三樹書房
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第60回 F項-4 フォード・1
2017.11.27

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< 前 史 >
アメリカ・ビッグ・スリーの一つ「フォード・モータース」はヘンリー・フォードが創立者だという事は誰でも知っているが、のちの「キャディラック」となる車は、「ヘンリー・フォード・カンパニー」が社名変更した会社から誕生した、という事はご存じだろうか。
・「ヘンリー・フォード(Henry Ford)」(1863-1947)はアイルランド移民の子としてミシガン州デトロイト近郊のディアボーンで6人兄弟の長男として生まれた。16歳で家を離れデトロイトで見習工となったが、19歳からは家の農場の手伝いをする為ディアボーンに戻っていた。そこにウエスティングハウス製の蒸気エンジンがあり、ここでこの機械のメンテナンスを習熟した彼はウエスティングハウス社に修理工として雇われた。1891年28歳の時「エジソン照明会社」に入社、2年後にはチーフ・エンジニアに昇進している。この頃個人的な趣味として自宅裏庭の倉庫で自動車造りを始めており、1996年33歳の時彼にとって「1号車」となる「Ford Quadricycle」と名付けられた車が完成した。この当時は「自動車」というものが殆ど存在していない創世記だから、それぞれが独創性に富んでいた時代で、四角いフレームに椅子を取り付け、水平2気筒エンジンをリアに積み、自転車のような大きな車輪を持って居たから、現代の感覚では「自動車」らしい形はしていない。しかし1898年完成した2号車は、僅か2年しか経っていないが、すっかり当時の自動車に似た馬車に近い形になっていたのは、この種の自動車のレイアウトをお互いに探り合った結果だろうか。  
・2号車の完成を見た地元の製材王「ウイリアム・H・マーフィー」が出資して1899年8月5日「デトロイト自動車会社」を設立し、ヘンリー・フォードは副社長兼チーフ・エンジニアとなったが、デトロイト車の売れ行きは芳しくなく1901年1月解散してしまった。しかしこの後も車造りは続けられていたらしく、10月のレースで好結果を残したことを知ったマーフィーなど旧デトロイト社の出資者らが集まり、1901年11月30日新会社「ヘンリー・フォード・カンパニー」を設立した。ヘンリー・フォード自身は再びチーフ・エンジニアとして迎えられたが、実質の経営権はマーフィー達が持っており、市販できる実用  車を造ることを指示されたにも拘わらず、レース車造りに熱中しているフォードに業を煮やしたマーフィーは、ヘンリー・M・リーランドを生産顧問として雇用し、事業の正常化を図った。これに怒ったヘンリー・フォードは1902年3月、自分の名前が付いた会社を辞任する。この後この会社は社名を「キャディラック自動車会社」と変更した。時期はハッキリしないが、キャディラックの「モデルA」が1902年型なのでフォードが去ってすぐの事と思われる。
・一方、フォードはトム・クーパーと組んで後年「999」と呼ばれる強力なレーシングカー造りに成功し、1902年10月のレースでは後年アメリカのヒーローとなる無名の新人「バーニー・オールドフィールド」がぶっちぎりでデビュー戦を飾った。その結果「マルコムソン」という出資者をえて、「フォード & マルコムソン.」という自動車製造会社を作ったが、製品が出来る前に資金繰りに行き詰り、部品購入先の「ダッジ・ブラザース」には新会社の株式で資本参加してもらい 新たに出資者も募った結果、1903年6月16日「フォード・モータース・カンパニー」に生まれ変わった。これが今日まで続く「フォード」の誕生である。ここから造られた最初の車が1903「フォード モデルA」である。

