三樹書房
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第99回 Supercar ランボルギーニ
2020.10.29

 書庫で探し物をしていたら、ふと目にとまったのが「平凡」誌1963年3月号の第1付録「'63 ぼくとわたしのニュー・カー」。中を覗いてみると、内外の新車紹介、芸能人の愛車紹介、驚くのは「各界スターの愛車告知板」と題して、本人へのアンケート方式で、所有車、免許の種類、(経験した)最長ドライブコースと時間、次にほしい車、ここがジマンです、車と運転の失敗談、を一覧表にまとめてあった。本文には、女優の浅丘ルリ子が「運転免許を取るまで・私の運転練習日記」を寄稿しているし、「車を持つことは夢ではない」「あなたにも車が買える!」などなど、思わず見入ってしまった。そういえば、この頃はマイカーを持つことが若者たちの夢であった。

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 わが国の乗用車保有台数の推移を、当時の運輸省のデータ(各年12月末)で見てみると、1945年2万5533台、1950年4万2588台、1955年15万3325台、1960年には45万7333台と急激に増え始め、マイカー時代へ突入していく。1963年には約123.4万台となり、はじめて100万台を突破した。そして、1965年約218万台、1970年には約877.9万台、1971年には1000万台を超えた。
 書庫で90頁におよぶ付録誌を見ていると、次に思い出したのが1970年代後半に巻き起こった「スーパーカーブーム」であった。筆者がスーパーカーで真っ先に思い出すのが、1967年5月に発売されたマツダコスモスポーツの輸出版MAZDA 110Sのカタログ。1960年代はポップアート開花の時期であり、アンディ・ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズ、ロイ・リキテンスタインなどなど、そして、日本の誇る横尾忠則の作品がMAZDA 110Sのカタログであった。表紙には「IT'S A BIRD! IT'S A PLANE! NO IT'S SUPERCAR!!(鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーカーだ!!)」のコピー。そう、「スーパーマン」のパロディだ。そして、正面から撮った110Sのナンバープレートに小さく「MAZDA 110S」とある。「乗るというより、飛ぶ感じ」を具現化した元祖スーパーカーであった。

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 スーパーカーブームが始まるきっかけになったのが、1975年に「少年ジャンプ」誌で連載開始された池沢さとしの漫画作品「サーキットの狼」だと言われている。物語の中で、街中ではあまり見かけることがない、高価格、高性能で数も少ない、いわゆるスーパーカーが激闘を繰り広げる様子はクルマ好きたちを魅了し、特に少年たちの間で爆発的な人気を集め、ブームに乗って開催された撮影会にはカメラを手にした少年たちがどっと押し寄せた。
 なかでも、ランボルギーニは注目の的であったことを思いだし、ランボルギーニのファイルを覗いたら、富士フィルムが発行した1枚のシートが出てきた。表にはランボルギーニ カウンタックLP500Sが印刷され、裏には「写そうスーパーカー! 撮影虎の巻。キミもスーパーカメラ小僧になれる!」と題して、撮影テクニックの紹介。右側には撮影マナーについて注意事項が記されている。当時。ブームが過熱しすぎて、少年たちが販売店に押しかけたため、問題視されるようになったのも、スーパーカーブームが短命に終わった要因の一つであったと思う。

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 そこで、今回は初期のランボルギーニのカタログをファイルから引き出してみた。
 1916年4月28日生まれの創業者フェルッチオ・ランボルギーニ(Ferruccio Lamborghini)は、トラクターなどの農業機械と家庭用、工業用空調機器などで財を成し、イタリアンGTカーをこよなく愛したが、既販のGTカーには満足できず、自分で造る道を選んだ。量産された初期モデルからカウンタックまでの主なモデルをカタログでたどってみる。

