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第26回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ナッシュ)
2014.2.27

 戦後のアメリカ車について、ジープ、スチュードベーカー、カイザー/フレーザー、クロスレー、クライスラーT&C、ハドソンと紹介してきたが、今回は1948年10月にフルモデルチェンジされたナッシュをとりあげたい。
 ナッシュのカタログには「Great cars since 1902」とあるが、ナッシュモーター社(Nash Motor Co.)の設立は1917年であり、これは前身のトーマス B. ジェフェリー社(Thomas B. Jeffery Co.)の設立にさかのぼったものである。英国生まれのトーマス B. ジェフェリーはパートナーのフィリップ・ゴームリー(Philip Gormully)と1881年、シカゴにトーマス B. ジェフェリー社を設立し「ランブラー(Rambler)」ブランドの自転車と自転車用タイヤの製造・販売を行なっていたが、1892年から息子のチャールズ・ジェフェリーがデザインした自動車の開発を始め、1902年にウィスコンシン州、ケノーシャ(Kenosha)に自動車製造のためのトーマス B. ジェフェリー社を設立。この年、1500台のランブラー車を生産した。1901年に量産開始したオールズモビル・ランナバウト(後にカーブドダッシュ〈Curved Dash〉オールズモビルと呼ばれる)に次いで2番目に量産開始されたガソリン車で、フォードがモデルAを量産開始したのは1年後の1903年であった。
 1910年にトーマス・ジェフェリーが急逝し、息子のチャールズが引き継ぎ、1914年に車名をランブラーからジェフェリーに変更している。そして、1916年7月、会社はチャールズ W. ナッシュに900万ドルで売却され、1917年にナッシュモーター社となり、車名もナッシュに変更された。
 チャールズ W. ナッシュは1864年に貧しい農家に生まれ、6歳のとき両親の離婚と同時に丁稚奉公に出されるという厳しい少年期を過ごしたが、努力の結果、1912年にGM社の社長に就任した。しかし、GM社の創始者ウィリアム C. デュラントとそりが合わず1916年に退社し、トーマス B. ジェフェリー社を購入したのである。
 1937年には後継者としてジョージ・メイソン(George Mason)に白羽の矢を立て、彼が社長を務める、冷蔵庫メーカーとして有名なケルビネイター社(Kelvinator Corp.)と合併してナッシュ・ケルビネイター社を設立し、ナッシュモータースはそのディビジョンの一つとなった。独立系メーカーの造るクルマは、ビッグ3のクルマとは違ったものでなければならないというのがメイソンの持論であり、1949年型ナッシュはまさにメイソンの哲学を具現化したものであった。残念なことに、チャールズ・ナッシュはこのモデルが発表される直前の1948年6月に84歳の生涯を終えてしまう。
 戦後の混乱からようやく抜け出した米国では、1949年型としてビッグ3からフルモデルチェンジされたモデルが登場(オールズモビルの一部モデルとキャディラックは1948年型でフルモデルチェンジされた)し、1948年型では20%近くあった独立系メーカーのシェアは12.6%ほどに落ち、独立系メーカーにとっては厳しい時代へと突入していくのである。

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上のイラストは1948年型ナッシュのカタログだが、戦後のフルモデルチェンジがいかに大胆な変貌を遂げたかを比較するために載せた。

 以下12点のイラストは、1948年10月に発売された1949年型ナッシュのカタログの一部だが、いまから65年前、トヨペットクラウンが登場する6年前のアメリカ車が、顧客に何を訴求していたかを知ることができ興味深い。

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上の2点は表紙と最初の頁。「This is it! This is Nash!(これです! ナッシュです!)」のキャッチコピーで登場した1949年型ナッシュは、4輪をすっぽりフェンダーでカバーしたスラブサイドのファーストバックボディーで登場した。曲面の1枚ガラスのウインドシールドは、1949年型ではリンカーンの上級グレードであったコスモポリタンとスチュードベーカーの一部の車種に採用されているにすぎなかった。つけられたあだ名は「バスタブ(Bathtub:風呂桶)ナッシュ」。近所にいつも路上駐車しているのが1台あったが、当時の日本少年には洋式のバスタブを連想することは不可能で、「くじら」のようだなと思って毎日眺めていたのを思い出す。

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開発にあたっては空気力学を徹底的に採り入れており、「ティアドロップバック(Tear-Drop Back)」と称するファーストバックスタイルは空力に有利なだけではなく、室内空間を広くとるためでもあった。ホイールをフェンダーの中に押し込んだのも空力のためであった。

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広い室内もセールスポイントの一つであった。廉価版の「600」モデルと他社の最高価格車3車との比較表を載せているが、同等もしくは広いことをアピールしている。あえて600モデルをあげているが、上級版の「アンバサダー」モデルもホイールベースは9インチ長いが、ダッシュパネルより前方が長いだけで室内寸法はまったく同じであった。ステアリングポストの上に装着された砲弾型のインストゥルメントポッドに注目。

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視界をさえぎるセンターポストが無い1枚ガラスの採用と、「ユニスコープ(Uniscope)」と称する、必要なメーター、ワーニングランプ類をすべて円筒状のナセルに収めてステアリングポストの上に取り付け、運転中ドライバーの視線移動を少なくするという仕掛けも売りの一つであった。しかし、1951年型ではダッシュボードに移動されている。

