三樹書房
トップページヘ
catalog
第51回 クライスラー300 レターシリーズ – その2
2016.10.27

05-51-00.jpg

第48回で初代から5代目の300Eまで紹介したので、今回は6代目の300Fから11代目の300Lまでと、1999年に売された300Mおよび2005年に登場した新生300Cについて紹介する。

◆300F

05-51-01.jpg

05-51-02.jpg

05-51-03.jpg

05-51-04.jpg

上の4点は1960年型クライスラー300Fのニューモデルニュースとカタログ。この年クライスラーはフルモデルチェンジし、初めてモノコックボディを採用。車両重量は1937kgで300Eと比べて9kg軽くなった。顔立ちは他のクライスラーと共通になってしまったが、グリルにはこのモデル以降300の特徴となるクロスバーが使われた。車内はセンターコンソールによって2分され、乗車定員は4名となり、初めてバケットシートが採用され、フロントには乗降に便利な回転するスイベルシートが装着されている。外観では1951年に発表されたコンセプトカーK-310風の、トランクリッド上にスペアタイヤを載せたような造形が目を引く。この年からパーキングブレーキは足踏み操作式が採用された。価格はハードトップ5336ドル、コンバーティブル5766ドル。生産台数はハードトップ964台(内輸出28台)、コンバーティブル248台(内輸出8台)。

05-51-05.jpg

05-51-06.jpg

300Fのエンジンは300Eと同じウエッジ型燃焼室を持つ413cid(6768cc)であったが、吸気効率を高める「ラム・インダクション・マニフォールド」を採用し、最高出力は375ps/5000rpmと5馬力低下したが、最大トルクは68.4kgm/2800rpmで6.2kgm向上している。トランスミッションはプッシュボタン操作の「トルクフライト」3速AT。ファイナルドライブギア比は標準の3.31:1の他にオプションとして2.93~3.73の間に5種類用意されていた。

05-51-07.jpg

これは、限定オプション設定された400馬力の高性能エンジン+フランスのポンタムーソン(Pont-a-Mousson)製4速MTを積んだ「300Fスペシャル」の運転席。この4速MTはクライスラーのエンジンを積むファセルベガ・エクセレンスおよびHK-500に使われていた。
人物はクライスラー部門のチーフエンジニアーR. M. ロジャー(Rodger)。オプションのセット価格は800ドルだが、手元のカタログには商談時のメモが「400HP engine with 4 speed manual trans. Approx 468.73 extra」とあり、2月には完売した人気商品をここまで値切ったのかと、カタログに残されたメモは想像の世界を広げてくれる。
 このオプションはクライスラー社がデイトナ・スピードトライアルに挑戦するために用意したもので、標準エンジンにチューニングを施し、最高出力を400ps/5200rpmに高め(トルクは64.3kgm/3600rpmに落ちているが)、これにポンタムーソン製4速MTを組合せたものである。デイトナのフライングマイルスピードでは、1956年に300Bが立てた記録224.6km/hを破り233.2km/hを出した。ファクトリー車の製作台数はテスト車1台とデイトナ用6台の他、更に2台作られ合計9台。1960年2月発行のカタログにはこのオプションの記載は無い。(Photo:Chrysler)

◆300G

05-51-08.jpg

05-51-09.jpg

05-51-10.jpg

05-51-11.jpg

上の4点は1961年型クライスラー300Gのカタログ。この年はマイナーチェンジだが、顔つきは大分変わり逆台形のグリルに極端なつり目となった。キャッチコピーは"A rare kind of car for a rare kind of man"。エンジンは300Fと同じで375馬力。トランスミッションは3速ATの他に3速MTも設定されたが、1速がノンシンクロであり使い勝手が悪く敬遠された。カタログには記載されていないが、400馬力エンジンもオプションとして用意されており、何台かに搭載されたとの情報もあるが、詳細は不明。ファイナルドライブギア比は3.23:1のみとなった。タイヤは再度15インチに拡大された。価格はハードトップ5441ドル、コンバーティブル5841ドル。生産台数はハードトップ1280台(内輸出14台)、コンバーティブル337台(内輸出11台)。
 1961年はクライスラーのマネージメントに大きな変化があった。1960年にカルバート社長の後任として副社長であったウイリアム・ニューベルグ(William C. Newberg)が社長に就任するが、サプライヤー絡みのスキャンダルで2カ月後に失脚。カルバート社長が仮復帰するが、1961年7月に副社長であったリン・タウンセンド(Lynn A. Townsend)が社長に就任した。ちょうどその頃、フォードのデザイン担当副社長ジョージ W. ウォーカー(George W. Walker)は65歳の定年を迎え、後任に腹心のエルウッド P. エンジェル(Elwood P. Engel)を据えようと画策するが失敗し、次にクライスラーのタウンセンド社長に売込んだ結果、1961年11月、エンジェルはクライスラーのデザイン担当副社長に就任し、エンジェル時代が始まるのである。エクスナーの失脚には、彼が1956年に心臓発作で倒れたことが大きく影響している。エクスナーはリタイアして独立するが、1964年までクライスラーデザインのコンサルタントを勤めていた。

