三樹書房
トップページヘ
catalog
第83回 サクラ・オートヒストリーフォーラム2019
2019.6.27

 今回もちょっと古くなりますが、5月11日(土)に筆者の地元で開催された高齢車のイベント「第9回 サクラ・オートヒストリーフォーラム」について紹介する。
 佐倉藩主堀田家11代堀田正恒(まさつね)伯爵が昭和初期にヨーロッパからバラの花とスポーツカーを佐倉に持ち帰った史実を尊重し、国際的にも評価の高いバラ園を有する「佐倉草ぶえの丘」で開催されるフォーラムは、クルマ愛好家が集い、オーナーの夢や自慢話、専門家の講話に耳を傾け、訪れた誰もが交流できるイベントです。

05-83-01.jpg

05-83-02.jpg

上の2点は当日のプログラムと参加車のリスト。124台のクルマと、10台のバイクがリストアップされている。

05-83-03.jpg

うっそうとした森を背にMGB GT、オースチンヒーレースプライト、バンデンプラス プリンセスなどが並ぶ。後方にはVW タイプ2、初期のゴルフなど。来場者に子供連れの家族が多いのもこのイベントの特徴。

05-83-04.jpg

1964年ジャガーEタイプのXKエンジンを夢中で観察するお父さんのおかげで、後ろの少女はなかなか見る事ができない。Eタイプは1961年3月に開催されたジュネーブモーターショーで発表され、3781cc直列6気筒DOHC 265馬力エンジンを積む。3.8ℓモデルの生産は1964年に終え、4.2ℓエンジンに換装されている。

05-83-05.jpg

1974年シトロエンSM。1960年代の初め、シトロエン社においてDSの高性能バージョン製作が計画され、プロジェクト名は「D Sport」または「S(Sport)」でDOHCエンジンを内製することでスタートした。ところが、1968年にイタリアのマセラティ社と商業的および技術的協力の契約を結び、1年後にはマセラティをシトロエンに統合してしまう。そこで、DSの高性能バージョンではなく、マセラティが開発した2670ccV型6気筒DOHC 170馬力エンジンを積む、高性能2ドアクーペに変更されたのがSMであった。1970年3月に開催されたジュネーブモーターショーで発表され、10月から1971年モデルとして発売された。1973年にトリプル・ウエバーから電子制御式フュエルインジェクションに変更されて、エンジン出力は180馬力に、最高速度は220km/hから230km/hにアップしている。
 しかし、1973年10月に発生した第1次オイルショックに伴う速度制限、PSA(Peugeot Société Anonyme:プジョー株式会社)によるシトロエン社の買収などの影響で、1975年に生産が中止された。生産台数は1万2920台。

05-83-06.jpg

ユーノスロードスター、プレリュード、LN360、バモスホンダなどが並ぶ。

05-83-07.jpg

フェアレディZ、ダットサントラック、スカイラインなど日産勢が並ぶ。

05-83-08.jpg

プリンス グロリア6ワゴン、スカイラインGTなどが並ぶ。グロリア6ワゴンは1964年5月に発売されたグロリア初の商用ワゴンで、G7型1988cc直列6気筒SOHC100馬力エンジンを積む。グロリアには4気筒ワゴンは存在しない。

05-83-09.jpg

05-83-09a.jpg

05-83-09b.jpg

上の3点は1979年型コンチネンタル マークV ビル・ブラス エディション(Bill Blass Edition)とカタログ。この年、コンチネンタルにはDesigner Editionとして、Bill BlassのほかにCartier、Pucci、Givenchy の4人のファッションデザイナーによってカスタマイズされたモデルをカタログに載せていた。長大なボディーサイズは、全長230.3in(5850mm)、全幅79.7in(2024mm)、全高53.1in(1349mm)、ホイールベース120.3in(3056mm)、車両重量4787lb(2171kg)。エンジンは6.6ℓV型8気筒159馬力を積む。1980年型では全長216in(5486mm)にダウンサイジングされた。

