三樹書房
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第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」
2020.3.27

(00)18-11-18_225 1963 Honda T360 Truck(AK250).JPG
  1963 T360(AK250) Truck

<4輪車の原点T360/S360>
・1962年6月、いよいよ「ホンダ」が4輪車を公表した。これには国の政策が大きく関わっている。それは1961年通産省から示された通称「特振法」といわれる貿易自由化に備えた「産業構造再構築のための基本方針」で、これによると自動車メーカーの統合や新規参入が制限され、2輪メーカーの「ホンダ」はこの先「自動車」が造れなくなってしまう。法案成立までに何がなんでも4輪車の実績を作ってしまおうという訳で、1962年1月に出された指示は、6月5日までに開発中の試作車を完成させ、軽4輪スポーツカーと軽トラック2台を「4輪プロトタイプ」として鈴鹿サーキットで開かれる全国ホンダ会で発表する、というものだった。実質4か月半で予定の前日深夜見事に完成した、とドラマチックに伝えられているが、ゼロからスタートするホンダが6か月足らずで4輪車が造れる訳はなく、実は4年前の1958年頃から中村良夫を中心にプロジェクトはスタートしており、360ccの「試作1号車XA120」を経て「XA170軽トラック」「XA190軽スポーツ」は既に長距離走行テストの段階にあった。皮肉なことにこの法案は1964年月の国会で廃案となっている。
・この年(1962)10月25日から開催された「第9回全日本自動車ショー」には「T360」「スポーツ360」「スポーツ500」の3種のプロトタイプが出展され、来春発売予定とされていたが、実際市販されたのは8月の軽トラックの「T360」が最初で、大衆が期待した「スポーツ360」はショーモデルに終り、普通車バージョンの「スポーツ500」は1963年10月「S500」と名を変えてようやく市販が始まった。しかし後継車の「S600」が3か月後の64年1月に発売されたので生産台数は1363台にとどまっている。「S500」の発売当初の価格は45万9千円だった。

 ① <T360/T500> 1963-08~67-11 (AK250)
(写真01-0) 1963 Honda T360 Truck
(01-0)1962 T360 発表時の写真(自動車ガイドブック).jpg
初めて一般に公開された1962年10月の第9回全日本自動車ショーの公式ガイドブックに記載された、発売当初の姿がこれだ。

(写真01-1ab) 1963 Honda T360 Truck (AK250)     (1981-11 明治神宮外苑・絵画館前)
(01-1a)(81-04-12) 1963 Honda T360 Truck(AK250).jpg

(01-1b)(81-04-13) 1963 Honda T360 Truck (AK250).jpg
僕が最初に見つけた「T360」がこの車だ。イベント会場だがこの車は参加車ではなく、裏の駐車場に停まっていた。コレクションの対象としてきれいにレストアされたものではなく、日常の働く姿のままだった。

(写真01-2a~d) 1963 Honda T360 Truck (AK250)    (2009-11 ホンダ・コレクションホール)
(01-2a)09-11-15_354 363.JPG

(01-2b)09-11-15_355 1963 Honda T360.jpg

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コレクション・ホールに展示されている車はきちんと整備され「オリジナル」の状態が確認できるので参考資料としてとても大切だ。DOHCエンジンは同時に開発されていた「スポーツ360」の転用と思われるのだが、公式には専用に開発されたものとされている。基本は同じ物をチューニングでトラック用に仕上げたのだったら「転用」とも言えるのだが・・。いずれにしても、ミッドシップに搭載されたこの高性能エンジンは軽トラックを時速100キロ以上で走らせ、「スーパー軽トラック」と呼ばれた。

(写真01-3a~e) 1963 Honda T360 Truck (AK250)       (2018-11 旧車天国/お台場)
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お台場で開催される「旧車天国」は博物館では見つけることの出来ない「平凡」な車にも出会える興味深いイベントだ。この車は新車同様にレストアされていた。

(写真01-4abc) 1965 Honda T360 Snowra (雪上車仕様)     (2017-10 日本自動車博物館)
(01-4a)17-10-11_1082.jpg

