三樹書房
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第81回 F項-25 Ferrari・12
2019.8.27

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     1961 Ferrari 156 F1

・ついにフェラーリの最終回だ。正直言って僕自身、あまり同じような赤い車の羅列に少々食傷気味だったのでほっとした気分だ。
・今回もすべてを発生順に並べることで1940年代から2000年までの50年間に、レーシングカーのスタイルがどのように変化していったか、その時々に新しいアイデアを取り入れていった様子に合わせてご覧いただきたい。初期はスポーツカーと変わらず、F2とも共通の車体・ボディだったりと大雑把だった取り組み姿勢は、空力重視の時代になると小さなフィン一つにも神経を使う研ぎすまされたテクノロジーの時代となった。また「フォ-ミュラ」の規定変更でせっかく熟成されたモデルでも変更を余儀なくされる苦渋の選択もある。(1947年から99年迄53年の間にはニューモデルのなかった年が14回あるので、僕は約3分の2に当たる25年分をカメラに収めていた。)
・エンッオ・フェラーリ自身は若いころはドライバーとしてレースに参戦し、アルファロメオがファクトリー・チームを撤退するとセミ・ワークスとして「スクーデリア・フェラーリ」を率いてグランプリを戦ってきた。自らの名前を付けた車を作るようになってからもその姿勢は変わらず常にレース最優先で、極言すればフェラーリにとってのロードカーはレースを続けるための資金稼ぎの材料に過ぎなかった、と言えなくもない。だから、これから紹介する「レーシング・マシーン」こそエンッオの本気が詰まったフェラーリだ。

(01)<125/159> (1947)
(写真47-1) 1947 Ferrari 125 Sporto
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1946年12月エンッオ・フェラーリは1.5リッターV12気筒エンジンを搭載した「125F-1」「125スポルト」「125GT」(実現せず)の3種の車を作る計画を発表した。最初に完成したのはレーシング・スポーツカーの「125スポルト」で1947年3月発表され、5月にレース・デビューした。2台造られ葉巻型(スパイダー・コルサ)の1台はプラクティス中にクラッシュし、レースにはスポーツカータイプの1台だけが出場したが残り2周でリタイア、しかし第2戦ローマ・グランプリでは早くもフェラーリに優勝をもたらした。当時イタリアのスポーツカー・レースは排気量2リッターでクラス分けの方向に進んでおり、それを目指して「125」エンジンのボアを4mm,ストロークを5,5mm伸ばして1902ccとした「159スポルト」がその年のうちに完成し、10月のトリノ・グランプリでは優勝している。「125」「159」の車は47年シーズンが終わると改造され翌シーズンの「166」のため変身したのでオリジナルは現存しない。立ち上がったばかりのフェラーリには新しい車を造るだけの資金の余裕がなかったのだ。

(写真48-1) 1948 Ferrari 125 F-1
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一足早くスタートした「125スポルト」のエンジンをベースに1947年に制定されたF-1規規定に合わせ、スーパーチャージャーを装備した「125F-1」が登場したのは1948年9月のイタリアGPで、3台出走したが2台はリタイヤ、残る1台も3位入賞がやっとだった。しかし翌1949年には2段式スーパーチャージャーで強化し、スイスGPで念願のF-1レース初優勝を果たした。

(02-a)<166 スパイダー・コルサ> (1947-)
初期のフェラーリ最高傑作となった「166」シリーズはグレードによりいくつかのモデルがある。登場順に①166スポルト、②166スパイダー・コルサ、③166インテル、④166ミッレ・ミリア、⑤166F-2/F-Lの5種で、フォミュラー・カーに相当するのは②と⑤が該当する。
・スパイダー・コルサは全部で9台造られたといわれる。「159スポルト」のエンジンのボア1mm、ストローク0.8mmを伸ばし60×58,8mm、1,995cc となった。外見は「葉巻型フォミュラーカー」で、簡単なフェンダーとヘッドライトを付ければ「スポーツカー」として認められたから、「モナコGP」にも「ミッレミリア」にも出走している。
・スパイダー・コルサが活躍したのは1948年シーズンからだが、僕が撮影した車の年式はいずれも「1947年」と登録されていた。これは1947年に造られた「125/159」のシャシーを再利用したのが原因ではないかと推定した。

(写真48-1abc) 1947 Ferrari 166 Spyder Corsa      (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
48-1a(97-21-23) 1947 Ferrari 166 Spider Corsa.jpg

48-1b (97-21-24) 1947 Ferrari 166 Spider Corsa.jpg

48-1c (97-21-29) 1947 Ferrari 166 Spider Corsa.jpg

(写真48-2abc) 1947 Ferrari 166 Spyder Corsa      (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア) 
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48-2b (97-14-22) 1947 Ferrari 166 Spider Corsa.jpg

48-2c (97-14-23) 1947 Ferrari 166 Spider Corsa.jpg

(写真48-3abc) 1947 Ferrari 166 Spyder Corsa   (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
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(02-b)<166 F-2/F-L >
1948年シーズンの主力は2座の純レーシングカー「166スパイダー・コルサ」だったが、1949年にはシングル・シーターのフォミュラー・マシン「166F2」に発展した。
(写真48-4abc) 1948 Ferrari 166 F-2    (2002-01 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
48-4a (02-13-05)1948 Ferrari Type166 F2.jpg

48-4b (03-26-28) 1948 Ferrari F2 Type166 (#001F).jpg

48-4c (03-26-31) 1948 Ferrari F2 Type166 (001F).jpg
フェラーリ初の「モノポスト・マシーン」は「125SC」を基に一人乗りのフォミュラーカーに改造しそれに「166SC」の2リッターエンジンを載せたもので,高性能を維持し1949-51年までの3年間チャンピオンだった。

