三樹書房
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第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他
2015.11.27

(01)<カール・メッツ>(独)
今回最初に登場するのは自動車メーカーではないが、既成のシャシーを使って消防自動車を造っていたメーカーで、その歴史は古く、創立は1842年と言うから勿論自動車はまだ生まれる以前のことで、馬車が牽引し手押し或いは蒸気エンジンでポンプを駆動したと思われるが、消火器、ポンプシステムのパイオニアとして長く世界中に採用されてきた。わが国でも梯子車が大正時代に輸入され昭和30年代まで現役で活躍してきた。

(写真01-0)(参考)1865 Carl-Metz Londspritze(2008-01 シュパイヤー科学技術博物館/ドイツ)
01-0 08-01-14_0941 1865 Carl Metz Londspritze(手動ポンプ).JPG
ごく初期の消防用具として参考に掲載した。自動車が出現するずっと以前の事で、馬車で現場に到着すると4人がかりの人力ポンプで放水したものだ。わが国にも手動ポンプは存在し、それを「竜吐水」と呼んだ。

(写真01-1a~c)1924 Carl- Metz Turntable Ladder+1959 Isuzu BX (2006-07-26 消防博物館)
01-1a 06-07-26_069 1924 Carl-Metz+1959 IsuzuBX.JPG

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1925年(大正14)輸入された木製3段機械伸長式のはしごを持つ消防自動車は、第一消防署(現日本橋消防署)に配属された。34年後の1959年(昭和34)シャシーが老朽化したため、いすゞBXに積み替えられた姿が写真の車で、1971年(昭和46))まで通算で47年も現役で活躍した。輸入時のシャシーは資料からは判らなかったが多分次の項と同じベンツだったのではないかと推定した。


(写真01-2a~c) 1926 Carl-Metz Turntable Lader+1926 Benz 4cyl 100hp
(2008-01 シュパイヤー科学技術博物館/ドイツ)
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前の車とほぼ同じ頃造られたもので木製3段式のはしごの構造も同じだ。多分これと同じものが日本にも輸入されたと思われる。

(写真01-3a~c)1955 Mercedes Benz +Metz Aerial Ladder (2006-07-26 消防博物館・四谷)
01-3a  06-07-26_078 1955 Carl-Metz+Mercedes Benz.JPG

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メッツ+ベンツの戦後版で梯子は金属製に変っており、6段分の梯子が収納されている。案内板には「Aerial Ladder」と書かれており、僕の辞書では「消防用梯子車の折りばしご」と訳されていたのでこの梯子が折れ曲がるのだろうか、と悩んだが、その後別の資料で「繰り出しはしご」の訳があり安心した。
 
(写真01-4ab)1952 Mercedes Benz LF3500+Metz DL22 Ladder (2008-01 ベンツ博物館)
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ベンツ博物館に展示されていた車なので「ベンツ+メッツ」とベンツが先の表記になっている。前項の日本にあるものと同じ頃の製品でひと回り小型の5段式だが構造は同じ様だ。


(02)<ケーターハム>(英)
ケーターハムを語るについては、その前に「ロータス」に触れなければならない。 1947年、当時19歳でロンドン大学工学部の学生だった「コーリン・チャップマン」が1930年式のオースチン・セブンを改造して組み上げたスペシャルを「ロータス」と名付けたのがすべての始まりで、後年「Mk1」と呼ばれる車である。(Mk2が最初の「ロータス」との説もあるがMk1が「オースチン・セブン改」ではなかったので最初からロータスとの説を採った)1951年1月には「ロータス・エンジニア社」がロンドン市内で法人としてスタートし、1952年には改造車ではない初の市販車「Mk6」が完成し1955年までに100台造られた。1957年秋のロンドン・ショーではその発展型「ロータス7」が発表され大反響を呼ぶ。これがその後50年以上改良を加えられながらも、オリジナリティを保ち続け、軽量オープンスポーツカーの一つのスタンダードとして歴史に残る「ロータス7」の誕生であった。それまでの慣習からいえば名称は「Mk7」だが、このモデルからは「ロータス7」と呼ばれ、以後その改良型は「ロータス スーパーセブン・シリーズ2/3」と呼ばれた。シリーズ2/3を経て、1970年3月のジュネーブ・ショーで大幅に改良された「ロータスセブン・シリーズ4」が発表された。これは社内分類でいえば「Mk7」ではなく、新たに「Mk36」の番号を与えられた全く別のモデルであるにもかかわらず、対外的には「ロータスセブン・シリーズ4」であった。この車はFRP一体成型のデューン・バギー風のボディを持ち、大量生産によるアメリカ進出も視野に入れていたが5マイルバンパーの壁に実現不能となり、また国内でもあまりにも「いかつい」その形が愛好家から受け入れられないところから、1973年には早々と生産中止を決定した。そこに現れた救世主がロンドン市内のケーターハムという街でロータスのデーラー「ケーターハム・カーセールス」を経営していた「グラハム・ニアーン」で、シリーズ4の製造権及び部品、冶具、工具など設備一式を取得し、週6~7台のペースで生産を再開したのが現在に続く「ケーターハム」だ。だからケーターハムは他のレプリカ車と違ってロータスの車名は持たないが血統的にはロータスの直系である。
 