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1963年10月のトリノショーで発表された、ランボルギーニの第1号車「350 GTV」。Vはveloche(速い)を意味する。ボディーデザインはフランコ・スカリオーネ(Franco Scaglione)、製作はトリノのサルジオット・ボディーワークス(Sargiotto Bodyworks)。シャシーはチューブラーで製作はモデナのネリ&ボナッチーニ(Neri & Bonacini)。駆動方式はFRで、エンジンは3464ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 36 IDLI×6キャブレター360hp/8000rpm+ZF 5速MTを積む。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架。2シーターで、サイズは全長4500mm、全幅1730mm、全高1220mm、ホイールベース2450mm、車両重量980kg。最高速度は280km/h。タイヤはPirelli 205/15。しかし、フェルッチオはフロントデザインと製造品質に満足せず量産には至らず、造られたのは1台であった。その後、20年間倉庫に放置されたのち、ボローニャのランボルギニディーラー、エミリアンオート(Emilianauto)でフルレストアされた後、地元のコレクターに売却されたようだ。エンジンの開発は、アルファロメオでV12気筒エンジンを開発し、フェラーリで250 GTO開発のプロジェクトリーダーの経験があるジオット・ビッザリーニ(Giotto Bizzarrini)が行った。

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1964年3月のジュネーブショーで発表された「350GT」。350GTVのフロントデザインが気に入らなかったフェルッチオ・ランボルギーニは、ボディーの架装をカロッツェリア・ツーリング(Carrozzeria Touring)に依頼、フロント回りを中心にモディファイを実施し、ツーリングの特許であるチューブラーフレームにアルミパネルを貼り付ける「スーパーレジェラ」工法でボディーを架装して完成したのがこの「350GT」であった。チューブラーフレームも自社製としている。エンジンは3464ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 40 DCOE×6キャブレター270hp/6500rpm+ZF 5速MTを積む。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架。2+1シーターで、サイズは全長4460mm、全幅1730mm、全高1230mm、ホイールベース2550mm、車両重量1200kg。最高速度は250km/h。タイヤはPirelli 205/15。

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これは350GTの後期型で、フロントバンパーが2分割され、グリルがメッシュから横2本棒に変更されている。350GTの生産台数は合計120台であった。

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1966年に登場した「400GT 2+2」。このモデルは1964年のジュネーブショーに登場したフェラーリ275GTB(3.3L V12 280hpを積む)に対抗して造られたモデル。ボディーは基本的には350GTと同じだが、2+2とするために若干モディファイされている。ヘッドランプは楕円形2灯から丸型4灯に変更された。エンジンは3929ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 40 DCOE×6キャブレター320hp/6500rpm+自社製 5速MTを積む。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架。サイズは全長4460mm、全幅1730mm、全高1285mm、ホイールベース2550mm、車両重量はボディーパネルがアルミからスチールに変更されたため1300kgと100kg重くなっている。最高速度は270km/h。タイヤはPirelli 205/15。生産台数は250台で、他に2シーターモデルが23台造られている。この23台はフェラーリ対応として350GTの4Lバージョンとして1965年に先行販売されたという資料もある。1967年にはボディー製作を依頼していたツーリングが倒産したため400GTの生産は中止せざるを得なかった。

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1965年のトリノショーにシャシーの展示を行い、1966年のジュネーブショーにベルトーネのマルチェロ・ガンディーニ(Marcello Gandini)デザインのボディーをまとって登場した「ミウラ(Miura)P400」。ミウラの名前は、ブリーダーのドン・エドゥアルド・ミウラ(Don Eduardo Miura)が戦わせるために飼育する最も獰猛な種類の闘牛から頂戴したもの。PはPosteriore(リア)、400はエンジンの排気量を示す。ミウラは24~25歳の若さでフェラーリやマセラティでの経験を経て入社した、若き技術者ジャンパオロ・ダラーラ(Giampaolo Dallara)、パオロ・スタンツァーニ(Paolo Stanzani)、そしてテストドライバーのボブ・ウォレス(Bob Wallace)の3人が中心となって開発した。ダラーラはミウラでレースに参戦することを目標に開発を進めたが、フェルッチオ・ランボルギーニはレース参戦の意思は全くなく、このことが原因で、1968年にダラーラはランボルギーニを去ることになる。
 シャシーは鋼板溶接のフレームに、3929ccV型12気筒DOHC Weber 40 IDL-3L×4キャブレター、圧縮比9.5:1、 350hp/7000rpmエンジンを横置きミッドシップに積み、5速MTとデフはクランクシャフトの後方に、エンジンと一体で組み付けている。ブレーキは4輪ともGirling製ディスク。ステアリングはラックアンドピニオンになった。2シーターで、サイズは全長4360mm、全幅1760mm、全高1055mm、ホイールベース2500mm、車両重量980kg。最高速度は300km/h。タイヤはPirelli Cinturato HS 210/15。生産台数は474台。

