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第19回 戦後のアメリカ車 - 1 :1946年型の登場(乗用車の生産再開)
2013.5.31

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 1945年8月、第二次世界大戦が終結すると日本の街は一変した。 それまで子供達の遊び場だった道路には、進駐軍の持ち込んだジープをはじめ、世界中のくるまがやってきた。 当時は敗戦国のドイツ車ではなく、戦勝国のアメリカ車が街にあふれていた。まだ、くるまが庶民のもので無かった時代、なかでも、戦後から1960年代にかけて、華やかで十分個性的であったアメリカ車を、驚きと羨望の眼差しで眺めたものであった。最も輝いていた戦後のアメリカ車の変遷を、当時のカタログと広告で振返ってみようと思う。 そこには、ビッグ3に果敢に挑み、消えていった"インディペンデント"と呼ばれた独立系メーカーのくるまたちも多く、思わぬ発見があるかもしれない。
 1942年に発効した民需用乗用車の生産中止令が、1945年7月に解除されるとほとんどの自動車メーカーは戦前の1942年型に若干手を入れ1946年型として生産を再開した。しかし、再開に当たっては兵器生産から乗用車生産への設備の入れ替えが必要で、なかには生産設備を屋外に保管していたため、防錆処理を施していたにもかかわらずオーバーホールが必要となり、思わぬ時間を費やし、いざ稼働を始めても資材不足やストライキなどに悩まされ、必ずしもスムースには進まなかったと言われる。
 米国政府は1944年の終わりごろには自動車メーカーに対し、戦後の新型車の開発再開を許可しており、既に勝利を確信していたのであろう。日本の政治家や軍のリーダーが冷静な判断ができる資質と知性を持っていたら、恐らく100万人の日本人の命が救えたであろう。近頃、戦争体験のないのんきで好戦的なひとたちが国会ではしゃいでいる。暴走しなければよいが。心配だ。

 今回は、戦後のアメリカ車を始めるにあたり、1946年型がどんな姿をしていたかを紹介したい。戦後すぐに大きく変化したウイリス、クロスレー、スチュードベーカー、および新登場するカイザー/フレーザーについては別途紹介することにした。

◆GM系
キャディラック(Cadillac)
 1946年型キャディラックは1942年型のフェイスリフトで、グリル、バンパーなど、わずかな変更であった。この年から紋章にV型を組み合わせたエンブレムが採用されている。キャディラックが戦後の生産を再開したのは1945年10月17日で、最初の数か月間は量販車種であったシリーズ62の4ドアセダンのみであった。車種構成は61、62、60S、75の4シリーズで、シリーズ63と67は落とされている。1946年型の生産台数は2万9194台(シェア1.3%)でアメリカ車のブランド別順位は14位であった。

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1946年型キャディラック-フリートウッド・シリーズ60S。60Sはこの4ドアセダンのみで、1946年型では前後席の間のディビジョン・ウインドーは廃止された。エンジンは5674cc(346cu.in.)V8 150馬力。ホイールベース3378mm(133in)、全長5690mm。価格は3099ドル、生産台数は5700台であった。ハイドラマチックATはオプションであった。

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1946年型キャディラック・シリーズ62 クラブクーペ。GMが1941年型から採用したファーストバックボディーをまとった5人乗りクーペで、エンジンは60Sと同じ150馬力。ホイールベース3277mm(129in)、全長5588mm。価格は2284ドル、生産台数は2323台であった。

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2009年11月に開催された「トヨタ博物館 クラシックカーフェスタin神宮外苑」に現れた1947年型キャディラック・シリーズ62 クラブクーペ。ホイールベース3277mm、全長5588mmの長大なボディーの流れるようなファーストバックは惚れ惚れするほど美しい。価格は2446ドル、生産台数は7245台であった。

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1946年型キャディラック・シリーズ75 ツーリングセダン。4669ドルとキャディラックの中で最も高価なモデルで、ホイールベース3454mm(136in)、全長5766mm、生産台数は221台であった。運転席後ろのディビジョン・ウインドーは油圧で上下する。この年のシリーズ75には5つのモデルバリエーションがあり、合計生産台数は635台で、他にカスタムメイドリムジン、救急車あるいは霊柩車に仕立てるためのホイールベース4140mm(163in)のコマーシャル・シャシーが1292台生産されている。

