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第29回 戦後のアメリカ車 - 10 :1940年代の新型車(GM)
2014.5.28

 戦後いち早く新型車を投入して、クルマに飢えていた市場でいくばくかの利益を上げていた独立系自動車メーカーであったが、1948年になるといよいよビッグ3が戦後初のフルモデルチェンジ車を造り始め、独立系メーカーは徐々に苦境に追い込まれていくことになる。しかし、1948年型では独立系のシェアはまだ20%以上あり、戦前の1941年型の約9%に比べるとまだまだ健闘していたのである。ただし、素材特に鋼板の供給不足は深刻であったし、頻繁に起こるストライキは車両の組み立てのみならず、部品のショーテージも発生させ、総生産台数は約340万台で前年型をわずかに超えるにとどまった。
 今回はGM各車の戦後型について紹介する。75シリーズを除くキャディラックとオールズモビル98シリーズの1948年型に真っ先に投入し、1949年型ではキャディラック75を除くすべてのモデルが戦後型に変身した。

◆キャディラック(Cadillac)
 1948年型キャディラックのトピックは、1950年から1960年代にかけて大流行となったテールフィン(フィッシュテールとも称した)を真っ先に取り入れたことであろう。1939年に登場したアメリカ陸軍航空隊の双胴の戦闘機、ロッキード P-38 ライトニングにインスピレーションを得たといわれるテールフィンは、当初の広告では「Rudder-type fenders(方向舵型フェンダー)」と称していた。GM社ではP-38の開発段階でロッキード社にデザイナーによる調査チームを派遣していたと言われる。1948年型の生産開始は1948年2月で、ディーラーで発売されたのは3月となり、販売期間が短かったにもかかわらず生産台数は約5万3000台(シェア約1.5%)となり、フレーザーを抜いて15位に上がっている。

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1948年型キャディラック61および62のラインアップ。シリーズ62のホイールベースは前年モデルより3インチ短くなり、61シリーズと同じ126in(3200mm)となった。エンジンは従来の5.7L V型8気筒150馬力が全モデルに積まれていた。価格は2728~3442ドルで、一番売れたのは左下のシリーズ62の4ドアセダン2996ドルで2万3997台生産されている。62コンバーティブルには油圧作動のトップ、パワーウインドーとフロントのパワーシートが標準装備され、価格3442ドルで5450台生産された。個性的なレインボー型のインストゥルメント・ポッドを持つインストは1949年型ではごく平凡なものに変更される。

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1948年型キャディラック・フリートウッド60スペシャル。ホイールベース133in(3378mm)のシャシーに架装された全長226in(5740mm)(全長はシリーズ75より1インチ長い!)の長大な5人乗りセダンで、油圧によるパワーウインドーとパワーフロントシートを標準装備する。価格は3820ドル、生産台数は6561台で62セダンに次いで多い。サイドウインドーの周りに細いクロームのエッジングがつくのと、リアフェンダー前端に垂直のエアスクープを模したサイドモールディングがつくので識別できる。垂直のエアスクープはロッキードP-38の胴体につくラジエーターのエアスクープに着想を得たものであり、その後のキャディラックデザインの特徴となった。

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キャディラックをはじめ、戦後のアメリカ車のデザインに多大な影響を与えたロッキードP-38 ライトニング戦闘機。

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1948年型キャディラック・フリートウッド75。シリーズ75は1941年型でのフルモデルチェンジ以降はマイナーチェンジで生産され、フルモデルチェンジは1950年型まで待たねばならなかった。ホイールベース136in(3454mm)のシャシーに他のモデルと同じ5.7L 150馬力エンジンを積み、5人、7人および9人乗りセダンとパーティション付きのリムジンが存在した。価格は4679~5199ドルで1260台生産された。他に救急車、霊柩車などを架装するためのホイールベース163in(4140mm)のコマーシャルシャシーが2067台生産されている。

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1949年型の途中から追加設定されたハードトップクーペ、シリーズ 62 クーペ・ド・ヴィル(Coupe de Ville)。このボディー形式もテールフィンと並んで、アメリカ車のみならず世界中のクルマのデザインに影響を与えた。ハードトップはこの年、ビュイックとオールズモビルにも設定されている。価格は3497ドルで生産台数は2150台であった。
1949年11月25日、100万台目のキャディラックとなったクーペ・ド・ヴィルがラインオフした。このクルマはモデルイヤーで1940年代最後のキャディラックとなった。1902年に最初のキャディラックであるモデルAを発売してから100万台達成までに47年を要したが、次の100万台(累計200万台)達成はわずか9年弱で成し遂げており、キャディラックの躍進には目を見張るばかりだ。

