三樹書房
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第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~
2016.1.27

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(写真00-0) シトロエンの象徴 ダブル・シェブロン(山型の歯車をイメージしたもの)


フランスを代表する「シトロエン」が最初の車を発表したのは1919年6月の事だったから、ライバル「ルノー」の1898年創立と較べれば20年も遅い。設立者のアンドレ・シトロエン(1878-1935)は、オランダ人で宝石職人の父と、ユダヤ系ポーランド人の母の間にパリで生れた。成長すると「エコール・ポリテクニーク」(パリの国立理工科大学)に入学し、そこで受けた教育が生涯を通じて彼の経営哲学の基本となった。それはテクノロジーを社会に貢献させ文明の進化に役立たせる、シトロエンで言えば、社会が求めている車と言う製品を、高品質で、かつ安価に提供し普及させる事が理想であり、使命でもあった。学校を卒業したアンドレが最初に手掛けたのは、歯車の製造工場だった。そのきっかけは母の郷里ポーランドの小さな工場で見せられた「V字」にカットされた見慣れない歯車で、色々調べると伝動効率が良く静粛で軸が受けるスラストも減少することが判った。これにヒントを得てギア製造工場を設立し企業家として順調にスタートを切った。この山形のギアこそが現代に至るまでシトロエンの象徴として知られる「ダブル・シェブロン」(2つの山型)である。その後、経営不振にあった「モール」(Mors)と言うフランスの自動車メーカーの立て直しのためにスカウトされ、自動車業界に関与することになった。当時経営の安定していたメーカー「シュニデール」の傘下に入って「資金の安定」をはかり、エンジンはベルギーの高級車ミネルバの14hpを採用して「高品質化」した。同時にアンドレの生涯のパートナーとなる「ジョルジュ・マリー・アールト」と言う「優秀な人材」を見つけ出し経営の責任者として送り込み、「モール」は立ち直った。1914年第1次世界大戦が始まると砲兵大尉として参戦したアンドレは、フランス軍の大砲の弾が足りない事を痛感し、司令部に対し1日5万発造るからと約束してセーヌ河畔のジャベル河岸に軍需工場(弾丸工場)を造ってもらう。アンドレは以前からヘンリー・フォードの流れ作業に強い関心を持っていたから、これを生かし見事目標を達成した。この場所こそ今は「アンドレ・シトロエン河岸」と呼ばれるシトロエンの本拠器となっており、弾丸造りは遠大な計画の第1歩だったのだ。そして1919年ついに初めての自動車が登場する。この車はアンドレの考える、「自動車は金持ちの贅沢品としてではなくT型フォードやオースチン・セブンの様に道具として庶民の間に普及させて社会の生活レベルを向上させよう」という高い理想のもとに造られたものだから、特に凝ったものではなく大量生産を可能とするごく簡単な構造だった。1934年シトロエンを代表する「トラクション・アヴァン」が生まれるまでの、初期のモデル「タイプA,B,C」はいずれもオーソドックスな後輪駆動だった。

<第1部 創生期から1930年代までの「後輪駆動」の時代>

(写真01a-c) 1923 Citroen B-2 Caddy Sport Torpedo   (2002-01 レトロモビル・パリ)
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タイプAをベースに大量生産の為1921年に生まれたのが「B2」で、エンジンは1327ccから1452ccに拡大され18hpから20hpと強化された。写真の車はその中でも洒落たボートテールのオープンモデル「キャディー・スポール」で、エンジンも22hpまでチューニングされたスポーティー・カーだったが、車を単なる道具と考えるシトロエンの購買層にとっては特に必要は感じなかったらしくごく少量造られただけだった。同じ「B2」をベースにしたタクシー・キャブは大ヒットしパリの街を埋め尽くしたのだが・・・。

(写真02-1a) 1923 Citroen C 5CV 2-seater Torpade (2002 -01 シュルンプコレクション)
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「B2」が生まれた翌1922年3月には「超小型」の「タイプC」(通称5CV)が誕生した。この車は856cc,11hpのエンジンを持つ小型車だが、当時1000cc以下の車は「サイクルカー」と呼ばれ、自動車以下の乗り物と見做されていた。しかしシトロエン5CVは大型車の機構と品質を小型車の枠に収めた立派な自動車で、これは奇しくも同じ年にイギリスで誕生したオースチン・セブンと全く同じ立場で社会に新しい風を吹き込んだ。写真の車はフランスのシュルンプ・コレクションで撮影したもので、日本では「せみ」と呼ばれていたボートテール、2人乗りの人気モデルだ。