ビュイック(Buick)
 1946年型ビュイックも1942年型のフェイスリフトにとどまっている。車種構成はロードマスター(シリーズ70)、スーパー(シリーズ50)、スペシャル(シリーズ40)の3シリーズで、リミテッドとセンチュリーは落とされている。1946年型の生産台数は15万8728台(シェア6.9%)でアメリカ車のブランド別順位は5位であった。

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1946年型ビュイックのカタログで、中央のモデルが最もポピュラーなスーパー 4ドアセダンで、4067cc(248cu.in.)直列8気筒110馬力エンジンを積み、ホイールベース3454mm(136in)、全長5394mm、価格1822ドル、生産台数は7万7724台、ツートンカラーはオプションであった。左側の3台はスーパーのバリエーションで、上から2番目のファーストバックモデルは「セダネット(Sedanette)」と称した。右側の3台はロードマスターで5251cc(320.2cu.in.)直列8気筒144馬力エンジンを積み、ホイールベース3277mm(129in)、全長5515mmであった。このフェンダー形状は「エアフォイル(Airfoil:翼)」フェンダーと呼ばれている。なお、スペシャルはエアフォイルフェンダーではなく、フロントドアまでの旧型のまま継続された。

オールズモビル(Oldsmobile)
 1946年型オールズモビルもマイナーチェンジであったが、グリルは大幅な変更を受け、シンプルでスタイリッシュなものとなった。1945年7月にはハンドビルトされたクルマが何台かラインオフしたが、本格的な生産は10月15日から開始された。車種構成はスペシャル(60シリーズ)、ダイナミック(70シリーズ)、カスタムクルーザー(90シリーズ)の3シリーズがあり、60シリーズは6気筒エンジンなので「66」、70シリーズの6気筒モデルは「76」、8気筒モデルは「78」、90シリーズは8気筒モデルなので「98」と称した。エンジンは3903cc(238cu.in.)直列6気筒100馬力と4215cc(257cu.in.)直列8気筒110馬力の2機種で、ホイールベースは60シリーズ3023mm(119in)、70/90シリーズ3175mm(125in)であった。1946年型の生産台数は11万7623台(シェア5.3%)でアメリカ車のブランド別順位は7位であった。

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1946年型オールズモビルのカタログの最初の頁には「アメリカの最も古い自動車会社の最新の製品」のコピーとともに、アメリカ最初の量産車カーブドダッシュ・ランナバウトの絵と1946年型のフロントビューが大きく載っている。シンプルで斬新なフロントグリルは46年型最大の特徴であった。このくるま、私が運転免許証を取る前、何度か先輩に連れられて、大岡山の東工大にあった練習コースで運転練習に使ったのでよく覚えている。おかげで教習所には一度も行ったことがなかったのだが、高齢者講習でお世話になるとは想定外であった。

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オールズモビルがセールスポイントに取り上げたのが、フルードカップリングによる4速オートマチックトランスミッションの「ハイドラマチックドライブ(Hydra-matic Drive)」であった。1940年型に初めて採用し、第2次世界大戦で戦車や軍用車両で鍛え上げ、玉成されたと訴求している。写真のくるまは78クラブセダン。ハイドラマチックドライブは全モデルにオプション設定されていた。

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1946年型オールズモビルのカタログに掲載されていた、当時のアクセサリーパーツ。左頁に「コンディション・エア」とあるが、現代のエアコンとは異なり、冬はヒーター、夏は外気を調整するものであった。右頁にはスピーカー一体型のラジオが紹介されている。更に、プラスチック製のステアリングホイールとホーンリングが紹介されており、70シリーズのデラックスと90シリーズには標準装備され、70シリーズのスタンダードおよび60シリーズにはオプション設定されていた。プラスチックの活用も第2次世界大戦中の兵器生産を通して発達したと言われる。

