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第53回 リンカーン コンチネンタル
2016.12.31

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 今回はエドセル・フォードとフォード・デザイン部門の初代ボス、ボブ・グレゴリーによって生み出された傑作で、最後のアメリカンクラシックとも言えるリンカーン・コンチネンタルを紹介する。写真の手前は1939年10月に発表され、12月13日から生産開始された、1940年型リンカーン ゼファー・コンチネンタル カブリオレで、後にMark I(マーク Ⅰ)と呼ばれるモデル。後方は1954年10月にミシガン州ディアボーンで開催されたリンカーン コンチネンタル オーナーズクラブの集会の席で、ウイリアム・クレイ・フォードから1955年に生産開始することが正式発表され、1955年10月6日にパリ・オートショーで発表された1956年型コンチネンタル Mark II。(Photo:Ford Motor Co.)

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プロトタイプ制作のために描かれた側面図。多くのデザイナーはこのスペアタイヤを背中に背負うマウント法に異議を唱えたが、1938年に欧州旅行でモーターショーを視察した結果、欧州車のデザインに感銘を受けていたエドセル・フォードは譲らなかったという。後に「コンチネンタル・マウント」と称して、多くのカーメーカーがオプション設定し、また、アフターマーケットにも多くの製品が出回るなど大流行することになった。(Photo:Ford Motor Co.)

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上の2点は1939年3月1日に完成したプロトタイプ1号車。すぐさま、フロリダでバカンス中のエドセル・フォードに鉄道で送り届けられた。フロリダ滞在中に友人、知人などから200台ほどの注文を受けたたという。また、滞在中にデトロイトにいたグレゴリーに電話で息子のためにプロトタイプを2台追加製作するよう依頼したと言われるが、当時、長男ヘンリーⅡ世、次男ベンソンとも学生であり、二人のためにプロトタイプが造られたという記録は残っていない。(Photos:Ford Motor Co.)

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このクレイモックアップは1939年春の終わりころ完成したと言われる生産型のもの。エンジニアリング・ラボラトリー内のデザインスタジオで1939年7月に撮影されたもの。(Photo:Ford Motor Co.)

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上の2点は1940年型リンカーン ゼファーのカタログに載ったコンチネンタル カブリオレ。クーペの完成は1940年4月3日で、公式発表は5月であり、クーペが載った1940年型カタログを筆者は確認していない。エンジンは292cid(4785cc)V型12気筒120馬力を積み、ホイールベース125in(3175mm)、全長209.8in(5329mm)、全幅73.38in(1864mm)で、エンジンフードは標準のゼファーより3in(76mm)低く、7in(178mm)長く、全高は7.5in(191mm)低く、わずか62in(1575mm)に過ぎなかった。ボディーはすべてハンドメードで、価格は両モデルとも2840ドルで、ゼファーの2ドアクーペ1360ドルが2台買える値段であった。生産台数はカブリオレが350台、クーペは54台であった。

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めずらしい1940年型のカラー広告。

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1940年ニューヨーク万国博覧会に展示された1940年型コンチネンタル カブリオレ。(Photo:Ford Motor Co.)

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1941年型リンカーン コンチネンタル カブリオレ。1941年型は40年型のマイナーチェンジで、フロントフェンダー上にパーキングランプが追加され、ドアハンドルを廃してプッシュボタン方式が採用されたことで識別できる。価格2865ドル、生産台数は400台。この個体はエドセル・フォード自身の愛用車であった。1941年型からはゼファーの呼称は外されてリンカーン コンチネンタルとなった。(Photo:Ford Motor Co.)

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1941年型リンカーン コンチネンタル クーペ。価格は2812ドルで、生産台数は850台であった。(Photo:Ford Motor Co.)

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上の2点はビッグマイナーチェンジされた1942年型リンカーン コンチネンタルのカブリオレとクーペ。エンジンは305cid(4998cc)V12気筒130馬力に強化され、サイズもホイールベースは同じだが、全長217in(5512mm)、全幅77.82in(1977mm)、全高63in(1600mm)と一回り大きくなった。価格は両モデルとも同じで3174ドル。生産台数は対日戦突入に伴い戦時体制に入り、1942年1月31日で乗用車生産を中止したため極めて少なく、カブリオレ136台、クーペ200台であった。