<モデルAから始まる初期のフォード>
・1903年「モデルA」からスタートしたフォードは、1908年「モデルT」が誕生するまでに「A」から「S」まで19種すべてのモデルを販売したわけでは無い。僕が確認した限りでは「A」,「B」(大型),「C」,「E」,「F」,「K」(6気筒高級車)、「N」(Tの原型)、「R」、「S」、と続いて「T」型の登場となる。
(写真01-1a) 1903 Ford Model A Runabout
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「キャディラック」にそっくりと言われる「フォード」の1号車はキャディラックに遅れる事約9カ月後の1903年7月15日に納車されている。この車の基本構想は「デトロイト自動車」時代に完成させたフォード3号車から受け継いだと言われ、途中から「キャディラック」になってしまった造りかけの車も同じように此の構想に沿って進められていただろうから似ているのは間違えない。ホイールベースは72インチ(183cm)と全く同じだが、エンジンはキャディラックが1気筒 1609cc 6.5hpに対して、フォードは2気筒 1645cc 8hpと全く別物である。ラナボート・タイプの価格850ドルは キャディラックより100ドル高くフォードの方が高級車?だった。  

(参考) 1902 Cadillac Model A Runabout
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フォードとそっくりと言われるキャディラックの1号車は1902年10月17日の完成している。リーランドに代わってから数か月で完成しているので、恐らく「フォード」になる予定でヘンリー・フォードが途中まで造りかけていた車を、リーランドの手で完成させそれが「キャディラック」になったのだろう。

(写真02-1a) 1904 Ford Model C Tourer
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1号車「A型」を発表した翌年の1904年には「A」「AC」「B」「C」」の4タイプが造られた。写真の「C型」は「A型」の排気量を増やし1974cc 10hpとしたエンジンをフロントに置き後輪をドライブするという、長い間自動車の標準となったスタイルを採用した。現代の目で見てもすっかり自動車らしくなった。写真は無いが「AC型」は「A型」に強化したC型のエンジンを搭載したもの。「B型」は4気筒24hpエンジンを持つ大型車。

(写真03-1a) 1906 Ford Model K Tourer
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「K型」は4気筒 6634cc 40hpのエンジンを持ち、ホイールベース114インチ(2896mm)の堂々たる大型豪華車だった。価格は2800ドルで、600ドルの「N型」の4倍以上だった。「小型で実用的な大衆車を造る」という目的を理念としていたヘンリー・フォードが造った、「生涯で最も豪華な車」と言われるこの車だが、ヘンリー・フォードの本意では無く、部品メーカーで大株主の「ダッジ・ブラザース」を始めとする株主総会の「車は金持ちに売る」という方針に押し切られた結果のようだ。一部の金持ちには人気があったようで1908年まで生産が続けられた。

(写真4-1a) 1907 Ford Model N Runabout
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「N型」は、あの不朽の傑作「T型」の母体となった車と言われる。株主総会の方針で不本意ながら大型高級車「K型」を造りながらも、自分の理想とする「大衆車」をめざし1906年1月のニューヨーク・ショーで発表したのがこの「N型」だった。4気筒2440cc 15-18hpというエンジンは、当時としては小型の部類だが、自重は480kgと軽量で 性能が優れていた上、発売当初の価格は僅か500ドルだったから、ヘンリー・フォードの理想がほぼ実現したと言える。この車の出現は大反響を呼び、改良モデルの「R型」や、デラックス・モデルの「S型」まで造られ、「大衆車」時代の到来を目前に会社の方針も小型車重視へと方向転換した。これと意見の異なる株主は手を引き、ヘンリー・フォードは総株式の58.5%を所有する実権を持った社長となった。

