三樹書房
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第48回 クライスラー300 レターシリーズ – Ⅰ
2016.7.27

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 今回は、1960年代に続々と登場したマッスルカー(Muscle Car)の先駆けともいえる、クライスラー300について紹介する。1955年に登場し、1956年からB、C、D・・・と毎年アルファベットが付けられたことからクライスラー300レターシリーズと呼ばれ、1965年の300Lまで、11年間にわたって生産された。特に初期のモデルは美しさと、乗り手を選ぶほどのどう猛さを併せ持っていたので「ビューティフル・ブルート(Beautiful Brute:美しき野獣)」と呼ばれた。今回は1959年の300Eまでを紹介し、次回は300Fから300Lまでを紹介する。

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第二次世界大戦が終わると、米国の自動車メーカーは競って高出力の新型エンジンを投入し、馬力競争の時代に突入する。先陣を切ったのはGMで、1949年型キャディラックとオールズモビル用に331cid(5424cc)V型8気筒 OHV、圧縮比7.5:1、160馬力を登場させ、フォードは1952年型リンカーン用に317.4cid(5201cc)V型8気筒 OHV、圧縮比7.5:1、160馬力を登場させている。
 上の2点のイラストは1951年型クライスラー用に発売された「ファイアパワー」331cid(5424cc)V型8気筒 OHV、圧縮比7.5:1、180馬力エンジンと、搭載された1951年型クライスラー・ニューヨーカーで、同時にクライスラー・インペリアルとやや遅れてクライスラー・サラトガにも搭載された。「ファイアパワー」エンジンは、のちに「HEMI(ヘミ)」の愛称でよばれる、クライスラー初の半球形(Hemispherical)燃焼室を持つ自動車用エンジンであった。

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上の2点はクライスラー製「HEMI」エンジンの元祖である、XI-2220型航空機用エンジンと、このエンジンを搭載した試作機XP-47H。
 1918年に第一次世界大戦が終結したあと、米国陸軍航空隊(U.S. Army Air Corps)の技術開発部門は液冷航空機エンジンの優位性に着目し、1930年代に入ると開発コンペを開始する。クライスラーも将来、そのノウハウを自動車エンジンに生かせると考えてコンペに参画し、かねてより最も効率が良いという研究結果を得ていた「HEMI」が採用された。当初、このエンジンはXIV-2220型と呼ばれており、Xは試作機、IVはInverted V(倒立V)、2220は排気量を表し、液冷倒立2220cid(36.4ℓ)V型16気筒OHC 2300馬力で、全長は3mを超え、機体への取り付けは写真のように、出力ギアのある中央部から長いビームによって行われた。5基製作され、1基はW.P.クライスラー・ミュージアムに展示されている。
 搭載機XP-47Hは、リパブリックP-47D-REサンダーボルト戦闘機を改造して2機製作されたが、初飛行は終戦直前の1945年7月27日で、納入は終戦後の1945年11月と1946年1月であり、世はすでにジェット機の時代に入り、制式採用されることは無かった。エンジンが長いため、機体全長は標準型より910mmほど長い。(Photo:USAF Museum Photo Archives) 

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1951年に発表されたクライスラーK-310コンセプトカー。M-BASEに「第33回1950年代のアメリカンドリームカー(2)」として紹介したので詳細説明は省略するが、初めて300馬力を超える310馬力エンジン搭載車(実際には180馬力の標準エンジンが積まれていた)として発表された。
 1949年にクライスラー社は、元GMポンティアック部門のチーフデザイナーで、その後、レイモンドローウィー事務所でスチュードベーカーのデザインを手がけたヴァージル M. エクスナー(Virgil M. Exner)を迎え、量産モデルのデザインとは完全に独立したアドヴァンスト・デザインスタジオを新設してディレクターに任用した。そして、彼のクライスラーでの最初の作品がK-310であった。

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1951~52年にかけて、クライスラーは各地で技術展示会を開催したが、これはその会場で配布された冊子の一部分。右上にK-310用エンジンが紹介されており、「ファイアパワー」331cid(5424cc)V型8気筒4キャブレター、圧縮比8.1:1で310馬力以上を発生するとある。コンセプトカーのK-310には量産型180馬力が積まれていたが、310馬力エンジンがすでに開発されていたのは事実であった。

