三樹書房
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第51回 D項-4 デイムラー(英)
2017.2.27

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1932 Daimler Double Six (デイムラーの象徴 波型のラジエター)


僕が最初に「Daimler」(デイムラー)と言う名前の自動車を知ったのは,本家ドイツではなく、イギリスの車としてだった。戦後日本を占領していた連合軍の中で、英連邦軍総司令官ロバートソン中将の車が1934年の「デイムラー・ストレート・エイト」でエリザベス女王の祖母メリー皇太后の乗用車だったものが下賜された、と言う記事が僕の、唯一の情報源だった自動車雑誌に載っていたからだ。当時はあの「メルセデス・ベンツ」が「ダイムラー」と「ベンツ」が合併して出来たこともまだ知らなかったが、このイギリスの「デイムラー」は、その「ダイムラー」が造った4サイクルエンジンの可能性に目を付けたドイツ生まれのイギリス人「フレデリック・リチャード・シムス」が、英連邦内で独占権を得るため1893年ロンドンに設立した「ブリティッシュ・モーター・シンジケート社」が出発点だった。ダイムラー・エンジンのライセンスで生産を始めた目的はモーターボート用としてだった。なぜ自動車でなくモーターボートだったのかと言うと、当時のイギリスには「赤旗法」と言う自動車を危険物とみなす法律があって、自動車の前を赤旗を持った人が先導することが義務付けられていたからだが、この法律が廃止されると1896年2月にはコベントリーに工場を移し社名を「デイムラー・モーター・カンパニー」と変更して自動車との係わりが始まる。最初の2年間は本家ドイツの「ダイムラー」を輸入販売していたが3年目からはエンジン以外は英国独自の発展を続け、(と言っても初めはほとんどがフランスの「プジョー」のコピーだった)徐々に高級車としての地位を築いて行った。この会社の変遷は, (1893~1960) 「デイムラー」→(1960~66)「ジャガー」→(1966~89)「BMH」・「BMLC」・「ブリティッシュ・レイランド」→(1989~2008)「フォード」→(2008~ )「タタ・モータース(インド)だが、「タタ・モータース」から「デイムラー・ブランド」は発売されてはいない。

(写真99-1abc)1899 Daimler 12hp (2004-06 英国国立自動車博物館/ビューリー)
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4気筒3253cc 最高速度30mph(48km/h)
イギリスの「デイムラー」社が設立されたのが1896年で最初の2年間は輸入販売だった、という事は1899年製のこの車は「デイムラー」の最初のモデル、という事になる筈だが案内板にそのことは触れられてはいなかった。その代り全英国車の中で最初に外国のレースに参加した車でパリ~オステンド間のイベントでツーリンカー・クラスで3位となった事、又当時の皇太子(後のエドワード7世)が初めてドライブした車の一台だったとも書かれていた。そのお蔭か、1900年には「デイムラー・6HP フェートン」が王室初の御料車として指定を受け(指定を受けた時期については1999~02年、車も22hpと諸説あり)その後50年以上も王室御用達としての名誉を守り続けた。因みにこの牙城を切り崩したのはエリザベス女王用の1955年「ロールスロイス・ファントムⅣ」だった。

(写真03-1ab)1903 Daimler 22hp     (2007-06 英国国立自動車博物館/ビューリー)
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4気筒 4503cc 最高速度45mph (72km/h)
剥き出しの管状ラジエターはダイムラーを始め20世紀初期の自動車の典型的なスタイルだった。しかし1904年ダイムラーが造り出した枠を持ったラジエターの出現によって間もなく姿を消すことになる。駆動方法は当時の車と同じようにまだチエン・ドライブで、比較的高価なデイムラーでさえ天候に対しては全く無防備だった。イギリスでは歴史的悪法「赤旗令」の廃止を祝って「ロンドン~ブライトン・ラン」と言うイベントが1896年11月から始まった。参加資格は1905年までに製造されたベテラン・カーに限られ、約100キロを時速30キロ以下で走るものだが、この車もこのイベントの常連として参加している。

