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第17回 アメリカ車 :序章(5)1934~37年クライスラー・エアフロー
2013.3.27

 今回は1930年代のアメリカ車で最も刺激的なクルマ、クライスラー・エアフロー(Airflow)を紹介したい。
 流線型に多くの人々が興味津々であった1920年代中ごろの夏のこと、クライスラーに勤めるエンジニア、カール・ブリアー(Carl Breer)は週末のひと時をミシガン州の湖畔のコテージで過ごしていた。その時、陸軍の飛行機が湖面を低空で飛ぶのを見て、クルマが走るときの空気抵抗に注目したという。帰り道、走るクルマの窓から腕を出し、腕を曲げたり手のひらの向きを変えると空気抵抗が変化するのを感じ、空気抵抗でクルマのパワーがどれだけ失われているか知りたいと考えた。
 そんな折、オハイオ州デイトンから新しいエンジニア、ウイリアム・アーンショー(William Earnshaw)がブリアーのチームに加わった。彼はデイトンに居を構えていた飛行機のパイオニアであるライト兄弟の一人、弟のオーヴィル・ライト(Orville Wright)と親交があったので、デイトンに戻して空気力学の効用について学ばせた。やがて彼は風洞のアイデアを持ち帰り、35馬力のモーターでプロペラをベルト駆動する20×30インチの断面をもつ小さな風洞を造り、模型によって理想的な形を追求した結果、1932年12月に完成したのが「トライフォン・スペシャル(Trifon Special)」と名付けたプロトタイプであった。風洞実験を開始してから既に5年が経過していた。
 社長のウォルター P. クライスラー(Walter P. Chrysler)に乗せると、その素晴らしさに満足したと言われる。その頃の米国経済は1929年の大恐慌から立ち直っておらず、1932年11月に大統領に選出されたルーズベルトが不況脱出の切り札として掲げたニューディール政策の一環として、公共事業による全米高速道路網の建設があり、新しい道路に適応するためにはクルマにも変化が必要だと判断。広く快適な室内、安全で強力な長距離移動が可能なクルマ造りをめざしたエアフロー・プロジェクトにゴーサインが出された。
 デザインを担当したのは、当時のクライスラー社のチーフ・スタイリスト、オリバー・クラーク(Oliver Clark)で、8気筒エンジンを積んだクライスラーと6気筒エンジンを積んだデソート(DeSoto)が1934年型として発売された。しかし、エアフローがあまりにも急進的であったため、市場に受け入れてもらえず、商業的には成功しなかった。デソートは1936年型、クライスラーは1937年型を最後に生産を中止してしまった。しかし、エアフローの出現は新しい試みに挑戦することへの触媒となり、その後のアメリカ車が目ざましいスピードで進化する礎となったのではないかと思う。更には欧州車に対しても少なからぬ影響を与えたのではないだろうか。
 エアフローの失敗で得た教訓は、どんなに良いと思えるクルマでも、世に出すタイミングと出し方、そして何よりも肝心なのはカッコよくなければだめだということではないだろうか。その後、1941年にクライスラー社はボクシーでフラッシュサイド(スラブサイドともいう)のショーカー「サンダーボルト(Thunderbolt)」を発表するが、このデザインコンセプトが量産車に採り入れられたのは1953年であったことからも、クライスラー社がいかに慎重になっていたか想像できる。

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上の1枚は1932年型クライスラー・インペリアル・カスタムエイトセダンと後方はフェートン。米国でクルマが造られて以来、フェートンは最もポピュラーなモデルであったが、1932年型を最後にクライスラーのフェートンはカタログから落とされた(1933年型にはセミカスタムのルバロン製が残る)。両車ともホイールベース146in(3708mm)のシャシーにルバロン(LeBaron)がボディー架装を行ない、セダンは価格2995ドル、生産台数35台、フェートンは3395ドル、14台という希少車。1930年代に入ると、それまで平面であったラジエーターグリルもいろいろな形にデザインされるようになり、完成された美しさを備えていた。エアフローが登場したころのアメリカ車のサンプルとして登場願った。