< モデルT >
T型は1908年から1927年5月までに1500万台が造られた。(正確には15,007,033台)
常識破りの数が生産されたから数々のエピソード゙残されている。
「フォードはいつも新型だ」というのは、T型は19年間モデル・チェンジなしで、ずっとT型だったから、何時でも最新モデルで有り得たのだ。(もちろん毎年多少の変化はあったが何れもT型と呼ばれる対象だった。)
「フォードは追い越すことが出来ない」と言われた。フォードがそんなに速いわけがない、と誰でも思う筈だ。実際ハイウエイをノロノロ走っていた事だろう。だから速い車に乗って居れば簡単に追い越せるが、その前にはフォードがいる。追い越しても又フォードが居る。何処まで行ってもフォードを追い越すことは出来なかった、という程道という道にフォードがあふれていた、という事だ。
「T型の通れない道は馬でも通れない」と言われるほどアメリカ中の道なき道を走り切った。当時は未舗装だから道路には馬車の轍(わだち)で削られた深い溝が刻まれていたが、T型のトレッドは馬車に合わせた56インチで造られていた。その上馬車の車軸幅が広い南部向けにはオプションで60インチも用意する周到さだった。エンジンは20hp で、特別強力では無かったが、車自体が軽量だったので、ほとんどの急坂を登ることが出来た。ローギアで登れない時の最後の手段はバックギアで登る奥の手があった。これはギアレシオだけではなく、バックならガソリンタンクがエンジンより上位にあるので、前上がりの時と違って燃料の供給不足が発生する心配が無いというのが重要な要因だった。
「自動車とフォード直します」と言う看板は当時のアメリカではあちこちで見られたそうだ。「Automobile and Ford」と表現されるのは、「自動車の仲間に入れられない別のその他の物」と解釈すべきか、「世間全般の自動車と比肩するフォードと言う一大勢力」と解釈すべきなのか、とにかく「変わった存在」の物が「常識以上に世の中に存在していた」ことは事実だ。個性的だった創世記の自動車は徐々に共通したシステムに統一されつつあったが、「T型」については、ヘンリー・フォードが納得した独自の構造に固執し、変速装置なども特別な物だったから普通の修理工では手に負えなかったかもしれない。運転方法も普通とは違うので日本では「T型限定免許」もあったと聞く。
「T型は100インチのホイールベースと排気量2894ccを19年間変えなかった」殆ど変更なしで量産が続けられたから当初825ドルからスタートしたが、大量生産と、流れ作業による合理化で生産コストも下がり最終的には260ドルまで下げることに成功した。この当時フォードの工員の日当は5ドルだったから、月25日働けば2か月分の給料1台買える身近な存在となった。
「ラジエター・グリルは4回変わった」
(05-1)1909 253-04 1909 Ford Model T Touring.jpg (05-2)1914 12-04-21_148 1914 Ford Model T Touring.jpg (05-3)1922 08-01-16_3186 1922 Ford ModelT.jpg (05-4a) (81-07b-11).jpg
・初期型(上左)は真鍮製のアッパータンクとコアを囲むグリルが一体構成で、全体に角が丸い。タンク上部に髭付きのFordマークがプレスで打ち出されている。コア前面の大きなマークは1911年まで。
・2番目(上右)は同じ真鍮製だがアッパータンクとコアの間が直線で分離されている。そのため肩の部分に角が出来た。上部の曲線も初期型より角度が強い。タンク上部にプレスで打ち出されたFordの文字は髭の無い普通のロゴに変わった。
・第3期(下左)はプレス・スチールの一体構造となり、容量が2ガロンから3ガロン(11.3リッター)に増えたためコアの面積が増え縦長となった。この時期からT型は黒1色となった。
・第4期(下右)はシェルが分割構造となり 容量の増加でやや縦長となった。下部にクランクハンドルの孔をカバーするエプロンがついた。


<T型・第1期>(1909-11)
(写真08-1ab) 1908 Ford Model T Touring (1983-07 インペリアル・パレス・コレクション/晴海)
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写真の車は1983年7月東京・晴海で開かれた「インペリアル・パレス・オート・コレクション」で撮影したものだ。これらはラスベガスのカジノに付属するコレクションで「博物館」と言うよりは「客寄せのための見世物」的存在で、車の価値より「アル・カポネ」のキャディラック」や、「ヒトラー」のメルセデスなど「誰々の乗った車」と言う肩書きが売りで、怪しげな車が多かったから、この時殆ど話題にも上がらなかったこの車が、本当に1908年製のオリジナルかは一寸疑っていた。しかし「T型最初のモデル」とはどこにも書いてなかったが、「2ペダル」と言う初期型を決定付ける記述があったので本物と確認した。初期の風よけのアイデアが面白い。

(写真09-1abc) 1909 Ford Model T Touring (1971-03 ハーラーズ・コレクション/晴海)
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「T型」が発表されたのは1908年3月だったが、発売されたのは10月からで、年内には309台しか造られなかったから「1908年型」で現存するものは極めて希だ。写真の車は1909年型ではあるが最初の1000台以内に造られた「2ペダル」の数少ない貴重なモデルである。