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GM ヘリティッジセンターに所蔵されている1949年型キャディラック・クーペ・ド・ヴィル。左側テールランプのレンズ部分を上に跳ね上げると、燃料のフィラーキャップが現れる。このモデルはエンスージアストたちによって、最も美しい量産型キャディラックの一つとされている。

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1949年型キャディラックのもう一つのトピックは新型V8エンジンの採用であった。戦前から開発が進められていたが、第2次世界大戦で中断したため完成が遅れてしまった5.4L V型8気筒OHV 160馬力エンジンは小型軽量化が図られ、メインベアリングが3から5個になったにもかかわらず全長、高さが旧型より約4インチ減少し、重量は85kg軽くなって317kgであった。このエンジンはその後改良を重ね7.0Lまで拡大され、1950年代に展開された馬力競争を戦い、1967年型まで使用された。

◆オールズモビル(Oldsmobile)
 1948年型オールズモビルはキャディラックと同時に最上級のシリーズ98に戦後型モデルを投入した。シリーズ60と70は1947年型のマイナーチェンジで販売された。1949年型ではすべてのシリーズが戦後型となり、途中でキャディラック、ビュイックと同様のハードトップモデルが設定された。1948年型の生産台数は約17万3000台(シェア5.1%)で、スチュードベーカーに7位の座を奪われて8位に順位を落としたが、1949年型では約28万8000台(シェア5.6%)で7位を奪還している。1949年型スチュードベーカーはダッジ、ハドソン、ナッシュにも抜かれ11位に後退してしまった。

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1948年型の途中、1948年2月に発表されたシリーズ98。ホイールベースは1947年型98より2インチ短い125in(3175mm)のシャシーに4.2L直列8気筒115馬力を積む。ちなみにオールズモビルが直列8気筒を積んだ最後の年となった。このイラストは4ドアセダンのデラックス仕様で、価格は2256ドル。生産台数は3万2456台でオールズモビルのベストセラーモデルとなった。内装、装備を若干落として105ドル安い標準モデルも設定されていたが、生産台数は5605台でほとんどの顧客はデラックスを選択していた。
 上の表紙のタイトルに「INTO A NEW GOLDEN ERA・・・FUTURAMIC Oldsmobile」とあり、1947年8月21日に創立50周年を迎えたオールズモビルであったが、若干遅らせて1948年をゴールデン・アニバーサリーとして新しい「フューチュラミック」スタイリングのプロモーションに活用した。

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1948年型オールズモビル98にはセダンの他に2ドアのクラブセダン(2182ドル)とコンバーティブルクーペ(2624ドル)が設定されていた。コンバーティブルには油圧作動のトップ、パワーウインドー、前席のパワーシートが標準装備されており、セダン、クラブセダンにはパワーウインドー、パワーシートはオプション設定されていた。ハイドラマチックATは+185ドルで全車オプションであった。

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1948年型オールズモビルでは上級モデルのシリーズ98の他に、戦前からマイナーチェンジされて継続生産されてきたシリーズ60と70が「ダイナミックシリーズ」として販売されていた。これはシリーズ70でホイールベースは125in(3175mm)。シリーズ70には3.9L直列6気筒100馬力エンジンを積んだ76と、4.2L直列8気筒110馬力の78が設定されていた。このイラストは4ドアセダンで、70には他にクラブセダンがあった。価格は76が1726~1947ドル、78は1785~2005ドルであった。

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これはシリーズ60でホイールベースは119in(3022mm)。シリーズ60にも3.9L直列6気筒100馬力エンジンを積んだ66と、4.2L直列8気筒110馬力の68が設定されていた。このイラストは左がクラブクーペ、右がステーションワゴンで、60には他に4ドアセダン、クラブセダン、コンバーティブルクーペがあった。価格は66が1609~2739ドル、68は1667~2797ドルであった。

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左上に「Oldsmobile goes ALL FUTURAMIC」とあるように1949年型オールズモビルはすべてのモデルが戦後型となった。車種構成はホイールベース125in(3175mm)のシャシーに新開発の5.0L V型8気筒OHV 135馬力「ロケット」エンジンを積んだシリーズ98、ホイールベース119.5in(3035mm)のシャシーに4.2L 直列6気筒105馬力エンジンを積んだシリーズ76、そして、当初予定されていなかったが最終的に設定が決まったと言われる、76の車体にV8を積んだシリーズ88の3つのシリーズがあった。98と88にはハイドラマチックATが標準設定され、76にはオプションであった。しかし、1950年型ではATは再び全モデルともオプション設定に戻っている。ホットな88モデルはストックカーレースで頭角を現し、9つのNASCARレースに出場して6回優勝している。