(01-4b)17-10-11_1083 1965 Honda T360  Truck(雪上車仕様).jpg

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オプションで発売された「キャタピラー」仕様はタイヤ交換の要領で装着可能だった。大雪の地方ではスパイクタイヤよりずっと強力な味方だった事だろう。前輪がタイヤのこの車は雪のない一般道の走行も可能だが、完全装備のため前輪用の「そり」も用意されていた。

(写真01-5abc)1957 Honda T500 Truck       (2009-11 ホンダ・コレクションホール)
(01-5a)09-11-15_617.jpg

(01-5b)09-11-15_618 1967 Honda T500.JPG

(01-5c)09-11-15_619.JPG
「T500」は1964年9月から発売された。「T360」の発展型でエンジンは「S500」をデチューンしたものを「転用」した。当時の法規上500ccは「小型自動車」となり、メリットが少なく販売台数は少なかった。

② <S360> 1962-06 (AS250)
(写真02-0a) 1962-10 Honda Sports360/Sports500 パンフレット
(02-0a) スポーツ360/500のパンフレット.jpg
「S360」は上記のパンフレットで見るように「スポーツ360」として発表されたものだが、市販モデルがそれぞれ「S500」「S600」「S800」と命名されたので、それと揃えて現在は「S360」と呼ばれている。(「360」はシルバーだったので、赤のこの車は「500」の方だろう。)


(写真02-0b) 1962 Honda Sports 360 (第9回全日本自動車ショー「自動車ガイドブック」より)
(02-0b) Sports 360 発表時の写真(自動車ガイドブック).jpg 
オリジナルの車が展示された「第9回全日本自動車ショー」は、なぜかこの回だけ見に行っておらず残念ながら写真は無いので、ショーの公式ガイドブックに掲載された写真をご覧いただきたい。
・ホンダでは1958年頃から4輪車の開発に着手しており、スポーツカーのプロトタイプは「XA190」と名付けられ、主査は後年F1で活躍した中村良夫だった。エンジンは「宗一郎」の指示で「他に例を見ないもの」でなければならず、それは時計のように精密なと言われた「DOHC」のエンジンに仕上がった。

      (写真02-0c)      1台だけ造られたオリジナルの残された写真
      (02-0c)16-08-05_822 1962 Honda Sports 360.jpg

(写真02-1a~d) 1962 Honda Sports 360 Replica (2013-11 東京モーターショー/ビックサイト)
(02-1a)13-11-20_220 1962 Honda S360.JPG

(02-1b)13-11-20_055 1962 Honda S360.JPG

(02-1c)13-11-20_058 1962 Honda S360.JPG

(02-1d)13-11-20_062 1962 Honda S360.JPG
1台だけ造られた「ホンダ4輪車の原点」となる「スポーツ360」のレプリカが、初めて一般に公開された際撮影されたのがこの写真だ。

(写真02-2abc)1962 Honda Sports 360 Replica (2016-08 オートモビル・カウンシル/幕張メッセ)
(02-2a)16-08-05_824 1962 Honda Sports 360(replica 2013).JPG

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「Sports 360」はショーに展示されただけで市販されなかったから、処分されてしまえば現存する車は無い筈だが、「ホンダ」としては4輪車の歴史の第1ページを飾る重要なモデルなので、僅かに残された図面や写真を参考に、当時の関係者の記憶も聞きながら新しく1台造り、2013年のモーターショーで一般公開された。一部は残されたオリジナルの部品を使っており「レプリカ」というよりは「復刻版」に近い。

③ <S500> 1963/10 ~ 64/9 (AS280)
(写真03-1abc) 1963 Honda S500       (1963-10 第10回東京モーターショー/晴海)
(03-1a)(108-22) 1964 Honda Sport S500.jpg

(03-1b)(108-19) 1964 Honda Sport S500.jpg

(03-1c)(108-21) 1964 Honda Sport S500.jpg
1962年10月のモーターショーで来春発売予定だったスポーツカーは、翌年8月軽トラック「T360」が発売開始した2か月後、「S500」と名を変え、エンジンを「プロトタイプ」の492ccから531ccに増やして10月のモーターショーに登場し、発売が開始された。期待された軽自動車の「360」が見送られ「500」だけが市販された裏には、まだ両方造るだけの生産設備が無かったため欧米への輸出を考えた選択だろうが、当時まだ存在していた「特振法」に対して、軽自動車だけでなく「普通自動車」の製造実績を付けておきたかった含みがあったのかもしれない。

