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第38回 フォード サンダーバード
2015.9.28

 1951年10月、パリ・モーターショーの会場グラン・パレに二人の男がいた。やがて一人が1台の欧州製スポーティー・カーの前で「どうしてうちにはこんなクルマがないんだ?」とつぶやいた。「すぐにやりましょう!」ともう一人が反応した。つぶやいたのは、ヘンリー・フォードⅡ世に請われてGMから移籍したフォードの副社長で、フォード部門のゼネラルマネージャー、ルイス・クルーソー(Lewis D. Crusoe)。反応したのは、のちにフォードのデザイン担当副社長になるジョージ・ウォーカー(George Walker)であった。
 ウォーカーは直ちにデトロイトに電話を入れ、クルーソーがデトロイトに戻った時にはデザインの作業は始まっていたという。1953年1月にコルベットが発表された翌月にサンダーバードの開発は正式に承認され、同年9月にはデザインが最終決定され、1954年2月に開催されたデトロイト・オートショーで公開された。
 最後まで決まらなかったのがネーミングであった。5000に及ぶ候補があがったが決まらず、クルーソーから250ドルのスーツが懸賞として提示された。これを知った一人の若いスタイリスト、アルデン・ジベルソン(Alden R. Giberson)がボスであるチーフスタイリストのフランク・ハーシー(Frank Q. Hershey)にいくつかの名前を提案したところ、そのうちの一つ「Thunderbird」がボスの気に入るところとなり即決した。サンダーバードはアメリカ南西部のネイティブアメリカン(インディアン)と呼ばれる北米の先住民が信じる伝説の鳥で、ジベルソンはかつて南西部に住んでおり、伝説を知っていたことからアイデアが浮かんだという。ハーシーは南西部の生まれであった。ところで、250ドルのスーツだが、ニューヨークやパリならいざ知らず、当時のデトロイトではそのような高級紳士服は売っておらず、結局、95ドルのスーツにスペアのズボンを1本付けていただいたと言う残念な結果に終わっている。

◆第1世代(1955~57年型)
プロトタイプ

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1954年にフォードから送られてきたサンダーバードの写真。1954年2月に開催されたデトロイト・オートショーに展示された個体か、あるいは同型であろう。添付された広報資料には、スポーツカーのように見えるがフルサイズカーであり、主要部品はほかのフォード車と互換性があり、どのフォードディーラでもサービスが可能である。と、記されている。ヘッドランプベゼルとホイールカバーは量産車と異なる。(Photo:Ford Motor Co.)

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上の2点はサンダーバード最初のカタログで、おそらく1954年のデトロイトショーで配布されたのではないだろうか。スポーツカーの新種であり、在来のアメリカンスポーツカー(コルベットを指す)と違い、ボディーは実績があり信頼性が高いオールスチールを採用している。と、あるが、スポーツカーとうたったおそらく唯一のカタログではないだろうか。量産型とはヘッドランプベゼルの形状が異なり、量産車でオプション設定されたワイヤホイール風ホイールカバーを装着している。リアに「1954」のプレートが付くが「...available this fall」と記されており1954年型はありえない。

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フルサイズのフェアレーンと同じようなデザインのサイドモールディングを付けたサンダーバードの広告。まじめな話、量産開始直前までこのモールディングを付けて売ることを考えていたという。サンダーバードの量産1号車がラインオフしたのは1954年9月9日だが、「Motor Trend」誌1954年11月号にもモールディング付きの広告が載っていた。

◆第1世代(1955~57年型)
1955年型
 1954年10月22日に発売すると、最初の10日間に3500台受注し、当初の生産計画台数1万台を大きく超える1万6155台生産された。ベース価格は2944ドル。1955年型コルベットはベース価格2774ドルで生産台数は700台にとどまり、フォードの作戦勝ちであった。

