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第62回 1948年型アメリカ車 – ビッグ3編
2017.9.27

 ビッグ3が発表した1948年型のほとんどが1947年型のキャリーオーバーか、わずかなフェイスリフトに限られていたが、GMのキャディラックとオールズモビルの98シリーズだけは戦後初のフルモデルチェンジをして登場した。
 下に1948年型のブランド別生産台数とシェア一覧を載せたが、米国といえども戦後の混乱から完全に回復しておらず、資材の不足や頻発するストライキなどによって、まだ売り手市場であったにもかかわらず、戦前の1941年型420万台+の生産台数までは回復していない。

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〈GMグループ〉
●シボレー

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1948年型シボレーはフロントグリルが小変更されたほかは1947年型とほとんど変わらないが、エンジンのメインベアリングを高精度の互換性のあるものに変更するなど、目に見えない改良が実施されていた。上の2台はフリートマスター・シリーズのサブシリーズであるフリートライン・シリーズで、右のエアロセダン(価格1434ドル)は1948年型シボレーのベストセラーモデルで21万台以上売れた。

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1948年型シボレーのラインアップ。フリートラインのほかに、左側の5台がフリートマスター・シリーズで、価格はクラブクーペの1381ドル~ステーションワゴンの2013ドルであった。右下の4台はスタイルマスター・シリーズで1244~1371ドルであった。全モデルともホイールベース116in(2946mm)のシャシーに216.5cid(3548cc)直列6気筒OHVの90馬力エンジン+3速MTを積む。

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これは、1948年のインディ500レースに、シボレーで初めてペースカーに選ばれたフリ-トマスター・カブリオレ。ドライバーはインディ500レースで3度優勝し、当時はスピードウエイの社長であったウイルバー・ショー(Wilbur Shaw)。

●ポンティアック

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ポンティアックも戦前からのボディーに少しずつ手を加えて使ってきたが、1948年型はその最後の年であり、フロントグリルとテールランプが変更されている。ラインアップはグリ-ンのセダンクーペ(1677ドル)と左側の一番上の4ドアセダン(1727ドル)、およびステーションワゴン(2364ドル)がストリームライナー・シリーズで、その他はトーピード・シリーズ(1500~1935ドル)である。価格は6気筒エンジン車のもので、全モデルに8気筒エンジン車もあり価格は47ドル高であった。フロントフェンダーにクロームのモールディングが付き、リアフェンダー前部にクロームのガードとフルホイールカバーを装着しているのはデラックスモデルで89ドル高であった。デラックスは内装も豪華な仕様となっていた。ホイールベースはストリームライナー・シリーズが122in(3099mm)、トーピード・シリーズは119in(3023mm)。エンジンは両シリーズ共通で、239.2cid(3920cc)直列6気筒90馬力と248.9cid(4079cc)直列8気筒104馬力が設定されていた。

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1948年型ポンティアック最大のトピックは4速AT「Hydra-Matic Drive」の採用であろう。全モデルに185ドルでオプション設定された。ATの装着率はストリームライナー・シリーズでは6気筒車が63.2%、8気筒車は80.0%、トーピード・シリーズでは6気筒車が51.4%、8気筒車は68.7%で、全モデルでは実に73.0%の顧客がATを選択している。

●オールズモビル

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1948年2月に「フューチュラミック オールズモビル」と名乗って登場した1948年型オールズモビル98シリーズは、戦後のビッグ3の中でキャディラックと共に真っ先にフルモデルチェンジしたクルマであった。モデルラインアップは、クラブセダン(上の赤いクルマ、2078ドル)、4ドアセダン(緑色のクルマ、2151ドルで1948年型オールズモビルのベストセラーモデルで3万8061台売れた)およびコンバーティブルクーペ(黄色のクルマ、2624ドル)の3モデルであった。セダン系の価格はベース価格であり、カタログに載ったデラックス仕様は2ドアが104ドル、4ドアは105ドル高であったが、98シリーズセダンの85%がデラックス仕様で販売されている。デラックス仕様にはデラックスステアリングホイール、前後のスペシャルフロアマット、時計、クロームのホイールトリムリング、後席のセンターアームレストなどが装備されていた。コンバーティブルはデラックス仕様のみで、油圧によるパワートップ、パワーウインドー、パワーシートが標準装備されていた。セダンにはパワーウインドーとパワーシートがオプション設定されていた。1948年型98シリーズの販売台数は6万5235台で、オールズモビルのなかで初めて98シリーズがベストセラーシリーズとなった。