05-83-10.jpg

05-83-10a.jpg

上の2点は1926年型フォード モデルTとそのカタログ(ランナバウトに黒以外の塗色が登場したのは1926年型後期あるいは1927年型)。熱心にのぞき込むのは、Eタイプ ジャガーのエンジンを見たくてうずうずしていた少女だ。1926年型モデルTはビッグマイナーチェンジが実施され、はじめて全鋼製ボディーが採用された。ただし、カタログ左側のフォードー(Fordor:フォードにおける4ドアセダンの呼称)のみは木骨に鋼板張りであった。そして、1911年以来はじめてオープンモデルのドライバーサイドにもドアが設置された(カナダ製には最初からドアがあった)。ボディー、ランニングボード、フード、そしてシャシーも変更されている。サイズも1925年型と比較すると、全長は197mm長くなり、全高は114mm低く、床からシート座面の高さは64mm低くなり、シートは76mm広くなっている。エンジンは2.9ℓ直列4気筒Lヘッド20馬力を積む。価格は年度途中で変更され、このカタログではサイドカーテン、開くドア、スターター、バルーンタイヤが標準装備されて360ドルとある。
 1908年10月1日に発表され、12月31日に正式発売されたモデルTも、1927年5月31日に生産を終了した。総生産台数は1500万7033台であった。

05-83-11.jpg

ずらりと並んだボルボの大群。PV544、P1800ES、アマゾンなど13台が参加していた。

05-83-12.jpg

05-83-12a.jpg

上の2点は1992年ポルシェ968とカタログに載った透視図。944 S2の後継車として、1991年のフランクフルトモーターショーで発表され、1982年モデルとして発売されたフロントエンジン+トランスアクスル方式を採用するポルシェの4気筒エンジンモデル。ボディーは944に近いが、フロントのデザインは928に似た洗練されたものとなっている。2990cc直列4気筒DOHC16バルブ240馬力エンジンには、バリオカム可変インテークカムシャフトコントロールがはじめて採用された。これに6速MTまたは968に初めて採用されたティプトロニックトランスミッションが選択可能であった。クーペのほかにカブリオレも設定されていた。

05-83-13.jpg

1962年ロータス エリート。1948年にコーリン・チャップマン(Colin Chapman)は、オースチン セブンをベースにロータスの第1号車「Mark 1」を試作した後、次々とスポーツ/レーシングカーを試作、製作してレース活動を行っていたが、レース活動のための原資を得るためにも、日常使えるロードカーを量産する必要に迫られ生産されたのが「エリート(Elite)」であった。1956年秋にType 14として開発をスタートし、1957年10月、英国のアールスコートモーターショーでプロトタイプが発表され、絶大な宣伝効果と称賛を受けたと言われる。生産車の発表は1958年3月に開催されたジュネーブモーターショーであった。世界初のグラスファイバー・モノコック構造の美しいボディーのデザインは、チャップマンと友人の会計士ピーター・カーワン・テーラー(Peter Kirwan-Taylor)そして空力に関するアドバイスはフランク・コスティン(Frank Costin)によって完成され、なんとCd値は0.29! グラスファイバーボディーの製作はブリストル エアクラフト社(Bristol Aircraft Ltd.)に委託している。エンジンはCoventry Climax FWE 1216cc直列4気筒SOHC ツインSU 75馬力だが、チューニングによって100馬力以上も可能であった。車両重量1484lb(673kg)と軽量なこともあり、最高速度180km/h以上、0-400m加速18.4秒という俊足であった。1963年に生産を終え、独立したシャシーを持つエランにバトンタッチした。エリートの生産台数は1050台であった。

05-83-14.jpg

05-83-14a.jpg

05-83-14b.jpg

上の3点は1952年ダットサン スポーツ(DC-3型)とカタログ。1952年1月に発売されたDC-3型は当時日産自動車の宣伝課長で、後に米国日産の初代社長で「Zカーの父」「ミスター K」と呼ばれ慕われた片山豊氏の発案で作られたと言われる。わが国初のスポーツカーを名乗ったクルマで、人々の興味をクルマに引き寄せるためのオトリ的性格のクルマであった。ダットサントラックのシャシーにMG TD風のボディーを架装したもので、元太田自動車製作所の太田祐一氏が経営するワイドフィールドモータースがデザインと架装を担当した。860cc直列4気筒20馬力エンジンを積み、最高速度は70km/h。お手本としたMG TDは1250cc 57馬力、最高速度124km/hであった。価格は83.5万円であったが、この頃は大卒の初任給が1万円ほどであったから、クルマは高嶺の花であった。1954年ごろまで販売された。
 DC-3型のブレーキは機械式とした史料が多いが、カタログには油圧式内拡4輪制動とある。考えられる原因は、「当初50台製作されたが、思ったほど販売が伸びず、25台はスポーツボディーを降ろして、代わりにセダンやトラックのボディーを載せて販売した。ところが、その後ダットサンスポーツに人気が出てきて注文が殺到したため、仕方なく有り合わせのダットサンシャシーに(中には戦前のものもあった)、一度取り外したスポーツボディーを載せて売ったという珍談が残っている。」との記述が日産自動車広報部の1995年5月制作資料にあり、機械式ブレーキを持つ個体が実在するためと推察する。

