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第89回 戦後のアメリカンコンパクトカー(1)
2019.12.27

 いまから60年前、1960年にアメリカのビッグ3から、シボレーコルベア、フォードファルコン、プリムスバリアントなどのコンパクトカーが一斉に発売されたのをご存じだろうか。しかし、ビッグ3より10年早く、まだ健在であった「インデペンデント」と称される独立系メーカーがコンパクトカーを発売していた。今回は戦後のアメリカンコンパクトカーのうち、独立系メーカーのクルマについて紹介する。
 1942~1945年の間、日本と戦うために民需用のクルマの生産を中止して、兵器生産に没頭してきたアメリカの自動車メーカーは、1945年に入ると日本の降伏を待たず、戦勝を確信して戦後のクルマ生産の準備に入っていたという。勝ち目のない戦争をだらだらと続け、多くの国民の命を奪った当時の政治家、官僚、そして片棒を担いだメディアの責任は重いと思う。最近の政治家、官僚の無責任で傲慢な態度、しつこく「バンザイ」を強要するテレビの画像を見て、空襲で2度も焼夷弾の雨と猛火のなかを逃げまどい、運よく生き延びた戦時を連想しゾーッとさせられた。
 戦後のアメリカでは、新車に飢えていた人々が一斉にクルマを求めたため、売り手市場になっていたが、1950年代に入ると買い手市場に戻りはじめた。ビッグ3を相手に常に苦戦を強いられていた独立系メーカーは、大きなクルマではない経済的なコンパクトカーの需要があるはずだと見込んで挑戦したのが、1950年代に登場したナッシュランブラー、ヘンリー J、エアロウイリス、ハドソンジェット、スチュードベーカーラークであった。

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上の3点は1950年4月に発売されたランブラー コンバーティブル ランドー。発売時はコンバーティブル1車種であった。モノコックボディーで「Bridge-Beam」と称するソフトトップのガイドレールによって、転覆時でも生存空間が確保されるようデザインされていた。トップの開閉は電気モーターで行われた。サイズはホイールベース100in(2540mm)(フルサイズのナッシュアンバサダーと比べて-21in(-533mm))、全長176in(4470mm)(-34in(-864mm))、全幅73.5in(1867mm)(-4in(-102mm))。エンジンは172.6cid(2828cc)直列6気筒Lヘッド82馬力を積む。価格は1808ドルで、フルサイズのフォードコンバーティブル1948ドル、シボレー1847ドルと比べて割高感があるが、通常はオプションであったヒーター、ラジオ+アンテナ、カスタム仕様のステアリングホイール、ホイールディスク、電気時計、フルカーペットなどを標準装備していた。1950年型の生産台数は9708台であった。

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コンバーティブル発売の2カ月後の1950年6月に追加発売されたランブラー ステーションワゴン。サイズ、エンジン、価格ともコンバーティブルと同じ。1950年型の生産台数は1714台であった。

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1951年型ランブラー コンバーティブルおよびステーションワゴンは1950年9月に発売されたが、これは1951年6月に追加発売されたランブラー カントリークラブ。GMが1949½年型からキャディラック、ビュイック、オールズモビルに採用したハードトップを、アメリカのコンパクトカーで最初に採りいれている。1950年代からハードトップモデルは世界中で大流行することになる。ランブラーは燃費も良く、モビールガスエコノミーランで31.05miles/gallon(13.4km/ℓ)の記録を出し優勝している。また多くのオーナーが高速道路で30miles/gallon(12.8km/ℓ)という結果を報告している。価格と生産台数は1968ドル、1万9317台。他のモデルはコンバーティブル1993ドル、1万4881台。ステーションワゴン1885ドル/1993ドル、5568台/2万8617台、新たにラインアップされた3人乗りユティリティワゴン1173ドル、1569台であった。

