三樹書房
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第35回 1950年代のアメリカンドリームカー(4)
2015.7. 6

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上の写真は、ガスタービンが乗用車のパワーユニットとして使い物になるかを検証した、アメリカ初のガスタービン実験車、GMのファイアバードシリーズ。パワーとスピードに関してガスタービンの持つポテンシャルについては広く知られていたが、低速そして通常のクルマの運転状態でも、効率的かつ経済的に活用できるかを検証するのが目的であった。今回は3代に及ぶファイアバードについて紹介する。このあとGMはガスタービンの研究を乗用車からトラックに移している。ちなみに、世界で初めて乗用車にガスタービンを載せて実験したのは英国のローバーで、1950年にRover JET 1を発表している。(photos:GM)

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1954年1月、米国ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルで開催された、1954年GMモトラマ(MOTORAMA)で発表されたXP-21ファイアバード(ファイアバードⅡの登場に伴いファイアバードⅠに呼称を変えた)のカタログ。ファイアバードを発案したのは、スタイリング担当のGM副社長、ハーリー・アール(Harley J. Earl)で、エンジン、シャシーなどの開発を担当したのは、副社長で研究実験部門(GM Research Laboratories Div.)のゼネラルマネージャー、チャールズ・マックェン(Charles L. McCuen)であった。GMは当初サンダーバードと命名したかったようだが、既にフォードが登録しておりファイアバードに変更されたと言われる。
 走行テストはインディ500マイルレースで3回の優勝経験を持つマウリ・ローズ(Mauri Rose、脇に立つ人物?)に依頼するが、先にマックェン自身が確認のためドライブし、高速コーナー手前で速度を落とそうとアクセルペダルを戻すが、レシプロエンジンのようにはエンジンブレーキが利かず、一瞬ブレーキを踏んだところコントロールを失い、ガードレールの下を突き抜けてコースアウトしてしまった。マックェンは強固なヘッドレストとシートベルトに救われ、数か月後職場に復帰したが、この怪我が原因で1955年に63歳で早期リタイアしている。破損したクルマは修復され1954年GMモトラマに展示された。修復後、ローズによって再度テストが実施されたが、最高速度の確認は行われなかった。ローバー JET 1をはるかにしのぐ200mile/h(322km/h)は可能と言われているが実証されていない。

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単座戦闘機に4輪を付けたようなXP-21ファイアバードのデザインは、無尾翼でデルタ翼を持つF4D戦闘機から着想を得たという。流線型ボディーの設計にはカリフォルニア工科大学の協力を得ている。ボディーは同じころ発売されたシボレーコルベットと同じFRP(Fiber glass Reinforced Plastic)が採用されている。ドライバーの前方に見えるファイアバードのデカルは、「Screaming Chicken(鋭く叫びたてる鶏)」の愛称で、1971年型からポンティアック・ファイアバード「トランザム(Trans Am)」のフロントグリル上面に控えめに、1973年からはエンジンフードいっぱいに大胆に描かれることになる。

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XP-21ファイアバードのデザインに影響を与えたダグラス F4D スカイレイ(Skyray:空のエイ)。ドイツから入手したデルタ翼機の資料をベースにダグラス社が開発した迎撃戦闘機で、原型機は1951年に初飛行し、1956年に就役を開始した。生産機数は419機。

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XP-21ファイアバードはドライバーの後ろにWhirlfire GT-302 Turbo-Powerガスタービンエンジンを積む。後部に巨大な噴射口があるが、噴射ガスのスラストで走るのではなく、ガス化タービンの後ろにパワータービンを備え、パワータービンに直結したシャフトから2速トランスミッションとファイナルドライブを経て後輪を駆動する。最高出力はガス化タービン26000回転、パワータービン13000回転時に370馬力を発生した。サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン+トーションバースプリング、リアはドディオン+1枚リーフスプリング。サイズは全長222.7in(5657mm)、全幅80in(2032mm)、全高はプラスチックキャノピー上部まで41in(1041mm)、テールフィン上部まで55in(1397mm)、ホイールベース100in(2540mm)、トレッド前/後54in(1372mm)/50in(1270mm)、車両重量2500lb(1134kg)、エンジン重量775lb(352kg)。写真では搭載されていないが、ドライバー前方に35gallon(133ℓ)の樹脂製燃料タンクを積む。