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上の3枚はエアフローのコンセプトモデル「Trifon Special」。1932年12月にテストを開始したが、コンペティターに存在を知られるのを避けるため、クライスラーの名前を付けずに登録された。Trifonはクライスラーに勤めるギリシャ系アメリカ人テストドライバーのラストネームを拝借したものである。2台製作され、もう1台はクォーターウインドーのある6ライトボディーを持つ。サイズはホイールベース2921mm、全長4800mmで、エンジンは4.0ℓ(ボア・ストローク86×114mm)直列6気筒Lヘッド100馬力。サスペンションは前後ともリーフスプリング+リジッドアクスル。このクルマの革新的な点は、エンジンをフロントアクスルの上まで前方に移動して、リアシートをリアアクスルの前方の低い位置に移動して乗り心地を改善したこと。ヘッド/テールランプ、トランクをボディーデザインに融合させ、フロントウインドシールドに曲面ガラスを採用したこと。頑丈な骨格にパネルを溶接して一体化したボディーにサブフレームをボルト止めしたモノコックボディー方式を採用したことなどがあげられる。なお、このクルマの最高速度は100.5mile/h(161km/h)に達し、同じパワーを持つ従来のクルマでは62.5mile/h(100km/h)にとどまったことからも空力の効果を確信したという。この個体はクライスラー博物館に展示されており、フェンダー部分の修理と塗装を施した以外はまったくオリジナルの状態である。

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上の2枚は八洲自動車が配布した1934年型エアフロー・クライスラー-8のカタログ。ケージ状に組まれた骨格と6人がゆったりと座れる広い室内の様子が分かる。特に後席の左右長50in(1270mm)は、従来の標準的なシートにくらべ10インチも広く、その後のアメリカ車にとって標準的なサイズとなった。それにしても、ヘッドランプが埋め込まれ、のっぺりした顔を見た人びとが違和感を持ったのも分かる気がする。

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エアフローのボディー骨格図。強靭さをアピールするため、シカゴ市制100周年を記念して「進歩の世紀(A Century of Progress)」をテーマに1933年と、あまりにも好評であったため、1934年にも開催されたシカゴ万国博覧会の特設コースで、一日6回の転覆実演を見せたり、ある時は高さ33mの崖から落としたあと自走して見せるなどのデモンストレーションが行なわれた。全鋼製ボディーに関しては、クライスラー系列のダッジ(Dodge)は、まだ木骨に鋼板を貼るボディーが全盛だった1915年から、ボディーメーカーのバッド社(Edward G. Budd Manufacturing Co.)とタイアップして、はやくから全鋼製ボディーを採用したパイオニアであった。

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1935年型エアフローのカタログに載った、高さ33mの崖から転落するエアフロー。モノコックボディーの強靭さを証明するデモンストレーションであった。

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シートには軽量化のためパイプフレームが採用されている。6ライトボディーの場合、クォーターウインドーはハンドル操作によって大きく開いて快適な換気が可能であった。

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エンジンフードが後ろを支点にしてグリルと一体に大きく開くのも新しいものであった。しかし、これではLヘッドエンジンのタペット調整は難儀だなと思ったら、タイヤとホイールハウスパネルを外して行なえるようになっていた。作業性はすこぶる悪かったろうと想像する。

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1934年型エアフロー・クライスラーのラインアップ。上部4台がエイト(シリーズCU)で4.9ℓ直列8気筒122馬力エンジンを積み、ホイールベース3124mm(123in)、全長5283mm。下部3台はインペリアル(シリーズCV)で5.3ℓ直列8気筒130馬力エンジンを積み、ホイールベース3251mm(128in)、全長5410mmであった。世界初の遊星歯車による自動式オーバードライブがインペリアルには標準で、エイトにはオプションで装着された。これは車速が35mile/h(56km/h)以上でアクセルペダルを少し戻すと自動的に入り、クラッチペダルを踏み込むと切れる仕掛けであった。価格はどのボディータイプでも同じでエイトが1345ドル、インペリアルが1625ドルで、1933年型にくらべ200~400ドルほど高かった。この他にインペリアルには137in(シリーズCX)と146.5in(シリーズCW)のホイールベースを持つカスタムインペリアルがラインアップされていた。

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1934年型エアフロー最大のカスタムインペリアル(シリーズCW)・セダンリムジン。エンジンは6.3ℓ直列8気筒150馬力を積み、ホイールベース3721mm(146.5in)、全長5930mmのモンスター。146.5inホイールベースモデルには、恐らく世界初の曲面1枚ガラスのフロントウインドシールドが採用された。価格は5145ドルで1933年型に比べて1850ドル高であった。生産台数は17台という希少車。

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上の2枚はクライスラー博物館が所蔵する、完璧にレストアされた1934年型エアフロー・クライスラー(シリーズCU)セダン。後部にトランクリッドが無いので、荷物の出し入れはリアシートバックを前方に跳ね上げて行なう。

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1934年型クライスラー・シックス(CAシリーズ)セダン。1934年型クライスラーにはエアフローの他に普通?のボディーをまとった6気筒エンジンモデルが存在した。ホイールベース117in(2972mm)のCAシリーズと121in(3073mm)のCBシリーズがあり、エンジンは4ℓ直列6気筒93馬力が標準で、圧縮比を5.4⇒6.2に高めた100馬力もオプション設定されていた。このモデルの価格は845ドル。1934年型クライスラーのベストセラーで1万7617台生産された。シックスの総生産台数は2万5252台であった。1934年型クライスラーの生産台数は、エアフローが1万839台で、シックスを併売したにもかかわらず、合計3万6091台で対前年比112%と、市場全体の伸び140%には及ばなかった。