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1952年にナッシュは創立50周年を迎えたのを機に、フルサイズボディーをピニンファリナがデザインしたものに一新したが、1年遅れの1953年型でランブラーもピニンファリナデザインのものに変更された。エンジンは172.6cid(2828cc)直列6気筒Lヘッド82馬力から184cid(3015cc)85馬力に強化された。更にこの年からオプション設定されたハイドラマチックATを選択した場合には195.6cid(3205cc)90馬力エンジンが積まれている。ハードトップとコンバーティブルにはコンチネンタルマウントスペアタイヤがオプション設定されている。価格と生産台数はカントリークラブ(ハードトップ)2125ドル、1万5255台。コンバーティブル2150ドル、3284台。ステーションワゴン2003ドル/2119ドル、1114台/1万0598台。
 1954年5月1日、ナッシュ・ケルビネーター社(Nash-Kelvinator Corp.)とハドソンモーターカー社(Hudson Motor Car Co.)が合併してAMC(American Motors Corp.)が設立された。
 ナッシュ ランブラーは1954年にはホイールベース108in(2743mm)の4ドアセダンとワゴンを追加。1956年には100inホイールベースのモデルをカタログから落としている。そして、AMCは1958年に経営基盤をランブラーに集中すべく、ナッシュの名前を捨て、ランブラーの名前をモデル名からブランド名に変更した。同時に100inホイールベスモデルがランブラーアメリカンの名前で復活している。他に108inホイールベースのランブラー/ランブラーレベル、117inホイールベースのランブラーアンバサダーがラインアップされていた。ランブラーは独立系では成功したモデルで、生産台数が1961年にはフォード(約134万台)、シボレー(約132万台)に次いでランブラー(約38万台)が第3位に躍進している。だが、この年をピークに徐々に衰退し、1970年にはジープを買収するが、1979年にはルノーの資本を受け入れて延命を図ったが、1987年にクライスラーに吸収されてAMCは消滅する。しかし、ジープだけは生き残り、健在である。

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1950年9月、カイザー・フレーザー社から発売された1951年型ヘンリー J。サイズはホイールベース100in(2540mm)、全長174.5in(4432mm)、全幅70in(1778mm)。エンジンはスタンダードには134.2cid(2199cc)直列4気筒Lヘッド68馬力、デラックスには161cid(2638cc)直列6気筒Lヘッド80馬力を積む。価格と生産台数はスタンダード(Std)1363ドル、3万8500台。デラックス(Dx)1499ドル、4万3400台。
 その後の販売台数は、1952年Std 3000台、Dx 7600台。1953年Std 4000台、Dx 8900台、1954年Std 800台、Dx 325台。1953年3月、カイザー・フレーザー社がウイリス・オーバーランド社と合併し、ヘンリー Jの生産を中止してしまった。
 1950年9月、米国のカイザー・フレーザー輸出会社(Kaiser-Frazer Export Corp.)と提携してヘンリー Jのノックダウン生産が東日本重工業(1952年6月、三菱日本重工業に改称)の川崎製作所でも行なわれた。詳細は「M-BASE」第5回を参照願いたい。

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ヘンリー Jはアメリカの通信販売会社シアーズ&ローバック社からグリルデザインを多少変えて「オールステート(Allstate)」の名前で1952、53年型が2363台通信販売されている。

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上の3点は1952年1月~3月にかけてウイリス・オーバーランドモーターズ社から発売された1952年型エアロ ウイリス。ウイリスは戦前から小型乗用車の生産を行っていたが、戦時中は軍用ジープの生産に専念し、戦後も民需用ジープの生産を行っていた。復活したエアロシリーズにはエアロ・ラーク(Lark、1588ドル、生産台数7474台)、エアロ・ウイング(Wing、1825ドル、1万2819台)、エアロ・エース(Ace、1904ドル、8706台)の3グレードの2ドアセダンがラインアップされていた。サイズはホイールベース108in(2743mm)、全長180.9in(4595mm)、全幅72in(1829mm)。エンジンは161cid(2638cc)直列6気筒Fヘッド90馬力を積む。シート幅は前後とも61in(1549mm)あり、フルサイズカー並みのゆとりがあった。

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エアロ ウイルスのもう一つのモデルが2ドアハードトップのエアロ・イーグル(Eagle、1952年型は1979ドル、2364台)。このカタログは1953年型のもので、ウイリス・オーバーランド社創立50周年の表示と、輸入代理店であった麹町の東京自動車販売株式会社のスタンプが押されている。1953年には4ドアセダンも追加設定され、エアロ・ウイングはエアロ・ファルコン(Falcon)に改名されている。1953年型にはエンジンが3種類設定され、イーグルとエースには161cid直列6気筒Fヘッド90馬力、ラークには161cid直列6気筒Lヘッド75馬力、そして、経済的な134.2cid(2199cc)直列4気筒Lヘッド72馬力がオプション設定されていた。