(写真09-2ab) 1909 Ford Model T Tourer (1999-01 トヨタ自動車博物館)
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「T型」は殆ど変化していない様に見えるが、1年経ったらガラス製のウィンドウシールドが出現した。運転席の床にペダルの為の切り込みが見えるが3本あるので、量産に入ってからの「3ペダル・モデル」だ。「T型」イコール「黑」のイメージが強いが、初期はずいぶん派手な塗装だった。

<T型・第2期>(1911-1917)
(写真11-1a) 1911 Ford Model T 3-passenger Roadster (1995-08 クリスティーズ・オークション)
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「T型」は大衆車ながら多種のボディが揃えられていた。この車は後部に乗り込めるような切り込みがあり、中央に1人用の椅子が微かに見える。ランブル・シートの初期の形と言える。正面のグリルにある大きな「Ford」のマークは1911年まで、とされているが、それ以降もしばしば登場する。

(写真11-2ab) 1911 Ford Model T 6-passenger Town Car (1998-08 クリスティーズ・オークション
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現代とは逆に箱型はオープンカーより値段が高く高級車だった。大衆車「T型」にも6人乗りの堂々たるタウンカーが存在した。後部の幌にはランドー・ジョイントが付いて居るので折りたたんでオープンに出来る。タウンカーの本来の目的はパーティーなどへ乗り付けるお洒落な車だが、まだ「セダン」が存在していなかった「T型」だから、それに代わる屋根つきの車としての存在だろう。値段は一番安いランナボートの680ドルに対して1,200ドルもした。

(写真12-1ab) 1912 Ford Model T Touring         (1982-06 河口湖自動車博物館)
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この車のプレートには[FT1912]と表示があり「Ford T型1912年型」と推定できる。1911年後期からはラジエターのアッパータンクと冷却用のコアの間を仕切るように横に1本ラインが入り、正面の大きな「Ford」のマークが無くなった。という事になっているのだがマークを入れている車はその後も続いているのでオプションで購入できたのかもしれない。写真の車は公式通りのグリルを持った車だ。

(写真13-1a)1913 Ford Model T Couprlet
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この車の外見で大きな変化は、去年まで付いて居たウインドシールの支柱が無くなった事だ。「T型」も少しずつ変化している。この車は幌に奥行きがあるので「ランナボート」や「ロードスター」ではなく「クーペレット」と呼ばれるタイプと推定した。

(写真13-2ab) 1913 Ford Model T Fore-Door Touring  (2016-10 千葉県立現代産業科学館)
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去年から運転席にドアが付いた。それまでも後席にドアのあるモデルはあったが、運転手は馬車時代の馭者並みの扱いだったから剥き出しだった。「前にドアが付いた」という意味で「Fore(まえ)」と言う字を当てたもので、「Four-Door(4扉)」の誤りではない。このあと「センター・ドア」と言う独自のスタイルも誕生している。余談ながら1923年ヘンリー・フォードの発案とされる「Fordor」と言う言葉が作られた。これはフォードにしか通用しない「造語」で、「Ford」と「Four-Door」を組み合わせ「4扉車」に付けた型式名だ。ついでに2扉車」には「Tudor」と言う言葉が用意された。ただしこの呼び方は「セダン」にのみ使用され、「クーペ」や「オープンタイプ」には使われなかった。

(写真13-3abc) 1913 Ford Model T (4-dr) Touring (2008-01 フォルクスワーゲン博物館/ドイツ)
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きっちり4つに区切られた、1つ目と3つ目がドアだ。よく見ると前扉は前ヒンジ、後扉は後ヒンジの観音開きだが,外側に把手(とって)は見当たらない。ウオルフスブルグの本社工場に併設されているVW博物館は、ビートルなど自社製品を年代別に展示してあるので、僕の様に街角で撮った車の年式に拘る人間にとっては、識別の難しいVWに多くの情報が得られたが、それ以外に傘下に収めた幾つものメーカーガ所有していたコレクションを多数所蔵していた。