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1949年のインディアナポリス500マイルレースでペースカーに選定された88コンバーティブルクーペ。この写真のマルーンと白色の2台用意され、インディ500で3回優勝したウィルバー・ショウ(Wilbur Shaw)のドライブで実際に先導したのは白のクルマであった。フロントフェンダーにクロームの大きなロケットが追加されており、先導中に煙を噴射する予定であったが、この計画はボツとなってしまった。

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1949年型オールズモビル最大のトピックであった新開発の「ロケット」エンジン。5.0L V型8気筒OHV、ボア95.3mm×ストローク87.3mmのオーバースクエアエンジン。圧縮比7.25:1で135ps/3600rpm、36.4kg-m/1800rpmを発生した。ハイオクタンガソリンが市販されれば圧縮比は12.5:1まで上げることが可能であった。当初、開発者ケッターリング(Charles F. Kettering)にちなんでプロトタイプのバルブカバーには「Kettering Power」とスタンプされたが、GMの製品に対する命名基準に合わず、その頃、戦時中にドイツが開発したV-2ロケットにアメリカ空軍などが強い関心を持って研究していた時期であり、パワーの象徴として「ロケット」エンジンと命名されたという。
 オールズモビルは1929~30年にバイキング(Viking)の名前でV8エンジン搭載車を販売したが、それ以来、久々のV8エンジン登場であった。

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1949年型オールズモビル 98 ホリデイクーペ。1949年型の途中からキャディラック、ビュイックと同時に追加設定されたハードトップクーペで、1949年型ではシリーズ98にのみ設定された。価格はコンバーティブルと同じ2973ドルで3006台生産されている。

◆ビュイック(Buick)
 ビュイックの戦後型導入はキャディラック、オールズモビルより1年遅く1949年型であった。ロードマスター(シリーズ70)およびスーパー(シリーズ50)の2シリーズがフルモデルチェンジを受け、スペシャル(シリーズ40)は1948年型を1949年型として継続生産されていたが早い時期に生産を中止してしまった。スペシャルはビュイックのなかで唯一2000ドルを下回る1861ドル(4ドアセダン)、1787ドル(2ドアセダネット)で販売されたが生産台数はわずか1万627台であった。モデルイヤーの途中でキャディラック、オールズモビルと同様のハードトップモデルが設定された。1949年型ビュイックの生産台数は前年の約1.5倍の約32万4000台(シェア6.3%)に達し6位から、フォード、シボレー、プリムスに続く4位に躍進している。ビュイックは1950年型で再度フルモデルチェンジを実施した。

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1949年型ビュイック・ロードマスターとスーパーのラインアップ。ロードマスターは126in(3200mm)のシャシーに5.3L 直列8気筒OHV 150馬力エンジン+ダイナフローAT(トルクコンバーター+2速セミオートであった)を積み、価格は2618~3734ドル、生産台数8万7019台。スーパーはホイールベース121inのシャシーに4.1L直列8気筒OHV 115馬力(オプションのダイナフローAT搭載車は120馬力)を積み、価格は2059~3178ドル、生産台数は22万6630台であった。1949年型ビュイックのトピックはその後ビュイックのアイデンティティーとなるフロントフェンダーにつけられたベンチポーツ(Venti-Ports)であろう。1949年型初期のベンチポーツは実際に穴が開いていたが、途中からダミーになってしまった。一般的にはポートホールズ(Port-Holes)と呼ばれているが、正式名称はベンチポーツである。

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1949年1月に発表され、7月に発売された1949年型ビュイック・リビエラ ハードトップクーペ。スペックはロードマスターに準ずる。特徴は「スイープスピアー(Sweepspear:
弧を描くヤリ?)」と呼ばれるサイドモールディングで、この後1958年型までこのモチーフが使われる。7月以降ロードマスターのコンバーティブルにもオプションでこのサイドモールディングの取り付けが可能であった。1949年型リビエラの価格は3203ドルでコンバーティブルより53ドル高価であった。生産台数は販売期間が短かったため4343台であった。

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1949年型ビュイック・リビエラのオフィシャルフォト。GMヘリティッジセンターで入手したもので、この当時、プレスキットに使用する写真はほとんどモノクロで、カラーは珍しかった。1980年にPrinceton Publishing Inc.から発行された「The Buick a Complete History」によると、1945年にはハードトップの3/8スケールモデルが完成しており、生産に関する打ち合わせの席上での製造部門のマネージャーの発言「うちの女房はスポーティでかっこが良いからと言っていつもコンバーティブルを買うが、髪が乱れるからとトップをおろしたことがない」がハードトップの爆発的な人気の理由を物語っているのではないだろうか。