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「将来性のあるクルマを買うのは賢い選択ですよ!」?のキャッチコピーと後ろに旧式なクルマをさりげなくくわえた1934年型エアフロー・デソート(モデルSE)の広告。このモデルは最初5-Passenger Coupeとして発売されたが、途中から3-Passenger Coupe with enclosed rumble seatsとして販売された。堅牢なモノコックボディーと広い室内をアピールしている。4ℓ直列6気筒100馬力エンジンを積み、ホイールベースはエアフローでは最も短い115.5in(2934mm)であった。モデル設定は4種類あり価格はすべて同じ995ドルで販売された。デソートはこの年エアフローにすべてを賭け、他のモデル設定が無かったため、米国の乗用車生産台数が約227万台で前年比140%と好調であったにもかかわらず、デソートの生産台数はわずか1万3940台で前年比62%という惨憺たる結果に終わっている。原因はデザインの問題だけではなく、価格が高いことに加えて、立ち上がり当初、生産技術面での問題が頻発したために十分な台数が供給できなかったことがあげられる。このことがコンペティターたちに、エアフローは欠陥車だと宣伝される結果を招いてしまった。クライスラー博物館発行の「Forward」誌によると、立ち上げ時の不手際によって販売の機会を失った台数は1万1000台に及んだと記している。

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「去年の最も刺激的なクルマが、今年の最も刺激的なニュースを生む」のコピーで登場した1935年型クライスラーの広告。白いクルマは、1934年型不評の原因の一つがフロントデザインにあるとの指摘を、米国のインダストリアルデザイナーの草分け的存在であったノーマン・ベル・ゲデス(Norman Bel Geddes)から受け、フロント部が変更されたエアフロー。黒いクルマは、伝説的デザイナーと言われたレイ・ディートリッヒ(Raymond H. Dietrich)に依頼して新しくデザインされたエアストリーム・クライスラー。広告のクルマはエアフロー・クライスラー・インペリアル(シリーズC-2)4ドアセダンで、128in(3251mm)ホイールベースに、5.3ℓ直列8気筒130馬力エンジンを積み、価格は1475ドル。この年のクライスラーの生産台数はエアフロー7751台、エアストリーム3万3755台、合計4万1506台で、前年比115%であり、米国の乗用車生産台数が約339万台で前年比149%と絶好調であったのに対し満足できる結果ではなかった。

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1935年型エアフロー・クライスラー・カスタムインペリアル(シリーズC-3)8-パッセンジャーセダンリムジン。137inホイールベースモデルで、シリーズC-2と同じ5.3ℓ 130馬力エンジンを積み、価格は2345ドルで、生産台数は53台。C-3シリーズには4モデルの設定があったが全部合わせても125台であった。カスタムインペリアルには他に146.5inホイールベースモデル(シリーズCW)4モデルも特別注文が可能で、合計32台が生産されている。

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「それはまだアメリカで最も話題のクルマだ」のコピーで登場した1935年型エアフロー・デソート(モデルSG)の広告。デソートもフロント部分のデザインを変更して登場した。広告ではエンジンを前方に移動して、リアシートをリアアクスルの前方低い位置に移動し、さらにソフトなスプリングによって広くて快適な乗り心地であると訴求している。左下にリアシートバックを引き上げてトランクの荷物を出し入れする様子が載っている。この年価格は前年より20ドル高の1015ドル(セダン、クーペ合わせて4モデルあるがすべて同価格)であったが、新規に併売されたエアストリームシリーズには695~825ドルのプライスタグが付けられた。この年、デソートの生産台数はエアフロー6797台、エアストリーム2万3台、合計2万6800台で前年比192%であった。

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1935年型エアフロー・デソート(モデルSG)セダンのプロファイル。ホイールベース115.5in(2934mm)、エンジンは4ℓ直列6気筒100馬力を積む。価格1015ドルで6269台生産された。

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1936年型エアフロー・クライスラー・エイト(シリーズC-9)クーペ。123inホイールベースに、5.3ℓ直列8気筒115馬力エンジンを積む。オプションで圧縮比を6.2⇒6.5に高めた120馬力も用意されていた。シリーズC-9には他に4ドアセダンが設定されていたが、価格はいずれも1345ドルであった。1936年型エアフローには他にホイールベース128inのインペリアル(シリーズC-10)、137inのカスタムインペリアル(シリーズC-11)、146.5inのカスタムインペリアル(シリーズCW)があった。従来はルーフトップにファブリックを使用していたが、この年からオールスチールトップが採用された。生産台数はエアフロー6285台、エアストリーム5万2973台、合計5万9258台で前年比143%。1929年以来最大の伸び率であった。米国の乗用車生産台数は約367万台で前年比108%であった。シリーズCWはCCCA(Classic Car Club of America)によってクラシックカーとして公認されている。