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スポーツカーの表記は無く「卓越したパーソナルカー・・・フォード サンダーバード」のコピーが添えられた、1955年型サンダーバードのカタログ表紙。このターコイズ(Turquoise:トルコ石、青緑色)塗色はサンダーバードブルーと称し、ほかに黒と赤が設定されていた。当時、トルコ石はアメリカ南西部を中心とした多くの鉱山から産出し、先住民達が採掘して儀式や装飾などに使っていたので、サンダーバードには最もふさわしい塗色であった。表紙右上にあるターコイズ色をあしらったサンダーバードのエンブレムは、95ドルのスーツを獲得したジベルソンの作品である。

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美しく、ローシルエットで、オールスチールボディーを強調し、ドア上縁の高さが34.2in(869mm)しかないのに最低地上高を5.9in(150mm)確保していると訴求している。サイズはホイールベース102in(2591mm)、全長175.3in(4453mm)、全幅70.2in(1783mm)、全高52.2in(1326mm)、トレッドは前後とも56in(1422mm)、車両重量2980lb(1352kg)。

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フロントサスペンションにはキングピンに代わってボールジョイントが装着されているが、アメリカ車への導入は新しく、マクファーソンストラットの考案者アール・マクファーソン(Earle MacPherson)が1952年型リンカーンに採用したのが最初ではないだろうか。メキシカン・ロードレース「カレラ・パナメリカーナ(Carerra Panamericana)」で性能と信頼性を実証し、1954年型マーキュリー、フォードにも展開しているので、当然サンダーバードにも採用されたのである。エンジンはマーキュリーと同じ292cid(4785cc)V8で、標準の3速MTあるいはオプションのOD(オートマチック・オーバードライブ)(110ドル)を組み合わせた場合は、圧縮比8.1:1の193馬力を積み、オプションのフォードマチックAT(178ドル)には圧縮比8.5:1の198馬力が搭載される。

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黒いボディーにオプションのソフトトップを付けたサンダーバード。ソフトトップは折りたたんだときには完全に視界から消える。1955年型ではハードトップが標準設定で、ソフトトップは290ドルでオプション設定であった。ただし、ハードトップを付けずにソフトトップのみを選択した場合には75ドルの追加支払いでOKであった。広いラゲージスペースがあると記されているが、実際にはスペアタイヤがでんと収まっているため十分とは言えず1956年型では対策が必要であった。

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魅力的な運転席。スピードメーターはフルサイズフォードのものを流用しているが、フルスケールは120mile/h⇒150mile/hに上げられている。メーターカバーは透明で、昼間はメータ面を明るくする仕掛けとなっていた。スピードメーターの左にはフルスケール5000rpmのタコメーター、右側には時計が標準装備されている。ステアリングホイールはフルサイズフォードと同じ2本スポークで、3in(76mm)のストロークを持つテレスコピック方式が装備されていた。シートはベンチシートだが、広報資料によると4ウェイパワーシートが標準装備されていると記されている。ラジオ(99ドル)、ヒーター(71ドル)もオプションであったが、ほぼ100%の顧客が選択したという。ほかにはパワーブレーキ(32ドル)、パワーウインドー(102ドル)、ホワイトサイドウォールタイヤへの交換(27ドル)などが用意されていた。

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標準装備のFRP製デタッチャブルハードトップは二人で簡単に脱着可能であった。発売当時、この絵と同じサンダーバードブルー(ターコイズ)のプロモーショナルモデルがフォードから送られてきたので、今回、写真を撮ろうと探したが、どこに潜り込んだのか姿を現さなかった。

1956年型
 1956年型は1955年型の問題点を解決して登場した。運転席のベンチレーション不足(夏暑い)には、フロントフェンダーに開閉式のエアベントとドアに通風用のフラップを追加し、斜め後方視界不良にはハードトップに「ポート(port)」ウインドーを追加、そして、トランクの容量不足に対しては、スペアタイヤを後方に出すコンチネンタル方式に変更して解決している。電気系統も6V⇒12Vに変更された。ベース価格は3151ドル。車両重量は3088lb(1401kg)で、重量1ポンド当たりの価格が1ドルを超えた最初のフォードとなった。生産台数は1万5631台でコルベットの4.5倍であった。