(写真02-0ab) 1973 Lotus Seven Series4   (1980-05 筑波サーキット)
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写真の車はケーターハムになる直前のオリジナル「ロータスセブン・シリーズ4」で、この角ばった無骨さが古くからのロータスファンには違和感があったようだ。「ケーターハム」と名前が変わってからも殆ど同じスタイルで生まれ変わったようだ。と言うのはケーターハムになってからの「シリーズ4」を僕は一度も撮っていないし、ロータスの資料にもケーターハムの資料にもその写真を確認出来なかったからだ。

(写真02-1ab) 1975 Caterham Series 3 (1979-05 筑波サーキット)
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02-1b (79-03-27) 1974- Caterham Super Seven.jpg
ケーターハムに変ってしばらくは、ロータスを引き継いでそのまま「シリーズ4」を製造していたが、翌1975年からはごつい「シリーズ4」から、誰もがオリジナル・セブンをイメージする「シリーズ3」に切り替えし、以後ロング・セラーを続けている。


(写真02-2ab)2006 Caterham Super Seven (2007-06 ビューリー英国国立自動車博物館)
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イギリスのビューリー国立自動車博物館にあったこの車はケーターハム50周年アニバーサルモデルでパリのレトロモビルに展示された車とあった。変遷の激しいこの業界で随分長く頑張ったものだ。


(写真02-3ab)2010 Caterham Superlight R300 (2009-10 東京モーターショー/幕張メッセ)
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ケーターハムは最近のモーター・ショーにも出展しており、50年以上経っても昔と殆ど変らない元気な姿を見せている。


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(03)<CD-パナール>(仏)
「CD-パナール」の前に「DB-パナール」と言う車もあったので紛らわしい。元々は大学出の技術者「シャルル・ドーチェ」(Charles Deutsch)と、シトロエンの代理店経営者「ルネ・ボネ」(Rene Bonnet) が1938年に共同で設立し、両者の名前をとって「DB」と名付けられた会社があり1948 年からはパナールをベースにしたチューニングカーを「DBパナール」として販売していた。しかし1962年になって、両者の意見が対立しそれぞれが会社を造って別の道を行くことになる。そこでドーチェが作った会社が自分の名前をそっくり入れた 「SERA-CD」(Societe d' Etudes et de Realisations Automobiles-Charles Doutsch)で、パナールをベースにしたレーシングカーでルマンに挑戦し、小型車部門で性能指数賞を受ける。因みに一方のボネの方は「オートモビル・ルネ・ボネ」と云う名でルノー系のエンジンで同じくルマンに挑戦し、後年「マートラ」に吸収された。
 
(写真03-1a~c)1964 CD-Panhard LeMans Car (2002-01 レトロモビル/パリ)
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ベースとなったパナールの市販車は、一見2リッター・クラスにも見える大きなボディを持っているがエンジンは僅か845cc しかなく、軽量と優れた空力性能が特徴だった。写真の車もかなり大きく見えるが流れるようなボディラインが美しい。ルマンの長い直線に備えた特大の安定板はまさしく飛行機の尾翼だ。