◆ポンティアック(Pontiac)
 ポンティアックの戦後型導入もビュイック同様1949年型であった。ホイールベースは前年の2種類から120in(3047mm)1種に絞られ、モデル構成はノッチバックのチーフテン(Chieftain)およびファーストバックのストリームライナー(Streamliner)の2系統に分かれ、ステーションワゴンはストリームライナーに分類される。そして、ポンティアック史上初の商用車となるセダンデリバリーが設定されている。エンジンは3.9L 直列6気筒90馬力および4.1L 直列8気筒104馬力が標準設定され、オプションで圧縮比を6.5:1から7.5:1に上げた6気筒93馬力と8気筒106馬力があり、すべてのモデルで4種のエンジンから選択が可能であった。ハイドラマチックATが159ドルでオプション設定されており、ポンティアックはハイドラマチックATを装着できる最も安価なクルマであり、装着率は約78%であった。1949年型ポンティアックの生産台数は約30万5000台(シェア約5.9%)でビュイックに次いで5位であった。

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1949年型ポンティアックのラインアップ。ステーションワゴンには木目印刷した樹脂フィルム「Di-Noc」を貼ったメタルステーションワゴン(青色のクルマ)と本物の木を使ったウッドステーションワゴン(マルーンのクルマ)の2種類が用意されており、価格は同じで、6気筒モデルが2543ドル(デラックスは2622ドル)、8気筒モデルは2611ドル(デラックスは2690ドル)であった。ウッドトリムの後端の形状が異なるので簡単に識別できる。ウッドモデルはメタルモデルより45~72kg重い。右側下端が商用車のセダンデリバリーで価格は1749ドルで、8気筒モデルは+68ドルであった。

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上の2点は1950年型で初めて登場したポンティアックのハードトップである「カタリナ(Catalina)」。デラックスとスーパーデラックスがあり、スーパーデラックスにはルーフピラー下端にクロームのモールディングが付く。ホイールベースは120in(3047mm)。エンジンは3.9L 直列6気筒90馬力および前年モデルより0.3L拡大された4.4L 直列8気筒108馬力が設定され、オプションでハイドラマチックATが用意されていた。この年のカタリナの生産台数は4万」2305台でポンティアック全体の9.5%であったが、1955年には31%を超え最も人気の高いモデルとなっている。

◆シボレー(Chevrolet)
 シボレーの戦後型導入も1949年型であった。ホイールベースは前年より1インチ短い115in(2921mm)となり、モデル構成はノッチバックのスタイルライン(Styleline)およびファーストバックのフリートライン(Fleetline)の2系統に分かれ、ステーションワゴンはスタイルラインに分類された。エンジンは3.6L直列6気筒OHV 90馬力でATの設定は無かった。価格はスタイルラインのビジネスクーペ1339ドル~ステーションワゴンの2267ドルであった。1949年型シボレーの生産台数は前年の1.45倍で約101万台に(シェア19.6%)に達したが、前年の2.6倍という驚異的な躍進を遂げたフォードの約112万台に1位の座を奪われた。だが、翌年には1位の座を奪還している。

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1949年型シボレー・スタイルライン(左側)とフリートライン。フリートラインにはこの4ドアセダンと2ドアセダンがあり、それぞれスタンダードとデラックスの4車種のみの設定であった。初期のステーションワゴンはウッドトリム部分に本物の木を使っていたが、途中からメタルボディーに木目印刷した樹脂フィルム「Di-Noc」を貼ったものに変更されている。

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これは「Better Homes and Gardens」誌1949年9月号に掲載された広告で、女性をターゲットに、いかに操作が簡単で快適になったかをアピールしている。たとえば、トランクオープナーが付き、サイドブレーキは左側から右側に移して操作しやすくなり、低価格車では唯一プッシュボタン式ドアハンドルが採用されたと訴求している。このイラストは「HOLMGREN」のサインからアーティスト、ジョン・ホルムグレン(John Holmgren)の作品であろう。

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上の2点は1950年型シボレーのラインアップと、新しく設定されたシボレー版ハードトップである「ベルエア(Bel Air)」。この年のシボレーのトピックはベルエアとシボレー独自のフルオートマチックAT「パワーグライド(Powerglide)」の登場であった。エンジンは2馬力強化された3.6L直列6気筒OHV 92馬力に加えて、パワーグライドATには3.9L直列6気筒OHV 105馬力が抱き合わせで搭載された。AT車の0 - 60mph(96.6km/h)加速は約21.8秒でマニュアルトランスミッション車より2秒遅かった。価格は1741ドルで、コンバーティブルより106ドル、ステーションワゴンより253ドル安い。1950年型シボレーの生産台数は約150万台(シェア22.6%)でフォードの約121万台を抜いて第1位に返り咲いている。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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