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98シリーズはホイールベース125in(3175mm)のシャシーに257cid(4211cc)直列8気筒115馬力エンジン+3速MTを積み、1940年型からオプション設定されてきた「Hydra-Matic Drive」ATは175ドルで選択できた。オールズモビルの直列8気筒エンジンはこの年が最後で、翌年モデルからV8が採用される。

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1948年型オールズモビルにはフルモデルチェンジした98シリーズと共に、1947年型をキャリーオーバーしたホイールベース119in(3023mm)のダイナミック60シリーズ(上の5モデル、1609~2614ドル)とホイールベース125in(3175mm)のダイナミック70シリーズ(下の2モデル、1726/1801ドル)がラインアップされていた。それぞれのシリーズに6気筒エンジンを積んだ66および76シリーズ、8気筒エンジンを積んだ68および78シリーズがあり、更に、コンバーティブルを除くすべてにベースモデルとデラックスモデルが設定されていた。上記価格は6気筒のベースモデルのものであり、8気筒モデルは58~59ドル高、デラックスモデルは125~147ドル高であった。

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66/76シリーズには238cid(3900cc)6気筒100馬力エンジン、68/78シリーズには257cid(4211cc)直列8気筒110馬力エンジンが積まれていた。トランスミッションは3速MTが標準装備されていたが、オプションで「Hydra-Matic Drive」ATが選択可能であった。

●ビュイック

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1948年型ビュイックも1947年型とほとんど同じ状態で登場した。モデルラインアップはホイールベース129in(3277mm)のシリーズ70ロードマスター(2297~3433ドル)、ホイールベース124in(3150mm)のシリーズ50スーパー(1987~3127ドル)、ホイールベース121in(3073mm)のシリーズ40スペシャル(1735/1809ドル)の3シリーズ10モデルが設定されていた。

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1948年型ビュイックのエンジンはすべて直列8気筒で、シリーズ70は320.2cid(5247cc)150馬力、シリーズ50は248cid(4064cc)115馬力、シリーズ40には248cid 110馬力が積まれていた。トランスミッションは3速MTであったが、シリーズ70ロードマスターにはビュイックが開発した、トルクコンバーターを採用したAT「Dynaflow Drive 」が244ドルでオプション設定された。このATは戦時中、ビュイックが生産した「ヘルキャット」戦車に搭載されたATをベースに開発されたものである。

●キャディラック

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1948年型キャディラックはオールズモビルと共に、戦後、ビッグ3のなかで最も早くフルモデルチェンジしたブランドであった。上の赤いクルマはフリートウッド シリーズ60スペシャルで、ホイールベース133in(3378mm)のシャシーに346cid(5670cc)V型8気筒150馬力エンジンを積む。「Hydra-Matic Drive」ATは174ドルでオプション設定されていた。デザインの特徴としては、初めてテールフィンが登場し、リアフェンダー前部の垂直に立った空気取り入れ口(ダミー)、ビルトインタイプのリアバンパーなどがあげられるが、これは、ハーリー・アールをはじめ数人のデザインスタッフが、戦前、極秘裏にロッキードP-38ライトニング戦闘機を見る機会を得て、これにインスパイアされた作品だと言われる。シリーズ60の価格は3820ドルで、生産台数は6561台であった。
 下段の2台はホイールベース136in(3454mm)のフリートウッド シリーズ75で、少量生産のため1941年型で登場したモデルをマイナーチェンジして継続生産された。フルモデルチェンジは1950年型まで待たねばならなかった。基本のモデルバリエーションは5種類あり、価格は4679~5199ドルで、生産台数は1260台で、他にシャシーが2台生産されている。更にシリーズ75には救急車、霊柩車などのボディーを架装するためにホイールベース163in(4140mm)のコマーシャルシャシーがあり、2067台生産された。

