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第43回 1950年代ビュイックのドリームカー
2016.2.27

 1927年にGMが初めて自前のデザイン部門「Art & Color Section」を設立した時からチームのリーダーを務めてきたハーリー・アール(Harley J. Earl)であったが、1958年12月に、ボスの座を後任のビル・ミッチェル(William Mitchell)にバトンタッチした。ハーリー・アール時代最後期となった1950年代のGMドリームカーについて、前回は世界的なテールフィンブームの火付け役となったキャディラックを紹介したが、今回はビュイックについて紹介する。

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これは1951年に登場した「ルセーバー」と「XP-300」で、詳細はM-BASE 第32回で詳述しているので省略する。

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ビュイックは1953年に創立50周年を迎えた。この年はマイナーチェンジであったが、ヘッドランプ周りに「XP-300」の影響を見ることができる。この年、初めてスーパーとロードマスターシリーズにV型8気筒エンジンが採用された。322cid(5277cc)V8でスーパーには圧縮比8.0:1の164馬力、ロードマスターには当時最も高圧縮であった8.5:1の188馬力が積まれていた。スペシャルシリーズは前年モデルと同じ263.3cid(4315cc)直列8気筒125馬力エンジンを積む。1953年型ビュイックの生産台数は48万8755台で、シボレー、フォード、プリムスに次ぐ第4位(シェア8%)であった。ビュイックの顧客の55%がV8エンジンモデルを、そして80%が「ダイナフロー」ATモデルを購入している。

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1953年GMモトラマで発表したあと、モダンアメリカンスポーツカーとうたって限定発売されたセミカスタムモデルの1953年型ビュイック スカイラーク。ホイールベース121.5in(3086mm)のロードマスターのシャシーに架装され、322cid(5277cc)V型8気筒188馬力エンジンを積む。同じ時期に発売されたセミカスタムモデルのキャディラック エルドラド、オールズモビル フィエスタがラップアラウンドウインドシールドを先行採用したのに対し、スカイラークは量産車と同じウインドシールドであった。このモデルにはビュイックのトレードマークであるフェンダーにある穴「ベンチポート(Venti-Ports)」が無い。価格は5000ドルで、ロードマスター・コンバーティブル3506ドルの1.4倍、廉価版のスペシャル・コンバーティブル2553ドルの2倍であった。当然フルパワー仕様で、40本のワイヤで組み立てられたケルシー・ヘイズ(Kelsey-Hayes)製の美しいワイヤホイールは標準装備された。生産台数は1690台。

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上の2点は1953年のGMモトラマに登場したビュイック ワイルドキャット(1954年にワイルドキャットⅡが登場した時点でワイルドキャットⅠと改名した)。ビュイック初のファイバーグラスボディーの習作。ホイールベースは量産車より7.5in(191mm)短い114in(2896mm)で、全長は192in(4877mm)。エンジンはストックの188馬力V8を積む。ベンチポートはフェンダー側面ではなく上部につけられていることと、前輪のホイールカバー部分は回転しない「ロト・スタティック(Roto-Static)ホイール」が採用されている。製作台数については2台、3台など諸説あるが、2015年に発行されたDavid W. Temple著「MOTORAMA」によると、GMヘリティッジセンターにファイルされている、当時のショップオーダーブック(SO)によると、4台製作されたと記されている。内1台は当時のGM社長、ハーロウ・カーティス(Harlow Curtice)のためにアレンジされ、前述のスカイラークのような大きくカットされたリアホイールオープニングとサイドモールディングにモディファイされ、デタッチャブルハードトップが装備されていた。                
 ワイルドキャットⅠはカーティス社長車のようなモディファイを加え、メタルボディーに変更して1954年に限定生産する計画があったと言われる。実現していればコルベットに続く高級スポーティモデルの登場となったのだが。(Photos:GM) 

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上の2点は1955年型のカタログだが、バンパーとグリルが一体となり、大きな砲弾型のオーバーライダーが付くフロント部分の造形はまさにワイルドキャットⅠ譲りである。1955年型ビュイックの生産台数は73万8814台に達し、プリムスを抜いて、シボレー、フォードに次ぐ第3位(シェア10.3%)に躍進している。生産車の約71%がハードトップ(2ドア:35万116台、この年新設定された4ドア:17万3527台)であった。