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上の3点は1955年型クライスラー300(C-300と称することもある)のカタログ。1952年も終わりに近いころ、ヴァージル・エクスナーは当時の社長レスター L. コルバート(Lester L. Colbert)に1955年型をデザインするよう指示され、同時にデザイン部門のディレクターに就任した。その後、1957年にはクライスラー社初のデザイン担当副社長に就任する。
 1954年11月にはエクスナーがクライスラー社で手掛けた最初の量産車が発売され、クライスラー、デソート、ダッジ、プリムスの合計販売台数は1954年型約80万台(シェア16.5%)に対し1955年型は約126万台(シェア17.7%)と好調であった。
 その頃市場では、1953年にコルベット、1954年9月にはサンダーバードが発売されており、クライスラーにもスペシャルティーカーを望む声があり、起死回生をかけてフルモデルチェンジした1955年型を引き立てるためにも、最小のコストと時間で何かできないかと思案の末たどり着いた結果が「スーパーストックモデル・プロジェクト」すなわちクライスラー300であった。
 クライスラー300生産の最終承認が下りたのは1954年8月で、2カ月後の10月にはジェファーソン工場のインペリアル用アッセンブリーラインにプロトタイプが載っていたというから驚きである。クライスラー・ニューヨーカーのボディーに、インペリアルの2分割型グリルを付け、サイドモールディング、バンパーはウインザーのものを流用するという手法がとられ、エンジンはマリーンエンジン組み立てラインでチューニングされた「ファイアパワー」331cid(5424cc)V8 HEMI ツイン4バレルキャブレター、圧縮比8.5:1で300ps/5200rpm、47.7kg-m/3200rpm。ヘビーデューティー「パワーフライト」2速ATを積む。アメリカ車の歴史上はじめて300馬力超のエンジンを積んだ量産車であった。ファイナルギア比はカタログには3.36が標準とあるが、実際は3.54が標準で、3.36、3.73、3.91、4.1がオプション設定されていた。サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン+コイル、リアはリーフのリジッドで、スプリング、ダンパーとも強化されていた。サイズは全長5557mm、全幅2009mm、全高1488mm、ホイールベース3200mm、車両重量1817kg。価格は4100ドル。1955年2月10日~6月24日の間に1275台(内輸出33台)が限定生産された。カタログに描かれたクルマのホイールカバーはニューヨーカーのものだが、実際にはカスタム・インペリアル用カバーのセンターエンブレムをチェッカーに変えたものが装着されていた。
 このモデルに注目したのが「マーキュリー(Mercury)」のブランドでボート用船外機を製造していたキーケーファー社の社長カール・キーケーファー(Carl Kiekhaefer)で、船外機の宣伝のためキーケーファー・チームはクライスラー300でNASCAR(The National Association for Stock Car Auto Racing)およびAAA(American Automobile Association)の主催するストックカーレースに挑戦し、実に37勝した。内NASCARでは40戦23勝であった。当時、1チームが1シーズン中に優勝した回数では、アメリカンストックカーレース史上最多であった。

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上の3点は1956年1月のシカゴ・オートショーで発表された1956年型クライスラー300Bのカタログ。基本的には1955年型300と同じだが、他のクライスラー車同様テールフィンの存在感が増している。レザーのベンチシートにはシートベルトも無く、高速で左カーブを回る時にはお尻が滑らないよう細心の注意が必要であった。エンジンはボアが0.13in(3.3mm)拡大され、354cid(5806cc)V8 HEMI 圧縮比9.0:1で340ps/5200rpm、53.2kg-m/3200~3600rpmとなり、4月にはオプションとして圧縮比を10.0:1にあげて355ps/56.0kg-mユニットも設定され、アメリカの量産車で初めて1立方インチ当たり1馬力を超えたエンジンとなった。2速ATに加えて、70ドルの追加オプションでダッジ部門から供給される3速MTも選択可能となった。モデル後半では3速ATも追加されている。ファイナルギア比は3.36:1が標準で、オプションとして3.08~6.17の間に11種類ものギア比が設定されていた。エアコンがオプション設定され、電装は6Vから12Vに変更された。価格は4419ドルで、生産台数は1102台(内輸出は42台)であった。
 1956年シーズンもキーケーファー・チームは16連勝するなど健闘したが、強すぎるチームにメディアやファンなどからネガティブな反応を受け、船外機の宣伝に対して逆効果と判断、さらに、潤沢な資金にサポートされた自動車メーカーのファクトリーチームがレースを支配しだしたこともあり、1956年シーズンを最後にレース活動から撤退してしまった。