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1968年に登場した「イスレロ 400GT」。ツーリング社の倒産で400 GTのボディー供給を絶たれたため、400GTの後継として、ツーリング社で働いていたマリオ・マラッツィ(Mario Marazzi)の助けを借りながら、ランボルギーニ社初の自社製ボディーをまとって登場したのがイスレロであった。このカタログは1969年に登場した高性能版「イスレロ 400GTS」で、駆動方式はFRで、エンジンは3929ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 40 DCOE×6キャブレター350hp/7700rpm+自社製 5速MTを積む。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架。2+2シーターで、サイズは全長4525mm、全幅1730mm、全高1300mm、ホイールベース2550mm、車両重量はボディーパネルがスチールであり1460kg。最高速度は260km/h以上。タイヤはPirelli Cinturato HS 205 VR 15。生産台数は100台。
 1968年に登場した「イスレロ 400GT」は、エンジンが350hp/7500rpm、車両重量1240kg。最高速度は250km/h。生産台数は125台であった。

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1968年に登場したミウラの高性能版「ミウラ S」。エンジンは3929ccV型12気筒DOHC Weber 40 IDL-3L×4キャブレター、圧縮比10.4:1、 370hp/7000rpm。車両重量1040kg。最高速度は285km/h。タイヤはPirelli HS GR70 VR15。生産台数は140台。
 なお、1971年にはさらに高性能な「ミウラ SV」が150台生産されている。エンジンは3929ccV型12気筒DOHC Weber 46 IDL-3L×4キャブレター、圧縮比10.7:1、 385hp/7850rpm。車両重量1245kg。最高速度は300km/h。タイヤはMichelinまたはPirelli:前輪7L/15、後輪9L/15。

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1968年のジュネーブショーでデビューしたランボルギーニ初のフル4シーターモデル「エスパーダ(Espada)」。このカタログは1970年に発行されたS2(シリーズ2)のもの。ベルトーネが最初に提案した「マルツァル(Marzal)」はあまりにも先進的過ぎたので、フェルッチオ・ランボルギーニの指示によってオーソドックスに修正が加えられた。駆動方式はFRで、エンジンは3929ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 40 DCOE×6キャブレター350hp/7500rpm+ 5速MTを積む。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架。サイズは全長4738mm、全幅1860mm、全高1185mm、ホイールベース2650mm、車両重量1635kg。最高速度は250km/h以上。タイヤはPirelli Cinturato HS 205 VR 15。

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1973年に発行されたエスパーダ S3のカタログ。ほとんどの写真は1970年に発行されたものと同じものが使われているが、インストゥルメントパネル回りと、ホイールのデザインが大きく変わっている。生産台数はS1:186台、S2:575台、S3:456台、合計1217台であった。

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1970年に発行された総合カタログ。「ミウラ S」「ハラマ(Jarama)」「エスパーダ」の3モデルがラインアップされた。「ハラマ 400GT 2+2」は1970年のジュネーブショーで発表されたモデルで、イスレロの後継と言えるモデルで、ジャンパオロ・ダラーラ(Giampaolo Dallara)が退社したあと、チーフエンジニアとなったパオロ・スタンツァーニ(Paolo Stanzani)の主導で開発された。ボディーはベルトーネが担当。駆動方式はFRで、エンジンは3929ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 40 DCOE×6キャブレター350hp/7500rpm+ 5速MTを積む。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架。サイズは全長4485mm、全幅1820mm、全高1190mm、ホイールベース2380mm、車両重量1450kg。最高速度は260km/h。タイヤはMichelin 215 VR70。生産台数は177台。
 1972年に365ps/7500rpmエンジンを積んだ「ハラマ 400GTS」が発売され、生産台数は150台。

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「ハラマ 400GT 2+2」のオフィシャルフォト(Photo:Lamborghini)

