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第42回 1950年代キャディラックのドリームカー
2016.1.27

 1948年型キャディラックに採用された「フィッシュテール」と呼ばれたテールフィンは、キャディラックのデザインアイデンティティーにとどまらず、1950年代の世界的なテールフィンブームの火付け役となった。今回は、GMスタイリングのボス(副社長)ハーリー・アール(Harley Earl)が1958年12月に、ボスの座を後任のビル・ミッチェル(William Mitchell)にバトンタッチするまでの1950年代のキャディラックのドリームカーについて紹介する。

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上の2点は1953年型キャディラック エルドラド。GMの巡回モーターショー「1953年モトラマ」で発表されたショーカーで、「エルドラド」の名前を冠した最初のモデル。しかも、特別限定生産モデルとして532台販売された。価格は7750ドルと高価で、最も安価なキャディラック 62の 2ドアクーペ3571ドルの2倍以上、75フリートウッドリムジン5818ドルよりも1932ドルも高い別格の存在であった。ホイールベース126in(3200mm)、全長220.8in(5608mm)で、331cid(5424cc)V型8気筒210馬力エンジンを積む。アメリカ車初のラップアラウンド(GMはパノラミックと称した)ウインドシールドを採用したモデルで、ソフトトップは収納したときメタルカバーで完全に隠され、ワイヤホイールが標準装備されていた。
 余談だが、1953年には米国史上最悪の工場火災と言われる、ミシガン州リボニアにあったGMの最新鋭ハイドラマチックAT工場火災があった。1953年8月12日、溶断作業中の火花がコンベアーのディップパンに充填されていた可燃性の防錆剤に引火し、瞬く間に工場全体に火がまわり、約14万㎡の工場を全焼してしまった。当時、キャディラック、オールズモビル、ポンティアック、GMトラックのハイドラマチックATをこの工場ですべて生産しており、更に、リンカーン、ハドソン、カイザー、ナッシュにも供給していた。キャディラックとオールズモビルにはビュイックのダイナフローAT、そして、ポンティアックにはシボレーのパワーグライドATが暫定的に搭載され、リンカーンはフォードの内製ATを搭載した。代替工場は、第二次大戦中フォードが4発爆撃機コンソリデーテッドB-24 "リベレーター"を最大1時間に1機生産し、戦後はカイザー・フレーザーの生産工場として使われていたウイローラン工場を借り(のちに買い取り)、わずか9週間という驚異的な速さでハイドラマチックATの生産を再開している。

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これは1953年のGMモトラマに登場したキャディラック ルマン。ルマンの名前は1950年ルマン24時間レースにブリッグス・カニンガム(Briggs Cunningham)がほとんどストックのままのシリーズ61クーペとキャディラックのシャシーに空力ボディーを搭載したレーシングカーで参戦し、それぞれ総合10位と11位という好成績を収めたのを記念して命名された。ホイールベースを115in(2921mm)に短縮したシャシーに樹脂ボディーを架装したモデルで、ベンチシートを装着して、3名乗車を可能としている。全長198.1in(5032mm)、全幅80.6in(2047mm)、全高はソフトトップを上げた状態で51in(1295mm)に過ぎず、量産型キャディラック コンバーティブルより7.9in(200mm)低かった。エンジンは331cid(5424cc)V型8気筒の圧縮比を8.25:1から9.0:1に高め、ハイリフトバルブ、排気マニフォールドとマフラーの改良、ツイン4バレルキャブレターの装着などによって+40馬力の250馬力に強化されていた。フロント部分の造形はほぼそのまま1954年型に採用されている。4台製作され、すべて売却され、1号車は焼失している。しかし、レストア中であったため、車体は焼失したがエンジンと若干のパーツは現存していると言われる。(Photo GM)

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ショーカー「ルマン」のフロント部分の造形が活かされた1954年型キャディラック。1954年型ではキャディラック全モデルにパノラミックウインドシールドが採用された。これは、シリーズ62コンバーティブル、価格4404ドルで1万7170台生産された。

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上の2点は「ルマン」の4号車で、1955年にボディーの大改造が加えられている。4灯式ヘッドランプの採用、テールフィン、テールランプ、リアフェンダー前端部の垂直なエアスクープ(ダミー)、サイドモールディング、エンジンフード、ウインドシールドなどの形状変更が施された。その後、更にエンジン、ハイドラマチックATが1959年型仕様の390cid(6391cc)V型8気筒345馬力に換装されている。この個体はフィッシャーボディー社のCEO、J. E. グッドマン(Goodman)のために作られたが、完成したのが1953年10月と遅く、それ故か「ルマン」の製作台数は3台とした史料もある。1999年にGMに買い戻されて北米自動車ショー(NAIAS:通称デトロイトショー)に展示され、現在もGMヘリティッジセンターにある。 テールフィンが登場した1948年型以降、左テールランプを跳ね上げると燃料給油口が現れる仕掛けが採用されていたが、この個体では左側テールフィンの内側側面に給油口が見られる。