(写真02-2a-c) 1924 Citroen C-3 5CV 3-seater Cabriolet    (1999-01 トヨタ自動車博物館)
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写真の車はトヨタ自動車博物館の展示車で、1923年発表された3人乗りの「C-3」だ。3人目のシートはランブル・シートの様にトランク中央の位置に1人分付けられた。幌が車体の最後部まであり、リアにスペアタイアを装着している。この塗装は初期のオリジナルカラー「レモン・イエロー」で、フランス語のレモン(Citron)→シトロンをシトロエンに関連付けたシャレだ。

(写真03-1a-c) 1932 Citroen C-4 Torpede (1960年 赤坂溜池・日英自動車)
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僕が最初に見たシトロエンは前輪駆動の11CVだったから、こんな「普通の」シトロエンがある事は知らなかった。この日も土曜日の日課で自転車で溜池方面をカーウオッチングしていて見つけた物だ。「C-4」は「C-3」の後継車ではなく、「A」「B-2」「B-10」「B-12」「B-14」と続いた10CV系中型車の後継車で4気筒1628cc 30hpのエンジンを持っていた。オーナーは背景に写っている「日英自動車」に当時お勤めの故西端日出男氏で、後日知遇を得てご自宅に伺った際、日英自動車の前で撮った写真としてお見せしたら「ああ、これ僕の車だよ」と言われたのも懐かしい思い出だ。

(写真04-1ab) 1931 Citroen C-6F Cabriolet (2003-01 パリ・レトロモビル)
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「C-4」と同時の発表された「C-6」は、6気筒 2442cc, 41.5hpのエンジンを持つ、シトロエンとしては初めての大型車である。とてもお洒落な車だがこれと言った特長が無いので、言われなければシトロエンとは気付かないくらいだ。

(写真05-1a-c) 1932-34 Citroen Type15 Rosalie Cabriolet    (2002-01 パリ・レトロモビル)
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 1932年秋「C-4」には」「タイプ8」「タイプ10」が、「C-6」には「タイプ15」が後継車として登場した。「8」は「B-12」の1452ccエンジンが再起用され、「10」には「C-4」の1767cc, 「15」には「C-6G」の2650ccのエンジンが引き継がれた。写真の車は中では一番大きい「15」で、この車からは僕らがシトロエンと言われてイメージする「ハート形のグリル」と「ダブル・シェブロン」のシンボルが初めて採用された。そして後輪駆動としては最後のモデルとなった。ただ「8」「10」については前輪駆動の「7CV」「11CV」が大人気を博した後も「前輪駆動嫌いの顧客」の為に1941年まで延々と造り続けられていたことはあまり知られていない。このシリーズは次項に登場するレコードブレーカーの名前を取って通称「ロザリー」と呼ばれている。

(写真05-2 a-c) 1933 Citroen Petite Rosalie      (2003-01 パリ・レトロモビル)
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写真の車はシトロエンの歴史上「伝説」の車と言われる「ロザリーⅢ」と呼ばれるレコードブレーカーである。シトロエンはこれまでに2回記録に挑戦しており、最初は1931年「C6」を使ってモンレリー・サーキットで行われ10月25日から11月1日まで22日間走った。シトロエンの狙いはスピードを競うのではなく、実用車としての耐久性を示したかった挑戦だった。2回目は生産車「C6G」をストリップダウンした「ロザリーⅡ」で1932年3月5日にスタートし4月27日までの54日間に136,083kmを走破した。写真の「ロザリーⅢ」は8,10,15の中で一番小さいプチ・ロザリーと呼ばれる「タイプ8A」が使われた。1933年3月15日スタート、6月27日停止するまでの133日間、一度もエンジンを止めることなく走り続け30万キロを平均93.4km/hで走った。


<第2部「前輪駆動」(トラクション・アヴァン) 7CV、 11CV、15CV >

1931年、アンドレはアメリカに渡り、自らの範とするヘンリー・フォードに会い工場見学で多くの事を学んで帰国する。帰国後、突如3万平方米の工場をつぶして新たに12万平方米の工場の建築を発表した。それは従来と全く違う新しい車(後年「トラクション・アバン」と呼ばれる前輪駆動の車)を造るため、大量生産を可能とする効率的なラインを持つ工場とする為だった。フォード工場を見学したのはこの目的があっての事だろう。この時期シトロエン社は国内の生産台数はトップなのに財政はかなり悪化しており、銀行との関係も破綻しているという状態の中で無謀なこの計画の為アンドレは資金集めに奔走し、工場は完成したが彼は命をすり減らし、1号車がライン・オフした1934年3月から1年後胃がんのため亡くなった。この無謀とも思える投資は予想通りシトロエン社の財政を破綻させ、1934年ミシュランの援助を受けることになってアンドレはついにシトロエン社から身を引くことになったから、亡くなった時は一介の市民として町に溢れる「トラクション・アバン」をどんな気持ちで見ていたのだろう。それにしても前例の少ない前輪駆動と言うシステムをアンドレが何故採用したのかは謎だ。