(写真48-5abc) 1948 Ferrari 166 F-L  (1999-08 コンコルソ・イタリアーノ/カリフォルニア)
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アルゼンチンの独裁者ペロン大統領が主催で開催される「テンポラーダ・シリーズ」という「フォミュラー・リブレ」レースに参加するため南米に送られたものだ。エンジンは「166」だが「125GP」用のルーツ型スーパーチャージャーが-装備され、シャシーも「125GP」のものが使われていた。4戦行われたが「ロザリオGP」で優勝している。
フェラーリらしくないこの塗装は、当時フォミュラーカーに指定されていたナショナルカラー(英/緑、仏/青、独/銀、伊/赤など)で「アルゼンチン」を現している。

(写真50-2ab) 1950 Ferrari 212 F-2    (2003-01 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
50-2a (03-26-22) 1950 Ferrari F2 Type212 (#110).jpg

50-2b (03-26-24) 1950 Ferrari F2 Type212 (#110).jpg
この車は博物館の表示では「F-2」となっていたが、この年のF-2の排気量リミットは2000ccのはずなので「212」(2562cc)ではF-2レースには出られなかったのではないだろうか。
 
(写真51-1abc) 1951 Ferrari 375 F-1         (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
51-1a (04-67-25) 1952 Ferrari 375 F1.jpg

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1950年スーパーチャージャー付き「125 F-1」の不振をカバーするため、自然吸気の4,5リッター大型エンジン付きのF-1がランプレディによって造られた。51年ツインプラグに改良された「375F-1」は戦闘力をあげ、「イギリスGP」でついに宿敵「アルフェッタ」を破り、その年フェラーリ初となる「ワールド・チャンピオンシップ」を獲得した。


(03)<500F2/625F1> (1952-53/54)
・1952年F1シーズンが始まると、前年アルファロメオが撤退した後に残されたのは「BRM」「マセラティ」「ERA」「タルボ・ラーゴ」など、さほど戦闘能力のあるとも思えないチームしかなく、初戦で「BRM」が欠場したことで「フェラーリ」が楽勝しレースとしての面白味は全く無くなってしまい、F1としての存在価値を失った。そこでレースの主催団体は1952-53年の「チャンピオンシップ」の対象をF1からF2に変更し、その制限を自然吸気2リッターと定めた。この時フェラーリにはうまい具合に丁度良い2リッター・エンジンがあった。それは大型エンジンを設計していた「ランプレディ」が、V12 「166 F2」エンジンに替わる直4 DOHC で極限までシンプルを追求した小型軽量の2リッターエンジンを開発していたのだ。1気筒当たりの排気量が「500cc」で4気筒のこのエンジンはV12のショートストロークに対して長いストロークを持ち、高速回転よりも中速でのトルクの太さがレースでの好成績に貢献した。「500 F2」と「アルベルト・アスカリ」のコンビはフェラーリの長いレース活動の中でも、「最初」で「最高」の成果を上げた組み合わせで、フェラーリ全体では1952年から53年にかけて 33レース中30回優勝し、アスカリはフェラーリが生んだ初の「ワールド・ドライバーズ・チャンピオン」となった。
・1954年になると、「チャンピオンシップ」は再び「F1」に戻り自然吸気2,5リッターと定められた。そのため「500F2」は、改造され排気量を増やして「625 F1」に変身した。この当時の「F1」と「F2」の規定はあまり厳密ではなかったようで、排気量以外はどちらにも通用したようだ。

(写真52-1a~d) 1952 Ferrari 500 F2/625 F1        (2004-06 グッドウッド/イギリス)
52-1a (04-19-29) 1952 Ferrari 500/625.jpg

52-1b (04-19-25) 1952 Ferrari 500/625.jpg

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52-1d (04-20-10) 1952 Ferrari 500/625.jpg

(写真52-2ab) 1952 Ferrari 500/625 F1 (2002-01 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
52-2a (02-13-05)(手前)1952 Ferrari Type500/625 F2,(奥)1948 Ferrari Type166 F2.jpg

52-2b (02-13-13) 1952 Ferrari Type500/625 F2.jpg
この車のワークスカーは6台が「500」から「625」に改造されたからオリジナルは残っていない。イベントでは「500/625」として登録されているが実質は「625 F1」である。年式は1952年となっているが「625」になってから活躍したのは53-54年である。(1枚目シャシーNo.0512MD、2枚目No.184F2 で細部が異なる)

(04)<ランチャD50/ランチャ・フェラーリD50 /フェラーリ801F1>
「ランチャ」が造ったこの車は数奇な運命を辿(たど)った。設計はビットリオ・ヤーノでデビューしたのは1954年シーズンの最終戦「スペインGP」だった。フェラーリから移籍した「アスカリ」がハンドルを握りポールポジションを獲得してポテンシャルの片鱗を見せたがレースはリタイアに終わった。翌1955年の第2戦「モナコGP」でトップを走っていた「アスカリ」は海中に転落、無事に救出されたが、4日後モンツァ・サーキットでテスト中事故死してしまった。エースドライバーを失ったランチャは資金難もありF1撤退を決めた。しかしこの高性能レーサーが姿を消すこと残念に思ったイタリア自動車協会の仲介で「ランチャ」は6台の「D50」とレース資材一切を「フェラーリ」に譲渡し、「フィアット」は向う5年間「フェラーリ」に資金援助することで合意した。この車は当時無敵だった「メルセデス・ベンツW196」が恐れる唯一の存在だったからだ。
・フェラーリに引き取られた「D50」は1956年シーズンに向かって改修され最大の特徴だった両サイドの燃料タンクは操縦席後方に移されたので、元のタンクは空になってボディに溶接され単なる整流版となった。この年はルマン大事故の影響でベンツが出場しなかったのでフェラーリがチャンピオンとなっている。
・1957年には再び大改修され「フェラーリ801 F1」と名前も変わり外見もオーソドックスなフロントエンジン・レーサーに変わった。
(写真55-1abc) 1955 Lancia D50A F1        (2004-06 ラグナセカ/カリフォルニア)
55-1a (04-58-10) 1955 Lancia D50A(1956年からLancua-Ferrariとなる).jpg

