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第94回 スズキジムニー誕生50周年(第1世代)
2020.5.27

 誕生50周年を迎えたスズキジムニーのカタログをファイルから引き出してみることにした。今回は第1世代のジムニーを紹介する。スズキ株式会社も1920(大正9)年3月、個人経営であった鈴木式織機製作所を鈴木式織機株式会社に改組してから、今年は創立100周年となる節目の年である。
 スズキが二輪/四輪車の研究、試作を始めたのは戦前の1937~39(昭和12~14)年であったが、第2次世界大戦によって中断、二輪車については、1952(昭和27)年に自転車に装着する補助エンジン(パワーフリー号)、1954年に二輪完成車(コレダ号)を発売した。四輪車については1954年に軽四輪自動車の研究を始め、翌1955年に軽四輪車「スズライト」を発売。1954年には社名を鈴木自動車工業株式会社に変更し株式を上場。1961年には軽トラック「スズライトキャリイ」、1962年には「スズライト・フロンテ」、更に、1965年にはわが国初となるFF駆動の小型乗用車「スズキフロンテ800」を発売している。
 一方、1950年代から1960年代中ごろにかけて「ホープスター」のブランド名で軽三輪車と軽四輪車を細々と生産していたホープ自動車(株式会社ホープとして存続したが、2017年に倒産)は、1965年に自動車の生産を一度中止していたが、1967年12月に軽自動車初の四輪駆動車「ホープスター ON」を発表。翌年3月に発売した。しかし販売は芳しくなく、同年8月には生産を断念し、製造権の売却を決断した。そして、最初に打診したのは、ON型にエンジン、トランスミッション、アクスルなどの供給を受けていた三菱重工業であったが、当時三菱はジープの製造権、販売権を取得して国産化しており、360ccの四輪駆動車には興味を示さなかった。次に打診したのが、ホープ自動車の小野定良社長と親交のあった、鈴木自動車工業(現スズキ)の鈴木修常務(現会長)であった。当時スズキではスズライト・フロンテ、バン、キャリイなどを販売していたが、鈴木常務(現会長)は「もっと軽の特徴が生かされるユニークな車はできぬものか」と考えており、ホープ自動車の提案に「これだ!」と即断即決で製造権を譲り受けた。契約条件に従い、ホープ自動車でスズキのエンジン、トランスミッション、デフなどを装着したプロトタイプ5台が製作され、1968年8月からコードネームLJ10(LJはLight Jeepの略)として開発をスタートした。
 そして、1970年3月、360ccの軽自動車サイズだが、ラダーフレームを持ち、高低2速のトランスファー(副変速機)でジープと同じ16インチの大径タイヤを駆動し、シンプルだがアトラクティブなボディーで車両重量600kgの軽量化を図り、高い悪路走破性能を持った、初めての量産型軽四輪駆動車「スズキジムニーLJ10」が発表され、同年4月から発売された。
 ジムニーの開発については、スズキ社内でも「売れないのではないか」と懐疑的な意見も多かったが、発売してみると、それまで大型車しかなかった四輪駆動車市場に旋風を巻き起こし、販売台数を大きく伸ばしていくことになる。

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オーストリアのシュタイア・ダイムラー・プフ社製「シュタイア・プフ ハフリンガー」のカタログ。総合商社の丸紅飯田(現丸紅)が輸入し、1964年9月、晴海で開催された第11回東京モーターショーに、たしか表紙のキャビンレスと右下の樹脂製キャビン付きの2台が出展されたと記憶する。643cc空冷水平対向2気筒28HP(SAE)/4500rpm、4.2kg-m/3000rpmエンジン+4速MTを積む四輪駆動車。サイズはホイールベース1500mm、全長2830mm、全幅1350mm、最低地上高300mm。サスペンションは前後ともコイルスプリングによる独立懸架で12インチタイヤを履く。スズキはこの車を参考に、フロンテ800のエンジンを積んだ四輪駆動車の開発を進めていたと言われる。また、ホープ自動車もこのクルマに触発されてON型を造ったのではないだろうか?

