は2020年に日本自動車殿堂入りされた伊藤修令(いとう ながのり)氏とR32スカイラインGT-Rに関してご報告したい。すでに第91回車評オンラインで「往年の名車R32スカイラインGT-Rの開発」というタイトルでご報告しているので、ダブル部分がかなりあるがご容赦いただきたい。

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まずは殿堂入りに際しての功績紹介文に若干手を加えたものを以下ご紹介しよう。

伊藤修令氏は1937年に広島県竹原市で生まれる。広島大学工学部機械工学科でエンジンを学び、大学時代に初代プリンス・スカイラインの洗練されたデザインと先進的な国産技術の志の高さに感動、1959年富士精密工業に入社。シャシー設計課に配属され、サスペンショングループの責任者だった櫻井眞一郎氏のもとで、スカイラインの足回りの設計・開発に一貫して携わることになった。(櫻井氏も2005年に殿堂入りされている)。また日本グランプリで活躍したレース車両スカイライン(S54B)の設計にも従事、1966年にプリンス自動車と日産自動車が合併、小型大衆車のFF化の動きが進む中で、プレーリー(M10)とマーチ(K10)の設計・開発にもかかわった。

スカイラインの開発責任者(主管)になったのは1984年の暮れ、7代目スカイライン(R31)開発の最終段階で、病に倒れた櫻井氏のあとを急遽継ぐことになった。スカイラインは代を重ねるごとに大きく豪華になり、1980年代に入ると販売台数の伸び悩みに直面、スカイラインの原点に戻ってほしいとの声が多く寄せられた。

R31に続きR32も担当することになった伊藤氏は、市場の動向やユーザーの声をリサーチ、それらの結果も踏まえながら、当初から念頭にあった「走りのスカイラインの復活」を前面に掲げ、ボディサイズ、デザイン、エンジン、足回りなどすべてを一新した。ただしR32企画当初からGT-Rが入っていたのではなく、R32の基本構想が経営会議でオーソライズされる直前に、低迷している日産のイメージを回復するためにGT-Rを提案し、開発役員の合意が得られ急遽追加された。

伊藤氏は、R32の開発にあたって、走りをイメージできるコンパクトで引き締まった造形を目指し、軽量・高剛性ボディーとするため高張力鋼板などの採用を積極的に進めた。足回りでは、すでに導入済みだったリヤマルチリンクサスペンションに加え、フロントにもマルチリンクを採用、エンジンは2L直列6気筒のRBエンジンのレスポンスの向上など改良を進めたが、GT-Rの開発にあたっては2.6Lターボエンジン(RB26)を開発、電子制御トルクスプリット4WDを組み合わせることで走行性能をさらに高めた。

伊藤氏は、R32 スカイラインGT-Rの開発目標として「走りのスカイラインの復活」という明快なコンセプト、「ターゲットを絞る」などの選択と集中、「他車を圧倒する走り」という高い志の3点を開発スタッフに強くアピールした。当時開発現場においては、エンジン、シャシー、デザインなど、部門ごとの縦割り主義、管理職と現場の間に垣根などがあったが、「組織や職位を越えて本音のクルマづくりをしよう」と訴え、自由にものが言える風通しの良い体制をつくった。時あたかも日産の開発部門では「1990年までに世界一の走りを目指す」という「901活動」が始まっており、伊藤氏はこれと呼応しながら目標実現に奔走、開発過程においては、日本車では初めてドイツのニュルブルクリンクサーキットで開発テストを実施、当初は不具合の連続だったが、半年後には目標タイムをクリアすることができた。

R32 スカイラインGT-Rの高い性能も貢献、R32は市場で高く評価されるとともに、国内のツーリングカーレースで連戦連勝を続け、スカイラインの名声を改めて高めることになった。スカイラインはその後R33、R34と進化、近年のGT-Rは「スカイライン」の冠こそ外されたが、アメリカやヨーロッパで日本を代表する高性能車として認知されてきた。日産GT-Rの源流がR32 スカイラインGT-Rで、その開発責任者として組織をまとめ上げた伊藤氏の功績によるところが大きい。