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これも1953年GMモトラマに登場したキャディラック オルレアン(Orleans)。パノラミックウインドシールドを持つ4ドアピラーレスハードトップの提案で、リアドアが後ろヒンジの、いわゆる観音開きドアであった。リアドアはハイドラマチックATのシフトレバーがニュートラル位置にないと開かない仕掛けであった。ルーフと天井内貼りにはノーガハイド(Naugahyde:米国の人工皮革のブランド名)が採用されている。ビュイックとオールズモビルには1955年型で4ドアハードトップがカタログモデルに加えられたが、キャディラック、ポンティアック、シボレーに採用されたのは1956年型からであった。ピラーレスのアイデアはハーリー・アールがイタリアでランチアのセダン(1937年アプリリア、1950年オーレリアで既にピラーレス4ドアセダンがラインアップされていた)を見て触発されたと言われる。(Photo GM)

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これはキャディラック初の量産型4ドアハードトップとなった1956年型キャディラック 62 セダン・デビル(Sedan DeVille)。この年4万1732台生産され、キャディラックのベストセラーモデルとなった。キャディラック全体では15万5577台生産し、アメリカ車のランキングでは10位から9位に躍進している。ルーフからクォーターピラーを経てリアデック上面へと流れるような処理はハードトップに限らず、セダンを含めたクローズドボディーモデル全車共通であった。サイドモールディング、ガルウイング型のバンパー形状などは1954年に登場したショーカー「パークアベニュー」で提案されたデザインであった。

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1954年のGMモトラマには上の広告にある3種類のドリームカーが登場した。上から「エルカミノ(El Camino)」「ラエスパーダ(La Espada)」「パークアベニュー(Park Avenue)」。

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上の2点はキャディラック エルカミノ。1953年に登場した「ルマン」と同じホイールベース115in(2921mm)のシャシーに架装された2シーター・スポーツクーペの提案で、ボディーはグラスファイバーで、ルーフはブラシ仕上げのアルミニュームにラッカーコーティングが施されている。全長は200.6in(5095mm)で、エンジンは1954年型キャディラックと同じ331cid(5424cc)V型8気筒230馬力エンジンを積む。キャディラック初の4灯式ヘッドランプが装着されているが、量産車への採用は各州のレギュレーションが整備される1958年型まで待たねばならなかった。ただし、特別限定モデルの1957年型キャディラック エルドラド ブロアムには採用されている。1957年に登場したフォード ランチェロの対抗馬として、1959年に市場投入された乗用車ベースのピックアップにエルカミノの名前が与えられている。(Photos GM)

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上の2点はエルカミノと同時に1954年GMモトラマに登場したキャディラック ラエスパーダ。スペックはエルカミノと同じだが、こちらは2シーターのスポーツコンバーティブル。航空機のコックピットのような運転席で、トリガー風のシフトレバーに注目。センターコンソールにはエアコン、ラジオのコントロールのほかにシガレットライター、アームレスト、グローブボックスなどが装着されている。存在感を増したテールフィンは1955年型キャディラック エルドラド コンバーティブルに取り入れられ、ガルウイング型のバンパーは1955年型キャディラック全車に取り入れられた。(Photos GM)

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1955年型キャディラックのカタログから、左側のクルマがエルドラド コンバーティブルで、エルカミノ、ラエスパーダのテールフィンと、垂直部分が上下逆さであるが、下に紹介するショーカー「パークアベニュー」のサイドモールディングのデザインを生かしている。エンジンは331cid(5424cc)V型8気筒ツイン4バレルキャブレター270馬力を積む。ほかのキャディラックにはシングル4バレルの250馬力エンジンが搭載されていた。

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これも1954年GMモトラマで発表されたドリームカー、キャディラック パークアベニュー。フリートウッド60スペシャルのシャシーに架装されたモデルで、ルーフからクォーターピラーにノッチド・ルーフライン、テールフィン、大きくカットされたフロントホイールオープニングなどのデザイン要素は、フルモデルチェンジした1957年型に採用されている。サイズはホイールベース133in(3378mm)、全長230.1in(5845mm)、全幅80in(2032mm)、全高58.3in(1481mm)で全長は60スペシャルより3in(76mm)長い。エンジンは1954年型キャディラックと同じ331cid(5424cc)V型8気筒230馬力を積む。(Photo GM)