55-1b (04-58-08) 1955 Lancia D50A/1956年からLancia-Ferrariとなる(ラグナ・セカ).jpg

55-1c (04-58-12) 1955 Lancia D50A.jpg
燃料タンクがボディから独立している初期のモデルは1956年改造されて現存しないので写真の車は再現されたレプリカか、オリジナルに戻されたものと思われる。従ってフェラーリに譲渡される以前の「ランチャ」当時のスタイルである。

(写真56-1a) 1956 Lancia-Ferrari D50 F1          (フェラーリ・ポスターより)
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車はフェラーリで改装した「50D」で、サイド・ポンツーンがボディに繋がっている。ドライバーはチャンピオンとなった「エマニエル・ファンジジオ」だ。

(05)<246 F1/256 F1> (1958~60)
このシリーズは最後のフロント・エンジンとして1958年から60年まで造られ、61年ミッドシップにバトンタッチした。「256」は「246」の発展型だが58年から存在し、「246」と共存した。
(写真58-1a) 1958 Ferrari 256 F1              (フェラーリ・ポスターより)
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ドライバーがこの年チャンピオンとなった「マイク・ホーソン」なので、車は最後のフロントエンジン「256 F1」である。

(写真59-1abc) 1959 Ferrari 246 F1 Dino         (2010-07グッドウッド/イギリス)
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59-1b 10-07-04_0536 1959 Ferrari 246 Dino.JPG
前項の58年型と較べると1年違うだけで随分近代化したように見える。イギリス勢はミッドシップが主流になりつつある中でスタイルも影響を受けているようだ。この年フロントホイールの後ろに整流版が付けられ、空気抵抗に対する対策が初めて見られた。

(写真60-1ab)1960 Ferrari 246 F1 Dino       (2010-07 グッドウッド/イギリス)
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この年は既に戦闘力が殆ど無いフェラーは優勝はおろか表彰台すら望めなかったが、シーズン最後の地元モンツァ・サーキットでは1・2・3フィニッシュで観客は歓喜に沸いた。実はミッドシップのイギリス勢が参加していなかったのが真相だ。

(06)<156> (1961-63)
(写真63-1ab)1963 Ferrari 156 F1 Iniezione (2003-01 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
63-1a (03-26-16) 1963 Ferrari F1 Type156B (#0004).jpg

63-1b (02-13-19) 1963 Ferrari Type156B F1.jpg
1961年からはF1の規定は排気量1.5リッターに変更された。「156」は1500cc.6気筒を示しており、フェラーリ待望のミッドシップが登場した。1963年にはエンジンに燃料噴射装置が付き、セミ・モノコックの ボディを得て一層戦闘力を増した。この年イギリスで「ロータス」「クーパー」「ローラ」とミッドシップの経験十分なドライバー「ジョン・サーティース」を獲得し、「イタリアGP」ではロータスを抑えてポール・ポジションを獲った。

(07)<158> (1964-)
(写真64-1ab) 1964 Ferrari 158 F1           (2004-06 グッドウッド/イギリス)
64-1a (04-19-28) 1964 Ferrari 158 F1 1.5 Litre V8.jpg

64-1b (04-20-11) 1964 Ferrari 158 F1 1.5 Litre V8.jpg
この車に搭載されているV8エンジンは61年のレギュレーション変更を目指して開発されていたが、信頼性に問題ありとして、シーズン直前になって実績のあるエンジンから改造された6気筒の「156」に変更された経緯がある。63年8月には完成していたこのエンジンを、新しいセミ・モノコックボディに載せたのが「158 F1」だ。この車の活躍で「サーティーズ」はワールド・チャンピオンになり、チームも2度目のコンストラクターズ・タイトルを獲得した。

(08)<312/312B/312T> (1966-69/70-74/75-80)
60年代後半から70年代のかけて15年の長い間様々な外形変化をしながらもずっと「312」の名称を続けたのはF1がずっと「3リッター」だったことと、フェラーリのエンジンが「12気筒」だった為だ。ボディは葉巻型から空力重視の近代的なスタイルに変化してもフェラーリF1の型式はエンジンの仕様が変わらない限り変更なしだったからだ。
・1966年からF1のレギュレーションが変わり排気量3リッターのニューモデルが登場した。66年から69年までは60 度V12気筒、70年から80年までは水平対向12気筒で、型式に「B」が付くのは水平対向の「Boxer」を表す。75年からはエンジンは同じ水平対向12気筒だが、慣性のモーメントを減らすためギアボックスをエンジンの手前に「横置き」に配置したので「Transverse(横)」の「T」が付いた。
(写真68-1abc) 1968 Ferrari 312/68 F1          (2007-06 グッドウッド/イギリス)
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68-1b10-07-04_0756 1968 Ferrari 312/68.jpg

68-1c 10-07-04_0760 1968 Ferrari 312/68.JPG
写真では取り外しているので判らないが、F1で初めて「リア・ウイング」装着したのがこの車で、油圧可動式だった。

(写真69-1abc) 1969 Ferrari 312/69 F1      (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
69-1a (04-67-30) 1969 Ferrari 312 F1.jpg

69-1b (04-67-29) 1969 Ferrari 312 F1.jpg

69-1c (04-67-28) 1969 Ferrari 312 F1.jpg
去年までの葉巻型に較べると明らかに押しつぶされて平らになった感じで、最大の特徴は「フロント・ウイング」の誕生だ。まだ固定式だが、リアウイングの設定によって発生するノーズリフトを抑えるため考えられたもので、68年はロータスなどでも同じことが試みられた。

(写真72-1abc) 1972 Ferrari 312B2 F1          (2010-07 グッドウッド/イギリス)
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72-1b 10-07-04_0750 1972 Ferrari 312B2.JPG