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次に伊藤氏が執筆された「R32スカイラインGT-Rの開発」増補改訂版の出版にあたってのグランプリ出版による伊藤修令氏の巻頭インタビューの一部をご紹介しよう。

―まず、スカイライン、櫻井さんと伊藤さんのかかわりは?
伊藤:1959年富士精密工業に入社、配属されたのはシャシー設計課のサスペンショングループで、その親玉が櫻井さんだった。入ったその日から製図の練習をさせられるなど、徹底的に鍛えられた。櫻井さんは2代目スカイラインから7代目スカイラインまでを担当、ぼくは櫻井さんのもとでスカイラインと長年関わってきた。1984年の暮れ、7代目R31の開発がほとんど終わった時に櫻井さんが倒れられたため、急遽後任の主管をやれとお鉢が回ってきた。スカイラインに憧れプリンスに入ったが、スカイラインといえば櫻井さんのイメージが定着しており、そのあとを自分がやると思ってもいなかった。

―その時R31はすでにほぼ完成した時期でしたね
伊藤:開発の最終段階である運輸省届け出の直前だった。8月の発売直後から自分が考えるスカイラインの本質に少しでも近づけるべくR31のマイナーチェンジ作業に着手し、RBエンジンの改良を進めるとともに、2ドアモデルの開発も急いだ。ただし当初計画では、2ドアモデルにはGT-Rのエンブレムを付けることになっていたことを知り、GT-Rというのはそう気安く出すクルマではないと考え、GT-Rのネーミングは外し、軽量化やデザインの変更によりスポーティーな2ドアクーペを仕上げた。

―R31の評価は芳しいものではなかった?
伊藤:8月の発売後、自動車ジャーナリストやお客様、スカイラインの長年のファンからスカイラインらしくないという厳しい声をいただいた。僕自身もそう思い、次のモデルはスカイラインらしいスカイラインにしなければならないと決意した。

―伊藤さんにとってのR32のコンセプト、目指すべき姿とは?
伊藤:スカイラインらしいスカイラインとは、コンパクトにしてシンプル、そして走りがいいことに尽きる。欧州の高性能車に負けない走りの第二世代のスカイラインとしてイメージさせるため、スポーツカー感覚を強め、豪華さやゆとりはいらないと考えた。

―エンジンや足回りは一新しましたね
伊藤:飛躍するところは飛躍しなければならない。足回りを新設計し、エンジンもこれぞ!というものを搭載して、世界でトップの走行性能にして初めて「走りのスカイラインの復活」と誇れ、見る人も買う人も納得してくれる。基礎研究を行なう追浜の中央研究所で新しい足回りをやっていることは漏れ聞いていたが、R32の基本構想を決定する直前、サスの模型を持って説明に来てくれた。それがマルチリンク式フロントサスペンションだった。これにより、四輪マルチリンクという世界で初めてのシャシーを実現できた。一方、RBエンジンはR31に初めて搭載した時は高速域のレスポンスがいまいちの評価だったので、大幅に改良し、出力、レスポンスを向上させた。

―901活動がスカイライン復活をけん引?
伊藤:当時欧州市場に打って出ようという中で、1990年に世界一を目指す「901活動」をシャシー設計・実験部門が提起、それがR32の開発と呼応し、総合プロジェクトとして動き出した。それまでの日産に対してよく言われていた官僚的な体質を、久米豊氏が1985年の社長就任以来、改革しようと旗を振っておられた。私も「シャシー屋もデザインのことに口を出せ」、「エンジンの開発者もシャシーの勉強をして文句を言え」、「こんなエンジンではせっかくいい足回りを作っても宝の持ち腐れだ」などそれぞれが専門性にとじ込もらず本音でものを言うように促した。また感性を重視した走りの追求にむけてテストドライバーの声を大事にした。