05-83-14c.jpg

05-83-14d.jpg

上の2点は1960年ダットサンフェアレディSPL212型とカタログ。1959年6月に発売したFRP製ボディーのダットサン スポーツS211型は日本では売れなかったので、スポーツカーは国内では時期尚早と判断し、販路を海外、特に米国に求め、左ハンドルの輸出専用車として、1960年1月に登場したのが、はじめて「フェアレディ」を名乗ったSPL212型であった。S211型でベースシャシーに採用したダットサン1000(210型系)は生産を終了し、ブルーバード(310型)に変更されていたが、310型のシャシーには載せられず、同時期にフロントサスペンションをリーフ+リジッドからトーションバースプリングの独立懸架に変更されたダットサントラック(223型)のシャシーに架装され、ボディーも量産を考慮してFRPからスチール製に変更された。エンジンはE型1189cc直列4気筒OHV48馬力を積み、最高速度は132km/hに達した。米国での販売価格は1996ドルで、当時は1ドル360円の時代であり、日本円に換算すると71.9万円。生産台数は288台。
 ちなみに、フェアレディの名前は、ちょうど訪米の旅から帰った川又克二社長が、ブロードウェイで見たミュージカル「My Fairlady」に感激し、提案したと言われる。

05-83-15.jpg

1981年デロリアンDMC-12。1972年、47歳の若さでゼネラルモータース(GM)の副社長に上り詰めたジョンZ. デロリアン(John Z. DeLorean)は、翌1973年に自分のスポーツカーを製造するという生涯にわたる夢を追求するためにGMを辞任し、ビジネスの世界に衝撃を与えた。そして夢の実現のため1975年に自身の名前を冠したDeLorean Motor Companyを設立し、1981年に登場したのがDMC-12であった。ボディーデザインはイタルデザイン(Ital Design)のジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)が担当。ハード面の開発は当初、デロリアンがポンティアック在籍時代に一緒に働いた、GMのエンジニア、ビル・コリンズ(Bill Collins)が参画したが、1978年にロータス・カーズに開発委託したところ、ロータスとの考え方の違いから対立し退社してしまう。ロータス エスプリに似たバックボーンフレームにFRP製アンダーボディーを載せ、アウタースキンにはヘアライン仕上げの無塗装ステンレスが採用されている。エンジンはロータリーエンジンを含めていろいろ検討されたが、最終的にプジョー/ルノー/ボルボの3社が共同開発した2849ccV型6気筒130馬力のPRVエンジン+ルノー フエゴ用5速MTまたは3速ATが採用された。価格は2万5000ドル(当時1ドル:220円ほどであったから約550万円)。シボレーコルベットは1万5248ドル(約335万円)であった。
 最初の生産型DMC-12(シャシーNo. DD000500)がラインオフしたのは1981年1月21日であったが、ハンガーストライキなどの影響で米国に第1便が届いたのは6月であった。しかし、製造品質は悪く、納車前の修正に140~200時間を要したという。1981年5月にハンガーストライカーの一人が死亡したことで、チーフエンジニアの事務所が放火されオリジナル図面のほとんどを焼失してしまうという事件が発生している。
 1981年に7500台生産されたが売れたのは3000台ほどで、1982年に入ると生産調整のため週3日操業、レイオフを実施、資金繰りに窮することになる。1982年10月19日、ジョン・デロリアンがコカイン所持容疑で逮捕され、同年12月24日に最後のDMC-12(シャシーNo. DD0020104)がラインオフしデロリアンの夢は終焉を迎えた。単純にシャシーNo. で計算すると生産台数は1万9600台ほどになるが、実生産台数は8000台ほどではないかと推察する。

05-83-15a.jpg

これは、プレスキットに差し込まれていた「CAR and DRIVER」誌1981年5月号、および「United Mainliner」誌1981年2月号リプリント版の表紙を飾るDMC-12とジョン&クリスティーナ・デロリアン夫妻。長年の夢が実現した絶頂期であった。