(写真03-2abc) 1963 Honda S500          (2009-11 ホンダ・コレクションホール)
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「S500」の製造期間は1963年10月から翌年の9月までの丁度1年で生産が終了した。期間が短いのは発売の3ヶ月後、一回り大きい兄貴分の「S600」が発売されたからで、このクラスで100ccの違いは性能に大きく反映されるからスポーツカーとしてレースを戦う場合は大きなハンデとなった。しかし全体で1363台しか造られなかったから、コレクションの対象となっている今では、かえって希少価値がある。発売当時の価格は45万9千円だった。

(写真03-3ab) 1963-64 Honda S500             (1981-05 筑波サーキット駐車場)
(03-3a)(81-09-19) 1963 Honda S500.jpg

(03-3b)(81-09-20) 1963 Honda S500.jpg
ショーやイベント、博物館などを除けば僕は「S500」に2回しか出会っていないから、この車を見付けたときはすごく嬉しかった。
  
(写真03-4abc) 1963-64 Honda S500         1987-01 TACSミーティング/明治公園)
(03-4a)87-04-02 1964 Honda S500.jpg

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(03-4c)87-04-04 1964 Honda S500.jpg
赤い車が殆どの「S」シリーズの中で濃紺のこの車はシックでとても素敵だ。この車には2回出会っている。

(写真03-5abc) 1964 Honda S500 (2013-11 トヨタ・クラシックカーフェスタ/神宮外苑絵画館前)
(03-5a)13-11-30_352 1964 Honda S500.jpg

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トヨタ博物館の所蔵しているこの車は流石に完璧なオリジナルの状態だ。


④ <S600> 1964/1 ~ 65/8(AS285)
「S600」が発売されたことで大きな疑問がある。それは3か月前に何故「S500」が発売されたかという事だ。3か月待っていきなり「S600」では何故いけなかったのだろう。10月のモーターショーに展示された「S500」にプロトタイプとは異なる新しいエンジンを載せるくらいなら、すでに試作段階を終っている筈の「S600」用エンジンを載せて「来春発売」でも良かったのではないか、と思ってしまう。この疑問については幾つかの資料で調べてみたが、どれもこのことに関する回答は得られなかった。「S」シリーズはこの後無理やり800ccまで排気量をあげたが、シリーズを通じては「S600」が最高のバランスと評価されている。

 (写真04-1a~f) 1964 Honda S600    (2016-08 オートモビルカウンシル/幕張)
      (04-1a)16-08-05_834 1964 Honda S600.jpg

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スポーツカーとしてレースを考えれば「S500」の排気量は同じクラスではミニマムに近いからより強力な「S600」の方が良いに決まっている。「500」と「600」を較べて見よう。エンジンは54mm×58mm 531cc 44ps/8000rpmに対して54.5mm×65mm 606cc 57ps/8500rpm と強力になっており、リッター当たり94psはレーシングカー並みだ。最高時速は130km/hから145km/hに上がったから戦闘力は大幅に増している。「S」シリーズのホイールベースは「360」から「800」まですべて2000mmと変わりなく、「500」と「600」のボディはグリル周り以外は変わらない。グリルの面積は下に広がったので、バンパーも直線からカーブしたものに変わった。何度も言うが3か月後にこの車が出せるのだったら「500」の存在意味は何だったのだろう。

(写真04-2ab) 1964 Honda S600      (1964-09 第11回東京モーターショー駐車場/晴海)
(04-2a)(108-33) 1964 Hond S600(AS285).jpg

(04-2b)(108-34) 1964 Honda S600 (AS285).jpg
「S500」「S600」が発売されて間もなく開催された「第2回日本グランプリ」で「ホンダ」が圧勝したのは良く知られている。この時の「GP-Ⅰ」クラスは1000c以下で括られており、「マルコスGT」997cc(2台)、「アバルト」982c(1台)、「コンテッサ」893cc(7台)、「ホンダ」606cc(7台)/531cc(4台) の21台が参加した。フィニシュした順位は①マルコス、②③ホンダ600、④マルコス、⑤⑥⑦⑧⑨ホンダ600、⑩ホンダ500 だったが、トップのマルコスはフライングで1分のペナルティが加算され⑤位となり、④番に入ったもう1台のマルコスは車検をパスしていなかったので失格となった。結果としては「ホンダ」圧勝の印象を与えるが、実力は残念ながら歴戦のマルコスが上だった。しかしホンダの排気量を考えれば大健闘だろう。写真の車は発売された年に撮影されたピカピカの新車で、チェッカーのストライプがよく似合う。