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1956年型ではソフトトップが標準設定となり、ハードトップは290ドルのオプション設定となった。ポート・ウインドー付きとウインドーなしも同じ値段で用意されたが、90%ほどの顧客はウインドー付きを選択したと言われる。フロントフェンダーに追加されたエアベント、ドアに追加された通風用フラップに注目。全長は10inほど延長されて185.2in(4704mm)となった。

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標準設定となったソフトトップを上げた美しいプロフィル。外に出されたスペアタイヤ、女性の背中のところにちょこっと見えるのが開閉式のエアベント。ちょっと大きめでよく似合うタイヤのサイズは6.70×15、4-plyチューブレス。この絵は何度見ても違和感を覚える。後ろに止めたクルマから降りた男性が「ご一緒してもよろしいですか?」と言っているシチュエーションしか想像できない。演出が巧みなのか、失敗なのかは分からない。いずれにしてもピクニック用の小道具が少なすぎる。ピクニックシートの手前隅にガラスのコップが転がっているのも気になる。

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スペアタイヤをコンチネンタル式に後部に背負ったことで収容量が増加したトランクには、中央下の四角で囲った中に示した荷物がすべて収容できると記されている。絵のようなトノーカバーもオプションで用意されていた。

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1956年型の運転席。ステアリングホイールはフルサイズフォード同様3本スポークのものに変更されている。フロントフェンダーに追加されたエアベント及びドアに追加された通風用フラップに注目。オプションでパワーステアリング(65ドル)、パワーウインドー(70ドル)、パワーブレーキ(40ドル)などが用意されていた。

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1956年型の標準パワートレーンは292cid(4785cc)202馬力+3速MTで、オプションとして新たにThunderbird Special 312cid(cc)225馬力(圧縮比9.0:1)+フォードマチックAT及び215馬力(圧縮比8.4:1)+3速MT+ODが設定されていた。オプションの価格は312cidエンジンが+123ドル、ATは215ドル、ODは148ドルであった。1956年型フォードではV8エンジンをY-8と称していた。シリンダーブロック断面がY型であることから付けた呼称だが、1957年型からはV-8と称するようになった。ちなみに、1955年型ではY-block V-8と称していた。

1957年型
 1957年型は前後のデザインが変更され、控えめだが流行のテールフィンが追加された。更に、スペアタイヤは再びトランク内に収められ、リアオーバーハングを伸ばしてトランク容量を確保する対策が施された。1957年型は1958年型の生産開始が遅れたため、生産期間を延長されて、最後のクルマがラインオフしたのは1957年12月13日であった。生産台数は2万1380台で、ベース価格は3151ドルであった。

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上の2点は上段が1956年8月発行、下段は1957年2月発行のカタログ。全長は1955年型に比べ6.1in(155mm)長く、1956年型より3.8in(97mm)短い181.4in(4608mm)となった。エンジンのバリエーションは増え、3速MTには292cid Thunderbird 292 V-8 圧縮比9.1:1 Holly 2バレルキャブ 212馬力。3速MT+ODとフォードマチック3速ATには312cid Thunderbird 312 Special V-8 圧縮比9.7:1 Holly 4バレルキャブ 245馬力。ほかにオプションとして312cidのThunderbird 312 Special(8V) V-8 ツインHolly 4バレルキャブ 270馬力(圧縮比9.7)/285馬力(圧縮比10.0+Racing Kit)。Thunderbird 312 Supercharged V-8 Holly 4バレルキャブ+McCulloch/Paxtonスーパーチャージャー 300馬力(圧縮比8.5)/340馬力(NASCARバージョン)がラインアップされていた。

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トランク容量は増加したが、依然としてスペアタイヤは邪魔な存在であった。控えめなテールフィンの形状が分かる。

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1957年型では、1955年型と同様、ハードトップが標準設定とされ、ソフトトップはオプション設定となった。このハードトップにはポート・ウインドーが付いているが、ウインドーなしのプレーントップも追加費用なしで選択可能であった。ハードトップは6ヵ所(2点はウインドシールド上部、4点はボディー)ハンドルクランプで簡単に脱着できた。