(写真03-2ab)1964 CD-Panhard LeMans Car(2010-07 フェスティバル・オブ・スピード)
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前から見ても極めて空気抵抗が少なそうで何処にも出っ張りがみられない。

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(04)<C G>(仏)
この車を造った会社は1950年代からパリで生産を続けていたカロセリア(ボディメーカー)で、シャップ・フレールとして知られているが、社名のフルネームは「シャップ・フレール・エ・ジェラン」で、社名「CG」の由来はここから出ている。ルノー・ベースのスポーツカー「アルピーヌ」とは初期からの付き合いで、初の本格的市販車「A106」はミケロッティのデザインでこの会社がボディを造った。1966年にはシムカをベースに自らの名前を付けた「CG 1000」をパリ・サロンでデビューさせ自動車メーカーとなった。

(写真04-1a~c)1970 CG 1200 S Coupe (1990-01 レイルシティ・汐留)
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04-1c  90-06-04 1970 CG 1200S Coupe (シムカ・エンジン).jpg
「CG」のバッジが無ければどこから見ても「アルピーヌ」だ。それもその筈で、長い間アルピーヌのこのボディを造り慣れている会社だから無理もない。


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(05)<チャンピオン>(マイコ・チャンピオン)(独)
第2次大戦後、「ミニカー・ブーム」は世界中で展開された。資材不足や庶民の懐具合から取りあえずの移動手段は2輪のモーターサイクルから始まったが、そのあとはだんだんと上を望むのは当然の成り行きで、次は3輪、4輪へと庶民の足は移っていく。居住性を高める為キャビン付き又はクローズド・ボディが造られた、とは言ってもエンジンはモーターサイクルから転用された300~400cc程度で、自動車の一歩手前の「ミニカー」どまりであった。4輪の仲間には「ロイト」「ゴッゴモビル」「ツンダップ」「BMW600」、キャビンスクーターでは「BMWイセッタ」「メッサーシュミット」「ハインケル」などが知られている。


(写真05-1a~d)1954 Champion(Maico) 400H Combi
(1960年9月 港区麻布鳥居坂町・ドイツ大使館前)
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戦後の珍車と言うとよく顔を出すこの車だがコンビ仕様は中でも珍しい。チャンピオンは戦後次々と現れたバブルカー/ミニカーの生き残りの一つで、この車が造られた頃、戦前からの2輪メーカー「マイコ社」に吸収されて「マイコ・チャンピオン」となった。エンジンはハインケル用の2気筒398ccだが、ボディが大きいため立派な5ナンバーだ。

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(06)<シャパラル>(米)
「シャパラル」と言う会社は「ジム・ホール」とその協力者「ハップ・シャープ」によって1962年誕生した。テキサスの大富豪ジム・ホール自身は1950年代からヨーロッパのスポーツカーでレース活動を続けていたが、アメリカ製のV8エンジンを使ったレーシングカーを自ら造るため、実績のあるディック・トラウトマンとトム・バーンズを起用し、完成したのが「シャパラル1」である。

(写真06-1ab)  1961 Chaparral 1 (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
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(写真06-2a~c)1961 Chaparral 1 Sport Racing Car (2004-08 オークション会場/モンタレー)
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(写真06-3a~c)1961 Chaparral-Chevrolet Mk1 5.4Litre V8  (2004-06 グッドウッド)
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シャパラルが造った車は、ハプ・シャープとコンビを組んだ後の「2シリーズ」と、それ以前の「1シリーズ」に大別される。写真の車は1961年に造られた前期モデルで設計者の名前から「トラウトマン&バーンズ・シャパラル」とも呼ばれ、鋼管マルチチューブラフレームにシボレーの4.6リッターV8エンジンをフロントに置く典型的なレーシングカーではあったが、ミッドシップ・エンジンが主流となり始めた時代に入っており、華々しい成績は残せなかった。全部で5台造られ1961-62年に参戦している。

(シャパラル2シリーズ)
ジム・ホールがハプ・シャープと組んでから造った「2シリーズ」には9つのバリエーションがあった。いずれも空力的な発想が独創的で、ジム・ホールと言う人物が金持ちの道楽でレースカーを造っていたのではなく、エンジニアとして並はずれたアイデアの持ち主であったことが伺える。そのアイデアは「FRPモノコック・シャシー」「サイド・ラジエター」「セミ・オートマの採用」「可動式ウイング」「ハイマウント・ウイング」「サスペンション直結ウイング」「ファン・カー」「色々な手を使ってダウンフォースを増加させてコーナーリング性能をあげる」など以後のレース界に大きな影響を与えている。