 (写真04-3acb) 1964 Honda S600                   (1964-10 港区内)
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(04-3b)(154-28) 1964 Honda S600.jpg

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この車も発売された年に撮影されたもので、いろいろ手を加えられていない極めてオリジナリティの高い逸品だ。

(写真04-4ab)1964 Honda S600     (1980-05 9th TACSミーティング/筑波サーキット)
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この車もホイールキャップを外しただけの無改造の車だが、ゼッケン・ナンバーを付けたレース仕立ては良く似合う。

(写真04-5abc)1964 Honda S600  (2011-10 ジャパン・クラシック・オートモビル/日本橋)
(04-5a)11-10-29_532 1964 Honda S600 (AS285).jpg

(04-5b)11-10-29_534 1964 Honda S600 (AS285).JPG

(04-5c)11-10-29_535 1964 Honda S600 (AS285).JPG
ハードトップも何台か撮影しているが、微妙に細部が異なるのでメーカーから純正・オプションとして発売されたものかは不明。

(写真04-6ab) 1964 Honda S600      (1987-01 27th TACSミーティング/明治公園)
(04-6a)87-04-07 1964 Honda S600 Racing Version.jpg

(04-6b)87-04-06 1964 Honda S600 Racing Version.jpg
この車のハードトップは前項の車に較べてリアウインドウが小さい。タイヤを外しているのでブレーキ周りがよく見える。ヘッドライトカバーはレースでの安全のため取り外して或るものと思われる。(テールランプから前期型と推定した。)

(写真04-07a~d)1964 Honda S600       (2008-01 シュパイヤー科学技術館/ドイツ)
      (04-7a)08-01-14_0806.jpg

(04-7b)08-01-14_0805 1964 Honda S600 hardtop(輸出モデル).jpg

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こちらはヨーロッパ向けに輸出されたハードトップ仕様で、ヘッドライトカバーは付いていないがテールランプから前期型と推定した。リアウインドウが小さい所為かハードトップの背丈が高く見える。

(写真04-8a)1965 Honda S600    (1981-05 11thTACSミーティング/筑波サーキット)
(04-8a)(81-09-21) 1965 Honda S600 (SA285).jpg
1964年11月マイナーチェンジがありヘッドライトの樹脂製カバーが取り払われた。

(写真04-9ab)1964-65 Honda S600    (1979-05 7thTACSミーティング/筑波サーキット)
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この車はよく見ると左ハンドルで、前後に大型のサイドマーカーが付いているので「アメリカ仕様」を逆輸入したものと思われる。輸出モデルの詳細な資料が無いので「S600」の輸出モデルがこの形だったのかは確認できなかったが、グリルを除けば「S800M」の特徴をすべて備えているので、グリルだけ「S600」に変えていたのかもしれない。 .


<S600 クーペ> 1965/2 ~66/8 (AS285C)
1964年10月新しい「S600」が発表された。それは屋根を持つ「クーペ」というスタイルだった。このタイプが選択されたのは藤沢の意向が大きく影響を与えたものと思われる。純粋に「良い車」を造る事に専念する「宗一郎」に対して、経理担当の「藤沢」は世間に役立つ車、売れる車という視点で発想したのは「スーパーカブ」の時と同じだ。大きな荷物スペースを持ち、跳ね揚げ式のリアドアから出し入れできるスタイルは、アメリカでは「ビジネス・クーペ」と呼ばれ、見本を積んだセールスマン用とされる。屋根を付けたことで「スポーツカー」でありながら日常の足としても、ビジネス用としても十分役立つという別の用途をも見越した選択と思われる。

(写真05-1a~e)1965 Honda S600 Coupe      (2009-11 ホンダ・コレクションホール)
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(05-1b)09-11-15_361 1965 Honda S600 Coupe 145km/h.JPG