ポンティアック(Pontiac)
 1946年型ポンティアックも1942年型のフェイスリフトで、グリル、バンパー、トリムが小変更されて発売された。ポンティアックが生産を再開したのは1945年9月13日であったが、フル生産に復帰できたのは1946年6月であったという。したがって最初の数か月は、戦前いちばん人気があったストリームライナー・セダンクーペ1車種だけであった。車種構成はストリームライナーの他に若干廉価版のトルピード(Torpedo)が設定されていた。トルピードはホイールベース3023mm(119in)のGM Aボディー、ストリームライナーはホイールベース3099mm(122in)のGM Bボディーを採用し、エンジンは3923cc(239.2cu.in.)直列6気筒90馬力、または4082cc(248.9cu.in.)直列8気筒103馬力が選択可能であった。1946年型の生産台数は13万7640台(シェア6.2%)でアメリカ車のブランド別順位は6位であった。

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1946年型ポンティアック最初のカタログで、ストリームライナー・セダンクーペのみ掲載されている。右中央には「4ドアセダンとステーションワゴンは1946年1月1日発売」と記されている。ポンティアックのトレードマークであったボンネット上の「シルバーストリークス(Silver Streaks:銀条)」は1935年型から始まり、本数や位置を変えながら1956年型まで続いた。このモデルの価格は6気筒が1438ドル、8気筒は1468ドルであった。

シボレー(Chevrolet)
 1946年型シボレーも1942年型のマイナーチェンジでスタートしている。しかし、シリーズ名が変更になり、マスターデラックスはスタイルマスターに、スペシャルデラックスはフリートマスターに、そしてフリートラインはフリートマスターのサブシリーズとして最上位の2車種が設定された。ホイールベースは全モデル2946mm(116in)でエンジンは3551cc(216.5cu.in.)直列6気筒OHV90馬力を積んでいた。シボレーが生産を再開したのは1945年10月3日で、1946年型の生産台数は39万8028台(シェア17.9%)でアメリカ車のブランド別順位はフォードに抜かれ2位に後退している。UAW(United Auto Workers:全米自動車労働組合)のストライキでGMの全ディビジョンの生産が4ヵ月以上ストップしたのが影響している。

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1946年型シボレーで最も売れたスタイルマスター・スポーツセダンのカタログでカラーバリエーションを示している。ツートンカラーはオプション設定であった。価格は1123ドルで、販売台数は7万5349台で全シボレーの19%を占めていた。

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1946年型シボレーの中で最もアトラクティブなスタイルを持つ、フリートライン・エアロセダン。46年型シボレーで唯一のファーストバックモデル。価格1165ドルで5万7932台売れた。

◆フォード系
 戦時中の1943年5月26日、ヘンリー・フォードの息子で社長のエドセル・フォードが胃がんのため49歳の若さで亡くなり、80歳のヘンリー・フォードが社長に復帰し、エドセルの息子であるヘンリー・フォードⅡ世が海軍を除隊して副社長に就任した。そして、1945年9月21日にヘンリー・フォードⅡ世が28歳の若さで社長に就任した。フォードⅡ世はGM傘下のベンディックス・アビエイションの社長であったアーネストR. ブリーチ(Ernest R. Breach)とGMの幹部であったルイス D. クルーゾー(Lewis D. Crusoe)を執行副社長に招き、彼らの提案で、のちに「ウィズキッズ(Whiz kids:天才的な若者たち)」と呼ばれるUSAAF(U.S. Army Air Force:アメリカ陸軍航空隊)で、軍の最高司令官が意思決定するのに必要な、航空機、兵員、軍需品に関するデータの情報管理システムをゼロから作り上げた聡明な10人の士官を重役に招いた。彼らはルーズだったフォードの財務管理を整備し、フォードの発展のために持てる力を発揮した。10人のうち、ロバート・マクナマラ(Robert S. McNamara)は1960年11月、フォード一族以外の最初の社長に就任するが、その5週間後にはジョン F. ケネディ大統領の懇請を受け国防長官に就任している。アルジェイ・ミラー(Arjay Miller)ものちに社長に就任している。
 1945年10月22日、リンカーン・マーキュリー部門は計画、マーケッティング、部品、サービス、製造、ディーラーネットワークなどすべてをフォードと切り離した独立採算制を導入した組織となった。

