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第36回 シボレーコルベット(第1世代 – 1/2)
2015.7.29

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 今回は、1953年1月に米国ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルで開催されたGMモトラマ(MOTORAMA)で発表され、その年に量産に移されて、現在まで進化をとげながら造り続けられている(1983年にちょっと一休みはしているが)アメリカンスポーツカーのシボレーコルベットを取り上げる。まずは第1世代の前半について紹介する。
 1945年に第2次世界大戦が終結すると、欧州に派遣された軍人たちが帰国時に欧州製スポーツカーを持ち帰る機会が増えた。当然のことながら米国へ輸出されるようになり、1950年代初めには英国製MG TDとジャガーXK120の2車が君臨し、トライアンフTR-2、オースチン ヒーリー100などが戦列に加わっていく。もちろん米国メーカーからも1950年にはカニンガムC-1、1951年にはナッシュ ヒーリー、マンツ ジェット、更に1949年には750ccエンジンのクロスレー ホットショットなどもあったが、いずれも生産台数はごくわずかであり、長続きしなかった。
 1950年代初めごろの米国でのスポーツカーの需要は年間1万1000台程度で、乗用車の0.3%にも満たなかったが、どうしても純粋なアメリカンスポーツカーが造りたいと決心した男がいた。GMのスタイリング担当副社長ハーリー・アールであった。スタートは1951年の秋も終わるころであった。1952年4月にはフルサイズクレイモデルを完成し、シボレー部門のチーフエンジニア、エド・コール(Edward N. Cole)に見せ彼の全面的な協力を取り付けた。1952年6月、技術部門にプラスターモデルを提示、1953年モトラマまで7ヵ月、生産開始予定の1953年6月まで12ヵ月という短期間での開発が始まった。プロジェクトの展開は「オペル」のコードネームが使用された。そして、1953年5月、後に「コルベットの父(Father of the Corvette)」と呼ばれるゾラ・アーカス・ダントフ(Zora Arkus-Duntov)が加わった。

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1950年代初め米国で最もポピュラーであったMG TD。輸出を国策としていた英国で、米国市場をターゲットに1949年11月から1953年に販売されたモデルで、総生産台数2万9664台の内、なんと2万3488台(79.2%)が米国に輸出されている。1250cc直列4気筒ツインSUキャブレター54.5馬力エンジン+4速MT(マニュアルトランスミッション)を積み、最高速度は72mile/h(116km/h)程度であった。1953年に1945ドル(後に2115ドルに値上げされた)で販売されていた。

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上の2点は1949年7月生産を開始し、翌月には米国への輸出を開始したジャガーXK120ロードスター。3442cc直列6気筒DOHCツインSUキャブレター160馬力エンジン+4速MTを積み、最高速度は125mile/h(201km/h)に達した。1951年にはクーペ(Fixed-head Coupe)が、そして1953年にはコンバーティブル(Drop-head Coupe)が加わっている。1954年9月までに1万2000台ほど生産されたが、大半は米国へ輸出されており、当時の雑誌などにはハリウッドスターたちと一緒の幸せそうな姿が載っていた。1954年の価格はロードスター3345ドル、クーペ3875ドル、コンバーティブル3975ドルであった。ホイールベースがコルベットと同じ102in(2591mm)のXK120は格好のお手本となったであろう。

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1953年8月から1955年10月の間に約8600台生産され、約5500台が輸出されたトライアンフTR2。
1991cc直列4気筒ツインSUキャブレター90馬力エンジン+4速MT(オプションでオーバードライブも装着可能であった)を積み、最高速度は103mile/h(166km/h)。価格は2448ドルであった。このカタログはドアがボディー下端まで開くごく初期のものであるが、縁石のそばに停車したときにドアが開けられないというクレームがあり、ドア下端を上げてサイドシルを出す一般的な形に変更されている。

