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第55回 ナッシュヒーレー&ハドソンイタリア
2017.2.27

 今回は戦後のアメリカ車のなかで、英国のドナルドヒーレーモーター社(Donald Healey Motor Co. Ltd.)とタイアップしてナッシュ・ケルビネーター社(Nash-Kelvinator Corp.)から真っ先に発売されたスポーツカー「ナッシュヒーレー」およびイタリアのカロッツェリアツーリング(Carrozzeria Touring)製ボディーをまとってハドソンモーターカー社(Hudson Motor Car Co.)からごく少量発売された「ハドソンイタリア」について紹介する。なお、ナッシュとハドソンは合併して、1954年5月1日にアメリカンモーターズ社(AMC:American Motors Corp.)が誕生した。

◆ナッシュヒーレー

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これはおそらくナッシュヒーレー最初のカタログ(シート)ではないだろうか。1950年のルマンに出場したプロトタイプが3位のアラード(キャディラックのエンジンを搭載)に僅差で4位となったことを誇示している(1952年のルマンではクラス優勝、総合3位を獲得している)。発表は1951年2月16日であった。

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上の3点は1951年型ナッシュヒーレーのカタログ。シャシーはヒーレー製でフロントサスペンションはヒ―レー社が特許を持っていた「トレーリング・リンク・コイルスプリングサスペンション」、リアはコイルスプリングのリジッドであった。エンジンはナッシュアンバサダー用234.8cid(3848cc)OHV直列6気筒の圧縮比7.3:1を8.0:1に高め、SUツインキャブレターを装着した125馬力/4000rpmで、トランスミッションは3速MT+自動オーバードライブを積む。ボディーはアルミニューム製で英国バーミンガムのパネルクラフト社(Panelcraft Sheetmetal Co. Ltd.)で組み立てられた。サイズはホイールベース102in(2591mm)、全長170in(4318mm)、全幅60in(1524mm)、車両重量2400lb(1088kg)。最高速度は125mile/h(201km/h)に達した。価格は4063ドルで生産台数は104台。生産は1951年3月で終了し、ピニンファリナボディーへの切り替え準備に入っている。

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上の2点は1951年型のオーナーズマニュアルの表紙とインスト周り。

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1952年2月に開催されたシカゴ・オートモビルショーで発表されたピニンファリナボディーのナッシュヒーレー。これは1953年型の広告。イタリアのピニンファリナでデザインされハンドメイドされたボディーに一新された。エンジンは252.6cid(4139cc)140馬力に強化され(但し、生産初期には234.8cidエンジンを積んだ個体もある)、ホイールベース102in(2591mm)は変わらないが、全長170.75in(4337mm)、全高は48.65in(1236mm)、全幅は4in広がり64in(1626mm)となった。1952年型は5868ドルで、生産台数は150台(コンバーティブルのみ)であった。

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上の3点は1953年のシカゴ・オートモビルショーで追加発表された「ナッシュヒーレー・ルマンハードトップ」が載った1953年型のカタログ。ハードトップのボディーもピニンファリナ製で、サイズはホイールベースがコンバーティブルより6in長い108in(2743mm)、全長は10inほど長い180.5in(4585mm)、全高は6inほど高く55in(1397mm)、全幅は2in弱広がり65.87in(1673mm)であった。価格はコンバーティブルより490ドル高く6399ドル。1953年型コンバーティブルの価格は5909ドルで、生産台数はコンバーティブル100台、ハードトップ62台、合計162台。

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上の2点はナッシュヒーレーのサスペンション。上側はヒーレー社特許の「トレーリング・リンク・コイルスプリングサスペンション」。下はコイルスプリングとリジッドアクスルを組み合わせたリアサスペンション。

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1953年型ルマンハードトップのオフィシャルフォト。

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上の2点はW. P. クライスラー・ミュージアムで見つけた1953年型ハードトップのダイキャストモデル。ミュージアムでは実車も所蔵している。

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上の3点は1954年型ハードトップで、クォーターピラー形状が1953年型と大きく異なる。価格は5128ドル。このモデルの発表時期と台数については、同時期にAMCから発行された二つの史料で異なった記述が見られる。「The Story of the Nash-Healey」のタイトルで1969年2月20日に発行されたプレスリリースには、1954年1月から8月生産終了までに90台の1954年型ハードトップが生産されたとあり、同じ1969年2月に発行された563点の写真で構成された「American Motors Family Album」には、1954年6月3日に登場した1954年型ハードトップは8月生産終了までにわずか30台ほどが生産されたとある。いずれにしても、1950年12月から1954年8月の間に生産された総生産台数は506台で一致している。

◆ハドソンイタリア

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ハドソンの小型車として新登場した1953年型ハドソンジェット。全長180.7in(4590mm)、ホイールベース105in(2667mm)の車体に、202cid(3310cc)Lヘッド直列6気筒104馬力/4000rpmエンジンを積む。ハドソンイタリアはこのジェットのシャシーにツーリング製ボディーが架装されたモデルであった。

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上の3点はハドソンイタリアのオフィシャルフォト。プロトタイプが発表されたのは1953年8月25日、生産車の発表は1954年1月14日で、この日はナッシュとハドソンの合併が承認された日でもあった。ボディーはハドソンのチーフデザイナーであったフランク・スプリング(Frank Spring)のスケッチをベースに、イタリアのカロッツェリアツーリングでデザインおよび架装が行われた。ボディーはツーリングが得意とする「スーパーレジェーラ(Superleggera):非常に軽いの意」と称する、スチールパイプで組み立てた骨組みにアルミパネルを貼る工法で造られている。プロトタイプの製作費はわずか2万8000ドルと言われている。エンジンはジェットの202cidエンジンをツインキャブレターによって114馬力に強化している。リアサイドの3本のパイプにはテール、ターンシグナル、バックアップランプが収まる。価格は4800ドル(ニューヨーク港渡し価格は4350ドルであった)、予約注文を受け付けたがまったく売れず、生産台数はわずか26台、販売されたのは25台で、20台ほどが現存している。

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ハドソンイタリアのカタログを筆者は確認していない。手元にある印刷物は「Esquire」誌1954年4月号に載ったこの広告のみである。サイズはホイールベース105in(2667mm)、全長183in(4648mm)、全幅70in(1778mm)、全高はジェットより10in(254mm)ほど低い54in(1372mm)、車両重量2710lb(1229kg)。最高速度は100mile/h(161km/h)。乗降し易いようにドア上部は14in(356mm)ほどルーフに入り込んでいる。フロントフェンダー上部およびドア後方にはブレーキ冷却用のエアスクープが設けられている。ボラーニ製ワイヤホイールが美しい。
 なお、イタリアと同様のデザインで4ドアモデルがX-161(デザイナー、スプリングの161番目の作品)のコード名で製作されているが、公表はされなかった。そして、ハドソンは1957年型を最後に48年の歴史に幕を下ろしてしまう。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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