―"封印"したGT-RをR32で復活?
伊藤:「走りのスカイライン復活」にはイメージリーダーとしてGT-Rは不可欠で、いま自分がやらなければ永遠にできないとの思いで取り組んだ。エンジンも2.6リットルのレース用は出力目標を500馬力以上に設定した。そうなると2輪駆動では無理という話になって、4輪駆動を検討することになった。中央研究所で新しい4駆(アテーサETS)をやっているから乗ってみてという話が来て、試作車に乗ってみると操縦性能がとてもよかった。開発中にはトルク配分をする多板クラッチの耐久性が課題となったが、これもクリアでき、採用することにした。901活動で掲げた"世界一"を証明するため、ニュルブルクリンクサーキットで走ろうということになった。最終仕上げのつもりで走ったら、半周もしないうちに走れなくなり、問題点がたくさん持ち上がったが、半年後には目標タイムを達成することができた。皆が一つの目標に向かって力を合わせた結果だったと思う。

―伊藤さんにとってスカイラインとは? R32とは?
伊藤:「皆に感動してもらえるクルマ」、「見て、乗って幸せだと思えるようなクルマ」を作りたいと入社以来ずっと仕事に取り組んできたが、自動車会社も企業であるから儲けは大事だ。しかし皆さんに喜んでもらい満足してもらえる商品をつくり提供することがその前提であり、儲けは結果だ。そして「常に進化すること」、「性能、品質を高めコストを下げること」がクルマづくりにとって大事であることを、中川良一さん(中島飛行機でエンジン設計に携わったプリンスの大先輩。日産自動車専務)に教わり、それが心の中で生き続けてきた。これがスカイラインにずっと携わることができた理由であり、R32とGT-Rを完成させることができた核心だと考えている。
         ◇
以上が今回の車評オンラインだが、締めくくりの前に、伊藤修令氏、R32スカイラインGT-Rに対する私の所見をひとこと述べさせていただきたい。R32スカイラインGT-Rは、私が開発責任者をつとめた3代目RX-7(FD)の開発段階で参考車両として購入、一般道、高速道、サーキットなど多岐にわたる走行条件で思う存分に評価し、3代目RX-7のめざす目標、方向性とは異なるものの、素晴らし動力性能、剛性の高い車体、コーナリング時の安定感、あらゆるロードコンディションのもとで安心して思い切って踏み込めたことなど素晴らしい走行性能に感銘するとともに、ダイナミックなスタイリングも大きな刺激になった。今回伊藤修令さんの足跡を振り返り、その志の高さと組織の動かし方に改めて感動したが、現在100年に一度ともいえる転換点を迎えつつあるクルマづくりにも参考になることが非常に多いと感じるのは私だけではないだろう。

最後に「R32スカイラインGT-Rの開発」の増補改訂版がグランプリ出版から出版されたのでお知らせして締めくくりたい。

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執筆者プロフィール

1941年(昭和16年)東京生まれ。東洋工業(現マツダ)入社後、8年間ロータリーエンジンの開発に携わる。1970年代は米国に駐在し、輸出を開始したロータリー車の技術課題の解決にあたる。帰国後は海外広報、RX-7担当主査として2代目RX-7の育成と3代目の開発を担当する傍らモータースポーツ業務を兼務し、1991年のルマン優勝を達成。その後、広報、デザイン部門統括を経て、北米マツダ デザイン・商品開発担当副社長を務める。退職後はモータージャーナリストに。共著に『マツダRX-7』『車評50』『車評 軽自動車編』、編者として『マツダ/ユーノスロードスター』、『ポルシェ911 空冷ナローボディーの時代 1963-1973』(いずれも三樹書房)では翻訳と監修を担当。そのほか寄稿多数。また2008年より三樹書房ホームページ上で「車評オンライン」を執筆。

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