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1967年12月に発表され、翌年3月に発売された「ホープスターON」のカタログ。エンジンとトランスミッションは三菱ミニカのME24型359cc2サイクル空冷2気筒21ps/5500rpm、3.2kg-m/3500rpm+4速MTと、副変速機は自社開発の2速(高速は後輪駆動、低速は四輪駆動)を積んでいた。サイズはホイールベース1950mm、全長2995mm、全幅1295mm、最低地上高240mm。サスペンションは前後ともリーフスプリング+リジッドアクスル、タイヤは6.00-16-6PRを履く。価格は58万円ほどで、生産台数は諸説あるが100台ほど造られ、一部は輸出されたと言われる。しかし、発売した1968年の8月には生産を終了して、製造権を鈴木自動車工業(現スズキ)に譲渡してしまった。譲渡後に契約に従って、設計図に加えてスズキ製エンジン、トランスミッション、デフなどを装着したON型5台がホープ自動車から鈴木自動車工業に引き渡されている。

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1970年4月に新発売された「スズキジムニーLJ10」最初のカタログ。当時、四輪駆動車は年間5000台ほど生産されていたが、いずれも2~3ℓの排気量で価格も90~100万円と高価であり、需要も産業用、法人用がほとんどであった。この頃、モータリゼーションも進展して、自動車の多様化が求められるようになり、軽自動車の新しい可能性の一つとして、廉価で手軽に使える軽四輪駆動車として登場したのが「ジムニー」であった。ちなみに「ジムニー」の名前は、ジープ型のミニという意味を込めて命名されたもの。エンジンはキャリイL40と同じFB型359cc2サイクル空冷2気筒25ps/6000rpm、3.4kg-m/5000rpm。最高速度75km/h、登坂能力27.5°。サイズはホイールベース1930mm、全長2995mm、全幅1295mm、最低地上高235mm。サスペンションは前後ともリーフスプリング+リジッドアクスル、タイヤは6.00-16-6PRを履く。乗車定員は3名で、スペアタイヤは軽自動車の全長制限3m以下をキープするため助手席の後ろに装着されていた。幌は脱着可能で、ドア部の幌は巻き上げ式であり開閉はファスナーで行わねばならなかった。価格は工場渡し47.8万円、東京・大阪店頭渡し48.2万円であった。

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1971年1月にマイナーチェンジされた「LJ10-2型」のカタログ。エンジンは25ps/3.4kg-m⇒27ps/3.7kg-mに強化され、最高速度80km/h、登坂能力33°となった。同時にボンネットの両サイドに放熱用ルーバーが追加された。使い勝手の悪かったドア部の幌は、前ヒンジのパイプ枠キャンバス張りのドアに改良された。タイヤは6プライから4プライの6.00-16-4PRに換装され、乗り心地の改善が図られた。価格は工場渡し47.8万円で変わらないが、東京・大阪店頭渡しは2000円アップの48.4万円となった。

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1972年5月、エンジンを空冷から水冷に変更。新開発のL50型359cc2サイクル2気筒28ps/5500rpm、3.8kg-m/5000rpmに換装した「ジムニーLJ20」のカタログ。オフロード車として大切な中低速での出力特性を改善しており、その結果登坂能力は35°に向上した。水冷化および吸排気系、エンジンマウントの改良により振動・騒音が低減された。水冷化により強力な温水式ヒーターを採用、フロントシートの改良、幌の骨組みの変更により、一人で取り付けて約15分、取り外しは約10分で可能となった。外観ではフロントグリルのデザインが変更された。更に、クローズドボディーの「スズキジムニーバン(LJ20V)」が追加設定された。LJ20Vには15インチタイヤ(5.60-15-4PR)が装着されている。東京・大阪店頭渡し価格はLJ20が48.9万円、LJ20Vは55.4万円。