(1)「2A」1963-64 ツインチューブFRPモノコックにエンジンはシボレー5360ccをミッドシップに積んだスパイダーで、口ひげと呼ばれたノーズフィンとトルクコンバーターによるセミオートマチックを採用していた。(3台)

(2)「2C」1965 ボディはモノコックとなり、材質はスプリントレース用にはアルミ、耐久レース用にはFRPが使われる事になった。この車の最大の特徴は、車体後部に備えられた「フリッパー」と呼ばれる油圧式の可変ウイングで、セミオートマの採用で仕事の無くなった左足でペダルを操作し、踏み込むと水平になって抵抗を減らし、離すと斜めになってダウンフォースを増やすという他車が真似の出来ない効果的な仕掛けを持っていた。

(3)「2D」1966 オープンの「2A」にトランクと屋根を付けて「グループ6」様に改装したもので4灯式ヘッドライト、3段式セミオートマとなり、可動式ウイングは固定式スポイラーとなった。

(4)「2E」1966 Can-Am用スパイダーボディで最大の特徴は2メートルも高い位置に巨大な可動ウイングを備えている事で、ボディからの乱気流の影響を受けないための対策だ。ウイングのダウンフォースは後輪のアッパーアームに直結されボディに関係なく直接バネ下に作用するように改良された。

(5)「2F」1967年グループ6用として造られた「2F」は、「2D」の進化型で、ボディの基本スタイルは変わらないが丸みのあるスタイルからエッジを持つシャープなものとなる。エンジンはシボレーの7リッターV8で強化を図ったが、これが裏目と出て他の部品の強度とバランスが取れずトラブルが多発した。「2E」と同様のハイマウント可動ウイングは効率の良い翼型断面となった。

(6)「2G」1967-68 年に使用されたCan-Am用スパイダーで、エンジンをシボレー7リッターV8に強化した「2E」の後継・進化モデル。

(7)「2H」1969年Can-Am用マシンで、空気抵抗を減らす事を最大の目標に造られたのが一見して感じられるボディは、先端から後ろへ向かってゆるやかな傾斜の楔形で余計なものを一切持たない。初期のモデルではフロントウインドもその傾斜と同一面で、ドライバーは現代のF1のように、或いはそれ以上に寝そべった姿勢でコクピットに収まる事になるが、最終的にはドライバーのクレームで顔が出せるように改装された。 

(8)「2J」1970年 Can-Am用(グループ7)スパイダーで、エンジンはシボレーの7.6リッターV8となった。この車の最大の特徴は、外見では後ろにクーラーの屋外器の様な大きなファンを2つ持っている事、性能では車体の下の空気を強制的に吸い出して車体を地面に吸い寄せてダウンフォースを得ようという画期的な構造を持っている事だ。

(9)「2K」オープンホイールのインディ500用マシンで、コスワースDFXのターボ付き3リッターV8エンジンを積んでおり、1980年にはジョニー・ラザフォードのドライブで優勝している。その後も挑戦するも81年はリタイア、82年は8位と結果は残せなかった。


(写真06-4a~d)1970 Chaparral-Chevrolet 2J"Fan Car" (2007-06  グッドウッド)
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AからKまで9つある「シャパラル2」シリーズだが、僕がカメラに収めているのは「2J」1種しかない。しかしこの車はエポックメイキングな車として、後世に語り継がれる車であることは間違えない。「ファン・カー」とも呼ばれるこの構造は、補助エンジンの回転でファンを回し車体内の空気を強制的に吸い出して負圧で地面に吸い寄せダウンフォースを得るもので、走行速度に大きく影響される「ウイング」と違って、速度に関係なく効果が得られる。ただし吸い込んだ小石交じりの空気は後ろに噴出されるから後続車両には大変危険である。1970年Can-Amシリーズで実戦を走ったが、1969年中頃FIAが改正した「エアロパーツは固定式であること」と言う規則に違反するとされ、翌年からファン・カーは禁止された。