◆第2世代(1958~60年型)
1958年型
 マーケティングリサーチの結果、2シーターは子供のいる家族には1台目のクルマとしては買ってくれないことがはっきりしたので、フォードは2代目サンダーバードを4シーターとする戦略をとった。生産立ち上がりは遅れ、発売は1958年2月13日であったが好評で、ベース価格は3630ドル(ハードトップ)、3914ドル(コンバーティブル)とフルサイズフォードの最上級グレードであるフェアレーン500に比べ1100ドルほど高い「セミ・ラグジュアリー」クラスであったが、生産台数はクーペ3万5758台、コンバーティブル2134台で、2シーターの1957年型の約2倍に達している。角張ったスタイルからニックネームは「スクエアバード(Square Bird)」であった。「Motor Trend」誌のカーオブザイヤーを受賞している。

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上の2点は1958年型のカタログ表紙。モノコックボディーが採用され、ハードトップの脱着はできない。リアサスペンションがリーフスプリングからトレーリングアーム+コイルスプリングのリジッドに変更されている。サイズはホイールベースが前年モデルより11in(279mm)長い113in(2870mm)、全長は24in(610mm)延長されて205.4in(5217mm)。車両重量はハードトップが600lb(272kg)ほど重くなって3708lb(1682kg)、コンバーティブルは800lb(363kg)重くなって3903lb(1770kg)に達した。当然エンジンも強化され352cid(5768cc)のThunderbird 352 Special V-8 300馬力+3速MTが標準設定され、オプションでODまたは「クルーゾマチック(Cruise-O-Matic)」3速AT(1速発進と2速発進の2つのDレンジ「D1」「D2」を持つ)が選択できた。さらに強力な430cid(7046cc)のThunderbird 430 Special V-8 375馬力+3速ATもオプション設定されていた。下段のクルマにはオプションのコンチネンタル式「Sport Spare Wheel Carrier」が装着されている。ベース価格は3630ドルだが、オプションを加えると顧客へのデリバリー価格は平均5200ドルほどであったという。

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1958年式コンバーティブルはソフトトップの複雑な作動メカニズムにてこずり、生産が開始されたのはモデルイヤー末期の1958年6月中旬であった。生産開始後もペースは遅く、生産台数は2134台と極めて少ない。エンジンフードは前ヒンジだが、コンバーティブルのトランクリッドは後ヒンジとなっている。

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1958年型コンバーティブルの運転席。はじめてセパレートシートが採用され、家族4人が乗れるスポーティー・パーソナルカーとして、いまでもコレクターの間で人気がある。

 1959年型以降の詳細については別の機会に紹介したいと思うが、この後、サンダーバードは第10世代の1997年型を最後に生産中止する。しかし、第11世代が2002年型として2シーターで再登場し、初代発売から50周年目の2005年型まで生産された。ここでは各世代最初のモデルと11代目の姿を紹介する。

◆第3世代(1961~63年型)
1961年型

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3代目は先代の箱型から一転して砲弾型スタイルに変身した。エンジンは390cid(6391cc)300馬力/375馬力及びトリプル2バレルキャブ401馬力がラインアップされていた。サイズはホイールベース113in(2870mm)、全長205in(5207mm)で先代とほぼ同じ。価格/生産台数はハードトップが4170ドル/6万2535台、コンバーティブルは4637ドル/1万516台。サンダーバードのコンバーティブルはフォード車で最も高価な、最も重い4130lb(1873kg)のモデルであった。ソフトトップの収納は上段の絵のように行われ、したがってトランクリッドのヒンジは後部にある。また、3代目のユニークな仕掛けとして、乗降をし易くする下段の絵のような「Swing-Away」ステアリングホイールが25ドルでオプション設定され、約77%の顧客が装着したという。