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「3ドア・ハッチバック」スタイルは、わが国では1964年10月発表された「この「S600クーペ」が最初だったと記憶する。(発売は65/2から) ウエストから下は「ロードスター」と同じだから性能も変わらないが、重量が14キロ重くなり、ヘッドスペース確保のためフロント、サイド両ウインドウの高さがが40mm拡大された。価格はロードスターよりも3.6万円高い54.5万円だった。助手席も前に倒せば荷物が収納できるから、配達用としても利用価値は高く、ロードスターと同じくらい製造されたとあった。

(写真05-2abc) 1964-66 Honda S600 Coupe        (1966-07 日英自動車横/赤坂溜池)
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(05-2b)189-11-10_03 Honda S600 Cpoupe(トミカ).JPG

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この車の写真は僕の出版した写真集「60年代街角で見たクルマたち」に掲載されていたが、それをご覧になったどなたかがそのペイントに関心を持たれたようで「トミカ」でミニカーになってしまった。メーカーからお礼にと一箱(20個位だったか) 送って頂いたが、手元に1つだけ残して、後はお世話になっている近所の「ホンダ」にお客様にあげてと提供してしまった。

(写真05-03abc)1964-66 Honda S600 Coupe   (1976-03 CCCJトライアル/富士スピードウエイ)
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(05-3b)(280-23 1964-6 Honda S600 Coupe(AS285C).jpg

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この当時の僕の行動は、目的地に着いてもすぐに会場には入らないで、駐車場に何か珍しい車がいないかチェックするのが決まりだった。富士スピードウエイのスタンドの裏で見付けたのがこの車だ。真横から見たスタイルはハードトップと違って、ルーフが長い分傾斜が緩やかで、この形も僕は好きだ。

(写真05-4ab)1965 Honda S600 Coupe  (1986-05 25th TACSミーティング/筑波サーキット)
(05-4a)(86-06-12) 1965 Honda S600 Coupe.jpg

(05-4b)(86-06-13) 1965 Honda S600 Coupe.jpg
クーペは「ホワイト」「レッド」の他「ブルー系」4色、合計6色の塗装が指定色だったから、この車の塗装は特注されたものだろう。

(写真05-5ab)1966 Honda S600 Coupe    (1980-05 9th TACSミーティング/筑波サーキット)
(05-5a)(80-07-27) 1966 Honda S600 Coupe.jpg

(05-5b)(80-07-30) 1966 Honda S600 Coupe.jpg
この車は左ハンドルではないが、アメリカ仕様のサイドマーカーが付いている。国内では1968年以後登場した「S800M」から採用されたものだが、テールランプからも66年以前と推定される。アメリカ仕様をオプションで付けたのか、左側通行の国への輸出仕様か、それともマイナーチェンジした正式モデルなのか、僕には解決できなかった。

(写真05-6ab) 1964 Honda AS285E Engine
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(05-6b)09-11-15_359 1964 Honda AS285E ( S600用エンジン).JPG
606ccから67馬力を絞り出した水冷 4気筒 DOHCエンジンは歴代の「S」シリーズの中で最もバランスの取れた傑作と評価されている。「時計のように精密な」というサブタイトルを付けて呼ばれ、リッター当たり94馬力は既にレーシングカー並みだ。

⑥ <F1に挑戦>
(写真06-2ab) 1964 Honda F1 RA271(1.5 ℓ)
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1964年F1世界選手権 第6戦ドイツGPで「ホンダ」として初めてF1に参戦した歴史的レーサー。ドライバーは鈴鹿で開かれた第2回日本GPでホンダのS600で優勝した「ロニー・バックナム」が起用された。出来立てで実績も名もない東洋のマシンに乗ってくれるF1ドライバーは誰も居なかったのだろうか。「ホンダ」の4輪での実績は今まで見てきた通り軽トラック「T360」と、超小型スポーツ「S500」「S600」しか造っていないこの時点で、世界最高レベルの「F1」に挑戦したことは、2輪での快進撃を踏まえた上とはいえ、常識で言えば「暴挙」に近い。
(「F1」については別項で取り上げるが、挑戦を決意したタイミングを知っていただくため、ここで取り上げた。)