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1943~1945年型乗用車の生産は中止され、ひたすら兵器の生産に当たってきたが、1945年8月、日本が降伏すると直ちに乗用車生産を復活させた。上の4点は1946年1月に登場した1946年型リンカーン コンチネンタルで、1942年型との違いはフロントグリル、バンパー、エンブレム、ホイールキャップなどのマイナーチェンジにとどまった。エンジンは当初1942年型と同じ305cid(4998cc)V12気筒130馬力が搭載されたが、シリンダー壁が破損するトラブルが発生し、途中から1940~41年型に積まれていた292cid(4785cc)V型12気筒120馬力に換装されている。価格と生産台数はカブリオレが4474ドルで201台、クーペは4392ドルで265台と、戦前に比べて1000ドル以上値上がりしていた。
 1947、48年型は1946年型と大差ないが、1947年型ではエンジンが292cid V12の125馬力に強化されている。1947、48年型の価格は同じで、カブリオレ4746ドル、クーペ4662ドル。生産台数は1947年型がカブリオレ738台、クーペ831台。1948年型はカブリオレ452台、クーペ847台であった。
 1948年型コンチネンタルの生産は3月末に終了したが、1939年に生産開始してから1948年までのMark I コンチネンタルの生産台数はカブリオレ2277台、クーペ3047台、総合計5324台であった。

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1946年型リンカーン コンチネンタルの各部詳細。トランク容積が非常に小さいのが分かる。

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1946年型リンカーン コンチネンタルに搭載された305cid(4998cc)V12気筒130馬力エンジン。この年、1797基生産された段階で、シリンダー壁が破損するトラブルが発生したため、1940~41年型に積まれていた292cid(4785cc)V型12気筒120馬力に換装されている。ただし、1947年型ではエンジン出力は125馬力に強化されている。

◆東京の街に生息していたコンチネンタル
 以下、すでに故人となられた内山吉春/勇ご兄弟から生前頂戴した写真を紹介する。

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上の2点は1940年型リンカーン ゼファー コンチネンタル カブリオレ。

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1941年型リンカーン コンチネンタル クーペ。

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1946年型リンカーン コンチネンタル カブリオレ。

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上の2点は1947~48年型リンカーン コンチネンタル クーペ。
筆者が1970年にキューバを訪れた際、ハバナの街でこれと同型のクーペに遭遇したが、かなり荒れた状態であったにもかかわらず、ひときわ異彩を放っていたのを思い出す。カラーポジで2~3点撮影したが、どこかに紛れ込んでしまい、今回は発掘できなかった。

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第34回M-BASEでフォードX-100を紹介し「新しいリンカーン コンチネンタルのプロトタイプではないかと噂されていたが、それは違うし、量産の予定もないと広報資料ではっきり否定している。」と記したが、この個体には前科があったようだ。上の2点のうち上段の写真には、リアフェンダーサイドに「Continental」のオーナメントが付いている。これは、1952年初期に「コンチネンタル 195X」(195Xは195X年型の意)として製作されており、明らかに将来のコンチネンタルを意識したものであろう。しかし、その後すぐに「コンチネンタル Mark II」のプロジェクトが正式に立ち上がったため、急きょ下段の写真「フォードX100」として、改めて1953年に発表したと思われる。(Photos:Ford Motor Co.)

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1952年にコンチネンタル Mark IIプロジェクトが正式に承認され、1953年10月には「スペシャル プロダクト ディビジョン」が新設され、トップには1952年5月にフォード モーター社の副社長になったウイリアム・クレイ・フォード(エドセルの3男)が就任した。そして、1954年10月16日、ウイリアム・フォードから、1955年に高品質、少量生産の高級車を発表すると公表され、同時に「スペシャル プロダクト ディビジョン」は「コンチネンタル ディビジョン」に変更された。約束どおり1955年10月6日にパリ・オートショーで1956年型コンチネンタル Mark IIとして発表された。写真はコンチネンタル ディビジョン前に駐車するコンチネンタルMark II。リンカーンの名称は付かない。(Photo:Ford Motor Co.)

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上の3点は1956年型コンチネンタル Mark IIの広告とカタログ。エンジンは368cid(6030cc)V型8気筒OHVで出力は公表していないが、プレミア・シリーズと同じとすると、1956年型は285馬力、1957年型は300馬力ではないだろうか。サイズはホイールベース126in(3200mm)、全長218.4in(5547mm)、全幅77.5in(1968mm)、全高56in(1422mm)。1956年型の価格は9966ドル、生産台数は2550台。1957年型の価格は9695ドル、生産台数は444台。1957年型としてコンバーティブルが2台製作され、1台はウイリアム・クレイ・フォード夫人がしばらくの間使用していた。

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美しいプロポーションで魅せるコンチネンタル Mark II。(Photo:Ford Motor Co.)

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ウイリアム・クレイ・フォードとコンチネンタル Mark II。(Photo:Ford Motor Co.)

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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