◆300H

05-51-12.jpg

05-51-13.jpg

05-51-14.jpg

上の3点は1962年型クライスラー300Hのカタログ。1962年はクライスラーからテールフィンが消え、同時にモデル構成にも大きな変化があった。1961年までの300レターシリーズは上級グレードのニューヨーカーをベースにしていた。 しかし、1962年では中間グレードのウインザーを落とし、ベーシックグレードのニューポートと、中間グレードにはニューポートのスポーツ版として「300」シリーズが新設された。300Hもニューポートがベースとなり、ホイールベースが4in(102mm)短くなり122in(3099mm)となった。 しかし、最高価格車には違いなく、2ドアハードトップで比較すると、ニューポート3027ドル、300は3323ドル、ニューヨーカー(2ドアの設定無く4ドアで比較)4263ドル、これに対し300Hは5090ドルもした。300Hコンバーティブルは5461ドル。エンジンは413cid(6773cc)V8だがラムインダクションはやめ、ツイン4バレルキャブレター、380馬力で300Eのエンジンに近いものに戻った。カタログには載っていないが、特別注文で413cidのラムインダクション、圧縮比11.0:1で405馬力、さらに426cid(6986cc)、圧縮比12.0:1で421馬力ユニットもごくわずかであるが搭載された。生産台数はハードトップ435台、コンバーティブル123台の合計558台で、輸出はされなかった。

05-51-15.jpg

これは1962年型クライスラー300シリーズのモデルバリエーション。2ドアハードトップ、コンバーティブルに加え4ドアハードトップがラインアップされていた。300モデルのエンジンは383cid(6281cc)の305馬力と、オプションで413cid(6773cc)340馬力が用意されていた。300モデルの外観は300Hと大差なく、しかも安価で乗り易いとあって好評で約2万5000台売れた。

◆300J

05-51-16.jpg

05-51-17.jpg

上の2点は1963年型クライスラー300Jのカタログ。9代目は「I」をとばして300Jとなった。この年のクライスラーのデザインは、新しいデザイン部門のボス、エルウッド・エンジェルの体制でまとめられたものであろう。釣り目であった4灯式ヘッドランプも横一列に並ぶごく普通の姿に戻り、すっきりしたものになったが、2ドアハードトップのみでコンバーティブルはカタログから落とされた。エンジンはラムインダクションを復活させ、排気量は変らず413cid、ツイン4バレルキャブレター、圧縮比9.6:1で最高出力は390ps/4800rpm、最大トルク67.1kgm/3600rpmを発生する。エンジンのオプション設定は無くなった。
 この年のトピックは、クライスラーは1963年型からパワートレインの保証期間を5年または5万マイルに延長した。GM、フォード等は2年または2.4万マイルであったから、これは強力なセールスポイントとなった。