⑦ <S800(前)> 1966-01~66-05 (チエーン・ドライブ) (AS800)
もともと「360cc」でスタートした「S」シリーズのエンジンは「800」では2.2倍迄排気量を増やしたからやや限界を超えた感じで、60mmまで広げたボアはエンジンブロックの水漏れの原因となり、70mm迄伸ばしたストロークはピストンスピードが上がりすぎ回転マックスも下げられた。ボンネットには「パワーバルジ」(こぶ)が付いているが、エンジンの出っ張りをクリアーするものではなく、「宗一郎」の指示による見た目を強そうにするための「はったり」のようだ。
 
(写真07-1a)1966 Honda S800          (1965-10 第12回東京モーターショー/晴海)
(07-1a)(141-19) 1966 Honda S800(65-10).jpg
「S800」が初めてデビューしたモーターショーで撮影したのがこの写真だ。僕は自動車の写真が撮りたいのでモデルさんが入らない角度から撮るようにしているが、この日は右側の壁が高くこの角度しかなかった。

(写真07-2ab)1966 Honda S800 (前)     (1985-01 21th TACSミーティング/明治公園)
(07-2a)(85-03-28) 1966 Honda S800 (初期形チエンドライブ).jpg

(07-2b)(85-03-29) 1966 Honda S800 (EarlyModel).jpg
「S800」になっても全体の印象は変わらないが、グリルのデザインは新しくなり、テールランプも丸から横長になった。そのほか外見上の特徴はボンネットのパワーバルジと、サイドフェンダーの文字の下にバッジが付けられた事だ

(写真07-3ab)1966 Honda S800(前)      (1989-01 13thTACSミーティング/明治公園)
(07-3a)(89-04-20) 1966 Honda S800.jpg

(07-3b)(89-04-19) 1966 Honda S800(AS800).jpg
エンジンルームの写真で見る通り、ボンネットのパワーバルジが有る辺りには突起物は何も見当たらない。

(写真07-4abc)1966 Honda S800(前)(2009-11トヨタ・クラシックカー・フェスタ/神宮絵画館)
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ここでも「S600」と比較してみよう。エンジンは54.5×65 606cc 57ps/8500rpmに対して60×70 791cc 70ps/8000rpm で123%相当強力になった。ホイールベースの2000ミリは変わらないが、全長は3335ミリ(+35),全高は1200ミリ(+5)と僅かに大きくなった。しかし総重量は720キロで14キロも減量している。最高速度は145キロから160キロと 15キロも速くなり、スポーツカーの一つの壁「時速100マイル」を越えた。ただ、リッター当たりの馬力は94から88.5 に下がっている。
 
 ⑧ <S800(後)> 1966-05~70-05 (シャフト・ドライブ) (AS800)
今まで触れてこなかったが、これまでの「S」シリージは世界でも珍しい「チエーン・ドライブ」だった。オートバイで習得していたノウハウが生かされたのだろうが、今回のモデルチェンジで一般的な「シャフト・ドライブ」に変更された。

(写真08-1a~d)1966 Honda S800 (後)      (2009-11/ホンダ・コレクションホール)
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最も重要な変更点「チエーン・ドライブ」が「シャフト・ドライブ」になった場所は通常の角度では確認することはできない。ボディの外見からはどこにも変化は見られないが、一か所だけ変わったのはホイールで、従来の「5本足」から「4本足」になったことだ。

(写真08-2abc)1967 Honda S800(後)      (1967-05 第4回日本GP/富士スピードウエイ)
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1967年5月 富士スピードウエイで開催された「第4回日本GP 」で、「ホンダS800」はGTレースに出走した。このレースは1300ccc迄の「クラスⅠ」と、1300cc以上の「クラスⅡ」の混合レースだったから、ワークスの「フェアレディ2000」や「ロータスエラン」「ジャガーE」「ポルシェ911S」などの大型車と一緒に走ることになる。だからレースを見ている観客には「クラスⅡ」の大型車が目立ち、半分以下の排気量で頑張っている「クラスⅠ」が速いという印象は殆ど無い。ゴールした順位も①位から⑧位まではすべて「クラスⅡ」が占め、ホンダは⑨~⑫位だったが「クラスⅠ」では①~④位だったから立派な成績だ。40台が予選を行い、基準タイムをクリアーした29台が決勝に進んだ結果のこの順位は立派だ。ここには映っていないがクラス優勝した㉒番の車はナンバー付きだったから公道を自走してきたかもしれない。