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1970年のトリノショーで発表された「ウラッコ(Urraco)P250」。生産台数を増やすには、税金の面でも有利なフェラーリ246ディーノやポルシェ911のような小排気量車が必要と判断して開発されたモデル。駆動方式はミッドシップの4シーターで、エンジンは2463ccV型8気筒SOHC Weber 40 IDFI×4キャブレター220hp/7500rpm+ 5速MTを積む。サスペンションは前後ともマクファーソンストラットの独立懸架。サイズは全長4250mm、全幅1760mm、全高1150mm、ホイールベース2450mm、車両重量1100kg。最高速度は240km/h。タイヤはMichelin 205/14。生産台数は520台。
 ウラッコを発表はしたが、その後のテストで不具合が見つかり、その対策に加えて、ストライキなど労働争議によって生産は遅々として進まなかった。その上、1971年には南米のボリビア政府と数千台のトラクター輸出契約を結んでいたが、出荷直前にクーデターによる政権交代があり、一方的に契約破棄されてしまう。苦境に立たされたフェルッチオ・ランボルギーニはトラクター会社を同業のサーメ(SAME:Società Accomandita Motori Endotermici )に売却。1972年に自動車会社の所有株の51%をスイスの実業家ジョルジュ・アンリ・ロセッティ(Georges Henri Rossetti)に売却。さらに、1973年10月に起きたオイルショックの影響を受け、1974年には残りの49%をロセッティの友人ルネ・ライマー(René Leimer)に売却。しかし、その後の経営はうまくいかず1977年にはBMWの参画を拒否、1978年に破産して政府管理下に置かれることになる。
 このような苦境下でも、イタリアのメインエージェントである、ボローニャのエミリアンオート(Emilianauto)とミラノのアチッリ・モータース(Achilli Motors)は前金でカウンタックを注文したので、細々と生産を続けられたと言われる。
 1980年の春、救世主が出現する。フランスの実業家パトリック・ミムラン(Patrick Mimran)全株式を買い取り、同年7月、「Nuova Automobili Ferruccio Lamborghini S.p.A.」が誕生した。
 しかし、7年後の1987年4月、リー・アイアコッカ(Lee Iacocca)が会長を務めるクライスラーに買収されるのであった。

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1974年に発行された「ウラッコ 111」のカタログ。これは北米向けモデルで、したがってカタログも英語版となっている。エンジンは2463ccV型8気筒SOHC でP250と変わらないが、排気対策が加えられており、最高出力は180hp/7500rpmに落ちている。サイズは全長4440mmでバンパーの影響でP250より190mm長い。全幅1740mm、全高1160mm、ホイールベース2450mm、車両重量1300kg。最高速度は140mph(225km/h)。タイヤはradial、low profile 205/70 VR 14 typeとある。生産台数のデータは無いが、おそらくP250の520台に含まれるのではないだろうか。

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1974年に登場した「ウラッコ P300」のカタログ。P250のエンジンのストロークを11.5mm伸ばして86×53mm⇒86×64.5mmとして、2996cc 250hp/7500rpmとしたモデル。サイズは全長4285mm、全幅1740mm、全高1160mm、ホイールベース2450mm、車両重量1300kg。最高速度は162mph(260km/h)。タイヤはradial、low profile(前輪195/70 VR 14)(後輪205/70 VR 14)。生産台数190台。
 ほかに、1974年には1973cc(77×53mm)182hp/7500rpmエンジンを積んだ「ウラッコ P200」が66台生産されている。

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1971年のジュネーブショーで発表された「カウンタック(Countach)LP500」。カウンタックとはランボルギーニの本拠地であるピエモンテ地方の方言で驚きを表す感嘆詞。LPはロンギテュディナーレ・ポステリオーレ(Longitudinale Posteriore:縦置き後置)、500は排気量を表す。シャシーはパオロ・スタンツァーニ(Paolo Stanzani)が主導し、ボディーはベルトーネのマルチェロ・ガンディーニ(Marcello Gandini)が担当。ボディーはアグレッシブなウエッジシェイプで、ドアは前端をヒンジとして上に跳ね上がる方式であった。エンジンは前後逆にミッドシップに収められ、5速MTはエンジン前方に配置され、後方のデフに長いシャフトで伝達される。エンジンは4971ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 45 DCOE×6キャブレター440hp/7500rpm。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架。サイズは全長4140mm、全幅1890mm、全高1029mm、ホイールベース2450mm、車両重量1130kg。最高速度は300km/h以上。生産台数は1台。(Photos:Lamborghini)