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「パークアベニュー」のデザイン要素を多く取り入れてフルモデルチェンジされた1957年型キャディラック。これはピラーレス4ドアハードトップの62セダン・デビルで、ベース価格は5188ドルであった。馬力競争はますます激しくなり、365cid(5981cc)V型8気筒エンジンは圧縮比10.0:1で 300馬力に達した。

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上の2点は1957年型キャディラック エルドラド。1956年型からコンバーティブルに加えてハードトップが設定され、コンバーティブルには「ビアリッツ」、ハードトップには「セビル」の名前が与えられた。1957年型エルドラドシリーズのリアエンドの造形は丸みを強調したものとなり、そこに2枚の大きなテールフィンが付く。エルドラドシリーズのエンジンは365cid(5981cc)V型8気筒 圧縮比10.0:1だが、ツイン4バレルキャブレターで325馬力をたたき出す。ベース価格はビアリッツ、セビルともに7286ドルであった。

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1955年のGMモトラマで発表されたキャディラック エルドラドブロアム。超高級モデルの提案で、フォード社が1955年10月にパリ・モーターショーで発表し、1956年から1957年にかけて1万9695ドルのプライスタグをつけて販売したコンチネンタル マークⅡに対抗するモデルであった。シリーズ62のシャシーを5in(127mm)短くしてホイールベースを124in(3150mm)として、これにメタルボディーを架装している。ルーフはブラシ仕上げのステンレスを採用。全高はわずか54.4in(1382mm)で量産モデルより7in(178mm)も低かった。エンジンは量産型エルドラドと同じ331cid(5424cc)V8だが、出力は10馬力強化され280馬力であった。

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1956年12月発表され、1957年3月にディーラーへのデリバリーを開始した、キャディラック シリーズ70 エルドラドブロアム。価格1万3074ドルで1957年型400台、1958年型304台が限定販売された。最も安価なシリーズ62の2ドアハードトップ4609ドルの2.8倍、75リムジン6402ドルの2倍であるからいかに高価であったか想像できよう。1957年型と1958年型の違いはドアトリム上部がメタルからレザーに変更されているので識別できる。生産は他のキャディラックと同じフィッシャーボディーのフリートウッド工場で行われた。1959および1960年型はイタリアのピニンファリナでボディー架装が行われた。エンジンは365cid(5981cc)V型8気筒 圧縮比10.0:1、ツイン4バレルキャブレターで325馬力。サイズはホイールベース126in(3200mm)、全長216in(5486mm)、全幅78.5in(1994mm)、全高55.5in(1410mm)でセダン・デビルより3.5in(89mm)低い。バンパーはアルミ鋳物で鍛造アルミホイールと8.40×15タイヤを装着していた。
 超高級車の装備として、エアサスペンションとリアにはアメリカ車初の4リンク方式を採用(エアサスの信頼性は低く、リアサスをコイルスプリングに変更するためのレトロフィットキットが用意された)。ブラシ仕上げのステンレススチールルーフ、アメリカ車初の4灯式ヘッドランプ、オールトランジスタラジオとスイッチに連動したオートアンテナ、エアコン(初の標準装備)、オートマチックメモリーシート、オートマチックトランクオープナーなど当時考えられるすべてを装備していた。グローブボックス、リアシートアームレストにはシガレットケース、ティッシュの容器、化粧道具、磁化され金メッキされたカップ4個、香水とアトマイザー、ノートパッドと鉛筆まで用意されていた。

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1956年GMモトラマに登場したキャディラック エルドラドブロアム タウンカー。昔のショーファードリブンのフォーマルタウンカーを現代風にアレンジしたモデルで、ボディーはグラスファイバー。サイズはホイールベース129.5in(mm)、全長219.9in(mm)、全高55.5in(1410mm)。この個体は1959年の終わりにスクラップに出したが、引き取り先が1989年まで放置したあと売却、その後、何人かの手を経て、1990年代の終わりにエルドラドブロアムのコレクターによってレストアされ現存する。
 広告の中でタウンカーの後方に並ぶ3台は「ムードカー(Mood Cars)」と称する量産車に手を加えたショーモデルで、中段のクルマは「ガラ(Gala)」上段左は「カスティリアン(Castilian)」、上段右は「マハラニ(Maharani)」の名前が与えられている。この中で最もユニークなのは「マハラニ」で、助手席部分にキッチンシンク、トースター、ホットプレート、カトラリートレイ、コーヒーと水のディスペンサー、冷蔵庫、折り畳み式ダイニングテーブルなどを装備している。このクルマはコレクターのもとでほぼオリジナルのまま現存する。