◆第4世代(1964~66年型)
1964年型

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4代目は再びややボクシーな姿に戻った。ロングフード、ショートルーフラインそして彫刻的なサイドパネル持つ。パワートレーンは390cid(6391cc)300馬力エンジン+3速ATのみでオプション設定はなくなった。サイズはホイールベース113.2in(2875mm)、全長205.4in(5217mm)で先代とほぼ同じ。価格/生産台数はハードトップ4486ドル/6万552台、ハードトップ・ランドー4589ドル/2万2715台、コンバーティブル4853ドル/9198台。1964年型で初めてシーケンシャル・ターンシグナルを試みたが、いくつかの州で認められておらず、採用は1965年型にずれ込んだ。また、1965年型から初めて前輪にディスクブレーキが装備された。1964年型は「Motor Trend」誌のカーオブザイヤーを受賞している。

◆第5世代(1967~71年型)
1967年型

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5代目は劇的な変化を遂げ、ジェット機の空気取り入れ口のようなグリルを持つ、ロングノーズ、ショートリアデッキの姿で登場した。そして、フォード初のコンシールドヘッドランプを採用した。エンジンは390cid(6391cc)315馬力を積み、オプションで428cid(7014cc)345馬力も選択可能であった。2ドア車のサイズはホイールベース115in(2921mm)、全長206.9in(5255mm)で先代より若干長くなった。価格/生産台数は2ドアハードトップ4603ドル/1万5567台、2ドアハードトップ・ランドー4704ドル/3万7422台。

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5代目は、1964年4月発売されたマスタングとの差別化を図るため、より一層パーソナルラグジュアリーカー路線にかじを切った。そして、生産台数の少なかったコンバーティブルは廃止してマスタングに任せ、代わりに4ドア・ランドーを追加設定した。これは当時副社長であったリー・アイアコッカ(Lido Anthony "Lee" Iacocca)の発案と言われる。リンカーン・コンチネンタルとマーキュリー・パークレーンのギャップを埋めると同時に、競合車であるポンティアック・グランプリ、ビュイック・リビエラ、オールズモビル・トロネードのオーナーの27%が4ドアモデルを欲しているとの調査結果から、有望な市場と判断したようだ。4ドア・ランドーのサイズはホイールベース117in(2972mm)、全長209.9in(5331mm)。価格/生産台数は4825ドル/2万4967台。フォードの観音開きドアは1948年型以来だ。

1970年型

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1970年型はフルモデルチェンジのように見えるが、フォードではビッグマイナーチェンジとしている。極端に先のとがったロングノーズに、押し出しアルミの繊細なグリルを付け、バンパーが無いようなデザインは、衝突時のダメージが大きいということで、多くの保険会社に保険料を高く設定されたという。このデザイン変更は、1968年2月、GMの副社長であったバンキー・ヌードセン(Semon Emil "Bunkie" Knudsen)がフォードの社長に就任した結果、彼の好みで古巣のポンティアックのデザインを移植したと言われている。エンジンは390cid(6391cc)360馬力を積み、全長は2ドア車が前年モデルより5.6in(142mm)長い212.5in(5397mm)、4ドア車は5.1in(130mm)長い215in(5461mm)に達した。価格/生産台数は2ドアハードトップ4961ドル/5116台、2ドアハードトップ・ランドー5104ドル/3万6847台、4ドア・ランドー5182ドル/8401台。
 ヌードセン社長はヘンリー・フォードⅡ世に請われてフォードに来たのだが、19ヵ月後の1969年9月、フォードⅡ世によって突然首を切られてしまう。その後、リー・アイアコッカが社長に就任する1970年12月までフォードには社長は不在であった。
 広告の背景には当時、世界中の主要空港ならどこにでもいた懐かしいパンナムのボーイング747が2機写っている。747に乗る機会は多かったが、特に2階席は座席数が少なく静かなので愛用した。これは初期の機体だが、シンガポール航空が導入した2階席を大きくしたビッグトップの1番機が到着したときは、チャンギ空港までわざわざ見に行ったのを思い出す。