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(07)<チェッカー>(米)
チェッカーと言う名の付いた車は1920年誕生しているからアメリカでも古いメーカーだが、一般の日本人には殆ど知られていない。例外はニューヨークなどアメリカの大都市で暮らしたことのある人と、熱烈なアメリカ映画ファンだろう。この会社は誕生以来ひたすら「タクシー」のみを造り続け、その名の通りチェッカーのストライプをウエストに貼ったタクシーは「チェッカー・タクシー」と固有名詞で呼ばれたから、アメリカ人にとっては身近な存在だった。僕も1950年代のアメリカ映画ファンだったから画面で嫌と云うほどこのチェッカーを見てきた。しかし日本には輸入されたかったようで現役のタクシー・キャブには1度も出会うことは無かった。

(写真07-1a~c) 1961-62Checker Marathon 4dr Sedan (1962年 港区赤坂田町1丁目)
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写真の車は1960年からタクシー・キャブと並行して売り出された一般向けのモデルで、あまりモデルチェンジをしないので年式の特定が難しい。場所は地下鉄赤坂見附駅を出たところで、車の後方は外濠通りと青山通りが交わる赤坂見附交差点だがまだ高速道路は出来ていない。


(写真07-2a~c) 1969 Checker Aerobus 8dr Station Wagon (1982-01 神宮外苑・絵画館前)
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ダックスフンドの様な胴長のこの車は本来は空港送迎用の車で、マイクロバスと違ってドアが沢山あるので乗り降りが素早く出来るのが特徴だ。普通のステーションワゴンを窓2つ分だけストレッチしたものだが、同じストレッチリムジンでも4ドア版の高級車の場合は室内は広いが屋根が低く、奥から中腰で出て来るのは難儀だった記憶がある。写真の車は「エアロ・バス」で「リムジン」と言ってはいないが、アメリカではパーテーション付きの高級車の他に、マイクロバスやドアの沢山付いた一度に大勢送迎できる車を総称して「リムジン」と呼んでいるから、ハワイ旅行のパンフレットなどで「リムジン送迎付き」とあったのにマイクロバスだったとしても文句は言えない。写真の車は「ラーメン屋さん」のものだが、出来れば「うなぎ屋さん」の方が良かったなァ。

(写真07-3ab)1981 Checker Taxi Cab Model Car
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タクシー仕様の本物は撮っていないので我が家のモデルカーでご勘弁願いたい。SunStar社の1/18スケール ダイキャスト製モデルカーで、ロスアンゼルス市仕様のこの車にはチェッカー・ストライプは無い。 

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(08)<シェブロン>(英)
シェブロン社は1933年イギリス・マンチェスター生まれの「デレック・ベネット」(Derek Bennett)によって1965年設立された。デレックのレーシングカーとの関わりはバックヤード・ビルダーから始まり、自分の操縦で優勝を重ねるうちに周りから求められて、いつの間にか車を造るのが仕事になってしまった、という経過はロータスのコーリン・チャップマンと同じだ。会社設立後に造られた車は「シェブロン」と名付けられ、ベネットの頭文字「B」の後に順番に数字が振られた。造られた車は葉巻型シングルシーターと2シーター・スポーツカータイプに大別されるので、番号順ではなくタイプで順を追った方が判り易い。

(写真08-1ab) 1967 Chevron B9 F3 (1990-03 筑波サーキット)
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最初期の「B1」「B2」はローカルレース用で、本格的シングルシーターは1967年のF3用「B7」から始まった。「B7」はプロトタイプとして1台造られただけだが、翌68年にはこれを基にF3用「B9」が造られ17台が 市販された。


(写真08-2a~c)1969 Chevron B15 F3 (1990-03  筑波サーキット)
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番号は大分飛ぶがF3としては「B9」の後継モデルとなるのが「B15」である。「B9」に一部改良を加えだけだが1969年シーズンは大活躍し、ヨーロッパF3でチャンピオンとなった。そのお蔭で売れ行きが良く15台製造された。