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1972年7月、スズキとソニーの共同開発によって発売された「ビデオジムニー」のカタログ。カタログには「スズキとソニーとの共同開発によって、軽自動車とエレクトロニクスがドッキング。スズキジムニーに、新しい情報伝達手段として脚光を浴びているビデオカセットを乗せ、この成功によって、必要な情報を速く正確にどんなところへでも提供することができるようになりました。」とある。LJ20/LJ20Vをベースにソニー製ビデオレコーダーとカラーテレビセットなどを積み、PTO(動力取り出し装置)から1kw-24Vのオルタネーターを駆動し、DC-ACインバーターを介して100V 300Wの交流電源を確保。他に24V 100Aのバッテリー2個を積んでいた。価格はLJ20が155万円、LJ20Vは158万円であった。しかし、まったく売れなかった。高価であったし、当時のビデオ機器、撮影機材などは大型で重く、スタッフは2(3)名しか乗れず、取材に行くには少し小さ過ぎたのではないだろうか。

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「スズキLJ20は道なき道を行く!世界中のユーザーがLJ20の適応性を高く評価しています!」と訴求する「SUZUKI LJ20」の英文カタログ。軽の制限が無いのでLJ20はスペアタイヤを背中に背負い、全長は3195mmとなっている。

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1975年2月、LJ20-2型に幌型4人乗りモデルLJ20Fが追加設定された。LJ20の幌の高さを170mm高くして後部に横向き対面シートを装備したモデル。価格は東京店頭渡し61万円。

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1974年に輸出専用モデルとして発売された「SUZUKI LJ50」の英文カタログ(ジムニーの名前は付かない)。LJ10、LJ20は輸出され好評ではあったが、エンジンが非力であった。そこで、359cc2サイクル2気筒に1気筒追加したLJ50型539cc2サイクル水冷3気筒33HP/5500rpm、5.8kg-m/3500rpmエンジンを搭載したモデルである。この戦略が功を奏し、1974年度には初めて輸出が国内販売台数を上回り、1万2600台の内6900台(54.8%)が輸出されている。モデルバリエーションは幌型(LJ50)とバン(LJ50V)の2車種が設定されていた。ほかにロングホイールベース(2200mm)のピックアップ(LJ51)も設定されていた。

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1976年5月に発売された「ジムニー55(SJ10)」のカタログ。1976年1月から軽自動車規格が、排気量360cc⇒550cc、全長3.0m⇒3.2m、全幅1.3m⇒1.4mに改訂されたのに対応したモデル。エンジンは1974年に輸出専用モデルとしてすでに発売していたLJ50に搭載済みの、LJ50型539cc2サイクル水冷3気筒に排気対策を加えた26ps/4500rpm、5.3kg-m/3000rpm。登坂能力は39.7°にアップした。安全対策としてフロントバンパーの強化、バンにもリアバンパーが追加され、スペアタイヤが後部に外付けとなった。まだボディー本体は新規格に対応しておらず、サイズはホイールベース1930mm、全長3170mm、全幅1295mm。モデルバリエーションは幌型(SJ10F)と、バンには幌型と同じ16インチラグタイヤ(6.00-16-4PR)を履くSJ10VMと15インチリブタイヤ(5.60-15-4PR)を履くSJ10Vが設定されていた。

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1977年6月に発売された、ボディーを新軽規格に対応した「Newジムニー55(SJ10-2型)」のカタログ。前/後輪のトレッドを100mm拡大し、フロント1190mm、リア1200mmとなった。ボンネット、リアフェンダー、フロントパネルのデザインが変更され、ボンネット前面にエンジン冷却性能を向上させるためのエア吸入口が設けられた。燃料タンクは26ℓ⇒40ℓに拡大された。サイズはホイールベース1930mm、全長3170mm、全幅1395mm、全高1845mm(幌型SJ10F)、1685mm(16inタイヤ付きバンSJ10VM)、1650mm(15inタイヤ付きバンSJ10V)。東京店頭渡し価格はSJ10Fが74.8万円、SJ10VMは79.7万円、SJ10Vは78.7万円であった。