(写真12-01ab) 1912 Daimler TE20 (2003-02 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
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4気筒 3366cc 60kn/h
前項が1903年型で、グリルが付いたのが1904年とされるので、この間10年近く空いてしまったが、すっかり自動車らしくなった。1912年と言う年は奇しくも日本の皇室で最初の御料車として大正天皇のため「デイムラー」を購入した年でもある。ヨーロッパに渡った調査団はドイツのメルセデス、イタリアのフィアット、と比較検討の結果イギリスの「デイムラー」を選び2台の購入を決めた。何れも6気筒で、1号車は57.2hpの7人乗りリムジン、2号車は38.4hpの7人乗りランドレー(後席の屋根が幌でパレード用)だった。日英同盟以来、日本の皇室は英国の王室に対して親近感を持たれていた事もあってか、1号車は英国のジョージ5世と全く同じ物だったという。残された御料車の写真によると、本項の車は窓の大きさ、数、ボンネットの低さなど、外見の印象が殆ど同じだった。

(写真20-1ab) 1920 Daimler Type45      (2007-04 トヨタ自動車博物館)
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6気筒 7413cc 65hp
前項の1912年型から8年も経っているが、外見から受ける印象は殆ど変らない。この保守的な方針は当時のデイムラーの行き方であり、それを受け入れる社会があった。変化よりも安定、効率よりも静粛性と、旧態然としたシャシーに、スペシャル・コーチビルダーによる豪華なボディを載せることでステイタスを保つことになるのだが、そのボディーはまだ馬車の面影が残っている。


(写真26-1ab)1926 Daimler Barker Salon Cabriolet (91-03 ワールド・ヴィンテージカー・展示会/幕張)
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インドのマハラジャ「ギューラブ・シン」は即位を祝って、当時の宗主国イギリス王室に倣って「デイムラー」を購入した。インドはイギリスの植民地とはいえ、マハラジャの財力は莫大なもので、この車は第一級のコーチビルダー「バーカー社」でツーリング・ボディが架装されたが、外板は洋銀で覆われ、大蛇のホーンや女神のマスコットが付けられ、ラジエター正面にはイニシャル「G・S」をアレンジしたオーナメントが付いている。写真では判らないが昇降式ウインドウが2重に付いており、透明ガラスの他に、同乗する女性を人目から隠すためスモークガラスも備えられているらしい。同乗する召使には外のランニングボードに簡単な取り外し式の椅子が用意された。この車が1970年代に発見された時は4頭の象によって運び出されたという伝説が残っている。

 
(写真27-1ab) 1927 Daimler TL340  (2010-07 英国国立自動車博物館/ビューリー)
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デイムラーを使ったビール会社の宣伝カーだが、なんで高級車の「デイムラー」が使われたかと言うと、このビール醸造所が「英国王室御用達」だったからで、英国民なら誰でも知っている(筈の)御料車と同じメーカーの車を使ったのだろう。

(写真31-1a~e) 1931 Daimler Double Six (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード)
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1926年デビューした「ダブルシックス・シリーズ」は1930年代初めにかけて活躍したエンジンで、6気筒スリーブ・エンジンをV型に組み合わせたもので30hpから50hpまで5種類あった。一番大きい50hpは7136cc で実質150hp程度の出力があり、極めて静粛でスムースと言われた。これは大きく重いリムジン・ボディを載せる宿命の「デイムラー」にとっては強い味方となったが、このエンジンを使って「デイムラー」にとっては全く規格外の「スポーツカー」が造られた。このことは「デイムラー」の長い歴史上例外中の例外で、シャシーは最大の50hpダブルシックス用が使われ、ブルックランズのトムソン&テイラー工場で少数が造られた。車高を下げるため前後共にアンースラングが採用され低く長いボディが完成した。ボンネットの高さは僅か107センチに抑えられたが、リムジン用のシャシーは150インチ(3810ミリ)もあり、写真で見るようにボンネットは長く典型的なスポーツカーのプロポーションではあるが、到底スポーティな取り回しは無理だっただろう。同じように大型だった「ベントレー」と違ってレースで活躍したという記録は残っていない.

(写真32-1a~f)1932 Daimler Double Six Martin Walter Sports Saloon(1999-08 ペブルビーチ)
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こちらは本来の目的に沿って造られたダブル・シックスの堂々たるスポーツ・サルーンで、お約束通り「マーチン・ウオルター」というコーチビルダーで、リムジンより小振りで引き締まったボディが架装されている。リアのトランクの蓋の裏には素晴らしい工具が備えられていた。

