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第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1
2013.3.27

 
アルファ・ロメオは歴史が長いから当然生み出された車種が多い。その上魅力的な車が多いから、つい写真を撮ってしまう。加えて「アルファ・ロメオ・ミュージアム」に2回も行って「歴史上の車」も全て撮ってしまったから、パソコン内にある枚数は半端ではない。全部は紹介しきれないのでエポック・メーキングなモデルをピックアップしたが、すべてを順番に紹介すると同時期に色々な性格の車が出てくるので流れが混乱する。そこでわかり易くするため第1回は創世期から次第にレースにのめり込んで行く過程を「レーシングカー」に限定し1951年の「ティーポ159」までを一区切りとしてお送りする。写真はミュージアム以外で撮影したものを極力優先した。


<創世期・戦前>

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(01) 1908 Darracq 8/10hp Voiturette
 
車はフランスの「ダラック」だが、この車を造るためにミラノの郊外にあった工場を買収し、ライバル、トリノの「フィアット」に対抗して誕生したのが「アルファ・ロメオ」の前身「A.L.F.A.」である。そんな訳でアルファロメオ・ミュージアムでは源流として見学コースの最初に展示している。


<主任設計者 ジゥゼッペ・メロージの時代> (1910~1923)

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(02) 1910 A.L.F.A. 24hp Torpedo
 新会社が最初に作ったのが1910「 モデル24hp」で、車名の「A.L.F.A.」はAnonima Lonbarda Fabbrica Automobili(ロンバルダ自動車製造有限会社)の頭文字を組み合わせたもの。

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(03) 1913 A.L.F.A. 40/60hp Corsa(seriesA)
後年レースで名を上げるアルファ・ロメオとしては最初の本格的レーシングカーで、直4 OHV 6082ccエンジン付き、最高速度150/hだった。

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(04) 1914 A.L.F.A. 40/60hp Siluro Ricotti
前と同じシャシーを使ってリコッティ伯爵の為に造られたのが「シルーロ(魚雷)・リコッティ」と呼ばれるスペシャル・ボディで、空気抵抗を配慮したこの形は時代を20年先取りしている。

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(05) 1921 Alfa Romeo 20/30hp ES
この車は「アルファ・ロメオ」の車名がついた最初のモデルで、初めて造った「24hp」から「20/30hp E」を経て「20/30hp ES」となった直系の後継車。 1915年「A.L.F.A.」社は経営権を「N.ロメオ技師有限会社」に譲り、第1次大戦の特需で巨大化したしたこの会社は幾つかの会社も併合し1918年「イタリア・ニコラ・ロメオ技師株式会社」と変更した。意外なことに戦前の「アルファ・ロメオ」は全てこの会社から生み出され、「アルファ・ロメオ株式会社」となったのは1948年以降だ。

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(06) 1923 Alfa Romeo RL Targa Florio
6気筒3リッターのRLシリーズはノーマルでも高性能で各地のレースで活躍した。このシャシーを使ってタルガ・フローリオ用に開発されたスーパーモデルが写真の「RL タルガ・フローリオ」で、現代まで続くレーシングカーのシンボル「クアドロ・フォーリオ(四葉のクローバ)を最初に付けた車。(3154cc 95hp)

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(07) 1924 Alfa Romeo RL Targa Florio
3620cc 125hpで、より強力になった1924年型は、前年のレーシング・タイプと違って外見は市販ツーリングカーと変わらない。同じタイプはミュージアムにもあったが、写真はミッレ・ミリアで見つけた車で、この古さで1600キロを走り抜く頑丈さを持っている。当時アルファ・レーシング・チームの一員だったエンツォ・フェラーリもこの車でレースをしている。

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<主任設計者 ヴィットリオ・ヤーノの時代> (1923~ 1937)

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(08) 1924 Alfa Romeo P2 (グッドウッド/イギリス)

一つ前の「P1」は、1923年製でアルファ・ロメオの初代設計者「ジゥゼッペ・メロージ」としては最後の作品となり、9月のヨーロッパGPを予定していたが直前死亡事故が発生し、出走を取り消したので1度もレースを走らない幻の車となってしまった。その同じ9月に、2代目設計者「ヴィットリオ・ヤーノ」が入社し、歴史に残る名設計家としてその後「P3」「モンツァ」「6C 1500/1750」「8C 2300/2900」など次々と傑作車を生み出して行くが、彼が最初に造った傑作車がこの1924 「P2」の名を持つグランプリ・カーだ。直列8気筒DOHC 1987cc スーパーチャージャー付きで当初は140hp/5500rpmを発生、最高速度は225km/hと言われ、6月のデビュー戦でアントニオ・アスカーリの操縦でいきなり優勝を飾った。続いてヨーロッパGP、イタリアGPでも優勝、翌1925年も次々と優勝を重ね、新設されたメーカーのワールド・チャンピオンシップをアルファ・ロメオにもたらした。僅か6台造られただけだがその後5年間も現役で勝ち続けたポテンシャルは驚異的だ。