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1953年から1956年に生産されたオースチン ヒーリー100。1952年にオースチン(Austin Motor Co.)とナッフィールドグループ(Nuffield Group of Co.:モーリス、MG、ウーズレー、ライレーを造っていた)が合併してBMC(British Motor Corp.)を設立、同社が新しいオースチンベースのスポーツカーのデザインコンペを行った際、最優秀に選ばれたのがドナルドヒーリー社(Donald Healey Motor Co. Ltd.)が提案した「100」であった。これをオースチンで量産するにあたって車名をオースチン ヒーリー100とした。2660cc直列4気筒ツインSUキャブレター90馬力エンジン+3速MT+インストゥルメントパネルのスイッチでON/OFF可能なオーバードライブを積み、最高速度は103~111mile/h(166~179km/h)。生産台数は1万688台で、半数以上が米国に輸出されている。価格は2985ドルであった。1955年終わりごろには4速MTを積んだモデルを3924台(価格2985ドル)、110馬力エンジンを積んだ100Mを1159台(価格3275ドル)、更に、アルミボディー、バンパーレス、132馬力エンジンを積んだレーシングモデル100S(SはSebringを表す)を50台(価格4995ドル)生産している。

◆シボレーコルベットプロトタイプ

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1953年1月、米国ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルで開催された、GMモトラマ会場のターンテーブルの上で熱い視線を浴びるコルベットプロトタイプ。エンジンフードとトランクリッドは展示のために、油圧で自動的に開閉するように仕掛けられていた。(Photo:GM)

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シボレーコルベットプロトタイプ。量産車との違いは、エンジンフード前面とトランクリッドにCorvetteのバッジが付く。サイドモールディングが短く、先端の角が下向きだが、量産車ではサイドモールディングはフロントフェンダーからリアフェンダーまで伸び、先端の角が上向きとなる。ドアに開閉用のプッシュボタンが付いているが、量産車でドアアウトサイドにはプッシュボタンは付かない。アウトサイドドアハンドルが付くのはビッグマイナーチェンジが行われた1956年型からであった。プロトタイプは3台製作され、2台が展示用、残り1台がテスト用に供された。(Photo:GM)

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上の3点はプロトタイプのカタログ。表紙にはまだ「未来のアメリカンスポーツカー!」とある。FRP(この頃シボレーではGRP:Grass-fiber reinforced plasticと称していた)製ボディーをまとい、ソフトトップは手動でシートの後ろに完全に格納される。サイドウインドーはクロームのフレームを持つプラスチック製の脱着式でドア上部にはめ込む方式であった。サイズは全長167in(4242mm)、全幅70in(1778mm)、全高47in(1194mm)、ホイールベース102in(2591mm)、トレッド前57in(1448mm)/後59in(1499mm)。エンジンの排気量の記載はないが235.5cid(3859cc)「Blue Flame」直列6気筒OHVトリプルサイドフローCarterキャブレター160馬力+2速「パワーグライド(Powerglide)」ATを積む。サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン+コイルの独立懸架、リアは半楕円リーフのリジッド。ブレーキは前後ともドラム式。タイヤは6.70-15を履く。先に載せたモノクロ写真と比べると、左右フロントフェンダー上部後端にあった小さなエアスクープが無くなっている。

◆1953年型

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オハイオ州アシュタビューラにあるMFG社(Molded Fiber Glass Co.)でモールド成形された46個のボディーパーツをミシガン州のシボレー・フリント(Flint)工場で接着組み立てして、ウインドシールド、ヘッドランプ、バンパーなどを取り付けているトリムライン。1953年6月30日に組み立て作業を開始し、ここに写っているのはおそらく最初の3台であろう。(Photo:GM)

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上の2点は完成したボディーをホイストで吊ってシャシーとドッキングさせているところ。注目したいのはフレームに結合したバンパーはフロントグリルガードのみで、前後コーナーのバンパーはボディーに直付けであった。ヘッドランプのメッシュカバーはまだ装着されていない。(Photos:GM)

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ドアトリムを除いてほぼ完成した、おそらく量産1号車。(Photo:GM)

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上の3点は1953年型のカタログ。1953年型は300台の限定生産で、ミシガン州のフリント工場で1953年6月30日から組み立て作業を開始し、12月24日に完了している。1954年型以降のコルベットは、1981年までミズーリ州にあるシボレーのセントルイス工場で生産される。塗色はポロホワイト、内装はスポーツマンレッド、ソフトトップはジェットブラックのみであった。表紙の写真はフロリダ州マイアミのキービスケーンホテル(The Key Biscayne Hotel)で撮影されたものだが、プロトタイプの全く同じ構図の写真が存在するので、修正したものであろう。余談だがBiscayneは1958年からフルサイズシボレーのシリーズ名として使用されていた。