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上の2点はマイナーチェンジされた1955年型のカタログで、エアロの呼称は落とされ、ウイリス カスタム セダン(2ドア/4ドア)とウイリス バーミューダ(Bermuda)ハードトップの2モデルとなった。エンジンは1954年型から採用したカイザー用226.2cid(3707cc)直列6気筒Lヘッド115馬力を積む。価格と生産台数はカスタム2ドア1663ドル、288台。カスタム4ドア1725ドル、2882台。バーミューダ1795ドル、2156台。エース1856ドル、659台。ウイリスは1955年の早い時期から乗用車の生産から撤退することを決めており。価格は前年モデルより大幅に下げたバーゲンプライスで、バーミューダはアメリカで最も安いハードトップとうたっていた。エース(2ドアセダン)の価格に割高感があるのは、おそらく1954年型(1892ドル)の売れ残りで、1954年型として購入した顧客の手前、極端に下げられなかったのではなかろうか。
 1955年中ごろにはボディーのプレス型一式がブラジルのウイリス・オーバーランド社に移され、エアロ・ラーク4ドアがモデルチェンジされることなく1962年まで生産された。

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上の3点はブラジル製1962年型エアロ ウイリスのカタログ。

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上の2点は1952年11月に発売された1953年型ハドソン ジェットのカタログ。サイズはホイールベース105in(2667mm)、全長180.7in(4590mm)、全幅67.1in(1704mm)。エンジンは202cid(3310cc)直列6気筒Lヘッド104馬力(オプション装着で114馬力まで出力アップ可能)を積む。価格は1858~1954ドル。生産台数は2万1143台であった。1954年型は1万4224台生産している。
 1955年型は1954年5月に合併したナッシュのランブラーにハドソンのバッジをつけて、ハドソン・ランブラーとして販売し、ジェットの生産を打ち切っている。ハドソンのフルサイズモデルであるホーネット(Hornet)、ワスプ(Wasp)も1955年型からはナッシュのプラットフォーム、ボディーをベースにハドソンらしく?モディファイして販売されたが、1957年型はホーネットのみとなり、わずか1757台生産されハドソンはこの年を最後に終焉を迎えた。

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上の4点は1958年10月に登場したスチュードベーカー ラーク(Lark)。経営状況が悪化していたスチュードベーカー・パッカード社(Studebaker-Packard Corp.)が、ビッグ3が1960年にコンパクトカーを発売するという情報をキャッチし、フットワークの良さを生かして1年早い1959年型として発売したモデル。1958年型の生産台数約5.4万台に対し、1959年型は唯一継続生産していたシルバーホーク7788台を含めて約13.9万台と前年比2.5倍以上に達し、1954年から5年間続いた赤字決算を脱出することができた。エンジンは直6とV8が用意され、ラークⅥシリーズには169.6cid(2779cc)直列6気筒Lヘッド90馬力エンジン、ラークⅧシリーズには259.2cid(4248cc)V型8気筒OHV180馬力(標準は2バレルキャブだが、48ドル追加してオプションの4バレルを選ぶと190馬力が得られた)エンジンが積まれた。2ドアハードトップ、4ドア/2ドアセダンのサイズはホイールベース108.5in(2756mm)、全長175in(4445mm)、全幅71.38in(1813mm)。基本構造はフルサイズモデルの前後を詰めたものであり室内空間は広い。また、タクシー、輸出用として「エコノマイラー(ECON-O-MILER)」の名前でホイールベース113in(2870mm)、全長179in(4547mm)の4ドアセダンが、直6エンジンモデル1033台、V8エンジンモデル92台生産されている。価格は1925~2495ドルであった。

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1959年型ラーク ステーションワゴン。ステーションワゴンのサイズはホイールベース113in(2870mm)、全長184.5in(4686mm)、全幅71.38in(1813mm)。価格は2295~2590ドル。

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1960年型で追加設定されたラーク コンバーティブル。価格と生産台数は、直6エンジンモデル2621ドル、3107台。V8エンジンモデル2756ドル、5741台。
 ラークの発売で息を吹き替えしたかに見えたスチュードベーカーであったが、ビッグ3が競ってコンパクトカー市場に参入すると、1961年には生産台数は半分近くまで落ち込み、その後急速に衰退していった。1963年12月には、111年の歴史を持つサウスベンド工場を閉鎖。生産拠点はカナダ・オンタリオ工場に移された。さらに、1965年型からは自社製エンジンを捨て、GMのシボレー用直6とV8エンジンを調達するまでに衰退。1966年3月、スチュードベーカーは114年間守り通してきた暖簾を静かに畳んだ。


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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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