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1936年型エアフロー・クライスラー・インペリアル(シリーズC-10)セダン。これは米国のあるエンスージアストが9台保有していたエアフローの1台をクライスラー博物館に寄贈したもの。彼が足として使用していたクルマで、走行距離は10万4000マイル。ボディーの再塗装を施しただけで、あとはオリジナルの状態を保っている。128inホイールベースに、5.3ℓ直列8気筒130馬力エンジンを積む。この年のエアフローで最も多い4259台生産された。発売時の価格は1475ドルであった。

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クライスラー博物館の売店で見つけた1936年型シリーズC-10セダンのミニチュア。もちろん10万4000マイルをオーナーとともに旅した後、博物館に安住の地を与えられたクルマのモデル。

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1936年型デソート・エアフローⅢ(S2)セダン。デソート版エアフロー最後のモデルで、セダン4750台、クーペ250台、合計5000台生産された。価格はセダン、クーペとも1095ドルであった。デソート版エアフローは1934年から1936年の3年間に合計2万5737台生産された。

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1936年型デソートの主力モデルはエアストリーム(S1)で、デラックスとカスタムモデルがあり、いずれもホイールベース118inであったが、これは数少ない130inのロングホイールベースを持つトラベラーセダン。価格1075ドルで生産台数はわずか23台であった。エアストリームの生産台数は1万7308台で、エアフローの5000台を合わせると3万5299台となり、前年比132%であった。

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1937年型クライスラー・エアフロー(シリーズC-17)セダン。これは最後のエアフローで、セダンと下の写真のクーペの2車種のみのラインアップであった。スペックに大きな変化は無く、ホイールベース128inで、エンジンは5.3ℓ直列8気筒130馬力を積む。なお、圧縮比を6.2⇒6.5に高めた138馬力仕様も選択可能であった。価格はセダン、クーペともに1610ドルで、セダン4370台、クーペ230台、合計4600台生産された。なお、1937年型インペリアルはエアフローではなく、普通のモデルに戻されている。しかし、カタログには載らないが、シリーズCWのカスタムインペリアルが1935年型をベースに1937年型のグリル、バンパー、トリムを付けて、1937年型として3台販売されている。

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クライスラー博物館に所蔵されている1937年型クライスラー・エアフロー(シリーズC-17)クーペ。

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1937年型クライスラー・インペリアル。ホイールベース121in(3073mm)のシリーズC-14と140in(3556mm)のシリーズC-15があり、価格はC-14が1030~1500ドル、C-15は2060~時価で、生産台数はそれぞれ1万4500台と1200台、合計1万5700台であった。

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1937年型クライスラー・ロイヤル(シリーズC-16)。エアストリームの呼称を廃し、ロイヤルとなった6気筒モデル。ホイールベースは116in(2946mm)と133in(3378mm)があり、エンジンは3.7ℓ直列4気筒93馬力とオプションの100馬力が設定されていた。価格はビジネスクーペの810ドル~コンバーティブルセダンの1355ドルであった。この年のクライスラーの生産台数はエアフロー4600台、インペリアル1万5700台に加え、ロイヤル8万6000台、合計10万6300台に達し、前年比179%と大きく躍進した。米国の乗用車生産台数は約392万台で前年比107%であった。

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エアフローのデザインは乗用車だけではなくダッジトラックにも取り入れられ、1934年12月に最初のモデルK-52スペシャルが登場し、1936年12月まで生産された。第2シリーズは1937年5月にLM-71として登場し、1938年1月まで生産され、そして最終シリーズは1937年12月からRX-70(ホイールベース188in〈4775mm〉)およびRX-71(ホイールベース205in〈5207mm〉)として1940年2月まで生産された。この写真は1939年型ダッジ・エアフローRX-70タンカーで、5.4ℓ直列6気筒Lヘッド100馬力エンジンと5速マニュアルトランスミッションを積む。この個体はフォード博物館が所蔵し、クライスラー社がレストアを無償で提供したという。1934年から1940年までに261台(確証は無い)生産されほとんどがタンカー架装であった。

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フォード博物館の売店で見つけた1939年型ダッジ・エアフローRX-70タンカーのミニチュア。ホイールベース130mm、全長216mm、全幅65mm、車両重量617g、シャシーNo.(シリアルNo.)2937。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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