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「スポーツ愛好家のために造られた、正真正銘のアメリカンスポーツカー!」とハーリー・アールの志を代弁するコピーが付けられたスペック表。ソフトトップを完全にリアデッキ内に隠すのは「Y-Job」以来のハーリー・アールのこだわりであった。スペックはプロトタイプと同じだが、エンジン出力は160馬力から150馬力に落とされている。全高はドア上面までの寸法33in(838mm)のみ記載されている。最低地上高6in(152mm)、車両重量2850lb(1293kg)。外側にはドアハンドルは無く、サイドウインドーも脱着式であった。価格は3498ドル。

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左右対称のインストゥルメントパネル。左側のポッドにはスピードメーター、右側のポッドにはスピーカーが収まる。中央にあるのはフルスケール5000rpmのタコメーターだが、この位置では使い勝手は良くなかったろう。2速パワーグライドATのシンプルなシフトレバーが床から立ち上がっている。1953年型でいち早くラップアラウンドウインドシールドを採用したGM車は、コルベットの他には7750ドルのプライスタグを付けて532台生産されたキャディラック エルドラド、および5717ドルで458台生産されたオールズモビル98フィエスタだけであった。

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コルベットのシャシー。短期間で完成させるために冒険はせず、既存の部品を活用してまとめたシンプルな構造である。ホワイトサイドウォールタイヤが標準であった。フレームに固定されるバンパーは前方のグリルガードのみであったのが分かる。

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GMのデルコラジオ部門が発行したコルベット用自動選局式ラジオの広告。1953年型コルベットに設定されていたオプションはラジオ(145.15ドル)とヒーター(91.40ドル)の2点のみであった。ラジオアンテナはトランクリッドに埋め込まれている。

◆1954年型

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上の3点は1954年型のカタログ。この年はマイナーチェンジで外観の変更は無かったが、エアクリーナー、スターター、燃料とブレーキの配管が変更された。塗色はポロホワイトに加えて、ペナントブルー、スポーツマンレッド、ブラックの3色が追加設定されたが、80%の顧客はホワイトを選び、16%がブルーであった。ソフトトップはこのカタログではジェットブラックとなっているが、その後発行されたカタログではタン(ベージュ)に変更されている。加速性能は0 - 60mile/h(97km/h)加速11秒、0 - 100mile/h(161km/h)加速41秒であった。価格は2774ドルに下がり、生産台数は3640台であった。オプションはラジオ、ヒーターに加えて、ウインドシールドウォッシャー(11.85ドル)とパーキングブレーキアラーム(5.65ドル)が設定されている。

◆1955年型

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1955年型最大のトピックはV8エンジンの採用であろう。これによってパワー不足に対する不満を解消することが出来た。1955年型の生産台数は700台であったが、標準設定の155馬力に強化された直6エンジンはわずか6台生産されたにすぎず、残り694台は135ドルでオプション設定された265cid(4343cc)V型8気筒OHVロチェスター4バレルキャブレター195馬力エンジンであった。スモールブロックV8の重量は直6より10kg前後軽かったという。V8エンジン搭載車には12V電源が採用され(直6エンジン車は6Vのままであった)、タコメーターはフルスケール6500rpmのものに換装された。V8エンジン車はフロントフェンダーのシボレーバッジが「CheVrolet」のようにVが大文字となっているので識別できた。塗色はポロホワイト、ペナントブルー、ジプシーレッド、ハーベストゴールド、コルベットカッパーの5色となり、内装はレッド、イエロー、ライトベージュ、ダークベージュ、ソフトトップはホワイト、ダークグリーン、ベージュから選択可能となった。トランスミッションは2速「パワーグライド」ATが標準装備されたが、モデル後期には3速MTが設定されている。ベース価格は1954年型と同じ2774ドルであった。