◆第6世代(1972~76年型)
1972年型

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6代目は独自のボディーを捨て、コンチネンタル・マークⅣとシャシー、ボディーを共用し、モデルバリエーションも2ドアハードトップのみとなった。1973年10月に発生した石油ショック前であり、大きいことは良いことだ。と、サイズはホイールベースが3.4in(86mm)長い120.4in(3058mm)、全長は1.5in(38mm)長い(4ドアよりは1in短い)214in(5436mm)と巨大化した。エンジンは初期のカタログでは400cid(6555cc)V8の172馬力(この年からネット値表示となった)が標準で、429cid(7030cc)212馬力(ネット)がオプションとなっていたが、発売後すぐに400cidエンジンは落とされ、429cidの212馬力が標準となり、マークⅣ用460cid(7538cc)224馬力(ネット)が+78ドルでオプション設定されていた。ただし、460エンジンには133ドルのエアコンが抱き合わせでついてきた。価格5293ドルで、生産台数は5万7814台。価格は正真正銘のベース価格で、パーソナルラグジュアリーカーに仕立てるには、6ウェイパワーシート201ドル、パワーウインドー130ドル、クルーズコントロール103ドル、チルトステアリング51ドル、AM/FMステレオラジオ146ドル、ビニールルーフ137ドルなどの追加費用が必要であった。

◆第7世代(1977~79年型)
1977年型

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7代目はダウンサイジングしてミッドサイズ・スペシャルティーカー市場をターゲットとした。理由の一つは、この年、20miles/gallonのCAFE(Corporate Average Fuel Economy)規制をクリアする必要があった。サイズは76年型に対して、ホイールベースは6.4in(163mm)短い114in(2896mm)、全長は10.2in(259mm)短い215.5in(5474mm)、全幅は1.5in(38mm)細身の78.5in(1994mm)となった。エンジンはマスタングと同じ302cid(4949cc)130馬力が標準(カリフォルニア州を除く)設定され、オプションで351cid(5752cc)135馬力(カリフォルニア州では排気対策のためこれが標準)と400cid(6555cc)170馬力が用意されていた。デザイン的にはコンシールドヘッドランプの復活、オペラウインドーの付いた幅広のBピラー、クロームプレートグリルなどに注目したい。価格は5068ドルで76年型より2700ドル以上安い。生産台数も31万8140台と76年型の実に5.5倍に達した。

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1977年型サンダーバードの上級グレードであるタウンランドー。400cidエンジン、エアコン、パワーシート、パワーウインドー、ブラシ研磨仕上げのアルミ製ラップオーバーティアラ、タービンスポークアルミホイールなどを標準装備し、価格は7990ドルであった。生産台数は標準モデルの台数に内数として含まれている。

◆第8世代(1980~82年型)
1980年型

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8代目は一層のダウンサイジングを図り、サイズは79年型に対して、ホイールベースは5.6in(142mm)短い108.4in(2753mm)、全長は16.8in(427mm)短い200.4in(5090mm)、全幅は4.4in(112mm)細くなり74.1in(1882mm)となり、5/6人乗り⇒4人乗りとなった。モデルバリエーションと価格は、ベースモデルが6432ドル、タウンランドーは1万36ドルと初めて1万ドルを超えた。そして、1980年1月発行のカタログに追加設定されたのが、上図のサンダーバード発売25周年を記念して発売された「Silver Anniversary Thunderbird」1万1679ドルである。エンジンは255cid(4179cc)115馬力が標準で、302cid(4949cc)131馬力がオプション設定されていた。ただし、Silver Anniversaryモデルには302cidエンジンと他のモデルには140ドルでオプション設定されていたOD付き4速ATが標準装備されていた。生産台数はグレード別には発表されておらず、合計で15万6803台であった。この年のフォード車の生産は前年より64万台強少ない117万台弱であったが、サンダーバードはフォードのモデル別生産台数ではトップの座を占めていた。

◆第9世代(1983~88年型)
1983年型

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9代目は先代までのボクシーな姿から一転、エアロスタイルに変身して登場した。サイズも更に縮小され、ホイールベースは4.4in(112mm)短い104in(2642mm)、全長は2.8in(71mm)短い197.6in(5019mm)、全幅は3.1in(79mm)細くなり71in(1803mm)となった。エンジンは232cid(3802cc)V6の110馬力が標準で、+288ドルのオプションで302cid(4949cc)V8の130馬力が選択可能であった。発売当初のモデルバリエーションと価格はベースモデルが9197ドル、上図のヘリティッジが1万2228ドルであった。生産台数はターボも含めた全グレード合計で12万1999台。