(写真08-3a) 1967 Chevron B8 (2001-05 モンツァ・サーキット/イタリア) 
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スポーツカータイプとして最初に登場したには1966年の「B3」で、ロータス・フォードのツインカム1.6リッターエンジンがミッドシップに搭載されていた。同じものにBMW2リッターエンジンを載せた物が「B4」でこれらをプロトタイプとして翌67年市販されたのが「B6」で8台造られた。同クラスのレーシング・ポルシェの半額強の値段で戦闘力のあるマシンが買えるとあって注文が殺到した。1968年細かい改装を受けて「B8」と名前が変わって市販されたのがこの車だ。1968-69年の2シーズンにわたって世界中で暴れまくったこの車は、最終的に81台が造られ,この種のレーシング・マシンの生産台数で記録を作った。


(写真08-4a~d)1969 Chevron B16 グループ6(1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
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「B8」の後継車が写真の「B16」で、既成エンジンをチューンアップしたBMW2ℓエンジンに較べて、コストは高いがよりパフォーマンスに期待できる純レーシング・エンジン「コスワースFVA 1.6 ℓ /FVC 1.8 ℓ エンジン」 の採用に踏み切った。1969年9月 ニュルブルクリンク500キロで優勝し華々しいデビューを飾ったが、ライバルの「ローラ」が軽量で視界の良いオープンボデイで快走を続け,「シェブロン」も「B16」をオープン化してこれに対抗した。その結果最終戦で競り勝って2リッター・クラスでチャンピオンとなった。69-70年で23台が造られた。

(写真08-5a)1971 Chevron B19 2Litre Sports Racing(1998-08 ラグナセカ/カリフィルニア)
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(写真08-5bc)1972 Chevron B21 2litre Sports Racing (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
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「B-16スパイダー」の後継モデルとして、ライバル「ローラ」に対抗してエンジンを2リッターに格上げし、ボディはヨーロッパのグループ6の主流となっていたスパイダーとなって1971~73年に「B-19」「B-21」「B-23」のレーシングカーが造られた。日本でも1973年富士グランチャンで活躍しEBBRO社から1/43ミニカーも出された。

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(09)<チキチキバンバン>(英

(写真09-0) 1968 映画「Chitty Chittyy Bang Bang」ポスター
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(写真09-1ab)1968 Chitty Chitty Bang Bang(1919 Paragon Panther)
(2007-06 ビューリー英国国立自動車博物館)
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写真の車は1968年イギリスの空想ミュージカル映画「チキチキバンバン」で実際に使われた車で、映画はあの「007」の生みの親「イワン・フレミング」が子供のために書いた「空飛ぶ自動車」(The Magical Car)という童話が原作となっている。劇中では昔グランプリで活躍した車のポンコツを手に入れた発明家が空を飛び、水の上も走る夢の車に改造する奇想天外なお話だが、映画の中でそのポンコツのグランプリカーは「パラゴン・パンサー」として登場する。その名前は1908-9年GPで3勝した12気筒8,000ccの実在した車で、往時の姿を元に再現している。一方、名前の元になった「チキチキバンバン」と名付けられた車も実在していた。それはイギリスのレーシング・ドライバー「ルイ・ズボロウスキー伯爵」が1919年造ったスペシャルで、1914年のメルセデス75hpシャシーに、ツェッペリン飛行船に使われたマイバッハの6気筒23リッター・エンジンをチューンアップしてはめ込んだ全長の4分の3がボンネットのモンスターだった。この車は1921年にはブルックランズで優勝している。

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(10)<コロンビア>(米)1897-1913
 「コロンビア」と名の付くメーカーは1892年から1924年の間に9社が存在した。とは言っても大半が1~2しか存在しなかったが、その中で写真の車はコネチカット州ハーフォードで1897年から1913年まで17年間続いた「コロンビア社」が製造した電気自動車だ。この会社は電気自動車が有名なので、僕はこの会社の社名を「コロンビア・エレクトリック社」と感違えしていたが、今回調べたら、最初からガソリン車を造っており、1911年からは電気自動車を止めてガソリン車のみとなった。1900年代の初めは丁度最近と同じように、エンジンのエネルギーを何に求めるか試行錯誤の時代で、スチーム・エンジンは使い勝手、電気モーターはバッテリーの性能と重量が不利となり、1910年代から約100年はガソリン(ディーゼル)による内燃機関の一人天下が続くことになった。