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フルモデルチェンジした1948年型キャディラックにはシリーズ60の他に、シリーズ61のクーペ(2728ドル)とセダン(2833ドル)、およびシリーズ62のクーペ(2912ドル)、セダン(2996ドル)とコンバーティブル(3442ドル)がラインアップされていた。両シリーズともホイールベースは126in(3200mm)でエンジンはシリーズ60/75と同じ346cid V型8気筒150馬力であった。シリーズ62にはフロントストンガード、サイドシルおよびテールランプの下に3本のスパークリングフィンが付くので識別できる。コンバーティブルには油圧によるパワートップが装備され、コンバーティブル、シリーズ60および75には油圧によるパワーウインドーが標準装備されていた。生産台数はシリーズ61が8602台+シャシーが1台、シリーズ62は3万4211台+シャシーが2台。ベストセラーモデルはシリーズ62の4ドアセダンで2万3997台であった。

〈フォードグループ〉
フォードグループの1948年型フォード、マーキュリーおよびリンカーンはすべて1949年型でフルモデルチェンジを行うため、すべて1947年型のキャリーオーバーであった。

●フォード

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「The Saturday Evening Post」誌に載った1948年型フォードの広告。当時、フォードがスポンサーとなっていた人気コメディー番組「The Fred Allen Show」の中の「Allen's Alley(アレンの小路)」に登場した1948年型フォード コンバーティブルを描いたもの。1948年型フォードはホイールベース114in(2896mm)のシャシーに226cid(3703cc)直列6気筒95馬力エンジンを積んだ6シリーズ(1154~1893ドル)と、239.4cid(3923cc)V型8気筒100馬力を積んだV8シリーズ(1230~1972ドル、ウッディータイプのスポーツマンコンバーティブルは別格で2282ドル)が設定されていた。価格は1947年型と同じであった。1948年型フォードは1947年11月発売され、1948年6月にはフルモデルチェンジした1949年型が登場したので生産台数は25万台弱と極端に少なく、シボレー、プリムスに抜かれ、4位のダッジには僅差で勝ったが3位に甘んじている。

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1948年には米国の自動車メーカーが若者の事故を減らす目的で、ドライバー教育のためにハイスクールに1000台以上の教習車を寄付している。上の4点はおそらくその活動の一環としてフォードから発行されたと思われる「HOW TO BE AN EXPERT DRIVER」と題する20頁の冊子。監修したのはフォードのアル・エスパーというチーフテストドライバーで、マンガによってエキスパートドライバーになるための心得、運転のイロハについて懇切丁寧に解説している。

●マーキュリー

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1948年型マーキュリーの広告。コピーは「More of everything you want with Mercury」。スタイル、快適さ、乗心地、経済性などすべてにおいて期待以上だと訴求している。ホイールベース118in(2997mm)のシャシーにフォードと同じ239.4cid(3923cc)V型8気筒100馬力エンジン+3速MTを積む。モデルバリエーションは2ドアセダン(1645ドル)、4ドアセダン(1660ドル)、コンバーティブル(2002ドル)、ステーションワゴン(2207ドル)で価格は1947年型と同じであった。販売期間は1947年11月~1948年3月までと短く、販売台数も5万268台と少なく、順位も前年の13位から16位に後退している。

●リンカーン

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1948年型リンカーン コンチネンタル クーペ(4662ドル、販売台数847台)とカブリオレ(4746ドル、販売台数452台)の広告。販売期間は1947年11月~1948年4月までと短く、1947年型のキャリーオーバーであり、価格も1947年型と同じであった。コンチネンタルの他にリンカーン4ドアセダン、2ドアクーペ、コンバーティブルがあり、価格は2533~3142ドルであった。全モデルともホイールベース125in(3175mm)のシャシーに292cid(4785cc)V型12気筒125馬力エンジン+3速MTを積み、オーバードライブがオプション設定されていた。V型12気筒エンジン最後の年であり、コンチネンタルも1955年にコンチネンタルMark Ⅱ登場までの間カタログから落とされる。