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XP-21ファイアバードには冷却効果を高めるために、ホイールの外側に取り付けた4輪ドラムブレーキに加え、写真のようなブレーキフラップを装着している。作動は航空機タイプのアクチュエーターで行ない、ステアリングに取り付けたスイッチで電気的にコントロールされた。
 XP-21ファイアバードに残された課題は、エンジン音が大きく、燃費が悪く、そして排気温度が1000°F(538°C)と非常に高いことであった。

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1956年1月、米国ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルで開催された、1956年GMモトラマで発表されたファイアバードⅡ(XP-43)のカタログ。デザインはハーリー・アールが担当し、技術開発を担当したのは、リタイアしたチャールズ・マックェンに代わって、研究実験担当副社長のローレンス・ハフスタッド博士(Dr. Lawrence Hafstad)であった。この年のモトラマでGMは「Highway of Tomorrow」のタイトルで、エレクトロニクスを駆使してハイウエイでの自動運転も可能とする、ドラマチックで大胆なコンセプトを紹介し、それに適応するクルマがファイアバードⅡであった。したがって、ファイアバードⅠ(XP-21)が一人乗りであったのに対し、4人乗りのファミリーカーとして開発されている。
ファイアバードⅡは2台製作されたが、1台はモトラマに展示されたディスプレイ専用の不動車で、ハーリー・アールはこのクルマでチタニュームボディーの可能性を試みている。もう一台はテスト用の可動車でFRP製のボディーが架装されている。ファイアバードⅡには数々の新しい仕掛けが試みられており、Delco製「Delco-Matic」エア・オイル(ハイドロニューマチック)サスペンション(アメリカ車初の前後レべリング機能を備えていた)、Moraine製「Turbo-X」オールメタルディスクブレーキ、Saginaw Steering Gear製油圧パワーステアリングと電動アクチュエーター、Harrison Radiator製の左右個別に調整可能なエアコン、Delco-Remy製電装部品など、多くの部品サプライヤーの技術の結晶であった。サイズは全長234.7in(5961mm)、全幅70.6in(1793mm)、全高52.751in(1340mm)、ホイールベース120in(3048mm)、トレッド前/後60in(1524mm)/57in(1448mm)。

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ファミリーカーであることを演出したファイアバードⅡの広報写真。ディスプレイ用モデルの運転席は「Highway of Tomorrow」にマッチングさせるため、2つのグリップを持つ航空機タイプのステアリングコントロールハンドルと、インストゥルメントパネル中央に大きな2個のブラウン管ディスプレイを備え、「Safety Autoway」での自動運転時のコントロールタワーとの交信、あるいはレストランやホテルの検索、予約までできるという夢(いまや夢ではなくなった!)が盛り込まれていた。これに引き換え、ランニングモデルのインストゥルメントパネル中央には15個のアナログメーターが並び、ごく平凡な丸いステアリングホイールが装着されていた。写真のクルマはステアリングホイールが見えないのでディスプレイモデルであろう。(photo:GM)

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ファイアバードⅡに搭載されたWhirlfire GT-304(スリーゼロフォー)ガスタービンエンジン。最高出力はガス化タービン35000回転、パワータービン28000回転時に200馬力を発生した。アイドリングスピードは15000回転。燃費と排気温度対策として再生熱交換器を採用することによって、レシプロエンジンに近い燃費と手をかざせるほどの低排気温度を得たという。パワータービンに直結する4速ATを積む。

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トランクリッドと床が一体で昇降するユニークな仕掛け。リアホイール上方のボディーに見える黒い穴はエンジンの排気口。

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上の2点は2004年1月にフォード博物館で出会ったファイアバードⅡ。これはチタニュームボディーのディスプレイモデル。チタニュームは加工が難しく、事前に約490°Cまで温めないと思いどおりのプレス加工ができなかったという。無塗装のブラシ仕上げにするため、黒く変色してしまう溶接は使えず、パネルをボディーフレームに接着するためのエポキシ樹脂の開発も必要であった。二つに分かれた空気取り入れ口の奥にはタービンブレード状のオイルクーラー冷却フィンが見える。左右フロントにあるブルーの小型ランプはターンシグナルランプで、これが左右にスライドすると小型で横長のヘッドランプが現れる(写真右上にはめ込んだ絵を参照)。左右リアホイールの後ろにはそれぞれ10gallon(約38ℓ)入りの燃料ポッドが装備されている。

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ファイアバードⅡに似たXP-500。1956年GMモトラマのプロモーショナルフィルム「Design for Dreaming」制作にあたり、ボディー構造のクローズアップシーンを撮るために製作されたFRPボディーをまとったモデル。ファイアバードⅡとはフロント部分の造形が大きく異なる。このクルマはその後、フリーピストンエンジンのテストに使用された。上映時間10分ほどのフィルムはYouTubeで視聴が可能だが、このクルマが活躍した部分はカットされてしまったようだ。(photo:GM)