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「Girder-built unitized body and frame!」とあるように、乗員の周りを剛性の高い桁で囲ったモノコック構造のボディーを持つ。ナッシュは1941年型アンバサダー600モデルにモノコックボディーを採用しており、量産アメリカ車ではパイオニア的存在であった。

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1949年型ナッシュでは全モデルに前後輪ともコイルスプリングが採用された。1941年型から600モデルには前後輪ともコイルスプリングが採用され、フロントには個性的なスライディングピラー式を用いていたが、1946年型からウイッシュボーン式に変更されていた。上級グレードのアンバサダーは1948年型までリアは半楕円リーフであった。

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これもナッシュが世界初と自慢する仕掛けで、フロントシートバックを後方に倒すだけでベッドになるというもの。ベッドの上面を完全に平らにするための薄い専用マットレス、ドアに装着する虫よけを兼ねたスクリーンなどもオプション設定されていた。家族持ちの男性や、なぜか独身男性に好評であったらしい。

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「ウエザーアイ」と称する空調システムもナッシュのセールスポイントの一つであった。クーラーは付いていないので、外気とヒーターによる空調システムで、1940年型には既に装着されて高い評価を得ていた。カタログには他社もコピーを試みたがナッシュを超えることはできなかったとある。

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「1ガロンのガソリンで25マイル以上走ることができる」と燃費の良さをアピールしている。25マイル(40.2km)/1ガロン(4.55L)=8.84km/Lは当時のアメリカ車にとっては自慢できる数字であったろう。ちなみに、「600」モデルの600は20ガロン(91L)の燃料タンク満タンで600マイル(966km)走れる(燃費10.6km/h)ことから付けられた。通常走行において1ガロンで30マイル走った(燃費10.6km/L)という報告が数多く寄せられたというから、広告に偽りはなかったようだ。カタログの中で個性的なうしろ姿が登場するのはこの頁だけである。

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1949年型ナッシュ・エアフライト600モデルで、上から2ドアセダン、4ドアセダン、ブローアム。2831cc(172.6cu.in.)Lヘッド直列6気筒82馬力エンジン+3速MTを積み、オプションでワーナーギア製オートマチックオーバードライブの取り付けが可能。サイズは全長5105mm、全幅1969mm、全高1549mm、ホイールベース2845mm(112in)、トレッド1389mm(前)/1516mm(後)、最低地上高184mm、最小回転半径6147mm。価格は2935~2985ドル。生産台数は8万7145台であった。

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1949年型ナッシュ・エアフライト・アンバサダーモデルで、上から2ドアセダン、4ドアセダン、ブローアム。3851cc(234.8cu.in.)OHV直列6気筒112馬力エンジン+3速MTを積み、オプションでワーナーのオートマチックオーバードライブの取り付けが可能。サイズは全長5334mm、全幅1969mm、全高1575mm、ホイールベース3073mm(121in)、トレッド1389mm(前)/1537mm(後)、最低地上高191mm、最小回転半径6502mm。価格は3365~3415ドル。生産台数は4万2826台であった。600モデルを加えると合計12万9971台で、米国でのブランド別順位は前年よりひとつあがって10位であった。

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これは1950年型ナッシュ・エアフライトシリーズのラインアップで、600モデルは「ステーツマン」に呼称が変更された。リアウインドーが大きくなり後方視界が改善されている。ステーツマンのエンジンはストロークを0.25mm伸ばして3018cc(184cu.in.)に拡大され、出力も3馬力向上して85馬力となった。アンバサダーのエンジンも圧縮比を7.02:1から7.3:1に高めて出力を115馬力としている。アンバサダーにはGM製ハイドラマチックATがオプション設定された。この年、アメリカ車では最も早くシートベルトが設定された。ステーツマンは価格1713~1897ドルだが、最廉価版のフロントシートのみのビジネスクーペ1633ドルが設定された。生産台数は11万1298台。アンバサダーは価格2039~2223ドルで、生産台数は4万9056台で、ステーツマンと合わせると合計16万354台であった。
 別の機会に紹介するが、1950年型にはコンパクトカーのランブラーが登場したが、その1万1428台を加えてもブランド別順位は11位に後退してしまった。
 また、カナダでも生産を開始したが、その台数は含まれていない。

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1951年型では前後の造形、インスト周りが大きく変更された。特に個性的だったリアの造形はごく平凡なものになってしまったし、砲弾型メーターナセルも消えてしまった。スペックに大きな変化は無かったが価格は上昇し、ステーツマンは1710~1974ドル、アンバサダーは2137~2321ドルであった。生産台数はステーツマン9万1815台、アンバサダー6万1583台で合計15万3398台。これにランブラーの7万3台を加えると22万3401台となり、ブランド別順位も10位に返り咲いた。1950年6月に勃発した朝鮮戦争に対応して、国防契約によるプラット&ホイットニー(P&W)航空エンジンの生産を行なったためか、P&W社製エンジンを搭載した米海軍のグラマンF9Fパンサーが載っている。

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上の2点はナッシュ自慢のベッドをお医者さんに売り込もうと制作されたカタログ。クルマは1951年型。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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