72-1c 10-07-04_0752 1972 ferrari 312B2.JPG
1970年には、80年までの11シーズンを現役で通しレース界では考えられないほど寿命の長かった傑作エンジン「水平対向12気筒」をもつ「312B」が登場した。71年には高回転型のショートストロークに改良され「312B2/71」となったが、大幅に改修したサスペンションが失敗で、翌72年空力を含めて改修されたのが写真の車だ。まだ葉巻型にウイングを付けた物という印象だ。

(写真74-1ab) 1974 Ferrari 312B3/74 F1    (1980-11 SCCJ 25周年/富士スピードウエイ)
74-1a (80-14-16) 1974 Ferrari  Type 312 B3 F1.jpg

74-1b (80-15-28) 1974 Ferrari Type 312 B3 F1.jpg
1973年の「312B3/73」は前年の失敗からシャシー、ボディをイギリスの「TCプロトタイプ社」に依頼してフルモノコック・シャシーを制作したが期待した成果は得られなかった。翌年の「312B3/74」はサスペンション、空力をはじめ、ドライバーシートもかなり前進させ、後ろに燃料タンクを置くなど重量配分の含めて大幅に改善し、操縦性の向上を図った。この年ニキ・ラウダが加入し2勝を挙げている。

(写真75-1ab) 1975 Ferrari 312T F1     (ポスター/2004-06 グッドウッド/イギリス)
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75-1b (04-19-21) 1975 Ferrari 312T 3.0 Litre V12.jpg
1975年登場したこの車のエンジンは従来の物と同じ水平12気筒だが10馬力アップした496馬力は参加車中最強だった。それに加え最大の改良点は、エンジンに次ぐ重量物「ギアボックス」を横置きにしてエンジンの手前に移動したことだ。これによってモーメントが減少しハンドリングは大きく改善され、ニキ・ラウダはドライバーズ・チャンピオンを獲り、チームはコンストラクターズ・チャンピオンに復帰した。

(写真77-1a~d)1977 Ferrari 312T2/77 F1(ポスター/1980-11 SCCJ25/富士スピードウエイ)
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77-2a (80-14-15) 1977 Ferrari Type 312 T2 F1.jpg

77-2b (80-14-19) 1977 Ferrari Type 312 T2 F1.jpg

77-2c (80-14-22) 1977 Ferrari  Type 312 T2 F1.jpg
1976年型は今までドライバーの頭の後ろに突き出していたエンジンの吸気口が無くなり、変わってコクピットの左右前方にNACAダクト(三角の穴)があけられた。
・77年の型式は「312T2」のままで、エアダクトが小型化するなど空力的小変更にとどまった。ということはかなり完成度が高かったからだろう。その証拠にチームは2年連続、ニキ・ラウダも76年は事故とケガで逃したチャンピオンを取り戻した。ポスターの「11番」はラウダの車で、実写の「12番」はセカンドドライバー「カルロス・ロイテマン」の車だ。富士スピードウエイで撮影した疾走中の写真は一見何気なく見えるが、写真の枠内のコースの長さは約15メートル、時速250キロなら0,2秒で通過してしまうからこの中に的確に収めるのは「至難の業」なのです。

(写真78-1abc)1978 Ferrari 312T3 F1     (ポスター/2004-06 グッドウッド/イギリス)
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78-1a (04-19-20) 1978 Ferrari 312T3 3.0 Litre V12.jpg

78-1b (04-19-23) 1978 Ferrari 312T3 3.0 Litre V12.jpg
フェラーリのポスターはセカンドドライバーのジル・ビルヌーブが「312T3」で初優勝したカナダGPのものだ。この年No.1ドライバーのカルロス・ロイテマンは4回も優勝したのにそれ以外で得点が稼げずランキングは3位に留まった。
・「312T」シリーズはこの後79年「T4」でボディの下腹をなだらかな局面に成形することで、下を流れる空気から生じるマイナスの浮力でダウンフォースを得るという新しい発想「グランド・エフェクト」を採用し、ロイテマンに代わって移籍してきた「ジョディ・シェクター」が3回優勝しチャンピオンとなった。ビルヌーブも同じく3回優勝し、2位も同じ3回だったがそれ以外の得点の差で2位となった。チームとしては15戦中6回優勝(40%) 2位も6回という圧倒的な強さと、30回走って26回完走(86%) という信頼性の高さもあった史上最強だった。
・1980年は3リッターF1の最後となる年で「312T5」となったフェラーリだったが、去年の活躍が嘘のように勝てなかった。それはV8エンジンのライバル達が「グランド・エフェクト」のメリットを十分に利用して戦闘力を上げてきたのに対して、水平対向12気筒のフェラーリは幅広いエンジンのため理想とするカーブは取りにくく、色々手を加えすぎてシャシーバランス迄崩してしまい最悪のハンドリングとなってしまった。結局シェクターは1回5位に入って2点獲得しただけで、ビルヌーブも5位2回、6位2回で6点しか取れなかった。

(09)<126シリーズ> (1981-84)
1966年以降F1に参戦する車はレギュレーションの「3リッター」(自然吸気)に該当する車ばかりだったが、実はもう一つ「1.5リッター」(過給機付き)という項目もあって、77年後半から参戦していた「ルノー」はこの項目に該当する車だった。この車は1979年から,80年にかけて優勝3回、2位2回という大ブレークを見せた。一方フェラーリは10年以上第1戦で戦ってきた「312」エンジンがいかに傑作とはいえ、もはや限界であることは明らかだった。おりしもルノーの活躍を目の当たりにしてついに「ターボ化」に踏み切った。水平12気筒最後の「312T5」は515馬力迄強化されていたから、それに代わるエンジンにはそれ以上の馬力が求められる。新しいエンジンは120度V6 81×48.4mm 249.4cc 総排気量1496.43cc だからスポーツカー風に名付けるならば「250」、F1の伝統を守るなら「156」となる筈だが、新しい名前は「126」だった。「12」はなんとVバンクの角度120度を表し、「6」は6気筒を表す。さて、問題の馬力だが、試作段階でいきなり540hp/11800rpmと十分な結果を出し、81年560hp、82年 580hp、83年 620hp、84年 680hpと驚異的な発展を遂げた。1965年メキシコGPで優勝した「ホンダRA272」は同じ1.5リッターだったが、自然吸気で230hpと言われているから「ターボ」の威力と、開発の進歩は恐ろしいほどだ。