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1958年10月、米国ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルで開催された、1959年GMモトラマで発表されたファイアバードⅢ(XP-73)のカタログ。ファイアバードⅠでは高性能を、ファイアバードⅡでは将来のファミリーカーデザインの追及が目的であったが、ファイアバードⅢでは技術のリファインに加えて、人間工学の分野に革新をもたらすことを目標とし、単なるドリームカーではなく、数年後にはGMの量産車に採用できる技術のテストベンチとして製作されたと記されている。サイズは全長248.2in(6304mm)、全高はプラスチックキャノピー上部まで44.8in(1138mm)、テールフィン上部まで57.3in(1455mm)、ホイールベース119in(3023mm)、トレッド前後とも57in(1448mm)、車両重量5275lb(2393kg)(燃料とオイルタンク満タン状態)。ちなみに、このカタログは1962年に米国ワシントン州シアトルで開催されたシアトル万国博覧会で配布されたもの。

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モトラマに展示されたファイアバードⅢ。超音波キーをドアに触れると、サイドパネルとバブルキャノピーの前半分が一体となったドアが写真のように前方に跳ね上がる。テールフィンはリアフェンダー下部のものを含めて7ヵ所から生えている。キャノピーの後方には長方形の2つの排気口が見える。排気温度は300~500°F(149~260°C)であった。(photo:GM)

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ファイアバードⅢのFRPボディー製作風景。華やかなドリームカーも案外地味な作業で作られている。(photo:GM)

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ファイアバードⅢにはステアリングホイール、シフトレバー、アクセルペダル、ブレーキペダルが無い。代わりにセンターコンソールに写真のような「ユニコントロール(Unicontrol)」と称するコントロールスティックを備え、前方に倒すと加速し、後方に倒すとブレーキ、左右に倒すとステアリング操作ができ、ノブを左右どちらでも20°回転するとリバースに、80°回転するとパーキングにシフトでき、左右どちらのシートに座っても運転できた。そして、オートガイドビームが設置されたハイウエイでは自動運転も可能であった。インストゥルメントパネルにはタコメーター、速度計、燃料計の3つのメーターのみ装着され、その他の情報はすべてワーニングランプに置き換えてドライバーの負担を軽減している。これは人間工学の賜物であった。

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ファイアバードⅢに搭載されたWhirlfire GT-305ガスタービンエンジン。最高出力はガス化タービン33000回転、パワータービン27000回転時に225馬力を発生し、トランスミッションはモディファイされたハイドラマチックが積まれていた。ファイアバードⅢはもう1基フロントに2気筒328cc、10ps/3600rpmのアクセサリーエンジンを搭載していた。このエンジンは常に高速かつ一定速度で運転され、AC12V発電機、エアコン用コンプレッサー、エア・オイルサスペンション用3000psi(210.9kg/㎠)、その他の油圧ユニット用1000psi(70.3 kg/㎠)の油圧ポンプを駆動した。更に、60サイクルAC110Vの発電機も搭載しており、非常時には家庭用電源としても使用することが出来た。

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ファイアバードⅢのシャシーとサスペンション。独特の形をしたフレームのバックボーンは、クルマを動かすためのワイヤハーネスや油圧パイプのハウジングとしての機能も兼ねている。サスペンションはエア・オイル(ハイドロニューマチック)式で、バネ常数は車重の変化に応じてバリアブルに変化する。「ターバル(Turb-Al)ブレーキ」と称するブレーキシステムは、ブレーキドラムとホイールを一体のアルミ鋳物で成形し、ドラム内周は金属溶射したあと研磨され、ブレーキシューには焼結合金製メタルライニングが装着されていた。ABS(アンチロックブレーキシステム)も初めて採用されている。更に、48km/h以上の速度でブレーキを掛けたとき、油圧で作動する3枚のエアブレーキフラップも備えていた。

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ファイアバードⅢににょきにょき生えたテールフィンだが、その後、1959年に発表されたコンセプトカー「キャディラック サイクロン」を経て、1961年型キャディラックに生かされている。

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米国のスチュードベーカーに影響を受けてデザインされ、1949年に発表された英国のローバーP4セダンをベースに製作され、1950年に発表されたローバーJET 1ガスタービン実験車。1952年に改良型エンジンに換装して最高速度152mile/h(244km/h)を記録している。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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