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上の3点は1956年12月のニューヨーク・オートショーで発表された1957年型クライスラー300Cのカタログ。新たにコンバーティブルが設定されている。この年フルモデルチェンジされ、ボディーは基本的に他のクライスラーと共用だが、1957年型からインペリアルが独立したモデルとなり、クライスラーとボディーパネルの互換性が無くなったため、フロントグリルは300C専用のものが用意された。エンジンはボア、ストロークとも拡大され、392cid(6429cc)V8 HEMI 圧縮比9.25:1で375ps/5200rpm、58.1kg-m/4000rpmとなり、オプションで圧縮比を10.0:1に高めた390馬力ユニットも設定されたが、カタログには並の300Cユーザーにはラフアイドルと低回転域での性能低下があるのでお勧めできないと記されている。トランスミッションは「トルクフライト」3速ATが標準で、3速MTがオプション設定されていた。ファイナルギア比は3.36:1が標準で、オプションとして2.92~6.17の間に12種類のギア比が用意され、レーストラック毎にベストマッチングなギア比を選択することができた。サイズは全長5568mm、全幅2002mm、全高1389mm(ハードトップ)/1397mm(コンバーティブル)、ホイールベース3200mm、車両重量1921kg。車高が100mmほど低くなっているが、これはエクスナーの悲願であり、そのためにフロントサスをトーションバースプリング化、14インチホイールの採用(300Bは15インチであった)、エンジンエアクリーナーをオイルバス式からペーパーフィルター化(ダートトラックで苦労したカール・キーケーファーの発明)するなどで達成した。価格と生産台数はハードトップが4929ドル、1767台(内輸出は31台)、コンバーティブルは5359ドル、484台(内輸出は5台)であった。

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上の3点は1957年12月に発表された1958年型クライスラー300Dのカタログ。300Dから1963年型300Jまで300レターシリーズのカタログはすべてモノクロとなる。カタログに記されたターゲットユーザーは「The man who owns a 300D is an unusual and interesting person.」とあり、物好きな男性に絞り込んでいるのが分かる。エンジンは392cid(6429cc)V8 HEMI 圧縮比10.0:1で380ps/5200rpm、60.1kg-m/3600rpmとなりわずかに強化された。トピックはオプションとして「エレクトロジェクター(Electrojector)の名前でベンディックス製電子制御燃料噴射装置が初めて採用された。これはクライスラーがコンピューターを車載した最初の事例となった。生産試作車4台のほか16台の限定であり、デトロイトのウォーレンにあったデソートの工場で後付けされた。価格は400ドル。最高出力は10馬力アップして390馬力となるが、トルクは変わらず、しかも電子制御に問題があり翌年リコールした。販売された16台中15台は標準のキャブレター仕様に戻して400ドルも返却されたが、1台は戻らなかったようである。このモデルからパワーステアリングは標準装備され、ファイナルギア比は3.31:1を標準として、オプションで2.93、3.15、3.54、3.73の4種に絞られている。新設オプションとしてLSDの「シュアグリップ(Sure-Grip)デフ」とクルーズコントロールの「オートパイロット(Auto-Pilot)」が加わった。価格と生産台数はハードトップが5173ドル、619台(内輸出は30台)、コンバーティブルは5603ドル、191台(内輸出は4台)。

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上の5点は1958年10月に発表された1959年型クライスラー300Eのカタログ。外観は300Dのマイナーチェンジであったが、エンジンは「HEMI」に代わって、ウエッジ型燃焼室を持つ413cid(6773cc)V8 OHV 圧縮比10.0:1で380ps/5000rpm、62.2kg-m/3600rpmが搭載された。HEMIは構造が複雑なため製造コストが高いのと、重すぎたのが変更の理由だが、ウエッジ型燃焼室でも同等の性能が得られている。トランスミッションはMTの設定は無く、「トルクフライト」3速ATのみとなった。ATの操作は1955年型300から変わらず、インストゥルメントパネルの左端にあるプッシュボタンで行われた。ファイナルギア比は3.31:1のみとなり、もはや普通の高級高性能車になってしまった。イラストのようなスゥイベルシート(回転シート)が標準装備されている。価格と生産台数はハードトップが5229ドル、550台(内輸出が16台)、コンバーティブルは5659ドル、140台(内輸出が9台)であった。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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