(写真14-1abc) 1914 Ford Model T (4-dr) Touring (2004-06 フェスティバル・オブスピード)
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1914年前期型は前年型と大きな変化は無いが、塗装についてはこの年から「黑」が標準と決められた。それまで「赤」や「緑」が多かったが「黑」はフォードの指定色には入って居なかったというのも面白い現象だ。

(写真14-2abc)-1914 Ford Model T (4-dr) Touring (2012-04 トヨタ自動車博物館)
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この車も前項の車と同じで1914年前期型の特徴を備えている。

(写真14-3abc) 1914 Ford Model T (3-dr) Touring (2007-06 イギリス国立自動車博物館)
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この車は左ハンドルの英国製で、スペアタイヤを右サイドに吊り下げているタイプはアメリカ製では見られないスタイルだ。運転席のドアはあっても開けないが、蝶番が見えないのでドアは無いようだ。イギリスの高級車では、目的地に着いた際、助手が同乗していない場合は運転手がベンチシートを横滑りして左側に降り、後席のご主人様のドアを開ける、という事になるらしいが、この車でもそんな使い方が想定されていたのだろうか。この車は今までの車と違う大きな変化がある。それは前後のフェンダーで、それまで先端が水平で終わっていたのに対して、この車は曲線に変わって居る。

(写真15-1a) 1915 Ford Model T (4-dr) Touring (1990-01 JCCA汐留ミーティング)
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1915年からヘッドライトが電気式に変わったのが大きな変化だ。リアフェンダーは1914年から変わった曲線だが、フロントフェンダーの先端は1913年までの水平の下にべろが付いた2段の構成となっている。真っ赤な塗装は最近塗りなおしたものだろうが、この年は「黒」がオリジナル塗装では無かっただろうか。

(写真15-2ab) 1915-Ford Model T Center-Door Sedan       (2012-04 トヨタ自動車博物館)
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1914年後期型からは「ファイアーウオール」がそれまでの車幅一杯から、ボンネットより一寸大きいだけと小振りとなり、ボディまでの間を曲線の外皮で繋いでいる。センター・ドアと言う構造は、ドアの枚数を減らすエコノミータイプだが、丸いリアウインドもなかなかお洒落だ。箱型はシリーズの中でも一番高価だった。

<T型・第3期>(1917-1923)
(写真17-1ab) 1917 Ford Modl T Chassi (2012-04 トヨタ自動車博物館)
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此の個体はかつて神田の交通博物館に展示されていた物だそうだ。殆ど変更なしに19年間製造され続けた「T型」のシャシーは驚くほどシンプルだ。ガソリンタンクとエンジンの位置関係から、急坂で前上がりになったら燃料の供給不足になるという事が納得できる。
この年からラジエターが新しく変わった。


(写真18-01abc) 1918 Ford Model T Touring (2008-11 トヨタクラシックカー・フェスタ/神宮)
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1917年型は全く別の車に見えるほど大きく印象が変わった。旧態然としていた真鍮製のラジエター・シェルは、プレス成型された黒塗のスティール製に代わって一歩近代化が進んだ。それに伴ってボンネットも大きくなり、目立っていた「ファイアーウオール」が無くなってボディへとスムースな曲線でつながった。これらの変更はいわゆる「アンティーク」から脱却した近代自動車の仲間入りを果たした大きな変革だった。この年からセルフ・スターターが「T型」に装備された。1918年型は前年大きなモデル・チェンジの直後なので変更はない。フェンダーは直線が基準だった旧型と違って、なだらかな曲線で構成されているのが大きな違いだ。


(写真22-1a~e) 1922 Ford Model T Touring (2008-01 ドイツ博物館自動車館/ミュンヘン)
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「T型」は1920,21,22年の3年間は一括して説明されるほどに変化は無い。写真の車はさすがドイツの国立博物館だけに極めてオリジナル度の高いコンディションに保たれている。
ここを訪れた時「Deutsches Museum」と書かれた石造りの立派な建物で、入場券を買って中に入ったがなんか雰囲気がおかしい。ドイツの化学の進歩を示す数々の展示物はあるが自動車が見当たらない。聞けば自動車は数年前近くに別館を建て独立したとの事で入場料を返してもらったと言う苦い思い出がある。