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1974年のジュネーブショーで発表された生産型「カウンタック(Countach)LP400」。この頃、ランボルギーニ社は混乱していたため開発は大幅に遅れてしまった。1973年のジュネーブショーにも展示されたが、まだプロトタイプの段階であった。フレームはLP500とは異なり、複雑なチューブラー方式でこれにアルミパネルを張り付けている。フロアパネルにはファイバーグラスが使われている。また、5Lエンジンは冷却問題が未解決であったため実績のある4Lが採用されたと言われるが、4Lでも冷却には苦労したであろうことはダクトを見れば分かる。エンジンは3929ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 45 DCOE×6キャブレター375hp/8000rpm+ 5速MTを積む。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架。サイズは全長4140mm、全幅1890mm、全高1070mm、ホイールベース2450mm、車両重量1200kg。最高速度は315km/h。タイヤは前輪205/70 VR 14、後輪215/70 VR 14)。生産台数157台。

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新経営者ジョルジュ・アンリ・ロセッティ(Georges Henri Rossetti)の指示で、ウラッコP300をベースに、よりアトラクティブなスポーツカーに仕立てられ、1976年3月のジュネーブショーに登場した「シルエット(Silhouette)」。2シーターで、エンジンは2996cc V型8気筒DOHC 16バルブ250hp/7500rpm+5速MTを積む。サイズは全長4320mm、全幅1830mm、全高1120mm、ホイールベース2450mm、車両重量1200kg。最高速度は260km/h。タイヤはこのモデルの最大の特徴で、Pirelli P7 前輪195/50 VR 15、後輪285/40 VR 15を履く。生産台数55台。(Photos:Lamborghini)

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1978年のジュネーブショーに登場した「カウンタックLP400S」。シルエット同様、Pirelli P7タイヤを履かせるためにモディファイされたモデル。エンジンは3929ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 40 DCOE×6キャブレター350hp/7500rpm+ 5速MTを積む。サイズは全長4140mm、全幅2000mm、全高1070mm、ホイールベース2450mm、車両重量1400kg。最高速度は279.6km/h。タイヤはPirelli P7前輪205/50 VR 15、後輪345/35 VR 15。生産台数237台。

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1981年3月のジュネーブショーで発表された「ジャルパ(Jalpa)3500」。シルエットをベースに改良を加えたモデルで、最大の特徴はシート上部のルーフが脱着できること。エンジンは3485cc V型8気筒DOHC 16バルブ Weber 42 DCNF×4キャブレター255hp/7000rpm+5速MTを積む。サイズは全長4330mm、全幅1880mm、全高1140mm、ホイールベース2450mm、車両重量1500kg。最高速度は248km/h。タイヤはPirelli P7 前輪205/55 VR 16、後輪225/50 VR 16を履く。生産台数421台(410台とする資料もある)。

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1982年のジュネーブショーで発表された「カウンタックLP500S」。これは当時ランボルギーニの輸入代理店であった株式会社ジャクス・カーセールスが発行した日本語版カタログ。ライバルであるフェラーリが1981年に投入した5Lの512BBに対する解答がこのモデルであった。エンジンは4754ccV型12気筒DOHC 24バルブ、Weber 45 DCOE×6キャブレター375hp/7000rpm+ 5速MTを積む。サイズは全長4140mm、全幅2000mm、全高1070mm、ホイールベース2450mm、車両重量1510kg。最高速度は300km/h。タイヤはPirelli P7前輪205/50 VR 15、後輪345/35 VR 15。生産台数321台。

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1985年のジュネーブショーで発表された「カウンタック LP5000 クヮトロバルボーレ」。1984年のパリサロンでフェラーリが5L 4バルブエンジンを積むテスタロッサを発表したのに対抗して投入したモデル。エンジンは5167ccV型12気筒DOHC 48バルブ、Weber 44 DCNF×6キャブレター455hp/7000rpm+ 5速MTを積む。サイズは全長4140mm、全幅2000mm、全高1070mm、ホイールベース2500mm、車両重量1490kg。最高速度は295km/h。タイヤはPirelli P7前輪225/50 VR 15、後輪345/35 VR 15。生産台数618台。