リンカーン(Lincoln)
 1946年型リンカーンも1942年型のグリル、バンパーなどを変更する程度のマイナーチェンジで登場した。1946年型リンカーンは、従来の「リンカーン ゼファー(Zephyr)」からゼファーの呼称がはずされ、「リンカーン」となった。1941年型から登場した3505mm(138in)のホイールベースを持った、キャディラック75に対抗する「カスタム」シリーズは落とされている。車種構成はリンカーン・シリーズとコンチネンタル・シリーズがあり、ホイールベース3175mm(125in)、全長5486mmであった。リンカーンの生産再開は若干遅く、市場に登場したのは1946年1月10日で、1946年型の生産台数は1万6645台(シェア0.75%)で、クロスレーを除くと最も少なく、アメリカ車のブランド別順位は16位であった。

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1946年型リンカーン セダン。リンカーンの一番標準的なモデルで価格は2337ドルであった。他に2318ドルの2ドア・クラブクーペと2883ドルのコンバーティブルがあった。モデル別の生産台数は不明だが、3モデル合計1万6179台であった。なお、全車パワーウインドーが標準装備されていた。

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1946年型リンカーン・コンチネンタル クーペ。1939年にエドセル・フォードの発案で誕生したリンカーン・コンチネンタルは1940年型からリンカーンのラインアップに加えられた。1946年型の価格は4392ドルと高価で、生産台数は265台。他にコンバーティブルがあり、4476ドルで生産台数は僅か201台であった。

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1946年型リンカーン・コンチネンタルの細部を紹介する頁で、特徴的なボクシィなトランクとトランクの後ろに背負ったスペアタイヤの様子がよく分かる。このスペアタイヤのマウント方式は「コンチネンタル・マウント」と呼ばれて大流行し、「コンチネンタル・マウントキット」として多くのカーメーカー、アフターマーケットからアクセサリーパーツとして売り出されている。

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1946年型リンカーンに搭載された5002cc(305cu.in.)V型12気筒Lヘッド130馬力エンジン。1946年型のエンジンは生産開始から1797台目まではこのエンジンが搭載されたが、シリンダー壁に亀裂不具合が発生したため、1942年型で2.94inに拡大されたボアを2.875inに戻し、1940~41年型に搭載されていた4789cc(292cu.in.)120馬力エンジンに途中でランニングチェンジされている。ファンブレードがクランクシャフトに直結されている点に注目されたい。

マーキュリー(Mercury)
 1946年型マーキュリーも1942年型のマイナーチェンジであった。
 エンジンは3926cc(239.4cu.in.)V型8気筒Lヘッド100馬力エンジンを搭載し、ホイールベース2997mm(118in)、全長5126mmで、車種は2ドアのセダン、セダンクーペ、およびコンバーティブル、4ドアのタウンセダンおよびウッディ・ステーションワゴンの5モデルに、途中でフォード・スポーツマン コンバーティブルのマーキュリーバージョンが200台だけ生産された。このモデルは1947年には生産されなかったため、超希少車と言えよう。マーキュリーの生産再開は1946年11月1日で、1946年型の生産台数は8万6608台(シェア3.9%)で、アメリカ車のブランド別順位は10位であった。

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この1946年型マーキュリー・タウンセダンは、価格1509ドル、生産台数は4万280台でマーキュリーの販売台数の47%を占めるベストセラーモデルであった。

フォード(Ford)
 1946年型フォードも1942年型のグリルを変えたマイナーチェンジであった。ただし、V型8気筒エンジンは1942年型の3624cc(221cu.in.)90馬力から、マーキュリーと同じ3926cc(239.4cu.in.)100馬力のものに強化されている。他に3706cc(226cu.in.)直列6気筒90馬力エンジンも選択可能であった。ホイールベース2896mm(114in)、全長5034mmで、車種構成はデラックスとハイグレードのスーパーデラックスが設定されていた。フォードが生産を再開したのは1945年7月3日であったが、正式発表は10月22日まで待たなければならなかった。1946年型の生産台数は46万7413台(シェア21%)で、アメリカ車のブランド別順位は1位であ、この内37万2543台(生産台数の79.7%)がスーパーデラックスであった。

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1946年型フォード・チュードー(Tudor:2ドアのフォード呼称)セダン。1946年型フォードのベストセラーモデルで23万8324台(生産台数の64%)生産された。価格はスーパーデラックスがV8エンジン付き1260ドル、直6エンジン付き1211ドル。デラックスはV8付き1185ドル、直6付き1136ドルであった。