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これは1954年のGMモトラマに登場したビュイック ランドー(Landau)。但し、最初の開催地ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルではスペースの関係で展示されず、2カ所目のマイアミから登場した。1954年型ロードマスターのシャシーにクラシカルなランドータイプボディーを架装したモデルで、前・後席は電動のパーティションで仕切られている。ショーファー席はブルーのレザーシート、後席はベージュのレザーシートにムートンカーペットで仕立てられている。リアシートのセンターアームレストにはカクテルセット(シェーカーとゴブレット)が収められていた。製作台数は1台で、1957年に750ドルでビュイックの重役に売却された後、所有者は何回か変わったが現存する。写真ではスカイラークのワイヤホイールを履くが、オリジナルはスチールディスクにタービンブレード風のホイールカバーが装着されていた。(Photo:GM) 

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これは1954年のGMモトラマに登場したビュイック ワイルドキャットⅡ。ファイバーグラスボディーの2シータースポーツで、ホイールベースはシボレー コルベットより2in(51mm)短い100in(2540mm)。全長はコルベットより3in(76mm)長い170in(4318mm)のコンパクトなボディーに、ストックの322cid(5277cc)V8に4基の2バレルサイドドラフトキャブレターを装着して200⇒220馬力にパワーアップしたエンジンを積む。完成当初はこの写真のように、前輪にはワイルドキャットⅠと同様、ロト・スタティック(Roto-Static)ホイールが装着されていたが、GMモトラマに展示されたときにはワイヤホイールに換装されていた。(Photo:GM)

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上の2点はワイヤホイールに履き替えてGMモトラマに登場した時のワイルドキャットⅡ。1930年代初期のクラシックカーをイメージしたフロントフェンダー。フェンダー下にはフラッシャー/ポジショニングランプ。そしてカウル両サイドにヘッドランプを付けるというユニークなデザインであった。後部はコルベットのように鋭くスロープしたトランクデッキと、両サイドの控えめなテールフィン後端にはテールランプが組み込まれている。そしてエンジンフード上にはベンチポートが付く。(Photos:GM)

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1954年のGMモトラマツアー最終回となった、5カ所目のシカゴでの開催終了後若干のモディファイが加えられ、ヘッドランプポッドがバンパー上に移されまっとうな姿になった。ワイルドキャットⅡの製作台数は2台であったが、1台はテスト中に高速道路でクラッシュしてスクラップされたという。他の1台は当時のGM社長、ハーロウ・カーティスが所有することになったが、1976年にミシガン州フリントにあるアルフレッド P. スローン・ミュージアム(Alfred P. Sloan Museum)(現スローン・ミュージアム)に寄贈され、現存する。(Photo:GM)

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これは、1954年型ビュイック スカイラークのカタログで、ボディー後部の造形がワイルドキャットⅡにそっくりなのが分かる。下に量産型の1954年型ビュイックのカタログを載せるが、後部の造形、ホイールオープニングが異なり、スカイラークには例のベンチポートが無い。1954年型スカイラークは122in(3099mm)のホイールベースを持つセンチュリーのコンバーティブルをベースにセミカスタムされ、エンジンも同じ322cid(5277cc)200馬力V8を積む。価格は4355ドル、生産台数は836台であった。なお、セミカスタムモデルであったスカイラークの生産は1953年型と1954年型の2年間で終了した。

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1954年型スカイラークのベースとなった1954年型センチュリー・コンバーティブル。1954年型ビュイックは全車ラップアラウンドウインドシールドを持つが、センチュリーとスペシャルのAピラーが前傾しているのに対し、ホイールベース127in(3226mm)のロードマスターとスーパーのAピラーは垂直であった。

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ワイルドキャットⅡの独立したヘッドランプのアイデアは、この1961年型クライスラー・インペリアルに生かされていた。

