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第64回 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑
2017.12. 5

 今回は前回の番外編で紹介した「2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑」を取材したので、その様子を紹介する。
 11月25日、快晴の神宮外苑に集結した100台を超えるクラシックカーを堪能したのだったが、翌26日に体調を崩して27日から12月2日まで入院するはめに。病名がクラシックカーを堪能し過ぎたのか、胆石が悪さした胆嚢炎ということであった。
 そんなわけで28日の定時にアップできず申し訳ありませんでした。しばしば遅れている筆者だが、今回は正当な?理由があるのでご容赦いただきたい。

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開会式であいさつするトヨタ博物館の布垣館長。右から二人目の椅子に掛けておられるのは2017 日本自動車殿堂入りされた高島鎮雄氏。

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今年5月、筆者の住む佐倉で開催されたイベントに、土砂降りの雨にもかかわらず参加してくれた1925年ロールスロイス ファントム Ⅰ トルペードツアラー。ファントム Ⅰは1925~1929年に2212台生産された。直列6気筒7668ccエンジンを積む。ファントム Ⅰは1926~1931年に米国マサチューセッツ州スプリングフィールドにあった工場でも1241台生産されている。

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1926年ロールスロイス シルバーゴースト。シルバーゴーストは1907~1925年にかけて英国で6173台生産され、1921~1926年には米国スプリングフィールドで1703台生産された。直列6気筒7428ccエンジンを積む。

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1928年ベントレー 6.5ℓ。ベントレー 6.5ℓは1926~1930年に生産された。エンジンは6597cc直列6気筒SOHCで、スタンダード 6.5ℓはSmithのシングルキャブレターだが、1928年終わりごろに登場したスピードシックスはSUツインキャブレターが装着されている。1928年のカタログにはシャシーの価格1575ポンド(当時のレート1ポンド≒9.7円として1万5278円)、インクローズドリムジン ウエイマンタイプが2125ポンド(2万613円)から、インクローズドリムジンは2250ポンド(2万1825円)から、とある。当時、わが国の勤労者1世帯当たりの平均月収は100円程度だというから、いかに高価であったか想像できよう。生産台数はスタンダード 6.5ℓ 373台、スピードシックス 171台、合計544台。

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1929年ロールスロイス 20HP。20HPは1922~1929年に2940台生産された。直列6気筒3127ccエンジンを積む。

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1930年ロールスロイス ファントム Ⅱ コンチネンタル。ファントム Ⅱは1929~1935年に1767台生産された。直列6気筒7668ccエンジンを積む。

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非常に珍しい1950年オースチン A90 アトランティック コンバーティブル。1948年秋~1952年にかけてアメリカ市場を狙って生産されたと言われ、他のオースチンとは全く別の顔立ちをしている。フロントグリル中央にはドライビングランプを装備し、「フライングA」オースチンバッジが2個ついている。2660cc直列4気筒OHV 88馬力エンジン+4速コラムシフトMT(1速はノンシンクロ)を積み、最高速度は86mph(138km/h)。生産台数は1949年に追加発売されたスポーツサルーン(ハードトップ)を合わせて7981台。

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上の3点は1950年オースチンA90アトランティック コンバーティブルのカタログ。

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1949~1952年に生産されたオースチンA90アトランティック スポーツサルーンのカタログ。

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雲一つない青空を背にそびえ立つ聖徳記念絵画館前に集うクルマたち。手前から1959年オースチン ヒーレー、1958年型シボレー コルベット、1958年MG MGAなどが並ぶ。

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1963年型フォード フェアレーン500。隣には1962年ロータスエリート、1962年ボルボ PV544などが並ぶ。

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1960年ダットサン フェアレディ。日産自動車は1959年に「ダットサン スポーツカー」の名前で、ダットサン1000のシャシーにFRP製ボディーを架装したスポーツカーを製作したが、当初、販売を京浜・京阪神地区に限定して注文生産としたためか、生産台数は20台(18台とする史料もある)と不振であった。国内でスポーツカーを売るのは難しいと判断した日産自動車は、販路を海外、特に米国に求め、輸出専用車として生産したのがこのモデルで、はじめて「フェアレディ」と命名された。シャシーはダットサン1000の生産が終了したため、前輪がトーションバースプリングによる独立懸架のダットサントラック223型が使用され、ボディーも量産を考慮してFRPからスチール製に変更されている。エンジンは1960年1月に発売されたSPL212型には1189cc直列4気筒48馬力が積まれ、同年10月に発売されたSPL213型では圧縮比を7.5から8.2に上げて60馬力に強化されていた。SPL212型の米国での販売価格は1996ドルで、当時は1ドル360円の時代であり、日本円に換算すると71.9万円。生産台数はSPL212型288台、SPL213型217台。

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1964年パブリカ。手前にはエンジンとともに第1回および第2回日本グランプリでのレースシーンの写真と広告、そして、車両紹介欄には「1961年、通産省の国民車構想を具体化した車がパブリカ700です。このパブリカ700デラックスはスタンダード車を37項目追加変更して豪華仕様にした車です。」とあった。横には1964年ボルボ PV544、1965年MGミジェット Mk Ⅱ、1965年トヨタ スポーツ 800が並ぶ。

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1965年トヨタ スポーツ 800が2台と、その横は1965年ニッサン セドリック カスタム。

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1963年型フォード フェアレーン 500。隣には1962年ロータスエリート、1962年ボルボ PV544などの後ろ姿が並ぶ。

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1957年オースチン ヒーレー 100-6、1958年MG MGA、1959年型シボレー コルベット。