⑨ <800クーペ> 1965-10~68-2 (AS800C)
(写真09-1a)1965 Honda S800 Coupe     (1965-10「「 第12回東京モーターショー/晴海)
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「S800」は1965年10月のモーターショーで「ロードスター」と「クーペ」が同時に発表された。背中合わせに対称的に配置されていたから、クーペもモデルさんの居る角度からしか撮影できなかった。発表当初はチエーンドライブの初期型だから、ホイールは5本足だ。

(写真09-2ab)1968 Honda S800 Coupe  (1978-01 4thTACSミーティング/東京プリンスホテル)
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こちらの車はホイールが4本足なのでシャフトドライブに変わった後の後期型と判定出来る。

(写真09-3ab)1966 Honda S800 Coupe (1985-05 22ndTACSミーティング/筑波サーキット)
(09-3a)(85-09-08) 1966 Honda S800 Coupe(AS800C).jpg

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この車もオリジナルがよく保たれた一台で、この角度から見ると屋根のカーブもなだらかで美しい。

(写真09-4abc)1967 Honda S800 Coupe  (1990-03 16thTACSミーティング/筑波サーキット)
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スポーツカーだからレースに出ることも当然だが、その際この車のように、ホイールを履き替えてしまうと、唯一の手掛かりとなる「4本足」か「5本足」かの見分けがつかないから、イベントのプログラムに頼るしかない。しかし初期型が1966年1月から5月で製造を終え、6月から後期型となったので、1966年型と書かれている物は年式でも区別がつかない。

(写真09-5ab)1966-68 Honda S800 Coupe  (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/英国)
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この車はイギリスのイベントで撮影したものだが、左側通行の国だから当然右ハンドルだ。イギリス向けの車は国内向けと変わらないのか、特別仕様なのかは外見からでは判らない。

(09-6abc)1966-68 Honda S800 Coup  e    (2008-01 シュパイヤー科学技術館/ドイツ)
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ドイツの博物館にあったこの車はホイールが換えられているので、前期か後期かは判定出お来ない。テールランプに特徴があり横長の台座に橙と赤の丸いランプが2つ嵌まっているが、輸出仕様という事ではなく個人の好みで変えた物だろう。

(写真09-7ab)1967 Honda S800 Coupe      (2008-01 シュパイヤー科学技術館/ドイツ)
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この車も同じ博物館に展示されていた車だが、こちらはオリジナルのホイール付きなので4本足の後期型と判る。テールランプも後期の国内の物と同じ楕円形の物が付いているので、前項の車のテールランプはオリジナルではないと判定した。


⑩ <S800M> 1968-2~70-5 (AS800)
1968年2月「クーペ」の製造中止で代わって登場したのが「S800M」だ。従来の「ロードスター」とは併売され「デラックス」扱いとされた。輸出モデルを右ハンドルにしたもので、北米安全基準に基づく20項目に対策が施されている。外見上目に付くのは前後に大形のサイドマーカーが付き、テールランプも丸の2灯から一纏めになった。外からは見えないが前輪はディスクブレーキとなった。「S」シリーズ最後のモデルとなり1970年5月で生産が終了した。

(写真10-1abc)1969 Honda S800M    (1978-01 4thTACSミーティング/東京プリンスホテル)
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(10-1c)(319-22) 1969 Honda S800M (AS800).jpg
アメリカへ輸出するためには安全基準をクリアーしなければならないから仕方ないが、小型スポーツカーにとって、大きくて角ばったサイドマーカーはいかにも不釣り合いだ。せめて楕円形には出来なかったのだろうか。

(写真10-2a)1968 Honda S800M    (1984-07 20thTACSミーティング/富士スピードウエイ)
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(写真10-3a) 1969Honda S800M      (1980-05 9thTACSミーティング/筑波サーキット)
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(写真10-4a)1969 Honda S800M     (1985-04 22ndTACS ミーティング/筑波サーキット)(10-4a)(85-06-19) 1969 Honda S800.jpgレース仕様の「S800M」を3台並べた。この車は装備が充実しただけで性能的にはスタンダードと変わらない。