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1946年型フォード・スポーツマンコンバーティブル。1946年途中から追加設定されたモデル。この年の最も高価なフォードで1982ドルのプライスタグが付いていた。高価なのとウッディボディーに不可欠な手入れが敬遠され生産台数はわずか723台であった。1947年型は2274台、1948年型は28台生産され、総合計3025台の希少車である。デザインは1939年にリンカーン・コンチネンタルをデザインしたボブ・グレゴリー(E.T. "Bob" Gregorie)で、ヘンリー・フォードⅡ世が社長に就任して最初に承認したプロジェクトであった。
ヘンリー・フォードは何でも素材から自前で造らないと気が済まない性格で、結果として良いものができ、利益も得られると信じていたようだ。ウッディボディーの生産も、1919年の秋にミシガン湖の北端、アッパー半島の南西にあるアイアンマウンテンに31万3000エーカー(1267㎢:神奈川県の面積の半分強)の森林地を購入、1921年7月には製材工場を稼働し、T型フォードのボディー材を100%内製していた。そして1939年終わりごろにはウッディボディー車のアッセンブリーラインもアイアンマウンテンに設立し、外注していたウッディボディーの生産も自前で始めた。戦時下の1943年からは陸軍航空隊のために、ヨーロッパ戦線で空挺隊員を運ぶグライダーを生産。2年間に4200機以上生産している。戦後ウッディボディーの生産を再開し、スポーツマンのボディーもここで生産された。リアフェンダーとテールランプは1941年型セダンデリバリーのものを流用している。やがてステーションワゴンもメタルボディーが主流となり、1951年12月にアイアンマウンテンは役目を終えた。

◆クライスラー系
クライスラー(Chrysler)
 1946年型クライスラーも1942年型のグリル、バンパー、テールランプなどを変更するフェイスリフトで登場した。ただし、1941年にウッディ・ステーションワゴンとして登場したタウン&カントリーシリーズは、1944年に開発を進め、1945年春にはパイロットモデルを完成している。結果は、ワゴンを廃してセダン、コンバーティブルなど6モデルのワイドバリエーションで展開が試みられた。タウン&カントリーについては別途紹介したいので今回は省略する。クライスラーの車種構成は6気筒モデルのロイヤルとウインザー、8気筒モデルのサラトガとニューヨーカーに大別される。4110cc(250.6cu.in.)直列6気筒Lヘッド114馬力(1942年型は120馬力であった)エンジン車は3086mm(121.5in)ホイールベースが標準で、8人乗りモデルは3543mm(139.5in)のロングホイールベースシャシーに架装されていた。5305cc(323.5cu.in.)直列8気筒Lヘッド135馬力(1942年型は140馬力であった)エンジン車は3239mm(127.5in)ホイールベースが標準であった。1946年型の生産台数は8万3310台(シェア3.7%)で、アメリカ車のブランド別順位は11位であった。クライスラー系は1946年型から48年型までほとんど変化は無く、新型車の出現は1949年型まで待たなければならなかった。しかし、戦後のこの時期は庶民がくるまに飢えており、極端な売り手市場であったため造れば売れたのである。

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1946年型クライスラーのカタログから、左側が新しく登場したタウン&カントリーシリーズの一部。右は売れ筋の4ドアセダンで、6気筒モデルのロイヤル1545ドル、ウインザー1595ドル、8気筒モデルのサラトガ1845ドル、ニューヨーカー1945ドルであった。しかし、1948年型ではロイヤル1975ドル~ニューヨーカー2436ドルと大幅に値上げされていた。

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1946~48年型クラウンインペリアル リムジンはホイールベース3696mm(145.5in)、全長5963mm、全幅1975mm(77.75in)の巨体で、価格は1946年型3875ドルであったが、1947年型4305ドル、1948年型は4817ドルと年々高騰していった。エンジンは5305cc(323.5cu.in.)直列8気筒135馬力を積む。1947~48年型には前後席を仕切るディビジョン・ウインドーの無いクラウンインペリアル セダンが100ドルほど低い価格で設定されていた。1946~48年型の3年間にリムジンが750台、セダンは650台生産されている。