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(09)1932 8C 2300 Monza(Street Version)(コンコルソ・イタリアーナ/カリフォルニア)

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有名なアルファ・ロメオのエンジンはいくら見ても見飽きない

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  僕が描いた8C 2300 モンツァです

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(09bb)(04-12-04) 1933AlfaRomeo 8C 2300 Monza.jpg(09b) 1933 Alfa Romeo 8C 2300 Monza(Racing Version)ストリップ・ダウンしたGPレース仕様、(グッドウッド/イギリス)

  
時系列で行けばここでスポーツカー「6C 1500/1750/1900」の登場となるのだが、このままレーシング・カーを続ける。「6C 1500/1750」は各地のレースで結果を残したとは言え、基本的にはツーリングカーから発展したスーパー・スポーツだったが、「8C 2300」は最初からレースを目的として設計された。エンジンは「P2」の流れを汲むGP並の高度なもので直列8気筒DOHC 2336cc SC付き165hp/5400rpmとされる。「8C 2300」には2.75mのコルト、3.10mのルンゴ(ルマン用4座)、2.65mのモンザと3種のシャシーがあり、魅力的なボディーは「ツーリング」「ザガート」「ピニンファリーナ」などで造られた。


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(10a) 1931 Alfa Romeo 8C 2300 Touring Spider(グッドウッド/イギリス)
この時期のレーシング・モデル、「モンツァ」や「P3」などと同じグリルで、他に次のザガートと似たものもあった。

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(10b) 1933 Alfa Romeo 8C 2300 Zagato Spider(ミッレミリア/サンセポルクロ)
「6C 1750」から続くスポーツカー・モデルの代表的グリルで「ザガート」も「ツーリング」も殆ど同じ。

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(10c) 1934 Alfa Romeo 8C 2300 Pininfarina Spider(グッドウッド/イギリス)
グリルの下のラインが尖っているのは、このあと現れる多くの車に見られる傾向の先駆で1943年まで続く。 

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(11b)(00-05-04) 1933 Alfa Romeo 8C 2300 Le Mans.jpg
(11) 1933 Alfa Romeo 8C 2300 LeMans(ミッレミリア/ブレシア・イタリア)

「8C 2300」シリーズはレースを目的として造られたから、原則として4座のツーリングカーはないが、「ルマン・モデル」に限りレース規定に従って例外的に4シーターが造られた。このモデルは4年間で9台造られただけだが1931年(優勝)、1932年(優勝,2位)、1933年(優勝,2,3位)、1934年(優勝)と、4年連続優勝と言う信じられないほどの高性能と信頼性を示した。 

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(12a) 1932 Alfa Romeo 8C 2600 Monza (Street Version)ライトとフェンダーを付ければミッレ。ミリア仕様(ミッレ・ミリア/ブレシア)
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(12b) 1932 Alfa Romeo 8C 2600 Monza(Racing Version)ストリップ・ダウンすればGP仕様(グッドウッド/イギリス)

1929年12月エンツォ・フェラーリが「スクーデリア・フェラーリ」を創立し、「アルファ・ロメオ」のレース部門の全てを任されることになった。それらの車は後年「フェラーリ」のシンボルとなる黄色地に跳ね馬のマークを付けて活躍を続けた。「8C 2300」はその後も競争力を維持したが1933年2300のボアを広げ、より競争力を増した「8C 2600」(2556cc)に改造された。写真の車は塗装がかなり古く「跳ね馬」も古ぼけているので、28の車番はもしかしてヌボラーリがモナコGPで優勝した車かもしれないが他のモンザにも28番があるので確かではない。

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(13) 1931 Alfa Romeo Tipo A Monoposto (6C 1750×2)(ミュージアム)

「8C 2300」シリーズのなかでも「モンザ」だけはシャシー記号が「GP」で、実際にも1930年代初めにはストリップダウンしてグランプリレースを戰っていたが、より本格的なGPマシーンが待たれていた。その一貫としてパワーを求めて色々と試行錯誤が繰り返されたが、この車は「6C 1750」のエンジンを2つ並べてエンジンルームに押し込み2倍の馬力を得ようとの発想で、2頭立ての馬車とでも言うべきか。左右を逆回転させトルクを打ち消しているのは常識通りだが、馬力の伝達方法に特徴がある。この車は左右のエンジンがそれぞれ独立して左右の後輪を駆動する。だから運転席の写真で見られるように2本のドライブ・シャフトが足の下を貫通している。速い事は速いがノーズヘビーで扱いにくい事は容易に想像できる。