(写真49-1ab)1949-53 Daimler DB18 Consort Saloon (1960年 銀座)
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DB18シリーズは戦前の1939年から続く過渡的モデルで、外観は「メルセデス・ベンツ」の220シリーズ(1951-55))にも共通点が多い。 直6 OHV 2522cc 生産台数4250台
ここからは戦後に入り、僕の体験と同時進行となるのでモノクロ写真が続く。この当時は常にカメラを持ち歩いていたから、見つけた獲物は残らず鹵獲したが、この写真の様に夜間の場合は厳しい。フィルムの感度はIso100~200程度でレンズがF3.5だと、手持ちの限界25分の1秒では、かなり露出不足だがとにかくシャッターを切る。現像液は増感用の強力なものを使い、時間を多めにして少しでも映像を濃くする努力をしてもこの程度だ。印画紙に焼き付ける場合はこのくらい濃度の低いネガでは露光時間と現像時間が微妙でなかなか満足できる調子が出せない。しかしデジタル加工が可能となった今では何とかこの程度まで補正できた。

(写真53-1a~d) 1953 Daimler Straight Eight Limousine (1961-12 港区三田/桜田通り)
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この車は1953年、当時の皇太子殿下がエリザベス女王の戴冠式のため訪英された際購入されたものだ。だがこの車の購入にはいろいろの事情が絡んでいた。まず当時の御料車のラインアップだが、戦前1932年4台、1934年3台購入されたメルセデス・ベンツ770グロッサーは1台が空襲で焼失、2台が部品取りでリタイヤし、出動可能は4台、その他に1950年キャディラック75リムジンがあったが、これはグレーの塗装でフォーマル以外、例えば大相撲観戦などに使用された。だから老朽化しつつあるベンツの後継車を物色中であった。そこで日英親善と、より英国王室との近親感を深めようという狙いも含め、滞英中のお車には王室御用達の「デイムラー」が選ばれた。第三者的に見れば御料車としての格式も備えた良い選択だと思うが、「数百万もする高級車は贅沢である」と思う人もいて、世間の風評は冷たかった。皇室・宮内庁では国民の感情に配慮され、皇太子殿下御帰朝の際使用する予定を変更し、宮内庁の車庫に直行しばらくは門外不出となり、そのため殿下はオープンのパッカードを使用された。そんな生い立ちからこの車には悲運が付きまとう。御料車としても中途半端な取り扱いで滅多に外に出る機会は無かったようだ。その理由としてこの車のシフトが一寸特殊なプリセレクター式で、この取り扱いに運転手が不慣れだったのでは、と言う説もあるが、そんな我儘ゆるされるの? とにかく僕は滅多に外出しないこの車に出会ったからラッキーだった。場所は三田の慶応大学付近の桜田通りで、羽田空港へお迎えに行ったようだが、前後の付随車が略式なのであまり偉い人では無さそうだ。この時はすでにロールス・ロイスも就任して居たが、それを使わなかったという事はこの車が格落ち扱いで出番が回ってきたのだとしたら悲しい。後年、出番の無かったこの車は特別車(一般でいう霊柩車)として車体後部をワゴン風に改装された。しかし昭和天皇は御長命で有られた為、実際に昭和天皇の棺を八王子の御陵までお送りしたのは後任の「ニッサン・ロイヤル」の特別車だった。と最後まで悲運の車だった。

(写真53-2abc)1953 Daimler Straight Eight Limousine (1965-11 CCCJコンクール・デレガンス)
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この車は皇太子殿下が1953年エリザベス女王の戴冠式に参列した際購入し、「⑦御料車」となった車と同じモデルで、ヘッドライトだけはこちらの方が立派だ。前項でも触れたように皇室の御料車は老朽化が進んでおり、そろそろ後任を検討する時期が来ているのを見越して輸入された車だ。「御料車」が遠方へ行幸する際は必ず予備車が随行する、という事は宮内庁では2~3台を確保しなければならない。英国車の輸入デーラー「日英自動車」の子会社「キングレーモータース」は、英国の「デイムラー・ランチェスター」社の日本総代理店で、1952年末ようやく外貨割り当てを獲得したが、その裏には通産・大蔵両省の「御料車候補」として輸入するという配慮があったと思われる。(当時外貨の少ない日本では、厳しい輸入制限があった)だから同じ物を2台輸入したのだが、「御料車」となった1台目すら門外不出で身を潜めている状態では、その上さらに2台売り込むのは不可能だった。その後長い間民間の購入先を探すもなかなか決まらず苦戦したようだが、それでも何とかお嫁入り先が決まりしばらくは社長のお伴でお役目を果たしたようだ。約20年経った1970年代初めにはお役目を終え2台ともクラシックカー・クラブの初代会長浜徳太郎氏の下に引き取られ余生を送っていた。その内の1台は、力士から実業家に変身し、大谷重工業やホテル・ニューオータニを創立した富山県出身の大谷米太郎氏の下にあった車で、現在「日本自動車博物館」に展示されている。