(写真06-1ab) 1934 Citroen 7CV (2003-01 シュルンプコレクション/ミュールーズ)
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一連の前輪駆動シリーズは1934年の「7CV」から始まった。写真の車はその最初期の車で、「山形のマークがグリルの網目の内側にある」「ワイパーが屋根から出ている」「ボンネットの排気孔が2枚で後ろ開き」「トランクが無い」などの特徴を持っている。

(写真06-2a-c) 1934 Citroen 7CV RosalieⅦ (2002-01 パリ・レトロモビル)
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耐久記録への挑戦は、出来立ての「トラクション・アバン7CVクーペ」をストリップ・ダウンしたこの車でも行われた。既に「Ⅶ」まで来ているから短期間で矢継ぎ早やにチャレンジされたようだ。ボディの横に貼られたステッカー<YACCO>はスポンサーのオイルメーカーだ。前輪駆動でこんなにハンドルを切って大丈夫?と心配になるが「安心してください!」これは17ミリレンズによる歪で実際は右の車輪程度です。

(写真06-3a-c) 1938 Citroen 7CV (2010-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)
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7CVは同じホイールベース(2,910mm)に1303cc,1529cc, 1911cc, 1628ccの4種のエンジンが用意された。写真の車は1628cc付きの「7CV-Cタイプ」で1934~38年まで造られた人気モデルだ。後期モデルの特徴は後ろに「トランクが付いた」こと、ボンネット・サイドの2枚の通気口の内「前側の把手が前方にある」の2か所だ。7CVは1938年で生産が打ち切られたので、国内で現役時代には1度も出逢った事はなかった。シトロエンは英国でも造られ7CVは「トゥエルブ」と呼ばれた。

(写真07-1a-c) 1937 Citroen 11CV Normale(Big fifteen)Berline (2004-04 トヨタ自動車博物館)
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11CVは1934年から第2次大戦を挟んで1954年まで、延べ20年に亘って殆どその外形を変えないで造り続けられた、自動車史上でもまれに見る傑作である。逃げるギャングも、追う警官も、横に停まっているタクシーも塗装は違っても中身は皆同じシトロエンと言うのはフランス映画では当たり前の景色だった。11CVは戦前,戦後を通してエンジンは全て4気筒78×100 1911ccの 1種だけで、それに 2種のホイルルベースが用意された。2,910mmは7CVと同じで「レジェ」(英国名ライト・フィフティーン)、3,090mmは「ノルマル」(英国名ビッグ・フィフティーン)と呼ばれた。それぞれに「戦前型」「戦後型/前期」「戦後型/後期」と細かい変化が見られる。

(写真07-2ab) 1935 Citroen 11CV Legere   (2003-01 パリ・レトロモビル)
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「パリ-モンテカルロ-パリ」と書かれたボディを見れば「モンテカルロ・ラリー」を走った車かと早とちりしてしまいそうだが、この車はフランソワ・レコと言うモンテカルロのホテル経営者が個人で耐久記録に挑戦した車で、1935年7月22日から1936年7月26日までの1年間、毎日々々1000キロ以上国道を走り続けて40万キロを走破した。[3057-RJ7]のナンバーを付けた車に毎日出会う事に気づいたトラックドライバーの間で話題となり、姿を見かけると道を譲ったという。「個人で」と書いたのは、この計画をシトロエンに持ち込んだが断られ、彼は市販の11CVを購入して記録に挑戦したという経緯があったからで、車はドライビング・ランプが増設された以外は市販車のままだった。 

(写真07-3a-e) 1939 Citroen 11CV Legere Roadster (2004-06 プレスコット/イギリス)
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人間にも「刷り込み現象」が有るとすれば、僕が最初に見たシトロエンは「黒」だったから、この鮮やかなオープンカーを見つけた時の驚きと言うか違和感は大きかった。一回り廻って落ち着いてからの感想は「ああ、こんなお洒落な塗り方が本物なんだ」と言う納得感だった。カタログのオープンモデルはカブリオレだが「オートカー」誌の記事でもこの種の車は「ロードスター」と書かれていたのでそれに従った。