05-83-15b.jpg

「スポーツカーと共に転んだ英雄」のコピーを付けてジョン・デロリアン逮捕を報じる1982年10月26日付け朝日新聞の記事。デロリアンDMC-12は映画「バックトゥザフューチャー」に登場するタイムマシンのベースに使用されたので知名度は高い。

デロリアンDMC-12のカタログの全頁を紹介する。

05-83-15c.jpg

05-83-15d.jpg

05-83-15e.jpg

05-83-15f.jpg

05-83-15g.jpg

05-83-15hh.jpg


05-83-16.jpg

05-83-16a.jpg

上の2点は1964年型ジープ・グラディエーターJ-200(カタログは1963年型のもの)。非常に珍しいモデルで、1963年型として登場したJラインには、ステーションワゴン型のジープ・ワゴニア(Wagoneer)とトラック型のジープ・グラディエーター(Gladiator)があり、軍用車デザインの跡形を残さず、全くの民間用として徹底的にデザインされた初めてのジープであった。ボディータイプには展示車のようなフレアフェンダーを持つスリフトサイド(Thriftside)ピックアップとカタログ表紙手前のスラブサイドのタウンサイド・ピックアップが選択可能であった。シリーズJ-200はホイールベース120in(3048mm)で4WDと2WDがあり、エンジンは230cid(3769cc)直列6気筒OHC圧縮比8.5:1の140馬力、またはエコノミーオプションとして圧縮比7.5:1の133馬力が設定されていた。
 1950年6月30日、ウィリス・オーバーランド社は、第2次世界大戦中英雄的偉業を果たし、その伝統をもとに確立したブランドの所有権を資本化することを決め、米国および海外において「ジープ」をトレードマークとして商標登録している。1953年にカイザー・コーポレーションに買収され、新会社はウィリス・モーター社に社名変更。1963年にはカイザー・ジープ・コーポレーションに社名変更された。さらに、1970年2月5日、カイザー・ジープ・コーポレーションはアメリカン・モータース・コーポレーション(AMC)に買収される。その後も合併、買収が繰り返されるが、ジープ・ブランドは健在である。

05-83-17.jpg

バイクも10台展示され、手前からドイツの1968年ハーキュレス モペッド、英国のBSA C11などが並ぶ。

05-83-18.jpg

05-83-18a.jpg

05-83-18b.jpg

上の3点は毎年恒例のキッズメカニック体験コーナー。男の子も女の子もタイヤ交換ぐらいできなくちゃ!と真剣に挑戦していた。見守るお母さんも技を盗もうと真剣。

05-83-19.jpg

三樹書房も毎回出展している。もっと買ってほしいのだが、出展位置がクルマの展示場所から離れているのが残念。

05-83-20.jpg

05-83-21.jpg

上の2点は会場で配布された、来年フォーラム10周年を記念して開催予定の「佐倉クラシックカーカンファレンス2020」のプレカタログ。2020年5月8日(金)にウィシュトンホテル・ユーカリで前夜祭、9日(土)には高齢車の展示のほかに、旧堀田邸記念館において自動車歴史評論家の高島鎮雄氏による基調講演、佐倉草ぶえの丘において国立科学博物館センター長の鈴木一義氏による記念講演などを予定している。

このページのトップヘ
BACK NUMBER

第93回 アメリカでコレクターズアイテムとなるR32 GT-R?

第92回 戦後のアメリカンコンパクトカー(3)

第91回 戦後のアメリカンコンパクトカー(2)

第90回 東京オートサロン 2020

第89回 戦後のアメリカンコンパクトカー(1)

第88回 シトロエンのロータリーエンジン車

第87回 シトロエン トラクシオンアヴァン

第86回 シトロエン創立100周年記念イベント

第85回 「モーターファン」誌1952年1月号に載った広告

第84回 英国人のハートをつかんだフィガロ

第83回 サクラ・オートヒストリーフォーラム2019

第82回 ジャパン・クラシック・オートモービル 2019

第81回 Automobile Council 2019

第80回 MINIの60周年記念

第79回 日産自動車初の大型トラック&バス(80型/90型)