05-51-18.jpg

これは1963年型クライスラー300シリーズのモデルラインアップ。

◆300K

05-51-19.jpg

1964年型クライスラーのカタログに載った300K。300Kの専用カタログは発行されなかった。300Kの外観は300Jと大きくは変らない。しかし、再度コンバーティブルが復活した。エンジンは300レターシリーズ始まって以来、はじめてシングル4バレルキャブレターを採用した。排気量はJと同じ413cidだが、圧縮比を 10.1:1に上げ360ps/4800rpm、最大トルク65.0kgm/3200rpmを発生した。オプションとしてJと同じ390馬力ユニットも選択可能であった。トランスミッションは「トルクフライト」 3速ATが標準で、プッシュボタン式をやめ、初めてフロアシフトを採用した。同時にクライスラー初のフルシンクロ4速MTもオプション設定されている。但し、MTは360馬力エンジンとの組合せとなる。センターコンソールはフロントのみとなり、乗車定員は1名増え5名となった。センターコンソール上にあったタコメーターは廃止され、代りに「パフォーマンス・インジケーター」と称するバキューム・ゲージが付けられた。
 C-300から300Jまでずっと続いてきたレザーシートは300Kではオプションとなり、標準はビニール素材に変更されてしまったし、伝統的な150mphまでのスピードメーターも120mphまでのものに変更されてしまった。タイヤも再び14インチに戻された。    
 300Kはレターシリーズ始まって以来最高の3647台売れたが、理由はお買い得感のある新価格設定にあったと思われる。300K 2ドアハードトップの価格は4056ドルで300Jの5184ドルより1128ドルも安く、300シリーズ2ドアハードトップとの価格差は、300Jが1754ドルもあったのに対し、300Kでは僅か613ドル高に過ぎなかった。
 300Kコンバーティブルの価格は4522ドル。生産台数はハードトップ3022台、コンバーティブル625台で輸出はされなかった。

05-51-20.jpg

これは1964年型クライスラー300シリーズのモデルバリエーション。

◆300L

05-51-21.jpg

1965年型クライスラーのカタログに載った300L。1955年のC-300から続いたレターシリーズ11代目で、レターシリーズ最後のモデル。300Lは100%エルウッド・エンジェルのスタイルとなった。 エッジを利かせ四隅いっぱいまで使ったボクシーなスタイルは同年代のマーキュリーなどに近いものを感じる。しかし、この年クライスラーは約20.6万台(前年比135%)を売り上げており、初めて20万台を越え、その後も好調であった。エンジンは300Kと同じ360馬力のみの設定となり、390馬力ユニットのオプション設定は無くなった。トランスミッションは3速ATまたは4速MTのどちらかを選べた。 MTを選んだ場合にはセンターコンソール上のバキュームゲージはタコメーターに換装された。ホイールベースは2in(51mm)延長され124in(3150mm)となった。価格はハードトップ4090ドル、コンバーティブル4545ドルで、生産台数はハードトップ2405台(内輸出32台)、コンバーティブル440台(内輸出8台)であった。
 12代目1966年型300Mの開発も当然進められていたが、残念ながら日の目を見ずに終わってしまった。7ℓ HEMI V8 425馬力ユニットも検討されていたらしい。真の300レターシリーズはLで打ち止めとなってしまった。ちなみに、レターの付かない並の300シリーズは1971年型まで続いた。
 1955年のC-300に始まったレターシリーズの生産台数は限定モデルということもあり非常に少なく、11年間に生産された台数は、ハードトップ1万4269台、コンバーティブル2588台、総合計:1万6857台に過ぎない。

05-51-22.jpg

1965年型クライスラー300 4ドアハードトップ。 300シリーズには他に2ドアハードトップとコンバーティブルがラインアップされていた。

◆クライスラー300X コンセプトカー

05-51-23.jpg

05-51-24.jpg

レターシリーズがカタログから落とされた1966年に発表されたコンセプトカーだが、詳細なスペックはなにも公表されなかった。いくつかの新しいアイデアを織込んだショーモデルであった。たとえば、リアシートの間に格納され、必要なときはボタンひとつでセンターコンソール上を移動できるTVセット。バックミラーの代りに設置されたリアビューカメラ。使わないときにはインストゥルメントパネルの下に格納できるグリップタイプの電動油圧ステアリング。ダイヤル式ATシフトコントロール。180度回転できるフロントパッセンジャーシート、などなど。アイデアの中には実用化されたものもある。