(写真07-4a-d) 1934-35 Citroen 11CV Normale Roadster (2000-05 ブレシア/ミッレミリア)
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シトロエンの外形は一見すると全部同じに見えるので7CVと11CV、レジェールとノルマーレの見分けが難しい。レジェールとノルマーレはホイルベースが180ミリ違うとは言っても見た目は印象だけで、明確に判るのはクオーターパネルの幅の広さが手掛かりだが、写真の様なオープンモデルでは全体の印象で判断するしかない。と言う訳で推定「ノルマーレ」としたが、レンズの長短で写り具合も変わるので気を付けたい。場所はミッレミリアの車検場の隣りにある教会前の「ドーモ広場」で、洒落たこの車に似合った落ち着いた雰囲気だ。

(写真07-5a) 1935-40 Citroen 11CV  (1998-01 ディズニーランド/フロリダ)
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写真の車はフロリダのディズニーランドでインディー・ジョーンズのアトラクションへ向かう途中で見つけた物で、戦前型のクーペかロードスターのように見える。第2次大戦の情景を想定した設定だが、ドイツ軍はフランスで押収したシトロエンをスタッフカーとして使用していた。この塗装はヒトラーがパレードに使用した540K(後2軸のG4)と同じ配色だ。

(写真08-1a) 1945-52 Citroen 11CV Normale      (1959年 静岡市内 )
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この車は戦後前期型で僕が初めて見たシトロエンだ。場所は静岡市内でナンバーは無く、駐車場ではない空地に止めてあったが、まだコンデションは良さそうに見えるのでその後復帰したことを祈る。戦後型の最大の特徴はボンネットサイドのルーバーが細いスリットに変った事だ。前期型としてはワイパーが屋根から下向きに付いている事と、後にスペアタイヤを背負いトランクの膨らみが無い事で見分けられる。窓の後のパネル部分の面積が広いので「ノルマーレ」と判定できる。

(写真08-2a-d) 1950 Citroen 11CV Light Fifteen Saloon     (1990-01 汐留レールシティ)
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この車は右ハンドルの英国製なので、「ライト・フィフティーン」(本国のレジェ相当)と呼ばれる。戦後前期型の特徴を備えているが、英国版の「Gold Portfolio」によると英国製はダブルシェブロンが戦後もグリルの内側にあるのが正規のスタイルだ。

(写真08-3a-c)1945-52 Citroen 11CV Normale (1961年 横浜市内)
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街中で捉えたシトロエンの年式は正確には確認できない。しかしこの車の素性は真横の写真から「ノルマーレ」とはっきり確認できるが、もう一つ気が付いたことがある。それはこの車が「3ナンバー」だった事だ。排気量は1911ccだから本来は「5ナンバー」だが「3ナンバー」と言うのは長さが小型の枠を超えている明らかな証拠だ。

(写真09-1 a-c) 1953 Citroen 11CV Legere (1960-10 アメリカ大使館横/虎の門)
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この車は後ろにトランクの張り出しが付いた戦後の後期型だが、ワイパーが一つだけ屋根から下についているのは不思議だ。よく見ると窓の下側にワイパーの痕跡らしいものが有るので、部品が無くて応急処置で旧型の物を1つだけ付けたのかも知れない。場所は虎ノ門のアメリカ大使館正面左側で、後の塀はホテルオークラ、この急な坂道の上には霊南坂教会が有る。

(写真09-2a) 1953 Citroen 11CV Legere (1959年 東京モーターショー/晴海)
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横1列の古い形式のナンバープレートは1951年(昭26)制定されたもので、上下2段タイプが登場するのは1955年(昭和30)からとなる。横1列のプレートが表わす意味は、神5は現在と同じだが-(ハイフン)の後の最初の数字の1は「自家用」を示している。(因みに事業用「2」、外人用「3」、官公庁用「4」と分類されていた。)その後が登録番号となっている。この時同時に撮影した車も周りの車も皆2段式の新方式のナンバーだったからこの車だけは車検がまだだったのだろう。
  
(写真09-3ab) 1953-57 Citroen 11CV Legere    (1962-04 渋谷駅前) 
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この写真の車は横から見た時随分短く、屋根が高いずんぐりした印象を受ける。写真を取る位置が一寸高かったため屋根のラインが多く写り込んだからだが、中途半端なこの角度は失敗だった。