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1987年に経営権がクライスラーに移るが、その翌年の1988年に創業25周年を記念して発売された「カウンタック アニバーサリー エディション」。スペックは「カウンタック LP5000 クヮトロバルボーレ」と同じで、エンジンは5167ccV型12気筒DOHC 48バルブ、Weber 44 DCNF×6キャブレター455hp/7000rpm+ 5速MTを積む。サイズは全長4140mm、全幅2000mm、全高1070mm、ホイールベース2500mm、車両重量1490kg。最高速度は295km/h。タイヤはPirelli P7前輪225/50 VR 15、後輪345/35 VR 15。生産台数657台。

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これは北米仕様で、フロントバンパーの形状が異なる。エンジンはBosch製K-Jetronic燃料噴射を採用。エンジン性能はキャブ仕様と全く同じ。

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これはサンタガータの本社・工場とミュージアム。(Photos:Lamborghini)

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第48回 クライスラー300 レターシリーズ – Ⅰ

第47回 フォードランチェロ

第46回 1954年カイザー・ダーリン161

第45回 1950年代ポンティアックのドリームカー

第44回 1950年代オールズモビルのドリームカー

第43回 1950年代ビュイックのドリームカー

第42回 1950年代キャディラックのドリームカー

第41回 クラシックカー・フェスティバル

第40回 アメリカの初期SUV/MPV

第39回 メトロポリタン

第38回 フォード サンダーバード

第37回 シボレーコルベット(第1世代 – 2/2)

第36回 シボレーコルベット(第1世代 – 1/2)

第35回 1950年代のアメリカンドリームカー(4)

第34回 1950年代のアメリカンドリームカー(3)

第33回 1950年代のアメリカンドリームカー(2)

第32回 1950年代のアメリカンドリームカー(1)

第31回 1940年代のアメリカンドリームカー

第30回 戦後のアメリカ車 - 11 :1940年代の新型車(フォード)

第29回 戦後のアメリカ車 - 10 :1940年代の新型車(GM)

第28回 戦後のアメリカ車 - 9 :1940年代の新型車(パッカード)

第27回 戦後のアメリカ車 - 8 :1940年代の新型車(タッカー)

第26回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ナッシュ)

第25回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ハドソン)

第24回 戦後のアメリカ車 - 6 :1940年代の新型車(クライスラー・タウン&カントリー)

第23回 戦後のアメリカ車 - 5 :1940年代の新型車(クロスレイ)

第22回 戦後のアメリカ車 - 4 :1940年代の新型車(カイザー/フレーザー)

第21回 戦後のアメリカ車 - 3 :1940年代の新型車(スチュードベーカー)

第20回 戦後のアメリカ車 - 2 :1940年代の新型車(ウイリス/ジープ)

第19回 戦後のアメリカ車 - 1 :1946年型の登場(乗用車の生産再開)

第18回 アメリカ車 :序章(6)1929~1937年コード・フロントドライブ

第17回 アメリカ車 :序章(5)1934~37年クライスラー・エアフロー

第16回 アメリカ車:序章(4)1924~1929年

第15回 アメリカ車 :序章(3)1917~1923年

第14回 アメリカ車 :序章(2)フォード モデルT(1908年~1927年)

第13回 アメリカ車 :序章(1) 登場~1919年

第12回 AF+VKの世界:1959~1971年型ポンティアックのカタログ

第11回 コペンの屋根:リトラクタブルハードトップ

第10回 スクリーンで演技するクルマたち

第9回 シトロエンDSのこと

第8回 よみがえった『力道山のロールスロイス』

第7回 メルセデス・ベンツ300SL - SLクラスの60周年を祝して

第6回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その2)

第5回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その1)

第4回 短命だった1942年型アメリカ車のカタログ

第3回 「ラビット」から「スバル」へ - スバル最初の軽乗用車と小型乗用車

第2回 「キ77」と電気自動車「たま」。そして「日産リーフ」

第1回 自動車カタログ収集ことはじめ

執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

関連書籍
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
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