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これは珍しい、オランダの1968年DAF 44。844cc空冷水平対向2気筒40馬力/4500rpm、7.1kg-m/2400rpmエンジンを積むが、ユニークなのは「バリオマチック」と称するCVTを採用していた。エンジン後部にはオートマチッククラッチ(8枚のシューを持った遠心クラッチで、1000~1400rpmで4枚のトレイリングシューがつながり、約2300rpmで残り4枚のリーディングシューがつながる)が付き、CVTとの接続は両端にラバートーションダンパーを備えた、アルミ製大径プロペラシャフトで行っている。最高速度は122km/h。

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上の4点は1968年DAF 44のプレスリリースおよび冊子「The DAF Variomatic」から抜粋したもの。

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1969年ジャガー Eタイプ 2+2 クーペ、1969年シトロエン DS21。後方の赤いクルマは1969年いすゞ ベレット 1600GTファストバック。

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これも珍しいブラジル製1973年フォルクスワーゲン カルマンギアTC。残念ながらこのクルマに関する資料は手元にありません。どなたかお持ちでしたら三樹書房に連絡お願いします。隣は1973年ディーノ246GT。

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1987年ニッサンBe-1 キャンバストップ。1987年1月、1万台限定で発売され、2カ月後には完売、発売2カ月後の中古車オークションでは新車価格134.8万円のクルマが231.7万円、なんと1.7倍で落札されたと新聞記事に載るほどの人気に。いわゆるパイクカーの先駆けとなったクルマ。筆者がシンガポール駐在時、1台がシンガポールに送られ、現地販売店において記者発表後マレーシアでの走行実験に同行したことを思い出す。

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ベントレーのコックピット越しに大盛況ぶりを見る。

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トヨタ博物館所蔵の1886年ベンツ パテント モトールヴァーゲン。カール・ベンツ(Karl Benz)が1886年に製作した3輪車で、世界初のシリーズ生産されたガソリン自動車と言われる。984cc水冷単気筒0.89馬力/400rpmエンジンを積み、最高速度は15km/h。

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特許申請時に添付された二面図。Daimler-Benz AG発行の「KARL BENZ UND SEIN LEBENSWERK」より引用。(Photo:Daimler AG)

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ドイツ博物館所蔵のベンツ パテント モトールヴァーゲン。Daimler-Benz AG発行の「KARL BENZ UND SEIN LEBENSWERK」より引用。(Photo:Daimler AG)

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1888年9月にミュンヘンで開催されたエンジンと作業機械展に出展されたベンツ パテント モトールヴァーゲンとその広告。この展示会でゴールドメダルを受賞している。ホイールは木製スポークに変更されている。最初期の自動車広告ではないだろうか。Daimler-Benz AG発行の「KARL BENZ UND SEIN LEBENSWERK」より引用。(Photo:Daimler AG)

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トヨタ博物館所蔵のアメリカ車、1899年ロコモビル スチームカー。1899~1900年にはコロンビアの約1500台につぐ約750台生産されたが、1901年には約1500台生産され第1位、2位はウイントンで約700台、3位がオールズモビルの425台であった。1902年には約2750台生産してトップの座を維持していたが、1903年にガソリン車、しかも高級車造りに変更、1929年、大恐慌の年に消滅している。

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1899年に発行されたロコモビルの広告。「すでに800台のロコモビルが稼働しているが、皆満足している。」「工場渡しFOB価格750ドルで30日後に納車」とある。

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トヨタ博物館所蔵のアメリカ車、1902年ベイカー エレクトリック。黎明期のガソリン車を始動するにはいくつかの面倒な儀式が必要であり、特に女性には敬遠されていた。そこで、操作が簡単で静かな電気自動車が歓迎され、多くのメーカーが電気自動車を生産していた。ベイカーは1916年まで生産され、2シーターの小型車から1000ポンド(454kg)積みトラックまでがラインアップされていた。

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NHKのどーもくんも登場して子供たちを喜ばせていた。握手した感触からか、なかにヒトが入っているんじゃないかと疑う子、怖いと言って近寄らない子など、見ているとほほえましい。今回のテーマが「過去を振り返り未来を思う - 動力源の遷り変わり -」であり、後方には戦中・戦後に活躍した薪を燃料とした1950年トヨタBM型トラックの改造車、1977年トヨタ スポーツ800・ガスタービン ハイブリッドが見える。ほかに世界初のハイブリッド量産車である1999年トヨタ プリウス、燃料電池車2015年MIRAIが展示されていた。

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こどもたちだけでなく、おとなも楽しめる記念乗車撮影に、今年供されたのは1914年型フォード モデルT ツーリング、1954年型ナッシュ メトロポリタン、1972年ロータス エランS4の3台であった。

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2000GTオリジナルプルバックカー、トヨタ博物館カレーなどオリジナルグッズを揃えたミュージアムショップも素通りできない重要なポイント。

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今年、パレードを先導するのは、昨年までの初代クラウンに代わってトヨタMIRAIが務めた。

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パレードに出かける1925年ロールスロイス ファントム Ⅰ トルペードツアラー、1926年ロールスロイス シルバーゴーストそして1928年ベントレー 6.5ℓ。

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1926年ロールスロイス シルバーゴースト。

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1932年MG J2。

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1950年オースチンA90アトランティック コンバーティブル。

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1953年型ビュイック スーパー。322cid(5277cc)V型8気筒OHV 164馬力+MT、またはオプションの170馬力+ダイナフローATを積む。

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1957年オースチン ヒーレー 100-6。続くのは1958年MG MGA、1958年型シボレー コルベット、1959年オースチン ヒーレー。

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今年も見事な黄葉を愛でながらパレードする1972年トヨタ セリカ 1600GT、1972年ボルボ P1800ES、1972年マツダ コスモスポーツ、1972年ロータス ヨーロッパ ツインカム。  

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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