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1983年4月に戦列に加わった1983年型サンダーバード・ターボクーペ。エンジンは140cid(2294cc)OHC 4気筒にBosch製EFI(電子制御燃料噴射)+ターボの142馬力を積む。トランスミッションはOD付き4速ATが付く。

◆第10世代(1989~97年型)
1989年型

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10代目はエアロスタイルに磨きをかけて登場した。サイズは若干大きくなり、ホイールベースは9in(229mm)延長され113in(2870mm)となったが、全長は1.1in(28mm)長い198.7in(5047mm)、全幅は1.7in(43mm)拡張され72.7in(1847mm)となり、乗車定員も4名⇒5名に変更された。スタンダード(1万4612ドル)とLX(1万6817ドル)には3.8ℓ V6 EFI 12バルブ140馬力エンジン+OD付き4速ATが積まれ。上図のSC(Super Coupe、1万9823ドル)にはヤマハ製3.8ℓ V6 EFI 24バルブ+インタークーラースーパーチャージャー 210馬力エンジン+5速MTが積まれ、OD付き4速ATがオプション設定されていた。サスペンションには4輪独立懸架方式が採用された。生産台数は全グレード合計10万7996台。

1997年型

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1990年代の入ると顧客の嗜好にも変化が表れて、サンダーバードから離れて行き、10代目はマイナーチェンジを受けながら上図の1997年型まで生産されてきたが、1997年9月4日にラインオフしたサンダーバードを最後に42年間続いた生産が中止された。1997年型はLXのみの設定で、3.8ℓ V6 145馬力エンジン+OD付き4速ATを積み、オプションで4.6ℓ V8 205馬力エンジンが設定されていた。価格はV6エンジン車が1万7885ドル、V8エンジン車は1万9015ドル。生産台数は7万3814台であった。

◆第11世代(2002~05年型)
1999年プロトタイプ

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上の2点は1999年1月、デトロイトで開催された北米自動車ショー(NAIAS)に登場したフォードサンダーバード・コンセプト。初代1955年型のデザインを基に現代風にアレンジした2シータープロトタイプであった。写真の戦闘機はアメリカ合衆国空軍に所属するアクロバットチーム(The United States Air Force Air Demonstration Squadron)「Thunderbirds」のF-16 ファイティング・ファルコン。(Photos:Ford Motor Co.)

2002年型

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11代目となる2002年型サンダーバード。上段の絵は2001年10月、幕張で開催された第35回東京モーターショーで配布された総合カタログ。「アメリカン・ドリーム・カー 走りのロマンスの追求が今ここに。」のコピーとともに再登場した。右側には1955年型と1957年型が併せて紹介されている。

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2002年型サンダーバードの透視図。プラットフォームはリンカーンLS、ジャガーS-Typeと共用し、サイズはホイールベース2724mm、全長4733mm、全幅1829mm、車両重量1699kg(デタッチャブルハードトップを除く)。3.9ℓ V8 DOHC 252馬力エンジン+OD付き5速ATを積む。(Photos:Ford Motor Co.)

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再登場したサンダーバードであったが、初代発売から50周年にあたる2005年型を最後に再び生産中止してしまった。上図は2005年1月、1500台が限定発売された50th Anniversary Limited Editionで、カシミア色の特別塗装が施され、標準モデルより5930ドル高い4万3535ドルのプライスタグが付いていた。
 2002年型から2005年型までの生産台数は、2002年型:3万1368台、2003年型:1万4678台、2004年型:1万2757台、2005年型:9295台、合計6万8098台であった。
 1954年10月22日以来、50年間に120万羽を超える伝説の鳥Thunderbirdが巣立っていったが、2005年7月1日を最後に巣立つひな鳥は見られなくなってしまった。しかし、いつの日か、また新しいヒナが巣立つことを期待したい。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

関連書籍
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
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