〈クライスラーグループ〉
クライスラーグループの1948年型プリムス、ダッジ、デソート、クライスラーは1946年型を変更せず販売してきた。そして、1948年12月には1949年型ファーストシリーズとして1949年春まで販売が継続された。

●プリムス

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1948年型プリムスはデラックス・シリーズとスペシャルデラックス・シリーズで構成され、上の4モデルはデラックス・シリーズで価格は1346~1441ドル。クルマは前年モデルと変わらなかったが、価格は207~227ドル値上げされている。ホイールベース117in(2972mm)のシャシーに217.8cid(3569cc)直列6気筒95馬力エンジン+3速MTを積む。

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上の6モデルは1948年型プリムス スペシャルデラックス・シリーズ。価格は1440~2068ドルで前年モデルより231~303ドル値上げされている。シャシーとエンジンはデラックス・シリーズと同じ。この頃は1946年型以来モデルチェンジせず、値上げを繰り返しても売れる売り手市場であった。

●ダッジ

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1948年型ダッジはデラックス・シリーズ3モデル(1587~1718ドル)とカスタム・シリーズ5モデル(1774~2189ドル)がラインアップされていた。ダッジも1947年型に比べて240~318ドル(17~18%)値上げされている。ホイールベース119.5in(3035mm)、カスタムの7人乗りセダンのみ137.5in(3492mm)のシャシーに230cid(3769cc)直列6気筒102馬力エンジン+3速MTを積み、フルードカップリングと油圧による自動シフト装置を備えた4速MTを組み合わせた「Fluid Drive」がオプション設定されていた。広告には「Lowest Priced Car with Fluid Drive」とある。 

●デソート

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1948年型デソートはデラックス・シリーズ4モデル(1699~1825ドル)とカスタム・シリーズ7モデル(1860~2631ドル)がラインアップされていた。デソートも1946年型以来のキャリーオーバーであったが、価格は前年より15~18%値上げされている。ホイールベース121.5in(3086mm)、カスタムの7/9人乗りセダンのみ139.5in(3543mm)のシャシーに236.6cid(3877cc)直列6気筒109馬力エンジン+3速MTを積み、「Fluid Drive」が121ドルでオプション設定されていた。この広告はカナダで発行されたもので「Fluid Drive」を積極的に訴求している。

●クライスラー
クライスラーのモデルラインアップは豊富であり、1948年型も1946年型以来ずっとモデルチェンジされていないが、ホイールベース(WB)121.5in(3086mm)(8人乗りは139.5in〈3543mm〉)のロイヤル・シリーズ(1819~2506ドル)およびウインザー・シリーズ(1884~2561ドル)、WB127.5in(3238mm)のサラトガ・シリーズ(2165~2291ドル)およびニューヨーカー・シリーズ(2285~2815ドル)、タウン&カントリーセダン(WB121.5in、2860ドル)およびコンバーティブル(WB127.5in、3420ドル)、WB145.5in(3696mm)のクラウンインペリアル・シリーズセダン(4662ドル)およびリムジン(4767ドル)がカタログモデルとして設定されていた。価格は他のクライスラー系ブランド同様、前年モデルより18%前後値上げされていた。エンジンはロイヤル、ウインザーとタウン&カントリーセダンには250.6cid(4107cc)直列6気筒114馬力、その他のモデルには323.5cid(5301cc)直列8気筒135馬力が積まれた。サラトガ、ニューヨーカーおよびクラウンインペリアルには「Fluid Drive」が標準装備されていた。

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上の3点はクラウンインペリアルセダンのカタログ。ホイールベース145.5in(3696mm)のシャシーに323.5cid(5301cc)直列8気筒135馬力を積む。価格は4662ドルであった。

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「埃っぽい工場を想像するでしょうが、(この広告を見たら)よりスムーズにクルマを運転することができるでしょう」と「自動車工場の中の主婦の天国」のコピーを付けたクライスラー社の広告。「Fluid Drive」を組み立てるクリーンルームを紹介したもので、戦時中は男子が兵役に就いたため、女性が工場で大活躍したが、戦勝後3年が経過しても主婦たちが工場で活躍していた様子が分かる広告である。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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