(写真10-1a) 1901 Colombia Mk XXXI Electric Vivtoria(2007-06 ビューリー国立自動車博物館)
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1900年代初めの典型的なスタイルは馬車時代の名残を強く残しているが、方向変換が車軸ごとから車輪だけに近代化されている。しかしステアリング・ホイールはまだなく、一本の長い棒で操作する時代だ。

(写真10-2a) 1904 Colombia Mk XXXV Electric Landsu Broughum (1995-08 ペブルビーチ)
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前の写真から3年しか経っていないが、この写真の車には立派なステアリング・ホイールが付いている。ご主人様が後ろのキャビンに乗って、ドライバーはむき出しと言うスタイルは、まさしく馬車時代そのもので、ドライバーと言うよりは「馭者」と呼びたいくらいで、前に馬がいない方が不自然な位の雰囲気だ。

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(11)<コニリオ>(日)
この名前は当時レース場に足を運んだ人には強く印象に残っている筈だ。レーシング・クオータリー製のこの車は富士チャンピオンシップでの優勝を引っ提げて1969年10月の日本グランプリに参戦し、堂々クラス優勝している。レースは3リッター超の大排気量を含む5クラス混合だったから、総合では12位と目立たなかったがこの車より速かったのはニッサンR382,トヨタ7, ポルシェ917/910/908,ロータス47GT.フェアレディSR311という、全く別世界の中での健闘だった。

(写真11-1a~c)1969 Coniglio MkⅡ Spyder    (2011-07-17 吉祥寺・浜邸)
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車のベースとなったのはホンダS800で、エンジンは850ccにボアアップされ220~230km/hが可能という、レースが出来る実戦力を持った数少ない市販車であった。写真はボディの設計者浜素紀氏の吉祥寺の自宅で近年撮影したもの。

(写真11-2ab) 1969 Coniglio MkⅡ Coupe (1970-03 第3回 東京レーシングカー・ショー)
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写真の車はオープンのレーサーにルーフを付けたロード・バージョンで浜素紀氏によるその造形は当時としては他に類を見ないユニークなものだった。

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(12)<コニー>(愛知機械工業・日)
この車を造ったのはオート3輪「ヂャイアント」で知られる長い歴史持つ会社で、創立は1898年の愛知時計電機㈱まで遡る。戦時中は愛知航空機として大型潜水艦伊400型に搭載する双フロートの水上機「晴嵐」を造っている。1952年現在の名前に社名変更し、1959年から軽3輪、軽4輪の「コニー」の生産を始めた。

(写真12-01a~c) 1961 Cony Super Guppy Pick-up (1990-01 レイルシティ汐留)
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「グッピー」と聞けばメダカより小さい熱帯魚を連想するが、この車はそのイメージそのままに4輪車で一番小さい車だ。狙いは軽自動車とスクーターの中間で、開発の当初は前2、後1の3輪で、キャビンスクーターと同じ構想だったが、走行安定性を高めた4輪に変更された。エンジンは2ストローク単気筒の199ccで、運転を簡単にするためトルクコンバーターを採用してオートマとした。ここに採用されたのは事務器でお馴染みの岡村製作所が造ったトルコンで、自動車の「ミカサ」は成功作とは言えなかったが、こんな所で日の目を見ていたのは一寸意外だった。

(写真12-2ab) 1962 Cony Guppy Sport (2007-04 トヨタ自動車博物館)
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商業車のイメージを一転させ「カッコいい!」と若者の心を捉えようと造られたのがこの車だ。荷台に蓋をして、屋根を取っ払っただけ、と言えばその通りだが、派手な塗装とオープン2シーターのスパイダーと言えば中々のものだ。

(写真12-3ab)1962 Cony 360 Corch (ShowModel)
(1961-10 第8回全日本自動車ショー/晴海貿易センター)
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商業車主体のコニーがショーに登場させた「コーチ」は激戦の360ccクラス軽乗用車に参入か、と期待されたがプロトタイプのみに終わった。結局このコンセプトは「コニー・コーチライトバン」という形で主力のライトバンで実現された。

次回は「チシタリア」「クーパー」「カニンガム」などが登場の予定です。

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第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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