(写真81-1abc) 1981 Ferrari 126 CK F1    (ポスター/2004-06 グッドウッド/イギリス)
............81-1a 1981 Ferrari 126CK  07-06-23_173.jpg

81-1b (04-19-19) 1981 Ferrari 126CK V6 1.5 Turbo.jpg

81-1c (04-19-18) 1981 Ferrari  126CK V6 1.5 Turbo.jpg
フェラーリ初のターボで、タイムラグが大きく、シャシーもあまりよい仕上がりではなかったが、ビルヌーブの巧みなドライブで2勝している。ポスターは「モナコGP」での優勝を示すもの。型式の「C」はCompressore(過給機)、「K」はターボメーカーKKK社を示している。

(写真83-1abc)1983Ferrari 126C3          (2000-06 グッドウッド/イギリス)
83-1a (00-22-27) 1983 Ferrari Type126C3 F1.jpg

83-1b 00-06-22P_080 1983 Ferrari 126 C3.jpg

83-1c (00-22-30) 1983 Ferrari type126 C3 F1.jpg
1982年既には時代遅れとなっていたシャシーを近代化するために、イギリスから「ハーベイ・ポストレスウエイト」を招聘した。彼はイギリスでマーチなど4社に技術を提供してきた有力デザイナーで、ウルフ時代には「アルミ・ハニカム・サンドイッチ法」という軽量で硬性の高い素材を使ったモノコックボディを完成させていた。早速モノコックへの改造が始められ完成したのが「126C2」だ。ただこの素材は「アルミハニカム+ノーメックス」が使われており、「ロータス」や「マクラーレン」が使った最新の「カーボンファイバー」ではなかった。それでも格段に性能が向上し3回優勝してコンストラクターズ・チャンピオンとなった。一方ドライバーはNo.1のビルヌーブがベルギーGPで事故死し、「パトリック・タンベイ」が㉗番の車を引き継いだ。No.2のピローニは調子の上がった車を駆って11戦までに優勝2回、2位3位それぞれ2回と絶好調で、チャンピオン確実と思われていたが12戦ドイツGPで重傷を負いそのあとの5戦は欠場した。それにも拘らずポイントでは2位だったから怪我さえなかったら間違えなくチャンピオンだった筈だ。
・1983年後半には外観は「126C2」と似ているが、フェラーリとしては初の「カーボン製」モノコック「126C3」が完成した。ドライバーはルノーから「ルネ・アルヌール」が移籍し㉘番の車に乗った。そのアルヌールはそれまでに2回3位に入っていたが、第8戦カナダGPで優勝するとそのあと連続して⑤①②①②位と上位入賞を果たした。一方㉗番のタンベイも⑤④①④②③③②④位と常上位得点圏内でゴールし、フェラーリは2位のルノーに10ポイント差をつけてコンストラクターズ・チャンピオンとなった。一方ドライバーのランキングはアルヌールは49点、タンベイは40点と大活躍したにも拘らずピケ59点、プロスト57点とまだ上手(うわて)が居り、3位4位に留まった。


(10)<156-85> (1985)
(写真85-1ab) 1985 Ferrari 156-85 F1 (2003-06 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
85-1a (03-26-11) 1985  Ferrari 156-85 F1.jpg

85-1b (03-26-13) 1985 Ferrari 156-85 F1.jpg
「126C4」の後継車として1985年登場したのが「156-85」だ。ボディは完全に新設計されたが、エンジンは「126C」で120度V6気筒1.5リッターだから、フェラーリの伝統に従えばエンジンの型式が変わらないので「126C5」となる筈だがなぜか昔の方式に戻した。前年からフェラーリに参加した「ミケーレ・アルボレート」はイタリア人でNo1ドライバーとして㉗番が与えられ、いきなり②位で発進したあと②*②①③*②と表彰台を続け、第9戦ドイツGPで2度目の優勝をした時点ではトップに立っていた。しかし、終盤戦リタイアが続き12~16戦では一点も取れず、プロストに逆転され2位に終わった。

(11)<F1-86、87、87/88> (1986-88)
(写真88-1ab) 1988 Ferrari F1-87/88C        (2004-06 グッドウッド/イギリス)
88-1a (04-19-17) 1988 Ferrari F1 87/88C 1.5 Litre Turbo V6.jpg