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上の3点は1955年のGMモトラマに登場したビュイック ワイルドキャットⅢ。革新的だったワイルドキャットⅡに対し、あまりにも控えめで、保守的なファイバーグラスボディーの4シーターで、ホイールベースはスペシャル/センチュリーより12in(305mm)短い110in(2794mm)、全長190in(4826mm)、全高は51.75in(1314mm)で量産型ビュイックよりかなり小さい。エンジンは322cid(5277cc)V8に4基の2バレルキャブレターを装着してストックより44馬力強力な280馬力を積む。このクルマはリアウインドーの開閉機構が完成しておらず、ソフトトップは装着されていなかった。製作台数は1台で既にスクラップされたと言われているが、どこかでひっそりと出番を待っているのではないかとの説もある。(Photos:GM)

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これは1956年型ビュイックだが、フロント部分の造形、サイドモールディングなどにワイルドキャットⅢの影響が見られる。1956年型ビュイックの生産台数は57万2024台でシボレー、フォードに次いで第3位(シェア9.1%)であった。「ダイナフロー」ATの装着率は96.7%に達していた。

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上の2点は1958年型ビュイックのカタログだが、クロームがこれでもかと言うほど多用されている。よく見るとヘッドランプの上からサイドモールディングにかけてのデザインに、ワイルドキャットⅡの影響が見られ、リアエンドはワイルドキャットⅢからヒントを得ている。1958年型ビュイックの生産台数は24万1892台と激減し、シボレー、フォード、プリムス、オールズモビルにも抜かれ第5位(シェア5.7%)に後退してしまった。

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上の3点は1956年GMモトラマに登場したビュイック センチュリオン(Centurion)。このクルマは1986年にGMのデザイン担当副社長になるチャック・ジョーダン(Charles M. "Chuck" Jordan)がデザインのチームリーダーとなって開発された、ファイバーグラスボディーの4シーターで、バンパーは完全にボディーと一体化し、奥まった位置にグリルとヘッドランプを配置し、ウイングタイプのリアエンドを持ち、透明なルーフと前後のガラスを細いフレームで支えるという大胆かつ斬新なモデルであった。ステアリングコラムを車両中心に置き、航空機のようにカンチレバーを介してステアリングホイールを左側のドライバー正面に配し(その後、ステアリングコラムは通常の左側に移されたが、カンチレバーはオリジナルのまま残されている)、後方確認はバックミラーの代わりにトランクリッド後端にTVカメラを装着して、インストゥルメントパネル中央にはめ込んだ4×6インチのモニターで行う方式が採用されていた。サイズは全長213.1in(5413mm)、全幅73.5in(1867mm)、全高53.7in(1364mm)、ホイールベース118in(2997mm)。スペック上は322cid(5277cc)V8に4基の2バレルキャブレターを装着した325馬力エンジン+可変ピッチダイナフローATを積んでいるが、このクルマは可動車ではなかった。ミシガン州フリントにあるスローン・ミュージアムに現存する。(Photos:GM)

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これは1957年型ビュイックのカタログ。サイドモールディングの形状、リアフェンダーサイドの3本のルーバー(ダミー)形状までセンチュリオンにそっくり。テールエンドはワイルドキャットⅢの面影が感じられる。1957年型ビュイックの生産台数は40万5086台で、シボレー、フォード、更にプリムスに抜き返され第4位(シェア6.4%)に後退した。

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センチュリオンのウイングフェンダーのデザインを取り入れて発売された1959年型ビュイックのカタログ。ただ、このデザインは市場には受け入れてもらえず、1959年型ビュイックの生産台数は28万5089台で、シボレー、フォード、プリムス、ポンティアック、オールズモビル、更にビッグ3より一足早くコンパクトカーを登場させてヒットしたランブラーにも抜かれ第7位(シェア5.1%)に後退してしまった。マイナーチェンジした1960年型はダッジ、マーキュリーにも抜かれて第9位(シェア4.2%)と最悪の状況を迎える。

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ビュイックより大胆なウイングテールを採用した1959年型シボレー。かろうじて第1位の座はキープしたが、シェアは27.0⇒26.2%に落ち、対するフォードは23.4⇒26.0%に伸び、シェアの差はわずか0.2%まで追い上げられた。

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これは1959年型の失敗に懲りてかコンサバティブなスタイルになった1961年型ビュイック。しかし、一度失ったシェアの回復は容易ではなく、この年は第8位(シェア5.3%)、1962年型は第6位(シェア6.0%)、第5位(6.5%)に戻ったのは1964年型であった。                                                                                                                                                                                                                  

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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