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1978年10月、マイナーチェンジと同時にメタルドアタイプ(SJ10FM)(表紙および下段の黄色いクルマ)を追加設定して発売された「ジムニー55(SJ10-3型)」のカタログ。フロントグリルの形状変更とヘッドランプ位置を下げて、いわゆる「たれ目」となった。その他の改良点は、居住性・安全性の向上を主としたもので、ヒーター放熱量アップ、フロントシート改良、アウトサイドミラー形状変更など多岐にわたっている。オイルタンク容量が3.4ℓ⇒4.5ℓに拡大されている。メタルドアタイプの価格は76.8万円で、ほかのモデルの価格は据え置かれた。

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1977年10月、スズキ初の4サイクルエンジンを積んで発売された小型車「ジムニー8(エイト)(SJ20)」のカタログ。新開発のF8A型797cc4サイクル水冷4気筒OHC 41ps/5500rpm、6.1kg-m/3500rpmを積む。サイズは「ジムニー55」と同じで、ホイールベース1930mm、全長3170mm、全幅1395mm。設定車種は16インチラグタイヤを履く幌型(SJ20F)とバン(SJ20VM)の2モデルのみであった。価格は幌型85.9万円、バン90.8万円。
 1978年11月にはSJ10-3型に準じたマイナーチェンジが実施され、「たれ目」顔となるとともにメタルドアタイプ(SJ20FM)が追加設定されている。

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1977年6月、輸出モデルLJ50の車体にF8A型797cc4サイクル水冷4気筒OHC 41hp/6.1kg-mエンジンを積んで登場した「SUZUKI LJ80」。このカタログは1979年7月に日本で印刷されたカナダ用英文カタログ。モデルバリエーションは幌型(LJ80)、メタルドア付き幌型(LJ80Q)、バン(LJ80V)、ピックアップ(LJ81K)の4種。サイズはホイールベース1930(LJ81Kは2200)mm、全長3195(LJ81Kは3620)mm、全幅1415mm。車両重量は770kg(LJ80)、790kg(LJ80Q)、820kg(LJ80V)、860kg(LJ81K)。乗車定員は全車2名。最大積載量250kg(LJ80Vは200kg)。タイヤは全車165 SR15ラジアルが標準設定されていた。

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上の3点は、1980年4月、日本で印刷されたLJ80の中国語版カタログ。モデルバリエーションはカナダ向けと同じ。サイズは全幅がカナダ向けより狭く、国内のジムニー8(SJ20)と同じ1395mm。タイヤは全車6.00-16-4PRを履く。

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上の2点は、1980年にSUZUKI Deutschlandが発行した「SUZUKI eljot(LJ)(LJ80)」のドイツ語版カタログ。メタルドア付き幌型のみで、下段右側の個体にはオプションのハードトップが装着されている。フロントガードはいろいろなタイプのものがオプション設定されていた。マンガには、左側に「彼はそれ(ジムニー)を持っていなかった...」、右側には「彼はそれ(ジムニー)を持っている!」とあり、セダンで出かけたハンターはイノシシに遭遇したが、銃が座席の間に挟まって取り出せない!イノシシはよだれを垂らして逆に襲い掛かろうとしている。一方、ジムニーに乗ったハンターに遭遇したヘラジカは直感的に「ああ、もうだめだ ♰」。下段の2コマは、セダンのトランクには当然のことながら洗濯機は載らないが、ジムニーならピアノも積めるし、振動で泡はこぼれるがビアマグだって載せられるほど、乗り心地が良いということか? やや誇大広告気味だが。この手のマンガが4ページにわたって載っている。
 LJ80の登場により、海外での人気は一層高まり、1980年度には生産台数5万2500台の内、じつに3万8500台(73.3%)が海外で販売されている。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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