88-1b 04-06-27P-121 1988 Ferrari F1 87/88C.JPG
・1986年発表されたF1はこれまでのセオリーに当てはまらないネーミング「F1-86」或いは「F186」と名付けられた。命名の根拠が判らないのか、扱いが2つに分かれ、F1の86年型なのかF186型なのかは判然としない。エンジンは120度V6だが過給機が「KKK」から「ギャレット」に変わり、 型式は「Tipo32」となった。
・1987年の「F1-87」は全く新しく設計された車で、基本デザインを残してグスタフ・ブルナーがフェラーリを去り、後任はマクラーレンのチーフデザイナー「ジョン・バ-ナード」が就任した。当時の第一人者を手に入れるためにイギリスにデザイン研究所を作るという条件を呑んでようやく実現したフフェラーリの大英断だった。ブルナーが残した「F1-87」はバーナードの手によって完成された。エンジンはバンク角90度に変わりV6で排気量は1496.4ccと変わらないが型式は「Tipo33」となり、75年以来横置きだったギアボックスは縦置きに戻された。しかし初期のこの車の信頼度は低く16戦(2台で32レース)で19回リタイアし殆どレースにならなかったが、終盤戦徐々に熟成が進み、15戦日本GP ではゲルハルト・ベルガー優勝/ミケーレ・アルボレート4位、最終オーストラリアGPでも1・2フィニッシュを決め有終の美を飾った。
・1988年は1.5リッターF1 最後の年となったからか、フェラーリではニューマシンではなく前年の改良型「F1-87/88C」で対応した。バーナードは既に翌年以降変更される3.5リッターのニューモデル「639」の試作に掛かっていたと思われる。ターボの過給圧が制限され、880馬力から620馬力迄下がったがこれは各社同じことだった。この年のF1レースの結果は「マクラーレン・ホンダ」のひとり天下で、緒戦から11連勝、12戦は落としたが13戦からは最終16戦まで勝ち続けた。この「マクラーレン・ホンダ」の全勝に唯一土を付けたのがフェラーリのベルガーだった。地元「イモラ」でアルボレートも2位に入り、1・2を決めたのは、前月この世を去った「エンッオ・フェラーリ」への最高の贈り物となった。(一寸残念なのは実はトップを走っていたマクラーレンのセナが周回遅れと接触してリタイアした結果だったという事だ。)

(12)<639系(639~643)> (1988~91) ―写真なしー
・このシリーズは1989年のF1レギュレーション変更に備えて、88年から試作が始まった「639」から91年の「643」まで続く。エンジンは65度V12 自然吸気3.5リッターとなったが、高速回転型でパワーバンドが狭く、これに対応するため7速が採用された。トランスミッションはF1初のセミ・オートマチックでドライバーがステアリングの裏側で操作し、電気信号で伝える画期的なものだった。
・89年は「639」の実戦モデル「640」だが新機構の信頼性は低く、16戦中ゴールしたのは、マンセル6回。ベルガーに至っては僅か3回、両者合わせて完走率は25%だった。
・90年は前年の進化型「641」に変わった。この年の初めにバーナードはベネトンに移籍した。マシンは後半調子を上げプロスト/マンセル体制で6勝を挙げマクラーレンに迫る勢いを見せたが前半のリタイアが響き2位に終わった。
・91年は前年後半活躍した「641/2」の改良型「642」が最初に登場したが、思うように走れず、各所に手を加えたが結果が出せず、第7戦からニューモデル「643」を投入することになった。「643」は「639」から「642」まで 続いたバーナードの息のかかったモデルとは全く別の新しい発想で造られ「ハイノーズ」が採用された。ハンドリングに難がありプロスト/アレジのコンビはシーズン中1勝も挙げられなかった。ここからフェラーリの低迷が始まる。

(13)<F92、F93> (1992~93)
・92年の「F92A」はハンドリングの改善が最大の課題だった。原因がフロント周りの空力にあると考え、ハイノーズ化と「ダブルフロア」と呼ばれる2重底構造を取り入れてみたが、問題をより複雑にしただけだった。32戦中リタイア20回、完走した12回でも最高は3位がやっとだった。
(写真93-1ab) 1993 Ferrari F93A           (2007-06 グッドウッド/イギリス)
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前年の改良型「F93A」は翌年以降のニューモデル開発が優先され、それまでのつなぎ的存在だった。それでも二重底の廃止や、アクティブ・サスペンションと言われる新技術も導入してみたが、そのため余計信頼性を低くし、完走率は50%、最高位は2位1回に留まった。第10戦以降エンジン(Tipo041)はホンダの技術援助で4バルブ版となった。

(14)<412T1、412T1B、412T2> (1994~95) 1気筒当たり4バルブV12気筒横置き(Trasversale)を示す
(写真94-1ab) 1994 Ferrari 412T1B       (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
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・94年型「412T1」はハイテク禁止と燃料再給油が可能となったレギュレーションを踏まえ、ベネトンから戻ってきた「ジョン・バーナード」がデザインした。「T」が付いているのでお分かりの通り「横置きギアボックス」を備えているのは、ハンドリングの悪さをウエイトバランスで改善しようとしたのではないか。外見はバ-ナードの前作「ベネトンB191」とよく似たハイノーズだった。この年前半では「アイルトン・セナ」の死亡事故をはじめ多くの大事故が発生してしまったが、シーズン途中でレギュレーションが変更され、無理な日程で改修されたため混乱し余計に事故が多発した。
・第7戦からは新レギュレーションに対応した「412T1B」が登場した。冷却の問題のあった前モデルの欠点を大幅に改善し、第9戦からは排気量は変わらないがバンク角を65°から75°に変更された新エンジン(Tipo043)を投入すると、ベルガーがポールポジションを とり、そのまま優勝した。フェラーリにとっては3年半ぶりの勝利だった。しかし優勝はこの回のみで年間のランキングは3位に留まった。
・95年には総排気量3000ccとレギュレーションが変わり、エンジンは75°V12 2997.3cc (Tipo044/1)となった。軽量化と重量配分の改善でハンドリングも向上し、アレジは第6戦で優勝したほか2位4回、5位4回と得点を稼ぎ、ベルガーも優勝こそ無いものの3位表彰台6回の他4位2回、6位1回と着実に戦闘力を付けてきたが、この年は「ウイリアムズ」と「ベネトン」の2強には歯が立たずランキングは3位だった。

(15)<F310、F310B> (1996~97) F1 3リッターV10を示す
(写真96-1ab) 1996 Ferrari F310      (2010-07 英国国立自動車博物館/ビューリー)
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フェラーリでは新エンジン75°V10気筒2998.1cc(Tipo046)を投入した。デザイナーは「ジョン・バーナード」で空力もメカニズムも凝ったものだったが数々のトラブルに見舞われギアボックスを旧型に戻したり、流行に逆らった低いノーズでスタートしたフロント周りも結局ハイノーズに改修されるなどまだまだ信頼性は低かった。一方ドライバーは前年のチャンピオン「ミハエル・シューマッハ」がベネトンから移籍して来たので、フェラーリのレースナンバーは「1」「2」を付けることになった。シューマッハは第7戦、第13戦、第14戦と優勝3回、2位3回、3位2回 と何とか乗りこなしたが、「エディ・アーバイン」は初戦で3位表彰台に上がったがそれ以降は4位1回、5位2回、7位2回であとの10回はフィニッシュできなかった。それでもシューマッハのお陰でランキングは2位に入った。