⑪ <「S」ベースの改造車>
(写真11-1abc) 1965 Honda S600(改)Special Coupe   (1966-10 インディ・ジャパン/富士)
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上手にカストマイズされたこの車は、フロントグラスやテールランプから推定してベースとなったのは「ホンダS600」のロードスターだろう。お手本となったのは「デイトナ・コブラ」で5か月前の日本GP を走りその迫力あるスタイルに僕らは魅了されたものだ。この車は改造車とは思えない出来栄えでスタイルにも無理が無い。この日はレースの見物に来ていただけだが、僕の記憶に誤りが無ければこの後レースでクラッシュしてしまったという記事を読んだように思う。


(写真11-2abc)1965 Honda Griffon(S600) Watanabe Special (2010-11 トヨタ・クラシックカーフェスタ/神宮絵画館)
(11-2a)10-11-27_398 1965 Honda Griffon (S600 渡辺スペシャル).jpg
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この車は「改造車」というよりはカロセリア(ボディメーカー)による「カスタムカー」というべきだろう。専門のデザイナーがデザインし、熟練した職人の手で仕上げられたスペシャルで美しい仕上げだ。優れた空力特性のお陰でオリジナルよりも26キロも速い165キロが可能だったと説明してある。

(写真11-3a~f) 1969 Coniglio Mk-Ⅱ(Honda S800 Base) (2009-11 ホンダ・コレクションホール)
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1011-07 ボディ・デザイナー濱素紀氏宅にて
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1984-07 20thTACSミーティング/富士スピードウエイ
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「コニリオ」という名前はレース場に足を運んだ事の無い人には馴染みが無いだろう。しかし、レーシング・クオータリー製のこの車は富士チャンピオンシップでの優勝を引っ提げて1969年10月の日本グランプリに参戦し、堂々クラス優勝している。レースは3リッター超の大排気量を含む5クラス混合だったから、総合では12位と目立たなかったが、この車より速かったのはニッサンR382、トヨタ7、ポルシェ917/910/908、ロータス47GT、フェアレディSR311で、全く別世界の中での健闘だった。レースが出来る実戦力を持った数少ない市販車で、ベースのホンダS800は850ccにスケールアップされ、220~230km/h出せたという。

1970-03 第3回東京レーシングカー・ショー
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この車はレースで活躍したレーサーに屋根を付けたロードバージョンで、デザイナー濱素紀氏の造形はかつて見た事の無いユニークなものだ。現在は「日本自動車博物館」に展示れている。


⑫ <普通自動車へのアプローチ>
(写真12-1a~d)1965 Honda L700 Lightvan      (2009-11 ホンダ・コレクションホール)
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「T360」「T500」に続いて登場した小型自動車枠の「ライトバン」で、実用性の高い商業車を乗用車造りの先兵として送り込んだものと思われる。エンジンはDOHC ツインキャブとスポーツカー並みだ。

(写真13-1a)1965 Honda N800 2dr Coupe Prototype   (1965-11 第12回東京モーターショー)
(13-1a)(141-21) 1965 Honda N800 Prototype.jpg
ホンダ製の普通乗用車としては最初となる「N800」は、1965年11月の東京モーターショーで初めて姿を現した。すでに発売されていたライトバン「L700」の後半を座席にしたクーペ・スタイルの乗用車で、この後間もなく発売される「S800」の「エンジン」と「グリル」が転用されているが、結果的にはこの車はプロトタイプで終り市販されることは無かった。実際にホンダが普通乗用車を発売したのは1969年5月の「1300」シリーズが最初で、実に3年6か月も後のことだった。ただホンダの基本方針としては発売する予定の無い「ショーモデル」は展示しないという事なので、当初は量産化を考えていたのかもしれない。タイミングとしては、ベストセラーとなる軽自動車「N360」の開発に入っており、こちらの可能性に賭けた変更だったのだろうか。

(写真14-1abc)1967 Honda LM800 Lightvan          (2017-10 日本自動車博物館)
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「L700」の発展型でエンジンは「S800」から転用されたから高性能を受け継いだライトバンだ。「S800」のオーナーが部品取りで解体してしまったので、現存する数は少ないらしい。

  ―― 今回は4輪メーカーとしてスタートした「出発点」を取り上げた。
    次回はメーカーとして地位を確保した「軽自動車時代」の予定です――

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第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

第86回 H項-3 「ホールデン」「ホープスター」「ホルヒ」「オチキス」「ハドソン」「ハンバー」

第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

第71回 F項-15 Ferrari・2

第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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