(写真53-3abc) 1953 Daimler Conquest Saloon  (1960-01 東京駅 駅前駐車場)
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直6 OHV 2433cc 生産台数4568台
同じ高級車でも「ロールスロイス」は「小型」は造ったが「安い」車は造らなかった。しかし「デイムラー」は1920年代から王室御用達の8.5リッターをトップに下は1.5リッター迄幅広く品揃えがあり、大型車の4分の1くらいの価格で購入できたから、(と言ってもオースチン・セブンの3倍はした)決して安くはないが中産階級にも手が届くところに「デイムラー」があれば、貴族趣味の英国人にとっては魅力な存在であったことは間違えない。戦後もこの方針は変わらず2.5リッター・クラスの中級車が造られ「BD18」に続いて「コンケスト」が誕生した。しかしこのお手軽な中型車も大量生産はされず、「デイムラー」の各シリーズはいずれも4桁止まりで1万は超えなかった。場所は東京駅八重洲口の駐車場で、車の前には大丸百貨店の入口が見える。


(写真54-1a) 1954 Daimler RegencyLimousine (DF302) by Hooper (2002-01 フランス国立自動車博物館
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直6 OHV 2952cc 生産台数52台 最高速度140マイル(224km)とあったが140キロの間違えだろう。
3リッターは「デイムラー」の中では下のクラスだが、世間一般には立派な中の上、それなりの人が乗ってもおかしくないステータスの車だ。だから写真の車もイギリスでもリムジンを造らせたら右に出るものは無いと言われる名門「フーパー」の特徴である,流れるように裾を引いたレザーエッジのボディを持って居る。


(写真55-1a~f)1955 Daimler One-O-Four Saloon   (1959年 羽田空港駐車場/銀座)
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直6 OHV 3468cc 137hp 生産台数561台
他のシリーズとは一寸変わった「One-O-Four」と言う名前は、シボレー流に描けば「104」という事になるが、このネーミングの由来は僕には判らない。外見は「デイムラー」伝統のフロントフェンダーを斜めに流してリアに繋がるスタイルでエッジの無い丸い感じだ。場所は羽田空港だが別の機会に銀座でも同じ車に出会っている。リア・トランクに「Daimler England」と入っているが、これはデイムラーにとって初めての事と思われる。それまでは前後左右どこを見ても、「Daimler」の文字は見つからなかった。唯一身分の証は、そのラジエターグリルに上部が波型のシェル状に加工されていることがすべてだった。(この溝はFlutedと呼ばれ日本語では「縦溝流し」と訳される)それと言うのもデイムラーには1900年から「英国王室御用達」の誇りがあり、名前なんぞ入れなくても英国民は皆判っている筈という自負があったのだろう。だから改めてこの車にネーミングを入れたり車名のプレートを付けたのはアメリカ輸出を考えての事だったのかもしれないが、実際に造られたのは600台にも満たなかったから外貨獲得にはあまり貢献したとは思えない。


(写真58-1a~d) 1958-62 Daimler Majestic saloon (1966-07 日本自動車裏/赤坂溜池) 
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直6 OHV 3794cc 生産台数1490台
「One-O-Four」の後継モデルとして排気量を上げた「マジェスティック」が登場した。3.8リッターとなるとリムジン級を除けば最上位で、大きさから言っても黒塗りで、運転手つきが普通だが、この車は下がシルバー、上がマルーンの2トーンに塗り分けられている。そのため今まで見てきた重厚で格式高いイメージの「デイムラー」と違って、明るく軽快な印象を受けた。僕の記憶ではイギリスの高級車の塗り分けはフェンダーを含めた下が濃色で、上部は淡色が常識だったがこれは逆だった。場所は赤坂溜池の「日本自動車」の裏道で、表通りのショールームとは違って何が停まっているか予想のつかない楽しみがあった。


(写真58-1abc) 1958 Daimler Majestic Saloon (1961-03 横浜・シルクホテル駐車場)
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こちらは同じ「マジェスティック」でもオーソドックスな黒一色の車だ。場所は横浜・山下公園近くのシルクホテルの駐車場で、車の前は日本航空 横浜営業所だ。