(写真23-0ab) 1923 Ford Model TT Truck (2000-06 フェスティバル・オブスピード/イギリス)
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この車はトラック仕様の「TT型」だ。日本でも戦時中から戦後にかけて見られた「代用燃料車」で、ガソリンの代りに木炭を 蒸し焼きにして発生したガスで走るもので、そのための「窯」(かま)が見られるのは、イギリスでもガソリン不足になった第2次大戦当時改造された物だろう。

<T型・第4期>(1923-1927)
(写真23-1a~e) 1923 Ford Model T Roadster (1970-04 CCCJコンクールデレガンス/東京プリンスホテル)
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1923年には「T型」としては最後となるモデル・チェンジが行われた。ラジエターの容量が増えたため縦に長くなって、下部にクランク・ハンドルの穴があけられたエプロンが取り付けられた。この写真が1枚だけカラーなのは、まだ高価だったカラーフィルムを使い始めた頃で、1本だけ色見本的にカラーで撮っていた時代だ。そのお蔭で真っ赤な下半身と、ヘッドライトのトリムがしっかり写っている。特に目立つ真っ赤なコイル状のショックアブソーバーは、カタログモデルには無い物なので、後付けされたものだ。1917年からセルフ・スターターが装備されていたが、バッテリーの性能が低かった当時はクランク・ハンドルを回して手動で始動するのは当たり前で、戦後もかなりの時代までこのための「穴」だけは残っていたが、この当時はハンドルが装着されたままだった。最近はめったに見られないその光景を参考に掲載した。尚この車の年式は権威あるCCCJのコンクールで1921年とされていたが、今回誤りに気付いたので1923年と変更した。

(写真23-2abc)1923 Ford Model T 3dr Touring (1973-11 東京モーターショー/くるまのあゆみ展」
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この車は会場の表示では1916年型とされていたが、ラジエターの下部にクランクハンドルを貫通するエプロンが付いて居るので1923年と変更した。

(写真23-3ab) 1923 ford Model T Fire Engine (2008-01 シュパイヤー科学技術館/ドイツ)
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ここは鉄道、飛行機を含む乗り物全般が展示されているが特に消防自動車には特別力を入れており、特別コーナーに多数集められていた。現場に着いた時すぐに飛び降りる事が出来るように、シートが外向きに付いて居るのが面白い。

(写真24-1a-d) 1925 Ford Model T 3dr Touring (1962-01 1966-04 1973-11)
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この車はフォード系ディーラー「ニュー・エンパイア・モータース」が所有していた車で、昭和30年代の初め頃、青森県の弘前で発見されレストアされたものだ。東京の街で見ることの出来る「T型」はこの車しか無かったから色々なイベントによく顔を出すお馴染みだった。初めの頃は1925年型として紹介さていたが、エンジン・ナンバーから1924年9月製と判明した。「日本フォード」が設立されたには1925年2月の事なので、この車はアメリカ本国で製造されたものだ。発見された時はおそらくぼろぼろでフェンダーは原型を保って居なかったのだろう。造られてものはフロントフェンダーの後半が直線で、1915-16年頃の形に近いが、1924年型では直線部分は無く、緩やかな曲線でステップへと続くのが正しい。

(写真25-1a) 1925 Ford Model T Runabout
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これは我が家にある僕が数十年前に造ったプラモデルです。確か1/25の「モノグラム」だったと思います。

(写真25-2abc) 1925 Ford model T 3dr Touring      (1981-05 筑波サーキット)
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1925年と言う年は「T型」にとって最も低価格で車を提供した記念すべき年だ。その価格は実に「260ドル(ランナボート)」と言う破格の値段だった。今とは貨幣価値が違うので比較にはならないが、仮に1ドル100円で換算すれば26,000 円(桁違いではありません)となり、当時の賃金日当5ドルで割れば52日働けば買える値段だ。写真の車は最安値ではないが290ドルの3ドア ツーリングだ。ラジエターの下に着くエプロンは「黒」の他「銀色」や「クロームメッキ」が用意された。この年から一部にバンパー付の車が現れた。