◆クライスラー300M

05-51-25.jpg

05-51-26.jpg

05-51-27.jpg

上の3点は1999年型クライスラー300Mのカタログ。34年振りに帰ってきたレターシリーズ?300Mは、20世紀美術の巨匠パブロ・ピカソからインスパイアされて開発されたという。1950年代に発売された初期のレターシリーズとは性格を異にするが、1993年に発売され、1998年に最初のフルモデルチェンジを終えたクライスラー・コンコルドのスポーティーバージョンとして生まれた。 同時にラグジュアリーバージョンとして復活したのがクライスラーLHSである。1998年型コンコルドは「CATIA」と称するコンピューターシステムを最大限活用して開発を行なう、クライスラーの「ペーパーレス」カープログラム最初の作品であった。
 初期のレターシリーズのような猛々しさは無く、性能、経済性、運転のし易さ等のバランスのとれたスポーティ4ドアセダンとして生まれ変わった。エンジンは215cid(3526cc) V6 SOHC 24バルブ、圧縮比9.9:1、最高出力253ps/6400rpm、最大トルク35.3kgm/3950rpm。トランスミッションは前2輪駆動の電子制御式4速AT(マニュアル的に使えるオートスティック付)。34年間の違いをいくつかのデータで比較してみると(カッコ内は1965年型300Lのデータを示す)、エンジンは3526cc 253hp(6773cc 360hp)、ホイールベース2870(3150)mm、全長4999(5542)mm、全幅1890(2019)mm、全高1422(1415)mm、車量重量1618(1916)kg、価格2万8700(4090)ドル。なお、2003年型の北米版カタログには標準エンジンが250馬力となり、255馬力エンジンを積みハードサスを付けた300Mスペシャルというモデルが追加されている。
 1998年5月から新300Cが発売された2004年3月まで販売された。全生産台数は28万8404台で、内訳は米国内向け23万7027台、輸出向け5万1377台(内カナダ向けが2万1487台)であった。

◆クライスラー300Cコンセプト

05-51-28.jpg

05-51-29.jpg

05-51-30.jpg

2003年4月、ニューヨークオートショーでボクシーな4ドアセダンが発表された。 クライスラー300Cコンセプトと名付けられたこの車は、メルセデスとのアライアンスをフルに活かして、新しく設計された後輪駆動方式のプラットフォームに、伝統的なアメリカンスタイルのボディをまとい、伝説的な「HEMI」V8エンジンを積み、まさに高性能高級車として孤高をたもってきたレターシリーズの再来を予感させた。その年の9月に開催されたフランクフルトショーでは300Cツーリングワゴンが発表された。
 上の3点は2003年10月に幕張で開催された第37回東京モーターショーで配布されたクライスラー300Cコンセプトの日本語版カタログ。セダンとツーリング(ステーションワゴン)が載っているが、米国ではステーションワゴンはクライスラーブランドでは発売されず、ダッジブランドで発売された。

05-51-31.jpg

これは2003年東京モーターショーに展示されたクライスラー300Cツーリング。

◆2005年型クライスラー300C

05-51-32.jpg

05-51-33.jpg

上の2点は2005年型クライスラー300と1957年型初代300Cのカタログ。表紙は初代を意識してデザインされたのは明らか。 こういうセンスがうれしい。レターシリーズなら本来300Nのはずなのに、何故に300Cなのか? 広報資料にも記載がないので、デトロイトショー会場で聞いてみた。「300Cが良いとマーケティングが決めたことであるが、初代300Cに似ていると思わないか」との返事であった。初代300Cが登場した1957年はクライスラー社の米国における乗用車シェアが初めて20%を越えた年であり、夢よ再びとの思いがあったのかもしれないが、狙いは的中した。
 2004年4月に米国で生産モデルの販売が開始されるや、人気低迷するセダンにもかかわらず、発売後1年間に約15万台売るヒット作となった。そのうち41%が「HEMI」エンジン搭載車で、20%は下取り無しで販売されたという。
 新生300のモデル呼称は米国内と輸出用で異なりかなりややこしい。輸出用はエンジン仕様に関係無くすべて300Cが使われ、ステーションワゴンは300Cツーリングと称する。これに対して、米国ではグレードの低い順に300(2736cc DOHC 24V V6搭載)、300ツーリング(3518cc SOHC 24V V6 搭載。ステーションワゴンではない)、300リミテッド(ツーリングにリミテッドパッケージを施したもの)、300C(5654cc HEMI MDS OHV V8 340馬力搭載)、やや遅れて、さらにホットな300C SRT-8(6.1ℓ HEMI OHV V8 425馬力搭載)がラインアップされていた。また、2006年モデルからツーリング以上にはAWD(全輪駆動)も用意された。
 日本には3.5ℓ V6と5.7ℓ V8 HEMIエンジン搭載モデルが設定されていた。5.7ℓ HEMIユニットにはMDS(Multi-Displacement System)と称する可変シリンダーシステムが組込まれており、トランスミッションは2.7ℓモデルには4速AT、5.7ℓモデルにはマニュアル的に使えるオートスティック機構付き5速ATが積まれていた。生産はカナダのオンタリオ州にあるブランプトン工場で生産されたが、2005年6月15日から輸出モデルはすべて、3720万ドル(当時の換算で約41億円)を投じて準備したオーストリアのグラーツにあるマグナ・シュタイア(Magna Steyr)社で生産を開始した。