(写真97-1a) 1997 Ferrari F310B   (1999-08 コンコルソ・イタリアーノ/カリフォルニア)
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・97年の「F310B」は型式だけ見ると去年の「F310」の改造型のようだが、全く新しく造られた車だ。デザイナーはバーナードだったがシーズンが始まると「ロス・ブラウン」が中心となって改良が繰り返され、それが不満だったのかバーナードは「アロウズ」へ移籍してしまう。特徴としては出来る限り各パーツの入れ替えが可能としてあり、コースに合わせて最適なコンディションが組める利点を持っている事だ。機能的にはハンドルに全ての操作スイッチを集め電子制御も積極的に採用している。戦闘力の増した車と、前チャンピオンのドライバーを得て着実に戦果を挙げていった。シューマッハは優勝5回、2位3回、4位2回、5位1回、6位2回と得点を挙げ、1ポイントリードして最終戦を迎えたが、ライバル「ウイリアムズ」の「ジャック・ビルヌーブ」と接触しリタイアした。この接触が未必の故意と見做されたシューマッハは78点を獲得しながらランキングから除外されることになってしまった。しかしチームはコンストラクターズ・チャンピオンを獲得した。

(16)<F300> (1998) F1 3リッター 最後の00はエンツォ生誕100年を祝ったものと思われる。
・「F300」は最初からバランスのとれた扱いやすい車で細かい改良にも期待通りの結果をだした。エンジンは80°V10(Tipo47)となり重心を下げる要因を作った。シューマッハは優勝6回、2位2回、3位3回、アーバインは2位3回、3位5回、4位3回と常に上位をキープしていた。しかしこの年はマクラーレン・メルセデスの「ミカハッキネン」に一歩及ばなかった。」

(17)<F399> (1999) F1 3リッター1999年を示す。;
(写真99-1a) 1999 Ferrari F399            (2004-06 グッドウッド/イギリス)
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「F399」は出だし好調で7戦までに優勝3回、2位2回、3位2回、4位2回と上位をキープしていてが、第8戦イギリスGPでエースドライバーのシューマッハがスタート時のアクシデントで大クラッシュ、右足骨折で戦線を離脱した。チームはこの段階で今年のタイトルは諦め、翌年の「F1-2000」の開発に集中する事に方針転換した。ところが皮肉なことにセカンドドライバーの「エディ・アーバイン」は第8戦で2位となると、続いて①①③④⑥⑦①③と驚異的な活躍を見せ、チームは予想しなかったタイトルを手に入れた。

(18)<F1-2000> (2000)
(写真200-1a~d)2000 Ferrari F1-2000   (ポスター/ 2007-06 グッドウッド/イギリス)
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2000年の型式は「F1-2000」で、判じ物のように理解に苦しむフェラーリの型式の中では最も判り易い命名だ。エンジンは90°V10 2997cc (Tipo049)となった。基本的には、前年の「F399」の進化発展型だが、シーズン途中で「F1-2000」の開発に集中したので十分時間をかけて仕上げられた。外見の変化として「ノーズ」は先端が最大限上げられ、「フロントウイング」には後退角が付いた。「サイドポンツーン」が撫で肩となった。マシンの調子は順調でシューマッハは初戦から3連勝し、途中の2勝を挟んで終盤4連勝と17戦中9勝を挙げ、自身3度目のチャンピオンとなった。セカンドドライバーのバリチェロも優勝1回、2位4回。3位4回、4位4回と完走したレースはすべて上位に入賞して得点を稼ぎチームの優勝貢献した。この年フェラーリは21年ぶりに「ドライバー」と「コンストラクター」のダブル優勝を果たした。ポスターはそれを表している。(この年から「ホンダ」が「BAR」にエンジンを提供してF1に復帰したが4位止まりだった)

(19)<F2001~05> (2001~05)
(写真201a)2001 Ferrari F2001                  (ポスター)
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・2001年の「F2001」はレギュレーションの変更でウイング先端の地上高制限が高められたので、それに対応して上反角が付けられた。マシンは快調でシューマッハは17戦中優勝9回、2位5回、4位1回で早々とチャンピオンを決めた。バリチェロも2位5回、3位5回、5位3回と得点を稼ぎ、チームも2年連続してチャンピオンとなった。

・2002年シーズンはフェラーリのひとり舞台で、シューマッハは第11戦フランスGPまでに8勝挙げ残り6戦を残して余裕をもってチャンピオンを決めた。その後も3勝加えシーズン通して11勝という史上最多勝利を挙げた。しかも凄いのは、優勝以外のレースでも第2戦の3位以外は全部2位で全レース表彰台に上がっており、シーズン中一度もリタイアしていない。シューマッハの陰に隠れてしまったがバリチェロも4回優勝しているからフェラーリは17戦中15回優勝したことになり、この年のマシンが如何に信頼性に優れていたかがわかる。

(写真203-1abc) 2003 Ferrari F2003-GA     (2003-10 東京モーターショー/幕張メッセ)
203-1a (03-41-02) 2003 Ferrari F2003-GA.jpg

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(写真203-2ab) 2003 Ferri E2003-GA        (2004-09 ペブルビーチ/カリフォルニア)
203-2a (04-67-36E) 2003 Ferrari F2003-GA.jpg