(写真26-1abc)1926 Ford Model T Tudor (2009-11 トヨタ博物館クラシックカーフェスタ/神宮)
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普通は「2ドア・セダン」と呼ばれるタイプだが、フォードではこれを「Tudor」(テュードア)と呼んだ。元々は「4ドア・セダン」の事を、「Ford」と「Four-door」を合体させた新造語「Fordor」と名付けた際、それに合わせて造られたもので、単なる語呂合わせで生まれた言葉だ。

(写真26-2ab)1928 Ford Model T Roadster Pick-up (2009-11 トヨタ博物館クラシックカーフェスタ/神宮)
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ロードスターは座席部分のボディが短いから、後ろ半分が色々に利用できる。一つだけ座席を付けたランブルシート風にもなるが、この車は荷台を付けた「ピックアップ仕様」だ。

(写真27-1ab)1927 Ford Model T Touring (2007-04 トヨタ自動車博物館)
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「T型」は1927年5月で生産を終了したから、写真の車はその最終モデルのⅠ台だ。黒以外の色もワイヤー・ホイールもオプションで選ぶことが出来た。オープンの「ツーリング」タイプはもっとも人気のあったスタイルで。価格は380ドルだった。

(写真27-2ab)1927 Ford Model T Coupe (2012-04 トヨタ自動車博物館)
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この車もT型としては最終モデルとなった19827年型で愛い「クーペ」だが、クーペに関してはワイヤー・ホイールが標準で、木製はオプションで用意された。クーぺにはバンパーが装着されており、価格は485ドルだった。


< T型フォードをベースにしたスペシャル・レーサーたち>
T型をベースとしたスペシャルはアメリカのイベントでは沢山登場する。A型、B型が「ホットロッド」風に改造されるのに対してT型は「レーサー」に改造されるのが大部分だ。ここでまとめて一気にごご紹介する。

1911 Ford Model T Golden
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1915 Ford Model T Special
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( この写真には"車よりワシを見てくれ"というタイトルを付けました)

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1915 Ford Model T Special
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1922 Ford Speedster
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1922 Ford Model T Special
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1925 Fronty Ford Special
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1926 Ford Rajo Special
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年式不明 Ford Model T Hot-Rod
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・ヘンリー・フォードが残した功績の第一は、「大衆が自動車を所有できる環境を生み出した」事だろう。これによって、それまでは特権階級の贅沢だった「自動車」と言うものが、広大な土地に住むアメリカ人にとっては日常の生活に欠くことの出来ない「道具」と言う身近な存在となった。自動車で移動することは大袈裟に言えば距離と時間の短縮と言う2次元と4次元の世界に人類が踏み込んだ偉大な機械文明の幕開けと言うことが出来る。
・もう一つ、経営者として尊敬すべき重要な資質である。「大衆が誰でも持つ事の出来る自動車を」と言う信念を貫き通したことも偉いが、出来るだけ生産コストを抑えると決めた時、現代の多くの経営者は海外の安い人件費に目を付けた結果、国内の下請けの労働者は職を失う事になる。フォードがとった「同じモデルを長期間変更なしで製造する」という方針は「工場、工作機械など設備投資の節減」や「部品コストの低下」に加えて、ベルトコンベア方式の流れ作業を導入することで「作業能率の大幅な向上」によって値段を下げることに成功した。それによって莫大な利益を手にしたフォードは、それを私物化することなく「社会に還元する」方法を選んだ。その一つは「フォード」で働く労働者が対象で、1914年には1,000万ドルのボーナスを支給したうえ、それまで1日9時間労働で2ドル34セントだったものを、8時間で日当5ドルと言う破格な労働条件に改善した。一気に2倍近い収入を手にしたフォードの従業員とその家族はその分で地域の活性化に貢献した上、最も確実なフォードの購入見込み客となったのだ。


    ― 次回はA型、B型フォードの予定です ―

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第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

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第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

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第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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