第78回 東京オートサロン 2019

第77回 新町暮らシックCarまちなか博物館

第76回 2018トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第75回 三菱500

第74回 空飛ぶクルマ

第73回 Automobile Council 2018

第72回 戦後から1950年代初頭のジャガー

第71回 フォルクスワーゲンのアメリカ進出

第70回 ACC・JAPANの東京交歓会

第69回 1949年型アメリカ車 – フォード編

第68回 1949年型アメリカ車 –クライスラー編

第67回 サーブ 92

第66回 東京オートサロン2018

第65回 ボルボ・カー・ジャパン、1959年式PV544をトヨタ博物館へ寄贈

第64回 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

番外編 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第63回 1948年型アメリカ車 – インデペンデント編

第62回 1948年型アメリカ車 – ビッグ3編

第61回 Automobile Council 2017

第60回 1947年型アメリカ車 – インデペンデント編

第59回 1947年型アメリカ車 - ビッグ3編

第58回 戦時下に発行されたアメリカ車メーカーのポスター

第57回 AC & Shelby AC Cobra - 2

第56回 AC & Shelby AC Cobra - 1

第55回 ナッシュヒーレー&ハドソンイタリア

第54回 東京オートサロン2017

第53回 リンカーン コンチネンタル

第52回 2016トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑

第51回 クライスラー300 レターシリーズ – その2

第50回 Automobile Council 2016 – そのⅡ

第49回 Automobile Council 2016

第48回 クライスラー300 レターシリーズ – Ⅰ

第47回 フォードランチェロ

第46回 1954年カイザー・ダーリン161

第45回 1950年代ポンティアックのドリームカー

第44回 1950年代オールズモビルのドリームカー

第43回 1950年代ビュイックのドリームカー

第42回 1950年代キャディラックのドリームカー

第41回 クラシックカー・フェスティバル

第40回 アメリカの初期SUV/MPV

第39回 メトロポリタン

第38回 フォード サンダーバード

第37回 シボレーコルベット(第1世代 – 2/2)

第36回 シボレーコルベット(第1世代 – 1/2)

第35回 1950年代のアメリカンドリームカー(4)

第34回 1950年代のアメリカンドリームカー(3)

第33回 1950年代のアメリカンドリームカー(2)

第32回 1950年代のアメリカンドリームカー(1)

第31回 1940年代のアメリカンドリームカー

第30回 戦後のアメリカ車 - 11 :1940年代の新型車(フォード)

第29回 戦後のアメリカ車 - 10 :1940年代の新型車(GM)

第28回 戦後のアメリカ車 - 9 :1940年代の新型車(パッカード)

第27回 戦後のアメリカ車 - 8 :1940年代の新型車(タッカー)

第26回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ナッシュ)

第25回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ハドソン)

第24回 戦後のアメリカ車 - 6 :1940年代の新型車(クライスラー・タウン&カントリー)

第23回 戦後のアメリカ車 - 5 :1940年代の新型車(クロスレイ)

第22回 戦後のアメリカ車 - 4 :1940年代の新型車(カイザー/フレーザー)

第21回 戦後のアメリカ車 - 3 :1940年代の新型車(スチュードベーカー)

第20回 戦後のアメリカ車 - 2 :1940年代の新型車(ウイリス/ジープ)

第19回 戦後のアメリカ車 - 1 :1946年型の登場(乗用車の生産再開)

第18回 アメリカ車 :序章(6)1929~1937年コード・フロントドライブ

第17回 アメリカ車 :序章(5)1934~37年クライスラー・エアフロー

第16回 アメリカ車:序章(4)1924~1929年

第15回 アメリカ車 :序章(3)1917~1923年

第14回 アメリカ車 :序章(2)フォード モデルT(1908年~1927年)

第13回 アメリカ車 :序章(1) 登場~1919年

第12回 AF+VKの世界:1959~1971年型ポンティアックのカタログ

第11回 コペンの屋根:リトラクタブルハードトップ

第10回 スクリーンで演技するクルマたち

第9回 シトロエンDSのこと

第8回 よみがえった『力道山のロールスロイス』

第7回 メルセデス・ベンツ300SL - SLクラスの60周年を祝して

第6回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その2)

第5回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その1)

第4回 短命だった1942年型アメリカ車のカタログ

第3回 「ラビット」から「スバル」へ - スバル最初の軽乗用車と小型乗用車

第2回 「キ77」と電気自動車「たま」。そして「日産リーフ」

第1回 自動車カタログ収集ことはじめ

執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

関連書籍
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
トップページヘ