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(14) 1935 Alfa Romeo Bimotopre (TipoB×2)(ミュージアム)
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(14b) 1935 Alfa Romeo Bimotore(レトロモビル/パリ)

順番は飛ぶが同じ「モア・パワー」の仲間として、今度はエンジンを前後に載せてしまった例を紹介する。載せたエンジンは「ティーポB(後述)」×2で、合計では16気筒6330cc 540hpとなりアウトバーンで325km/hを記録している。後部エンジンのシャフトはギアボックスを貫通し前エンジンと直結して折り返し、合体したパワーを左右別々に斜めのプロペラシャフトでそれぞれの後輪を駆動する。2台造られたがレースではドライバーが性能に追いつけなかったのか一度も優勝は無く2位が最高だった。


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(15a) 1932 Alfa Romeo TipoB(P3) Monoposto(単座GP仕様)(グッドウッド/イギリス)
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(15) 1932 Alfa Romeo TipoB (P3)MM Spider(ミッレ・ミリア仕様/ブレシア)

順序は1つ前に戻り失敗作だった「ティーポA」に続く最大の傑作「ティーポB」である。この車の特徴は駆動方式に有り、ティーポAでは必然的に左右別々になったプロペラシャフトを意図的に採用し、その中間の低い位置にドライバーが座る事で重心を下げることを狙った。基本的にはシャシーもボデーも「8C 2300」と殆ど同じで、エンジンもストロークを12ミリ伸ばして2654ccとなった。(因みに8C 2600はボアを広げているので別物)デビューは1932年6月イタリアGPで今回もいきなり1,2位となり、続くフランスGP、ドイツGPでも1,2,3位を独占し無敵を誇った。翌1933年も数々の優勝を重ねたが、1934年になると新フォミュラーに変更され「ティーポB」は好調のままグランプリでの活躍の場を失った。

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(16) 1934 Alfa Romeo TipoB 1934(P3改)(ミュージアム)

 1933年には経営悪化で会社は国有化され社名は残るも経営に制限がかかることになる。加えて1934年からはフォミュラーが変更されたが、新たに開発する余力は無く「P3」を2905ccに ボアアップし「P3改」として登場させたが、折からナチスの後援を受けて力をつけたドイツ勢のメルセデス・ベンツW25やアウトウニオンPヴァーゲンの前には全く無力だった。

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(17) 1935-36 Alfa Romeo TipoC 8C 1935/TipoC 12C 1936(ラグナ・セカ/カリフォルニア)

 1934年に入って既に始まっている新フォミュラーに対応するグランプリ・マシンの開発がようやく可能となった。「ティーポC」と呼ばれるニューモデルは全輪独立懸架による低いシャシー、空気抵抗の低いボディー、と今までより一段とと近代化された。1935年シーズンは予定のV12エンジンの開発が間に合わずティーポBの8気筒エンジンを3822ccにボアアップして参戦したが、一時しのぎのマシーンで勝てるほどドイツ勢は甘くはなかった。1936年シーズンになって待望のV12エンジン(4064cc)が投入されたこの年は、ドイツ勢の不調にも助けられ優勝3回、2位3回と最後の花を飾った。

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(18)10-07-02_0275 1937 Alfa Romeo 12C-37 (4.5litre).JPG

(18b)10-07-02_0276 1937 Alfa Romeo 12C-37 (4.5litre).JPG
(18) 1937 Alfa romeo TipoC 12C 1937(グッドウッド/イギリス)

1937年シーズンは前年のV12エンジンを4495ccまで広げ、より低く、少し幅を狭めたシャシーが造られた。ボディの空気抵抗は減少した代りに、シャシーが狭くなった分ねじり剛性の不足を生じた。2戦目のレース途中でリアアクスルが破損してリタイアし、この失敗作を最後にヴィットリオ・ヤーノはアルファ・ロメオを去った。もしこの車がまともに走っていたとしても、この年のドイツ勢は「ベンツW125」「アウトウニオンタイプC」と言う後世に残る名車を投入してきたので相手が強すぎた。全部で4台造られているが資料で見るグリルは「8C 1935」と同じ「楯型」で、写真のティーポ158に似た「凸型」もあったのか後年の改造かは不明。



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<主任設計者 ジョアッキーノ・コロンボ/ウイルフレード・リカルトの時代> (1937~45)

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(19) 1938 Alfa Romeo Tipo 158 (コロンボ)(ミュージアム)