デソート(De Soto)
 1946年型デソートは1942年型で採用されたコンシールド・ヘッドランプをごく平凡なものに戻し、フロントフェンダー後端をフロントドア中ほどまで延長するなど、シートメタルの変更を伴うビッグマイナーチェンジを受けて登場した。車種構成はデラックスとカスタムの2シリーズがあり、それぞれにホイールベース3086mm(121.5in)と3543mm(139.5in)モデルが設定されていた。エンジンは3882cc(236.7cu.in.)直列6気筒Lヘッド109馬力(1942年型は115馬力であった)を積む。デソートの生産再開は労働争議と資材不足のためかなり遅い1946年3月1日で、1946年型の生産台数は正確な記録が無いが、推定6万6900台(シェア3.0%)で、アメリカ車のブランド別順位は12位であった。

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1942年型デソートのカタログで、1936~37年型コード以来のコンシールド・ヘッドランプを採用していたが、1年で打ち切られた。フロントフェンダー後端もフロントドアの手前で切り落とされている。

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これは1946年型で新たに登場したデソート・カスタムサバーバン。室内とトランクの間の仕切りがなく、セミ・ステーションワゴン的なモデルであった。デソートの最も高価なモデルで2175ドルであった。1948年型では2631ドルに値上がりしている。生産台数は3年間で約7500台であった。

ダッジ(Dodge)
 1946年型ダッジもグリル、バンパーの変更と、デソートと同じくフロントフェンダーがドア中央まで延長された。車種構成はデラックスとカスタムがあり、ホイールベースは3035mm(119.5in)とカスタムの7人乗りロングホイールベースモデルは3493mm(137.5in)で、3772cc(230cu.in.)直列6気筒Lヘッド102馬力エンジンを積む。ダッジも生産再開は1946年3月で、1946年型の生産台数は正確な記録が無いが、推定16万3490台(シェア7.3%)で、アメリカ車のブランド別順位は4位であった。

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1946年型ダッジ・カスタム クラブクーペ。価格は1384ドルであったが、1947年型では1502ドルに、そして1948年型では1792ドルに上がっていた。ダッジも1946~48年型までほとんど変更なしで販売された。

プリムス(Plymouth)
 1946年型プリムスも1942年型のフェイスリフトだが、グリル、バンパー周りは大きく変わった。また、リアフェンダーのホイールカットアウトは低くなりセミスカートルックが採用されている。車種構成はデラックスとスペシャルデラックスの2シリーズがあり、エンジンは3572cc(217.8cu.in.)直列6気筒Lヘッド95馬力で、ホイールベースは2972mm(117in)、全長はステーションワゴンが4969mm、その他は4998mmであった。プリムスの生産再開は1946年2月で、1946年型の生産台数は正確な記録が無いが、推定26万4660台(シェア11.9%)で、アメリカ車のブランド別順位は3位であった。

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1946年型プリムス・スペシャルデラックス 4ドアセダン。プリムスのベストセラーモデルで、1948年型までほとんど変更なしで販売された。3年間の販売台数は51万4986台で、価格は1946年型は1239ドルであったが、1948年型では1529ドルに上昇していた。

◆パッカード(Packard)
 1946年型パッカードも1942年型のグリルを変えた程度のフェイスリフトで登場した。大きな変化は、1942年型では、旧型の伝統的なデザインのモデルと、1941年に発売された近代的なデザインのクリッパー・スタイルが混在していたが、旧型のプレス型すべてをソビエト連邦(現ロシア)に売却(この型をもとにソ連はジス〈Zis〉を生産)したため、1946年型はすべてクリッパーとなっている。車種構成はホイールベース3048mm(120in)のクリッパーシックスとクリッパーエイト、3226mm(127in)のスーパークリッパーエイトとカスタムスーパークリッパーエイトの4シリーズがあり、カスタムスーパークリッパーエイトには3759mm(148in)のロングホイールベースが存在した。エンジンは4023cc(245.3cu.in.)直列6気筒Lヘッド105馬力と4626cc(282.04cu.in.)直列8気筒Lヘッド125馬力、およびスーパー/カスタムスーパーのクリッパーエイト用5838cc(356cu.in.)直列8気筒Lヘッド165馬力の3機種が設定されていた。パッカードの生産再開は1945年10月19日であったが、クリッパーエイトのスタンダード4ドアセダンのみであり、ロングホイールベースを除く全モデルが揃ったのは1946年4月18日であった。1946年型の生産台数は3万793台(シェア1.4%)で、アメリカ車のブランド別順位は13位であった。