05-51-34.jpg

05-51-35.jpg

上の2点は2005年にデトロイトで開催された北米自動車ショー(N.A.I.A.S.:通称デトロイト・ショー)での「モータートレンド・カーオブザイヤー」と、会場で表彰された「ノースアメリカン・カーオブザイヤー」受賞をアピールする展示。2005年型クライスラー300は発売後1年間に自動車史上最多の42の賞を受けたそうである。

05-51-36.jpg

久しぶりの「HEMI」エンジン再登場を記念して、2005年のデトロイト・ショー会場で配布された、ケージを模したパッケージに納められた「ヘミドッグ」。

このページのトップヘ
BACK NUMBER

第56回 AC & Shelby AC Cobra - 1

第55回 ナッシュヒーレー&ハドソンイタリア

第54回 東京オートサロン2017

第53回 リンカーン コンチネンタル

第52回 2016トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑

第51回 クライスラー300 レターシリーズ – その2

第50回 Automobile Council 2016 – そのⅡ

第49回 Automobile Council 2016

第48回 クライスラー300 レターシリーズ – Ⅰ

第47回 フォードランチェロ

第46回 1954年カイザー・ダーリン161

第45回 1950年代ポンティアックのドリームカー

第44回 1950年代オールズモビルのドリームカー

第43回 1950年代ビュイックのドリームカー

第42回 1950年代キャディラックのドリームカー

第41回 クラシックカー・フェスティバル

第40回 アメリカの初期SUV/MPV

第39回 メトロポリタン

第38回 フォード サンダーバード

第37回 シボレーコルベット(第1世代 – 2/2)

第36回 シボレーコルベット(第1世代 – 1/2)

第35回 1950年代のアメリカンドリームカー(4)

第34回 1950年代のアメリカンドリームカー(3)

第33回 1950年代のアメリカンドリームカー(2)

第32回 1950年代のアメリカンドリームカー(1)

第31回 1940年代のアメリカンドリームカー

第30回 戦後のアメリカ車 - 11 :1940年代の新型車(フォード)

第29回 戦後のアメリカ車 - 10 :1940年代の新型車(GM)

第28回 戦後のアメリカ車 - 9 :1940年代の新型車(パッカード)

第27回 戦後のアメリカ車 - 8 :1940年代の新型車(タッカー)

第26回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ナッシュ)

第25回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ハドソン)

第24回 戦後のアメリカ車 - 6 :1940年代の新型車(クライスラー・タウン&カントリー)

第23回 戦後のアメリカ車 - 5 :1940年代の新型車(クロスレイ)

第22回 戦後のアメリカ車 - 4 :1940年代の新型車(カイザー/フレーザー)

第21回 戦後のアメリカ車 - 3 :1940年代の新型車(スチュードベーカー)

第20回 戦後のアメリカ車 - 2 :1940年代の新型車(ウイリス/ジープ)

第19回 戦後のアメリカ車 - 1 :1946年型の登場(乗用車の生産再開)

第18回 アメリカ車 :序章(6)1929~1937年コード・フロントドライブ

第17回 アメリカ車 :序章(5)1934~37年クライスラー・エアフロー

第16回 アメリカ車:序章(4)1924~1929年

第15回 アメリカ車 :序章(3)1917~1923年

第14回 アメリカ車 :序章(2)フォード モデルT(1908年~1927年)

第13回 アメリカ車 :序章(1) 登場~1919年

第12回 AF+VKの世界:1959~1971年型ポンティアックのカタログ

第11回 コペンの屋根:リトラクタブルハードトップ

第10回 スクリーンで演技するクルマたち

第9回 シトロエンDSのこと

第8回 よみがえった『力道山のロールスロイス』

第7回 メルセデス・ベンツ300SL - SLクラスの60周年を祝して

第6回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その2)

第5回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その1)

第4回 短命だった1942年型アメリカ車のカタログ

第3回 「ラビット」から「スバル」へ - スバル最初の軽乗用車と小型乗用車

第2回 「キ77」と電気自動車「たま」。そして「日産リーフ」

第1回 自動車カタログ収集ことはじめ

執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

関連書籍
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
トップページヘ