コロンボの名はフェラーリのV12エンジン設計者として記憶している人も多いが、アルファ・ロメオの時代1924年から10年間ヴィットリオ・ヤーノのもとで学び育った。コロンボが設計した「ティーポ158」はもちろん正真正銘アルファ・ロメオではあるが、1937年当時のレース・マネージメントはスクーデリア・フェラーリが行っており、実態はエンツォ・フェラーリの要望で造ったという事だろう。直列8気筒DOHC 1479cc 195hp/7200rpm最高速度232km/hで、1938年シーズンに登場した時は、復活したアルファ・ロメオ自身のチーム「アルファ・コルセ」からの参加だった。ドイツ勢をやっつけるまでは行かなかったが、それでもデビュー戦のコッパ・チアーノとミラノGPで1.2位となっている。これに力を得たかどうかは知らないが、9月になって突然、翌1939年のイタリア国内のGPレースを「1.5リッター・フォミュラー」と決定し、ドイツの鼻を明かそうとしたが、どっこい僅か8ヶ月で造られた「ベンツW165」は、無敵の強さで、この奇襲策は夢と消えた。


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(20) 1938 Alfa Romeo Tipo 308(コロンボ)(グッドウッド/イギリス)

1938年からは「3リッター・フォミュラー」に変更されそれに対応したのが「ティーポ308」で、3リッター8気筒を表す。(写真がないので紹介できないが「312」「316」も同時期に造られた)コロンボが造った、と言うよりは、ヤーノが残したスーパー・スポーツ「8C 2900A」をモノポストのグランプリ・マシーンに改造したと言ったほうが良いかもしれない。「8C 2900A」のエンジンは元々「P3」(2654cc)の発展型で、2991cc 295hpまで強化されたが、ライバルには大きく差をつけられ対等に戦える相手ではなかった。因みにメルセデスW154は476hp、W163は483hp、アウトウニオン・タイプDは420hpだった。4台造られた内1台はアメリカのインディ・レースで長期間活躍を続け、戦後は1946、47、48年と毎年上位入賞を果たしていたのがせめてもの慰めといえよう。


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(21b)10-07-02_0269 1940 Alfa Romeo Tipo512 GP.JPG
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(21) 1940 Alfa Romeo Tipob 512 (リカルト)(グッドウッド/イギリス)

今では当たり前となっているミッドエンジンでドライバーが真ん中より前に位置するレイアウトは、フェルナンド・ポルシェが設計した1934年の「アウト・ウニオンPヴァーゲン」が初めて採用したスタイルだ。アルファ・ロメオとしては望みをかけた「ティーポ158」が全く歯の立たない現状の打開策として、絶好調のライバル「Pヴァーゲン」からヒントを得たニューモデル構想だろう。燃料タンクを車体の中央に置き、減少時の重量配分の変化を抑えるなど操縦性に配慮して近代化を図っているが、なぜか1度もレースを走ることはなかった。多分当時の一流のドライバーをしても、着座位置がこれだけ前進すると感覚的にコントロールしきれなかったのではないか。エンジンは水平対抗12気筒1490ccに2ステージのスーパーチャージャー付きで335hp/8600rpmを発生したが、データ・ブックに最高速度の記録はなく、分類も試作車扱いである。

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<主任設計者 オラツィオ・サッタの時代>(1946~ )

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(22b)(04-23-32) 1951 AlfaRomeo Tipo159 Alfetta 1.5 Litre 8-cl.jpg
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(22a) 1951 Alfa Romeo Tipo159 Alfetta(グッドウッド/イギリス)

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(22b)1951 Alfa Romeo Tipo 159 Alfetta(プラモデルではありません。ミュージアムの展示車です)

 大戦後、1946年から再開されたレースには戦前の生き残り「ティーポ158」でも戦えた。(敗戦国ドイツは参戦できず)翌1947年からは、新しく主任設計者となったサッタの手で改造され、シングルから2ステージとなったルーツ・ブロワーで275hpまで強化されたのが「ティーポ158/47」で、1947-48年シーズンを戦った。49年は参戦せず、1950年にはさらに350hpまであげてきたが、今度のライバルはコロンボやランプレディーのいるフェラーリで、これに対抗するため造られたのが「ティーポ159」である。基本的には「ティーポ158」の改造で外見は殆ど同じだが、リアサスペンションが大改造され、エンジンは1479ccのまま過給圧をあげ、425hp/9300rpm、最高速度は初めて300キロを越え305km/h となった。この車によって1950-51年には連続してドライバーのワールド・チャンピオンを獲得するほど圧勝した。アルファ・ロメオはこの1951年のティーポ159をもって戦前から続く一連のグランプリカーの活動に終止符を打った。この間ドイツ車の参加はなく、かつての強敵ベンツから「W196」がレースに復帰したのは1954年からと言う微妙なタイミングだった。

次回はスポーツカーを中心に引き続きアルファ・ロメオの魅力的な数々をご紹介します。

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第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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