◆ショーモデル

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1954年GMモトラマにはコルベットベースのショーモデル3台が登場した。この写真はキャラバン2ヵ所目となるマイアミで、ショー開始前に屋外で撮影されたもので、手前からコルベットコンバーティブルクーペ、シボレーノマド(Nomad)、シボレーコルベア(Corvair)と右上は量産型コルベット。この年のモトラマは1月のニューヨークを皮切りに、2月マイアミ、3月ロサンゼルス、3月サンフランシスコ、そして4月にシカゴと、合計5ヵ所で開催されている。(Photo:GM)

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上の2点はシボレーコルベア。Corvairの名前はCorvetteとフルサイズシボレーのシリーズ名Bel Airとを結合した造語。後に1960年に登場したリアエンジンのコンパクトモデルに使われる。コルベットをベースとしたファーストバックの2シータークーペで、このリアスタイルは1955年型に採用する計画もあったようだが、スポーツカーの需要が思ったほど伸びなかったので断念したと言われる。上の赤色の個体は1月のモトラマに登場したあと姿を見せず、その後長い間スクラップヤードに逆さまの状態で放置されていたが、35年ほど前に忽然と消えたので、あるいはどこかで生きながらえているのかもしれない。2ヵ所目のマイアミでのモトラマ以降は下の淡いグリーンの個体が展示された。生産台数は2~5台まで様々な説がある。たかだか60年前の歴史ですら定かでないのだ。(Photo:GM)

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上の2点はシボレーノマド。フルモデルチェンジする1955年型シボレーのラインアップを検討する中で、スポーツワゴンを新しく加えることが決定し、量産されたのはフルサイズのベルエアベースのノマド(下の写真参照)であったが、当初企画されたのがコルベットベースのこのノマドコンセプトであった。
 ホイールベースがコルベットより13インチ長い115インチで、フルサイズシボレーと同じであることから、フルサイズシボレーのシャシーがベースとなったという説がある一方、1953年のモトラマに展示されたプロトタイプが、その後耐火テスト中にボディーを焼損したが、そのシャシーをモディファイして使うよう記したシボレー技術部発行の1953年10月8日付ワークオーダーが出てきたり、製作台数についても2台だ、いや3台あるのではないか、など諸説飛び交い真相は分からない。(Photo:GM)

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上の2点は量産に移された1955年型ノマド。傾斜したBピラー、スライディングサイドガラス、グルーブの付いたルーフパネル、傾斜したテールゲートとテールゲートトリム、大きく切り込まれたリアホイールハウジングなど、ショーモデルの面影が残っている。ただ、価格が2472ドル(直6)/2571ドル(V8)とシボレーのラインアップ中最も高価で、しかも2ドアで使い勝手が悪いことが災いしたのか、1955年型の生産台数はわずか6103台であった。その後も販売は伸びず、1957年型を最後に生産中止となってしまった。その後、1958および1959年型では他の4ドアステーションワゴンと共通のボディーに若干豪華仕様の内装を施してノマドの名称は残されていたが、1960年型ではカタログから消え去ってしまった。

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上の2点はハーリー・アールの発案でコルベットを全天候型スポーツカーにするため、脱着可能なハードトップを装備したコルベットコンバーティブルクーペ。トップはボディーと同じFRP製で、巻き上げ式のドアガラスも装備されたため、必然的にドアの外側にもオープナーが必要となり、ここではプッシュボタンが追加されている。フロントウインドシールドは3in(76mm)ほど高くなっている。製作台数は2台。これらのアイデアはビッグマイナーチェンジされた1956年型に採用されている。(Photo:GM)

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「壮大な幽霊の子」のコピーを付けて「エスクァイア(Esquire)」誌1955年11月号に載った1955年型コルベットの広告。40年前(1915年頃を指す)にレースなどで大活躍したマーサー レースアバウト(Mercer Raceabout Model 35-R)(コルベットの上にオバケ?のように描かれているクルマ)を幽霊にたとえ、幽霊だから死なずに40年後のいまコルベットを生んだ。すなわちコルベットはマーサー レースアバウトの精神的な後継車だと主張し、195馬力のV8エンジンを積んだコルベットがいかに素晴らしいかを訴求している。膨大なコルベットの広告作品の中でも傑作のひとつと言われる。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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