203-2b (04-67-35) 2003 Ferrari F2003-GA.jpg
・2003年は「F2003-GA」となった。後につく「GA」は1月亡くなった「フィアット」の会長.「ジョバンニ・アニエッリ」に弔意を示したもの。前年圧倒的強さを見せたフェラーリは強気で改良を加えたが、マシンは「エアロパーツ」「サスペンション」「路面状況」「タイヤの摩耗状況」などの僅かな変化にもハンドリングが敏感に反応する、扱いにくい車となってしまった。この車を操ったシューマッハは6勝を挙げ、追い上げるマクラーレン・メルセデスのライコネンに僅か2ポイント差で逃げ切った苦しいシーズンだった。バリチェロも2勝しランキング4位に付けた。

(写真204-1a)2004 Ferrari F2004                    (ポスター)
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「F2004」は前年の「F2003-GA」発展型で、空力に敏感だった前モデルの弱点を少しでも改善しようとやや甘めに設定された。この年のタイトル争いはマシンの信頼性が鍵と思われていたが、シーズンが始まるや、シューマッハがいきなり5連勝、第6戦モナコGPもトップ走行中に追突されてクラッシュしリタイアしたが、そのあと7連勝、第17戦日本GPでも1勝加え通算13勝という手の付けられない状態で悠々チャンピオンとなった。この年も追突された以外マシントラブルでのリタイアは一度もなかった。バリチェロも優勝2回、2位7回、3位5回と14回表彰台に上がっている。当然コンストラクターズも1位である。ポスターはチームが5年続してワールド・チャンピオンになったことを示している。

・2005年は前年あれほど強かったフェラーリが嘘のように勝てなくなり優勝は僅か1回のみ、ルノー、マクラーレン・メルセデスに次いで3位となりチャンピオンの座を失った。


(20)<248F1> (2006)   2.4リッターV8F1カーを示す
(写真206-1ab) 2006 Ferrari 248F1         (2007-06 グッドウッド/イギリス)
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206-1b 07-06-23_1008.jpg
2006年型は本来ならば「F2006」である筈だが、レギュレーションが排気量3リッターから2.4リッターに変わったのを表すため「248F1」と命名されたもの。
前年散々な目にあったフェラーリだが、流石に回復力も早く初戦でシューマッハが2位でフィニッシュする。初盤の4、5戦、中盤の10,11,12戦、終盤の15,16戦と万遍なく優勝し7勝を挙げたが、同じ7勝を挙げたルノーのアロンソに2位の数で差を付けられ、惜しくもチャンピオンを逃した。このシーズンを最後にシューマッハは引退を表明した。
(この年限りでF1での「タバコ」の広告が禁止された。)

(21)<F2007~08> (2007~08)
・2007年は車番⑤フェリペ・マッサ、⑥キミ・ライコネンの体制で臨んだがセカンドドライバーのライコネンが6回優勝してチャンピオンとなり、マッサは3回優勝するも3位に留まった。

(写真208-1ab) 2008 Ferrari F2008          (2010-07 グッドウッド/イギリス)
208-1a 10-07-02_0637 2008 Ferrari F2008.JPG

208-1b 10-07-02_0638 2008 Ferrari F2008.JPG
・2008年は前年チャンピオンのライコネンが①番、マッサが②番を付けることになった。
フロントウイングは完全に2枚となった。飛行機は複葉機から単葉機に進化したが、F1の世界はその逆だ。この年は去年と反対に①番のライコネンは2勝しかあげられず、②番のマッサが6勝を挙げた。しかしチャンピオンになったのは1ポイント差でマクラーレンで5勝した「ルイス・ハミルトン」だった。

(22)<F60> (2009) )F60は1950年フェラーリがF1に参戦してから60年を記念したもの
(写真209-1ab) 2009-Ferrari F60            (2010 -07 グッドウッド/イギリス)
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・2009年はウイングの規制が厳しくなり、ノーズから2枚は出せないのでアンダー・ウイングの端からアッパー・ウイングを支えている。各所に張り付けられた「整流版」も奇妙な形でまさに空力のお化けだ。マシンは不調でなかなかポイントが上がらない中第10戦でマッサが前の車からの落下物で頭部を負傷し戦線から離脱、変わって入ったパドエルが2戦、フィジケラが5戦を戦ったが1ポイントも取れなかった。第13戦イタリアGPでライコネンがかろうじて1勝を挙げ「シーズンで1勝以上する」という連続記録を途切れさせないで済んだ。

(23)<F10> (2010)  F1マシン2010年を表す 

(24)<150°イタリア> (2011) 2011年はイリアが統一国家になった1861年から数えて150年目に当たるのを記念して「F150th Italia」と命名したが、「F-150」をフォードが商標登録しており、Fを外し「150°Italia」と変更した。(因みに「°」はイタリア語では「th」を表す記号)

(25)<F2012> (2012)

26)<F138> (2013) F1マシン2013年V8エンジンを示す

(27)<F14T> (2014) F1マシン2014年Turboを示す。.(因みにこの年からエンジンは90°V6 1600cc ターボと変わっている)

(28)<SF15-T> (2015)

(29)<SF16-H> (2016)

(30)<SF70H、71H> (2017~18) 2017年が70年前に当たるのは1948年で、モータースポーツに初参加してからという事だが、8年前がF1 60周年なので、あと2年待ってF1 70周年とは出来なかったのか。2000年以降のフェラーリの命名には想像もつかない意表を突くものが突然出てくるので、判る範囲でその根拠を記入した。

(31)<トレラー/サービスカー>
車がレースで活躍するにはいろいろなサポートが必要だ。それら裏方の車を集めてみた。
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1000-5a (04-19-04) Scuderia Ferrari Suport Bus(Orland Bus).jpg

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1000-6a 10-07-02_0575 Scuderia Ferrari Service Car(Iveco Irisbus Domino).JPG

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 ―12回にわたって続いたフェラーリはこれでおしまいです。次回から「G」項に入ります―

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第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

第71回 F項-15 Ferrari・2

第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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