(写真09-4ab) 1953-57 Citroen 11CV Legere    (1962-01 第3回東京オートショー/千駄ヶ谷)
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同じ上から撮っても、この角度は特徴を捉えた中々のアングルだと思う。寒い季節なのでラジエターの冷え過ぎを防ぐ「マスク」を付けているが、これがまた格好良く見せる。

(写真09-5a-c) 1953 Citroen 11CV Legere   (1965-11 第3回CCCJ コンクール・デレガンス)
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完璧に整備された車のことを「コンクール・コンディション」と言うが、この車はその状態でコンクールに臨んでいる。わが国では最もレベルの高い日本クラシックカークラブが開催するもので第3回目は池袋西武デパートに隣接する駐車場ビルの屋上が会場となった。

(写真09-07a-d) 1953-57 Citroen 11CV Legere (1966-06 表参道/原宿)
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今から丁度50年前の表参道がこれだ。車の向こうに見えるコンクリート造りの建物が「青山アパートメント」と言われた「同潤会アパート]で、大正15年から昭和2年にかけて関東大震災の復興事業の一翼を担って不燃性の鉄筋コンクリート集合住宅としては建築史上では最初期に造られた建築物だ。今では当たり前だが電気、都市ガス、水道、ダストシュート、水洗トイレが完備する最先端のモダンアパートは憧れの存在だった。当時の一般家庭と言えば電気は普及していたが煮炊きはかまどで薪を焚き、水は井戸からポンプで汲み上げ、トイレは汲み取り式が当たり前だった。この建物は2003年解体され、その跡地は現在「表参道ヒルズ」となっている。

(写真09-8a-c) 1953-57 Citroen 11CV Normale     (1958年 羽田空港)
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この車は僕が出逢ったシトロエンの中では2番目だったと思う。まだ静岡に住んで居た頃弟を連れて羽田空港へ写真を取りに来た時の物だ。まだ横1列の古いタイプのナンバープレートは3ナンバーなのでこの車はロングホイールベースの「ノルマーレ」だ。-(ハイフン)の後が3から始まるのは俗に「3万番台」と言われた軍関係以外の在留外人用ナンバーだ。

(写真09-9a-d)1953 Citroen 11CV Normale (2002-01 パリ・レトモビル会場前)
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地下鉄を降りてレトロモビルの会場へ向かう途中に停まっていたシトロエンだ。50年前のパリではこんな風景が当たり前のように見られたのだろう。シトロエンはやっぱりパリが似合うなァ。

(写真09-10a-d) 1955 Citroen 11CV Normale (2013-05 タミヤ本社前/静岡)
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毎年開催される「静岡ホビーショー」に合わせて、すぐ近くの「タミヤ本社」前に展示された軍用車などの中で見つけたシトロエンだ。この車も3ナンバー付きなのでノルマーレと確認できる。日常使用されているのだろうがとても綺麗な状態が維持されている。

(写真09-11a-c) 1956 Citroen 11CV Familiale 6窓8人乗り (2008-01 シュパイヤー科学技術館)
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この車は日本では見る事の出来なかった6枚窓の「ファミリアール」だ。ホイルベースはノルマーレより170ミリ延長された3260ミリで、中央に補助シートを付けて8人乗りとなった。

(写真10-1a-e) 1939 Citroen 15 Six G Cabriolet     (2003-01 パリ・レトロモビル)
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市販された中で一番大型だったのはこの6気筒15CVだが、それ以前にファミリアールのシャシーに4気筒の11CVエンジンを2つ組み合わせた8気筒3822ccの「22CV」がごく少数試作された。このプロジェクトは財政の悪化で中止されていた。その後11CVの大ヒットで経営が安定したので開発が再開され1938年パリ・サロンで発表されたのが「15-Six」として実現したこの車だ。6気筒エンジンは4気筒11CVのエンジンに2気筒を追加したもので2867cc 76hp/3800rpmとなった。日本にも1台輸入されたが僕は出逢うことが出来なかった。外見的にはグリルにはっきりプレートで表示されるが、ホイルベースはノルマーレと同じ3090ミリで特に長くは無いので横からでは見分けは至難の業だが、ボンネットの長さが2気筒分だけ前方に延長されているのが見分けられるだろうか。

― 次回は「ID,DS,SM系の予定です -

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第51回 D項-4 デイムラー(英)

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第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

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第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

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第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

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第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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