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1946年型パッカード・カスタムスーパークリッパーのカタログ。上の2台は127インチホイールベースの左がクラブセダン(2913ドル)と右はツーリングセダン(3047ドル)で、全長は5474mm、2モデル合わせて1472台生産された。下の2台は148インチのロングホイールベースモデルで登場したのは遅く1946年8月28日で、10月末まで1946年型として1291台生産された。左は7人乗りセダン(4332ドル)と右はリムジン(4496ドル)であった。ちなみに最も安いパッカードはクリッパーシックスの2ドアクラブセダンの1680ドルであった。このカタログの表紙はM-BASE「カタログとその時代」第4回の最後に掲載してあります。

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1946年型パッカード・カスタムスーパークリッパーリムジンの室内。当時のパッカードのボディーは、ロングホイールベースモデルはヘニー・モーター社(Henney Motor Co.)で、その他のモデルはブリッグス社(Briggs Mfg. Co.)で架装されていた。

◆ハドソン(Hudson)
 1946年型ハドソンも1942年型のグリルを立体的なものに変え、バンパー、トリムを変更したマイナーチェンジであった。車種構成はスーパーとコモドールのそれぞれにシックスとエイトを加えた4シリーズで構成されていた。エンジンは3477cc(212cu.in.)直列6気筒Lヘッド103馬力と4166cc(254cu.in.)直列8気筒Lヘッド128馬力の2機種が設定され、ホイールベース3074mm(121in)、全長5267mmであった。1945年7月には早くもティーザー広告を開始し、生産再開は8月30日、ディーラーでの公式発表は10月1日であった。1946年型の生産台数は9万1039台(シェア4.1%)で、アメリカ車のブランド別順位は9位であった。

05-19-28 1946 Hudson.jpg

上の絵は1946年型ハドソン・コモドール 2ドアブローアムとあるが、いろいろな史料を見ても、2ドアブローアムはスーパーシックスシリーズだけに存在しているので、カタログには載せたが生産されなかった可能性がある。トランスミッションにはオプションで、オーバードライブ(101ドル)、ドライブマスター(Drive-Master)セミオートマチック(112ドル)およびオートマチック・クラッチ付きバキュモーティブドライブ(Vacumotive Drive)(47ドル)が用意されていた。当時はまだフルオートATはそれほど普及しておらず、オートクラッチ、エンジンとクラッチの間にフルードカップリングを入れたものなど各社ともイージードライブに向け苦労していた。

◆ナッシュ(Nash)
 1946年型ナッシュも1942年型のマイナーチェンジで、グリル、バンパーの変更およびヘッドランプの上にあったパーキングランプをヘッドランプ横に埋め込んでいる。車種構成は廉価版の600シリーズと上位グレードのアンバサダーで構成され、1942年型には存在したアンバサダーの8気筒モデルはカタログから落とされている。エンジンは600用が2831cc(172.6cu.in.)直列6気筒Lヘッド82馬力とアンバサダー用は3851cc(234.8cu.in.)直列6気筒OHV 112馬力で、600はホイールベース2845mm(112in)、全長5069mm、アンバサダーはホイールベース3073mm(121in)、全長5297mmであった。1946年型の生産台数は9万4000台(シェア4.2%)で、アメリカ車のブランド別順位は8位であった。

05-19-29 1946 Nash.jpg

1946年型ナッシュ・アンバサダー「スリップストリーム(Slip Stream)」ファーストバックセダン。1946年型ナッシュで最も人気の高かったモデルで、アンバサダーが2万6925台、600シリーズは4万2300台生産され、合計6万9225台で実にナッシュの74%がこのモデルであった。価格はアンバサダーが1469ドル、600シリーズは1298ドルであった。このファーストバックセダンをウッディ調に仕立てたサバーバン(1929ドル)が1946~48年型の3年間に1000台生産されている。


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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
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