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上の4点は1959年GMモトラマに登場したキャディラック サイクロン(Cyclone)。ハーリー・アール時代最後のドリームカー。ホイールベース104in(2642mm)のシャシーに390cid(6391cc)V8 シングル4バレルキャブレター325馬力のスタンダードエンジン+3速ハイドラマチック・トランスアクスルを積む。ボディーはスチール製でフロントはエアサスペンション、リアはトレーリングアーム+スイングアクスル。黒い巨大なノーズコーンの中にはレーダーが装着され、スバルの「ぶつからないクルマ!!」のコピーとともに我が国で急速に普及した自動ブレーキシステムと、ガイドワイヤーが設置された道路での自動運転も可能なオートパイロットシステムも装備していた。エンジンの排気パイプは後方ではなく、フロントホイール直前のフェンダー下部にある。バブルキャノピーは後方ヒンジで開閉され、後部トランク内に収納可能であった。ドアはボタンを押すと3in(76mm)外側に移動し後方にスライドする。ドア側面中央には開閉可能な四角いパネルがあり、コインの授受などにキャノピーを上げる必要が無いよう配慮されている。テールフィンはもはや戦闘機の垂直尾翼のようだ。(Photos GM)

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フィンの存在感が最高潮に達した1959年型キャディラックの簡易版カタログの表紙。豪華版カタログでは表紙をめくるとこの絵がどんと現れる。

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1959年型4ドアハードトップには2種類のボディー形式が用意された。上側が62セダン(4ウインドー)で、側面まで回り込んだ大きなリアウインドーと細いクォーターピラーを持ち、ルーフはリアウインドー上端より後方にひさしのようにまっすぐ伸びている。下側の絵は62セダン(6ウインドー)で、従来から見慣れたタイプだがクォーターピラーは細く、ルーフは薄く平らになっている。パワーウインドーと2ウエイパワーシートを標準装備したセダン・デビル(4/6ウインドー)はシリーズ63に分けられたが、外観上の違いはサイドのオーナメントのみであった。ホイールベース130in(3302mm)、全長225in(5715mm)の車体に390cid(6391cc)V8 シングル4バレルキャブレター325馬力エンジンを積む。価格は4、6ウインドーとも同じ5080ドルだが、販売台数は6ウインドー2万3461台に対し、4ウインドーは1万4138台で、新しい試みは受け入れられず、1960年型、1961年型では差が開く一方で、結局、1961年を最後にこのルーフ形式は落とされた。それにしてもテールフィンは幅を利かせすぎだ。

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これは1959年型キャディラック エルドラドブロアム。エルドラドブロアムの2代目で、シャシーは130in(3302mm)ホイールベースの標準のものだが、単体でのテストのあとイタリアのトリノにあるピニンファリナに船で送られ、ボディー架装されたあと再度デトロイトに戻され、仕上げとテストを行いディーラーにデリバリーされた。控えめなテールフィン、パノラミックウインドシールドを廃し、「ドッグレッグ(dogleg)」ピラーと称するAピラー、薄く平らなルーフなどは1960年代のキャディラックのデザインに取り入れられることになる。エンジンは他のエルドラドシリーズと同じ390cid(6391cc)V8 トリプル2バレルキャブレターの345馬力を積む。価格は初代と同じ1万3047ドルだが、フリートウッド75リムジンは毎年値上がりして9748ドルになっていたから、むしろお買い得と言えよう。生産台数は99台と公表されているが、実際には100台作ったが、デトロイトで船から荷降ろし中に1台落下させてしまったという説もある。しかし、1960年型は生産台数101台となっているので合計200台と帳尻を合わせている。1960年型を最後に超高級車の生産から遠ざかっていたキャディラックであったが、次に登場させたのが1987年型から1993年型にかけて販売された 「アランテ(Allante)」であった。ピニンファリナで組み立てたボディーを空輸して、デトロイトでエンジン、サスペンションなどのコンポーネンツを組み付けるというクルマであった。

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上の2点は現在GMヘリティッジセンターに温存されているキャディラック サイクロン。
1958年12月にビル・ミッチェルがGMスタイリングのトップ(副社長)に就任すると、真っ先に手掛けたのが行き過ぎた感のテールフィンを修正する作業であった。早速サイクロンの垂直尾翼はこのように改修され1960年代のキャディラックに反映される。フロントフェンダーからテールにかけてロアボディーについたフィン「スケッグ(skeg)」は1960年型エルドラドブロアムに、そして、1961年型キャディラック全モデルに採用された。エンジンフード下に半分隠されていた4灯式ヘッドランプは使用時にはこのようになる。隣にはルマンの4号車、後ろには1953年型エルドラド、1957年型エルドラドブロアムの姿が見える。

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ピニンファリナのエルドラドブロアムに限りなく近づいた姿の1961年型キャディラック62セダン。しかし、シリーズ75ロングホイールベースモデルのパノラミックウインドシールドは1965年まで続く。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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