(写真59-1ab)1959-64 Daimler SP250 Sport 2-seater (1994-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
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V8 OHV 2548cc 生産台数2645台
1959年「デイムラー」としては初めての本格的な2シーター・スポーツカーが登場した。V8エンジンの採用も初めての事だ。1950年代から60年代にかけての英国は「AC」を始め「オースチン・ヒーレー」「アラード」「フレーザー・ナッシュ」「ジネッタ」「ジャガー」「リー・フランシス」「ロータス」「マーコス」「MG」「モーガン」「ライレー」「シンガー」「サンビーム」「トライアンフ」と数えればきりがないほどのメーカーが存在する世界一のスポーツカー王国だった。それぞれがアメリカ輸出の実績を上げていたから、「デイムラー」がこの世界に関心をもつ事は当然で、スタイルも十分アメリカを意識した軽快なものだった。残念ながら現役時代 日本には正規輸入はされなかったようで、国内に入った車は殆ど捉えた僕の網にもついにかからなかった。写真は1994年イタリアに遠征した際ミッレ・ミリアの車検場近くで初めて撮影したものだ。

(写真59-2abc)1959-64 Daimler SP250 Sport 2-seater (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード)
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こちらも前と同じ「SP 250」で、毎年6月頃、イギリス・サセックスのグッドウッドにあるマーチ卿の広大な荘園で開催される「フェスティバル・オブ・スピード」に参加した時のものだ。このお屋敷の全貌は把握していないが、敷地内に「ヒルクライム・コース」「サーキット・レースコース」「ゴルフ場」「飛行場」「競馬場」「ホテル」などがある。問題なのは敷地が広すぎるため駐車場から会場までやたらと遠い事だ。当日は英空軍のアクロバット・チーム「The Red Arrows」のスタントによる航空ショーなども催される3日続きの楽しい祭典だ。車の正面には「Daimler」と「V8」のバッジが入っているが、スポーツカーで横長になったラジエター・グリルの上部には伝統の波型の襞(凸凹)が入っている。これこそ「デイムラー」の伝統と誇りのシンボルだが、最初の目的はフィンによる冷却効果を狙った物といわれる。

(写真62-1a~d) 1962-69 Daimler 2.5Littre V8 250 Saloon    (1964-11 豊島園)
62-1a (114-24) 1962-69 Daimler 2.5 LiterV8 250 Saloon.jpg

62-1b (114-25) 1962-69 Daimler 2.5Litre V8 250 Saloon.jpg

62-1c (114-26) 1962-69 Daimler 2.5LitreV8 250 Saloon.jpg

62-1d (114-28) 1962-69 Daimler 2.5Litre V8 250 Saloon.jpg
1960年「デイムラー」は「ジャガー」に吸収されたが、当時造っていた「SP250]や「マジェスティック」はそのまま製造が続けられ、その後デイムラーの工場でジャガーも製造するようになった。1962年には「ジャガー・MkⅡサルーン」をそっくり頂いて、それにSP 250 と同じ V8 2548ccエンジンを載せ、ラジエター・グリルの上部を伝統の波型に変えた「デイムラー2.5リッターV8 250 サルーン」が誕生した。僕はずっとこの二つは、グリルが違うだけと思っていたが、エンジンが全く別物だった。
(デイムラー)V8 OHV 2548cc  生産台数17,620台
(ジャガー) 直6 DOHC 2483cc 横から見ればジャガーとデイムラーは全く見分けがつかない。


(写真70-1a~d)1970 Daimler Sovereign sr.1 4dr Saloon  (1969-11 第10回東京オートショー)
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直6 DOHC 4235cc 生産台数11,620台
この頃になると、合理化が進み、エンジンは「ジャガー」と同じ、と言うよりはグリル以外は同じになった。だから写真の「デイムラー・ソブリン・シリーズ1」は「ジャガー・420G」と双子の車だ。


(写真72-1abc)1972 Daimler Sovereign 4.2 (2015-11 トヨタ博物館クラシックカーフェスティバル)
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写真の車は前と同じ「ソブリン・シリーズ1」で、このシリーズは1969年から73年まで続いた。同じ「シリーズ1」だが途中からジャガーの「XJ-6」の双子車なってグリルが縦長から少し横長に変わった。

(写真79-1ab) 1979 Daimler Double-Six Ⅲ 4dr Saloon (1990-03 青山霊園付近/西麻布2丁目)
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V12 OHC 5343cc
久々に復活したV12気筒の「ダブルシックス」シリーズで、リムジンは存在しないから最上位にある車だ。1972-73 の「シリーズ1」、73-78年の「シリーズ2」に続く「シリーズ3」で、「ジャガーXJ12 シリーズ3」と双子車にあたる。場所は港区で、青山墓地に隣接した外苑西通りで撮影した。

― 地味な車が続いたので次回は真っ赤で派手なイタリア車「デトマソ」です ―

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第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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